初めて見るのにどこか懐かしい――奇想天外な建築で世界を魅了する藤森照信氏から見た「日本建築の遺伝子」とは?

これはまるでジブリの世界?――
左右2本の垂直に立てられた柱に、ワイヤーで吊っただけの「空飛ぶ泥舟」、 地上から6mほどの高さに、小さな茶室を乗せた「高過庵」など、見る者を驚かせる一方でどことなく懐かしく郷愁を誘う建築がある。世界中の多くの人が、驚嘆とともにSNSに写真を投稿したくなる建築を生み出してきた藤森照信氏による作品だ。藤森氏は、建築家・建築史家であり、江戸東京博物館の館長も務める。
現在、東京六本木の森美術館で開催中の「建築の日本展:その遺伝子のもたらすもの」(※)の監修にあたった藤森氏に、日本建築の伝統と遺伝子、そして自らの建築について伺った。

(※)9月17日(月)まで開催

新石器時代のインターナショナリズムと、21世紀のそれ

――藤森さんの建築は、国の内外を問わず多くの人が写真を撮ってSNSに投稿しています。こうした建築の発想は、どこから生まれるものなのですか?

藤森 自分でも分からないのです。なんでこうなるの、と本当に不思議です(笑)。
いいイメージが湧かなくて、これもだめ、あれもだめと試行錯誤しているうちに自然に生まれてくるのです。

空飛ぶ泥舟(長野県茅野市)/写真:藤森照信氏

空飛ぶ泥舟(長野県茅野市)/ 写真:藤森照信氏

故郷の長野県茅野市に建てた高過庵(たかすぎあん)は、きっと昔どこかで見た絵や写真に木の上の家があって、そのイメージが頭にあったんでしょうねぇ。ふと高い木の上に茶室があったら面白いだろうなという、そんなちょっとした思いつきがヒントになり、新しいイメージへとつながっていったのです。

高過庵(長野県茅野市)/写真:藤森照信氏

高過庵(長野県茅野市)/ 写真:藤森照信氏

――現地に行ってそこに立ったらイメージが浮かんでくるとか。

藤森 いえいえ、そんなに楽なものはではないです。滋賀のラ コリーナ近江八幡は、施主から「丘を作ってほしい」と言われたのです。そのように施主よりリクエストをいただくこともあります。

ラ コリーナ近江八幡 草屋根(滋賀県近江八幡市)/写真:藤森照信氏

ラ コリーナ近江八幡 草屋根(滋賀県近江八幡市)/ 写真:藤森照信氏

多治見市モザイクタイルミュージアム(岐阜県多治見市)/写真:藤森照信氏

多治見市モザイクタイルミュージアム(岐阜県多治見市)/ 写真:藤森照信氏

――幼少期の体験というのも関係しているのではないでしょうか。 

藤森 間違いなく何かあるのでしょうね。故郷で毎日見ていた光景が染み付いていて、自分の中に造形的感覚となって潜んでいて、それがある時、現実化してくるのだと思います。でも、それがどういうタイミングで出てくるのか、自分でも分かりません。
自然の素材を使うので、形と関係なくどの景色にもなじむのかもしれない。その場所の自然の中で育った素材を使い、自然の中で造るから、そこに最初からあるかのように見えるのかもしれません。

藤森さん

――SNSの投稿を見ると、老若男女を問わず世界の人が藤森建築に魅了されていますね。

藤森 彼らを魅了しているのは、実は日本の伝統とは限らないものですね。石、草、木など、日本の伝統の遥か昔からそこら辺にあったものなので、世界中の人が素直に面白がってくれるのでしょう。石、草、木は、世界中どこにでもありますよね。それほど大きな違いはないです。日本の砂浜の砂と世界の砂漠の砂、違いは量の問題です。国や地域ごとの文化の違いが出てくるのは、ピラミッド建築など青銅器時代の四大文明以降です。それ以前の新石器時代は、どこの地域も同じ、石と草と木です。私の建築は、世界を文明や文化で分ける以前の素材で造られているので、多くの人が共感してくれるのでしょう。
そういった点では、21世紀の新たなインターナショナリズムですかね。でもそれは、新石器時代の最初のインターナショナリズムが、私の中で確立されているということなのです。

――出身地である茅野からは、「縄文のヴィーナス」はじめ多くの縄文時代の土偶や埴輪、土器が出土しています。そうした環境は何か影響していますか?

