電王戦で見たAIによる進化と人間の未来

この記事はIBM THINK Watsonに掲載された記事を転載したものです。
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文・写真:飯島範久

コンピュータの判断は、AIによって確実に人間に近づいている。いや、人間を超える能力を発揮する部分も出てきている。コンピュータが人間と対等な判断を下せるのか、人間のような「知性」を持てるのか、そんな挑戦を長年続けてきたのがチェスや将棋、囲碁といったゲームの分野だろう。コンピュータが人間に勝つことで「AIは人間の知性と対等もしくは超えた」と一般の人でも明快に認識できる効果もあって、これまでさまざまな対戦が繰り広げられてきた。人間の能力の限界に挑むAIの進化によって、AIと人間との関係が垣間見えてきた。

AIと人間の頭脳戦の歴史を振り返る

Ponanzaと将棋を指す佐藤名人

2017年の将棋電王戦で、佐藤天彦名人がコンピュータ将棋ソフト「Ponanza」に破れ、プロ棋士のタイトル保持者でもコンピュータには勝てなくなったと話題になった。「Ponanza」の開発者・山本一成氏は、この対局の2年前から「すでに人間を超えていると感じていた」と語っていて、現にPonanzaはプロ棋士と対局して1度も負けていない。また、これと同時期に囲碁界でもGoogle DeepMindの「AlphaGo」が旋風を巻き起こし、最強棋士といわれていた李世ドル九段に4勝1敗で勝ち越し。「AIの知性が人間に並び、追い越すことが可能」と世間を賑わせた。AlphaGoに関しては、さらに進化させた「AlphaGo Zero」でもっと強くなり、そして、その技術を活用して作られた汎用ソフト「Alpha Zero」によって、チェスや将棋の分野でもこれまでのソフトを凌駕したレベルに達していることを論文で発表している。

人間とコンピュータの勝負といえば、1997年にIBMが開発したコンピュータチェス「Deep Blue」が、当時のチェス世界チャンピオンに勝ち越して世界的に衝撃を与えたことが思い起こされる。1950年ごろにコンピュータチェスの研究・開発がスタートして50年余り。かなりの時間を費やしたが、プログラマーの念願が叶った瞬間だった。

囲碁は1962年ごろに研究がスタート。コンピュータ将棋の研究・開発は1974年にスタートとチェスに比べて20年以上開きがあるが、これは将棋が日本中心のゲームだったからだろう。どちらもチェスに比べて1ゲーム当たりの合法手が圧倒的に多いために当時のコンピュータの性能では何手も先を読むことが難しく、なかなか強くはならなかった。コンピュータチェスの勝利から10年以上経っても、プロ棋士レベルにはほど遠かった。

それが近年、一気に差を縮めてきたのは、コンピュータの性能アップとともに、AI技術の1つでもある機械学習が登場してきたことによる。これまでは、人間が「こう指す」と教え込むようにプログラムを組んできたが、プロ棋士の棋譜を大量に読み込ませてコンピュータ自身が学習することにより、かなり人間が指す手に近づいてきた。その強さがプロ棋士レベルに近づいたことで将棋電王戦が開催されることになり、プロ棋士とコンピュータ将棋との対局が実現。ところが、当初のプロ棋士側の思惑とは裏腹にコンピュータ将棋の進化が加速。「プロ棋士と戦えるまたとないチャンス」と、さまざまなプログラマーが切磋琢磨したことも、飛躍的に強くなった要因だろう。

「人間がAIを育てる」から「AIは自ら学ぶ」ように

2012年に始まった将棋電王戦はネット中継され、それまで将棋を知らない人まで視聴するほど話題となり、新聞やテレビ局が多数取材に入った。対局場所を両国国技館や小田原城など、ふだん将棋を指さない場所に設定したり、コンピュータの指し手をロボットで行うなど、これまでの将棋のイメージとはかなり違う演出も相まって、将棋ファンのみならず、多くの人たちがプロ棋士とコンピュータ将棋との真剣勝負に一喜一憂した。

その後、深層学習(ディープラーニング)も取り入れたコンピュータ将棋は「教師」となるプロ棋士の棋譜では足りず、コンピュータ同士の自己対戦により棋譜を生成し、それを読み込んで学習。数百万、数千万レベルで生成された棋譜は、もはや人間が思考する域を超えていた。電王戦が始まった当初は、コンピュータの指す手に「違和感」を感じることがたびたびあると言われた。「人間だと指さないですね」とプロ棋士も解説で何度も口にしていて、それは「悪手」だと評されていた。しかし、いつのまにかその違和感は、人間の想像の域を超えた「最善手」へと変わっていったのだ。

人間の知識によって進化していったAIは、自ら学び始め、さらなる強さを得た。その実力は将棋よりも囲碁のほうが劇的に進化しており、将棋よりもさらに10年はかかると言われていた「プロ棋士打倒」を簡単に実現してしまったのだ。

