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世界的なIT人材不足が叫ばれる中、自治体、学校、企業が従来の枠を超えて連携し、共にIT人材育成に取り組む画期的な仕組み、P-TECH (Pathways in Technology Early College High School:ピーテック) *1がいよいよ日本でも始動する。2019年4月23日に東京都教育委員会(以下、都教育委員会)、学校法人片柳学園(以下、片柳学園)、日本アイ・ビー・エム株式会社(以下、日本IBM)の三者で協定を締結した。*2
企業や社会が真に必要としているIT人材の育成を促進する新しい試み「P-TECH」は、日本の高校や専門学校における教育をどう変えるのか、産官学はどのように連携していくのか、その目的と成果への期待について、三者トップによる鼎談をお届けする。

*1: https://www.mugendai-web.jp/archives/970
https://www.youtube.com/watch?v=NUl7Ao6NeN0
*2: http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/press/press_release/2019/release20190423_02.html
https://www-03.ibm.com/press/jp/ja/pressrelease/54940.wss

■東京都教育委員会 教育長 藤田裕司氏 (写真中央)
■学校法人片柳学園 理事長 千葉 茂氏 (写真右)
■日本アイ・ビー・エム株式会社 代表取締役社長 山口明夫氏 (写真左)

<聞き手>
東京都教育庁 都立学校教育部 ものづくり教育推進担当課長 小川謙二氏

技術を身につけるだけでなく、人間力を育む

――今なぜ都立高校がIT人材の育成に取り組むのか、その必要性からお聞かせください。

藤田 これまで都立高校は、産業教育を通じてあらゆる産業を支える人材を育成し、東京や日本経済の発展に貢献してきました。都立高校で学んだ多くの方々が産業の基盤を支えてきたと言っても過言ではありません。特に工業高校の卒業生は、まさにものづくり人材そのものであり、都内の中小企業にも、その多くの方が採用されてきました。しかし、産業構造や社会経済状況が劇的に変化する中で、都立の工業高校も多様化していかなければなりません。今回、この取り組みを実施する都立町田工業高等学校(以下、町田工業高校)は、総合情報科の設置など、これまで様々な工夫を重ね時代の変化に対応してきており、社会の急激な情報化に即した基礎的なカリキュラムは実現できています。
ただ、ここ数年、政府の提唱するSociety 5.0の到来に包括されるAIやIoTなどの進展、さらには空飛ぶ自動車すら現実味を帯びる中、時代に即した技術革新への対応が必要です。また、これからの社会に通用するグローバルな視点を兼ね備えた人材育成にも着実に取り組んでいく必要があります。
そうした中、この2月に策定した都立高校改革推進計画新実施計画(第二次)の中で、工業高校、専門学校、企業などが連携したIT人材の育成に取り組むことを掲げ、このたび三者協定を結ばせていただきました。

藤田裕司氏

東京都教育委員会 教育長 藤田裕司氏

――P-TECHの取り組みは、どのような経緯から始まったのでしょうか。

山口 日本IBMは、1937年に日本で事業を開始し、本年6月で82周年を迎えました。
「社会とともに」という思いを創業時から大切にしており、例えば、ちょうど50年前に東京オリンピックで初めて競技結果計算システムを納入し、その後当時の三井銀行様の日本初の銀行オンライン・システムに活用されました。また、コンビニエンス・ストアに設置したATMや、誰もが使えるコンピューターを目指したパソコンなど、社会に貢献したいという思いを持って日本のお客様とともに事業に取り組んでまいりました。
「P-TECH」は、昨今AIやIoTといった先端の情報技術が、自動運転の車など、従来のシステムから範囲が広く大きくなっていく中で、企業、高等教育の学校、行政など様々な機関と連携し、IT人材育成を強化させていく仕組みです。
私は本年5月1日に日本IBMの社長に就任し、3つの重要なポイントを社員と共有しました。1つ目は日本の企業がITを活用して変革をすることを支援する。2つ目は新しいテクノロジーを活用して新しいビジネスを創出、もしくはお客様と協業する。3つ目はIT、AIの人材育成を日本で支援する。今回のP-TECHは、その3つ目の重要な柱となっています。
アメリカでもIT人材育成は課題であり、P-TECHは2011年から、行政、学校法人、企業が長期にわたるパートナーシップを結んで共に活動しています。現在、世界16カ国において約200校でこのプログラムを実施しており、日本でも早期に実現したいと考えていた時に、今回のお話をいただき、大変ありがたく思っています。

山口明夫氏

日本アイ・ビー・エム株式会社 代表取締役社長 山口明夫氏

――片柳学園のご紹介と、御学園での人材育成等の考え方などについて教えていただけますか。

千葉 本学園は、1947年に開校し、創立80周年に向けて改革を進めています。72年の歴史の中で、昭和38(1963)年頃から、大学進学者がそれほど多くなかった時代ですので、工業高校と専門学校が非常に密接な関係を持ちながら人材育成を行ってきました。
それから50 年以上経って、今回また新しい関係構築の機会を得たことを大変嬉しく思っています。専門学校は、手に職を付ける、資格を取ることに特化していると思われがちです。しかし今は、そうした教育だけでは社会に通用しません。私たちは、「専門力+人間力」としてここ10年ほど教育をしてきました。最近ではそれに「創造力」を加えて、この3つの素養を持った人材を育成していこうと努力しているところです。
私は、中央教育審議会でこの3月まで委員として活動してきました。そこで「2040年の高等教育の在り方について」という答申を出して任期を終えたのですが、その中でも今の後期中等教育のやり方では、これからの社会に通用する人材を養成できないということは明確に認識されていました。
しかしながら、教育システムの歴史は大変長く、急に変わることはできないのです。やはりどうしても同質的な人材を育成するという長い伝統をなかなか変えられない、というジレンマを感じていました。それが今回、工業高校と専門学校という新しい連携の中で、新しい人材を育んでいくことは、大変挑戦しがいがあると思っています。
昭和22(1947)年に焼け野原の大田区蒲田に学校を開き、日本の復興のために尽力をしてきました。言い換えれば、IBM同様に日本社会への貢献が私たちの学校のベースとなっているのです。今回の高専連携についても、技術を身に付けるだけではなく、自分たちが生きて行くこれからの社会に役に立つ、そのための教育を行っていきたいと燃えています。

千葉 茂氏

学校法人片柳学園 理事長 千葉 茂氏

テクノロジーの世界は、勤続30年選手と新入社員が同じスタートラインに着く

――この取り組みを実施していく都立高校として町田工業高校を選定しましたが、専門学校や企業との連携にどのような期待をされますか。

藤田 千葉理事長がおっしゃったように、いわゆる人間力というものは非常に大事だと思います。都立高校でも、生徒が社会に出る前にどのような心構えをすればよいかなど、専門学校や大学への進学、その先の就職の選択などを見据えて考えられるようなキャリア教育が重要だと考えます。また、こうした教育の重要性は、工業高校などの専門学科のみならず、普通科の高校でも同様であると思います。大学生になってからでも遅くはないかもしれませんが、変化の激しい今後の時代に即応していくためには、高校生の段階から、こうした教育をしっかりと行うべきだと考えます。
町田工業高校では、現在、日本IBMの方々から、生徒へのメンタリングなどの取り組みを行っていただいていますが、その中において生徒が、「AIやIoTなどの言葉は聞いたことがあるけれど難しいと思いこんでいた。しかし、いろいろ聞いてみたら興味が湧いてきた」といった感想をもっていると聞きました。専門的な学業のことだけではなく、メンターの方との話を通じて世の中の仕組みを理解することで、様々なことで世界が動いていることを理解し視野を広げてくれているのだと思います。もちろん専門性を身に付けるのは大事ですが、さらにもう一歩、世界に目を向けるきっかけとなってくれればと願っています。
生徒には、学年を重ねていく中で、視野を広げて、自ら成長し続け、高校や専門学校などを卒業した後も、5年後、10年後の将来をより良くしていくことに貢献してくれる人材に育ってくれるよう今回の取り組みを皆さんとともに進めていきたいと考えています。将来は、もちろん東京で活躍してくれるのが嬉しいですが、東京を足がかりに世界を股にかける起業家になってもいいし、グローバルな企業に就職してもいい。世界をさらに良くしていこうという気概をもった国際的に通用する人材となっていくことを期待しています。

藤田裕司氏

藤田氏

――町田工業高校と片柳学園の日本工学院八王子専門学校とが連携した教育プログラムを展開していこうという取り組みに、どのようなことを期待されていますか。

千葉 本学園では、実践的な教育を実施します。AIやIoTは0(ゼロ)から1(イチ)を生み出すと思われがちですが、既存の技術、コンテンツ、ハードウェアとの組み合わせで生きてくると考えます。その意味から、文系の学生がAIを勉強することももちろん大事ですが、工業高校で専門を学んでいる学生がAIを学ぶことは非常に重要なことだと思います。これから町田工業高校との連携による相乗効果を生むことで、全国の工業高校と工業専門学校が一体となって新しい時代に向けての人材育成ができるようになると期待しています。 

山口 既存の技術にさらに新しいAI、IoTのスキルを付けていかなければならない、まさに企業でも同じことが起きています。新しいテクノロジーでは、新入社員と30年働いている技術者が常に同じスタート地点に立ちます。IT業界は新しいテクノロジーがどんどん出てくるので、30年働いていても全く安心ができません。常に新しい技術を学び、使い、会話ができるようにならねばなりません。チャレンジの連続です。それを大変と感じるか、楽しいと感じるかで将来が変わってきます。その楽しみを少しでも工業高校や専門学校の学生さんにお伝えできればと思っています。

――日本工学院八王子専門学校の学生さんが、日本IBMのイベントに参加されましたね。どのような成果がありましたか。

千葉 日本IBMのさまざまな教育活動に学生が参加させていただき、見違えるように成長していきます。社会で自分がどう役に立つのかは、教室での机上の勉強だけでは分かりません。素晴らしい技術に触れ、素晴らしい先輩と出会うことによって、彼らの勉学に対する意欲が非常に高まってきます。学習にはモチベーションがなんと言っても大事。そうしたモチベーションを与えていただける社会の代表として日本IBMと連携できることは、望外の幸いです。

千葉 茂氏

千葉氏

山口 約5000名のお客様が来場され、最新のテクノロジーで企業が変革した事例をご紹介したイベントに、61名の日本工学院八王子専門学校の学生さんに参加していただきました。
セッションに参加し展示を見ていただいたことで、「もっと勉強しなければいけないことが、世の中にはたくさんあるのだと知った」などのコメントを見て大変嬉しくなりました。それは社員も同じように感じたようです。年齢に関係なく、皆で今必要な技術を身に付けるということに一所懸命取り組んで行くことが、一番大切なのだと思いました。学ぶとその次を知りたいと思いますよね。

多くの技術に触れ、社会の先輩と出会うことで、将来の選択肢が増える

――P-TECHで提供している内容は、どのようなものですか。

山口 町田工業高校では、弊社の社員ボランティアがメンタリングを行っています。高校生に対して、将来のキャリアや仕事内容、会社ではどういう仕事をしているかなどをざっくばらんにお話しています。また、授業のカリキュラムの策定支援も行っています。テクノロジーは、3カ月も経つともう新しいことが起きていますので、その違いをどう変更・追加していくかを議論し、常に最新の情報で教育できるよう活動をしています。生徒さんもモチベーションが上がっているとのことですが、ありがたいことに、それ以上に参加している弊社の社員が非常にモチベーションを高めて帰って来ます。さまざまな夢を感じる新鮮なヒントが聞け、弊社の企業活動にもプラスになっているのです。

山口明夫氏

山口氏

――町田工業高校で実施している取り組みの結果、生徒の変容が非常によく見られてきています。カリキュラムの連携、その先の企業への就職、また企業に入った後でも勉強を続けるという志も育てていけたらと思います。

山口 広がりがとても大切です。特定の企業だけが参加するプログラムではなく、例えば弊社のシステムをお使いいただいているお客様の中にもITスキルをお持ちの方がたくさんいらっしゃいますし、他のIT企業、コンサルタント会社の方々と一緒に日本のIT、AIの人材スキルの底上げを若いうちから実施するこの取り組みを広げていければと思います。企業としては、そこでスキルを身に付けた方々が、いっそう活躍できる場を少しでも多く提供したいと思います。

――一方で、高校を卒業した生徒を、いかにして専門学校へとつないでいくのかなどの検討すべき事項があります。こうしたことも産学官と連携をしながら取り組んでいかねばならないと思っています。
高校の3年間と専門学校の2年間を一貫して学べるよう進めていきますが、「もっと学びたい」「大学に編入したい」という希望もあると思います。その辺りの展望をお聞かせいただけますか。

千葉 こうした魅力的なプログラムを用意することで、中学を卒業した時に「自分の好きなことを勉強する」ことをスタート地点にしていただければと思います。今はなんとなく「皆が普通科に行くから自分もそうする」とか、「勧められたから何となく工業高校に行く」などといった風潮があるようですが、そうではなく、「自分はこれが好きだからここで学ぶのだ」となったら素晴らしいですよね。やりたいことがその時点で分かっているというのは素晴らしい若者です。そうした人たちが、自由に学校を選んで、そしてその後、専門学校に行くもよし、短大に行くもよし、大学に行くもよし。自分が学びたいところで学ぶという選択をすることが、これからの個性尊重、創造力を働かせる世の中で必要ではないでしょうか。好きなことに挑戦していかないと学び続けることができません。 

本校でも大学への編入者が毎年100人以上います。専門学校で思う存分実学を身に付けて、そして大学に行って創造的な勉強をしたければできる。後期中等教育、高等教育を含めて、自分が好きな学びができる一助になればと思います。実際に、専門学校を卒業して大学に編入した学生たちの成績は概ね良く、今年、大学院の修士の学長賞を獲得したのは、専門学校から編入して大学を卒業し、大学院に進んだ学生でした。4年前に学部生で学長賞を取った学生も専門学校から編入した人でした。好きなことを学んで、大学に自分の目的を持って進んで行く。皆が大学に行くからではなく、専門学校で学んだ経験を生かして、目的をもって大学に行くと良い結果を生む可能性が高いです。町田工業高校の卒業生をお預かりして、その先、大学に行きたい、大学院に行きたい、あるいは専門学校でもっと勉強したい、そうした思いを受け止められるような受け入れをしていけるように心がけたいと思っております。

千葉 茂氏

千葉氏

――知識を学ぶことと、知識にもとづき探究することが相互に循環していくことが重要なのではないでしょうか。そうした意味で工業高校などの産業教育は大きな意義をもつと思います。こうした観点からも、IT人材の育成や多様な産業人材の育成が大切ではないでしょうか。

藤田 教育長になる前の職場では都内の中小企業の活性化などを進めてきましたが、これまではものづくりが中心でした。AIやIoTは、中小企業には関係がないと思われがちですが、実際はそんなことはありません。人と接するインターフェースは、やはり携帯電話や端末、機械などの「モノ」だと思います。そこは中小企業の技術も生かせます。IT人材は、実はITに直接的に関係する人材だけでなく、AIに必要なセンサーなど、AI時代には必須の様々なものづくりも大きく関係しているのです。
少子高齢化、環境問題、都市の防災や福祉など、今後、様々な分野でAIやIoTといったIT技術の革新による便利なプラットフォームを活用していかねばなりません。理系・文系に限らず、どの分野でも人の生活とAIやITとのつながりを意識しなければなりません。低年齢の頃から進むべき道がうっすらと見えていて、目的意識を持っていると、学びが全く違ってきます。むしろ、そうした人材の方が、進学先に関わらず、最終的に就職した先で活躍できると思います。かなり人間力がついて、困難にあってもめげない。あるいは世界への視野が広がっていて、むしろニーズを作り出す。そうした視野の広い人材が育つということがあると思います。ものづくり、IT関係はもちろんですけど、サービス業にもIT教育が必須と考えます。なるべく早いうちから、自分はITをどう使うのかを考え、進学や職業選択なりの自らの進む道を決めていただけると嬉しいです。工業高校、専門学校の連携が、そうした意味でさらに発展して、都立の工業高校を含めた専門高校をはじめ、都立高校全体として多様な選択肢となり、魅力を高めることができると考えます。