藤森 確かに新石器時代の中心的な場所だったかもしれません。でも私にとっては、たまたま。そこで育てば誰でも独創的な建築家になるかというと、そうではないですよね(笑)。
ただ確かに、言われてみると大学に入って外の世界に出て初めて、自分は特殊な自然信仰の地で育ったんだなあと気付きました。諏訪大社の御柱には、まさに新石器時代のスタンディング・ストーンに通じるものが感じられます。空に突き刺すように伸びる柱のイメージが、「高過庵」や「空飛ぶ泥舟」へと連なっているのかもしれません。

縄文時代から深く根付いている何か、日本人は割合文明国の中では珍しくそれを温存している民族です。文明が独自の形態として成立する以前の自分たちの文化が、すでに縄文時代にあったことに最初に気付いたのは、岡本太郎でした。

藤森さん

海外文化と日本的伝統文化の遺伝子が融合

――東京・六本木の森美術館で、藤森さん監修の「建築の日本展:その遺伝子のもたらすもの」が開催されています。この展覧会のテーマや狙いについてご紹介いただけますか。

藤森 日本の現代建築は、世界のトップ集団を走っていると思っています。海外の方から見ると、そこに何か日本の伝統を感じると言う人がいる。建築家の方でもそう言及する人もいれば、そうでない人もいます。日本の建築史の中で、日本の伝統とは何なのか、建築との関係性を探ってみよう、というのが全体のテーマです。建築家個人の展覧会、特定のカテゴリーに沿った展覧会は、これまでもあったと思いますが、日本の伝統とは何かを建築に求めたものは珍しいのではと思います。

――日本の建築とは、どこから始まったのでしょうか。

藤森 縄文住居から始まったと考えます。建築は大きく分けると、住宅と記念碑からなります。住宅やオフィスビルなど人が生活するためのものと、神社やお寺などの宗教施設の2系統があるととらえて、流れを追っていくと分かりやすいと思います。

住宅は縄文住居が、記念碑は神社や古墳が日本的伝統の起源となるでしょう。そこから現代の建築までその遺伝子の関係性を克明にたどることは今回の大きなチャレンジだと思います。建築の展覧会の難しいところは、建築の現物そのものを美術館内に持ってこられないということです(笑)。
ですから、写真、図面、模型などを使って見せていく。今回、私も初めて見るような貴重な資料もたくさん展示してあります。絵画の展覧会とは違い、壁いっぱいに飾られているので、皆さん驚かれます。

そしてやはり重要なのは、建築は立体的なものなので、写真や図面だけでなく模型で見せることです。古代の出雲大社の本殿や丹下健三邸など、今では現存しない過去の建築も模型で見ることができます。丹下の自邸は、同じ建築材を用いて3分の1のスケールで再現しました。模型としてもかなり大きいので、これで実際の姿を思い描いていただければと思います。

また、実際に中に入って体験できるものとして、千利休作と伝えられ、現存する茶室建築としては日本最古の国宝「待庵」を原寸大で構築しました。ぜひ中に入っていただき、利休が創り上げた空間を感じ取っていただければ幸いです。

藤森さん

――木造建築の宿命として、災害などで壊れてしまったり、また老朽化によって残っているものが少ないように思えますが。

藤森 京都や奈良の神社仏閣など、1000年以上前に建立されたものが今も残っているケースもたくさんあります。本当に古いものは、かえってきちんと残っている。むしろ、近現代の木造建築の名作は、災害や戦災によって失われてしまったものもありますが、再開発などによって壊されてしまったものが多いですね。日本人は、新しいもの好きで、そのアイデンティティーを都市や建築に求めず、山河など自然に求めているのではと思います。
古い木造建築は耐震性がないから残せない、と言っているのは、壊す側の人の都合ですね。現代の技術をもってすれば、壊さずとも補強することはできるはずです。ただ、どちらに経済的優位性があるか、その天秤にかけられた時、古いものを壊して新しいものを築くことが優先されるのでしょう。

藤森さん

――明治以降、多くの外国人建築家が来日しました。それ以降、日本の建築にどのような変化があったのでしょうか?

