慶賀の見たオランダの日々 六番 動物園図

ヨーロッパで初めて分かったことも…

吉田(光) お雇い外国人については、今日かなり研究が進んでおりまして、日本の今日、つまり近代化、工業化に対して多くの貢献があったということは間違いありません。ただその場合に、日本側が決してデシジョン・システムまで外国人を参与させておりません。これは特筆していいことでしょう。またかなり批判しつつ摂取していることも確かです。オランダには、水利、河川工事の面で技術を求めることが多かったのですが、既に岩倉ミッションの報告書『米欧回覧実記』の中にもこれに対する批判があります。つまり、オランダは日本とまるで異なる平坦地形だから日本でオランダの人を招いているということは、木によって魚を求むるようなものだというのです。

 つまりこれは日本人がヨーロッパに行ったことで初めて分かったことでした。結果的には、その後日本はオーストリー、つまりアルプスを控えている国の急峻な河川工事を参考にする方向に転換しまして、それからは大体今日に至るまで、オーストリー系の土木工学が日本に定着しているのです。

 ただ、デレイケ辺りが残した砂防工事に赤松を多く植えたりするような方法は今日でもかなり生きていますね。

石附 お雇い外国人は、ある研究によれば、明治の45年間で、ザッと3,000人ぐらいいたようです。その評価は一概にできませんが、お雇い教師の側の方が日本人よりも、近代化については慎重でした。日本的な要素と外来の要素をうまく噛み合わせて進めるべきだという彼らの意見がよく見られます。基礎の勉強が日本人には不足しているとも言います。さっきフルベッキのことを申しましたが、フルベッキは明治の初めには東京大学の前身である開成学校の教頭クラスでした。教育の現場の最高に位置して指導しました。その後、今度は元老院の顧問ということで政治の面についても大いに側面の指南役として活躍しました。彼はこう言っています、「いまの段階で急に日本に議会制を設けるなどは無理である。もっと漸進的に進めるべきだ」。このように、むしろお雇い外国人たちのほうが日本の国情をよく見極めて、いろいろとアドバイスをしたと思います。

金子 ここで論じられた問題は、いずれも大問題で、なかなか結論は出ません。1つ言えることは、異質な文化が交ったときに、そこに何か起こったのかということは、その接触の両サイドから、かなり精密に歴史的に考証をしながら、再検討していく必要があるということです。また今日、いわゆる近代科学が再びその価値を問われ、新しい角度での検討が求められていることも確かなので、日蘭関係のような典型的な東西文化の接触問題についてはさらに研究していくことが望ましいと思います。ではこれで討論を終ります。


Sponsor Content Presented ByIBM

※日本IBM社外からの寄稿や発言内容は、必ずしも同社の見解を表明しているわけではありません。


1234567891011121314