「東京カフェブームの草分け」が語る、流行に左右されない価値観の作り方

たくさんカフェが集まる街、東京。なかでも1990年代後半から、駒沢に「Bowery Kitchen」、表参道に「Lotus」や「montoak」などをオープンし、東京カフェブームの草分けとされる人物がいる。空間プロデューサー・山本宇一氏だ。宇一氏が手がけたカフェはいずれも人気店に成長し、流行に左右されない確かな価値で多くの人々が集っている。

しかし、それは簡単にできることではない。情報があふれる時代において、自分の直感や感性を信じるのは非常に難しいからだ。だからこそ宇一氏は「じかに体験すること」の大切さを説く。見知らぬ街、地図には載らない路地裏、初めて訪れる店――そういった未知との出会いが、多くの人々を魅了するセンスを構築するという。

宇一氏はどのような道のりを経て、現在の場所へとたどり着いたのだろうか。その過去、現在、未来への軌跡を追った。

さまざまな世界に触れて育った子ども時代

――山本さんは東京のカフェブームの草分け的存在として知られています。

山本 そう言われることも多いんですが、飲食業に携わるようになったのが29歳で、1店舗目の『Bowery Kitchen』(東京・駒沢)をオープンしたのが34歳の時だったので、キャリアのスタート自体は遅かったんですよ。

山本宇一氏

空間プロデューサーの宇一氏

――それまでは何をされていたんですか?

山本 都市計画や地域開発に関わる仕事をしていました。そこに至るまでも、流れに任せて生きてきたような感じです(笑)。

――意外です、飲食に関わる専門的な勉強をされてきたのかと思いました。

山本 いいえ、やりたいことが見つからなかったから大学には進学しなかったんです。振り返ると、自由な気風の家に生まれ育ったと思います。祖父は医師、父はカメラマンと家族でまったく異なる生き方をしていましたから、僕の人生も尊重してくれていたのかもしれません。

父がファッション誌の仕事をしていた関係で海外ロケに行くことも多く、たびたび僕を一緒に連れて行ってくれました。一方、祖父は浅草や銀座が大好きな “粋”にうるさい人で、僕が蕎麦を食べるのを見て「そんなにつゆに浸して食べると、蕎麦の味がわからなくなるだろう!」とよく怒られていました(笑)。幼いころから特異な体験ばかりさせてもらったので、同級生たちよりも少しませていたように思います。

――個性あるお祖父様、お父様に連れられ、さまざまな世界に触れてきたのですね。

山本 そんな風に大きくなってきたので、昔から友だちは多かった。高校を卒業してプラプラしていると、そのうち知り合いに誘われて、ある都市計画の研究所に入ることになったんです。当時はまだバブル景気の前でリゾート開発なども盛んだったから、たくさんの都市を実際に訪れて企画を考えました。祖父や父に連れられてさまざまな街を見てきた経験が活かされました。

山本宇一氏

未経験ながら、一心に飛び込んだ飲食業界

――では、どのようにして飲食業界に足を踏み入れたのですか。

山本 前述した都市計画は非常に大きな事業で、実際に工事が始まるころには僕の手を離れてしまうことも多く、当然ですが一つひとつの店づくりにまで関わることはなかなかできませんでした。しかし、次第にお店のコンセプトや席数など具体的なことを考えるほうが面白いのではないかとなり、それならば飲食業に挑戦しようと考えたのです。

ただ、まったくの未経験でした。だから西麻布にある「SARA」というレストランで、飲食業について勉強することにしたんです。当時は24時間営業で、朝7時に満席になるような人気店でした。そこで働くうち、お店をどうプロデュースすればいいのか次々にアイデアが湧いてきたので、社長がいないときを見計らって内装も制服も料理も盛り付けも、すべて自分でアレンジしていたんです。

――それはなかなか大胆ですね!

