鈴木美穂さん

初冬の夕方、人影まばらな東京・豊洲埠頭を歩くと、やわらかい照明に包まれたログハウスのような建物があった。昼間は日が差し込む居心地のいい空間で、お茶を飲んでいる人たちや、ひとりで本を読みふける人、時には涙をふいている人もいた。

ここは、英国発祥のがん患者や家族を支える施設「マギーズセンター」をモデルとし、昨年10月にオープンした「マギーズ東京」だ。訪ねてきたがん患者やその家族たちに、看護師や心理士が寄り添ってそれぞれの心の内を聞いたり、医療や生活面などの相談に乗ったりしている。相談内容に決まりはない。

施設を立ち上げたのは、24歳で乳がんを発症した日本テレビ記者の鈴木美穂さんと、がんの姉を看取った経験がある看護師で、マギーズ東京のセンター長を務める秋山正子さん(67)。親子ほど年齢が離れた2人が出会って意気投合し、資金や人材集めに駆け回り、設立に漕ぎ着けてから1年が経った。

「がんの経験を丸ごと受け止めて、患者が生きやすい社会をつくりたい」。乳がんになって9年、テレビ局での多忙な仕事をこなしながらマギーズ東京を支え、がん患者を支える情報発信を続ける鈴木さんに思いを聞いた。

入社3年目「目の前が真っ暗闇」に

ライター 実は私も家族にがん患者がいるので、今年春にマギーズ東京を訪れました。とりとめもない話を口にしたのですが、看護師さんがコーヒーを出してくれて、とにかくゆっくりと話を聞いてくれたので気持ちが楽になりました。

鈴木 えっ、そうなんですか。そう感じてもらえたなら本当によかったです。

ライター もちろん私の経験は、患者さん本人の大変さとは比較にならないと思っていますが、鈴木さんは大変な闘病生活の中で、なぜ自分からこのような施設をつくろうと思い至ったのでしょうか。

鈴木 ステージⅢの乳がんが発覚したのは日テレに入社して3年目、報道記者としてまだまだこれからという時でした。会社の昼休みに抜け出して診断結果を聞きにいったら、「仕事をしてる場合じゃない」と医師に言われて、泣き崩れてしまいました。健康な時は想像もつきませんでしたが、本当に目の前にあった自分の道が閉ざされたように感じて、文字通り真っ暗闇になりました。

鈴木美穂さん

診断を受けてからは、毎日のように泣いてました。治療が辛くて辛くて、髪の毛も抜け落ちていく中でうつ状態になって、こんなどん底の人生ならいっそ死んだほうがいい、飛び降りて死にたいと何度も考えました。

でも、生きたいと願う自分もたまに顔を出してきて。がんになって初めて見えたことや疑問に感じたことがたくさんあって、「この経験を生かして社会に貢献します。だから神様どうか助けてください」と祈っていました。

病院によって治療法が違うのはなぜ?

ライター がんになって感じた疑問とは何ですか?

鈴木 治療に関する情報の差です。私の乳がんは「HER2陽性」というタイプで、がん細胞がエサを取り込むための「手」を持っていて、細胞の増殖がとても速いという特徴がありました。このタイプの乳がんに効果のある分子標的薬が、私の病気が発覚する2カ月前に標準治療薬として承認され、保険適用されていたので、私が複数の病院に治療法を相談に行くと、有名な大学病院でもその分子標的薬を提案してくれるところと、そうではないところがありました。

ライター 確かに大学病院の医師でも、積極的に複数の治療を提示してくれる方もいれば、聞かれたことにだけ答えるという方もいて、対応がさまざまです。

鈴木 私は治療について相談できる知人がたまたま身近にいて、複数の病院にセカンドオピニオンを聞きに行ったので、運よくこの薬と巡りあえましたが、病院間でなぜこんな差が生まれるのか。もし知らなかったら、私はいまどうなっていたんだろうと思うと怖くなります。

