伝統技法と感性――そのCoolな魅力をコンテンポラリーなジュエリーに

日本のジュエリーは、江戸時代以前から受け継がれてきた装剣金工師や飾り職人の仕事に、西洋より渡来した装飾品の技術が融合して完成されたもの。刀の装飾、簪(かんざし)や帯留め、煙草入れなどのための精緻な技術や感性をベースにつくりあげた作品は、西洋の高級ブランド品にも決して引けを取らない。
「ジュエリーは深く人の人生に関わるモノだから、使う人、作る人のつながりを考え、自分たちだけが発信できるものを作りたい」。そんな思いを胸に、日本のアイデンティティをジュエリーに結実させ、世界に発信している米井亜紀子さんにお話を伺った。

西洋のジュエリー文化と、日本の伝統の技と

――最初に、和彫りとジュエリーのつながりについて少し解説していただけますか。

米井 日本のジュエリーの基礎を作ったのは、刀剣や簪(かんざし)、煙草入れなどに金属の細工を施す金工師だといわれています。江戸時代、各藩にはお抱えの金工師がいて、刀の鍔(つば)などを飾る和彫りや象嵌(ぞうがん)といった繊細な装飾の技を競っていました。明治時代になって彼らが仕事を転換していった先に、ジュエリーや器などの金属工芸の製作がありました。19世紀末や20世紀初頭の万国博覧会に日本から出品された金属工芸品の数々は、当時の欧米の人々に驚きと熱狂をもって迎えられ、アール・ヌーヴォーにも多大な影響を与えています。赤銅や青金など色の付いた金属で今にも飛び立ちそうな虫を彫り出すなど、その豊かな表現は本当に魅力的です。

明治時代、鹿鳴館での晩餐会などのためにジュエリー作りが必要になったのでしょうが、おそらく当時の日本の職人は、培った高い技術力を駆使して、見よう見まねで輸入品を再現できてしまったことだろうと思います。以来、日本のジュエリーは基本的に、西洋から入ってきた技術に日本の伝統技術を融合させて製作されてきました。

アイデンティティを表現するジュエリー

――米井さんにとってのジュエリーとは、どのようなものなのでしょうか。

米井 あるときお客様から、「アメリカで暮らしている娘のために、ジュエリーを作りたい」とご相談をいただきました。ジュエリーは、その人の生き様を表すものだと思うのです。そこで、そのお嬢様が日本人としての誇りを持てるような、そんなデザインにしてみたいと考え、金工職人に相談しました。打ち出し、和彫り、七宝などいろいろな技法ができる職人です。

仕上がってきた完成品を見た時に、西洋の借り物ではないオリジナリティのあるモノづくりだということに、私自身ひどく心を揺さぶられました。これが出発点となり、「自分たちの根っこのあるモノづくりをしていくことが必要だ」という確信が芽生えました。多くの日本人が「ジュエリーは西洋のものだ」と何となく考えていますが、私は日本独自のジュエリーが存在すると思っているし、だからこそ、日本人にもジュエリーを身につける意味があると思っています。ジュエリーを身につける意味自体を伝えたいのです。

すべてのジュエリーに、日本の技法を使うわけではありませんが、やはりどこかに私たちの根っこを刻み込みたい。そこで、注目しているのは「鏨(たがね)」の可能性です。
鏨は、金属に彫りを施したり、「打ち出し」といって一枚の板から形を造形したり、模様を施したりなど、日本伝統の金工の仕事には欠かせない道具です。特に鏨で施す和彫りのジュエリーは、シンコーストゥディオの作品の柱になっています。

日本のジュエリーであるからには、日本の感性を吹き込んだモノづくりをしたい。しかし一方で、進化や努力を忘れた「技術」にはあまり意味がないとも考えています。技術は、作る人のためにあるのではなく、今を生きる人のためにこそあると思うからです。ですから常に新しい技術を取り入れた上で、歴史の重みのある技術にも、よりどころを求めたいと考えています。

Hitohira [一葩]

Hitohira [一葩]

――もともとコンピューター会社で働いていらっしゃったそうですね。

米井 私の祖父は下谷竹町(したやたけちょう)、現在の東京都台東区御徒町界隈の大工の棟梁、父は時計職人で時計・宝飾店を営んでいました。祖父や父が外出する時は「火打ち石」を打つような家庭で育ちました。

大学卒業後、コンピューターの会社で営業の仕事をしていました。結婚と出産を経て、おそらく会社という組織が合わなかったのかもしれません。仕事をしなければならなかったので、何となく家の時計・宝石店を手伝い始めました。そこで、日本のジュエリーで西洋の借り物ではないモノづくりができることに気づいたのです。

実は今でも一般的にいわれるジュエリーというモノには非常に違和感を持っています。「富の象徴」としてのジュエリーは、私にとってはあまり意味がないように感じます。日々の生活をひたむきに生きている人に向けて作りたいのです。
だからといって、安価な素材で簡単な工程で作って安くすればいいかといえば、それはまた違う気がします。

