「治療アプリ」が明日の医療を拓く――禁煙、生活習慣病から肺がんまで幅広い可能性

手元にあるスマートフォンが、病気の治療をサポートしてくれる――。最先端のモバイル・テクノロジーによって、そんな時代が到来しようとしている。
先行する米国では、既に研究から臨床応用のステージに入っているが、日本で初めて治療目的のアプリケーションやソフトウェアを開発し事業化に取り組んでいるのが、医療系ベンチャー企業の株式会社キュア・アップ(CureApp)だ。2014年に同社を立ち上げたのは医師の佐竹晃太社長。第1弾となる禁煙用のアプリは、呼吸器内科医という自らの専門知識や経験を生かし開発した。このアプリは2017年10月に治験がスタートし、2019年内の発売を目指している。将来キュア・アップの目指すところは、さまざまな生活習慣病から肺がん、アトピーなど無限にあるという。
また、治療用アプリは、年々増大の一途をたどる国民医療費の抑制という観点からも期待されている。そこで佐竹社長に、治療アプリとは何か、治療アプリが切り拓こうとしている未来の医療などについて伺った。

薬や手術だけでは対応しきれない病気に、アプリを活用する

“治療アプリ”といってもピンとこない人が多いのではないだろうか。率直に疑問をぶつけると、佐竹社長はうなずきながら治療用アプリの説明を始めた。

佐竹「私自身、病院で内科医として働く中で、治療とは薬を飲んでもらうか、何らかのデバイスを使って手術をするか、この2つのアプローチが医療の常識でした。しかし、薬や手術だけでは対応しきれない病気が世の中にはたくさんあります。こういった病気に対し新しい治療法として、アプリを活用する、というのが基本的な考え方です。

例えば通常ニコチン依存症の治療は、禁煙をしたい人が病院の禁煙外来に出向き、医師や看護師の指導を受け、禁煙用の薬を処方してもらいます。こうして3カ月程度の期間をかけて喫煙に別れを告げる、というのが理想的なかたちです。ところがこれがなかなかうまくいかない。禁煙外来に通って禁煙に成功する患者さんは残念ながら3割程度です。ニコチン依存症の治療は苦戦を強いられている、というのが現状です」

佐竹社長

佐竹「禁煙治療の場合、病院で診察を受けた時は、医師や看護師から『こんなふうに禁煙したらいいですよ』『こういう生活をしてください』という生活習慣指導を受け、薬も処方をされます。ところが次に病院に行くのが1カ月後ということになると、この間は治療介入がない。患者さんは1カ月孤独な戦いを強いられ、ついつい1本だけならと手を伸ばしてしまう。こうして途中で挫折してしまうといったケースが多くなります。そこで治療アプリが患者さんに対して心理的なフォローをし、専門的な心理療法を行なうのです」

治療用アプリを使う場合、まず患者が禁煙外来に行くところから始まるのは、これまでの治療と変わらない。医師や看護師の指導を受けるのも同じだ。新しいのはここで医師が治療アプリを患者に処方するところ。患者は自宅に帰ってからも、治療用アプリによって日々、”禁煙指導”を受けるわけだ。

「CureApp 禁煙」は、過去の医師たちが積み上げた知見の集積

佐竹「禁煙治療の場合、これまでに数えきれないほどの論文が出ていて、臨床研究も重ねられてきました。つまり過去の研究者たちが積み上げた膨大なエビデンスがあり、禁煙治療のガイドラインもあるということです。さらには禁煙の治療を専門とした医師の「こういう患者さんにはこういう指導をしたらいい」という暗黙知のようなものもあります。こうした1つひとつを解きほぐし、アルゴリズム化したものがニコチン依存症治療用アプリです」

いわば医師たちがこれまでに積み上げた知見の集積が、治療用アプリと言えるだろう。こうした知見の集積が、患者からもたらされたデータを分析し、適切な助言・指導を与えるのだ。

佐竹「キュア・アップは現在、ニコチン依存症治療アプリ「CureApp 禁煙」を開発中で、既に昨年10月に治験の段階に入りました。現在慶應義塾大学病院や、さいたま市立病院を含む数十の医療機関で臨床試験を行なっており、その結果を踏まえ今後は薬事承認を得て、2019年の発売を目指しています」

