日本の成長戦略として観光立国が唱えられて久しい。2017年には新たな「観光立国推進基本計画」も閣議決定された。計画では、拡大する世界の観光需要を取り込み、世界の人々が訪れたくなる「観光先進国・日本」への飛躍を図るとしている。
しかし、外国人旅行者4000万人の受け皿としてわが国の態勢は十分に整っているのだろうか。
今、世界ではインターネットに次ぐ基盤技術「ブロックチェーン」を観光産業に応用する動きが始まっている。ところが日本での動きは鈍く、危機感をつのらせる人がいる。ホテル業、観光業で多くの実績を持つ元ホテルオークラ常務で、NPO法人観光情報流通機構理事長の石原直氏だ。
「かつて対応を誤ったインターネットの二の舞いにならないためにも、今から準備を始めないと将来に禍根を残すことになります。ブロックチェーンは観光産業の“次世代OS”として、日本のGDPの多くを占める中小零細企業に光を当てることができます。日本の観光産業発展のために、早急に次世代の産業基盤の萌芽を育てなければなりません」
こう警鐘を鳴らす石原氏に、今世界で注目度が高まっている「観光ブロックチェーン」の意義や、今後の展望などについて伺った。

ピンポイント化が進む世界の観光スタイル

――日本の観光産業が抱える問題点は何でしょうか。

石原 いくつかあると思います。1つは、海外への情報発信が弱いことです。
私がメンバーになっている国連の貿易手順標準化会議の観光部門でも、いつも外国の人たちに「日本からの情報が少ない」と言われます。例えば「日本の紅葉は美しい」といった静態情報はあるけれど、「今年の紅葉の見頃は11月半ば以降となります。〇月〇日現在のお薦めの名所は次のとおりです」といった動態情報が弱いというわけです。

ネットを見ると、通り一遍の代わり映えしないサイトが多い。よくあるのは、最初だけはサイトに情報をアップするけれど、英語や中国語、韓国語などにそのつど翻訳するのはコストも手間もかかるためか、なかなか更新されないというパターンです。また広く広報しようとすると、いろいろなサイトに個別に情報を載せなければならず、大変なので手間を省いているケースもあります。情報は頻繁に更新されないと意味がないので、もっと工夫が必要です。

石原氏

――「日本の情報が少ない」と外国の人が言うのは、そういうピンポイントの情報ということですね。

石原 日本は春夏秋冬がはっきりしていて、それぞれに異なった魅力があります。それをアピールするには、いつ、どこそこの景色がいい、そこには他では味わえないこんな美味しい食べ物があって、地元の人々とのこんな触れ合いがあるというふうに、個々の観光スポットの魅力をピンポイントで発信すれば効果も出ます。外国ではいち早くそれを実行していますが、日本はまだそこまで行っていません。

情報発信だけではなく、観光スタイルの変化にも注意しなければなりません。今、世界の観光はパラダイムシフトしており、業者がお膳立てした旅行商品を買ってみんなで出かけるのではなく、個人の関心に合致した目的地をピンポイントで訪ねるスタイルが主流になっています。さらに、中国の西安を訪ねたら、東アジアの歴史をたどって日本の奈良まで行くというように、関連する目的地をボーダーレスに結ぶパターンも広がりを見せています。人々の知識レベル、興味レベルが高くなっているのですが、日本のサプライヤーはそれに対応しきれていません。

以前は、『地球の歩き方』のグローバル版と言うべき『ロンリープラネット』というガイドブックが外国の旅行者の必需品でしたが、いまや彼らはスマホを片手に情報を集めながら、自分なりの観光を組み立てています。日本もそろそろ変わり目に来ており、すでに若者を中心に変化の兆しが見られます。しかし、観光産業の成熟度と、観光客が持っている情報量では、日本は観光先進国にまだまだ後れをとっているのが現状です。

