石川さん

近年、耳にする機会が増えた「ウェルビーイング」という言葉。これは、人がより良い人生を送るために生まれた新時代の概念だ。そんな新しい概念を「学問」として捉え、日夜研究に没頭しているのが、予防医学者としても知られる石川善樹氏だ。

生き方に関して多様性の尊重が求められる一方で、自らの指針を見いだせず戸惑っている人も少なくないだろう。そんな時代に、石川氏が提案する「ウェルビーイングな生き方」とは、どのような考え方であり学問なのか。医学の枠を超え、次世代の価値を作り出そうとしている石川氏に、ウェルビーイングの定義やさまざまな企業の取り組み、私たちが日常生活でできることなどについて話を伺った。

ウェルビーイングは、地域や人種によっても異なる

――ここ数年、「ウェルビーイング」という言葉をよく耳にするようになりましたが、その概念をしっかり理解できている人は少ないように思います。まずは、その定義について教えてください。

石川 ウェルビーイングを直訳すると、「最適な状態」といえます。もう少し正確に言うと、「幸福」と「満足」を掛け合わせた概念と思ってください。

――「幸福」と「満足」は似ているように思えますが、違うのですか?

石川 こまかい違いを大事にするのが僕ら研究者で(笑)、これまでの研究によれば、幸福は日々の「体験」と強く関連していることが知られています。たとえば、よく笑ったなとか、悲しいことがあったなとか、そういう日常のポジティブ/ネガティブな「体験」と関連しています。

一方で満足は、そういう日々の生活をどのように「評価」するかというものです。たとえば、自分にとって最高の生活を10点、最低の生活を0点としたとき、今の生活は何点だろうか、と「評価」した値が満足度と強い相関を示します。

ちなみに面白いのが、幸福と満足は、必ずしも一致するわけではありません、アメリカ人を例にとると、日常生活ではそこまで「幸福な体験」をしていないものの、自分たちの生活は満足いくものだと「評価」していることが知られています。

ただ、このようなことが分かってきたのは最近のことで、これまで「ウェルビーイングとは何か?」という問いは、宗教や哲学でしか考えられてきませんでした。つまり「ウェルビーイング」は、科学の対象にはなっていなかったんです。しかし、2000年頃からようやく一つの学問として研究の対象になってきました。

とはいえ、今ご紹介したこのウェルビーイングの測定方法は、ギリシャ哲学の影響を大きく受けていると考えています。

石川さん

――どんな点で、ギリシャ哲学の影響を受けているのでしょうか?

石川 この測定方法は、基本的に「上にいけばいくほど良い」という考え方です。たとえば、幸福も満足も、たくさんあればあるほどいいというものです。

しかし、仏教の価値観で見た場合、異なる見解があります。仏教では、不満が少ないこと、幸福に執着しないこと、苦しみは避けるのではなく受容することだと教えています。この影響からか、実際、日本人のウェルビーイングを測定すると、それがデータとして如実に表れます。

例えば、日本人の方に現状について訊いてみると、「よく笑っている、よく楽しんでいる」というポジティブな体験が少ない反面、「苦しい」というネガティブな体験も少ない。そして、「評価」の観点で見てみると、現状を低く評価する人がほとんどです。このように日本は、ネガティブ体験の少なさでは世界トップランクなのですが、ポジティブ体験が少なく、また日々の生活評価も低いため、総合評価では世界54位(157か国中)という現状です。

地域によって宗教観や哲学観は異なるため、それに合わせてウェルビーイングの測定法は変えるべきです。しかし、現時点では西洋の学者がギリシャ哲学をベースにして開発した測定法しか存在しないため、見落とされている部分がたくさんあります。

これから世界で人口が最も多くなるといわれているのはイスラム教徒ですが、彼らの宗教観、哲学観も我々とは異なります。このように、地域や文化によって価値観も考え方もまったく異なるなかで、そこで暮らす人々がよりウェルビーイングな状態に近づくために研究をすること。それが、私のすべきことだと考えています。

――石川さんがウェルビーイングを研究するようになったきっかけとは何だったのでしょうか?

石川 父の影響ですね。医師としてIllness(イルネス)を対処していた父は、ある時一念発起してハーバード大学に留学し、Wellness(ウェルネス)の研究をはじめました。当時まだ幼稚園児であった私に、「誰もWellnessの研究していないぞ!だからお父さんはやるんだ!」と言っていました。それがなんとなく頭にあったんでしょうね。物心ついたころには、「自分もWellnessの道を歩むぞ!」と思っていました。

その後、大学に進んだ私は、WellnessとBeingという2つの概念がくっついた、ウェルビーイング(Well-Being)に取り組み始めたのですが、すぐに諦めました(笑)。 というのも2000年代初頭の当時は、まだウェルビーイングについての知見が少なく、「もうちょっと経ってから取り組もう」と思い、科学者としての基礎トレーニングをすることにしました。

機が熟し始めたなと思ったのは、2010年のこと。ようやくウェルビーイング研究も知見がそろい始めていました。また、私も研究者としてようやく独り立ちできるようになった頃で、「やっとやりたいことができる!」と心躍ったのを今でも覚えています。

石川さん

企業におけるウェルビーイングの重要性

――予防医学とウェルビーイングとの間に、関連性はあるのでしょうか?