エビデンスに基づいた標準治療の中から、自分で納得して治療を選ぶことはとても大切なことなのですが、提供される情報の差に強く疑問を感じました。

鈴木美穂さん

発症半年後に出会った「キラキラのがん患者」

ライター 患者さんの精神面をどう支えるかも重要な問題だといわれています。

鈴木 友人がお見舞いに来てくれたとき、私は笑顔をつくっていました。でも、抱えていた不安はどうにもならなくて、同じ目線で気持ちを打ち明けられる相手を求めていました。ただ、「がん=かわいそう」というイメージを抱いていたこともあって、自分ががん患者だということや、がんを経験したということを、発言しづらい社会なんだなと実感しました。

ライター 私も、家族ががんになる前は、命に関わる大変な病気という漠然としたイメージしかありませんでした。

鈴木 その原因のひとつに、情報の発信側であるメディアの問題があったと思います。テレビドラマでも、誰かががんになるとその後、死を迎えるという設定が多いですよね。たとえがんになっても、普通に幸せを感じて生きているというストーリーはあまり見ません。

ライター 気持ちを前向きに変えるきっかけは何だったのですか?

鈴木 発症から半年くらいたったころに、看護師にすすめられた乳がん患者用のガイドブックを知ったのですが、市販されているものではないので、発行元に買いにいきました。発行者も乳がんを経験した女性で、そのときは発症から9年目でした。東京・青山の事務所を訪ねたのですが、とても元気でキラキラしていて、前を向いて生きている。がんを告知されてから未来が見通せない中、元気になればこんな生き方ができるんだと初めて気づかされて、前向きな気持ちになれました。

ライター 気持ちが前向きになっても、まだまだつらいことはたくさんあると思います。患者さんによっては、かつらや帽子をかぶるとまったく病気に見えない方がたくさんいて、そういう人は勝手に「元気な人」とみなされてしまう。本当は治療の副作用などさまざまな配慮が必要なのに、周囲の理解が遠のくという現実があります。

鈴木 そうですね。実は私も、副作用が辛くて列車の優先席に座っていたら、若いのだから席を立てと叱られたことがあって、泣きたくなりました。大切なのは、想像力だと思います。「もしかしたら何か事情があるのかな」と想像するだけで、対応って変わると思うんです。

ライター 相手の思いを想像するということは、意外と難しいことです。

鈴木 大学時代に、バッグパッカーとして世界中をめぐりましたが、人と人との争いや誤解は「相手を知らない」から起きるのだと感じました。報道記者になって、その人に感情移入できるようなニュースを伝えられれば、次に会ったときから優しく接することができるのではないかと。

だから私は、患者が生きやすい社会をつくるために情報を発信していこう。医療面や精神面で、患者が頼れる場所もつくりたい。「自分が乳がんになったことに意味や価値があるとすれば、こうした問題とかかわりながら生きていくことだ」と考えるようになりました。

鈴木美穂さん

ライター 具体的にはどんなことを始めたのですか?

鈴木 まず取り組んだのが、情報発信です。若くしてがんになった人の記事を通じて、患者が明るい未来を想像できるような情報を伝えようと、2009年に「STAND UP!!」という団体を設立してフリーペーパーを作りました。患者が読んで怖くなってしまうような情報は排除して、趣味や日常の楽しみの記事を通じて「がん=かわいそう」ではないことを伝える狙いです。

その発起人として、がんなどの患者を支援する人たちの国際会議に招待していただいたのですが、2014年3月にオーストリアで行われた会議に参加した際、マギーズの存在を知りました。

ライター マギーズのどんな点が魅力的だと思ったのですか?

鈴木 がん患者や患者の家族が、がんの種類や悪性度に関わらず誰でも無料で利用できて、自分の家のようにくつろぎながら専門家と話ができる。そして癒やしだけでなく、エビデンスに基づく確かな医療の情報を持ったうえで、さまざまな相談に乗ってくれる点です。

マギーズと出あい、「私が求めているのはこれだ」と確信しました。日本にもこの施設をつくろうとインターネットで情報を集めているうちに、私が乳がんになった2008年からマギーズ立ち上げに奔走している秋山さんの存在を知りました。

電話しまくって「チーム鈴木」を結成

ライター それから約2年半弱で完成させたということは、かなりのスピード感をもって行動に移ったのですね。

鈴木 もともと待てない性格なので、すぐに秋山さんに会いたいと思い行動に移しました。ただ、いきなり訪ねても怪しまれるだけなので、ちょっと仕込みをして(笑)。

ライター どんな仕込みですか?