山本 基本的に遅番で入っており、シフトをあがるときにはすべて元に戻していましたから、他の人に知られることはありませんでした。

ある日、お店の改装をすることになったんですが、そのときに初めて自分の意見を言いました。「ビストロはちょっと古い」「世界中のビールを置いて、それに合う料理も用意したらどうか」など、当時、誰に頼まれたわけでもないのに、内装やコンセプトに関することまでお店の改善案をノート1冊にまとめていたんです。それを社長に見せたら、「その通りにしよう!」となって。業界未経験だったから生意気に思った人もいたと思いますが、最終的にはお店の名前も「インターナショナルカフェ SARA」に変更してもらったんです。

――大変良いセンスをお持ちだったんですね。

山本 センスというよりも、やる気がありました。飲食業界で生きていくために店に入ったので、他のスタッフとモチベーションが違ったと思いました。

どんな職場にもよくある話ですが、みんなお給料についての不満を言うんですよ。だけど、愚痴ってばかりでは意味がない。だから、お店の仕入れや家賃、光熱費を計算したうえで人件費を算出して、他のスタッフたちに説明してあげたんです。「これで嫌だったら、もう自分で(店を)やるしかないですよ」って。さっきの改修アイデアもそうですが、本当に生意気な奴ですよね(笑)。

特に勉強をしたわけではなかったけれど、このように経営者感覚を持っていつも現場に立っていました。そうした経験を経て、34歳の時、「Bowery Kitchen」を出店し、独立しました。

山本宇一氏

一本道ではなく、“公園”のように開かれた人生

――山本様は幼いころからの経験と社会で学んだことを掛け合わせながら、やりたいことを仕事にされたのですね。

山本 僕の人生は「公園」のようだと感じています。公園って入口がいくつか存在して、どこからでも入れますよね。公園には花壇や、池や、小山があって、僕はそれをぐるぐる回って寄り道しなら、お気に入りの場所を見つけると立ち止まって。そのようにして、やりたいことを仕事にしました。

でも、いまの若い人は「人生は一本道の王道」と思い込んでいる。例えばカフェを出したいと思ったら、すぐに飲食関連の学校に入学するでしょう? そこで同じことを学んでいるクラスメイトはある意味ライバルですから、みんながみんな成功できるわけではありません。ならば視点を変えて、違う世界に飛び込んでみる。そこで友だちをたくさんつくるのも、将来につながるのではないでしょうか。

――若い方が一本道の人生を歩みたがるのは、間違うことを極端に恐れるからかもしれません。

山本 その気持ちは理解できます。しかし、通っている学校の先生が「良い」とか「正しい」とか教えてくれるものを疑問もなく取り入れるだけでは、道は開けません。それよりも、迷ったり寄り道したりしながら得た発見から、本当に良いもの、価値のあるものを自分で見出すべきです。

だから僕は、確固とした目標があってそのための学校に通っている人には、逆に「すぐ辞めてしまいなさい」と言います(笑)。それにコーヒーの入れ方なんて、努力したら自分で勉強できますから。

山本宇一氏

30度を超える真夏日にもかかわらず、宇一氏がチョイスしたのは「アメリカーノ」

――自分の感性を信じることが一番大切ということですか?

山本 その通りです。幼少期に海外文化に触れたことがきっかけになっているのですが、僕は昔から「流行り」には絶対乗らないですね。アメリカと日本で流行っているものがまったく異なる様子を目の当たりにして、流行を鵜呑みにしてはいけないと悟りました。国だけでなく、年代によっても何が受容されるか当然変わってきますから、信じられるのは結局自分の感性なんです。

――このお話は飲食業だけでなく、企画職のビジネスマンにも通じるものがありそうです。

山本 20代で都市計画に携わっていたとき、何度も「その企画、つまらないね」と言われたことがあります。たぶん誰でも思いつくような企画だったのでしょう。自分の知っていることとみんなの知っていることが一緒だから、面白い企画が生まれない。それを脱却するには、やはり回り道をしながらでも「他の人が見ていない景色」を目に焼き付けるべきです。

そうした習慣づけは、何歳になっても始められます。街のなかを見渡せば、すでに流行しているモノやサービスには、ものすごい行列ができています。だからといってそれが「良い」ものだと安易に考えず、自分が本当に「良い」と信じるものをひたすら突き詰めていくプロセスが大切です。

そうすることで、やがて自分が心から「良い」と信じるものが、多くの人に受け入れられる“出番”が巡ってくるのだと思います。

――自分が「良い」と信じるものを見つけるには、どうしたらいいでしょうか?

