五感で味わう、非日常。 ―― 世界のご飯を作ります

「前の仕事で失敗したからこそ、天職に出合えた」という例はよくある。寺脇加恵さんの場合もそうだった。
上智大学在学中に、ハイヴィンテージのみを扱うアパレルの事業を起こして軌道に乗せるも、29歳の時に従業員による横領事件に遭い、ほぼすべての在庫を失う。「モノだから盗られたけれど、技なら自分の中に蓄積できる」と考え、好きだった料理の世界に飛び込み、レセプションやパーティ向けのケータリング業をスタート。料理学校で学んだことも飲食業の厨房で働いた経験も無く、シェフとしての一般的なキャリア開始に遅れること10年以上という厳しい条件からの再出発だった。
ファッション業界で培った美意識とディレクション能力、旅や映画や読書で磨かれた感性、幼い頃から空手で鍛えた強靭な体で、唯一無二の仕事を作り出している。豊かな美味をもたらして人々の心を満たすキャラバン、あるいは地球を舞台に夢の軌道を描くサーカスのように。「五感で味わう、非日常」を紡ぎ出す、寺脇加恵氏のマジカルな手腕に迫った。

誰もやっていないことに挑戦したい

――寺脇さんは大学時代に、オートクチュールを持つフランスメゾンのハイヴィンテージのみを扱うファッションや家具、宝飾の輸入・修復・販売を手掛ける事業を始められたと伺いました。どのようなきっかけで始められたのですか。

寺脇 大学1年生の終わりに、アルバイトで貯めたお金で友人と初めてヨーロッパを旅行しました。その時、パリの装飾美術館 モード・テキスタイル博物館(Musee des Arts Decoratifs / Musee de la Mode et du Textile)を訪れました。ディオールやシャネルが生きていた時代の洋服などが展示されている美術館です。
ところが、それと同じようなものが街中のアンティークショップでも売られているのを発見したのです。「時を経てなお、魅力を増す品々が、美術館で展示されているだけでなく、普通に売り買いもされている!」と驚き、感動しました。
私はそれまでファッションにまったく興味を持っていなかったし、自分で洋服を買ったことも無かったのですが、この日をきっかけにヴィンテージの品に魅せられ、集めるようになりました。でも、アルバイトの時給では、年に1〜2回しか海外に行けません。もっと効率の良い方法を考えようと思い、買ってきたハイヴィンテージの洋服が日本でどれくらいの値段になるのかと調べたところ、当時は10倍ほどの内外価格差があったのです。私が海外で見つけてきた品々は、友人のお母様を中心とした医師の奥様方のグループなどでお買い求めいただけるようになりました。

寺脇さん

その頃、西洋骨董を扱っている小さなお店が四谷にあって、そちらの店主にいろいろなことを教えてもらいました。また、後にGREEやメルカリといった会社を立ち上げることになる友人たちや、IT系企業が集まる渋谷ビットバレーの黎明期を支えた人たちを中心に、在学中に起業する知り合いが多かったのです。私はITにはまったく詳しくありませんでしたが、彼らの活動がすごく楽しそうで、自分も大学生のうちにぜひ起業をしてみたいと思うようになりました。しかも、背伸びをしたい年頃で、みんながやっていないことをやりたいと考えました。資金面から日本での起業は難しかったので、すでに起業している仲間に相談したりノウハウ本を読んで研究したり。そして、「米国のハワイ州とネバダ州では、代表が住んでいなくても会社を設立できる」という情報を仕入れ、ハワイ州で会社を設立することにしました。当時、両親とは厳しすぎる門限をめぐって対立し家出状態にあったので、起業資金はすべて自分で用意しました。

こうして何とか起業してからは、ビジネスも徐々に成長し、日本でも法人を作ってファッションや家具、宝飾の輸入・修復・販売をさらに大きく手掛けるようになりました。
ところが9年目のある日、私が買い付けに行っている間に、社員の1人が倉庫にあった品物をすべて売り払い、自分自身の借金返済に充てるという横領事件が発生したのです。引き出しや箱の一番上にだけ品物が残っていたものの、その下はすべて新聞紙に差し替えられていた上、会社の書類や記録データも細工されていました。在庫の量や年代の幅を持つことでいろいろなお客様にご案内できたり、ファッション誌に取材してもらったりというビジネスだったので、在庫が無くなってしまうと、もう仕事になりません。あまりにもショックで、このビジネスはいったん、全部クローズする決断をしました。

寺脇さん

人脈とセンスとやる気で道を拓く

――そこから心機一転、飲食業のケータリング業をスタートされました。

寺脇 商品の盗難に懲りた私は、物販ではなく、自分の中にノウハウを築いていける仕事をしようと考えました。それまでに買い付けなどで50カ国くらい旅行していましたが、レセプションやパーティが、ホテルで行われるような日本の一般的なものとは違って、海外ではもっと自由な形であることが多く、そのことが強く印象に残っていました。また、自分には当時、ヴィンテージ関係以外、手に職が無かったので、素人でも資本が無くても始められて、受注から入金までのタームが短い仕事ということで、ケータリングを選びました。