鈴木 当時、私は都庁担当の記者だったのですが、秋山さんが新宿で運営している「暮らしの保健室」に、都が助成金を出していたことを知りました。そこで、「都のモデル事業の取材」のリサーチと称して、秋山さんにお会いする機会をいただきました。切り出す機会を伺いつつマギーズの話をしたところ、「あなた、なぜマギーズを知っているの」と秋山さんが驚いて…。そこで初めて、自分がここに来た本当の目的を話したんです。

鈴木美穂さん

ライター マギーズを東京につくりたい、という話をしたんですね。

鈴木 はい。話をしていたら、秋山さんが、私には太刀打ちできないほどの医療関係者の人脈を持っていらっしゃることがわかりました。「秋山さんと協力し合えれば、私がゼロから始めるより格段に早く実現できる」と直感しました。

一方で、秋山さんはマギーズをつくるために、資金集めや広報面などで壁にぶつかっているという状況でした。そこで、「私が優秀なチームを連れてきます。だから一緒にやりましょう」とアピールしました。

ライター 20代にして多方面のエキスパートを揃えられる、鈴木さんの人脈もすごいですね。

鈴木 いえ、私は秋山さんを巻き込むために勢いでそう宣言しただけで、まったくあてはありませんでした。でも、つくると決めたので足踏みはしていられません。広報や建築に詳しい人など、私のつたない人生経験で思いつく限りの知り合いに連絡を取って、協力をお願いしました。数年ぶりに連絡した人もいて、久しぶりの再会で突然何を言い出すのかとびっくりしていましたね。

そんなかたちで立ち上がった「チーム鈴木」ですが、秋山さんたちの不得意な分野には強みがありました。秋山さんも、私たちのチームと協力しあうことで可能性が広がると思ってくださって、5月にマギーズ実現に向け本格始動しました。最初に豊洲に借地が見つかり、看護師さんなどの人材を探し、ご寄付やクラウドファンディングなどで建設費用の3500万円を集め、2016年1月に着工に至りました。

がん患者だった医大生との出会い

ライター マギーズを知ってから2カ月。周囲を巻き込んで、見事な行動力です。大見得を切っての「力技」に見えつつ、相手の強みを冷静に見極めて、さらに強いパワーを生み出しています。

鈴木 「STAND UP!!」を設立して雑誌を刊行した時も同じでした。当時、若いがん患者となかなか知り合えなくて、SNSで若い患者の方を見つけてはメールを送るということを繰り返していました。そんななか、15歳で小児がんになった当時医学部4年生の松井基浩さんを見つけたんです。彼はSNSで「がん患者には夢がある」と発信していて、ぜひ一緒に情報誌づくりをやりたいと思いました。

ただ、情報誌をつくっても読んでもらえなければ意味がありません。多くの人に読んでもらうためにはPRが必要ですが、私は職場復帰したばかりの時短勤務ということもあり、表立って新しいことを始めましたとは言いづらい立場でした。彼と連絡をとって初めて会ったとき、「私が情報誌づくりの裏方をやるので、代表として『顔』になってください」と思い切ってお願いしたところ、その場で話がまとまりました。

ライター 行動がとても速いですね。

情報誌が完成した後は、親も巻き込んで、病院に片っ端から電話をかけて情報誌を置いてほしいとお願いしました。最初は敬遠されましたが、記事を読んで趣旨を理解してくれる病院が少しずつ増えていき、メディアにも報じていただけました。いま「STAND UP!!」は情報誌の発行だけではなく、若いがん患者約600人のサークルになり、さまざまなイベントを開催しています。

鈴木美穂さん

真っ暗闇の海に立つ灯台でありたい

ライター 受け身ではなく、自分から新しい何かを仕掛けていく姿勢は、どのように身についたのですか?

鈴木 考えたことはありませんが、小学校の時から、「クラスのみんなでもっと仲良くなろう」「クラスを楽しくしよう」という提案をしていました。みんなでただ給食を食べるだけではつまらないので外でピクニックをしようと提案すると、担任の先生が「校長の許可が必要だ」と言うんです。それであきらめずに、企画書を持って校長先生に直談判してピクニックを実現させたこともありました。いま思えば、生意気な子どもですよね。

ライター マギーズ東京の立ち上げから1年、認知度が徐々に広がる中、今後どのような取り組みをしていきたいと考えていますか?

