日々、1億年前の石と向き合い、多くの名硯を現代に甦らせてきた職人がいる。浅草に工房を構える製硯師、青栁貴史氏だ。自らもリュックを背負い、硯に適した石を探して山に踏み入る。石の表情を読み、採石地の自然や文化と対話し、無名の名工の心に寄り添いながら、硯づくりに情熱を傾けてきた。

書の道具を扱ってきた「宝研堂」の4代目にあたる青栁氏は、毛筆文化の継承者でもある。彼は言う。デジタルツールの進化が加速し、ここ数年で、約2,000年続いてきた「文字を書く」文化の濃度が一気に薄まったのではないかと。かつては日常的な筆記用具だった筆と硯を、再び暮らしの中に取り戻すために、必要な気づきとは? 日々、墨を磨り、手紙をしたためる生活を送る青栁さんに、硯と共に暮らす醍醐味を伺った。

硯のプロフェッショナル「製硯師」とは?

――製硯師という肩書は青栁様のお父さまが名づけられたと聞きました。どのようなお仕事なのでしょうか。

青栁 本来、硯職人の世界は分業制で成り立ってきました。山から石を切り出す方、硯に加工する方、研磨する方など――浮世絵づくりの世界に下絵師、彫師、摺師がいるように、各工程に専門職がいます。一方、製硯師は、そのすべての工程に携わります。石を採り、硯をつくり、流通における販売のプロデュースまで、「硯についてどんなことにも対応できるプロフェッショナル」という自覚を持って仕事に臨んでいます。

工房を構える場所にも違いがあります。硯職人の多くは、硯に適した採石が可能な生産地に拠点を置きます。日本を代表する硯の生産地といえば、赤間(あかま)硯で有名な山口県下関、雄勝(おがつ)硯の宮城県石巻、雨畑(あまはた)硯の山梨県南巨摩郡あたりになるでしょう。こうした生産地を拠点として、硯職人は、その土地ならではの石に適した硯づくりを、ある種、伝統工芸のように継承しています。

一方、製硯師である僕の場合、拠点はここ東京の浅草です。特定の採石地を持たないため、国内のみならず中国の採石地ともパイプラインを通してさまざまな土地の石を扱いますから、多種多様な石についても精通していなければなりません。

また、一般的な硯職人の仕事の領域を超え、一年のうち、多くの時間を硯の修理や復刻作業に費やします。硯づくりの本場である中国からの依頼も含め、年間で100面ほどの硯を直します。傷み方が重症なものも多く依頼を受けますので、業界内には、僕のことを「硯のお医者さん」と呼ぶ方もいます。

青栁氏

製硯師の青栁貴史氏

――自ら採石地にも向かわれますね?

青栁 僕が採石地に足を運ぶ理由は大きく分けて3つあります。

1つ目の理由は、石は写真で見るだけではその様子や状態を正確に判断しかねるので、現地に行き実際に目で確かめてから購入する必要があるからです。2つ目の理由は、修理や復刻作業を行うためには、硯が作られた当時の作硯家(さくけんか)の気持ちに、できるだけ寄り添いたいと考えているからです。

依頼主からは、時に中国の二大名硯、端渓硯(たんけいけん)や歙州硯(きゅうじゅうけん)の名品の修理も持ちこまれます。端渓硯は中国南部、広東省肇慶市(ちょうけいし)の斧柄山(ふかざん)一帯で採れる石が用いられ、歙州硯は、中国北部、中心部、江西省婺源県(こうせいしょうむげんけん)の龍尾山が採石産地です。共に、約1,300年にわたって採石されてきましたが、最古でありながらいまだ最良の産地として存続しています。

今、作業している硯は1700年代に作られた端渓硯なのですが、当時、この硯を手掛けた作硯家の思いを感じるには、やはり現地に赴き、その土地の人々の暮らしや文化に触れてみなければわからないことがあるんです。

宝研堂

青栁氏が4代目を務める書道用品店「宝研堂」。2階が工房になっている

――現地に赴かなければわからないこととは、例えばどんなことでしょう?