ここまで読んで「アプリが医師の代わりを務める時代がきたのか」と感じた読者がいるかもしれない。この点に関しては、もう少し説明が必要であろう。

佐竹「治療アプリが医師や看護師の禁煙治療を、完全に代替できるとは考えていません。生身の人間が対面で熱意をもって指導するのと、アプリに指導されるのではやはり違います。立ち位置としては、家にいて医師や看護師とのコミュニケーションがない期間にアプリが介入する。患者さんは毎日病院に通うわけにはいきませんし、医師や看護師が患者さんに毎日電話するわけにもいきませんから、そこをサポートするということです」

ただ、スマートフォンを操作できない患者には、治療アプリを活用するハードルは高い。つまり”万能薬”ではないということだ。
では、治療用アプリは実際にどれほどの効果を発揮するのか。

佐竹「禁煙用アプリの場合、臨床試験の段階ではかなりの成果を上げています。3カ月間の治療で、治療用アプリを使ったケースの禁煙成功率は、使わなかったケースに比べて27%も高いという結果が出ました。さらに6カ月後のデータを比べると、治療用アプリを使わないケースでは、成功率が10%程度にまで落ちてしまうのに対し、アプリを使った場合は、3カ月後とあまり変わらない成果がありました。この数字だけを見れば、治療用アプリは高い治療効果があると言えます。単純比較はできませんが、少なくとも薬と遜色のない効果がアプリに期待できます」

佐竹社長

忙しいビジネスパーソンに嬉しい法人向け「ascure(アスキュア)」

禁煙用のアプリは治験の最中と書いたが、実は既に世に出た商品もある。同社は2017年4月に企業など法人向けの禁煙プログラム「ascure(アスキュア)禁煙プログラム」をリリースした。こちらは医薬品ではないので、「健康支援アプリ」という位置づけとなる。ただし、治療アプリ開発の臨床研究で得た知見やノウハウを活用している。また、医療ではなかなか実現できない民間向けならではの特徴を持たせた、佐竹社長が「医療ではないが、質は負けないほど高い」と胸を張るサービスだ。

佐竹「ascure(アスキュア)禁煙プログラムは、「アプリ」「オンラインによるカウンセリング」「OTC医薬品を自宅まで届けてくれる」という3つのサービスを組み合わせ、多面的にサポートする禁煙プログラムとなっています。病院に通院する必要がないため、忙しいビジネスパーソンでも利用しやすく、また禁煙外来の2~3カ月ではなく6カ月という長期間サポートする特徴があります。これは禁煙外来に通って、せっかく3カ月で禁煙に成功した人の半数近くが、その後の3カ月以内にまた喫煙を始めてしまうというデータを踏まえての設定です。
近年は健康経営という考え方が広まってきており、従業員の健康増進、メタボ対策や禁煙の推進に積極的な企業が増えてきました。こうした企業を中心に、既に10社以上の東証一部の企業や健保組合でアスキュアを導入していただいています。お問い合わせも非常に多く、今後も提供できる先が増えていくでしょう」

そもそも佐竹社長が禁煙用のアプリを開発しようと思った理由は、自らが呼吸器内科を専門とし、実際に禁煙治療を行なっていたということが大きい。加えて公衆衛生学的な観点から、禁煙治療が社会的に重要であるという事実も開発へのモチベーションを駆り立てた。

佐竹「あまり知られていないかもしませんが、寿命を縮めたり、病気を引き起こしたりする要因の中で、たばこが最も成人の死亡要因となっています。生活習慣や運動不足の解消よりも、たばこを吸わないことのほうが健康増進を促す、というデータがあるのです。たばこが原因で亡くなる人は国内に年間で13万人弱もいると言われています。もし禁煙できれば、13万人もの人々が生きていられるかもしれません。それが実現できるなら、社会的な価値も高い。アプリ開発をする際に最初に禁煙に取り組んだのは、そういった理由もありました」

佐竹社長

きっかけは1つの論文だった

ここで話はさかのぼり、佐竹社長がアプリやソフトウェアによる治療に出会った時の話を紹介しておこう。同氏は2007年に慶應義塾大学医学部を卒業後、日本赤十字医療センターなどで呼吸器内科医として勤務した。その後、「医療以外の世界も知りたい」と中国・上海のビジネススクール中欧国際工商学院(CEIBS)でMBAを取得し、米国ジョンズ・ホプキンス大学で公衆衛生学を学んだ。
治療アプリの開発をしようと思ったのは2013年、ジョンズ・ホプキンス大学時代というから最近の話である。受講していた医療インフォマティクスの教員から紹介してもらった1つの論文がきっかけだった。

