食と酒のジオポリティクス     ――「個食」から見えてくる現代人のサル化現象

ワインは栽培した土地に物語を語らせ、
日本酒は飲んだ人が物語をつくる

食と酒のジオポリティクス     ――「個食」から見えてくる現代人のサル化現象

――近年世界的な和食ブームの広がりとともに、日本酒が世界に進出して人気が出ているようです。どんな点が評価されているとお考えですか。

山極 日本酒は、世界でも特殊な醸造酒です。コメの澱粉を麹菌でブドウ糖に変え、それを酵母で発酵させるという2段階で造る。世界の他の醸造酒に比べてアルコール度が高いので、晴れの日の楽しい酒であると同時に、しんみり人生を語り合う蒸留酒のような酒にもなるのが特徴です。

欧州では、ワインとブランデー、ビールとスコッチウィスキーというように、醸造酒と蒸留酒を使い分けますが、日本では使い分けをしません。日本人は農耕民族で、至る所に神が宿ると考えるアミニズムの国であり、物事をはっきり分けることをしない。一方、欧州はもともと厳しい自然と対峙する狩猟民族でしたから、基本的に神様とのつながり方が日本とは違うのでしょう。

日本酒は山田錦や五百万石などといった酒米で造りますが、日本を代表するある酒造メーカーの社長さんに聞くと、アメリカであれインドであれ、日本酒はそこのコメで造ればいい、日本からわざわざ原料米を持って行く必要はないとおっしゃる。とてもおおらかな考え方です。一方、ワインやスコッチには厳格な格付けがあります。ワインであれば、特定の地方の特定の土壌で育てたブドウでなければ、そのブランド名を付けることが許されない。そのブランド名を持った希少なワインが、高級ワインとして世界中のセレブや金持ちからもてはやされます。高い値段で売る戦略としてそういう物語を作るのです。日本酒にはそんな物語はありません。その代り、物語は酒を飲んだ当人が作るという考え方です。また、ワインと違って、料理から独立してお酒だけで物語を紡げるのが日本酒です。そのおおらかさが評価されて世界で売れるようになれば、新しい世界戦略、酒のジオポリティクスになると思います。

――こんな風に食、酒から政治経済まで談論風発の比叡会議、なんだか面白そうですね。

山極 比叡会議の特徴は、世の中の枝葉ではなく根っこをよく見て、起源や由来にさかのぼって本質論を戦わせるところにあります。さまざまな立場の人がそうした本質論を戦わせる。京都の風土であり、伝統ですね。「それ、おもろいやんけ」という精神を、会議の先輩である梅棹忠夫先生たちがずっと大事にしてきた。だから現実の問題を広い視野で捉える議論ができるのです。

サルは自分の利益のために群れを作り、
人間は自分の利益を捨てても集団のために尽くしたいと考える

食と酒のジオポリティクス     ――「個食」から見えてくる現代人のサル化現象

――ところで、最近のご著書『「サル化」する人間社会』では、家族の崩壊、個食、勝ち負けへのこだわり、優劣や序列の重視といった現代人のサル的な特徴を挙げて、人間社会の将来を危惧されています。

山極 この本で言いたかったのは、どんなに科学技術が進歩しても、人間の生活は本来の生物学的な性質によって支えられているということです。ふだん気付きませんが、我々の身体の構造は、現代社会で使用している目的のために進化してきたわけではありません。例えばパソコンやピアノ、鉛筆などを操作するときに使っている指は、サルと同じような生活をしていたころにできた指なのです。
ですから現代人にはストレスがかかります。心も同じです。特に人間性を育む原点であり要とも言える家族は今、崩壊しかかっています。

何百万年もの間、人類は家族と食を共にしてきました。家族だから食を分かち合うし、分かち合うから家族なのです。ところが今やファストフード店やコンビニエンスストアに行けば、いつでも個人で食事がとれてしまいます。家族で食べ物を分かち合わなくても、個人の欲望を満たす手段はいくらでもあります。それぞれが自分の好きなものを自分のスケジュールに合わせ、食べればいい効率的な「個食」の時代です。しかし、この状態は人類がこれほどまで効率的に「進化」した負の側面とも言えるでしょう。みんなで食卓を囲み、同じものを食べ語り合うことによって醸成されてきた家族の絆は次第に細くなり、それぞれが目を合わさず独りで食べるサル社会にそっくりなかたちに変化していると私は感じています。
このように、人間の過去をさかのぼってみれば、いま我々がさらされているストレスや直面する問題の根源に気付くかもしれません。

――人間は豊かな社会を築こうと努力してきたはずなのに、本当に豊かになっているのかという問いかけは根源的で重いですね。

山極 人間は本来、相手の性格を理解しそれに配慮しながら付き合うことのできる生物ですが、現代社会ではルールが細かく定められていて、それさえ守っていれば、相手のことを考えなくても済んでしまいます。
例えば電車に設けられた高齢者用の専用席。満員電車にお年寄りが乗ってきても、ルールとして専用席があるから、それでお年寄りを大事にしたつもりになっている。専用席がなかった時代は、お年寄りが乗車して来ると、多くの人が席を譲ってあげたい気持ちになったはずで、それが人間本来の共感力というものです。

しかし、今はルールに任せておけば、いちいち気を遣う必要がない。これは経済効率の良い社会ではあっても、幸福な社会とは言えません。食事も子育ても、時間をかけて相手と接しないと、人間社会はやがて孤立した人間ばかりの社会になってしまう。最近は家族や仲間で食卓を囲んだり、子育てに費やしたりする時間は、ともするとコストやロス扱いされます。しかし実はそれこそがサル社会にはない、人間としての本質的な価値のある時間なのだということに気付き、考え方を改めないといけません。
人間は共感力を生かして複雑で変化の多い、安定した社会を築いてきました。これがなくなったら人間の進化は終わり。そうした危惧を抱いて本を書きました。

サルは自分の利益のために群れを作りますが、人間は自分の利益を捨てても集団のために尽くしたいと考える。この思いをうまく生かしてきたからこそ社会が発展し、人間社会は地球の隅々まで広がって繁栄することができました。
しかし、自分の命を犠牲にしても、という思いが強すぎると、時に人間はテロや戦争に駆り立てられます。間違った方向に使われないよう、共感力や感性をうまく導くことが重要です。今、世界がその転機に来ていると思います。

TEXT: 木代泰之

山極壽一

やまぎわ・じゅいち
山極 壽一 京都大学 総長

1952年東京生まれ。京都大学理学部卒。同大学院理学研究科博士課程修了。理学博士。
カリソケ研究センター客員研究員、(財)日本モンキーセンター・リサーチフェロー、京都大学霊長類研究所助手、同大学大学院理学研究科教授を経て、2014年10月同大学総長に就任。
1978年よりアフリカ各地でゴリラの野外研究に従事。類人猿の行動や生態をもとに初期人類の生活を復元し、人類に特有な社会特徴の由来を探っている。
著書に『家族進化論』(東京大学出版会)、『オトコの進化論』(ちくま新書)、『ゴリラ』(東京大学出版会)、『暴力はどこからきたか』(NHKブックス)、『「サル化」する人間社会』(集英社インターナショナル)など多数。


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※日本IBM社外からの寄稿や発言内容は、必ずしも同社の見解を表明しているわけではありません。


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