青栁 やはり作業環境ですね。名工たちが硯を彫った時代には電気はなかったわけですから、陽の光が豊かな明るい時間に作業に勤しんだはずです。そう思いを巡らせ、僕自身も現代の慌ただしい時間感覚をリセットし、日中の明るいうちに焦らずゆっくり作業を進めるようにしています。

道具についても気を配ります。なるべくその土地ごとに伝わる道具を用いるようにし、当時は存在しなかった、ドリルのような現代的な道具は使いません。また、その土地の自然や日々の営みの中に身を置くことで気持ちにも変化が起こります。寒い夜に頂いた一杯のスープや、地元の人々と交わした会話が、じわじわと心の滋養となって効き始め、少しずつ当時の名工たちの思いに近づけるような気がしてくるんです。硯の修理や復刻作業では、その造形を再現するだけではなく、硯自体が何百年も抱え込んできた文化も含めて甦らせることが大切です。

硯を彫る青栁氏

祖父から受け継いだという専用の刃で、硯を彫る青栁氏

石は地球からの預かりもの

――採石地に足を運ばれる3つ目の理由はなんでしょうか?

青栁 石に対する探究心です。これはある種、熱病とも言えます(笑)。採石するときは、採掘権を持った方に必ず同行してもらいますが、自分で石を採りに行くのが楽しくて仕方がない。特にいまだ手つかずの採石地を調査し、新たに開拓することにワクワクします。

実は、硯づくりに適した石というのは、地質学的観点から見ても、地球上に存在する岩石の総量に対し、わずか数パーセントしかないと言われています。大地の変動によって、360度全方位から圧力がかかった石、つまり石になる過程で全体がバランスよくプレスされた石が、研磨能力の高い、墨を磨るのに適した石になります。

日本では、本州から四国、屋久島を含む九州まで採石産地が幅広く点在しますが、蝦夷地に多く暮らしていたアイヌ民族が文字をもたなかったため、北海道だけは、硯の石の採石地において未開の地でした。ですから昨年(2017年)、北海道全域の石に精通されている研究者の佐野恭平さんの手引きを受けながら、北海道・遠軽町に赴き、硯づくりに向きそうな原石を発見した時は、小躍りするほど喜びました。

――その石はどのくらい前の地層から見つかったのですか?

青栁 石の成分を解析してみた結果、約5,000万年前から8,000万年前の石だということがわかりました。でも、佐野さんが言うには「まだ若い」らしく(笑)。専門家の時間軸では、1億年ぐらいは経っていないと成熟していると感じられないのでしょう。ちなみに端渓硯や歙州硯などの中国の名硯は、約1億年前の岩盤層から切り出された石で作られています。

石にとっての時間軸で考えると、硯を作るという行為は、地球の歴史を彫っているのだとつくづく痛感させられます。山に入りさまざまな石を目にするにつれ、人工的な彫刻は地球がつくった石の表情の美しさには敵わないことを思い知らされます。

僕が、かつてのように硯に雲や龍の彫刻を施さなくなったのは、石がもつ紋様をありのまま活かしたいと考えたからです。長い眠りを経て切り出される石には、ひとつとして同じものはありません。僕は、製硯師として、一時的に地球から石を預かっているだけ。少なくとも千年は残る硯に仕上げたいと願って、日々、鑿(のみ)を取っています。

石の断面に現れる層

断面の層を見れば、圧力のかかり方から硯に向く石かどうかがわかる

筆と硯は最古のコミュニケーションツール

――硯の歴史についても簡単に教えていただけますか?