佐竹「インスリン投与や血糖をコントロールする糖尿病用の治療アプリのことが書かれていました。アメリカの医療系テクノロジー企業WellDocが開発したもので、生活習慣や運動習慣の指導を患者さんに対して行なうアプリです。これが糖尿病治療に、新薬と同等の効果を上げているというのです。瞬間的に「これだ!」と思いました。これは糖尿病だけでなく、いろいろな病気に活用できる。そういう妄想が頭の中いっぱいに広がりました。アプリやソフトウェアによって多くの患者さんが救われる。しかも、ソフトウェアは医薬品よりも圧倒的に低コストで開発ができ、医療経済性も非常に高い。これはこれからの日本の医療に絶対に必要だ。そう思って日本に帰ってきて事業を立ち上げました。
実は、私はこの論文に出会うまでは、自分の将来設計を決めきれずにいました。どこかの企業で働くか、病院に戻るのか、あるいは病院経営を始めるのか…。模索中だった進路は、1本の論文でピタリと定まりました。意識していたわけではありませんが、臨床の現場での経験、MBAの取得、アメリカ留学といったキャリアは、起業と治療アプリの開発に、結果的に大きく役立つことになりました。

帰国後は病院に週3日勤務しながら、アプリケーションの開発に取り組むことにしました。
ところが、私はアプリケーションの開発は初体験。UIとかUXといったアプリで重要とされる概念もありませんでした。
そこでとっさに脳裏に浮かんだのが、同じ慶應の医学部卒であり、部活の後輩でもある鈴木晋です。彼は医学部であるにもかかわらず、プログラミングに熱中していた変わり種で、声をかけた当時は東北大学でバイオインフォマティクスの博士号取得を目指す研究員でした。
こうして2人で最初の禁煙アプリのプロトタイピングに取りかかりながら、情報や資金集めに奔走し、2014年7月にキュア・アップを立ち上げました。鈴木は当社の創業メンバーで、CDO(最高開発責任者)です。その後は仲間も次第に増え、苦労を重ねながらバージョンアップを繰り返し、禁煙用アプリの治験にまでこぎつけたのです」

佐竹社長

第2弾は、「非アルコール性脂肪肝炎(NASH)の治療用アプリ」

現在は禁煙用アプリのほかに、非アルコール性脂肪肝炎(NASH)の治療用アプリである「NASH App」を、東京大学医学部附属病院と共同で開発し、臨床研究を進めている。NASHとは生活習慣病の1つで、脂肪肝を放置しておくと、脂肪が細胞相で炎症を起こし、肝炎になってしまう。糖尿病や高血圧と違い、NASHには今のところ治療薬がない。治療用アプリが治療の第一選択になる可能性があるわけだ。
また、治療用アプリは糖尿病やNASHなどの生活習慣病のほか、精神的な疾患の治療に向いているという。肥満症の改善に役立つ可能性もある。アメリカでは薬物依存治療のアプリも出始めている。

佐竹「一番効果が出やすいのは生活習慣病かなと思いますが、アメリカでは肺がんの患者さんに治療アプリを使ってもらうことで、栄養管理・合併症の早期発見に寄与することで、生命予後の改善を認めたという報告も出てきました。このように、がん治療においてもアプリが有用であることが証明され始めています」

佐竹社長

医療費増大に歯止めをかける1つのソリューション

キュア・アップで開発中のアプリは今後、治験を終え、薬事承認の手続きを経て医療の現場で活躍することになる。治療用アプリが世に広まる効果は、疾患の治療だけにとどまらないという。

佐竹「薬に比べれば、アプリのコストは10分の1とか、場合によっては100分の1に抑えられます。アプリが薬よりも効果がある、あるいは同等の効果があるとなれば、今後は国家財政を揺るがしている日本の医療費増大に対する1つの有効なソリューションになり得ると考えています」 国の医療費は年々増加の一途をたどっており、2015年度に過去最高の42.3兆円をマークした。健康保険組合連合会の推計では、2025年度に57.8兆円にまで上昇すると見込まれている。医師の絶対数の不足という課題も考慮すると、治療アプリにかかる期待はさらに大きいと言えるだろう。