――日本で観光の発展を遅らせているものがあるとすれば何でしょうか。

石原 メガエージェントを頂点とする日本の観光産業の構造と、中小零細企業がインターネットのメリットに気づいたのが遅かったことです。
日本では、世界に類を見ないガリバー型の旅行代理店が観光産業を支配する時代が長く続いてきました。顧客が旅館に宿泊するときは旅行代理店を介しますし、見聞きする情報には大手に有利なフィルターやバイアスがかけられ、顧客が本当に求めるものとの間にギャップがあります。

インターネットが出てきたとき、そのような状況が改善されると期待されたのですが、代わって登場したネットエージェント(OTA:Online Travel Agent)が結局、同じことを始めました。中小零細のところは経営規模が小さく専門スタッフの確保が難しいことから、流されるままにやってきたというのが実情です。
結局、川下は川上のほうに依存して、自分たちから積極的に情報発信しません。もしインターネットのメリットに早くから気づいていたら、経済的なことも含めて、もう少しいい状態になっていたはずです。

石原氏

観光とブロックチェーンのロングテールなつながり

――観光立国に向けた課題解決について考えをお聞かせください。

石原 政府は、東京オリンピック・パラリンピック競技大会が開催される2020年までに、国内旅行消費額21兆円、訪日外国人旅行者数4000万人、訪日外国人旅行消費額8兆円を目指して、観光を国民経済の発展や地方創生の切り札にすると言っています。施策もいろいろ打ち出してはいますが、決定打に欠けます。そこで私は、観光産業にブロックチェーンを取り込んではどうかと考えています。

――ブロックチェーンと言えば仮想通貨のイメージが強いのですが、観光とどう結びつくのですか。

石原 ブロックチェーンはビットコインの基盤技術として注目されていますが、実は今に出てきた技術ではありません。私が初めてブロックチェーンという言葉を聞いたのは10年ほど前、国際的な標準化の会議に出ていたときで、「暗号化技術を応用した物流標準化の手法の1つ」という説明でした。そのとき私はまだピンときませんでしたが、ビットコインが出て来たときに改めて調べてみると、これこそ観光産業の問題解決の突破口になりそうだと気づきました。

その鍵となるのが、「Peer to Peer」と「分散台帳」という仕組みです。従来の「クライアント/サーバー」ではサーバーが中心にあって、そこに端末がぶら下がる形ですが、ブロックチェーンでは、複数のコンピューター同士がネットワーク上で互いのIPアドレスを呼び合って、直接通信します。仲間(Peer:ピア)同士が直接やり取りをするということから、「Peer to Peer」と呼ばれます。

中心となるサーバーが存在しないということは、システムとして見たとき、観光産業を牛耳ってきた大手旅行代理店の支配力がなくなるということです。その結果、一部の大手と大多数の中小零細業者との間にある上下関係や情報格差が解消されるのです。
Peer to Peerの技術自体は2000年代初頭から実用化されていますが、それをうまくトラベル&ツーリズム産業に応用できるようになれば、産業自体が大きく変わるかもしれません。少なくとも、日本という環境の中で行き詰まっていたさまざまな問題が解決されるのではないかと思います。

――具体的にはどういうことでしょう。

石原 これまではメガエージェントに独自のフォーマットがあり、個々の中小サプライヤーが消費者に本当に伝えたい情報があっても、決められた条件に合わなければはじかれていました。しかし、その縛りがなくなり自由に発信できれば、ユーザーに積極的に情報を出すように変わります。受ける側も「鮮度のいい正確な情報が発信されている」という信頼感を持つようになり、好循環が生まれます。

石原氏

――信頼感については、ブロックチェーンの「分散台帳」の仕組みも役立ちそうですね。

石原 そうです。実は、フィッシングや情報漏えい、改ざんを許すようなセキュリティーの弱さが、インターネット本来の長所を大きく損なってきました。それがブロックチェーンでは根本的に改善され、信頼性は格段に強化されます。

仕組みの話を簡単にしましょう。ブロックチェーンでは、データのブロックを複数のコンピューターに分散して置くので、攻撃者はそれらのすべてに入り込んで書き換えをしようとしても、まったく割に合いません。投資対効果はほぼゼロなので、攻撃の意味がなくなります。しかも、時系列にチェーンでつながれたブロック間は高度に暗号化されているため、前のブロックに戻って手を加えることはほぼ不可能です。ブロックチェーンの情報はフェイクではなく正確だということは、その仕組みから言って明確です。