料理学校に通ったことも飲食店の厨房で働いた経験も無く、料理は好きだったもののお金をいただけるほどのテクニックは持ち合わせず、しかも事業計画さえ1行も書かずに始めました。ただ、ファッション業界やメディアに人脈があったので、「ケータリングを始めます」とご案内したところ、さっそく「うちの新しいお店のオープニング・レセプシンでケータリングを」というご注文をいただいたのです。それがきっかけで、徐々にいろいろな方面からお声がけいただくようになり、中には飲食店でのメニュー開発も手掛けさせてくださるところも出てきました。

飲食店のメニュー開発を始めてみると、この仕事が自分の調理技術を磨くための勉強やインプットになることが判明しました。ケータリングと飲食店のメニュー開発を同時にやることで、学習サイクルができたように思います。ケータリングでお出ししたときに、どういう料理がゲストに評判が良かったかということをフィードバックして、飲食店のメニュー開発につなげています。

寺脇さん

――「見え感」というお話がありましたが、寺脇さんのケータリングの強みもそうしたアート感覚にあるのでしょうか。

寺脇 私はマーケティング的な視点を大切にしています。ケータリングの仕事を10年近く続ける中で、これまでに1,000件ほどのレセプションやパーティを手掛けてきました。業種、年齢層、男女比、どれくらいの規模かによって、どういうシチュエーションのお料理や会場装飾のウケが良いか、という点については精度が高いと自負しています。
材料の仕入れから料理を作って出すところまで、今も150名分くらいのケータリングであれば(サーブするスタッフは外注しますが)私1人で行います。そしてご来場のお客様の反応をすべて自分の目で捉えています。

例えばクライアントが100万円の予算で依頼してこられたときに、コストパフォーマンスをどう感じ取っていただくかというのは、ゲストの方々のご意見やご感想にかかってくるところです。「どういう感想をもらいたいか」をよくクライアントにヒアリングし、そこから逆算して、料理、会場装飾、スタッフの衣装などを含めた「世界観」を考えます。また、会場装飾もお花も、全部ワンストップでご提供するので、トータルコストを他よりも安く抑えられるという点もご評価いただいています。 

働きながら実力を磨いていくしかない

――平均して年100件、1回あたり150名分を1人で、というのは膨大な仕事量になりそうですね。24時間フル稼働でしょうか。

寺脇 飲食業界はだいたい17~18歳から修業に入るものですが、私は人より10年以上遅れたところから始めているので、人の3倍くらい働いて5年で何とかなるところまで行こうと最初に決めたのです。1日も早く飲食業界の他の人たちと同じ土俵に立って、彼らを越えて行かなければ自分の望むことはできません。だから、そうするにはどうしたらいいか、ということです。ゼロからのスタートだったので、仕事をこなせばこなすほど自分の実力が上がるやり方を取り入れてきました。ケータリングと店舗メニュー開発を一緒にやることもその1つです。

寺脇さん

また、私自身は料理学校には行っていないのですが、仲良くなったシェフと組んで料理教室を主宰しました。トップシェフを呼んできて、30名くらいの受講生に向けてレッスンをしてもらいます。私はアシスタントに入って、料理教室で使う食材や道具、場所の準備からメニューをどうするかというシェフとの打ち合わせまで、ほとんど自分でやっていました。
お呼びするシェフはだいたいキャリア20年以上の選手で、弟子を2人くらい連れて来ます。シェフが弟子とどう話すか、どこまで準備しておいて当日現場では何をやるか、築地に買い出しに行くとしたら一緒に連れて行ってもらって、どこでどういうものをいくらで仕入れるのかといったことをすべて吸収する機会となりました。

先日、創業330年を迎える日本橋の老舗食品メーカーの社長と料理人ばかりの会食に参加しました。寿司職人になって45年の方が40年目で独立したとおっしゃっていました。親方から教えてもらったことをいかに守って長く続けていくかというところにその方の「道」のあり方があり、例えばサバの鮮度をどう見るか、塩をどう塩梅するか、ということに対して集中する神経の使い方をされてきたわけです。
一方、私はパーティ会場などの1つの空間に入ったときに、非日常性をどうやってトータルで感じてもらうか、ということを目指しています。寿司職人の方とは、見ているところがまったく違うんですよね。でも、出口は一緒で「お客様の喜ぶ顔を見たい」ということに尽きます。

寺脇さん

国際性や多様性を伝えたい

――一般財団法人International Women’s Club JAPANの理事として、各国の大使館とともに子ども向けの食文化の教育にも携わっておられますね。

