これについて、もはやくどくどしい注釈は不要であろう。ハーンが、悪しき欧化によって逞しいが形の崩れた日本の醜さを見るよりも失われゆく日本の美しい伝統文化へと愛情の眼を向けつつも、なおつぎのように、日本の西洋文化学容の仕方を「柔術」にたとえて鼓舞したことが忘れられない。

近代的な鉄道、航路、電信、電話、郵便局、通運会社、大砲、連発銃、大学、専門学校そういうものをことごとく持ちながら、日本はあいかわらず今日でも、一千年前と同じように、東洋風であることに、少しも変りはない。自分の国は、昔ながらのままにしておきながら、日本は、実に敵の力によって、あたうかぎりの限度まで、自国を稗益したのである。……あの驚くべき国技、柔術によって、日本は、今日まで自国を守りつづけてきたのだ。いや、現在も守りつづけつつあるのである。

 これはハーンの日本文化診断でもあるし、ハーンの日本文化への願望ともいえるものだが、アインシュタインも離日前の朝刊に残したメッセージ(『大阪朝日新聞』大正十一年十二月二十八日付)にこう記して、ハーンの心情を共有するのである。

予が一ヵ月にあまる日本滞在中にとくに感じた点は、地球上にも、まだ日本国民の如くしかく謙譲にしてかつ篤実の国民が存在していたことを自覚したことである。世界各地を歴訪して、予にとってまたかくの如き純真な心持のよい国民に出会ったことはない。また予の接触した日本の建築絵画その他の芸術や自然については、山水草木がことごとく美しく細かく、日本家屋の構造も自然にかない、一種独特の価値がある。故に予はこの点については、日本国民がむしろ欧州に感染をしないことを希望する。また福岡では畳の上にも坐って見、味噌汁も啜ってみたが、その一寸の経験から見て、予は日本国民の日本生活を直ちに受け入れることの出来た一人であることを自覚した。

 アインシュタインのこの気持ちには、なんの粉飾もないことは、帰る船から物理学者のボルン夫妻その他にあてた絵葉書にも明らかである。別れを惜しむ榛名丸のアインシュタインの眼には、はっきり涙が浮かんでいるのを、一葉の写真が見せている。アインシュタインが短い日本滞在中に見せた数々の日本への好感は、もともと強い東洋への共感という下地に、ハーンの著作が点火し、実見によって強められた。「死ぬように疲れた」と日記に記す過酷なスケジュールにもかかわらず、日本の芸術文化への飽くことのない体験の日々を送った多くのエピソードが、今日なお語り伝えられている。

 アインシュタインは残念ながら、ハーンが愛した出雲地方の日本を見聞する機会はなかった。仙台から下関まで表日本を見、わずかに福岡で玄海灘を通して日本海の荒々しさを想像したにとどまる。しかし、アインシュタインの柔らかな眼は、ハーンの日本へのなつかしさの眼とほとんど重なっていた、といってもよいだろう。


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