Bluetoothで連携できるデバイスも組み合わせた総合IoTソリューションを自社開発

離島などに暮らす患者や医師の負担を減らす遠隔診療においても、治療アプリの活用が考えられる。キュア・アップでは、禁煙治療において不可欠な呼気一酸化炭素測定器を自社で開発した。

佐竹「禁煙の治療では、患者さんに息を吐いてもらって一酸化炭素の量を測定し、これによって禁煙が成功しているかどうかを調べます。禁煙の遠隔診療も行なわれていますが、測定器がないと、禁煙が成功しているかどうかを判断するのは患者さんの自己申告のみになってしまいます。ところが人間は弱いですから見栄を張って事実とは異なる申告をする、ということもしばしばです。しかし、従来の測定器はサイズや価格の面から、患者さんが個人で所有するのは難しい。
そこで当社ではこの問題を解決し、遠隔診療でも質を落とさず禁煙治療を実現できるよう、呼気CO 濃度測定を自宅や職場でも可能にするデバイスと、測定結果を患者さんと医師それぞれが確認・共有できる「ニコチン依存症治療アプリ・クラウド」を一体化したIoTソリューション「ポータブル呼気CO濃度測定器一体型治療アプリ」を開発しました。

今のところ禁煙の遠隔診療は保険の対象となっていません。しかし、測定器というデバイスで測定の客観性が担保されれば保険適用への道が開けるので、患者さんの負担も大幅に軽減されます。もちろん治療効果も大幅に高まります。
毎日持ち歩きながらどこでも使えることを目指し、Bluetooth接続でスマートフォンとの連携もスムーズに行なえます。当社はハードウェアの会社ではないですが、「何とかしたい」という思いから皆が試行錯誤を重ねてこの機器を新たに開発しました。
このような熱意とイノベーションの積み重ねが、医療の質を向上させていくと信じています」

佐竹社長

海外進出も視野に、まずは足元をしっかりと固める

佐竹社長は国内の医療はもちろん、今後は米国や中国など海外進出も視野に入れている。

佐竹「当社で開発した禁煙治療アプリは、米国で開発されたアプリと比べても、製品レベルやエビデンス(医学的な根拠や統計的な情報など)において、よりしっかりしたものを作っているという自負があります。このデジタルヘルスの分野はまだ黎明期にあり、医薬品や医療機器の市場のように欧米企業が覇権を握ってしまう前に、海外での競争に参入したいと思っています。

もちろん、夢は尽きませんが、まずは足元をしっかり固めながら事業を進める必要があります。
病院での勤務は現在、週1回ですが、どんなに会社が忙しくなっても、現場には出続けたいと思っています。たばこをやめたくてもやめられない方々に依存症から抜け出してもらいたい、健康で幸せな人生を歩んでもらいたい、という願いで会社を起こしました。患者さんと接し続けることで、そういう思いを持ち続けていけるのではないかと考えています」

わずか数人でスタートした会社も、気が付けば20人近くの社員を抱え、契約社員・派遣のスタッフも入れると30人ほどが働くようになった。
治療アプリの開発は始まったばかり。佐竹社長はこれからも医師の立場を忘れず、患者に寄り添いながら、より効果的なアプリを開発し世に広めていく決意だ。

佐竹社長

TEXT:渋谷 淳

【関連記事】

佐竹晃太(さたけ・こうた)
株式会社キュア・アップ代表取締役社長兼CEO/医師
MD/MBA/MPHホルダー

2007年に慶應義塾大学医学部を卒業後、日本赤十字社医療センターなどで呼吸器内科医として勤務。2012年に上海にある中欧国際工商学院(CEIBS)へMBA留学した後、米国ジョンズ・ホプキンス大学の公衆衛生学修士(MPH)プログラムにて医療インフォマティクスを専攻。ビジネスからアカデミック分野における海外モバイル・ヘルス事情に精通している。2014年に株式会社キュア・アップ(CureApp Inc.)代表取締役社長に就任。現在も週1回の診療を継続し、医療現場に立ちながらモバイル・ヘルス事業に携わる。