寺脇 あるとき知人から、日本人の海外留学人口がすごく減っているという話を聞きました。中高生よりももっと小さいうちから、いろいろな国の人々と身近に接する環境を作り、国際性や多様性を伝えたいと相談されました。
そこで、一般財団法人International Women’s Club JAPANを立ち上げ、各国の大使館と組み、ひと月に1回、その国の大使かシェフか大使夫人に参加いただき、子どもたちとみんなでその国の代表的なお料理を作って食卓を囲むという企画を立てました。子どもたちは事前にその国について調べ、大使館の皆さんの前で発表することになっています。これまでに65カ国ぐらいの大使館と開催してきました。この取り組みを始めてから9年経ち、初期の頃に参加してくれた子たちは、もう別人のように成長しています。高校生になった子もいて、作曲を学ぶためにウィーンに留学したり、マレーシアに留学したりと多彩です。こうしたことを目の当たりして、続けることの意義を実感しています。

パレスチナを訪れたとき、ある料理が、同じ材料と調理法だけれどもスパイスが違ったり、呼び名が変わったりして、周りの国々に分布していることを知りました。人々が難民となって移動するにつれてその料理が伝わり、その土地のもの、その家庭の味になっていくということを、言葉にすると簡単なのですが、しみじみと実感しました。
「いろいろな国のごはんを作ります」というのが私のテーマで、最終的に伝えたいのは、その国やその家庭の歴史が重なって文化になっていく、ということなのです。

――日本食を世界に紹介する取り組みもなさっていますね。

寺脇 海外で日本の飲食店を展開する際のメニュー開発を、数年前から手掛けています。マーケティングなのか味なのか、どこを変えたらその国の方々により受け入れられやすくなるかというのは、私がケータリングでやってきた「調整」の部分に似ているので、力を入れて続けていきたいと思っています。
今、海外のシェフが来日したときに日本の料理人と交流できる場を同世代のシェフたちが作り始めていますが、そういう活動を通じて「食を通じた国際交流」の機会を広げていくのも良いかもしれないと思っています。

寺脇さん

貪欲に「食」を分析し、その先を見つめる

――華奢な外見と違い、大変エネルギッシュに活動をされていますが、これからはどんな計画をお持ちですか。

寺脇 社会人陸上チームの海外高地トレーニングの帯同シェフをやっています。食を科学的に分析して、どの種目の人にはどのタイミングでどういう食事がいいのかといったことを学んでいるところです。スポーツ選手の管理栄養食も、栄養価に優れていながら官能性も高く、「カラフルで食べたら美味しい」といった料理になり得る。こういう食事を摂っていると病気になりづらいという未病食も同様で、そうした料理を科学的裏付けとともに体系化したいと考えています。例えば、お肉とともに炒めていたパプリカを固体ではなく液体にしてソースで回し入れると、味に奥行きが出る。単なる肉野菜炒めではない「手の込んだ感のある一皿」にできる、ざっくり言うとそういうことです。

人件費の抑制から調理法の合理化を進める動きがありますが、私の場合はそれをあくまでも「味という官能性を残す」ことにこだわりながら探っています。これまでの料理を分解し分析して、もう一度飲食店の仕組みのあり方を考えているところです。
飲食業が大変な仕事であることは分かっていたので、1つの仕事をやるときに2つ以上の意味があったほうがいいと思っています。料理教室も、子ども向けの取り組みも、世の中に貢献しつつ、私自身が学べる機会になっています。
そして、「あの分野に挑戦したい!」と思えば、いつでもリソースが手に入る状態を作るように日頃から心がけています。だから、とことん頑張れるのだと思います。

TEXT:伊川恵里子

寺脇加恵(てらわき・かえ)
Globe Caravan代表取締役 エグゼクティブシェフ/クリエイティブディレクター

1976年生まれ。上智大学法学部在学中ヴィンテージアパレル業で起業。買い付けのため50カ国余を旅し、各国の食文化を独学で学ぶ。オートクチュールを持つフランスメゾンのハイヴィンテージのみを扱うファッションや家具、宝飾の輸入・修復・販売を10年間手掛けた後、飲食業に転向した。 起業時に重度のアトピー症状で悩んだ経験から、飲食業では、世界各国料理の調理法を組み合わせ、化学調味料を使用しないナチュラルな調理にこだわり、ファッション事業でのデザイン経験を生かし、会場装飾のつくり込みをワンストップで手掛けられることが特徴。 飲食事業の法人設立と同時期に、財団法人IWCJの立ち上げに関わり、副理事に就任。2015年現在まで60数カ国の大使館と小学生の子どもと親を対象とした、国際多様性、食育の共催イベントを行う。 2012年以来、大使公邸料理人のいない国のイベントシェフを臨時で務めている。その他、小学生から企業の朝食、ランチの定期ケータリングも手掛けている。 飲食店のメニュー開発プロデュース、農水省、経産省の地域活性化案件では40案件の実績を持つ。