慶賀の見たオランダの日々 六番 動物園図

お雇いオランダ人の役割も再評価

伊東 レメリンクさんは蘭学をサイド・ストリームと見ておられるけれど、研究者の数などはあまり問題ではないと思うのです。蘭学者は数は確かに少ないし、連携もよくとれていない。グループ的な研究でしかないかもしれません。吉田さんの言われたとおり、制度的なものも確立していませんでした。最後には制度的になりましたけれどね。しかしどうでしょう。昌平黌には伝統的な儒学者は5万といたかもしれないけれども、そういう人たちの、後世への影響はほとんど無でしょう。忘れ去られているでしょう。

 しかし、いまでも杉田玄白が書いたものを読むと、非常に感動します。彼はやっぱり次の日本と世界の未来を見ていたのです。新しい地平を望み見たのです。それが生き生きとして伝わってまいります。本多利明にしても、他の誰にしても、現代から見直すと、日本の今日ある日を正確に見ていたのは、国学者でも儒学者でもなくてやっぱり蘭学者であったという気がします。そういう意味では蘭学はたしかに日本近代の礎を築いたのです。

 影響というのは、当時の人たちが認めていたかどうかということでは必ずしもないのです。われわれが今日から見て、正しいことを言っていたか言っていなかったか。そういう視点で見たとき、江戸期における蘭学の意義は非常に大きいと私は思います。そして、それがあらゆる洋学の研究の基礎を作ったと思います。文法研究にしても語学研究にしても、教育制度の発生にしても、みんな蘭学でやったことをほかの洋学にスライドさせたのです。日本の今日を作った上で非常に大きな要素が江戸期の蘭学研究にはあり、それはサイド・ストリームという言葉で評価するにはあまりにも大きなインパクトだったと私は思うのです。

金子 この問題は、究極的に科学とは何かということにつながってまいりますね。そしてその場合われわれが心すべきことは、過去のものを分析するのに死体解剖のように扱ってはならない、ということでしょう。この討論はもう少し続けたい気もしますが、もう1つ、明治期に入ってからのお雇い外国人としてのオランダ人の役割評価の問題がありますので、そちらに移りたいと思います。

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