ハーンとタウトの体験には、いくつか面白い共通点があります。二人とも神社を虚心に見つめることから神道を理解し始めました。彼らは、大樹に囲まれた千木を見上げ、大地にじかに掘り立てられた柱の、その白木の木肌の微妙な色を味わいながら、ここに西洋とはまったく異なる、人と神と自然の親しい関係―深い一体感があるのに気付きました。それは神社が、たんなる宗教施設ではなく、文字通りこの国の神の住処であり、神と人とがじかに交わる信仰の場だったからです。

 かつてハーンは、神道が西洋的な意味で宗教としての実体を欠いていたからこそ、西洋の宗教思想の侵略から日本を守れたのだと書きました。その時、彼は明らかにこの異質な神と人との親しい関係を念頭に置いていたに違いありません。人と神の存り方が西洋と異なるのは、神道では神と人が契約関係にないから―神が人に抽象的な教理や複雑な倫理を守ることを要求しないからだと言ってもよいでしょう。人も神も自然も、詮じつめれば一つのもの―神は自然に隠れ、自然は神となって顕れ、人はたんに神社に足を踏み入れるだけで、祈りの言葉を口にするまでもなく、神と交わることができる―これは確かに神道の根本にある考え方のひとつです。ハーンは正しかった。教義と倫理を欠いていたからこそ、神道は今日に至るまで見事に生き延び、日本人の心を掴み続けているのです。

 ここでもう一人、神道を発見した西洋の芸術家の例を付け加えておきましょう。昭和四十九(一九七四)年、フランス文壇の老大家七十二歳のアンドレ・マルローは、最後の来日をはたし、根津美術館を訪れました。

 館長室で国宝「那智滝図(なちのたきず)」に対したとき、マルローは激しく感動し、かたわらの夫人にこう呟いたといいます。

右下に突き立った松の木の力強さを見てごらん。滝はここではまさしく神だ。自然の超自然として、つまり自然の精神化としての神なのだ。……このような精神化は西欧にはない。(竹本忠雄『マルロー 日本への証言』美術公論社、昭和五十三年、三八五頁、以下、本書からの引用は頁数のみ示す)

 マルローは後にこの呟きを『非時間の世界』の中で自己の哲学に取りこみ、ほとんど散文詩ともいえるような劇的で緊密な表現に仕立て上げています。

切り立った懸崖。……巌塊が、暗緑色の一本の杉のかたわらに滝を塞いでいる。山嶺、漠たる天球、最小限に抑えた空、緑褐色のタブローの天より地へと、未知の文明の一剣を立つるがごとく、裾をひろげて白の瀑布は落下する。画軸がひろげられたとき、私は思った―これはアマテラスだ、と。日本の女神にして水と、杉の列柱と、日輪との神霊。そしてそこから天帝が降臨してくる。この垂直の水は、二百メートルの高さから落下しつつ、しかも、不動なのだ。(四一七頁)

 これはもちろん、神道ではなくて優れた絵画としての「那智滝図」への賛辞です。

水も、巌も、ひっきょう、問題ではない。白と、さまざまな褐色の統一性(ユニテ)が神性犯すべからざる感情をあたえることが、重要なのだ。(四一八頁)

 しかし、そのマルローが「一条の滝をまえにしてこのような感銘をうけたのは、私にはまさに空前絶後の経験だった」(四一九頁)と驚きをこめて回想するとき、マルローは一幅の古画を通して、まさしく神道を―直立する杉の巨木と巌、山嶺と流れ落ちる白水をもって、天と地を、神と人とをつなぎ得た異質な精神を見出していたのです。

 根津美術館に続く熊野・伊勢への旅行を、マルローの数多い訪日の総決算といえるほど実り豊かな旅にしたのは、この国宝「那智滝図」による神道発見でした。熊野に詣で、実物の那智の滝に眼を凝らしたマルローは、伊勢へと向かいました。意外に平静に内宮参拝をすませ、御饌殿(みけつでん)の手前にさしかかったとき、マルローは正殿を包む森の巨木を振り返り、錯乱に近いほどの興奮を示しました。

神(かみ)寂(さ)びた杉の巨木は大地からまっすぐに突き立っている。

滝が一本のとほうもない杉の古木として、きみの目にも映りはしないか。けっきょくそれらはおなじ精神であり、「下に人、上に天」の天と人とのあいだの永遠なる対話と言えるだろう。

あの樹々も生き、滝も生きている。視線はそれらにそって上昇するが、これはヨーロッパの聖堂をささえる円柱ではありえないことだ。(三八五-八頁)

 伊勢から熊野の旅に同行した日本人文学者に語ったこれらの言葉は、『反回想録』において、ふたたび一篇の散文詩となって現れます。

剃刀の刃で断ち割ったかと思われるばかりの簡素な構図……屋根の野性的棟木(むなき)にもかかわらず、神宮は、……樹々からへだてるとなると、たちどころにその生命を失うのである。……これらの樹々が演ずる役割はわれわれの聖堂の円柱のごときものだが、しかし円柱のほうは、暗い穹窿のなかへとかき消えていく。これにひきかえこれらの杉は、祭壇を讃美しているのだ。日本の先祖である太陽へのささげものさながらに、光にうちふるえる葉ごもりへと消える、果てしないその垂直軸をもって。

この「はかなきもの」が永遠を語る言葉は、聖堂より、ピラミッドよりもなお強力なのである。単音のきびしさによってであり、オーケストラによってではない。森林の精のごとく、また、百メートルの高さより落下しつつ、しかもさながら噴出するかのごとくみえる那智の滝の精のごとく(そのかたわらにあってはナイアガラの瀑布も一個のダムの観と化するほかはあるまい)。そそりたつ列柱、そそりたつ飛瀑、光に溶けいる白刃、日本。(四一四-五頁)

 これら「日本への証言」の数々をヨーロッパの文明と彼の思想の文脈にそくして語ることは、竹本氏の大著に委ね、ここで注目したいのは、マルローの「那智滝図」発見が、ハーンの杵築、タウトの伊勢発見と同じく、日本文化全体への啓示となり、以後、その真価に対する揺るぎない確信を与えたことなのです。

 これまで見てきた神道評価は明らかに二つの流れがあります。一つはサトウ、チェンバレン、アストンとつづく日本アジア協会会員の学術研究であり、もう一方は、ハーン、タウト、マルローという経歴も国籍も時代も異にする芸術家の孤立した見方です。

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