鈴木 まだマギーズ東京はその歩みを踏み出した段階で、地道に運営していくことが何より大切です。この借地は2020年末までの契約で、再開発となれば立ち退きになるかもしれません。どうするかは検討段階で、先のことはわかりません。

ただ、全国にマギーズができたらいいと考えていますので、そのためにも東京のマギーズをサステナブル(持続可能)な施設にすることが必要です。患者は治療費に大きなお金が必要なので、施設の利用料が無料であることは欠かせません。私たちの活動を知って、1人でも多くの方にご支援いただけたらとてもうれしく思います。

ライター 日本人の死因トップは「がん」です。

鈴木 マギーズのコンセプトは「Hug You All」です。がんになった人の経験を丸ごと「Hug」して受け止められる社会、がんになった経験ごと、普通に生きて行ける社会を作ることが願いです。なぜ、「Hug You All」がコンセプトなのか。気づいていただきたいのは、誰もががんになる可能性があって、決して低い確率ではないということです。あなたかもしれないし、あなたのそばにいる誰かかもしれません。がんになって何かを知ろうとしても遅いし、治療はとても辛い作業になります。がんだとわかったとき、「そういえばマギーズってあったな」と思ってもらえる、真っ暗闇の海に立つ灯台のような存在に育てていきたいと思っています。

ライター 鈴木さん個人としての目標はありますか?

鈴木 2018年で発症から10年の節目でもあるので、活動の幅を広げていきたいと思っています。がん以外にも、難病や貧困、いじめなど深刻な問題を抱えている人はたくさんいて、その人たちがどんな状況に置かれても「Hug」できる社会を作る必要があります。何らかのプロジェクトなのか、場所を作るのか、記者として情報を発信していくのかはわかりませんが、今後取り組んでいきたいと考えています。

ライター テレビ局での仕事をしながらの活動で、とても多忙だと思いますが、鈴木さんの支えは何ですか?

鈴木 大学4年時、日テレから内定をいただいた後、女性の友人とママチャリで47都道府県を縦断して、出会った人のお宅に泊めてもらうというチャレンジをしました。ママチャリに「ただいま日本縦断中」というのぼりを立てて、走ったんです。泊めてくれた人たちに、大切にしている言葉をノートに書いてもらいました。そのノートをいまも宝物にしています。

鈴木美穂さん

ライター どんな言葉が書いてあるんですか?

鈴木 すべて初対面の方たちでしたが、東京だけは私の家に泊まって、母に言葉を書いてもらいました。母は、「泣いて暮らすも一緒 笑って暮らすも一緒 なら、笑っていよう」と書いてくれました。本当にその通りですよね。がんの再発も、死ぬことも怖いです。でも、自分で努力を尽くしたら、あとは天命に任せるしかありません。どうしようもないことを不安に思っていたら、たった一度の人生がもったいないですよね。

ライター その姿勢が多くのがん患者に勇気を与えると思います。

鈴木 乳がんになったことで、それまで見えていなかったものが見えました。健康な私なら出会わなかったであろう人たちと出会えました。辛かった経験も含めて「いまの私」があって、出会ったすべての人々が私の財産です。いま私は「生きているんだ!」ってことを実感しています。

TEXT:國府田英之(POWER NEWS)

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鈴木美穂(すずき・みほ)

1983年生まれ。慶應義塾大学卒業後、日本テレビに入社し報道局に配属。入社3年目の2008年にステージⅢの乳がんを発症し、記者の傍ら、がん患者を支援する取り組みを始めた。2009年に35歳以下のがん患者団体「STAND UP!!」を設立し、情報誌を刊行。14年に訪問看護師の秋山正子氏と出会い、16年10月、東京都江東区豊洲にがん患者や家族の相談所「マギーズ東京」をオープンした。日テレでは社会部、政治部の記者を経て、現在は記者活動のほか「スッキリ!」「情報ライブ ミヤネ屋」のキャスターも務める。