シンコーストゥディオのお客様には、外国人の方々も多く、皆さんご自分の感性をとても大切にされています。そして、ダイヤモンドなどを使った豪華なジュエリーを手に入れたいということではなく、作っている人の創造性に引かれ、そこに敬意を払って身につけたいとお考えの方が多いようです。日本でもアート的な感性や、作り手の技術をギュッと詰め込んだような、魂が込められているものに引かれ、「ぜひ、これを身につけたい」という思いを持つ方が増えているのではないでしょうか。
私は、「デザイン」というのは出来上がったモノの形だけではなくて、そこに至るプロセスそのものだと思っています。ですから、どういう人たちと、どのように作っていくかを常に模索しています。職人やジュエリー・アーティスト、エングレーバー(彫金師)、そしてお客様と思いを共有していくことから始めたいのです。

Kakeru [翔]

Kakeru [翔]

――使う側としては、「ここ一番」の勝負の時にお気に入りのジュエリーを身につけると、落ち着いて臨めたりもします。

米井 シンコーストゥディオのお客様はビジネスパーソンとして忙しい日々を送られている女性が多く、残業などで疲れたときにお気に入りの指輪をつけた手元を見て「よし、頑張ろう!」と思う、といったことを語ってくださる方がいらっしゃいます。また、楽しいときや慶び事があるときにジュエリーをお求めになるお客様も多くいらっしゃいます。
こうしたニーズに加えて、さらに私どもでは「打ちひしがれるようなことがあったときや、困ったことが起きたときにこそ、ジュエリーは傍らに寄り添ってくれるもの」ととらえ、さまざまなご提案をしています。常に最も身近に寄り添うもの、それがジュエリーの本来の役割ではないかというふうに考えているのです。

コンセプトを言葉で打ち出す

――常に身近にあって寄り添ってくれるものとしてのジュエリー、というのは新鮮なとらえ方ですね。

米井 今、社会に求められているジュエリーとはどういうものだろうと考えて、テーマを探り、そこからデザインを詰めています。私は、社会にあるさまざまな問題を解決するのがデザインだと考えています。それを表立ってお客様にお見せするわけではなくても、完成に至るまでにアーティストや職人との話し合いがあるわけで、そうしたプロセスを重視しています。

新しくジュエリーを生み出すときは、まず私から今回はこういうテーマにしたいということを言葉にします。
例えば「Tsutsum [包]」というシリーズでは、「丁寧に日常を生きる」というキーフレーズを掲げています。ジュエリー・アーティストの五味和代さん、エングレーバーの宮本輝美さんと一緒に創りあげました。日々の生活を大事にしながら生きていく中で、その日常に溶け込むようなジュエリーとは、という視点を投げかけています。

Tsutsum [包]

Tsutsum [包]

Tsutsum [包]

「Surface [面と線]」というシリーズは、ドイツで活動しているコンテンポラリー・ジュエリー・アーティストの西林佳寿子さんとコラボレートしました。キーワードは「多面性」「多様性」。
シリーズには正方形、長方形、楕円がありますが、いずれも18金のイエローゴールドまたはホワイトゴールドの線による面と面を組み合わせたデザインとなっています。線の外側はつや消しになっていて、中だけちょっと光らせています。そうすることで、見る角度により、あるはずのない面が不思議に現れ出る瞬間が訪れます。まるでそこに薄いガラスが入っているかのように。「いろいろな角度から物事を見つめることで、ハッとする驚きや新しい世界が広がる。人が生きていく上でも、目に見えているものがすべてではない。見えないものが時には真実を語る。既成概念を外して新鮮な目を向けてみよう」といったメッセージを込めています。ワイヤーはどこにでも通すことができるのでさりげなく印象を変えられますし、身につけるだけでシンプルなTシャツコーディネートも、よりスタイリッシュにしてくれるのが「Surface [面と線]」です。

Surface [面と線]

Surface [面と線]

Surface [面と線]

――米井さんのディレクションと、クリエーターの皆さんとのコラボレーションが生きているのですね。

米井 実際にジュエリーを身につける人のことを考えてモノづくりをする。そんな職人、デザイナー、アーティストとの仕事を大切にしています。そういう人と一緒に取り組むと、最終的に出来上がったものの完成度が高い気がします。やはり気持ちが通じ合う人と仕事をしたいですね。ものを創造するにあたり、どちらの方向を向いているかということも、すごく大事なことだと思います。

人と人をつなぐ場をつくる

――米井さんが立ち上げ代表を務めていらっしゃる若手ジュエリー・クリエイターのためのコミュニティ、「ジュエリー・アーティスト・ジャパン」の活動についてもお聞かせください。

