学生時代から山に登り、26才でカラコルム山脈のK2(パキスタン、標高世界第2位)登頂に成功。その後、最小限の装備で山に入り、食べるものは山の中でみずから調達するスタイルを「サバイバル登山」と名付け、実践し続けるのが、サバイバル登山家である服部文祥氏だ。

同氏は登山家の顔とは別に、山岳雑誌「岳人」の編集者として都心のオフィスに勤務し、作家活動もしている。第31回三島由紀夫賞候補作品となった小説『息子と狩猟に』では、サバイバル登山家ならではの視点で、極限状態における人間の倫理を問い、現代に生きる人間の本来の姿を描き出した。

最近は、サバイバル登山と都市生活をリンクさせた「アーバンサバイバル」を提唱。家族(妻、子ども3人)と暮らす横浜の家では鶏を飼い、夏は釣り、冬は狩りなど時間を見つけて自然に親しんでいる。自身のやりたいことから目をそらさず、人生を謳歌する生活を続ける服部さんの生き方や世界の捉え方、そして今後について話を伺った。

やりたいことを、人生のど真ん中におく

——会社員とサバイバル登山家をどのように両立させていますか。

服部 趣味とまったく違うことで収入を得ている人だと、そうしたバランスについて考えると思うのですが、僕はやりたいことがお金を稼ぐことにつながるよう、意識してきました。幸運なことに、いまは「文字表現」と「山登り」というライフワークの二本柱が仕事に7、8割リンクしている状態です。

給料をいただくメインの仕事は『岳人』という月刊誌の編集です。雑誌は毎月15日に発売されるので、だいたい月末に校了します。ですから、月頭から10〜14日くらいは結構自由になるんです。校了が終わったら、山に入ります。自分で行なう登山であることもあれば、『岳人』や他の仕事でということもありますが、短ければ3〜4日、長ければ2週間くらいの登山をして、夏は釣り、冬は狩りにも行きます。

登山で家を空けるのは、年に約100日です。他の登山家は、「もっと家にいてください」と家族に言われるみたいですけど、僕の場合はほとんど仕事で行っているから、ありがたいことに家族からは何も言われません(笑)。

サバイバル登山家の服部文祥氏

サバイバル登山家の服部文祥氏

——ご家族の理解があるのですね。月の約半分は会社に出勤しているというのは、意外でした。

服部 自宅がある横浜市内から、勤務地の品川駅まで毎朝通勤していますよ。通勤ラッシュは正直言うと、嫌ですね(笑)。しかし、雇用していただいているので仕方ありません。

満員電車が嫌いなのに、自分がその状況を作り出している1人であるというのは矛盾ですよね。そこに自分がいなければ「嫌だ」と感じることもないし、1人分スペースが空けば同乗者も少し楽になれるとわかっているのに、それができないのがもどかしい。

——それはジレンマですね(笑)。山の中に移住したいと考えますか。

服部 考えるか考えないかと言われれば、やはり考えますよ。しかし、自分が山登りに求める要素、例えば夏は岩魚、冬は野生獣、それに岩とか沢とか――それらが一番良い条件で、高い次元で揃っている場所というのは、なかなかないものです。

それに、僕にとっては文字表現も人生の重要な要素の1つなので、そうした仕事もできる首都圏を拠点に、季節に合わせて全国に移動した方が効率がよい。日本全体を自分のホームフィールドにできますし、その方が今の自分には合っていると考えています。

サバイバル登山家の服部文祥氏

年齢とともに変化してきた、自身の登山観

——さまざまな媒体で、サバイバル登山の魅力を「生きていると感じる」ことと語られていますが、今でも同じ考えでしょうか。

服部 そうですね。ただ、かつてのように、死ぬかもしれない状況を切り抜けたから「生きている実感」があるというのは言葉足らずというか。今はそれがすべてではない気がしています。

若い頃は、かなりアグレッシブな登山をしていていたので、一歩間違えると命に関わる危険もありました。だから、それを切り抜けた瞬間に「生」を実感することは確かにあったと思います。それに、他の人ができないことに挑戦することで、自分という存在を確かめていたような感覚もありました。