サプライヤーにとって、この分散台帳の仕組みはシステム障害に強く、管理コストが少なくてすむというメリットもあります。それをどう活用するか。宿泊業としては、お客が望んでいること、求めていることをよりよく知ることができるようになれば、サービスの質も高まります。
例えば、ブロックチェーンを使った顧客管理システムにAIを加えれば、個人に対するレコメンデーション・エンジンが加速度的に働きます。宿泊予約をする、食事のメニューを選ぶ、レンタカーを借りるといった、個人がそれぞれの趣向の中で行っていたことに対するレコメンデーションを、将来的にはコンシェルジュのような形で充実していくことも可能でしょう。おそらくそれがPeer to Peerで向かう理想の形だと思います。

――1人ひとりの個性にどう応えるか、1人ひとりの顧客の集まりをどうつくるかがこれからの観光の基本になっていくとすれば、Peer to Peerは強力なツールになりそうです。

石原 ビジネスモデルから言えば、大きいものをつくるほうが楽ですし、利益も出しやすい。しかし、お客さまのニーズにピンポイントで対応できれば、そこから新しい展開が開け、新たな利益構造が生まれます。そのような意味で、ブロックチェーンは大きな可能性を秘めています。今は最大公約数というか最小公倍数というか、みんなになんとなくいいだろうという商品しかつくっていないのですが、これからは1人単位の商品をピンポイントで提案することができますし、ロングテールともつながります。しかもAIは学習していくので、提案の精度はどんどん上がっていきます。

――そうなると、メガエージェントが必要とされない時代が来るのでしょうか。

石原 いいえ、スケールメリットが求められる部分は残るので、棲み分けることになるでしょう。例えば、ブロックチェーンは顧客ニーズの個性化に対応するだけではありません。自分で手間暇かけて旅行をするのは面倒なので、募集団体旅行のようなところに入って気楽に旅行を楽しみたいという人もいるはずです。Peer to Peerの仕組みを逆にうまく使えば、そういうお客さまを効率的に探し当てて商売にできる可能性もあるわけです。

――視点を変えれば、ビジネスの幅を拡げることができる。

石原 私は、ブロックチェーンは観光産業のプラットフォームであり、OSだという捉え方をしています。そこに観光産業の構成員全体が対等の立場で参加し、それぞれの持ち味を生かし合って相乗効果を生み出していけば、観光産業の健全な発展につながります。まずは、ブロックチェーンを生かせばこういうことが可能だということを可視化していく必要があります。

石原氏

足元からの観光立国を次世代の苗床に

――観光産業がブロックチェーンを使うようになって、誰が一番利を得るのか気になります。

石原 昔は、卸があって小売があってサプライヤーとエンドユーザーがいる中で、中間業者がより多くの利を得ていました。その点、Peer to Peerでサプライヤーとユーザーが直接やり取りできれば、利潤はそのままサプライヤーに入ることになります。もちろん直接のやり取りに不安があれば、安心を取るためにエージェントを中間に介在させ、コミュニケーション・ギャップのリスクをお金で排除すればいい。中間が介在するのは、さまざまな手配を代行してくれる他に、そうしたリスクヘッジのためでもあります。

その点、ブロックチェーンで信頼性が裏付けられ、リスクを吸収するために金を使わずにすむのは良いことです。ユーザーが賢くなるほど中間業者の必要性は低下し、利潤は得るべきところに適正に行く仕組みができます。さらに仮想通貨を使えば、儲けや、精算、決済の部分も変わるので、大手だけが独占的に利益を上げるようなことはなくなります。ここがブロックチェーンで明らかに変わるところです。