藤田裕司氏

藤田氏

自ら学び続ける姿勢の育成が鍵

――都立高校への期待をお聞かせください。

山口 社会に出てからも学び続けねばなりません。そして、社会に出てからの人生が長いのです。今日はAIとIoTの話を中心にしてきました。しかし、5年後、もしかしたらAIやIoTではないかもしれません。常に新しいことに目を向けて、それを貪欲に学び続ける柔軟性と意欲を持つことが大切です。ITを学ぶことでそうしたことを身に付ける。最終的にはそれが人間力、柔軟な思考、人間性につながります。客観的にものごとを判断して、素直に新しいことを受け入れてチャレンジしていく。そういう学生さんがどんどん社会に出てきたら、社会も変わっていきます。先ほど申し上げたとおり、30年選手でも今年の新入社員と同じスタート地点に立つことがたくさんあります。過去に縛られず、常に新しいことに目を向けて、変化をし続ける。新しいことを柔軟に吸収する。その中で成長していく。成長すると喜びが増してくる。それを次の人たちに教える。感謝してもらう。そうすると嬉しくなる。そういった新しい循環が生まれ、そのサイクルの中で社会人としての生活が送れたら素晴らしいと思います。そのベースとなる時期が高校生活になればと思います。

山口明夫氏

山口氏

千葉 世の中が随分と変わりました。教室で勉強していることを、ネットの世界で学ぶこともできます。これまでの高等学校の枠組みだけで変革を起こすのは難しい時代です。
そこであえて、「教えない教育」。学生たちが自ら学ぶ。知的好奇心を刺激するような仕組みにしていかねばならないのではないでしょうか。
これまでは、テストで高得点を取った人が優秀とされてきました。これをなんとか変えていきたいですね。
「火星移住計画」というプログラムを専門学校で実施しています。それぞれ勉強したことを火星で生かすにはどうしたらいいか考えるというものです。もう5年目になります。電気・電子を学んだ学生たちは、宇宙空間でどうやって電気を供給していくかを考え、自動車の勉強をしている者は移動手段を、バイオを勉強している者は食物を、建築を学ぶ者はどういう住空間を造るかを自ら考えます。これが教えない教育で、自分の学んだことをどう生かし創り出すのかを考える。このプログラムを実施しますと、20人以上の学生が常に集まってワイワイガヤガヤと論じながらやっています。このように、自ら学ぶ楽しさを高校時代に経験させてあげたい。
また、大学生が高校に教えに行ったり、先輩と接したり、商店街の人と接したり、外の世界の人との経験が気づきになります。高等学校が変わるのは難しいと思いますが、支援者は多いので、ぜひ頑張ってほしいです。

――お二人の期待を受けて最後に一言お願いします。

藤田 今回の新しい枠組みで、IT人材の育成のみならず、人間力や自ら学ぶ姿勢、次々と変化する世の中を受け入れチャレンジしていくといった力も含めて、人間育成というか、広がりのある人間力を鍛える都立高校のモデルとなる礎を三者で一緒に築いていきたいと思います。

藤田裕司氏と千葉 茂氏と山口明夫氏

TEXT:栗原 進

藤田裕司

藤田裕司
ふじた・ゆうじ

東京都教育委員会教育長。1983年4月に東京都に入庁。その後、産業分野や医療分野、政策分野などで活躍。東京都交響楽団でも功績を果たすなど多様な経歴を持つ。2015年に人事委員会事務局長、2016年に産業労働局長を歴任し、2019年7月に東京都教育委員会教育長に着任。趣味は音楽鑑賞で休日には庭木の手入れも行うという。

千葉 茂

千葉 茂
ちば・しげる

学校法人片柳学園理事長。1983年4月に学校法人日本電子工学院(現:片柳学園)入校、1994年に副理事長、2003年に日本工学院専門学校・日本工学院八王子専門学校学校長を歴任し、2018年4月に理事長に着任。

山口明夫

山口明夫
やまぐち・あきお

日本アイ・ビー・エム株式会社代表取締役社長執行役員。1987年4月、日本アイ・ビー・エム株式会社にソフトウェア技術本部システムエンジニアとして入社。2005年に米国IBM ソフトウェア事業テクニカルセールス担当役員補佐、2014年には日本アイ・ビー・エム常務執行役員グローバル・ビジネス・サービス事業本部 サービス事業統括担当に就任。2017年に取締役専務執行役員グローバル・ビジネス・サービス事業本部 本部長を経て、2019年5月 に代表取締役社長執行役員に就任。趣味はテニスとゴルフ。社内テニス部の部長を務めたことも。


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※日本IBM社外からの寄稿や発言内容は、必ずしも同社の見解を表明しているわけではありません。


次世代の定跡のゆくえ――佐藤天彦の「思考法」とAIが広げる将棋界の未来

2016年、「第74期名人戦」において羽生善治名人を破り、16年ぶりの20代新名人として世間の話題をさらった棋士がいる。ファッションとクラシック音楽を愛する稀代の棋士、佐藤天彦九段である。現在(2019年)31歳。今春行われた「第77期名人戦」では、3年間保持し続けたタイトルを豊島将之新名人に譲り渡すも、ネクストジェネレーションの台頭著しい将棋界において、唯一無二の存在感を示し続ける。

小学生の頃から勝負の世界に身を置く佐藤九段は、コンピュータ将棋との関わりも深い。2017年の「第2期将棋電王戦」では、コンピュータ将棋ソフト「Ponanza(ポナンザ)」と現役名人として初めて対戦した。

AI将棋の進化と共に将棋界は今後どう変容を遂げるのか。幼少期から培われてきたメンタルコントロール法と併せ、佐藤九段に伺った。

将棋は盤上のディベート

――佐藤天彦九段はよく「将棋とは対戦相手とふたりでつくる物語」という言葉を使われます。まずは、その言葉に込められた思いをお聞かせください。

佐藤 どの世界のプロフェッショナルも子ども時代から経験を重ねていると思いますが、プロ棋士は、早ければ小学校高学年から「奨励会」という日本独自の養成機関に入り、勝負に明け暮れる日々を送らなければなりません。幼い頃に将棋の面白さに魅了され「奨励会」に入会できたとしても、プロ棋士になれる人はほんの一握りです。誰もが、将棋が楽しいという思いだけでは突破できない壁をくぐり抜けてきています。

私は先輩方や昭和の大名人の棋譜、実戦経験などから自分なりの考え方を形成してきましたが、その壁をどう乗り越えてきたかは人それぞれ異なります。誰もがひとりひとり自分なりの葛藤を経ることで、プロの棋士になる頃には、固有の凝縮された勝負観、価値観を身に着けるようになるんです。将棋の盤上では、人間性も含め互いにそれらすべてをさらけ出して闘わなければならないので、嘘偽りない迫真の物語が生まれます。

――「指し手がかみ合う、かみ合わない」という表現もされていますが、具体的にはどのような感覚なのでしょうか?

佐藤 普段の皆さんの会話の中でも、「会話がかみ合う、かみ合わない」といった感覚にとらわれることがあるかと思いますが、盤上では言葉ではなく、駒を通じて同じようなキャッチボールが行われています。

人は誰しも自分なりの価値観を持っているものですが、価値観が似ている人と話すときは共通点を見いだしやすく、比較的スムーズに会話を進めることができます。一方、まったく価値観や視点が異なるふたりだと、お互いの会話がなかなかかみ合いづらくなります。それでも、日常会話では、触れてはならない事柄をうまく回避しながら、コミュニケーションを取ることができますよね?

でも、対局ではそれが許されません。勝敗を分ける大切な局面であればあるほど、自分が信じる価値観、主張をストレートに相手にぶつけなければなりません。つまり、会話に置き換えると、相手の主張を全否定しなければならない場面も出てきます。指し手がかみ合いながら整然と進んでいく対局よりも、指し手がかみ合わない対局のほうが白熱した闘いになるので、観ている方にとっては、ドラマチックに映ると思います。

佐藤天彦氏

――まさに「棋は対話なり」という言葉どおりですね。

佐藤 対局では、極限の場面では本音をオブラートに包むということはできないのです。観ている方は、技術的なことは理解できなくても、ふたりの棋士の表情や動作、駒を指すときの指の震えなどから、対局が山場を迎えていることを本能的に察知され、盤上のドラマを楽しまれるのだと思います。野球のホームランやサッカーのゴールのように、見るからにインパクトのあるクライマックスではないにせよ、将棋の対局には、多くの劇的な瞬間が秘められているんです。

「勝ち負け」以外の視座を持ち、メンタルをコントロールする

――将棋の対局時間は長時間にわたることもあります。終わりの見えない長時間の対局中、どのようにメンタルをコントロールされているのでしょう。

佐藤 対局が午前の10時に始まり、翌日の深夜0時を回って丸1日行われることも少なくはありません。もちろん、その間、食事などの休憩時間を含みます。棋士の各々の持ち時間は平均的に約3~4時間ですから、ふたりの棋士が持ち時間を完全に消化すれば、それだけで約半日が費やされてしまいます。

私たち棋士は、原則、対局がいつ終わるのかわからない中で手を重ねていきます。極端な仮定ですが、テニスの試合で双方の選手がミスをせずいいラリーを続ければ、永遠にラリーは終わらないですよね。将棋の対局時間が長くなっていくことも、これに近いものがあります。棋士がお互いにミスをせずいい手を指し続けていくと終わりの時間は見えません。ただ、将棋にはテニスと違って持ち時間があり、それを使い切ると負けになりますし、終盤に持ち時間がわずかとなることへの配慮も必要なので、一手にかける持ち時間の配分は非常に難しくなるのです。

対局前から心技体を調整して勝負に挑みますが、対局中は、メンタルの比重がとても大きくなります。個人差はあるでしょうが、私の場合は、心技体を併せ100をパーセンテージに設定したとすると、50%はメンタルが占めるような気がします。

私たち棋士が対局に臨む目的は、「勝つため」です。非常に明確なゴールです。とはいえ、「勝ちたい」という唯一の目的だけにとらわれていると、長時間の間に細かく変動していく形勢に、心の揺れ動きがついていきません。ましてや、序盤、中盤と順調にいい手を重ね、もう少しで勝負がつくといった終盤に形勢がガラッと変わり窮地に追い込まれたりすると、正直、心が折れます(笑)。

そこで私は、「勝つため」という目的以外に、別の視点を採り入れてメンタルバランスを保つためのリスクヘッジを行っています。そもそも自分はなぜ将棋を始めたのか。将棋のどこに面白さを感じたのか――原点に立ち返り、「勝つため」だけではなく、あらゆる局面で「いかに将棋を楽しむか」を意識するようにしています。そうすると、例え勝つ見込みが薄くなった場合でも、劣勢から逆転する道筋を吟味することで、「状況が苦しいとき」にしか存在しない将棋の醍醐味を味わうことができます。それが、劣勢でも精神の平衡を崩すことなく冷静に戦い続けるようとする意識を保たせるのです。

――逆に「勝ち」を意識された有利な局面では、モチベーションをどう維持されるのでしょう。

佐藤 指し手に評価値をつけるソフトがあるのですが、大優勢、例えばプラス2,000点の場面では、そこから100点でも200点でもプラスを積み重ねる手を選べば優勢を拡大できることになります。逆にマイナス500点の手を選んでもまだ1,500点分は優勢なわけです。つまりソフトの理屈で考えれば、プラス2,000点くらいありそうだな、と思う局面では「一番いい手を選べなくても大丈夫かな」という気持ちが生まれがちです。ただ、そのような気持ちが油断となり、決定的なミスを招くこともあります。

こんなときは、今までつくり上げてきた作品の最後のピースを素晴らしい形であてはめて完成したい、といった芸術的志向が力になります。

絵画作品に例えれば最後のひと筆をどう入れるのか。また、新体操などの競技では、最後の着地にどのような技を入れるのか。そのような意味で、優勢な局面における勝ち方にも、それぞれの棋士の勝負観、美意識がとてもよく表れると言えます。

佐藤天彦氏

――棋士の方各々の美学が試される局面でもあるんですね。

佐藤 私は「勝ちたい」という勝負師としての意欲の他に、対局の棋譜を「いい作品として世に送りだしたい」という創造的意欲も持っています。人によっては、そのような創造的意欲は不必要で、勝負にのみ専心するべきだと考える方もいらっしゃると思いますし、いかに最短のルートで効率よく勝つかを正とする方もいるでしょう。

負け方(投了)についても同様です。例えば20手後の盤上の局面を読み切って、負けが確定したと判断した時点で早めに投了する方もいらっしゃれば、玉が逃げ場を失う最後の最後まで粘り尽くして投了する方もいます。潔い負け方が美しいのか、最後までどろくさく闘い抜くのが美しいのか。観戦する側の皆さんも、そういう視点から感情移入しやすいほうの棋士を応援されるのではないでしょうか。意外に思われるかもしれませんが、私自身はボロボロになっても最後まで闘い続けるタイプです(笑)。

――弱さも含め、自分の心の揺れ動きを受け止める達観した視点を持つことが大切なのでしょうか?

佐藤 有利不利という局面を問わず、常に自分自身が今、どういう状況に置かれているのか、別の角度から客観的にモニターする視点が必要だと考えています。特に大きな時間軸の中に自分を置いて俯瞰してみることが有効かもしれません。

例えば私の場合、先日行われた「第77期将棋名人戦七番勝負」で四連敗を喫し、3年間保持し続けた名人位を失うことになりました。この結果を近視眼的に短い時間軸でとらえてしまうと、どうしてもネガティブな感情に傾きがちになります。でも、長期的な時間軸に置いてみれば、数年後に、あるいはもっと先に、この経験で学んだこと、得たものが大きく実りあるものになるかもしれません。負けたこと自体はネガティブな結果ですが、経験そのものはポジティブな経験として何か意味があったと考えられるはずです。

負けた結果についても、自分を責めて反省点ばかりにフォーカスするのは精神衛生上良くないと思っています。全体の流れを俯瞰して修正すべき点は修正し、同様に、高評価できる指し手についてはきちんと認めます。大きな視点と小さな視点を統合し、修正点と評価点を見極めて、複数の要素を検証、整理することで、また先に進めるような気がしています。ネガティブな要素だけに目が向かないよう、常に心がけています。

佐藤天彦氏

AIとともに思考し、知識を「知恵」に変える

――佐藤天彦九段は、プロ棋士とコンピュータ将棋ソフトウェアとが対局する「第2期将棋電王戦」(2017)において、コンピュータ将棋ソフト「Ponanza(ポナンザ)」と対局されています。当時の心境と対局後の感想をお聞かせください。

佐藤 私たち30代前後の世代の棋士は、幼少の頃から将棋ソフトに慣れ親しんでいたので、コンピュータ将棋のレベルがどんどん上がっていくスピードを肌感覚で感じていました。ですから正直、対局前から、人間である自分が勝つのは難しいだろうという認識も持っていましたね。ただ、将棋ファンの方からすれば、人間に勝ってほしいという期待を持たれるのはごく自然なことですから、勝つために全力を尽くそうという覚悟はありました。

実際に対局してみると、やはり強かったです(笑)。指す手の正確さの精度が非常に高かったですね。とは言え、基本的に私たち棋士は、「想定以上に強い相手と将棋を指してみたい」という欲求を持っていますので、Ponanzaの強さに圧倒されるというよりは、未知の領域の強さを楽しむことができたと思います。ここまで見透かされるのか、いや、こんな発想もあるのか、と驚かされる場面もありました。老練な棋士が指すような手もあれば、人間の発想ではなかなかたどり着かない手もあったりして、学習や経験に裏打ちされた印象を受ける部分とどこからその発想が生まれたのかわからない部分が絶妙に混ざり合った指し方が非常に興味深く思われました。

――コンピュータ将棋が将棋界にもたらしたものは何だとお考えでしょうか?

佐藤 コンピュータは、圧倒的に演算力が優れていますから、徹底的に有効な手を読むことができます。併せてどの指し手に対しても感情のバイアスがかかっていません。まったく先入観のない視点、膨大な情報量の中から、時に、人間の積み重ねてきたセオリーや経験値では到達できなかった正解を見つけ出します。

コンピュータ将棋によって、往年の大棋士がタイトル戦で指した手が、妙手(非常に有効な手)ではなく、疑問手(少し形勢を悪くする手)だったことがわかり、指し手のセオリーにパラダイムシフトが起きたこともありました。なぜそういうことが起こったかというと、大勝負の局面で逆転劇が起こったりすると、人間はそのインパクトから、勝利を決めた名人の指し手を「いい手」だと思い込んでしまうんです。つまり、合理的な論理より情緒的な感情が先行してしまう。逆にコンピュータは、どんな指し手に対しても冷静かつ論理的にジャッジすることができるのです。

コンピュータ将棋によって、「盤上の可能性が広がった」と表現する棋士の方もいて、より客観的で大きな視野が持ち込まれた点は将棋界にとって良いことだと感じています。

――ではその一方、人間の指す将棋の魅力とは何でしょうか?

