村田慎二郎氏は長く民間・非営利の国際団体「国境なき医師団」(Médecins Sans Frontières 以下MSF)で、日本人としては数少ないリーダーのポジションで働いてきたが、近年になって人道支援の現場は極めて深刻な危機を迎えていると言う。

MSFは独立・中立・公平な立場で、最も助けを必要としている現地の人々に対して、医療・人道援助活動を行うことを理念に掲げる。そのために、難民キャンプ、被災地、紛争地など最前線の現場に「国境を越えて」赴く。そこがあまりに危険なためメディア、政府機関などが退避する場合も多い。

そんな人道支援の現場でいったい何が起こっているのか。その状況に直面して、村田氏はプロジェクトの責任者として何を思い、リーダーとしてどんな行動を起こそうとしているのか話を聞いた。

葬り去られた人道支援組織へのリスペクト

――今、人道支援の現場では何が起きているのでしょうか?

村田 WHO(世界保健機関)によると、2018年の1年間に19ヵ国で388回の“医療”への攻撃があり、747人の死傷者が出ています。イエメンを例に挙げると、2015年くらいからMSFが支援している病院が、サウジアラビアとアラブ首長国連邦主導の連合軍から攻撃されるようになってきました。文民、病人や負傷した戦闘員、戦争捕虜のような人々の人道的保護を取り扱った条約と慣習法の総称である国際人道法によって、安全が保障されているにも関わらずです。それまでにも同じような事態は起きていましたが、この数年間はとりわけ顕著に増加傾向にあると感じます。偶発的なものもあります。しかし、イエメンの場合は明らかに軍事戦略の一環として攻撃されていると疑わざるをえないケースもあり、かつてあった人道援助へのリスペクトが消えている気がします。

2016年には、イエメンの北西部ハジャ県にある大きな医療施設で、周辺地域の住民にとって命綱と言える存在だったアブス病院が空爆を受け、現地スタッフや住民たちが命を落としました。MSFはイエメン北部における全てのプロジェクトの引き上げを余儀なくされ、何万、何十万の人が医療へのアクセスを失いました。

村田慎二郎氏

その後、2017年に私がイエメンで最初に取り組んだ仕事は、MSFの本部とサウジアラビアとの交渉の進捗を考慮しながらスタッフを呼び戻すなど、アブス病院の建て直すことでした。これまで築いてきたことがすべて破壊され、またイチから始めざるをえませんでした。医療へのアクセスを失った当地の医療環境は惨憺たるもので、MSFが不在だった約6カ月の間に人々の健康状態は予想以上に悪化していました。

私はイエメンにおけるMSFの活動責任者として、MSFスタッフの安全上のリスクと、現地の人たちの医療人道援助のニーズを天秤にかけ、決断を下さなければいけない状況にあったのです。

多様な価値観に向き合う真のリーダーシップ

2006年、スーダンのダルフールにて

2006年、初任地となったスーダンのダルフールで。多様性に満ちたMSFのチームで活動に従事

――責任者として人の命に関わる判断を下さなければいけない経験を多くされる中で、村田さんはどのようにリーダーシップを発揮してきたのでしょうか?

村田 MSFは活動している国の首都にコーディネーションチームを置いています。そのチームのトップが活動責任者で、私は2012年から務めています。活動責任者の指揮下には、さらに活動国の中でもいくつかの地域ごとにプロジェクトチームが置かれ、そのトップをプロジェクト・コーディネーターが務めます。各エリアのプロジェクトではプロジェクト・コーディネーターのもと、医療チームと非医療チームが、現地スタッフとともに医療・人道援助を行います。

活動責任者やプロジェクト・コーディネーターなどリーダーのポジションに就くと、MSFの顔として紛争当事者の代表と交渉することになります。MSFは独立・ 中立・公平の原則を守って医療・人道援助活動を行うため、紛争地においても例えば政府側・反政府側のどちらかを支持することはありません。当事者すべてと握手を交わし、誰とも近すぎず・遠すぎずの適切な距離間を保ち、活動に対する理解も得ながら、チームの安全を確保して医療・人道援助を提供することが最大の使命だと考えます。

最初は相手にも警戒心があります。初めて現地に派遣されたとき、私は現地スタッフや現地コミュニティに“We work for your people”「私たちはあなた方の現地コミュニティのために活動している」ということをまず伝えます。さらに、MSFという団体は民間寄付で支えられているゆえ、中立性を保っているという背景や、MSFの活動が現地の医療ニーズにマッチしていることを示す医療データ、今後の援助プランなども提示します。その結果、「我々は紛争当事者の、いずれの思惑にも興味はなく、あくまであなた方の地域住民に必要な医療援助を届けるためにいる」ということが現地の誰か一人にでも伝われば、それがだんだんと広がり理解が深まっていくのです。