藤森 日本の建築史上、大きなインパクトはこれまでに3回あったと考えています。
最初が飛鳥時代の仏教の伝来、2つ目が安土桃山時代のヨーロッパ文化の流入、最後が明治時代の文明開化です。

飛鳥時代は、仏教とともに仏像や寺院建築という新しい文化が入ってきました。これまでの日本の伝統とは全く異なるものが入ってきたのです。建築上もものすごい変化が起きたと思っていますが、6~7世紀の飛鳥時代の木造建造物は世界を見回しても法隆寺しか残っていません。このため、いったいどのような変化が起きたのかは現在では比較する術がありませんが、いろいろなことが起きてあの法隆寺になったのだと思います。

安土桃山時代は、織田信長の安土城に代表されるようにヨーロッパ文化との激突が起き、それが日本の伝統と融合して新しいものを創造しました。茶室が生まれたのもこの頃です。

最後にして最大のインパクトは、明治時代に起きました。コンドルなど著名な建築家が多数日本を訪れ西洋の建築技法を伝授しましたが、日本が国を挙げて誘致したため、中には怪しい建築家がたくさんいたのです。「怪しい」というのは、建築家ではないという意味です。水道技師や土木技師など他の技術を持った人々で、実はそれがとても面白い建築を多数生み出しました。そんな怪しい建築家の持ち込んだ技術を、日本の粋な大工たちが自分たちの伝統の中に取り込み、大変ユニークな「擬洋風建築」を生み出したのです。旧開智学校や旧中込学校など、小学校の建築に多く残っています。

日本のペンションや別荘などの建築に、白く塗った板を段状に積み重ねた板張りの様式(下見板コロニアル様式)が多く見受けられますが、このアメリカ開拓民の木造様式がなぜか日本で多く定着しました。特にアメリカと建築的に同じ開拓の歴史を持つ北海道に、この様式の建築がたくさん造られました。代表的なのものが札幌の時計台です。
日本の建築は、昔から海外からの多様な影響を受けてきましたが、そのまま輸入するのではなく、日本の伝統に根ざした遺伝子と上手に融合してきました。その1つが擬洋風建築です。とても面白いですよね。

藤森さん

――建築史家の藤森さんから見て、日本の近現代で画期的な建築は何でしょうか?

藤森 たくさんあって挙げるのは大変ですが、あえて1つ選ぶとすれば、丹下健三の代々木オリンピックプール(国立代々木競技場)でしょう。これは、20世紀後半の世界の最高傑作だと思います。世界遺産にするべきと思いますね。世界の建築に与えた影響は、はかりしれません。
技術的にも大変難しい吊り構造、そして構造体を表面として見せる20世紀建築の理想を実現しました。構造表現主義と呼ばれるものですが、構造や材料を隠さずに表面に出して、なおかつ美しく見せたものです。

建築だけではなく、そこにいる人間の営みを感じてほしい

――ところで、藤森さんは1993年に江戸東京博物館が創立された当時から、内部に展示されている建築物などに関し、建築家として、また建築史学者として携わって来られ、2016年7月からは館長をなさっておられます。ここでは江戸、明治、大正、昭和とさまざまな時代の東京を見ることができてとても興味深いのですが、東京という都市についてどのようにご覧になっていますか?

藤森 街並みはすごく変化したように見えるし、実際建物は変わっていますが、皇居が中心にあり、そこから同心円状に街が広がっているという姿は、基本的には江戸時代から変わっていないと思います。

――江戸東京博物館には、多くの方が来場されていますが、どういうところを見てほしいですか?