青栁 硯のルーツは、古代中国の新石器時代にまで遡ると言われています。今から約5,000年前に生まれた硯は、顔料と膠(にかわ)を混ぜて絵の具をつくるための焼き物の器だったようです。唐の時代に入り、陶器の硯に変わり石の硯が主流になります。

その昔、一般庶民は字を書けませんでしたから、硯を使っていたのは官僚などごく一部の知識階級に限られていました。硯は、筆と共に文字を「記す」ための実用的な道具に過ぎなかったはずです。そのうち、ただ「記す」という枠を越え、文字という造形に対して審美性や芸術性を模索する人々が登場します。王羲之(おうぎし)※や顔真卿(がんしんけい)※など、いわゆる「書家」と呼ばれる人たちです。

※王羲之(303年-361年)は、中国東晋時代の政治家・書家
※顔真卿(709年-785年)は、唐代の政治家、書家。

つまり、約1,700年前に、日本人がイメージする「書道」という概念がぼんやりと形になりはじめた。そこから現在まで、毛筆文化と書道文化は、平行して存続してきたんだと思います。

日本では平安時代に、かな文字が誕生するなど独自の書道が発展しますが、庶民にも毛筆文化が普及してからは、筆と硯が日常的な筆記用具として使われはじめたことに変わりはありません。手紙を「書く」、日記を「記す」、学ぶために「記録する」など、日々の暮らしの中に毛筆文化が身近な存在として寄り添ってきたのです。

――デジタルツールの普及により、日常生活で文字を書くという機会が減ってきています。筆と硯を扱うとなると、さらにハードルが高くなったように感じます。

青栁 今年2月に、祖父と父と僕の3人が製作した硯を「青栁派」の作品として展示する個展を催しました。会場の受付には芳名帳と併せ何種類かの硯を用意し、来場した方が各々自由に硯を選んで、墨を磨り、芳名してもらえるようにしました。

来場された方の大半は書道関係者だったので、悦に入るように硯で墨を磨る書家の方も多くいらっしゃいました。一方で、芳名帳を前に尻込みされている来場者の方も少なくありませんでした。声をかけると、「字が下手なので恥ずかしい」「筆を持つと緊張する」という本音を漏らされます。普段から筆を持たない方は、筆を手にすると「綺麗な字を書かなければ」と身構えてしまうんです。

でも、日常生活では、達筆であろうとなかろうと、どんな人でもボールペンなどの筆記用具で字を書きますよね。筆を手にすると腰がひけてしまうのは、おそらく小学校の書道の時間を思い出してしまうからでしょう。背筋を伸ばして、端整な楷書体のお手本を見ながら、整った字を書くように教えられたのも理由の一つかもしれません。

一度、そのような先入観を取り除いてみていただきたい。筆も硯も、本来は文字を書くための日常的な筆記用具です。書かれる文字に端整さや芸術性が求められる「書道」の世界とは、いったん切り離して考えてみてほしいと思います。

青栁氏

――では、小学校の授業では、子どもたちにどのように書について教えればいいのでしょう?

青栁 書道という文化と併せて、筆や硯が筆記用具として使われてきた毛筆文化の歴史についても教えることが大切です。製硯師の立場から言えば、硯本来の使い方も伝えたいですね。以前から気がかりなのは、多くの小学校で教材とされている墨と硯の大きさです(硯は四五平〈H135×W75mm〉サイズ、墨は1.5丁型〈H96×W22mm〉のものが主に使われている)。

例えば、「元気な子」という四文字のお題を、45分間の授業中に、満足がいくように半紙10枚書こうと思ったら、墨は一般的なテレビのリモコンくらいの大きさ、硯もせめて5倍程度の大きさのものが必要になるでしょう。現状のサイズでは、必要量の墨を磨って溜めることができない。学校で使う硯は大きな文字を書くより、手紙を1~2通書くのに適したサイズ感なんです。

最近は、プラスチック製の硯と墨汁を使っている学校も多いので、硯は墨汁を入れるためのもので、墨を磨るための磨墨道具だということを知らない子供も増えています。だからこそ、一年に数回でもいい。丁寧に時間をかけて墨を磨り、親しい人に手紙を書く機会を設けるなど、筆記用具としての墨と硯の使い方にも触れさせてあげたいですね。