佐藤 今お話しした内容と矛盾するかもしれませんが、勝ち負けだけに縛られない情緒的な部分や物語性はやはり人間にしか持ちえない強みだと思います。今後、コンピュータ将棋ソフトが益々高性能になっていくことは間違いありません。また、将棋の世界でもすでにAIが意思決定する過程のブラックボックス化は取り沙汰されており、コンピュータの推奨する手を人間が解釈し、上手に自分の戦法に採り入れることは年々難しくなってきています。

勝負という座標軸においては圧倒的に有利になっていくコンピュータに対し、別の座標軸に人間の将棋を置くことで、その醍醐味を味わえるはずだと考えています。思わず身を乗り出す仕草や眉間に刻まれるしわ、額に汗をにじませる様子には、棋士ひとりひとりの情熱や葛藤がこめられています。観ている方が一喜一憂しながら感情を共有しやすいのは、同じ人間である棋士の指す将棋のような気がします。

佐藤天彦氏

――今後、コンピュータ将棋と人間の将棋はどのように共存していくことが望ましいのでしょうか。棋士としての展望と併せお聞かせください。

佐藤 大前提として、コンピュータ将棋と人間の将棋は、各々固有の良さを持っていると考えています。まずは、対立するものではなく、補完しあう別々のものとして分けて認識する必要があると思います。その上で、課題となるのは、人間がコンピュータに依存しすぎないことです。

コンピュータ将棋が人間の能力と同レベルだった時代は、私たち棋士との対話が今よりクリエイティブに行われていました。コンピュータの導き出す手に疑問を投げかけると異なる解答を示してくれたり、時には人間側の提案を採用してくれたり(笑)。人間はコンピュータから得られる知識(回答)を自分なりに咀嚼し、精査してから自分の戦術に活かす余裕があった。

翻って、コンピュータ将棋ソフトの能力がグレードアップする未来では、人間とコンピュータとのやりとりはより高度になるでしょう。そうすると、人間側はコンピュータの提供する知識を絶対視するようになるかもしれない。そこで懸念されるのは、人間の思考プロセスの空洞化です。知識は、思考というプロセスを経てこそ「知恵」となって活かされるということを忘れないようにしたいものです。

時にコンピュータは、人間が思いつかないある種独創的な答えを導き出してくれます。将棋界に限らず、今後、人間とAIの共存においては、コンピュータから創造的インスピレーションを受けながらも、決して受け身になるだけではなく、人間みずからも思考し続けるという意志が大切なのではないでしょうか。

TEXT:岸上雅由子

佐藤天彦(さとう・あまひこ)

将棋棋士。1988年、福岡県福岡市生まれ。5歳の頃に将棋を始め、10歳で中田功八段門下として奨励会入会、2006年にプロ棋士となる。2008年、第39期「新人王戦」にて棋戦初優勝。2016年、第74期「名人戦」にて羽生善治氏を破り、16年ぶりに20代で名人位を獲得、2017年、2018年と2期の防衛を果たす。2016年の第2期「叡王戦」に優勝し、翌年の第2期「将棋電王戦」にてコンピュータ将棋ソフトPonanzaと現役名人として初めて対局した。

古材の「ストーリー」を価値に。リビルディングセンターに学ぶサステナビリティ

株式会社ReBuilding Center JAPANは、住居や店舗の解体現場に出向き、自らが剥いだ古材や古家具を販売している。代表の東野唯史氏は、妻の華南子さんと共に、空間デザインユニットmedicala(メヂカラ)として古材を利用した店舗デザインを手掛けていた2015年、新婚旅行で訪れたポートランドのReBuilding Centerに感銘を受け、すぐさま企画書を送って交渉。名称やロゴの使用許可を得て、2016年秋、長野県諏訪市にReBuilding Center JAPANを設立した。解体に伴う廃棄物の削減や資源の有効活用とともに、古材に残る家主の思いを汲み取ったデザインを提案している。今回、活動を通じて描く、持続可能な社会のあり方などを伺った。

デザイン性だけではない、古材が持つ「価値」

――ReBuilding Center JAPAN(以下、リビセン)の活動を始めて3年になります。リビセンでは、古材や古道具を引き取りに行くことを「レスキュー」と呼び、活動の軸としていますが、その言葉にはどのような思いが込められているのでしょうか。

東野 「レスキュー」という言葉は、妻が、リビセンを始める1年ほど前から自然と使いはじめたものですが、レスキュー自体はもっと前からしていました。レスキューで救済できるものが「材料としての古材」だけじゃないという、「古材の本当の価値」に気づいたのも、山口県の萩市に「ruco」というゲストハウスをつくっていた2013年頃です。ヘリボーン模様(長方形を斜めに組み合わせた柄)になっている「ruco」の2階の床は、萩市にあった酒屋の木のパレット(荷物を運ぶために使う荷役台)で作られています。施工メンバーの友人である酒屋さんが店を閉じることになり、その時に処分することになった大量のパレットを引き取って再利用しました。

荻ゲストハウスruco

荻ゲストハウスruco

関係性のあった酒屋さんの思いや歴史が詰まったパレットだからこそ「ruco」で使う意味がある。そうなると、他のパレットでは代わりがきかなくなるんですね。それは、古材が持っている価値が、見た目の表情や木の種類という、デザイン性とは全く違うところに置かれる瞬間だと思います。僕は、それまでは古材を、デザイン性がある、ただのかっこいい木材としか見ていませんでした。エイジング加工をされた木材がこれだけ出回るということは、日本のデザイナーの多くも同じように考えていると思います。歴史だったり所有者の思いだったり、ストーリーを内包している木材というものが古材の本当の価値なんじゃないかと気づいて、古材の使い方も変わりました。

「いい空間」を作るために、元家主の思いに寄り添うリノベーションを取り入れるようになったんです。リビセンの近くにある「マスヤゲストハウス」は、明治に建てられた旅館をリノベートして運営されていますが、リノベートの際、元家主の方から、この木はモミジ、ここはトチノキなど、使われている木材の説明とともに旅館への思いなんかも伺うことができました。業態が変わるので、かなり工事をする必要があったのですが、建物から出た廃材をなるべくその建物に戻すことをデザインの中で優先しました。他の古民家から持ってきた古材では代わりがきかないと考えるようになっていたからです。

東野氏

――今仰った、「いい空間」というのは、どのようなものなのでしょうか。

東野 最初の頃は、作り出す空間の隅々まで所有者の意識が反映されている空間が「いい空間」だと考えていたんですが、もっとシンプルに「愛されているかどうか」という結論に至りました。つまり、いい空間は、その空間の所有者にちゃんと愛されているということです。店舗なら店を運営する人、住居なら住んでいる人ですね。愛されていない空間に比べ、愛されている空間は、まとっている空気が気持ちいいなって思えるし、その人の意思みたいなものが伝わってくるんです。

ポートランドのリビセンを訪れた時に、最高に「いい空間」だと感じたんです。5,000㎡の広さに40人の従業員が働き、ボランティアも年間3,000人くらいやってくる。古材や古道具を扱うから、もちろん散らかっています。でも、そのお店を構成する看板一つにも試行錯誤の過程が見えて、「こういう事を伝えたくて、こういう解決策を出したんだな」ってことが読み取れる空間だったんです。「いい空間」ってやっぱり、そういう愛みたいなものが伝わってくるのです。僕は、「いい空間」のお店や施設を作ることは、いい街やいいコミュニティにつながる第一歩になり得ると思っています。

――しかし、解体現場に出向き自分たちで古材や古道具を運び、ストーリーを内包したまま扱うのは大変ではないでしょうか。

東野 結構大変です(笑)。リビセンで扱っている物には「レスキューナンバー」という管理ナンバーを貼っています。古材をストーリーとともに管理するために、現場からレスキューしてリビセンに運んだら番号をラベラーで貼ってしまう。その後、プライスを決めるという仕組みを作って管理しています。

古材につけられたレスキューナンバー

リビセンの古材には「レスキューナンバー」がつけられている

リビセンは、扱っている古材を自分たちで剥がしてレスキューしています。お客さんから、これはどこで使われていた木材ですかとか、この家具はどういうお宅にあったんですかとか聞かれたとき、僕らは家主の話を聞きながらレスキューしているので、その木材が家のどこでどう使われたか、どういうお宅で大事にされていた家具だったのかなどをお伝えすることができます。そこが普通の古材屋さんと違うころであり、リビセンの価値ではないでしょうか。

活動を継続し、思いを根付かせるための「サポーターズ」

――効率性と反するレスキューという行為を企業として成り立たせるために、リビセンはどのような体制で活動しているのでしょうか。

東野 設立当初は「古材部、カフェ部、デザイン部」というわかりやすい名前でしたが、現在は、「Builders Center」「Culture Center」「Design Center」という3つのチーム編成で活動しています。「Builders Center」は古材や古道具をレスキューして販売したり資材として提供したりするなど、リビセンのベースになる活動を行い、「Culture Center」は、リビセンに併設されたカフェや、ワークショップなどを通じてリビセンの考え方を広める活動を行っています。「Design Center」は、レスキューしてきた古材の新たな可能性を探り、依頼いただいた空間のデザインなどに再利用しています。その他に、「サポーターズ制度」という一般の希望者が活動に参加できる制度を設けています。

リビセン店舗内

リビセンでは古材だけでなく、家具や食器などの古道具も販売している

――「サポーターズ制度」は、リビセンの仕事に参加して作業ができるボランティア制度という位置づけと伺いました。

東野 そうですね。ポートランドのリビセンには、年間3,000人くらいのボランティアが参加しています。だからあれだけの物量を低価格で販売でき、援助を受けずにNPOとして自立できている。その背景には、アメリカにおけるボランティア意識――休日に時間があるからちょっとボランティアに行こう、古材の釘を抜いたり、古材の加工を手伝ったりしたら、自分も技術を身につけられる――みたいな、ワークショップ的な考え方で気軽に活動する文化があると思います。

一方、日本では、ボランティアを災害時など特別な時の活動と捉えている方が多いように感じます。ボランティアという言葉が持っているイメージが、僕らが求めているカジュアルに関わってほしいという考えとミスマッチだと思い、リビセンでは「サポーターズ」という名称にしました。

東野氏

一般的に、そこで働きたい人は、社員やバイトなどで採用される必要があります。とはいえ、採用面接に通らないと手伝えないのは参加のハードルが非常に高いですよね。僕らはこのレスキューという考えをもっと広げたいし、もっといろんな人に関わってほしいと思っているので、やりたいという人は拒みたくない。そういう人の受け皿、僕たちの活動を広めるための仕組みとして、「サポーターズ」があり、スタッフとお客さんの中間と位置づけています。古材に関するスキルを身に付けたい人はもちろん、モラトリアムな若者、転職を考えている人、学生も来ますよ。嬉しいことに、年間200〜300人の方々にお手伝いいただいています。

また、サポーターズに参加してくれる方がいないと、新たにスタッフを雇わなければいけなくなり売価が上がる可能性があります。すると販売の回転率が悪くなり、レスキューできる物量が減るし、僕らが目指す未来から離れてしまう。サポーターズの存在はリビセンの活動を継続していくためには不可欠な存在だと捉えています。

サステナブルな社会のために、自分なりの正義を

――リビセンの考え方は、話題に上がることの多い「持続可能な社会」に貢献することにもつながります。

東野 世間を見渡すと、社会問題に対する意識は高まってきていると感じます。身近なところでは、プラスチックやストロー問題が世界的なムーブメントとなっていますよね。SDGs(Sustainable Development Goals:持続可能な開発目標)――言葉自体は1年前に知りましたが――内容はリビセンの活動と通じるところが多いと思いました。明文化され、女性誌で特集を組まれるなど、マスコミでも大きく取り上げることで、SDGsへの取り組みが社会に浸透してきているのではないでしょうか。

――とはいえ、やはり「家」となると、ハードルはまだ高いと感じます。

東野 一般的に日本の住宅は、建てた時の価値が一番高い。そこから減価償却され、家の価値がどんどん下がるので、古い家は価値がなくなっていきます。住宅を取り巻く税制度や価値観、さらに人口減少や間伐材問題など、日本独特の事情を鑑みて社会問題に対応していかなくてはならないと思います。

リビセン店舗内

たとえば新築物件を建てる時に、断熱性能が高い環境負荷の少ない家を建てようとしている人たちがいたら、それはそれで正義だと思います。一方で断熱性能は高くないかもしれないけど、化学系の物質を使わないで無添加住宅を作っている人たちもいて、それも正義です。みんなそれぞれの視点で環境問題に取り組んでいるので、一概にどの活動がベストと言うのは難しいです。僕らなりの正義としては、日本にこれだけ住宅のストック(空き家)があるのに活用できておらず、新しく家を建てるのは勿体ないというのがあります。解体されるストックの場合、家一軒で10トン以上の産業廃棄物になるんですが、それを再利用しようよっていうのが、僕ら古材屋としての仕事だと考えています。

実際問題として、全員が、「アメリカのかっこいい古材より、日本の古材は環境負荷が少ないからこちらを買おう」となるのは難しいでしょう。ただ、日本の古材のかっこいい使い方を提案できれば、使ってみようと思う人がでてくるかもしれない。そんなイメージ戦略が必要かもしれません。

――諏訪まで来てサポーターズに参加することはできないけれど、自分サイズでできる活動をしたい、興味があるという人は、どのようなことを実践すればよいでしょうか。

東野 そうですね、物を買うときに、その製品の環境負荷を考えたらいいと思います。洗剤を買う時に、ボトルを買うか詰め替え用を買うか。もっと突き詰めると、液体と粉末どちらを選ぶのか。液体の製品は粉末を水に溶かしている物として、水や運送に無駄な負荷がかかっていると言う人もいるでしょう。添加物の有無、国産、外国産、デザインなど選択のポイントは多岐にわたりますが、自分の価値観や経済状況を鑑みて、製品のどの部分にフィットさせるか、一つの買い物でも考えることが沢山あると思うんです。

たとえば、これはMiiRというブランドのボトルです。断熱性など性能面はもちろん、ボトルを買うと東南アジアやアフリカにおける浄水システムの建設支援など、55種類以上の水問題に寄付される仕組みになっています。ボトルにギブコードがついていて、水に関する「どのような問題」にいくら寄付されたかHPで追跡することができます。

リビセンオリジナルボトル

MiiRとコラボレーションした、リビセンオリジナルボトル

反面、これはステンレスでできているため、環境負荷が高いと言う人もいます。僕は、経済状況や買いやすい物の中で、これを選択しました。自分のできる範囲でカジュアルに取り組むことが大切で、突き詰めすぎたら何も買えなくなってしまう。だから、ステンレスに問題があることは覚えておき、いつの時代か環境負荷や劣化が少なく自分がいいと思える金属のボトルが発売されたなら、そちらに変えたっていいと思っています。

「価値」がつながり、未来を作る

――リビセンは「ReBuild New Culture」という経営理念を掲げていますが、その理念のもと今後はどんな展開をしていきたいとお考えでしょうか。

東野 古材を使った空間を持つお店のデザインにこだわるのは、お店の運営者が古材に詳しくなり、古材の本当の価値を知ってほしい、そういう空間に身を置くことで、古材に関心を持つ人が少しでも増えてほしいと思うからです。さらに、お店のお客さんとのコミュニケーションを通じて古材の知識や考え方が広まっていけばいいですよね。

東野夫妻

リビセンの古材でないと、その空間は実現できないということでは決してありません。僕らの活動や考え方が全国に波及すればいい。リビセンにかっこいい古材や古道具があったけれど、あれっておじいちゃん家の納屋にもあったよね、だからあれを使ってみようと考える人が増えればいいんです。

解体に伴い大量に発生する古材や古道具を廃棄物にしないで、可能な限り再利用する。形や用途は変わったとしても、家主の思いやストーリーとともに、これまでの価値から新しい価値、その先の価値へとつながっていく。そんな「Culture」を作れたらいいと思います。

TEXT:小林純子

東野唯史(あずの・ただふみ)

株式会社ReBuilding Center JAPAN 代表取締役。1984年生まれ。名古屋市立大学芸術工学部卒。2014年より空間デザインユニットmedicalaとして、妻の華南子と活動開始。全国で数ヶ月ごとに仮暮らしをしながら「いい空間をつくる」を合言葉に店舗のデザイン・施工・運営アドバイスを行う。2015年夏、新婚旅行でいったポートランドでReBuilding Centerに出会い、2016年秋、建築建材のリサイクルショップReBuilding Center JAPANを長野県諏訪市に設立。

システム・トラブル解決率100%! ――緊迫した現場に、笑顔をもたらすトラブルシューターに聞く

小学生の頃からプログラミング大好きだった少年が、成長してシステムを支えるトラブルシューターになり、それを専門とする会社を起業した。そして、「まるで名探偵のような問題解決力!」と称賛されている。システム・トラブル解決率100%を誇る技術集団Airitech(エアリテック)株式会社 代表取締役の山﨑政憲氏だ。
「基本的にコンピューターというのは、非常にシンプルな原理で動くものです。人間が指示を与えれば、その通りにコンピューターは動く。トラブルが発生する時は、人間の指示が間違っているのです。だから、どんな難しいトラブルに向き合う時も、『必ず解決できる』という信念を持って対応しています」
そう胸を張る山﨑氏に、トラブルシューターとしての心意気やエピソード、将来展望などについて伺った。

プログラミング大好き少年からトラブルシューターへ

――どうしてシステムのトラブルシュートを専門とした会社を起業しようと思われたのですか?