――石原さんのご専門であるホテル業では、どのような変化が予想されますか。

石原 効率を追求する機能特化型の比較的安価なホテルと、ホスピタリティーを重視する高級志向のホテルとの二極分化が進むでしょう。後者については、欧米などでは安い賃金で働く潤沢な外国人労働力が底辺を支えています。それに対して日本の宿泊産業は、おもてなしを売りにしながらも人口減少で働き手がいないという問題を抱えています。対面の必要がない簡易な業務はアウトソーシングしたりシステム化したりする方法もありますが、労働集約性をこのビジネスから取り去ることは非常に困難です。日本らしい「さり気ないおもてなし」「奥ゆかしさ」といったものをどう残していくのか。マニュアル化はできますが、精神が入っていないと生きてきません。

そこで、少ない人間を徹底教育してプロの接客をする人、つまりホスピタリティーができる本当のエキスパートを育て、その代り客室の清掃などはできる限りロボットにさせる。さらには、事務作業などの周辺業務も極力自動化することになります。その点、ブロックチェーンには「スマートコントラクト」という自動化機能があります。これは、業務プロセスに対して、個人情報を含むトランザクションを第三者を介さずに、信用を担保した上で処理できるので、今後、大きな役割を果たすと思います。

――今のお話で、「ブロックチェーンは観光産業のOSだ」ということがだいぶ理解できるようになりました。

石原 ブロックチェーンでは、同じプラットフォームでみんな対等に協働できます。システムの格差が解消され、大きなシステムか、または小さなシステムかに関係なく同じ土俵に上がることができます。それがデファクトスタンダードになれば、観光産業のさらなる発展につながります。

――日本は技術先進国なのに、技術のソフト化では常に後進国でした。この際、観光ブロックチェーンは人口減少、人手不足に悩む日本にとっての突破口とするだけでなく、その成果を世界のモデルにするくらいのことがあってもいいのではないでしょうか。

石原 ブロックチェーンというものが、仮想通貨だけでなく、サプライチェーン、IoT、シェアリング、トレーサビリティー、不動産、コンテンツ所有権移転など、実にさまざまな分野に関係していく中で、観光産業においても新しい基盤技術として、これは真剣に検討する価値があります。

思い起こせばインターネットのとき、当初日本はサプライヤーが発信できるチャンスをみすみす見逃しました。今回のチャンスも見逃すと、そのときの二の舞いになります。だから今、啓蒙したいのです。メリットだけでなくデメリットについても今からしっかり勉強しておく必要があります。

石原氏

――世界がブロックチェーンに目を向けているということは、当然ながら大手も狙ってくるでしょう。

石原 それに対して、日本ではまだ目立った動きがありません。すぐに効果があるかどうか分からないからと、よく言えば非常に慎重です。しかし、世界が動き始めているときに、今から準備をしておかないと、将来的に大きな禍根を残すことになります。
ブロックチェーンという観光産業を牽引する次世代のOSのもとで魅力ある改革が実現されるなら、日本の未来は明るい。こうした足元からの観光立国への推進にも、ぜひ拍車がかかればと思います。

TEXT:佐藤 譲

石原 直(いしはら・ただし)

NPO法人観光情報流通機構理事長、国連CEFACT日本委員、筑波学院大学客員教授。
立教大学経済学部卒業後ホテルオークラに入社。ホテルの情報システムの草分けとして活躍。取締役社長室長時代には都市ホテルとしては世界で初のISO9001の認証取得を指揮。常務取締役・ホテルオークラ東京総支配人兼務、ホテルオークラ新潟社長、芝パークホテル社長・会長、藤田観光・副社長事業本部長、フォーシーズンズホテル東京総支配人を兼務する。この間15年にわたり立教大学社会学部、観光学部にて兼任講師、運輸省(現国土交通省)、経済産業省、エネルギー庁などで各種委員会委員を務める。現在は、NPO法人観光情報流通機構理事長、国連CEFACT(貿易円滑化と電子ビジネスのための国連センター)日本委員、筑波学院大学で客員教授として、地方自治体の観光政策策定にかかわるなど、ホテル産業のみならず広く観光促進の分野で活動中。
著書に『ホテル旅館の情報システム』(中央経済社)、『接客サービスのマネジメント』(日経文庫)、『一流の品格をつくる ホテルオークラの流儀』(KADOKAWA)などがある。