しかし、そうした登山はいろいろな意味で続きません。危険なことを平然とやってのけるのは20代までで、僕自身、26才の時にK2登頂を達成してからはだいぶ落ち着きました。年を重ねると身体能力やモチベーションの維持も大変です。何よりも子どもや家族だっている。つまり、失うものがある状態です。そうなると、「本当にリスクをかけてまでやるべきことなのか」と、自分の登山スタイルを冷静に見つめるようになりました。

サバイバル登山家の服部文祥氏

——では、今はどのような気持ちを持って、山に登るのですか。

服部 少し抽象的な話になりますが、ひとたび自然に入ると、生きるか死ぬはもちろん、思っていることを成し遂げられるかということは、ほぼすべてが自分にかかってくるんです。

「その瞬間に大きい自由、究極の自由を感じる。それが登山とか探検とか、自然環境に入って活動することの魅力の中心。その魅力に付随するのがリスク」

と友人の探検家が語っているのですが、本当にその通りだと思います。

人間社会を離れた自然の中で、イメージする通りに身体を動かして、自分が思っている登山ができるのかどうかを試している。その中で、自分の限界に向き合いながら自由を感じる――。「自由」と「生きている」ということは案外結びつくものなのかと、いま思案しています。

夏サバ

冬サバ

服部さんの「サバイバル登山」の様子。最小限の装備で自然のなかへと飛び込む様は、さながら野生動物のようだ

——生と死は、誰にとっても切実なテーマですよね。

服部 そうですね。しかし人は結局、自分がやりたい活動を極めていくしかない。多少リスクがあったとしても、僕はイメージする自分になるために山に登るしかないと思っていました。
そして、生と死だけでなく、人生や才能とは何かということをとにかく時間をかけて考えてきました。もしかすると、登山家はそういったことを深く考えざるを得ない世界にいると言ったほうがいいかもしれません。

——深く考えた結果、どのような境地に行き着いたのでしょうか。

服部 明確な答えがないからわかりません。そもそも生命って何、人間って何、意識って何と、次々に疑問が湧いてくる。でも、そうしたことを突き詰めると、社会の常識や一般的に良しとされるゴールが自分にとって空虚になる瞬間があるのです。

だって、そもそも命が誕生した理由もわからないのに、「早死にしてもったいない」とか、何を根拠にしているんだろうって。すべてを疑い、そのほとんどが解答のわからないまま保留状態なのですが、とりあえずは「生きること」と真剣に向き合うと、「自分の生活を楽しむこと」が解答に向かう道筋だと思えるようになりました。

サバイバル登山家の服部文祥氏

人間世界は「自然」という大きな枠組みの一部

——都市生活でもサバイバル登山のスタイルを取り入れる「アーバンサバイバル」は、どのようなきっかけで生まれたのですか。

服部 僕は自然のなかで生き抜く野性動物のあり方が好きなのですが、街にいる時でもそうした視点で世の中を見たいし、それを実践するのが、少し頭でっかちに言うと「アーバンサバイバル」になりますね。

長く登山をつづけてきて、人間も自然の一部だと考えています。俯瞰するなら、まず自然の法則とか掟があって、その中に法律で囲われた人間社会があるようなイメージです。

しかし現代は、ほとんどの人が法律の枠外に出ることはめったにないので、僕が何を言っているのかいまいちピンとこない人もいるかもしれません。人間社会を出たことがなければ、人権やヒューマニズムがさも宇宙の法則であると考えてしまうのも無理のないことでしょう。

しかし、一旦自然に足を踏み入れると人権やヒューマニズムなんてものは、そこには存在しないんです。自然と人間社会を行き来するなかで、野生動物のように生きたいと考え「アーバンサバイバル」を楽しんでいます。

——「アーバンサバイバル」の魅力はどこにありますか。

服部 一言で言うと、自然環境をイメージした生活であることです。

主となるのは食糧調達で、かつては僕も「食べ物はスーパーで買うのが当たり前」と思っていました。しかし山で狩りをすると、生き物を自分の力で獲って、殺して食べますよね。つまり、生きるとは他の生物の命をいただくことなのだと、リアルに実感できるのです。

他にはどこに寝泊まりするかとか、焚き火で使う薪を集めるとか、そうした生きるためにする行為こそ実は一番おもしろく、五感が刺激されるので、可能な範囲でそれらを人間社会でも実践しています。