山﨑 就職して2年目くらいでしたか、担当していたプロジェクトとは別のシステムで性能が出ないと困っているチームがありました。同じお客様を担当していたので、ちょっと呼ばれて行ってみたところ、第三者の冷静な視点で見るとトラブルの原因と解決策がよく分かったのです。
それ以来、何か困ったことがあると「山﨑に聞け」ということになって、以前の職場でトラブルシュート専門の部署が作られ、そこに配属されました。
多くの人が悩んでいたり、困っている現場に入ってトラブルを解決すると、結果的にお客様から感謝されます。こんなに人から頼りにされ、感謝される仕事って他にあまりないんじゃないかと嬉しくなりました。考えてみると、仕事というものはできて当たり前で、なかなか感謝されることはありませんからね。

山﨑政憲氏

もう1つ、トラブルシュートでは、さまざまなシステムに携わることができます。業種も毎回変わり、フロントエンドのECサイトから基幹系システム、物流、通信とありとあらゆるシステムに関わることができます。これはエンジニア冥利(みょうり)に尽きますね。
あらゆる業務のデジタル化は進み、データ量は増えていく。エンジニアはいつも人手不足です。ここに大きなビジネス・チャンスがあると思い、起業しました。会社を立ち上げた最初の1年は大変だよと言われましたが、これまでのお客様が信頼して指名してくださり、ありがたいことに私には最初からお客様がいました。

――もともとコンピューターがお好きだったのですか?

山﨑 子どもの頃からプログラミングをやっていました。当時、家庭用コンピューター・ゲームが流行していて、自分でもゲームを作ってみたいと思い、両親にパソコンをねだって買ってもらいました。パソコン雑誌や全国の中高生がプログラムを書いて投稿する雑誌などを買って勉強し、「技術って本当に面白い!」と夢中になったものです。BASICから始めて、C言語、アセンブラと勉強していきました。当時のパソコンは遅かったので、いかにメモリーを使わずに速く動くゲームをプログラミングするかということに燃えていましたね。いわゆるオタク少年です。

マイコンBASIC

トラブル解決に必要なもの、それは知識、経験、そして人を巻き込む力

――山﨑さんは、ピリピリとした現場に乗り込んで行って、トラブルを解決。そして皆を笑顔にして去って行く。まるで名探偵のような人だと言われていますね。

山﨑 皆が笑顔になるには、大前提として皆で解決しようという方向に向いていないとダメだと思うのです。誰かが責められている現場だとどうにもなりません。マネージャーにもエンジニアにも働いてもらわなければなりません。皆が動いて解決するから、皆でやって良かったねと、そこに笑顔が生まれるのです。

――ITの知見やスキルだけではなく、マネージメントも含め人を巻き込んでいく能力も必要ですね。チームのメンバーは、そんな山﨑さんを見て育っていくのではないでしょうか。

山﨑 ピリピリした現場では迅速に解決策をお示しして、お客様の中のシステムを担当している人にも、そうでない経営層の方にも安心してもらう。その時に最も大切なのは、きちんとした調査結果を自信をもってご説明する姿です。
トラブルの原因は無数に挙げられますが、考えられるすべてを挙げてお客様に余計な不安感を抱かせても仕方がありません。証拠に基づいた原因を指摘し、余計な憶測はさせず、必ず解決できるというスタンスで臨む。そうしたことを部下や同僚に身をもって示すようにしています。お客様に喜んでいただかないと次の仕事はありません。苦しかった、辛かったなんて姿は見せませんよ(笑)。
「私たちが来たから、もう安心ですよ」、と言えるのは信頼されているからです。それがシステム・トラブル解決率100%に結びついています。

山﨑政憲氏

――近年、IoTであらゆるものがシステムに接続されています。トラブル解決は難しくなっていませんか。

山﨑 システム・トラブルには難しいものもありますが、人間が作ったものであるかぎり、絶対になんとかなると考えるようにしています。確かに端末、デバイス、家電などさまざまなものがシステムに接続されています。いったいどこでトラブルが起きているのか、担当者も自身の環境にどんな端末があるのか把握するのが難しくなってきています。しかし、どうでしょう?一見複雑になっているようでも、トラブルの原因は既知の範囲を超えていません。問題は、それがどこにあるかです。

全員が前向きになる、それがトラブルシュートの秘訣

――お客様からは、どういったタイミングでトラブルシュートの依頼を受けるのですか?

山﨑 トラブルが多発するのは、プロジェクトの最終工程のテスト局面です。個々のチームで開発してきたプログラムを、イザつなげたところ、うまく動かない。また、本番稼働してからというケースもあります。テスト時の少ないデータでは問題なく稼働したのに、本番の大量データで運用したらパフォーマンスが出ない、遅い、わずか1週間で停止したなどです。

しかし、そうなってすぐに私どもにお声がかかるわけではありません。まずはプロジェクト・メンバーでなんとか解決しようとされ、それでも解決できなかった場合に依頼が来ます。だいたいトラブル発生から、2~3カ月後が多いですね。お客様も自ら開発したプログラムが原因ではないかと思って依頼されるとは思うのですが、そうはおっしゃらず「何が原因か分からないので調査してほしい」と相談されます。私たちも開発プログラムが原因という前提をおかずに、基本的なことから全てを1つずつ確認していきます。

開発したプログラムの不具合、オペレーション・システム(OS)やミドルウェア、ネットワークやサーバーなどの物理的なハードウェアの障害もあります。そこの切り分けはきちんとお手伝いします。ただ、OSやミドルウェア、ハードウェアが原因だった場合、すぐに修正プログラムや部品がメーカーから提供されるとは限りません。そうした場合の回避策や代替策も提案します。今困っているお客様を助けたい、私たちの想いはそこにあります。

――トラブルの原因が分かってすぐに解決できるものもあれば、別の要因で時間がかかることもありますよね。設計自体に問題があったとか。

山﨑 そうなんですよ。どう考えても上流工程の設計にミスがあり、作り直さなければならないケースもあります。しかし、実際にそれが直ちにできるお客様は多くはありません。
そういった場合は、追加のコストがかかるが根本的に解決できるパターンと、目の前のトラブルをなんとか回避させるパターンの双方をご提案します。お客様が後者を選んだとしても、ゆくゆくは根本的な解決をしましょう、と根気強く説得は続けます。
また、トラブルが発生すると原因究明がとにかく犯人探しになりがちですが、そうではなく、状況を冷静に把握して1つずつ紐解くこと、そしてそれをチーム全員で共有することを心がけています。

こんなこともありました。あるECサイトでセールのたびにシステムのパフォーマンスが悪くなる。原因を調査してみると明らかにメモリー不足。100万円でメモリーを追加すれば即解決だったのですが、ハードウェアの追加は社内稟議を通さねばならず時間がかかる。そのため「今ある要員でなんとかしてほしい」と。その結果、それに何人/月もエンジニアのワークロードを使ってしまい、あっという間に数百万円のコストがかかってしまいました。結局、1年かかってようやくメモリーを購入すると、トラブルが即解決。「それまでにかかった人/月コストはいったいなんだったの?」ということになりますよね。 

これは決してお客様のせいだけではなく、私どもの問題でもあります。お客様の担当者が上手に上層部に説明できる資料作りのサポートや、「長期的展望で見れば、あきらかにこうするべきです」と私自身がもっともっと強力に説得できるようにならないといけないと思いました。

山﨑政憲氏

部下の能力を引き出す、それがマネージャー

――発達障害がある社員の方と積極的に向き合って、一緒に仕事をされてきたと伺いました。

山﨑 これまでの経験で、発達障害がある社員が現場に配属されると全く仕事ができない、本人もどう解決していいか分からないので困惑してしまう、という状況を何度か見てきました。ここで重要なのが、マネージャーが「この人はダメだ」と突き放すことではなくて、「まだ得意分野が見つかってないだけだ」と前向きに考えることです。その社員にとってベストなパフォーマンスが出せるところに配置すると、必ず成果が出ます。それが見つかると一緒に喜べる。
プログラミングはできなかったけれど、統計や分析では成果を出し、大学の講座に通って勉強したいと言ってくれ、さらにスキルを上げた発達障害のある社員もいます。

エンジニアにプログラミングだけでなく、お客様との交渉力やプロジェクト・マネージメントも身につけさせて総合力を発揮してもらおう、そういうパターンももちろんあります。でも、交渉とかマネージメントは苦手だけど、プログラミングでは他を圧倒するパフォーマンスを出すのであれば、それでいいじゃないですか。得意なことはしっかり伸ばしてあげましょうよ。さらに、それを支えるマネージャーとしては、作業の指示だけは気をつけてあげる必要があります。大抵の場合は、勘違いで物事が進んでしまったために結果がついてこないケースが多いので、ちょっとやったら進捗状況を聞いてあげる。何か問題がないか、正しく理解できているか確認しながらやっていくだけで、メキメキと力を発揮してくれるようになります。管理職は、そうした部下の力を引き出すことも重要な役割だと思います。

――御社では採用についてどんな人材戦略を取られていますか。

山﨑 1度だけの面接でその人のすべてを見極めることができるわけがありません。だからどんな人でもウェルカムです(笑)。
採用してからその人の力を引き出せるのが楽しいです。こんな能力があったのかと、驚きの方が多いですね。
日々の仕事が楽しく、それで給料をもらえて誇りが持てる、そんな会社にしていきたいです。

山﨑政憲氏

トラブルシュートで社会のインフラを支える!

――今後の御社の展望を教えてください。

山﨑 現在、社員は約40名ですが、この内の12名がミャンマー人です。そして、今後毎月のようにミャンマーから入社してきます。彼らは大学での授業が英語なので、英語もできます。これを突破口にして海外でもビジネスを展開していきたいと思っています。また、社員を200人、300人と増やしていきたいですね。私が社長業に専念するためにも(笑)。

もう1つ、トラブルの解析にAIを導入することも考えたいですね。今後、数多くのトラブルの解決策が記録され蓄積されていきます。その膨大なデータを解析して切り分けや原因の予測をAIでできれば、トラブルの早期解決につながり、人材不足にも対応できます。また、こうしたデータを活用して、設計など上流工程でトラブルを未然に防止するためのコンサルティングができるのではと考えています。
加えて、親会社が「ヒンシツ大学」という研修の枠組みを持っていたので、そちらに「トラブルシューティング講座」を組み込みました。基本をしっかりと身につけて、現場での経験に生かします。

ヒンシツ大学資料

――ところで、今でも仕事以外で趣味のプログラミングをされているのですか?

山﨑 つい最近まで休日はプログラミングざんまいでしたが、昨年子どもを授かりまして、今は子育てに励んでいます。プログラミング以外にこんなにもステキな幸せがあるのかと気付かされました(笑)。

TEXT: 栗原 進

山﨑 政憲(やまさき・まさのり)

Airitech株式会社 代表取締役。1975年、高知県生まれ。2000年に高知大学大学院(化学専攻)を修了後、アクロクエストテクノロジー株式会社に入社。エンジニアとして活躍。同社内でトラブルシュート事業を立ち上げ、約600件のシステムのトラブルを解決。国内におけるトラブルシュートの第一人者となる。その後、トラブルシュートを専門に行うため、2017年5月、Airitech株式会社を設立し、代表取締役に就任。社名には「エアリー(風通しがいい)+テック(技術)」という意味が込められている。

現役Fリーガー星翔太が提唱するデュアルキャリアという生き方

2020年FIFAフットサルW杯で日本代表として活躍が期待されているのが、日本フットサルリーグ(以下、Fリーグ)名古屋オーシャンズ所属の星翔太氏だ。トッププロとして最高のパフォーマンスを披露する一方、株式会社アスラボの代表取締役を務めている星氏は、自身を「プレイングワーカー」と呼ぶ。引退後の選手が歩むセカンドキャリアではなく、現役選手が実践するデュアルキャリアという生き方。星氏が考える、これからのアスリートの在り方と社会におけるキャリアについてお話を伺った。

アスリートとして培ったスキルは一般社会でも武器になる

――星さんはフットサル日本代表として活躍されるトッププロでありながら、会社経営者としてビジネスにも携わるという「デュアルキャリア」という生き方をされています。

 現役のうちから、アスリートとしての経験や価値を生かして、一般社会でもう1つのキャリアを歩んでいく。だから引退した後も、もう1つのキャリアで社会を生きていくことができる。僕はそういう意味としてデュアルキャリアを捉えています。

最初にデュアルキャリアという言葉に触れたのは4、5年前でした。普段は東京で働いているけれど週末になると田舎で農業をしている生活をデュアルキャリアと呼んだのがその起源だろう、と言っているテレビ番組を見たんです。仕事と並行してそれとは違う人生も持っている生き方、そういうマインドってすごくいいなと共感したのを覚えています。

――アスリートのキャリアというと、引退後の人生を指す「セカンドキャリア」や「キャリアチェンジ」といった言葉はよく耳にします。

 はい。その言葉には、アスリートとしてのキャリアが終わった後、社会人としては全く別のキャリアを始めなければならない、といった意味をともなっていると思います。だけど僕が考えるデュアルキャリアはそうではありません。アスリートとして生活していても普通の人と同じ「社会」に生きているのだから、アスリートと社会人としてのキャリアは別軸ではなく同じ軸の上にあり、キャリアは続いているという考え方です。現役であっても自分のいる世界以外の社会と日頃からつながっていれば、引退しても次のキャリアにスムーズに移行できると思うんです。

星氏

――とはいえ、プロのアスリートの方々は日々の練習や試合で忙しく、なかなか他のことには目が向かないのではないでしょうか。

 確かにほとんどのアスリートは、選手としての人生を最優先しています。だからといって社会に興味がないかというと、そんなこともない。僕の場合、ちょっとしたアルバイトくらいの経験はありましたが、大学時代からプロとして活動していたので、社会での経験がほとんどありませんでした。そのため、いわゆる社会人と呼ばれる人たちは何をしているんだろうなという興味は常々持っていたんです。好奇心や探究心から、ビジネスの世界ではみなさんどういう仕事をしていて、どういうふうにその仕事が成り立っているのかを知りたいと思っていました。選手としても、スポーツ以外の世界と接することで得られる知識が、アスリートとしての成長の糧となると考えていたんです。

――思うだけでなく、星さんの場合は実際にアクションを起こされました。

 直接のきっかけとなったのは2016年のFIFAフットサルW杯と、その後に負った怪我でした。日本代表としてFIFAフットサルW杯に出場するというのは、言うまでもなく選手人生を賭けた大きな目標で、もちろん僕もそこに全力を注いでいました。実は大会の直前までグロインペイン症候群という股関節の怪我をして、一時は現役復帰できるかどうかもわからないような状態だったんです。それでもどうにか代表の座を射止めてFIFAフットサルW杯の予選に臨んだけれど、そこで敗戦してしまい、本大会には出場できずに終わった。目指してきた目標が閉ざされてしまったわけです。本大会に行けたら、また違う世界を見ることができたのだろうけど──行けなかったことで、フットサルだけを求めてきた自分には、人として何かを伝える能力がないんじゃないかという気持ちが芽生えました。

なんとか気持ちを入れ替えてプレーしようと国内リーグに戻ったら、今度は右膝の前十字靭帯を切ってしまったんです。病院では「手術をすれば6カ月で治る」と診断されました。その6カ月間をどう過ごそうか、そう考えたときに頭に浮かんだのがデュアルキャリアでした。自分の中で中途半端に眠らせているフットサル以外の世界を知りたいという気持ち。それを実現するのに、この6ヶ月間はいい機会になる。そんなとき、企業のブランディングやセールスプロモーションを事業としている株式会社エードットという会社の伊達晃洋社長を紹介され、考えていることをお伝えすると、「インターンをやりませんか」と誘っていただけたんですね。

星氏

31歳。現役アスリートがはじめて触れたビジネスの現場

――エードットにインターンとして入社して、どのような感触でしたか。

 最初はセールスプロモーションの部署に配属されましたが、それこそ電話の掛け方や名刺交換の仕方も知らないような状態でした。お客様に提案する資料を作るのに文章作成や表計算、プレゼンテーションなどのソフトを覚えて、資料を作り、それを持って営業先にも足を運ぶ。新卒入社で覚えるようなことを31歳ではじめて学んだ感じです。

