慶賀の見たオランダの日々 六番 動物園図

儒学の方法としての窮理の役割

吉田(忠) 蘭学の時代、西洋の科学が入ってきたときに「科学」という言葉はありません。当時それに相当する言葉としてふつう使われていたのは「窮理」でしょう。これは元々朱子学の言葉です。朱子が言うところの窮理とは何かと言いますと、道徳的な理を究めることであって、自然界にある理を究めることではありません。理というのは、筋道とかパターンということにあたります。自然科学で言えば法則性と読み替えることができるでしょう。朱子学そのものからは、レメリンクさんも言われるとおり自然科学的なアプローチは出てきません。しかし、日本の儒学は中国のそれと違って非常に緩やかなところがあり、そういうところから、この窮理という言葉も自然科学的な探求をも許容するというふうに読み替えていくことができたのです。ところで当時の朱子学を批判した徂徠ですが、この人は究極的には不可知論ですね。だから、徂徠自身の思想の内部からは科学は出てきません。しかし徂徠の役割は厳しい朱子学的な枠組をぶち破ったことです。ぶち破ることによって、むしろ経験的なアプローチができるような雰囲気を作ったのです。

 窮理というのは、朱子学で言いますと世の中の自然界を一所懸命1つずつ見て行けば、最終的にはカラリと突然普遍的な原則が分かるということを指しております。個別の問題をつきつめて行くと普遍的な原理に到達するという、一種の帰納の論理なのです。朱子学としてはもちろん倫理学的な、あるいは道徳の問題としてこれを言っているわけですが、それは自然科学にもあてはめることができると考えたのです。朱子学はそういう役割を果たしたのではないでしょうか。

伊東 日本が朱子学を移入するについても、日本人のクリエイティビティがあったと思いますよ。日本の朱子学は中国からストレートに受けているのでなくて、より“自然”を重視した思想に転化していました。中国の朱子学より“現実”についた儒学です。それが“気”という思想を育てる土壌として働いていると思います。

 ところで、デカルトから出発した現代の西欧科学ですが、これは果たしてこのままの状況でいいのだろうか……。それはある意味で限界に達しているというのが、私の認識です。何か新しい突破口が必要なように思います。自然生命、人間を貫く生きた自然を全体的にとらえることは、いままでのパラダイムでは不可能ではないか……。

 そこで、ヨーロッパのパラダイムと東洋のパラダイムとが対話することの意味を改めて考えたいのですが、“気”というのは、その接点にあるものの1つだという気がします。

吉田(光) 日本における朱子学というのは中国のものと違ってかなり自由裁量を許すものだということは確かです。しかし、もう1つ、中国の学問で清朝においてさかんになった考証学の意味を考える必要がありませんか。これは物を非常に重視しまして、同時にそのものが歴史的に見て何であるか、ということを議論する学問として発達したものです。これは一面から言うと、大変サイエンティフィックな視角だと思います。

 古学も事物に即しようとしたところがありますね。例えば伊藤仁斎などは中国の古い物差しを復元してみたりしています。つまり儒学者とはいっても、決して単に書物の中だけで観念を展開させるのではありません。ことに日本人の儒学は非常に物についているところがあります。だから逆に宇宙論などについては弱いところがあるように思います。ただ一人、志筑忠雄が突出していますけれど。伊能忠敬はあれだけ立派な測量技術を持っていますが、宇宙論については中国の五行説を一歩も出ません。ともかく、日本の朱子学から考証学に至る儒学的学問は、中国そのままではなく、大変日本人らしい融通無碍なところがあったと思っています。それから、本草学というのも日本的に変化しますね。中国そのものではない。やがてオランダの学問を受け継ぎまして、非常にうまく科学的な連続性を作り上げています。結論を言いますと物については、中国から受け取ったもの、オランダから受け取ったもの、それと日本に元々あったものをうまく重ね合わせて1つの学問を構築したのが、蘭学だと思います。

金子 さきほど教育制度の問題が出ました。制度的な問題にはレベルが違うさまざまな問題があると思います。石附先生いかがでしょう。

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