驚くべきことに、これは彼がウラジオストックから敦賀に上陸して、わずか二日後の記述です。

 タウトは明治十三(一八八〇)年ケーニヒスベルグに生まれました。当時、モダニズムの建築家としてヨーロッパ中にその名を知られていましたが、ナチスが政権を取ると、身の危険を感じ、かねてから求められていた日本建築家協会の招待に応じて、日本で亡命生活を送ることにしました。彼は三年半日本に暮らし、日本の建築について数冊、本を著していますが、おそらく後世まで日本人に読みつがれてゆくのは、彼が滞在中、日々詳細に書きとめた日記のほうではないかと思います。これは、タウトの好きな言葉を用いれば「思考する眼」が、それだけで、どこまで異文化を理解できるかという、貴重な実験の記録です。そしてまた、ここには眼だけで理解された非常に特異な教神社観や神道評が記されています。
今、そのうちのいくつかを引けば―

午後、京都御所を拝観。……規模はこのうえもなく雄大でしかも簡素。……浄滑な杉材、紅絹縁(もみべり)の畳。……紫宸殿(高御座(たかみくら)は神社を彷彿させる)。小さな壺庭。『皇居』であるのにいささかも華美なところがない!………『カイゼル』というドイツ語は日本の天皇には当たらない。(昭和八年六月十六日、京都御所および修学院離宮にて)

神道は日本人をこの国土に落ち着かせているいわば碇だ。……神道は自然の法則に従った秩序である、これによって日本人はその国土と祖先に固く結びついているのだ。(昭和八年七月十五日、愛宕神社)

この神社には、古のさる大臣が祀ってある。『神社』は神殿ではなくて、むしろ諸人が崇敬をささげる『記念碑』ともいうべきものだ。……日本の『神』は基督教の『神(ゴッド)』ではなくてむしろ『追憶』だ。神道は『宗教』ではない。ヨーロッパ諸国とは異なる世界、異なる概念だ。我々の国語で言い表そうとしても正鵠を逸するばかりである。(昭和八年九月二十四日、東京谷保天満宮)

 タウトが「神道は宗教にあらず」と言うとき、チェンバレンやサトウと違って、そこには軽蔑的意味はいささかも含まれていません。それはむしろ異なる価値観の承認でした。

朝、明るい海を眺めると、すぐ眼の前に辨天島が見える。……自然の中の小社殿は実に美しい。自然とのこういう結びつきこそ神道の理念そのものなのだ。(昭和九年三月二十三日、蒲郡)

 タウトは日本では桂離宮の紹介者として有名ですが、桂と並んで彼が無条件で賞賛したもう一つの建物が、伊勢神宮でした。その神宮評は、そのまま彼の深い神道理解の証しとなっています。

外宮(げくう)の建築は、切妻に大きな千木のある藁屋根の農家とあまり異なるところがない。それだからこそ『日本的』だと思う人があるかもしれない、―ところが本当は決してそうではないのだ。この清新な材料―ま新しい見事な淡褐色の檜材は、時として明るい銀色にさえ見える。建築物や垣その他の正確無比な施工。浄滑な素木(しらき)と清らかな玉砂利を敷き詰めた地面とのすがすがしい結合、―砂利は自然のままで、建築物と美しい対照をなしている。社殿には土台がなくそのまま地面の上に純粋無雑な姿でおおらかに立っているのである。(昭和八年十月一日)

 タウトは、サトウを失望させ、チェンバレンに骨董と評された、単純さと脆弱性に「清らか」で「おおらか」な自然との結びつきを発見しました。

 伊勢神宮に人工的な装飾がまったく無かったわけではありません。堅魚木(かつおぎ)の先端に嵌めこまれた淡い金色の金具は、銀色に見える建物全体にほのかに映え、華美に陥ることなく、柔らかな気品を醸し出していました。また、左右四対の「おさ小舞(こまい)」は、千木の下にくっきり突き出て、単調になりやすい切妻に眼の覚めるような厳しい表情を与えていました。

しかしその他の部分はすべて構造のみ……それだからこそ、およそ考え得られる限りの至純な釣合を得たのである。

 洗練の果てに表れる自然さと、厳格な「型」が生み出すおおらかさは、タウトの信奉するモダニズムを超えて「古代のままの詩」「簡素の極みに達した優美な宝石」としか形容のしようのないものでした。

これは神道が自然に則って形成したものである。……またその起源も最初の建築家も不明である、―定めて天皇そのものと同じく天から降ったものであろう。実際、そうとしか考えられない。それほど施工と釣合いとは純粋無雑である。

 タウトをさらに驚かせたのは、そうした美意識、つまり「黴臭さや錆などを放逐しようとする意図」が内宮(ないくう)・外宮の正殿のみならず、小社殿や玉砂利、森や小径にまで及んでいることでした。穢れを祓おうとする強靭な意志が伊勢の神域全体を支配し、醜く不愉快なものは何ひとつ見当たりません。「榊の緑枝や御幣の白紙、御門の入口に垂れている白絹の幕、参拝者が賽銭をなげる白布にいたるまで、心ときめくばかりの美しさ」でした。

 「水晶のように清冽な五十鈴川、清らかな小石と沢山の魚」「樹齢は恐らく一千年を超えるであろう」「社殿をめぐる巨杉の深緑」「自然さながらの小径」「槍皮葺屋根の簡素な斎館」「自然石とさえ思える石段」そして「夥しい参拝者たち」。タウトは、この風景はもはや一つの「雄大な思想」であると評し―それが神道なのだ、と考えました。

 伊勢に向かう車窓からの描写に混じえて、タウトは「新聞によると、或る大学教授の調査では日本の学童の九十五%までが無神論者、残り五%も宗教に対して極めて無関心だという」と不思議そうに記しています。しかし参宮をおえて、その疑問は氷解しました。日本人が無関心なのは、西洋的な意味での『宗教』や『神』に対してだけなのです。

 「或る大学教授」は、神道は宗教にあらずと断じたチェンバレンと同じ誤りを犯していたのです。

御門の前で下村氏……と上野氏とが恭しく敬礼した。ここに昔ながらの独自な姿をいまなお保持している純粋な『国民』がある。さればこそ日本の国民は、世界的な創造になったのである。……ここにはヨーロッパ人の言う意味の宗教はない。しかし伊勢神宮に対する崇敬の念を誰が拒み得ようか。

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