筆と硯というのは、美しい書を書くための専用の道具ではない。それを伝えることが重要です。かつては、現在のスマートフォンのように身近にあって、幅広いユーザーに愛用されていた一種のコミュニケーション用ツールだったわけですから。毛筆文化圏最古の筆記用具が、日本人の生活から消えていくことはすごく残念なこと。「筆で書く」という行為が他人事になってしまう前に、もう一度、筆を扱う楽しさや喜びを伝えなければなりません。そのためには、筆や硯ともっと肩の力を抜いた向き合い方をしてほしいと願っています。

毛筆の書状

青栁氏がテレビ番組取材後、担当者にFAXで送った書状

毛筆を暮らしの中に息づかせる

――普段の生活において、筆と硯をどのように使うとよいのでしょう?

青栁 僕の日常的な連絡手段は、ほとんどの場合、手紙やファックスです。その場合はほぼ毛筆で書きます。よっぽど急を要する場合は電話やメールを使いますが、特に不便を感じたことはありません。今の時代は、デジタルツールでのやりとりが圧倒的に主流を占めていますが、10回に一度でも、1カ月に数回でも、意識して直筆の手紙を送ってみることで、少しずつ筆と硯の存在が日常生活に馴染んでくるのではないでしょうか。

直筆で書状をやりとりするようになると、受け取った時の楽しみも得られます。僕は歌舞伎役者の市川猿之助さんとご縁があって、お手紙のやりとりをしているのですが、先日も非常に粋な書状を頂戴いたしました。猿之助さんはしばしば巻紙に書かれますが、紙面上に心のつぶやきをちりばめたような、とてもユニークで自由な構成なんですね。Twitterの筆バージョンというか(笑)。筆で書くからといって、かしこまった文章にしなくても、そんなふうに遊び心満載の書状に仕上げることもできる。直接お会いしたような余韻も味わうことができます。

青栁氏

――毛筆文化がデジタルツールと共存していくために、何かできることはあるのでしょうか?

青栁 僕の祖母は書家だったので、小学生の頃、谷中の祖母のもとに書を習いに通っていました。硯で墨を磨り、筆を扱う楽しさを、すべて祖母から教わりました。中でも、墨を磨っている間に、祖母の得意料理のひとつコーンポタージュの匂いが漂い始める瞬間が好きでした。つまり、生活と密着した記憶の風景の中に、僕と硯との思い出が存在しているのです。

僕の子どもたちも、身近に硯の存在を感じながら暮らしています。彼らは、僕がおおよそ4~5分の間で、メールを一通送るように筆を走らせ封まで終える姿を、生活の中で目にしています。文化とは、学校の授業で教わるだけではなく、そのように日々の暮らしの中で育まれる記憶の蓄積により継承されていくものではないでしょうか。今後、デジタルネイティブ世代に毛筆文化を伝えていくためには、大人の世代が、ふだん使いもできる筆記用具としての筆と硯の在り方を再認識するほうが近道なのかもしれません。

僕はデジタルツールにも毛筆ツールにも一長一短があり、お互いにない点を補い合って共存することができると思っています。そのためには、僕のように毛筆文化圏最古のツールを継承している者と、テクノロジーによる最新のツールを創造しようとしている人たちが一堂に会し、忌憚なくディスカッションできる機会を持てればいいですね。案外、思いもよらない建設的な答えを導き出すことができるかもしれません。

TEXT:岸上雅由子

青栁貴史(あおやぎ・たかし)

製硯師。大東文化大学文学部書道学科非常勤講師。1979年、東京都浅草生まれ。石材、硯式、時代に対応した硯の製作から修理、調整、文化財復元・復刻製作、改刻、日本 中国における硯の製造プロデュース、さらに現地石材調査にも従事。夏目漱石の硯の修復や復元、日本初となる北海道硯石の採石、隕石の硯化など、硯文化にまつわるさまざまな活動を行う。2018年2月には個展「青栁派の硯展」を開催した。
著書:『製硯師』(天来書院)、『硯の中の地球を歩く』(左右社)。