途中からは、怪我のリハビリとインターンを両立するのに適した環境ということで、PR部に異動しました。PR部では、「PRの手法を学べば選手としての自分の価値を高めることもできる」と教わり、最終的には自分自身のプレスリリースを作ってメディアに取材してもらうというセルフプロデュースのようなことをやりましたね。アスリートとビジネスマンを兼ねる「プレイングワーカー」という言葉を思いついたのもこのときです。

優れたスポーツ選手には、10教えてもらったことを基礎に、自ら学んで12にすることが得意な人が多いと思います。僕も人から技術を学ぼうとか吸収しようとかいうことに対してはかなり貪欲なマインドを持っているので、それがビジネスの場面でも役立ったと思います。お客様との電話も、最初はマニュアルで学ぶんですけれど、僕は他の人の電話に聞き耳を立てて、どういうテンションで声を出して、どういうふうに相手との距離感を縮めているのか、実際に見て身につけることが多かったですね。

他にもアスリートなら誰でも備えているであろうスキル──集中力やレスポンスの速さ、コミュニケーション能力、何でもやってみようとする探究心や行動力、あるいは自分がいるフィールドで輝きたい――といったマインドがビジネスでも通用すると知ることができたのは大きな収穫でした。

――会社で働いてみて、アスリートであることのメリットを感じられたのですね。逆にデメリットとなることはありましたか。

 これは僕自身、そうなってはいけないと最初からマインドセットしていたので困ることはなかったのですが、相手が自分のことを知っていて当然だろうとか、そういうプロフットサル選手としての自分自身のプライドはデメリットになると予想していました。肩書きをはずして素の星翔太で勝負しようと心がけていたのでそれほどのことはなかったけれど、やはり色眼鏡で見られてしまったり、ストレートには言われず相手が気を遣っているなあと感じたりする場面はありました。そうなると本音で話すことができなくなってしまいますよね。これはデメリットでした。

星氏

――その後、選手として復帰されたあと、2017年にアスラボをエードットの子会社という形で起業されましたね。

 インターンをしていたときに、社内で、何かスポーツのサービスをしたいよねという話が出たんです。僕が中心となって進め、現在も共同で代表をしている五十嵐雅彦と2人で会社を設立しました。本社は東京で、僕は普段はクラブのある名古屋にいて、練習の合間や自由な時間にメールや電話で会社や取引先とやりとりをしています。東京に行く機会も多いので、そういうときはスケジュールを集中させて人に会ったりしますね。メディアだったり他業種の方だったり、人や案件を会社とつなげるような活動のほか、SNSでプロジェクトを発信することもしています。

メインの事業は「アスラボサービス」というスポーツレッスンで、現役のアスリートを講師に、彼らがスポーツで培ったスキルやマインドを一般の人たちに伝えるといったサービスを提供しています。アスリートは、素晴らしいスキルやマインドを持っていると思うのですが、残念ながら、それを積極的に外の世界に発信しようという人は少ない。そもそも、自分たちのスキルがビジネスで通用することにも気がついていなかったりするんです。そして、アスリートの多くは、現役中のキャリアと引退後のキャリアを別のものとして捉えています。

アスラボサービス

アスラボサービス(フットサル)の様子(写真提供:株式会社アスラボ)

――星さんはそうは考えていらっしゃらないのですね。

 はい。アスリートに、講師という立場で社会と接してもらうことで、自分たちのスキルやマインドがビジネスの世界でも通用するんだということを知ってもらう。キャリアはチェンジするものではなく続いているものという意識を自然と身に付けてもらいたいと考えています。これは、何もトップアスリートだけではなく、そこまでは到達できていないアスリートにも言えることです。なぜならば、たとえ失敗や挫折があったとしても努力して結果を出すという過程はアスリートなら誰もが経験し、それは必ず社会で役立つものだからです。

もう1つ注力しているのは、アスラボがコミットして2018年に設立した山梨県の女子サッカークラブ「FCふじざくら」です。このクラブの最大の特徴は「プレイングワーカー制度」を導入している点で、選手は全員がオフィシャルトップパートナーである富士観光開発株式会社の社員を兼ねています。目指しているのは「競技でも一流、社会でも一流」といえる、女性アスリートの新しいロールモデルとなるべき選手を輩出することです。僕たちはここを起点にデュアルキャリア、プレイングワーカーという生き方を浸透させ、日本のスポーツをリノベーションしていこうと考えています。

星氏

アスリートだけでなく、日本全体にデュアルキャリアを

――スポーツをリノベーションするとはどういう意味でしょうか。

 日本人はスポーツというと、学校体育の影響なのか、どうしても身体を鍛えるとか、努力して練習して良い結果や記録を出すことだと捉えがちです。しかし、スポーツという言葉にはもっと広い意味があって、そこには身体を動かして楽しむことはもちろん、試合を観戦したり、それについて語ったり、あるいは競技を支える活動をしたりといったことも含まれています。スポーツは人生を豊かにしてくれるものだし、そこで得られるスキルやマインドは社会にも還元できるんです。スポーツで得られるさまざまなものを、事業を通して人々にとってもっと身近な文化へとリノベーションする。アスラボではこれを1つのビジョンとして掲げています。

一部のメジャースポーツを除けば、日本にはスポーツで大金を稼ぐことは好ましくないといった空気がいまだにあります。しかし、スポーツをリノベーションするためには、僕はアスリートはもちろん、コーチなどのスポーツに関わる人達ももっと稼げるような世の中にならなければいけないと思います。日本は施設の設備や試合のオーガナイズといった点では世界一と言っていいほど素晴らしいのですが、興行的に選手が稼げる環境かというと、そうとは言えないでしょう。とくにマイナースポーツは難しいですよね。

プロ化することで、試合に出るほかにスポンサー営業やスクールの講師など、プレー以外の収入や社会との接点をより多く持てるようになってほしいと思います。選手個人には、自分の収入を得るためにどのようなキャリアを積むのか、自分が携わるスポーツをどう成熟させていくのか、そういったマインドを備えていってほしいです。

星氏

――デュアルキャリアやプレイングワーカーという生き方を提唱されているのも、スポーツをリノベーションしたいという思いからですね。

 一般的にアスリートは、現役引退後は「スポーツ」というピラミッドの頂上から下りて、「ビジネス」というピラミッドを下から登り直すと考えがちですが、デュアルキャリアやプレイングワーカーといった生き方で大切なのは、その考え方を改め、培ってきたアスリートとしてのスキルやマインドをいかに可視化するかだと思います。

アスリートは「アスリートであること」が価値になっていると思うんです。正直な話、現役で活躍しているうちはまわりにリスペクトされやすい環境だし、日本代表のようなピラミッドの頂点にいる選手は、社会でもたとえば企業の社長さんであるとか、やはりその世界のピラミッドの頂点に立っている人と直接会って話ができたりする機会が多いものです。ところが引退して選手でなくなった途端、それが難しくなる。だったら現役でいるうちにいろんな人に会って、スポーツ以外の世界に触れる機会を増やし、自分が何をしたいのかを見つけておいたほうがいい。また同時に、アスリートとしての自分のストーリーをちゃんと相手に伝えることができるようになっておく必要もあるでしょう。

僕は現在34歳ですが、普通はインターン以外に社会人経験のない34歳の人間を雇ってくれる企業は少ないと思います。だけど、スポーツ選手としてのストーリー、日本代表としてのストーリー、怪我から復帰したストーリー、そういったものをきちんと伝える力があれば、相手はそこから、コミュニケーション能力があることや、学ぶ力、結果を出そうとする力があることを読み取ってくれます。

この考え方は、アスリート以外の方にも通用すると思うんです。日本有数の大企業のトップでも、終身雇用が怪しくなってきたと言っている。そういう社会では、1つの階段だけを上ってきた人よりも、いろんな寄り道をして上ってきた人の方が評価されるかもしれない。自分の興味のあることでも何でもいいから、デュアルキャリアという生き方を考えてみるといいのではないでしょうか。

名古屋オーシャンズ エンブレム

――今後のスポーツ界に提案していきたい活動、フットサル選手としての目標をお聞かせください。

 アスラボは設立して2年で、講師のアスリートや場所を提供してくださっている施設の関係者からは「お客さんからの反応は好評です」といったフィードバックをいただけています。概ね想定通りに進んできているとはいえ、ビジネス的にはまだまだこれからといった状態なので、売り上げを伸ばしてスポーツ界に還元したい。その結果として、僕らの考え方──デュアルキャリアだったり、アスリートの意識だったり、スポーツをリノベーションする思いなんかが広まればいいですよね。

個人的な目標としては、フットサルに育ててもらった思いがあるので、長年お世話になっているFリーグの冠スポンサーになりたいです。選手としては、もちろん2020年のFIFAフットサルW杯に出場することです。最低でもベスト4、その上の優勝を目指して最高の準備をしたいと考えています。

TEXT:中野渡淳一

星 翔太(ほし・しょうた)

プロフットサル選手、名古屋オーシャンズ所属。株式会社アスラボ 代表取締役。 1985年、東京都生まれ。2004年、関東フットサルリーグのBOTSUWANA FC MEGURO(現フウガドールすみだ)に入団。2009年、Fリーグ・バルドラール浦安に移籍。同年、フットサル日本代表に選出される。2010年から2012年にかけてスペイン1部リーグ、カタール国内リーグでプレー。帰国後、バルドラール浦安に復帰し、活躍。2012年のFIFAフットサルW杯に日本代表として出場。2018年、Fリーグ・名古屋オーシャンズに移籍。現役フットサル選手として活動しながら、2017年に株式会社アスラボを設立。起業家としてアスリートの価値向上、日本のスポーツ界の変革に取り組んでいる。

星野リゾート代表が語る「強い組織」の作り方。未来を担う人材はこうして育つ

「星のや」「リゾナーレ」「界」「OMO」といった個性的なブランドを確立し、国内の宿泊施設の中で圧倒的な顧客支持を誇る星野リゾート。その強さは、代表を務める星野佳路氏の、時代の先を見据えた革新的な戦略もさることながら、実際に宿泊してみれば、何よりもそこで働く「人材」こそが、そのサービスを本質的に支えているのだと実感することができる。

今回は、そんな星野リゾートの根幹を担う「人材育成」の秘密を、職場環境、組織のあり方という観点からひもといてみたい。ちょうど新入社員への研修および入社式が行われているというタイミングでもあり、その様子からも、「人材育成」の本質を明確に理解することができた。さらに代表には、変化し続ける顧客のニーズに、ITやテクノロジーでどう対応していくかという、興味深い話も訊いた。

「フラットな組織文化」で正しいコミュニケーションを促す

――星野リゾートの高いブランド力、顧客からの信頼の厚さを支えている大きな理由の一つに「人材」があると思いますが、御社が掲げられている「フラットな組織文化」は、やはりそうした人材を輩出するために重要な考えなのでしょうか。

星野 そうですね。まず、「フラット」と言うと組織レイヤーがフラットなのかと思われがちですが、組織のレイヤーは機能的にも必要ですし、存在していいと思っています。機能的に作った組織図は、やはり権限を持った人の名前が上のほうにあり、そこは一般的な会社組織となんら変わりはありません。我々はフラットな「文化」を醸成することが大切だと感じています。権限を持つこと、責任者であることも一つの仕事ではありますが、その責任者が特別に「偉い人」である必要はないというのが「フラットな組織文化」のポイントです。

これは、正しい議論をするための文化とも言えます。私のような「代表」というポジションもそうですが、ゼネラルマネージャーや総支配人は「偉い人」という概念がスタッフにあると、その人たちに意見を言うのは大変ですよね。ですから、「偉い人」という概念をなくして、会議の場でフラットに、本来みんなが考えていることを自由に意見交換して、ロジカルに意思決定できるようにしたいのです。そうすれば自ずと良い議論を交わすために、誰もが自分で考えるようになります。接客の最前線にいる人も常に考えながら接客をするようになって、日々の仕事の中で出てきた発想を会議で挙げてくれるようになるといろいろな意見を検討でき、それが組織として健全な意思決定につながるのです。

一般的なホテルのイメージでいうと、総支配人という「偉い人」がいて、その人には意見してはいけない空気がありますよね。一方で従業員たちは休憩室で「なんであの人をマネージャーにしたのか」とか「なんであんな設備を買うんだろう」なんて愚痴を言い合っている。これは私が若い頃にインターンで働いていたあるホテルでの話なのですが、その休憩室での愚痴に参加していたのは、パートナースタッフ、アルバイト、そして若手の正社員でした。でも、その愚痴を整理してみると、「なぜあの人がマネージャーなのか」というのは人事の話、「なぜあんな設備を買うのか」というのは資金配分の話であって、実は休憩室では、非常に経営の根幹に関わるような議論が行われていたと言えるのです。

また、休憩室ではみんな「偉い人はまったくわかってないよね」と言っていました。そこで当時インターンの身だった私は、経営陣に会議で「なんであの設備を買ったんですか」と、休憩室で出た話の中から、いくつかの疑問を訊いてみました。そうしたら、経営陣はすべてにちゃんとした理由を答えてくれました。「今年の戦略はこうで、あのホテルのこういうところに負けていて、他の部分は負けていてもいいから、今年はここで勝たなきゃいけない。だからこういう判断をしたんだ」と。つまりこれは、経営陣とスタッフとの情報格差であり、正しいコミュニケーションがなされてないということなのです。「この設備にこういう投資がされていて、それがこの組織にとって大事だ」とわかるだけで、スタッフもやる気が全然違いますよね。

星野佳路代表

「偉い人信号」は消す! 一人一人が経営判断できる人材に

――そうしたご自身の体験が、若手スタッフも活発に健全に意見できる環境を作ろうと思われたきっかけの一つなんですね。

星野 私は親父の旅館を継いでいきなり経営者になったので、必ず自分もそう言われるだろうなと思ったんですよ。「何もわかってないな」って(笑)。でも、先ほどもお話したとおり、「上は何もわかっていない」という愚痴は、情報格差があるからこそ生まれるものなのです。そう考えて「フラットな組織文化」を作っていこうと動き出したのが1992〜93年のことでした。

当時の若手スタッフは会社の経営状態を知りたくても知ることができなかった。会社にどれだけの利益が出ているのかも、顧客満足度調査の結果も知らされない。これからはすべて公開して、どの社員もその情報にアクセスできるようにしようと、まずはそこから着手しました。そして、議論して意思決定する様子もみんなに見てもらおうと、月に1回、パートナースタッフ、アルバイトも含めて自由に参加していいという会議体を作りました。

でも、そうして社内での情報格差をなくしてみても、最初は思うように意見が活発化しませんでした。普段から人間関係をフラットにしておかないと、いざ議論というときに意見を言えないのです。そこから私たちは、「偉い人信号をなくす」というところに踏み込んでいきます。これが「フラットな組織文化」を根付かせました。

たとえば「社長は立派な車に乗っている」「総支配人には大きなデスクがある」「役員には個別に部屋がある」――これらはすべて「偉い人信号」です。これらが「偉い人は特別なんだ」という意識を助長させてしまうのです。これをなくしました。たとえば総支配人も「総支配人」ではなく、「○○さん」と、さん付けで呼ぶように変えました。そして上司からスタッフを呼ぶときも呼び捨てはやめて、同じく「○○さん」と呼びましょうと。私も、いまだに「代表」と呼ばれてしまうことも多いですが、最近は「佳路さん」と呼ぶ人が増えてきています。人事が新入社員にそう奨励しているのです(笑)。

星野佳路代表

――職場環境を風通しの良いものに変えていくことで、「ホスピタリティ・イノベーター」と呼ばれる、星野リゾートのサービスに革新を起こしていく人材が育っていくということでしょうか。

星野 そうですね。ホテルは接客業です。製造業なら、工場で働く人たちがいますが、そこで作ったものについて、実際に使う人たちと直接話すことはあまりないですよね。作った時期と消費する時期にタイムラグがあるからです。ところが、サービス業は製造している人の目の前に顧客がいるのです。食事は作った瞬間に消費される。お客様の要望に応えた瞬間が消費の時間です。だから顧客は要望がある場合、マーケティング部門や調査部門に伝えるのではなく、現場スタッフに直接伝えるわけですよね。その際に「ちょっとそれは規定にない要望なので」や「それは予算外のご要望なので本部に確認します」など言うわけにはいかない。その場での判断が求められます。やるかやらないか、あるいは他のものを提供するかという「経営判断」を最前線にいるスタッフが即時に下さないといけない。

その判断をする材料として、現在の会社の状態を知っておく必要があるわけです。利益はどれくらい出ているのか、儲かっているとしたらどれくらいなのか。もし利益が出ていないなら、規定にないサービスの要求は「断る」という判断になるでしょうし、余裕があり、かつ、そのサービスに必要性を感じるのであれば「やってみる」という判断になりますよね。それは現場のスタッフ一人一人に判断してもらいたいです。

