こう考えると、彼ら三人の神道批判が、なぜ明治のキリスト教宣教師―たとえばサミュエル・ブラウンなどの神道攻撃とほとんど一字一句同じなのか、ようやく納得がいきます。日本についてさして知識のない宣教師たちの偏見と、当時として望み得る最高の水準にあった日本研究者の批評に共通していたのは、この聖書主義だったのです。

 一方、神道を高く評価した三人の芸術家たち、ハーン、タウト、マルローは、例外なく日本語が読めませんでした。それゆえロゴス、つまり言葉や論理だけで神道を理解しようという態度とは、そもそも無縁だったのです。彼らにできるのは、ただ一つのこと、言葉以外のもの―形のあるものや生命(いのち)あるものを虚心に見つめ、そこから日本人の信仰を感じとることでした。彼らは、神社を見つめ、森や滝を見つめ、それらを崇める人々を見つめました。そして、そこに西洋とはおよそ異なるもの、明らかに西洋にはないものを発見し、それを神道と呼びました。

 彼らの神道観を一言でまとめるのは、たいへん難しいことです。

 ハーンが神道でもっとも心惹かれたのは、人や動物はもちろん、非情の木石にまで霊力を認め、神に祀るという、心の優しさ―とりわけ死者を神として崇める祖霊崇拝だったと思われます。タウトの場合、伊勢に代表される自然・簡素・清浄の美学こそが、神道でした。もちろん、タウトにとって「美学」とは、たんに建築だけでなく、人の行いや社会の在り方までを支配すべきものであって、倫理・思想の意味をおびた言葉です。マルローは一条の滝や一本の杉の古木をもって神と人とをつなぐ異質な精神に神道の実在を感じとりました。

 この三者の共通項を強いてあげれば、神と自然と人との親近性ということになりましょうか。彼らの書き残したものの中には、今日の細分化した学問から見ると、誤解・混同といわざるをえない点がいくつかあります。しかし、神道の評価ということに関していえば、サトウやチェンバレンよりも遥かに正確で、誠実だったと、私は思います。もし日本アジア協会の人々が日本人の心と山河に宿る神の存在を感じようともせず、儒教、仏教、キリスト教に準(なぞら)えて、無いものばかりを文献に求めていたのなら―彼らには神道の良さを認める気など、初めから無かったのではないでしょうか。

 ハーンやタウトらが完全に偏見を免(まぬが)れていたわけではありません。彼らは本質的に皆、旅人でした。何か日本で西洋にはないものを発見しようと気負っていました。私たちが外国を旅するときの張りつめた気分を思い起こせばいいでしょう。彼らは日本的なものならばたいていは喜び、歓迎しました。珍しい風習、変わった人々、そして異質な神々でさえも。

 しかし彼らが神道の中に発見したのは、たんなるエキゾチックな神様だけではありませんでした。それはむしろ普遍的なひとつの真理、すなわち―それぞれの民族宗教は、それぞれの集団の中で独自の価値と形を持ち、その優劣を定めるような基準はない、ということでした。神道の中に普遍的な価値がないと断じたイギリスの学者たちは、皮肉にも、この普遍的な真理を踏みにじっていたのです。

 ハーンが神道のためになしたことは、大変偉大で、美しいことでした。実質的に彼は最初の神道発見者であったばかりか、それを誰よりも見事に英語で西洋世界に伝えた人物です。もしその功績が日本でも欧米でも忘れられがちだとしたら、それは明治という時代にあって神道を理解することの難しさが、現代の私たちにも、また欧米の人々にも、よく知られていないせいだと思います。

 神道は一つの例にすぎません。ハーンの著作の中には、同じような先駆者としての素晴らしい業績が、まだまだたくさん埋もれています。それを取り上げ、もう一度、当時の状況に引き戻したうえで、公正な評価を下すことは、私たち研究者の大切な任務だろうと思います。

ENDA2_1268
ハーンが愛した日本の庭(小泉八雲旧居。島根県松江市)


Sponsor Content Presented ByIBM

※日本IBM社外からの寄稿や発言内容は、必ずしも同社の見解を表明しているわけではありません。


123456