――多様な価値観を持つ人たちと信頼関係を作りながら、リーダーシップを発揮していくわけですね。

村田 多様性との関わりで言えば、日本人ならではのリーダーシップもあると感じています。まず、相手の立場になって考えられたり、礼儀正しくふるまったりすることは、日本人の長所として好意的に受け止められます。その結果、MSFの現地スタッフとよい関係を作れると、彼らがMSFのメッセンジャーとして現地コミュニティーとの架け橋になってくれ、プロジェクトがうまくいくのです。

フィリピンの事務所にて

2019年3月まで活動責任者を務めたフィリピンの事務所にてスタッフらと。MSFの活動地域は紛争地帯にとどまらない

私が活動責任者になってから、そのようなケースが増えていきました。MSF内でも、自己主張を強くする欧米系スタッフの考えるリーダーシップとは異なる、日本人のリーダーシップにも優れている点があるという理解ができつつあります。もちろん、日本人スタッフがもっと主張していくことも必要ですが、MSFが70カ国以上で活動をする中、異なる文化や価値観を持つ人々と関係作りをするために、多様性の中でうまくやれるリーダーシップが重要性を増しています。

外資系IT企業で磨かれたソフトスキルの価値

――村田さんは以前、外資系IT企業で働かれていたそうですね。そこでの経験もリーダーシップに活かされているのでしょうか?

村田 私が外資系IT企業に営業職として勤めたのは、大学を卒業した2001年からの3年間です。当時のことで最も印象深いのは、ひたすら上司に怒られた記憶でしょうか(笑)。自分に対しても、相手に対しても厳しい方で、とても鍛えられました。ITスキルなどテクニカルなことも学んだのですが、仕事に対する責任感、交渉力、あるいは相手から信用を得るためのコミュニケーション術など、ソフトスキルが最大の学びです。例えば、情報収集をしてクライアント企業のニーズを把握し、自社の製品を売り込むわけですが、前提として相手との信頼関係が大切なわけです。そういった経験は今の私を形成する目に見えない財産になっていると感じます。当時の上司の方には今でも飲みに連れて行っていただくのですが、とても感謝しています。

当時はクライアント企業が相手だったのが、今は紛争地の政府や軍関係者や部族のリーダーに変わったわけです。IT業界と医療・人道援助の世界との間につながりはないように思われるかもしれませんが、相手の信頼を得て、受け入れてもらわなければいけない点は共通しています。

村田慎二郎氏

プロフェッショナリズムを追求する世界的NGO

――3年間の企業勤めの後、MSFの活動に参画しています。なぜMSFで働きたいと思われたのでしょうか?

村田 外資系IT企業での3年間で営業としての基礎は培うことができました。当初はMBAを取るとか、コンサルタントになるとか、一般的なキャリアプランも思い描いた時期がありました。ただ、「はたしてそれが本当にやりたいことなのだろうか?」と自問自答したとき、ちょっとした冒険心が芽生えたんです。例えば難民支援活動のようなかたちで、短期間でもいいから一度海外に出てみたいと思っているとき、MSFのことを知りました。

当時の私は医療・人道援助活動に対し、「やっていることに意義がある」と自負しているアマチュアなイメージを持っていました。しかし、MSFは確固たる使命感を持っていました。独立・ 中立・公平の原則に基づく医療・人道援助活動を守り抜くため、MSFは各国政府や国際機関からの資金援助をほとんど受けていません。大きな政府からの援助があれば、現地に対してより大きな援助活動ができるかもしれない。あるいは、MSFで働く人たちの待遇も今より改善できるかもしれない。しかしMSFは難民キャンプや被災地だけでなく、紛争地にも赴きます。だから国際政治からの独立性を保たなければならないのです。

そのために、活動資金の約96%を民間からの寄付でまかなっています。皆さんのご厚意を使わせていただいているからこそ、たった1本のワクチンも無駄にせず、プロフェッショナルな組織として“成果”を出すことを重視する。そうしたMSFの活動ポリシーが胸にささり、参画を決断しました。

特に、自分たちがやっている仕事のインパクトが目に見えて分かることはやりがいを感じます。数値的に何人の人が救われたということ以上に、自分たちがそこにいるから救えている命があることを実感できる仕事なのです。

