慶賀の見たオランダの日々 六番 動物園図

発言2
杉田玄白が予見したものは何か
吉田 忠

蘭学の大部分は自学自習

 まず蘭学という言葉を少し説明したいと思います。蘭学というのは、字に書いたとおり、オランダの学問という意味ではありますが、必ずしもオランダ人の学問だけを学ぶというわけではありません。鎖国政策の結果、西洋人ではオランダ人しか通商を認められなかったこの時期、オランダだけが西洋に向けての窓ですから、そのオランダ人がもたらした西洋全体の学問、オランダ語で書かれた書物を通じて学びとった西洋の学問という意味であります。ですから、中身からいうと西洋の学問、洋学という言葉を使ったほうが実態には近いでしょう。

 実際にどんなことが学ばれたかと言えば、杉田玄白たちの仕事が象徴しますように、医学が中心です。同時に、自然科学全般……。用語は違いますが今で言う天文学であるとか、物理学、化学であるとか、あるいは生物学に相当するようなものが学ばれました。また、砲術というような技術、それに知識内容としては程度が低いのですが、世界の地理の知識であるとか、今日で言えば人文地理のような知識、あるいはその国々の歴史というものも学んでおります。しかし何といっても中心は医学・医術です。

 もう1つ蘭学の特徴は、かなりの部分自学自習であった、ということです。鎖国政策の結果、オランダ人との接触も非常に限られております。日本へやって来たオランダ人と日本人が自由に会う機会は、なかなかありませんでした。例の『蘭学事始』がその間の事情を大変生き生きと描いていますが、彼らの翻訳の仕事は、オランダ人に教わって行なっていたわけではないわけです。前野良沢とか、いろいろな人とグループをつくり、自分たちの独力で、辞書を使いながら何とか翻訳をしていたのが実状です。ですから系統的、あるいは組織的にオランダ人から直接学んだわけではなかったのです。幕末も安政に入ってから、長崎の海軍伝習所においてはじめて組織的な西欧科学の学習が行われます。

内景は医道の根元

 この海軍伝習所が安政2年。それから2年後に、ポンペというオランダ人がやって来て、医学伝習所ができ、そこで医学の教育も組織的に行われました。つまりそれまでの蘭学はほとんど書物によるものです。それを読みとくことだけが学問でした。いわゆる今日的な実験ということも全然なかったわけではありませんが、非常に貧弱です。

 杉田玄白が、小塚原で腑分けを見、西洋の解剖学書が非常にすぐれていることを発見します。その驚きが翻訳に至るわけですが、その言葉をちょっと引用してみます。「翁はひとたび彼の国解剖の書を得(オランダの解剖の書物を得て)、直ちに実験し(この実験というのは、いわゆる今日の実験ではなく、実際に自分の目で確かめたという意味です)、東西千古の違いあることを知りしに(西洋と、当時の医学の場合は中国医学が基本でありますから、そういう意味の東西ですが、両者のそういう違いがあることを知って)、驚き心服し、何卒この一書早く知り明らめ治療の実用にも立て云々……」

 つまり、解剖学の翻訳をして、治療の実用に役立てたいという意識がここにあったわけです。玄白は「内景は医道の根元」ということを言っております。「内景」というのは、身体の中の景色というか、要するに仕組・構造です。解剖学的な知識ということです。それが医術の根本であるということを、杉田玄白はここに痛感し、強調するのです。

 実際問題として、解剖学的知識を持ったからそれが直ちに治療に役立つというわけではないでしょう。内臓がどこにあるかということを知ることができ、そのどこどこが痛むと患者に言われても、すぐ治療の方法が分かるわけではありません。しかし、玄白のこの発言はやはり的を射ていると思われます。このことはもちろん、西洋の長い医学の伝統でも言われております。解剖学から始まって、生理学から病理学を学び、そしてそれらの知識を治療に応用するという医学・医術の仕組、あるいはこうした段階をふまえた教育のカリキュラムのやり方が、西洋医学の構造です。確かに出発点に解剖学があるのです。それを玄白たちは、オランダ人たちから直接教わったというよりも、むしろ本を読みながら独自に見抜いたということです。

 もう一度繰り返しますが、解剖学的知識があったとしても、それだけで治療にすぐ役立つわけではありません。当時、いわゆる漢方というのがあります。これはほとんど内科中心です。ではいわゆる洋法をはじめたからと言って、どちらが治療効果があるかと言いますと、当然洋方にあったと思われがちですが、外科を除いては、その判断は疑わしいと言えましょう。場合によっては漢方のほうが治療効果のあることは大いにあったわけです。現実にオランダ商館長の日誌を見ますと、オランダ人も日本のお医者さんにかかっているケースがあります。ですから、治療の効果という面で見れば、一部の外科的手術を除いては、両方の差はあまりないと見ていいのではないでしょうか。玄白は、実理を知って、実用に応用するのが医学の筋道なのだ、ということも言っておりますが、現実にはさしたる効果はなかったでしょう。

近代医学カリキュラムを予見

 もちろん、当時の西洋医学の水準からして、そんなにはっきりした実用向けの治療方法があったかと言われると、かなり疑問でしょうね。ですから、これは単純に玄白たちの責任とは言えません。玄白たちが、あの解剖学の書物を翻訳したということ、これも偉大ではありますが、同時に、むしろ実際の治療をするためには、解剖学的知識を知らなければいけないんだ、ということを見抜いたことのほうが、実は大変なことではなかったかと私は考えているわけです。

 それはまさしく近代医学の構造を見抜いた、あるいは予見したということなのです。いまでも、聞くところによれば医学部に入り、専門課程のはじめに、解剖学に大変時間をかけます。つまり、そういう近代的な医学のカリキュラムの構造を、玄白は既に見抜いていたと思います。それが玄白たちの弟子たちによってどんどん広まってまいります。それが実は、蘭学における医学は解剖なのだという、ある種のイメージを作り上げていたのではないかというふうに考えております。

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