さらにAIがすごいのは、ルールを教えなくても自分で判断して、ルール通りの指し手を指せるようになることにある。これまでは、ルールを教え込むだけでも大変だったのが、その必要がなくなる。どうしてそうなるのかを問うても、プログラマーにも「わからない」と言わせるほど、中身は「魔法の箱」と化しているのだ。

そのうえ、人間のように疲れを知らないから、淡々と作業をこなしていく。人間では不可能な対局数をどんどんこなし、先を読む力を得て、それを基に指し手を導き出し、さらに強くなっていくのである。事前の学習にはそれなりの時間はかかるが、そこから得られた「解」は、人間以上に最適化されたものになっており、どうしてその指し手になるのかは、プログラマーでもわからくなる。

人間がAIに学び、強くなる未来

評価値が映し出されるパソコンの画面

こうして、コンピュータ将棋はプロ棋士を超える域に達してしまったが、では「将棋がつまらなくなったのか」といえばそうではない。最近、藤井六段の活躍により将棋界のみならず社会全体が大いに湧いているのがその証拠だ。人間どうしの戦いはさまざまなドラマがあり、見ているものに感動を与えてくれる。また、電王戦で利用された対局者の「評価値」(どちらが有利かをコンピュータが数値化したもの)表示は、盤面を見ただけでは分かりづらい「どちらが優勢なのか」を視覚化したことで、将棋に長けていない人でも観戦を楽しめるようになり、ファン層の裾野を広げる効果をもたらした。これは、AIが人間のサポートをしている場面とも言えよう。さらに、将棋界には一種の「革命」が起きている。とうに廃れたと言われた指し手が最近復活しているのだ。これも、AIによる解析のおかげである。

将棋の歴史は非常に長い。その間、人間も絶えず研究をし続けてきた。しかし、膨大な指し手や棋譜の中には、やはり見逃しているところがあるものだ。AIによる解析で最善手が導かれたことで、それを人間が自分のものとして指せるようになっている。電王戦を戦ったプロ棋士たちは、対局前にソフトが貸し出され、いろいろと研究することができたが「それによって自分自身が強くなった」と感じている棋士がほとんどだった。佐藤康光日本将棋連盟会長は、電王戦終結の記者会見でこう述べている。

記者会見で語る日本将棋連盟の佐藤会長

「コンピュータ将棋はまだまだ進化し続ける余地があるようです。これは裏を返せば、これまでプロ棋士は一生懸命、より深い部分を感じながら歴史を刻んできましたが、一方、コンピュータによって『将棋はまだまだ新しい考え方があり、より深いものだ』ということを教えてくれたのだと思います。将棋というゲームが、世界に誇れる奥の深いものだと認識しながら、より高いレベルで登っていくことが必要でしょう。実際にいま、特に若手を中心にソフトを使って研究することが主流の時代になっています。電王戦で対局した棋譜には未だ謎めいたものも残っており、これらを解明していくことで、プロ棋士の理解が深まり、将棋の深さが再認識されることになると思います」

つまり、プロ棋士も実際にAIから学び、実践で活かしていく時代になってきたわけだ。昨日の敵は今日の友。これからのプロ棋士は、コンピュータも使いこなせないと強くはなれないのかもしれない。

AIがビジネスの活力源になる

ビジネスの世界においても、これと似たようなことが起きている。AIが人間に取って代わって作業する、というケースが増えてきているからだ。たとえばRPA(Robotic Process Automation)もその1つで、いまはまだ単純な作業を肩代わりする程度だが、将来はより複雑な業務もこなせるようになるだろう。「AIが人間の仕事を奪う」などという衝撃的な言葉も聞かれるが、チェスにしても将棋にしても囲碁にしても、まったく廃れてはいない。AIはなにも敵ではなく、人間をサポートする1つの道具に過ぎないのだ。

コンピュータは、単純な作業でも何も文句を言わず、疲れも知らず、ひたすらやり続けてくれる。これまで人間が苦労してきた単純作業はコンピュータの得意なところであり、AIに任せられれば、そのぶん、自分は他の作業、たとえば新規企画をゆっくりと練ることができたりする。仕事をAIに任せる→自分の時間が空く→これまでできなかったことをやる。このような循環が想像できれば、AIは仕事や生活を豊かにしてくれるはずだ。

かつて乗り物が馬からクルマへ変わったとき、仕事がごっそりなくなったかといえば、そうではない。クルマをつくる仕事、整備する仕事、ガソリンを売る仕事など、新たな産業が生まれた。この先10年、AIがより進化することで、さまざまな面でますます人間をサポートしてくれるはずだ。どのように活用していくのか、その時人間はどう対応していくのか、AIによって自分にとって足りなかったことを取り戻したり、新たなチャレンジをしたりするチャンスが生まれることになるかもしれない。

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