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中央の更紗の上着はアメリカ製品で、右の2つのカバンとともにハーンが横浜港に降り立ったときに携帯していたもの。白服上下、カッター、ネクタイは日本で求めたもの。(松江市 小泉八雲記念館)

 ハーンは西インド諸島で約二年の年月を過ごした後、今から百年前にあたる一八九〇年に日本へ来る。船で横浜に到着したのが四月のことで、さっそくハーンは鎌倉、江ノ島を訪ねた。『知られぬ日本の面影』には、当時のみずみずしい感動のしのばれる「江ノ島詣で」が残されているが、その冒頭は次のようである。

鎌倉。
 木々の茂った低い丘の間に細長く散らばる田舎の村で、そこを一本の水路が貫いている。……屋根に草の生えた、小さくみすぼらしい家々の間を流れる小川の土手を車で走って行くと、言いようのない寂しさ、憂うつな感じが私の心にのしかかってくる。この小さな村落が、かつては将軍頼朝の権力の中心地、偉大な首都として大いに賑わった往来の名残をとどめるすべてなのである。……かつてここにあり、今はない都の、潮騒のようなさざめきにかわって、今では蛙の鳴く、わびしい田んぼの中の、朽ちかけた寺―供え物も拝む人もなく、ひっそりとそこに古い神々は住んでいる。

 鎌倉から江ノ島へ向かう前に、もう一度ハーンは、ここが昔華やかな都であったことに触れる。

 観音堂をあとにしてから、道沿いにはもう人家は一軒も見られない。左右の緑の斜面は急傾斜となり、大木の影は濃さを増す。時折、苔むした古い石段や、彫刻のある寺の山門、そびえ立つ鳥居などが見えて、そこに寺社のあることを示しているが、私達には訪れる時間がない。あたりには崩れかけた無数のお堂がある。それは死せる都の、いにしえの壮麗さ、広大さを黙って見守ってきた証人なのである。

 このようなハーンの書きぶりは、私達にハーンの先達であるロチを思い起こさせる。「小さな」、「寂しい」、「憂うつな」、「死せる都」などといった語彙は、いかにもロチ好みではないか。実はロチの『秋の日本』の中に、「皇后の衣裳」という一編がある。これはロチが神功皇后の衣裳を見るために鶴岡八幡宮の宝物庫に赴いた日のことを書いたものだが、これを読むと、ハーンによる鎌倉の描写は何とロチに似通っていることかと驚かずにはいられないのである。ロチの「皇后の衣裳」に少し目を通してみょう。

並木通りのはずれ、社の裾を囲む寂しい庭の近くには、両側に今も何軒かの小さい家が並び、街道の名残をとどめている。これらは、遺物を訪れる参詣者や見物人達が利用する茶屋であり、宿屋である。木立と苔の中にさびれ果てた、普通見かけない、一種の村である。しかしながら、死せる都の街道であった、かつての面影を伝えるかのように、堂々と立ち並んでいるのだ。

 その昔鎌倉の都だった、小さい谷々の迷路の中、いたるところにお社がある。……こういうお堂はすっかり蝕まれていて、恐らく神様の群が閉じ込められ、埃にまみれて転がっているに違いない。

「死せる都」―この表現と共にロチは、「かつて都であった」鎌倉のさびれた印象を重ねていく。そして最後に述べられるのは、とっぷり暮れた十一月の闇に包まれて横浜へと帰る、一行の姿である。

 それからついに、ガス灯の長い列が私達の前に瞬き始める。そして、あの死せる都からずっと私達につきまとって離れない、古い日本の夢のただ中に、文明と機械と鉄道の汽笛の遠い騒音が、まるで耳障りな皮肉のように鳴り響く。

 そう言えば、ハーンの「江ノ島詣で」も、やはり鉄道への言及で締めくくられている点に注目しよう。ロチのような皮肉な調子ではなく、古い神々への同情と郷愁をこめて、「江ノ島詣で」はこんな風に終わる。

 機関車の汽笛が鳴って、汽車に乗るのにぎりぎりの時間ですよ、と私をせき立てる。西洋文明は、張りめぐらせた鉄路の網をもって、この国の古風な平和を侵害している。おお 庚申よ、ここはもう汝の道ではない。灰のまき散らされる道端で、今や古い神々は死に瀕している。

 二人の間には個々の事物に対する感じ方の違いが当然のことながら存在している。ここでも古い神や仏への思いに表れているように、それは決して小さくはない相違である。しかし、その一方で、いにしえの都鎌倉の、今では寂しい村落、幾多のお堂に眠る古い仏達、対照的な近代日本のシンボル鉄道、というとらえ方には確かに共通するものがある。一編の展開もよく似ているし、細部では例えば、大仏が木立の陰から突然目の前にその姿を現す、というあたりの叙述もそっくりである。一体、ハーンは意図してロチに倣ったのであろうか。

 ロチが「皇后の衣裳」を発表したのは一八八八年八月十五日の『グランド・ルヴュ』で、当時ハーンは西インド諸島にいた。『秋の日本』のカルマン・レヴィ版は一八八九年三月に出ている。そして富山大学のハーン文庫におさめられた、ハーンの蔵書の『秋の日本』は一八九三年版である。恐らくハーンは、ロチによる鎌倉のスケッチを読んではいたが、「江ノ島詣で」の執筆当時、手元には持っていなかったのだろう、と私は推測している。記憶の底に、賛嘆の念と共に刻みつけられていたからこそ、全体のトーンが似たのではなかっただろうか。

 どちらにしても、当時のハーンは、ロチに何とよく似た目で日本を眺めていたことだろう。その姿勢の似ていることは驚くばかりである。ハーンの来日当初のロマンティックな作品には、ロチの影響が意外に大きく、例えば「極東の第一日」の終わり近く、恍惚のあとの眠気と夢を述べた結びの一節なども、非常にロチめいているように思う。「眠る」、「まどろむ」、「うとうとする」は、ロチの日本に欠かせない、重要動詞であるのだ。

 日本の土を踏んだばかりのハーンにとって、この未知の東洋の国の魅力はロチの魅力によって倍増されていたと考えられる。ハーンがずっとロチのパターンに留まっていたとしたら、ハーンの著作はもしかすると第二のロチ、単なるロチの亜流としての運命をたどることになったかもしれない。

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