慶賀の見たオランダの日々 六番 動物園図

発言3
比較文明的に見た蘭学
伊東俊太郎

ニュートンをどう理解したか

 私は現在蘭学の研究の中で、こういうことがまだ残っているのではないかという課題について申し上げたいと思います。2つにしぼります。1つは、いままで蘭学というと、オランダの学問が日本に入ってきて、いろいろなインパクトを及ぼしたということのみを言いがちなのですが、どうも蘭学というものを切り離して、日本の思想や文化の中で論じるだけでは不十分ではないかと私は考えます。つまり、蘭学が日本に入ってきた時に、日本には既にいろいろな自分たちのもの、中国の影響を受けた儒学の伝統、ちょうどそのころ新しい学問として起こりかけていた国学、そういうこちらの文化の土壌があるわけです。そこに外から蘭学が入ってくる。そういたしますと、その間にいろいろな相互作用が起こり、それが日本に育っていた知的風土と接触し、交渉し、日本で特有なものが出てくる。そこのところも非常に重要だと思うのです。

 つまり、蘭学というものを日本の思想史や文化史の所有にしようとする場合には、オランダの学問をただ西洋の学問だと見、それが物のように入ってきて、物のように出て行くのではないのであって、日本の固有の風土、思想的な土壌と結びついて、相互作用を起こした面を見なければならない。それが蘭学の日本思想史における意味を考える上に、重要ではないかというのが、第1点です。その例として、志筑忠雄のことを見てみましょう。これはニュートン力学を日本に紹介した人です。オランダ訳になっているニュートン力学の本を日本語訳して『暦象新書』という本を出していますが、それがストレートにオランダの学問なのかというと、必ずしもそうは言えません。志筑忠雄が既に持っている東洋的な知識の伝統が、一方において牢固としてあるわけです。例えば「気」というような概念を用いている。これは宋学の中でずっと培ってきたものです。要するに理と気があって、その質料的な材料のほうが気なのです。その気の概念で、ニュートンの重力の問題を自分なりに消化しているのです。ちょっと引用します。

「宇宙の間は一元の気なり、また虚実の二者なり、是一にして二なり……(中略)天は伸軽なり、地は屈従なり、屈伸あるにあらずや……」

 これは、ニュートン力学を、そういう気の屈伸という概念を介して、彼流に消化し、宇宙形成論に至っているのです。志筑の説は、カントやラプラスの説とも非常に似ていると言われていますが、これはもう少し詳しく比較してみなければなりません。彼の、いわゆる翻訳と称されているものの中には、このように実は翻訳でない、志筑自身の非常に独創的なものが入っています。日本における西洋科学と東洋的伝統との、実にクリエーティブな融合がそこにはあったと思うのです。そういう気の自然学と言いますか、そういうものがその後例えば三浦梅園にも引き継がれています。

 三浦梅園も蘭学の影響を大いに受けたのですが、しかしやはり、気という概念を通して独自の自然学を創っていきます。帆足万里にしても、ボイスの本を単に訳したのではありません。やはり重力だとか電気だとか、光だとか磁気だとかいうものを、“発気”という気の概念で統一してとらえようとしているのです。青地林宗の『気海観瀾』になるとかなりストレートな西洋の科学に近くなりますが、しかし『気海観瀾』の書名のとおり、根底には気でつかまえようということがありそうです。

 そういう独特なものが、蘭学の影響によって日本に生まれたということです。また蘭学は国学とも相互作用を及ぼし合っています。佐藤信淵などは、コペルニクス説が出てくると、それを神道的宇宙論みたいなものに創り上げて、神道的な国学の革新ということに蘭学の知識を利用していきます。このように日本的土壌の中で蘭学がどのような役割を果たし影響を与えたか、日本の思想そのものをどのように革新して行ったかということに目をそそぐ必要があるでしょう。

原典と翻訳の間の屈折

 私が言いたい第2点は、蘭学の奥行きをもう少し深めようということです。それはどういうことか。蘭学は、オランダ語で入ってきた西洋の学問だといま吉田さんが言われました。そのとおりだと思います。そういたしますと、オランダ語の原典があって、その日本語訳があるわけです。それを比べてみると決してストレートには入っておりません。多くの脱落があり、また付加したものもある。非常に変わってしまったものもある。つまりこちらの土壌で受け取るものですから、変容してしまうものがあるわけです。

 志筑の本の元々の原典はラテン語です。それがオランダ語に訳されて、さらに日本語になった。ラテン語とオランダ語の間には、まあほとんど落差がありません。しかし志筑の本とオランダ語の原本の間には、非常に径庭があります。志筑の主体性が入っていることもあるし、第一まったく違う系統の言語なのですから、それは仕方がない……。志筑はオランダ語ができなかったのではありません。非常にできたにもかかわらずそういう径庭はあるのです。

 非常に異なった文明2つが遭遇した場合には、必ずそうした屈折変容があると思わなくてはなりません。その屈折変容の屈折角を正確に測定することが大事でしょう。それには、原典とつき合わせなければいけないのです。ところが、得てしていままでの蘭学研究は、そうした原典との照合を怠りがちでした。翻訳のほうだけを見て蘭学を論じられては困るのです。

 例えば本木良永という人が、ニュートンの前のコペルニクス説を入れたと言われている本を出しています。これはジョージ・アダムズという人の英語の本のオランダ訳を『星術本源太陽窮理了解新制天地二球用法記』という書名で訳しているのです。これを原典とつき合わせて見ますと、非常に多くの部分が落ちていたり、変わってしまったりしている。日本語だけ読むとそのことは分かりません。意味がつながっているから、これでいいんだろうと思いますが、原典と合わせてみると非常に違っている。コペルニクスの、非常にエッセンシャルなことが、まだつかまえられていなくて、抜け落ちてしまっているところがあるのです。

 もちろん、オランダの学問を、長崎の通詞が辞書も文法もなく、手探りで進んでいた先駆者の労苦については、われわれは非常に高く評価しなければなりません。現代の立場で、ここがいけない、あそこがいけない、ここがこんな誤訳をしていると、そんなことをあげつらってもしようがないのですが、比較検討することは極めて大切です。本木の場合は、全体の7割ぐらいしか入っていないと言っていいと思うのです。非常にエッセンシャルなところが落ちている。ですから、コペルニクス説の書物が移入されたからといって、それでコペルニクスが完全に日本に入ったのだというふうに、簡単に言ってしまうのは問題があると思います。

 そういう原典と翻訳の比較研究を通して、その間の脱落、屈折、変容を見ることによって、初めて日本思想史の中で訳されて入ったもののインパクトなり、意味なり、日本思想史の中での位置づけというものが、きちんとできるのではないでしょうか。それは、単にいろいろなものを落したというネガティブな評価をさせようということではありません。日本の土壌の中で、新しいものがそこから生まれ出たというポジティブな意味もそこにはあるわけです。そういう点を研究していくことによって、蘭学の日本における位置、意味というものが一層はっきりしてくるのではないかと思います。

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