MSF事務所に展示されている現地の道具類

MSFが活動する地域では物資が不足することも多い。難民キャンプで実際に売られていた缶詰の空き缶で作られた食器や道具類がMSF事務所内に展示されている

村田 私は2005年7月からMSFでのキャリアをスタートして、初めの10カ月間はスーダンでロジスティシャンとして活動しました。ロジスティシャンは医療援助活動とスタッフの現地生活に関する幅広い業務で、車両整備、建設、水・衛生や電気、医療機器の保守管理などを担当します。水も電気もないところに病院を建てるためには物資調達は欠かせません。消費期限のある薬は、余らせても、必要な時に足りなくてもいけないため在庫管理が極めて重要です。翌年からはアドミニストレーターも兼務するようになりました。これはMSFの活動に必要なお金・人材を管理する職種です。

トータル18カ月間にわたりロジスティシャン兼アドミニストレーターとして働き、2008年からスーダン、ナイジェリア、イラクの各地域でプロジェクト・コーディネーターとして活動。その後、2012年にはシリアで活動責任者を務めたのを皮切りに、現在まで南スーダン、イエメン、フィリピンでも活動責任者を務めています。

人道支援にイノベーションを起こすための新たな挑戦

村田 活動責任者になって一番変わったのは、私個人として持つ“パブリックに対する使命感”です。最初に話したイエメンで起きているような状況は、世界中で起きています。シリア、南スーダン、イエメン、フィリピンなどを活動責任者の目で見ていくと、どうしても解決しなければいけない問題が世の中にあることが分かってきました。

こうした危機感からMSFインターナショナルのジョアンヌ・リュー会長は、国連安全保障理事会で演説を行いました。2016年5月には国連で紛争地の病院保護に関する決議も採択されています。MSF日本でも同年から「病院を撃つな!」キャンペーンも始め、9万5000超の署名を外務省と厚生労働省に提出しました。

それでもなお変わらない状況を打破したいという気持ちが強くなった私は、国際政治の現実を多角的に学ぶためMSFの活動から一度離れ、1年間 Harvard Kennedy School(ハーバード・ケネディスクール)に留学し、行政学修士(Master in Public Administration=MPA)の学位課程を学ぶことにしました。Harvard Kennedy Schoolでは、官僚、軍人、ビジネスパーソンなど実社会でリーダーとして活躍しているメンバーと一緒に学びます。これからの人道支援のあり方を、各国の政府や軍隊などさまざまな立場で見つめ直す機会にもなると思います。今後は、医療・人道援助の最前線にいるMSFだからこそ発信できるメッセージを世論と政策決定者に訴え、政治に変化を促していくための実践的なアドボカシー(政策提言)戦略の構築に携わりたいと考えています。

村田慎二郎氏

――世界では、ダイバーシティ(多様性)やインクルージョン(包括・受容)という言葉が盛んに叫ばれる一方、異なる存在を排除する動きも根強く残っています。派遣先でさまざまな価値観・文化・宗教などを持った人たちと向き合ってきた経験を踏まえ、我々はどのように多様性と向き合っていくべきだと考えていますか?

村田 頭で理解することと、経験することは違います。現地で会えば、肌の色、言語、宗教の違いは関係ないのだと分かります。どの国に行っても、生まれてくる子どもたちに変わりはありません。各地で暮らす人々の家族を思う気持ち、幸せになりたい気持ちもどの国へ行っても同じです。日本のお笑いのDVDなんかを持っていけば、みんなそれを観て大笑いしますし、私が現地の音楽を聴いて心動かされることもあります。インターネットを介したコミュニケーションでもいいし、旅行に行くでもいい。多くの人と交わり、人間に違いなんかないことを体験すれば、排除やヘイトはなくなるのだと思います。日本においても国境を越えた人道主義の理解を広げ、根付かせていきたいと思っています。

TEXT:安田博勇

村田慎二郎(むらた・しんじろう)

国境なき医師団(Médecins Sans Frontières=MSF)活動責任者。静岡大学人文学部経済学科卒。外資系IT会社の営業職を経て、2005年、アドミニストレーター兼ロジスティシャンとしてMSFに参加。以降、プログラム責任者、活動責任者と、MSFでのキャリアを重ねる。のべ10年以上を派遣地で過ごし、特にシリア、南スーダン、イエメンなどの紛争地の活動が長い。三重県出身。1977年2月27日生まれ。