各施設にはターゲットがいます。例えばこの磐梯山温泉ホテルの場合、冬はスキーヤー、特にお子様連れのスキーヤーがターゲットです。しかし、スキーをしない、雪を見に来ている観光客もいるかもしれません。顧客が「誰」なのかということは、最前線のスタッフが一番わかっています。そう考えたとき、お子様連れのスキーヤーは我々にとってコアなターゲットですから、少々規定にないサービスでもしてさしあげないといけないでしょうし、今回は特別対応になったけれど、このサービスは普段から提供したほうがいいのではないか――という改善にも繋がるのです。逆に、ターゲットではないお客様から難しい要望があったとき、断るというのも大事な策です。

このように、サービス産業では、最前線が発想し行動しオペレーション改善に繋げていくという、本来は経営者がやるべきことをやる必要がある。だから、組織のあり方を変えなければいけなかったのです。それがサービス業においての競争力に繋がると考えています。

――御社のサービス運営は、調理場とフロントなど、スタッフが部署横断的に「マルチタスク」で稼働する点も特徴的です。これもまた、「ホスピタリティ・イノベーター」を育てるために有効な取り組みなのでしょうか。

星野 マルチタスクは、もともと生産性を上げるために採った施策でした。けれど、副産物として「フラットな組織文化」の醸成につながりました。

たとえば、「アメニティの充実を図りたいが予算がない」といったときに、節約すべきコストを調理場から調達することができるかもしれない。縦割りの会社では、部門内での調整は可能でも、部門を超えたところで意見は言いづらいですし、そんなことを言えば調理場の人は怒り出すかもしれません。しかし、顧客のトータルの体験と捉えれば、今いらっしゃっている方たちは、食事の量がちょっと多いと感じているかもしれない。そして実際にアメニティへの不満が出てきているのなら、調理場のリソースを削ってそちらに充てるという判断があってしかるべきなのです。そのような統括的な視点での判断ができるようになるのも、部門を横断して仕事を担当するマルチタスクを実践しているからだと思います。

自分で考える「ホスピタリティ・イノベーター」を育てる新入社員研修

6月初旬、2019年6月に入社した星野リゾートの新入社員を集めて、「星野リゾート 磐梯山温泉ホテル」にて5日間にわたる研修「Warm-up Camp」が行われていた。接客や経営に関するデータ分析など座学プログラムも充実しているが、「ホスピタリティ・イノベーター」たる人材を育成していくために、星野リゾートの研修は、とにかく「自分で考える」「チームで考える」ということを徹底している。「ホスピタリティ・イノベーター」、つまり「おもてなしを革新する人材」を育てることが、この研修のベースにある。

星野リゾートには、基本的に外部講師を招かず、社内の人材が講師を務める社内塾「麓村塾(ろくそんじゅく)」があることも知られているが、この「Warm-up Camp」もその例外に漏れず、社内スタッフが代わる代わる講師を務めているという。

研修中の様子

8〜9名ずつに分けられた全4チームが、与えられたさまざまな課題に取り組み、その結果を振り返るというグループワークが中心の研修内容は、ただ「自分で考える」だけでなく、チーム内外で意見を交わし、議論をしながら最適解を導き出すという流れが徹底されていた。

たとえば研修中、朝夕のビュッフェ形式の食事の提供も、各チームが順繰りにそのオペレーションを担当し(他の3チームがお客様としてそれを評価する)、その料理の配置や案内の仕方はもちろんのこと、料理を取るためのトングの配置から室内のBGM選定に至るまで、細かくすべてにおいてチームで「最適」を模索しながら実践するというグループワークになっていた。

夕食準備

どのメニューをどんな順番でどこに並べるのか、食器類はどこに置くのかなど、すべて自分たちで考えてセッティングを行う。

夕食配膳中

夕食配膳へのフィードバック

お客様役の新入社員から、食事提供研修に対して感想がフィードバックされる。中にはトングの種類など、細かな指摘も。

そこにマニュアルはない。明確な正解が提示されるわけでもなく、自分たちで実践してみた結果として、お客様がどう感じ、それをどう改善すればより良いサービスになったのかを振り返るというワークは、とても興味深いものだった。こうして、それぞれがより良いサービス運営を考え、実践する力を持つ「ホスピタリティ・イノベーター」へと育っていくのである。

ITを使って予約時のマッチングを高める

――星野リゾートは予約システムの面で、早くからIT化を積極的に進めてきました。より良いサービスの実現にIT化は必要不可欠だと思われますか。

星野 私が会社を継いだ当時は、宿泊予約は旅館への電話と大手旅行代理店からのブッキングがほぼすべてだと言われていました。それで事足りていたのです。しかしそれが劇的に変化して、IT技術が旅行業界に大変革を起こしました。

現在我々が運営する宿泊施設の予約のほとんどは5〜6割がダイレクトブッキングで、そのうちの7割以上がスマートフォンからの予約です。その変化への対応は重要な課題の一つで、システム投資にもかなりのコストをかけています。人材は一番大切ですが、それと同じくらいに大切なのがITだと考えています。いかに我々のサイトを見てもらえるか、そしてユーザビリティを高めていくかという部分はとても重要です。簡単に予約できるしくみと、ニーズに対してベストマッチングな宿を提供できるしくみを構築していくことが、引き続き課題となっています。

旅のニーズというのは、実は行きたい場所から決まるわけではありません。「おばあちゃんを連れて、良い温泉に行きたい」とか「おばあちゃんが喜ぶ温泉旅館に行きたい」というような動機がまずあって、それに適した宿はどこにあるのか?ということなのです。必ずしも「箱根に行きたい」「熱海に行きたい」というように場所起点ではない。90歳になるおばあちゃんが安心して泊まれる温泉旅館ってどこだろう? そういうニーズからのリゾートや旅館の選択というのは、自社ホームページでの予約システムだからこそ可能なのだと思います。

星野佳路氏

予約とはマッチングで、マッチングの精度を高めるということは満足度を高めるということです。満足度が上がればまた好循環が生まれて、リピートしてくださるお客様も増えます。つまり我々がいまITで実現させようとしているのは、予約のしやすさという部分を超えて、いかにミスマッチをなくすかというところなのです。

旅行代理店に足を運べば、今もまだパンフレットや情報は行き先別に並んでいますよね。そういうところにテクノロジーを使えば、本来のニーズに合った旅館は、実はあなたのまったく知らない土地にありました、ということもあるわけです。そういうことを提案できる世界を作ろうと、今まさにIT化についてはさらに推し進めているところです。

2020年代の星野リゾートを担う人材の誓い――「契りの会」

5日間の研修を終えた新入社員たちは、最終日の最後に入社式に参加する。星野リゾートでは、この入社式を「契りの会」と呼んでいる。一人一人が確かな思いを胸に、決意や目標を川柳にしたため発表した後は、色鮮やかな絵の具を手のひらに塗って、手形を押していくのだ。ここでの「契り」とは、星野代表の挨拶によれば、一つは「星野リゾートという会社がスタッフに対し法律上の雇用関係だけでなく、時には雇用主対雇用者という関係性を超えて、社員が困っているときには手を差し伸べる」という約束であり、もう一つは「スタッフは今回の研修を通して理解した星野リゾートという組織の文化に、その仕事を通じて寄与する」という誓いを意味する。

契りの会、代表挨拶 契りの会

星野リゾートは、入社時期を4月、6月、10月、12月、2月と年に5回設けており自由に選択できる。この6月に入社したのは34名(国内出身スタッフ29名、海外出身スタッフ5名)だが、2019年度の入社人数は、年間で430名を予定している(昨年度は355名)。サービス業界での人材採用難が叫ばれて久しい中にあり、なお星野リゾートへの就職を希望する若者が多いことは、今回の研修での様子や、実際にすでに宿泊施設で働くスタッフたちの働きぶりを見ていても大いに納得がいく。

契りの会後の集合写真

政府主導のインバウンド集客が図られ、テクノロジーも進化し続ける中、ホテル業界は、多様化・パーソナライズ化した観光客のニーズを見極めながら、いかにサービスを差別化していくか……という複雑な状況に置かれている。この研修を終えた未来のリゾート運営を担う新入社員たちは、それぞれの現場で「ホスピタリティ・イノベーター」となり、未来の星野リゾートをさらに進化させていくことだろう。星野リゾートの強さは、この人材育成から始まっていると言っても過言ではない。そう思えた取材だった。

TEXT:杉浦美恵

星野佳路(ほしの・よしはる)

星野リゾート 代表。1960年、長野県軽井沢町生まれ。1983年、慶應義塾大学経済学部卒業。米国コーネル大学ホテル経営大学院修士課程修了。1991年、星野温泉(現:星野リゾート)社長(現:代表)に就任。所有と運営を一体とする日本の観光産業でいち早く運営特化戦略をとり、運営サービスを提供するビジネスモデルへ転換。現在、運営拠点は、ラグジュアリーリゾートの「星のや」、温泉旅館の「界」、リゾートホテルの「リゾナーレ」、都市観光ホテル「OMO(おも)」の4ブランドを中心に国内外38カ所に及ぶ。

音楽、アート、テクノロジーで医療福祉を自分ゴト化する「架け橋」を作る

「医療福祉業界への理解促進活動の不足」「医療福祉従事者の人手不足」「医療福祉サービスの利用者・その家族への理解不足」――今の日本の医療福祉業界にはさまざまな課題があるが、その中でも最大の課題は人々の「無関心」だという。高齢者や障がい者がいかに社会に参加し、幸せに生きていくか。NPO法人Ubdobe(ウブドベ)代表理事の岡勇樹氏は、そのためには両者をつなぐ「橋」が必要だと語る。音楽やアートなど、エンターテインメントの力で医療福祉業界のブランディングを行い、業界の課題解決を目指している岡氏にお話を伺った。

当事者以外のつながりを増やし、世界を広げる

――現在Ubdobeでは、「医療福祉業界のブランディングとイメージアップ」「医療福祉従事者を増やし、質とモチベーションを高め続ける」「医療福祉サービス利用者とその家族の積極的社会参加を推進」というミッションを掲げておられますが、具体的にはどのような活動をされているのでしょうか。

 メインの活動として、「イベント事業部」「ローカル事業部」「デジリハ事業部」の3つの軸で事業展開しています。この他、サブの活動としてセレクトしたグッズを販売するセレクトショップ(実店舗・Web)を運営したり、医療福祉情報をカジュアルに伝えるWebマガジンを発行したりもしています。

イベント事業には、「自主イベント」と、行政や社会福祉法人から依頼される「受託事業」としてのイベントの2種類があります。自主イベントはクラブイベントが中心で、いちばん長くやっているのが2010年から年1回開催している「SOCiAL FUNK!」になります。

「SOCiAL FUNK!」は「踊るだけでなく学べるクラブイベント」として、毎年、認知症や臓器移植といったテーマのもとに、いろんなフェスやクラブで活躍しているDJやミュージシャンを招いて開催しています。参加者は、音楽やアートのファンである一般の人はもちろん、障がいがある子どもたちやその家族、友人、障がいの当事者であると同時にアーティストやDJとして活動している高齢者の方々などです。

ほかにも、隔月で開催している実験的クラブイベント「UNIVERSAL CHAOS」、障がい者や医療福祉従事者がメンバーになったダンスチームの公演「THE UNIVERSE」などを行っています。

行政からの委託事業では、街や商業施設を舞台に、親子で楽しめる「Mystic Minds」という謎解きイベントをやっています。家族が認知症や障がいを負ったときにどうすればいいのか、ゲームを通して医療や福祉のさまざまな機材やソフト、専門職の仕事を学ぶイベントで、多いときは1日500人くらいの方々に参加してもらっています。

岡勇樹氏

――一口に「イベント」と言っても、非常に多彩ですね。イベント事業は、どのようなきっかけで始められたのでしょうか。

 Ubdobeを設立する前、僕は認知症になった祖父に何かできないかと思い、勤めていた会社をやめて音楽療法を学んでいました。その当時、たまたま離島にある障がい児施設を訪問する機会があったのです。そこの入所者の多くは本土から来ていて、施設長さんによると、半分くらいの家族が一度預けたら預けっぱなしでなかなか面会に来ないというんです――とても悲しいことですよね。とはいえ自分なりに考えてみると、一概に家族だけを責めていては解決しないことに気がつきました。

施設にいる障がいの当事者は、「当事者である本人」「家族」「支援者」という、それだけの関係性の中でのみ生活していて、社会とつながっていないことが多い。もし、もっと他の世界との関係性を持っていれば孤立せずに済むはずです。だったら、その関係性を持つきっかけ、社会とつながる機会を作ればいい。そう考え、障がい児と健常児を一箇所に集めて音楽やアートで遊ぶ、「Kodomo Music & Art Festival」というイベントを開催しました。同時にUbdobeを結成して、現在へとつながる活動を始めたわけです。

――先ほどご紹介いただいた中でも、医療福祉をテーマにしたクラブイベントというのはたいへんユニークな試みです。来場されるのはどんな方々なのでしょうか。

 「SOCiAL FUNK!」の場合、スタートして4、5年はお客さんの7割くらいが僕たちや出演するミュージシャンと何らかのつながりがある人たちで、残り3割が純粋にクラブやフェスが好きな人たちだったのですが、現在はその割合が5:5くらいになっています。イベントの目的のひとつは、普段はそれと縁遠い人たちに医療や福祉に触れてもらうことですから、この割合はどんどん逆転させいきたいですね。とりあえずあと2割、7:3くらいにもっていくのが当面の目標です。

セレクトショップ「HALU」

Ubdobeが運営するセレクトショップ「HALU」

音楽の力で「考えるきっかけ」を作る

――実際にイベントに参加された方はその場でどんな体験ができるのでしょうか。

 先日開催した「UNIVERSAL CHAOS」では「失禁テキーラ」というコンテンツを体験してもらいました。これはテキーラを飲んで、そのあと失禁体験装置を装着して尿意や排尿感を味わってもらおうという企画です。30名限定のところ、イベント参加者90名のうちの50名が希望するという人気ぶりでした。

以前開催した臓器移植がテーマのイベントでは、参加者の方から「臓器移植という世界を初めて知った」と感想をもらいました。その人は医療や福祉とは接点のなさそうな雰囲気の方だったのですが、「今日は好きなアーティストが出ているから来たんだけど、どういう臓器が手に入りにくいとか、どういう人が困っているかということを聞いて、ちょっといろいろ考えちゃったよ」と。そして、「なぜだか母ちゃんのことを思い出した。家に帰ったら、母ちゃん、体の調子はどうって声をかけようと思う」と言われたんですね。

この話を聞いたとき、「これだよ!」って思いました。僕たちが目指していたのは、まさにそういう「つながりのある世界」だったからです。

――自分の身近な人の健康について考えたり、その人のことを気遣ったりということが、医療や福祉について考えることにつながるということですか。

 そうです。僕の母はガンであることを隠して、2年間、家族の誰にも言わずに闘病をつづけていました。当時の僕は音楽や遊びに夢中で、母の思いや健康にまで気がまわらなかった。それを知ったときにはすでに手遅れで、半年後に母は亡くなってしまいました。もし母がはじめて病院に行ったときに異変に気がついていたら、家族としてもっと寄り添うことができたかもしれません。

僕が味わったような思いは他の人にはしてほしくない。そのためにも、もっと医療や福祉が日常的な会話の中で話題になるように、カジュアルなものになる必要があると思います。そうすれば、医療福祉業界を志す人も増えるかもしれない。「SOCiAL FUNK!」も「UNIVERSAL CHAOS」もそのきっかけになればいいと願っています。

岡勇樹氏

――若い世代が医療福祉を自分ゴトとしてとらえる、その入口として音楽があるんですね。岡さんご自身は音楽にはどんな力があるとお考えでしょうか。

 僕の場合、むしろ音楽の力しか知らないといった感じです。ヒップホップを好きになったのはアメリカに住んでいた小学生の頃で、11歳で日本に戻ってからはそれがますます強くなっていきました。中学時代の僕は人とのコミュニケーションがうまくとれなくて、家で音楽ばかり聴いていました。高校からはハードコアにはまり、ライブハウスやクラブに通い始めて、そこではじめて同じ趣味を持つ仲間に出会えた。音楽によって人とつながれるということを知ったのはそのときでしたね。大学では自分で楽器を演奏するにようになって、仲間たちとパフォーマンス集団を結成しました。

その中で、音楽には社会を変えるだけの力があることも知りました。レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンだったり、ビースティ・ボーイズだったり、N.W.Aだったり、社会に対して影響力を持つアーティストは少なくありません。僕はそういうカルチャーに育てられてきた人間ですから、医療や福祉を変えたいと思ったときも音楽を使う以外の方法が思い浮かばないんです。