藤森 多くの建築物を再現しているのでそれを1つひとつ見てほしいですが、ぜひそこから当時の人々の生活を感じとっていただきたいですね。
江戸時代の長屋や、戦後高度成長期の郊外の公団住宅、そこにどんな家族がいて、そこにある調度品や家電、生活用品をどう使い、どんな会話をして、どう暮らしていたのか、思いをはせていただければと思います。団地の一室の再現など、よくご覧になってください。細部まで本当にしっかり再現されており、懐かしい方は多いと思います。

下町の庶民住宅(復元年代:昭和初期)/写真提供:東京都江戸東京博物館

下町の庶民住宅(復元年代:昭和初期)/ 写真提供:東京都江戸東京博物館

ひばりが丘団地/写真提供:東京都江戸東京博物館

ひばりが丘団地 / 写真提供:東京都江戸東京博物館

館内を案内している時、よく話題になるのは、各時代の給食の展示です。これには地域差もかなりあるんですよね。「うちの田舎は、東京のように豪華じゃなかった」など、話に花が咲きます。

もう1つ、明治10年代後半の銀座の煉瓦街を再現した模型ですが、ぜひ銀座通りを行き交う人々に注目してください。よく見ると喧嘩をしていたり、人力車が倒れて警察沙汰になっていたりと、その当時実際にあった出来事を記録から再現しているのです。着ている着物の縞の柄なども、当時使われていたもので、それを写真に撮って薄い粘土にプリントして人形に着せています。当時の生活の記録としても、そうした細やかな細工をほどこした人形としても、まさに文化財だと思います。その時代の市井の人々の生きた記録としても、大変価値が高いものです。

銀座煉瓦街/写真提供:東京都江戸東京博物館

銀座煉瓦街 / 写真提供:東京都江戸東京博物館

――東京の建築物もどんどん新しくなってきています。そんな中、日本橋の高速道路撤去の話も出ていますが、建築家は建築と景観をどのように考えているのでしょう。

藤森 考えていないんじゃない?(笑)。いやいや、考えてはいるのでしょうけれど、建物を景観に合わせようとしていないですね。どう合わせようかと悩んでいる建築家もいるでしょう。また、そもそもこんな景観に合わせられるかと最初から諦めている人もいるでしょう(笑)。

日本の都市の景観は、もうぐちゃぐちゃです。前回のオリンピックの時、日本橋の上に高速道路を通すという計画に反対した人はほとんどいませんでした。景観論争など全く起きなかったですね。古いものは壊して新しいものを造る、高速道路が都市の真ん中を空中突き抜けて造られているのは日本くらいなものですよ。
日本人は、建築物より土地が大事。これほど土地信仰が強い国はないと思います。地震や火事など災害の多い歴史を持っているので、壊れてしまう建築物より無くならない土地により価値を置くのかもしれません。

――今後、造りたい建築はありますか?

藤森 ずっと前から思っているのですが、1本の巨大な樹を彫っていって家を造りたい。巨大な樹を持ってきて、玄関から順に廊下、トイレ、部屋、台所、階段と彫り進め、1軒の家を完成させます。でも、そんな樹がないの(笑)。
継ぎ目のない木の空間、そんな場所で暮らしてみたい。木は、いいよねえ。軽いし、曲がるし、薄く削って透かすこともできます。木の温もり、木の香りに包まれて過ごせるといいですね。

藤森さん

TEXT:栗原 進

藤森照信 (ふじもり・てるのぶ)
建築史家、建築家、東京大学名誉教授、工学院大学特任教授、東京都江戸東京博物館館長

1946年長野県生まれ。東京大学大学院工学系研究科建築学専攻博士課程修了。1983年、『明治の東京計画』(岩波書店)で毎日出版文化賞受賞。1986年、赤瀬川原平、南伸坊らと路上観察学会を発足。1991年「神長官守矢史料館」で建築家デビュー。1997年「ニラハウス」で日本芸術大賞、2001年「熊本県立農業大学校学生寮」で日本建築学会作品賞を受賞。 土地固有の自然素材を多用し、自然と人工物が一体となった姿の建物を多く手掛けている。近作に「多治見市モザイクタイルミュージアム」や、「ラ コリーナ近江八幡」の「草屋根」「銅屋根」などがある。 著書に『日本の近代建築』(岩波新書)、『フジモリ式建築入門』(ちくまプリマー新書)、『藤森照信建築』(TOTO出版)など多数。