米井 「自分のアイデンティティを見つめ直し、社会に必要とされるモノづくりをしよう」と呼びかけて、若手の勉強になるようなことをいろいろ企画しています。人に会う、意識が変わる、ジュエリーを通してこの社会で何ができるかを考えながら仕事をする。そんなふうにジュエリー・クリエイターたちが育っていくと素敵だなぁ、と思っています。

さらにこのたび、「クリエイターズセッションナイト」というイベントも始めました。シンコーストゥディオの世田谷ショップにおいて、ジュエリーを身につける皆さんや街の人々とアーティストが交流できる時間を持ちます。平日の夜、アート、デザイン、クラフトに触れる場として続けていきたいと思います。第1回はコンテンポラリー・ジュエリー・アーティストの前田朝黄(あさぎ)さんをお招きして開催しました。前田さんの作品はボストン美術館やニューヨークのArt & Design美術館に収蔵されており、どの作品にも彼女の想像力と優しいまなざしが注ぎ込まれています。
「新幹線」というたいへんユニークなネックレスがあるのですが、アートでありながら、身につけられるジュエリーでもある作品です。飾って鑑賞することにとどまらない面白さがあって、ストーリーがあり、独自の世界観に感動させられます。この作品が展示のためにボストンから東京に来ていたので、東京にある間に実物を鑑賞する機会を持ちたい、ということで実現しました。

これまで、ジュエリー・アーティストとかジュエリー作家といわれる人たちと、一般のコマーシャル・ジュエリーを売っている人たちは、まったく違う世界で仕事をしていました。私自身は、両者の距離がもっと近くて良いのではないかと感じています。今、ヨーロッパではコンテンポラリー・ジュエリーの祭典といった催しが盛んで、例えばミュンヘンやバルセロナで開催されています。祭典が始まると街をあげてのジュエリー・ウィークとなり、たくさんの人がそれぞれにお気に入りのコンテンポラリー・ジュエリーを身につけて、街へ繰り出します。ギャラリーに集い、ワークショップを体験し、お酒を片手にコンテンポラリー・ジュエリーを眺めながら会話を楽しむなど、ちょっとした非日常を満喫します。

――日本でもそうした催しがあれば、注目を集めそうですね。

米井 三越伊勢丹グループのキャンペーン「JAPAN SENSES」に合わせ、伊勢丹新宿店で「JEWELRY & LIFE」と題したプロジェクトが開催され(2017年)、私たちジュエリー・アーティスト・ジャパンは企画段階からお手伝いさせていただきました。東京を拠点に活動する若手4人のコンテンポラリー・ジュエリー・アーティストたちがJEWELRY(ジュエリー)とLIFE(生活)の新しい価値を提案するというものです。このプロジェクトは、アートとしてのコンテンポラリー・ジュエリーの存在意義を伝え、アートには古い慣習や既成概念に風穴を開ける力がある、というメッセージを発信することに成功しました。身につけるジュエリーというものを通して、一般の人がアートを身近に感じることができるのではないか、と広く問いかけたのです。

プロジェクトに参加することで、若手ジュエリー・アーティストたちは大いにモチベーションが上がったようで、その点も良かったと思っています。彼ら自身が売り場にも立ち、お客様と対話するといった経験を積むことは、いつもコツコツと自分1人で制作しているという世界と違って、ビジネスとして取り組むとはどういうことかを勉強する場にもなったようです。

ジュエリー・アーティスト・ジャパンはボランティアで活動を続けていて偉いね、とよく言われます。でも、私としてはけっこう下心を持って活動しているんですよ(笑)。現時点では、まだビジネスになっていませんが、これからはコミュニティや、人と人がつながっていることが、ビジネス上も重要な要素になるだろうと信じているのです。

――そうした場から、アートを身近に感じさせてくれるジュエリーが生まれる。身につける側にとっても、消費や富の象徴としてのジュエリーではない、これまでにない「出会い」となりそうです。

米井 コンテンポラリー・ジュエリーのアーティストたちは普段使いにつけられるような作品も創っていますし、そういう作家たちが育っていくとさらに層が厚くなるだろうと期待しています。シンコーストゥディオとしても、やはり人々の生活に寄り添った高品質なジュエリーを目指しています。

私の父の実家は、東京の下町である御徒町界隈、旧町名でいうと下谷区竹町というところに代々暮らしていました。あのあたりがジュエリー作りの町になる前から、うちはあそこにずっといたようです。
私にはやはり、職人の仕事やものづくりを大事にしたいという思いがあるし、何となくご先祖様がそのようにささやいているような気もしています。

TEXT:伊川恵里子

米井亜紀子(よねい・あきこ)
シンコーストゥディオ株式会社代表、ジュエリー・アーティスト・ジャパン代表

1966年東京生まれ。オリジナルジュエリーを制作し、地域に根ざしたショップを経営。2012年若手ジュエリー・クリエイターたちのための、ジュエリー・アーティスト・ジャパン(JAJ)というコミュニティを立ち上げる。若手の参加できるイベントのプロデュースなどもてがけている。