もちろん、絶対に音楽でなければいけないということはなくて、漫画でも何でも人によって好きなものは違うから、みんなそれぞれのジャンルで活動すればいいと思います。それが架け橋となって、普段は縁遠い、向こう岸にある医療や福祉が社会とつながればいいんです。僕らの場合は音楽やアートという自分たちが好きなツールを使って、共通の趣味を持つ人たちが渡れる橋を建設している。だから、他のジャンルの人たちも同じような行動を起こしてくれれば、社会全体に医療や福祉に対する理解がもっと広まっていくはずだと思います。

岡勇樹氏

テクノロジーとアートが育む、ユニバーサルの概念

――ローカル事業部、デジリハ事業部ではどういった取り組みをされているのでしょうか。

 ローカル事業は、離島や山間部といった医療福祉人材が足りない地域に、都市部から若手の人材に移住してもらおうという事業です。昨今は、UターンやIターンなどで地方の暮らしを選択する人が増えていますが、この業界には浸透していると言い難い。医療福祉に従事しつつ、田舎暮らしなど地方のライフスタイルが体験できるツアーを実施しています。

デジリハ事業は、2017年に日本財団が主催した「ソーシャルイノベーションアワード2017優秀賞」に選出された事業で、デジタルアートとリハビリテーションを融合させたシステム開発とプラットフォームの構築を行っています。

リハビリテーションの現場には作業療法士や理学療法士、言語聴覚士といった専門職がいます。皆さんいろいろと工夫をされているんですけど、それでもリハビリというのはきついというのが現実です。とくに子どもは痛かったりつまらなかったりするとリハビリそのものが嫌いになってしまいます。ところが、障がい児の中には生まれてから死ぬまでずっとそのリハビリをしなきゃいけない子もいたりする。そうであるならば、嫌なリハビリを楽しいものに変えていけばいい、ということで始動したのがデジリハという事業です。

たとえば、脳性麻痺の子がずりばいや寝返りの練習をする際に、腕などにセンサーをつける。すると目の前にデジタルアートが出現して、それを操作して動かしたり、追いかけたりすることができる。そうなれば遊んでいるかのようにリハビリテーションができます。

デジリハ事業

デジリハ事業の様子

いまはそのためのアプリケーションを開発しているところですが、その開発においても、患者の子どもたちと同世代の小学生たちにプログラミングを学んでもらって、その子たちがプロトタイプをつくっていくという試みをしています。そうすることで子どもたちのユニバーサルマインドが育ってくれればと願っています。

2021年の春には本格的にリリースする予定で、その際にはWeb上にプラットフォームをつくって世界のどこからでもダウンロードできるようにしたいです。もしかしたらこれによって世界中のリハビリテーションが変わるかもしれません。

――岡さんは「東京オリンピック・パラリンピック競技大会推進本部 ユニバーサルデザイン2020関係府省等連絡会議 心のバリアフリー分科会」の構成員も務めていました。そこではどんな活動をされていたのでしょうか。

 僕の活動の源には、いちばん届かないところに情報を届けるといった考えがあります。当事者と家族だけでなく、社会の全ての層が参画できる仕組みを作りたいのです。厚生労働省が発信する医療や福祉の情報を新聞などのメディアが書く。それを読む機会があって理解しようとする人達はいい。だけど世の中にはそういう情報が届かない人が大勢います。その人たちに伝える手法として、たとえばクラブイベントなんかを開催するんですね。

人の生死を取り扱っているのが医療や福祉です。そこで不平等が起こらないように、僕らは音楽やアートを使って情報を発信している。メジャーシーンというよりはどちらかというとアンダーグラウンドに向けた取り組みと言えるかもしれません。でも、国がやろうとすると、どうしても先生が生徒に教えるといった「教育」の形になってしまいがちじゃないですか。もっとシンプルに、障がいのある子とない子が一緒になって話したり、何かやってみたりすることの方が大事だと思うし、そういうインタラクションやそこで起きる摩擦が教育につながると思うんです。そして、それがユニバーサルという概念じゃないかと。

分科会ではそういうことを訴えさせていただきました。この分科会は満期をもって終了しましたが、いまは2025年の大阪万博に向けて、経済産業省の方々ともいろいろなお話をさせていただいています。

――Ubdobeの今後の活動予定について教えてください。

 これまでの事業を継続、発展させていきつつ、今後はビジネスベースで活動を世界に広げていきたいですね。チャリティーやボランティアだと、どうしても内向きというか業界内の関心のある人にしか届かないので、むしろ関係のないメディアやアートの担い手とか、クラブやフェスのオーナーたちと組んでイベントを開催したり、医療福祉につながるコンテンツを多国展開したりしていこうと考えています。

一昨年は、それを念頭にスウェーデンやフィンランドに行き、昨年はドイツやオーストリアに出かけました。そういう場所には音楽やアートを軸に活動するさまざまな団体があり、互いの音楽の話からはじまり文化や僕らの活動などの雑談の中で、何か一緒に取り組めることがないかを常に議論しています。これからは手元の仕事を一つ一つ丁寧に行うと共に、世界中の仲間たちと連携しながら事業展開していけたらと思っています。

TEXT:中野渡淳一

岡勇樹(おか・ゆうき)

NPO法人Ubdobe(ウブドベ)代表理事。1981年東京都生まれ。法政大学卒業。国立音楽院音楽療法学科卒業。3歳から11歳までをアメリカ合衆国で過ごす。2007年より国立音楽院で音楽療法を学びながら高齢者の訪問介護、障がい児の移動支援の仕事に従事。2008年、任意団体Ubdobeを設立。2010年に同団体をNPO法人化し代表理事に就任。2014年、厚生労働省介護人材確保地域戦略会議有識者に選出。2016年、東京オリンピック・パラリンピック競技大会推進本部ユニバーサルデザイン2020関係省庁等連絡会議構成員に選出。2017年、日本財団ソーシャルイノベーションアワード2017優秀賞に選出。

日米を舞台に、再生医療の最先端を走る―― iPS細胞から「ミニ肝臓」を創った32歳の武部貴則教授の次なる挑戦は、「多臓器再生」

培養皿の中でモコモコと立体的に成長する5ミリほどの細胞のかたまり――それはiPS細胞から「ミニ肝臓」が誕生した瞬間だった。開発した武部貴則氏は当時24歳、横浜市立大学医学部の助手だった。2年間の審査を経て論文が2013年に英国の科学誌『ネイチャー』に発表され、世界で大反響を呼んだ。
それから5年後、武部氏は31歳の若さで東京医科歯科大学と横浜市大の教授に就任。ミニ肝臓の増殖技術にも磨きがかかり、肝臓機能が欠けている新生児や、急性肝不全患者への再生医療の道筋が見えてきた。
武部教授が次に挑むのは、肝臓に加えて、連続する胆管、膵臓(すいぞう)、腸という4つの臓器を一体で再生する「多臓器再生」である。「体が本来持っている力を借り、秩序立てて成長してもらうという考え方」で、その基盤技術はすでにほぼ完成したという。
武部教授は現在、日米両国でこうした世界が注目する基礎研究を主導している。一方、生活習慣病を抱える現代人が楽しみながら生活習慣を改善したくなる「広告医学」という新領域も切り開いている。再生医療研究の展望と広告医学について伺った。

立体構造の臓器を創り、再生医療の第一段階を突破

――先生が2013年に発表されたミニ肝臓の論文は世界に大反響を呼びましたが、どういう点が画期的なのか、また今後の再生医療に対してどのようなインパクトを持つのか、あらためて解説をお願いします。

武部 iPS細胞は万能細胞と言われていて、体のどんな組織の成分にも変換することができます。ただ、これまで細胞を平面的なパーツとして増やすことはできても、立体的な形を持つ臓器の形で創れないことが課題でした。臓器はいろいろな種類の細胞が集まってはじめて機能します。ですから1種類の細胞だけ移植しても再生治療にはなかなか到達できなかったのです。
ミニ肝臓の創出は、この壁を突破する第一段階としての意味があります。具体的には、肝細胞になる前の前駆細胞と、血管になる前駆細胞、組織をサポートする間葉系前駆細胞の3種類の細胞を混ぜ合わせて、立体的な構造体(ミニ肝臓)を創ることに成功したのです。

こうした構造体をオルガノイドと呼びます。大きさはミリ単位以下と小さいですが、代謝など肝臓の機能をきちんと発揮します。これまで細胞移植だけでは治療できなかった病気に対して、オルガノイドを移植して治療するという新しい概念を示すことができたと思います。

ミニ肝臓作製法の確立

図1 All-ipsc ミニ肝臓作製法の確立 画像提供: 武部貴則教授

今の技術でも新生児や急性肝不全患者への適用は可能

――このミニ肝臓の登場によって、肝臓の再生医療は可能になるのでしょうか。

武部 まだ研究すべき課題はたくさんありますが、現状のミニ肝臓でも助けられる患者さんはいます。簡単に言うと、ミニ肝臓を移植して比較的短い期間だけ肝臓機能を補い、その後に肝臓移植手術につなぐという方法です。
例えば、生まれて間もない新生児で肝臓機能に異常がある場合、生後6カ月までは手術の負担に耐えられないので肝臓移植手術ができません。そうした新生児に直径0.1~0.2ミリのミニ肝臓を数億個移植(注射)して生着・成長させ、6カ月まで生きることができれば、今は助からない新生児もその後に肝臓移植手術を受けることができます。
この再生医療は、横浜市大医学部の谷口英樹教授を中心とする研究グループが、数年内に実施する計画を進めておられます。6カ月未満の新生児にミニ肝臓を移植して肝臓機能を補った後、それを取り出して肝臓移植手術に移行することになるでしょう。この再生医療は最初の臨床研究なので、まず安全性を確認することが最優先の目的です。

もう1つの例は、急性肝不全や亜急性肝不全の大人の患者さんの場合です。発症してから1カ月弱ぐらいで急に病状が悪化し、1~2週間で亡くなられる方がいます。特に欧米に多く、臓器移植が間に合いません。こうした患者さんの腹部にミニ肝臓を移植し、生着させて1~2週間持ちこたえることができれば、その間に本来の肝臓の機能が回復して治癒することが期待できます。
この場合は、他人のiPS細胞から創ったミニ肝臓を入れるので、拒絶反応が起きないよう免疫抑制剤を投与します。患者さんの肝臓が回復してきたら免疫抑制剤を切る。すると移植したミニ肝臓は消えていきます。まさに一時的に患者の体内で生着して機能して消えるのです。

武部貴則氏

多臓器再生では時間軸に沿ったコントロールが必要

――ミニ肝臓をもっと本格的な再生医療に役立てるには、どのような課題があるのでしょうか。

武部 実際の肝臓には免疫細胞や造血細胞が存在しているので、ミニ肝臓にそれらを加えなければいけません。免疫細胞を加えることはすでに成功しており、この5月末に記者発表したばかりです。この技術は治療というより、脂肪肝という病気のモデルとして薬の開発に役立ちます。

その次の大きな課題として「多臓器再生」があります。肝臓は胆管という隣の臓器につながり、胆管はその先で膵臓の管と合流し、胆汁が腸に流れ込みます。もし胆管が閉塞する病気になると、肝臓も機能不全に陥ってしまう。ですから肝臓を創るだけではなく、4つの臓器を一体として再生する必要があります。
また肝臓などの臓器や細胞は、時間軸に沿って再生をコントロールすることが必要です。例えば造血細胞であれば、胎児期だけに必要になるので、成長の途中で消えてほしいのです。

武部貴則氏

培養した臓器の「芽」は新生児の力を借りて成長させる

――臓器や細胞の再生を、人為的にどのようにコントロールするのですか。

武部 私たちはiPS細胞だけでなく、ES細胞(受精卵から作成)も使っています。ES細胞はきちんと培養すれば、体のあらゆる臓器になります。問題は、必要とする部分(肝臓、胆管、膵臓、腸)だけをどうやって選択して再現するかということです。

私たちはES細胞が肝臓、胆管、膵臓、腸に分れる瞬間に着目しています。具体的に言うと、最初に腸が3つ(前腸・中腸・後腸)に分かれた後、前腸と中腸の間から肝臓、胆管、膵臓が出てきます。そこで前腸と中腸が分れたところまで再生してやれば、肝臓・胆管・膵臓は自律的に分化するのではないかと仮説を立てて検証したところ、その通りになることが確認できました。
これは胎児の2カ月目あたりに相当します。受精から出産までおよそ10カ月かかりますが、最初の2カ月分の臓器の「芽」ができるところまで培養し、残りの8カ月分は新生児の体が本来持っている力を借りて成長してもらうという考え方です。体の邪魔をしないようにきちんと初期設定をし、秩序立てて再現することを目指しています。
最初のミニ肝臓は、あらかじめ準備した3種類の細胞を混ぜ合わせて創りましたが、多臓器再生では、もともと均一の細胞を自律的に多様に分化させています。

その基盤技術はすでに出来上がっており、1~2カ月のうちに論文を発表できると思います。これはここ数年で一番大きな成果になります。これまでの進展を整理すると、以下のようになります。(カッコ内は編集部注)

① ミニ肝臓1.0 肝細胞・血管・サポート細胞を組み込んだミニ肝臓(2013年に発表。これから臨床応用へ)
② ミニ肝臓2.0 免疫細胞を加えたミニ肝臓(今年5月末に記者発表済み)
③ ミニ肝臓3.0 多臓器(肝臓・膵臓・胆管・腸)を一体再生したミニ肝臓(近く論文を発表予定)
④ ミニ肝臓4.0 更に造血細胞を組み込んだミニ肝臓(研究開発中)

武部貴則氏

ふだん使わない培養皿を偶然使ったことが奏功

――研究の進展は急ピッチですね。ミニ肝臓を初めて創られた時は、培養皿の偶然も味方してくれたと述べておられます。どのような実験の経緯があったのでしょうか。

武部 肝臓が働くにはどんな細胞が必要なのかは、以前から分かっていましたが、細胞を培養するテクノロジーにボトルネックがありました。どうすれば3種類の細胞の機能を保ったまま臓器を3次元の立体に再生できるのかが非常に難しかったのです。
最初のころは普通の細胞培養用のプレートを使っていましたが、3種類の細胞をどのように混ぜても2次元の平面にしかなりません。隙間のあるスポンジも使いましたが、うまく行きませんでした。

ある日、細胞培養には不向きだと思えるような培養皿を使って実験しました。普通の培養皿は表面に細胞が付着しやすいようにコーティングしてありますが、その日使った培養皿には何のコーティングもしてありませんでした。私は研究キャリアが短いので、人と同じことをしても仕方がないと思ったのです。
すると皿の表面に置いた3種類の細胞は、自律的に形を作ろうとする力を引き出されて集まり、モコモコとかたまりを形成したのです。大きさは5ミリほど。普通の培養皿では細胞は顕微鏡でないとよく見えないし、境界も分からないのですが、この時はピンセットでつまんでそのまま移植できそうなほどでした。
試しにマウスに移植したところ、すぐ血液が流れ出し、肝臓機能も動き出しました。結局このことによって、「スポンジなどに入れて無理やり立体にするのではなく、細胞を自由に動けるようにしておく。そうすれば自ら立体になる力を活用してかたまりになる」、ということが分かったのです。

24歳の助手が成し遂げた成果、周囲は否定的だった

――周囲の受け止め方は、当初、皆さん否定的だったと聞きました。

武部 教授にも先輩にも叱られました。「カビじゃないのか」とか「ゴミみたいなものを持って来ないでくれ」とか(笑)、みんな冷ややかでした。確かに培養皿の細胞のかたまりはカビの菌糸が生えたようにも見えたのです。
私は当時、横浜市大医学部を卒業して間もない24歳の助手でした。その後2年かけてミニ肝臓の代謝能力、たんぱく質を作る能力、アンモニアなどの解毒力を確かめ、2013年『ネイチャー』誌に論文が載ったのです。
2014年にはミニ肝臓の量産に最適な培養法も確立しました。簡単に言うと、ゴルフボールの表面にあるような直径0.1~0.2ミリのU字状の小さな穴(ディンプル)が2万個ほどある培養皿を使うのです。そこに3種類の細胞をまとめて入れると、タコ焼きみたいに2万個のミニ肝臓ができるのです。U字状だと、細胞自身の結合する力だけでなく重力も使えるので、より簡単にボール状になります。新生児の再生医療には数十万個のミニ肝臓が必要ですが、この方法なら効率よく量産できるのです。