山本 実際に体験してみるの一言に尽きます。例えば、初めて訪れた街の路地をさまよって、偶然見つけたお店からインスピレーションを受けることだってあります。そういう運命的な出会いを求めるならば、やはり「現場」に出かけてみてほしい。

いまはインターネットを使えば、誰でも等しく情報を手にできる時代です。しかし、それが弊害になる側面もあります。何かを検索しても、結局行き着く先はみんな一緒。「自分が知っていること」は「すでにみんなが知っていること」ですから、ネットで得られる情報は増えれば増えるほど、本質的にはゼロになるんですよ。

もちろん、ネットを入口にするのは構いません。ただ、そこで得た情報だけで満足せず、執着心を持って、他の人がしていない体験をしてほしい。そこからやがて自分の「良い」と信じられるものや、自分だけの強みが見つかるはずです。

山本宇一氏

人は、矛盾のない空間に集まるもの

――街の飲食店は入れ替わりが激しい印象ですが、山本様が経営するカフェの人気は衰え知らずです。なぜでしょうか。

山本 人が集まる空間というのは、そこに「矛盾」がないことが何より重要だと考えています。

例えば、古くてボロボロのお店なのに焼き鳥が一本500円もする。あるいは、高級な店構えなのにスタッフの対応が下品。いずれのケースもお客さん目線で捉えると、そこに矛盾が生じていますよね。結果として「理由はうまく説明できないけれど、あのお店にはもう行かない」という評価につながってしまうんです。
逆に、ボロボロのお店でもスタッフの愛想が良くて、おいしい焼き鳥が一本70円で食べられる店なら、きっとお客さんは支持するのではないかと思います。なぜなら、そこには一貫したコンセプトが存在し、矛盾がないからです。

お客さんが入店し、飲食を楽しみ、退店するまで、どのような体験を提供できるか明確になっているか。僕がお店をプロデュースするときは、お店の内装やメニューに一つひとつストーリーを宿すよう心がけています。

――スタッフの接客についてはどうお考えですか?

山本 接客ももちろん重要な要素です。

ただ、「少々お待ちください」「失礼します」といったマニュアル用語を正確に言えるかどうかは、大した問題ではありません。それよりも、接客するなかで労いの声がけをいただいたら、自分の言葉で感謝の気持ちを伝える。お客さん一人一人と向かいあって自分の言葉でお話をする。そうした「心ある接客」をすべきだと、僕は自分の店のスタッフに伝えています。

以前、カフェ店員が「10年後に消える職業」に入っているのをネットの記事で読んだことがあります。ロボットなどの最新テクノロジーの発達に伴い、仕事が取って代わられてしまうといった趣旨でしたが、先述したように心ある接客ができるスタッフはその限りではないでしょう。

山本宇一氏

――例外はもちろんあると思いますが、飲食店とテクノロジーは基本的に相容れないのでしょうか?

山本 そんなことは決してないと思いますよ。海外の飲食店では、お客さんの電話番号を登録することで来店履歴を管理してきめ細やかなサービスにつなげるなど、ITをうまく取り入れるケースが増えてきています。

僕がお店に立っていたころは、そうした作業を一つひとつ人力でこなしていたりもしましたが、それを他の人に強制するのは無理な話でしょう。今後AIなどのテクノロジーがカフェの業務に浸透し、矛盾のない空間演出をサポートしてくれるようになれば、大きなメリットになると思います。

――最後に今後の展望をお聞かせください。

山本 カフェをはじめ、日本のフードビジネス市場は自分たちを「売る」時代を迎えつつあるのではないかと考えています。僕自身も「DEAN&DELUCA」(アメリカの高級食材店)の日本進出に携わるなど、海外の人気店を日本に出店させるビジネスモデルが主流でしたが、これからは接客を含めた日本独自の飲食文化を海外に売る時代です。実際、先見性のある若いオーナーたちは、海外にラーメン屋や蕎麦屋を出店して成功を収めています。それとはまた違った視点で、僕たちも海外進出を狙っていくべきだと思っているんです。

そして、いつかは何度も足を運び刺激を受けたニューヨークに、自分の店を出店したい。自分が「良い」と信じるものを持ったニューヨーカーから「この店クールだね」って言われたら、最高じゃないかと。とても楽しみですね。

 

TEXT:五十嵐 大

山本宇一(やまもと・ういち)

1963年生まれ、東京都出身。有限会社ヘッズ 代表取締役社長。空間プロデューサー。都市計画、地域開発事業に携わった後、1997年、駒沢に「Bowery Kitchen」をオープン。その後、表参道に「Lotus」(2000年)、「montoak」(2001年)、駒沢に「PRETTY THINGS」(2014年)など、人気店を続々と出店。2003年には「DEAN&DELUCA」の日本への海外初出店を総合プロデュースするなど、多岐にわたり活躍。