人間世界は「自然」という大きな枠組みの一部

人間世界は「自然」という大きな枠組みの一部

自宅のテラスには、狩猟で捕らえた動物の骨や皮がいたるとこに保管されている

——具体的に、横浜のご自宅ではどのような生活をしているのですか。

服部 冬は薪を拾ってきて、薪ストーブを使って暖を取るのも山と同じスタイルです。あと、冬場のタンパク質は山に入って狩猟で調達します。本当は1年中そうした生活ができると思うのですが、家族は僕が獲ってきたイノシシだけでなく、牛や豚も食べたいようです。確かに、子どもの弁当にずっと野生肉を入れるわけにもいかないですよね(笑)。

自宅の庭には家庭菜園や梅、柿、みかんの木があります。あと、鶏も飼っていますよ。大きな声で鳴くので、時々「うるさい」と近所の方からクレームをいただくこともあるのですが、そういう時は産みたての新鮮な卵を持って行くと、大抵許してくださいます(笑)。

愛犬・ナツ

インタビュー中、服部さんに寄り添っていた愛犬・ナツは狩猟時にも活躍する良きパートナーだ

——まさに、サバイバル能力がつきそうな生活ですね。

服部 そうですね、地震のような災害時にも役立ちそうと言われます。自然災害はいつ起こるかわからないものですから、自分の生きる力を試されているのかもしれません。

そういった災害に巻き込まれて亡くなってしまうのは不本意な死ではあるけど、それも自然で生きる生命として、最後は受け入れないといけない。その上で、最初の衝撃を何とか生き延びられたとしたら、思考停止しないでいかに生き抜くかを考え抜けばよいのです。

寝不足・肥満・運動不足にならないこと

——服部さんのライフスタイルに、不可欠なものを教えてください。

服部 もっとも重要なのは、やはり体力や健康です。健康とは、病気になっていない状態ということとは少し違って、本来自分が持っている身体能力を、いつでもすべて引き出せる状態を指すと思うのです。ですから、寝不足・肥満・運動不足は僕のなかではNGです。持てる能力をいつでも最大限引き出せるように自分の体を整え、維持しないといけません。

例え情熱があっても、体力がないと何事も続きません。そう考えるのは、人間社会を離れて山にいる間に、いかに自分ができるパフォーマンスを発揮できるかを常に問われてきたからです。

あとは、自分の行動を客観的に評価する目を持つことも大切です。僕の場合、自分の登山や文章表現がちゃんと価値を持つものであるかということを、自分の欲は一旦横に置いて、冷静に分析する。そのなかでで課題を見つけ、取り組むだけです。仮に上手くいかなくても、行動しないまま一生を終えるよりは、とにかくやってみて才能や運がなかったのだと納得する方がまだ良い。イメージ通りの人生が過ごせないなら、死んでも良いというのが僕の考え方です。

サバイバル登山家の服部文祥氏

——潔さすら感じますが、今後はどのようなビジョンを描いていますか?

服部 文字表現へのこだわり、憧れ、野望……そんなものが、心のなかにあります。今春、『息子と狩猟』という小説が三島由紀夫賞の候補作品になって受賞できなかったのはちょっと残念です(笑)。現在、執筆中の作品があるので納得いくように仕上げて、作家として評価を得たいという思いはあります。

登山については、3ヶ月くらいの長い山旅をしてみたいと思っています。あと、アーバンサバイバルに関しては、いずれ住宅地じゃない場所に小屋を建てて生活したいですね。井戸を掘って、電気は自家発電をする。薪があれば、ライフラインが届かなくても、生活できると考えています。

きっとそんなことを言っているうちにどんどん時間が流れ、気がつくと50、60歳になり身体が言うことを動かなくなるんですよね(笑)。

 

TEXT:小林純子

服部文祥
(はっとり・ぶんしょう)

1969年神奈川県生まれ。東京都立大学フランス文学科卒。大学時代から登山を行い、1996年にカラコルム・K2登頂、1997年の冬から黒部横断を行い、黒部別山や剱岳東面、薬師岳東面の冬期初登攀など、国内外に複数の登山記録を持つ。その後、装備を切りつめ食糧を現地調達する「サバイバル登山」という自ら名付けた独自のスタイルを確立。また、それを街中で実践することを勧める『アーバンサバイバル入門』(2017年、デコ刊)の他、今春、三島由紀夫賞候補に選出された『息子と狩猟に』(2017年、新潮社刊)など作家としても活躍中。