武部貴則氏

基礎研究費が削られる日本に危機感

――先生は日米両国で活躍されていますが、研究開発はどちらの国を中心に進めておられるのでしょうか。

武部 全体の活動としては、年間だいたい日本と米国で半々です。
この分野の日本の研究は、私が手掛ける基礎研究より応用研究の方に偏っている感じがします。ただ、優れた応用研究は、優れた基礎研究があってこそ。
ところが、日本では基礎研究費が年々削られてやせ細り、この先どうなるのか大変心配です。私も先ほど言ったミニ肝臓2.0~4.0の研究は、日本ではなく、基礎研究費が潤沢な米国で行っているのが実情です。できれば日本で基礎研究を行い、アクセルの役目を果たせればいいなと思っています。

私は米国オハイオ州にあるシンシナティ小児病院准教授も務めていますが、チームの研究者たちのバックグラウンドは化学、医学、工学、薬学、生物学と多彩です。異分野の交流が大切なので、同じ専門性の人はあまり入れないようになっています。異分野の人が別の観点から見ることで、新しい発見があり、画期的な研究成果も生まれるのです。

――そもそも肝臓再生に取り組むことになったのは、何がきっかけだったのですか。

武部 高校時代に後輩の父親が肝臓移植手術を受けた後に亡くなるという出来事があり、医学部の学生時代に肝臓移植手術に実績がある米コロンビア大学で研修を受けました。その間には、携わった移植手術で患者さんの命を救えたという大きな喜びがありました。
ただ、臓器移植を受けて元気になる患者さんの背後には、10万人以上の患者さんがドナーを待つ間に亡くなっているという現実がありました。1人の命を救う陰には、多くの救えない命がある。それが、自分の志していた移植医療というものだということにあらためて気づいたのです。
大学2年の時には、再生医療の専門家である東大の中内啓光教授(現スタンフォード大学教授)から、「これからは、新しい研究に基づいた再生医療が重要性を増していく」とアドバイスを受けました。
そこで悩んだ末に、臓器移植の医者から再生医療の研究の道に進むことに決めました。勉強するうちに、移植手術や人工臓器に代わって近い将来に実現しそうなiPS細胞にひかれたのです。

武部貴則氏

当初、ミニ肝臓は「きたない研究」と言われた

――ミニ肝臓の研究について当初は「きたない研究」と言われたそうですね。

武部 はい。「きたない」というのは、「説明が合理的でない部分が含まれている」「論理を詰め切れていない部分がある」というニュアンスです。日本の科学研究は主に要素還元主義(リダクショニズム)と言って、研究対象を細分化してミクロ的に理論化することが評価されてきました。
しかし、臓器の機能や連携は複雑です。ミニ肝臓も1種類の細胞のことだけ考えていたら成果は得られませんでした。常識的な発想ではないからこそ、問題解決の糸口が見つかる。ですから「きたない研究」と言われると、やる気が出てすごく燃えます(笑)。

武部貴則氏

生活習慣病を改善するための「広告医学」

――先生は「広告医学」という新しい概念を提唱され、YCU – CDC(横浜市大コミュニケーション・デザイン・センター)を設立されました。その目的や、プロジェクトの具体的な内容を説明していただけますか。

武部 医学は約2000年の歴史がありますが、この10年間ぐらい非常に大きな変化が起きています。例えば私の父は猛烈に働く人で、高血圧を患っているのに生活を改善せず、医者の言うことを聞かず、薬も飲まず、39歳のとき脳卒中で倒れました。その後、父は幸いにも奇跡的な快復を遂げ社会復帰できましたが、現代はこういう生活習慣病にむしばまれた人が多い。発症して病院に来た人を治療するという今の医学では、とても対処できません。
このギャップを埋めるには、医学を再構築して日常の生活習慣や場を変えることで、病気の発症自体をなくさなければいけない。それにはデザインなど広告の手法が有効だと考えました。

例えば――、

①  「上がりたくなる階段」は階段にトリックアートが描かれていて、1歩上ると更にその先を見たくなります。
②  「アラートパンツ」はウエストが大きくなると、二重になっている布地の外側の布のメッシュが粗くなり、内側の布地の黄色が浮き出て見える。色の変化で肥満を警告します。
③ 「こころまちプロジェクト」は殺風景で気が重くなる病院の待合室を楽しくする工夫をしています。
④ 「歩きたくなる靴」は靴にタグが埋めてあり、読み取り機を設置した場所まで歩いていくと、スマホに楽しいメールなどが届きます。
この他にもいろいろあり、YCU – CDCはゲームやイベント、商品化を検討しています。

武部貴則氏

――ところで、先生は研究者の心構えとして「セレンディピティ」と「バックキャスティング」を挙げておられます。後に続く若い人たちのためにも、具体的に説明していただけますか。

武部 セレンディピティは、思いがけないものを偶然発見する能力のことです。いろいろ経験を積むうちに、偶然の産物として自分の目の前に訪れたチャンスを見逃すことなくつかむ力を身に付けてほしいということです。
バックキャスティングは、自分がやるべきことを未来から逆算する。例えば「3年後には多臓器再生医療を絶対に実現する」という課題を設定したとすると、今やるべきことは何かを考えます。
その際には「ラディアル・シンキング」が不可欠です。ラディアルは放射状のことで、異分野の人たちが縦横無尽に発想する。別の観点から見ることで新しい考えが創造しやすくなるのです。それによって課題解決が見えてきます。私の研究室でも異分野の人材交流がセレンディピティにつながることがよくあります。

武部貴則氏

TEXT:木代泰之

武部 貴則(たけべ・たかのり)

東京医科歯科大学 統合研究機構先端医歯工学創成研究部門 教授。 横浜市立大学特別教授。専門は、再生医学・広告医学。
1986 年、神奈川県横浜市出身
2009年米スクリプス研究所(化学科)研究員、2010年米コロンビア大学(移植外科)研修生
2011年 3月 横浜市立大学医学部卒業
2013 年 11月 横浜市立大学臓器再生医学准教授
2015年 12月 シンシナティ小児病院 消化器部門発生生物学部門 准教授、スタンフォード大学幹細胞生物学研究所客員准教授、独立行政法人科学技術振興機構さきがけ「細胞機能の構成的な理解と制御」領域研究者、などを兼務
2017年 4月 シンシナティ小児病院幹細胞・オルガノイド医学センター 副センター長
2018年 1月 横浜市立大学先端医科学研究センター教授
2018年 2月 東京医科歯科大学 統合研究機構 教授
2018年 6月 横浜市立大学コミュニケーション・デザイン・センター センター長
2018年 6月 東京医科歯科大学 統合研究機構先端医歯工学創成研究部門 教授
2019年 1月 横浜市立大学特別教授
 
2013年に世界で初めて、iPS細胞から血管構造を持つヒト肝臓原基(肝芽)を創り出すことに成功
2014年には、肝芽の最適な培養方法・移植方法を見いだす
2014年ベルツ賞、2016年文部科学大臣表彰若手科学賞、2017年日本医療研究開発大賞AMED理事長賞等を受賞するなど、国内外から高い評価を受けている
このほか、「広告医学」という独創的な学問領域の普及にも注力

スポーツが日本を救う? デザインとテクノロジーでスポーツビジネスを変革する

Jリーグに属する清水エスパルス(以下エスパルス)は、2018年、「SHIMIZU S-PULSE INNOVATION Lab.」を始動。このプロジェクトは、ファンサービスの向上とクラブ運営の強化を目指しており、例えばホームであるIAIスタジアム日本平でしか得られない顧客体験の設計、地元企業との関わり強化など、さまざまな観点からのオープンイノベーションに取り組んできた。現在もクラブ変革のために「スポーツビジネスプラットフォーム」が進行中だ。

エスパルスは、これまでもテクノロジーで新たなスポーツ体験を提供してきた日本アイ・ビー・エム(以下IBM)をパートナーに迎え、デザイン・イノベーション・ファームの株式会社Takramなどのメンター、そして地元企業や市民、ファンなど多くの関係者と共にプロジェクトを進めている。スポーツをイノベートする取り組みは、クラブチーム、地方企業、そして今の日本の状況をどう変えていくのか? エスパルスのクリエイティブディレクションを手がけるTakram代表の田川欣哉氏とIBMのコグニティブエクスペリエンスプロデューサー・岡田明に訊いた。

クラブチームが持つ「コミュニティー」としての可能性

――なぜ「SHIMIZU S-PULSE INNOVATION Lab.」のプロジェクトに関わることになったのでしょうか。その背景をお聞かせください。

田川 さまざまな企業と未来予測型のデザインプロジェクトを行っていることもあり、20年後の日本の姿を考える機会が多くあります。その中で分かってきていることとして、今後人口減少が加速することで家族や会社といったコミュニティーが今より力を落としていくということがあります。

これまでは、サラリーマンという働き方が一般的で、会社が家族のような存在でもありました。しかし、働き方が多様になった今、会社と個人の結びつきは希薄になっていきます。所属感を得られる場所がこれまでより減っていくでしょう。

人間は生来、コミュニティーへの所属欲求を持つ生き物です。社会の中に自分が所属するコミュニティーが見つけられなくなると、安心感が消え、悩む人が増えたり犯罪が多くなることが指摘されています。

そういった20年後の状況を考える中で、サッカーは大きな可能性を持っています。週に一度、数千人から数万人の人たちが集まって一喜一憂し、地域が一体となる。これは希薄化する社会のコミュニティー機能を、大規模に補完するメカニズムと言えます。しかもJリーグは、J3まで入れると50チーム以上もある。その他のスポーツと比較しても圧倒的にチーム数が多く、社会的インパクトも大きい。将来的に非常に意義のあるプロジェクトになるだろうと思っています。 

Takram代表・田川欣哉氏

岡田 私はエスパルスの大ファンでもあるので、サッカークラブというコンテンツが持つ情緒的な力を知っています。選手を応援して熱くなったり、チームが勝って嬉しくなったり。シンプルに、この喜びにあふれたエネルギーが日本中に広がれば、この国はもう少し元気になるのではないかと思っています。

そして何よりも、日本のサッカークラブは、デザインやテクノロジーなど新たな価値の提供が大きく貢献している欧州のサッカークラブと比較してまだまだ成長できる余地がある。そのためにテクノロジーが大きく貢献できると考えました。例えば、物理的にスタジアムにいなくてもファンの熱意を共有できるコンテンツや新たな観戦体験などを、デジタルを通じて提供できるかといったこともテクノロジーの役割です。このプロジェクトでは、デジタルを通じてファンとのつながりを深めるために、デジタル接点を増やすサービスやコンテンツを提供することが鍵になると考え、そこにIBMとしてできることがあるのではないかと思っています。

テクノロジーの力でファンとの「つながり」を変える

――具体的にはどのようなことに取り組まれているのでしょうか? まずは、テクノロジー面からお話をいただけますか?

岡田 サッカーは強いコンテンツなので、ちょっとした手助けで市場は大きなものになります。まずはサッカーのコンテンツ価値を最大化し、それをデジタルで拡散し、循環させるシステムを作り出すことが大切です。

具体的にIBMが推進しているのは大きく二つです。一つはスマ―トフォンアプリを通じていかにファンとのつながりを強めていくかということ。今、さまざまなニュースサイトやキュレーションサイトがありますが、サッカーの記事は少なく、欲しい情報を自分から探しにいかなければいけない状態です。そこでまずは、チームをはじめサッカーの情報が日々手元に自動的に流れてくる状態をつくることが急務です。その上で、クラブチームの裏側や選手の素顔といったストーリーのあるコンテンツを用意することで、ファンの皆さんが常にアクセスしたくなるような環境づくりをしていきたいと考えています。

もう一つは、販売管理システムの改善です。誰がいつスタジアムに来てくださって、どんなグッズを買ってくださったのか。そういった基本的なデータベースの整理をして、ファンのニーズを把握したり、新たなグッズやサービスの創出に生かしたりしています。

どちらの取り組みも、ユーザーのデジタル接点をきちんと設定して、そこにストーリーを持たせてビジネスにすることを重視しています。ですから私自身は、ビジネスを再編する感覚でこのプロジェクトに取り組んでいます。

IBM岡田明氏

田川 岡田さんの話とつながりますが、デジタルの導入が進んでいないことは、Jリーグのクラブチームに共通する大きな課題です。

サッカーの素晴らしさの核となるのはもちろんスタジアムでの体験ですが、一方でスタジアムから離れれば離れるほど、接点は薄くなってしまいます。地元に根ざしているということは、ホームタウンに住んでいないとゲームを観に行きにくいということでもあり、つまり、地元の人でなければファンになる理由が希薄になってしまっている状況です。

ただ、日本では毎年着々と人口減少が進んでいき、10年後に10%ほど人口が減ります。単純計算すると、今後10年間で10%のファンが減ってしまうということです。この現象に各クラブチームが耐えるための解決策はいくつかしかありません。その一つが地域クラブに全国からファンを集めること。そして、この実現はデジタル抜きには語れません。例えば、岡田さんは静岡出身で東京在住のエスパルスファンです。岡田さんのような人たちを、どれだけクラブにつなげることができるか、そこが最大の課題だと思います。

――テクノロジーを使ってファンを増やし、熱狂させる。通常のビジネスではなかなか難しい部分ですね。

田川 一般的な「企業とユーザー」の関係とは異なり、クラブチームの場合は、チームも協力会社もサポーターもみんなが顔なじみだったりします。つまり、これはコミュニティーで「提供者と顧客」という関係ではありません。

アメリカなどでは、際立ったカルチャーリーダーが創業者となり、自身の哲学を完全に反映させたショップを作って、こだわりの詰まったプロダクトを揃え、ストーリーを語ることで良質の顧客を獲得する企業が増えてきました。いわゆるファンビジネスのような形です。そして、彼らは最先端のテクノロジーを使って、コアな熱量を周囲へ伝播させています。

クラブチームも昔からファンビジネスを行っています。数万人のサポーターを相手にして商品やサービスを提供しているわけです。これだけ熱狂的なファンがいる強いコンテンツは、そう多くはありません。ここにテクノロジーを正しく用いることができれば、D2C(Direct To Customer)と言われるような、コミュニティーと密結合したビジネスに進化すると思います。

それを実現するためには、使い勝手のよいアプリやサービスは必須です。テクノロジーとデザインが協力して、みなさんに喜んで使ってもらえるようなものを地道に作って行く必要があります。

田川氏、岡田氏

あらゆることが「気になる」経営者こそが生き残る

――田川さんはエスパルスにクリエイティブディレクターとして参画されています。最近では、HUNTING WORLDのクリエイティブディレクターも務める、White Mountaineeringのデザイナー相澤陽介氏が、北海道コンサドーレ札幌のクリエイティブディレクターに就任したり、中川政七商店の十三代・中川政七氏が奈良クラブの社長に就任したりするなど、日本にもデザインを重視するクラブチームが増えてきた印象です。

田川 プロのデザイナーがクラブチームに入って支えていく取り組みは、今後もっと増えていくと思います。欧州クラブチームのビジュアルコミュニケーションの水準が非常に高いことはよく知られています。Jリーグの各クラブチームがそのレベルまで洗練していくことができるのか、これからのテーマの一つだと思います。

私は昨年、経済産業省・特許庁から発表された「デザイン経営」宣言の策定に関わったのですが、そこには「ブランドとイノベーションを通じて、企業の産業競争力の向上に寄与する」と記されています。クラブチームも同じで、しっかりとしたブランド構築やデジタルを駆使したイノベーションに着実に取り組んでいくことで、一歩一歩進化してく必要があると思います。

岡田 企業価値を向上させようというとき、「コンテンツバリューを上げましょう」という話をよくするんです。ここで言う「コンテンツ」とは、メディアだけではなく、ヒト・モノ・カネを含めた会社が抱える全てのものを指します。自分たちがすでに持っているコンテンツの力を、デザインやテクノロジーを使って増幅し企業価値を向上させていく。これはB to CだけではなくてB to Bでもできる。つまりすべての企業でできることです。エスパルスが持っているコンテンツを総動員させて、どんなストーリーが描けるのか。そういった視点でこのプロジェクトを見守っていただけたらと思います。

田川氏、岡田氏

TEXT:伊勢真穂

田川欣哉(たがわ・きんや)

Takram代表。プロダクト・サービスからブランドまで、テクノロジーとデザインの幅広い分野に精通するデザインエンジニア。清水エスパルスのクリエイティブディレクションを手がける。英国ロイヤル・カレッジ・オブ・アート 名誉フェロー。

岡田明(おかだ・あきら)

日本アイ・ビー・エム株式会社 GBS事業本部 iX SPORTS事業担当 シニアマネージングコンサルタント。商社、野村総研を経て、2015 年よりIBMiX 参画。デジタル変革やAI関連プロジェクト に加え、グローバルに展開する IBMSportsの国内事業を推進。清水エスパルスCIO代行兼CDO。さいたま市スポーツアドバイザー。