石川 そもそも、予防医学はウェルビーイングと共に始まったといっても過言ではありません。戦後に誕生したWHO(世界保健機構)は、「健康とは何か?」という問いに対して、次のような定義を行いました。

「健康とは、単に疾病がない状態ではなく、肉体的・精神的・社会的に完全にWell-beingな状態である」

このような定義を行ったからこそ、予防医学の研究者たちは「肉体」、「精神」、「社会」の各流派に分かれてそれぞれの角度からウェルビーイングを追及していくことになります。たとえば、「肉体」派は運動の大事さを主張します。「精神」派はストレスの少なさや生きがいの重要性を、「社会」派は格差の縮小やソーシャルキャピタルについて言及します。

しかし不思議なことに、「ウェルビーイングは何か?」という本丸については、意外と手をつけずに来たのが予防医学です。それよりも、「イルネスの少なさ」をゴールに置いてきたように思います。

だからこそ私は、WHOの本来の定義たる「健康」を目指したいし、また父の意志を引き継ぐ形で、「ウェルビーイングとは何か?」という問いに向き合っているのです。

――石川さんの観点では、企業におけるウェルビーイングとはどういったものでしょうか?

石川 たとえば今の「働き方改革」は、「残業時間を減らしましょう」「副業を認めましょう」というように、働きやすい環境をどのようにつくるかに注目が集まっています。可能な限りマイナス要素を減らしましょう、という動きです。それは、病気を減らそうとする今の臨床医学にも似ている気がしています。

しかし本来、「働きやすい」環境をつくることと、「働きがいのある」環境をつくることは似て非なるものです。「働きやすさ」と「働きがい」は車の両輪のようなもので、うまくバランスをとっていかなければならない。

石川さん

たとえばある企業での話ですが、働き方改革の一環で「22時には帰りましょう」という方針を定めていました。なかには「やらなければいけない仕事」を片付けた後に、本当に「やりたい仕事」に時間を割こうとしている人もいますが、22時になると一斉に帰宅を促されてしまう。すると、仕事時間のほとんどを、やらなければいけない仕事だけに費やすことになってしまいます。労働時間は短くなっている反面、働きがいがあるのかというと疑問が生まれます。ウェルビーイングの観点では、そのどちらも考えていく必要があります。

政府主導の働き方改革は、ブレーキをかける役割を担っています。過酷な労働時間を減らす、ストレスチェックや健康診断を推奨するといったものですが、働きがいを生み出すというアクセル部分を担うのは、それぞれの企業の自助努力に任せています。しかし、国も企業も現状では適切な答えを持っていないため、そこに私たちウェルビーイングの研究者が入っていく必要があるんだと思います。

――単純に労働時間を減らせば、ウェルビーイングが向上するという話ではないんですね。

石川 うーん、それは正直わかりません。労働時間を減らすことが、社員のウェルビーイング向上につながる企業もあるでしょう。今の段階でいえるのは、企業のウェルビーイングを考えるならば、「測定すること」が一番重要だと思います。そもそも測定しなければ、PDCAが回っていかないですからね。

たとえば私がサポートしているある企業では、社員全員のウェルビーイングを毎日測定しています。パソコンにログインすると、ウェルビーイングに関するさまざまな質問の中からランダムに1問だけ表示され、一人ひとりの状態を測定していく。その回答と勤怠状況などの他の情報を組み合わせていくと、さまざまなことが見えてきます。

周囲に合わせるのではなく、自分のとって大切なものを見つける

――現在、ウェルビーイングを測定する手段としては、どのようなものがありますか?

石川 アンケートが主流ですが、最近はテクノロジーを活用したものも登場しています。たとえば日立では、体の動きからウェルビーイングを測定する機械が開発されています。ほかにも、SNSの投稿から本人のウェルビーイングを推定するものもありますし、会話の声からウェルビーイングの状態を予測するものもあります。既にさまざまな測定方法がありますが、そのなかで最適なものはどれかを、今後見定めていくことになるとは思います。

――たとえば、IBMではTwitterの投稿から性格を分析するAI技術がありますが、そうしたテクノロジーの発展もウェルビーイングに関連してくるのでしょうか?

石川 関連すると思います。ただ、先ほど申し上げたように、今のウェルビーイングはギリシャ哲学に礎を置いているので、仏教やイスラム教など、さまざまな哲学・価値観を取り込み、グローバル・スタンダードとなる指標を創っていかなければなりません。

石川さん

――国民性の違いなどを踏まえると、ウェルビーイングの基準を設けるのが難しそうです。

石川 だからこそ、それに取り組みたいんです。そもそも科学者の役割は、そのような違いを強調することではなく、共通項を見つけていくことが役目だと思うからです。

――私たち一般の人が、日常生活のなかでウェルビーイングを向上させるためにできる取り組みはありますか?

石川 うーん、具体的なアドバイスをするとたくさんありすぎるので、回答に困りますね(笑)。なので、指針となるような抽象的なことを一つだけ挙げるなら、「自分にとってよい人生/暮らしとは何か?」を考えることではないでしょうか。

もっとわかりやすくいうと、「自分のスタイルって何だろうか?」を明らかにすることだと思います。スタイルを見つけるには、「衣食住」について考えてみるのが分かりやすいかもしれません。自分にとってよい服、よい食、よい住まいとは何か。そういう身近なことに対して、自分なりのスタイルを持つことから始めてみてはいかがでしょうか。

TEXT:五十嵐 大

石川善樹(いしかわ・よしき)

予防医学研究者、博士(医学) 1981年、広島県生まれ。東京大学医学部健康科学科卒業、ハーバード大学公衆衛生大学院修了後、自治医科大学で博士(医学)取得。(株)Campus for H共同創業者。「人がよりよく生きるとは何か(Well-being)」をテーマとして、企業や大学と学際的研究を行う。専門分野は、予防医学、行動科学、計算創造学など。 @ishikun3 http://yoshikiishikawa.com/