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AI活用を牽引する女性リーダーを表彰。キーワードは「多様化」

製造、流通、金融、医療など、あらゆる分野でAI活用が進み、AIはビジネスを支える重要なツールの一つとなりつつあります。IBMがアメリカ、ヨーロッパ、中国の企業を対象として実施した調査(※1)でも、34%の企業が「AIを活用している」と回答しています。

IBMが「AI分野における女性リーダー賞」を選出

そんな中、IBMは2020年5月に「AI分野における女性リーダー賞(Women Leaders in AI)」の受賞者を発表しました。この賞は国や地域・業界を問わず、AI技術を活用してビジネスの変革や成長、イノベーションの促進に貢献した女性を表彰するもので、2019年に創設。今年はアメリカ、中国、ブラジル、オーストラリアなど世界12か国から35名の女性リーダーが受賞者として選出されました。

賞の目的の一つはAIを活用して業務の向上を支援し、素晴らしい成果を上げた女性リーダーの功績を称えることで、女性のAI分野への進出を促進することにありますが、それと同時に、受賞者の方々がネットワークを築き、その知見を共有し互いに学びあいながら、AIを活用してさまざまなビジネス課題に取り組む機会を提供することも目指しています。

日本からは6名の女性リーダーが受賞!

今回、日本からは、イッツ・コミュニケーションズ株式会社の小澤唯氏、株式会社ジャックスの宮下亮子氏、日本航空株式会社の徳門桃氏、明治安田生命保険相互会社の加藤淳子氏、楽天株式会社の初田和泉氏、株式会社ワコールの篠塚厚子氏の6名が選出されました。(※2)

6名の方々のより詳しい功績とAI活用事例は以下のページからご覧いただけます。受賞者が語るコメントと事例からは、AIを活用することによって業務を効率化し、素晴らしい顧客体験および従業員体験を実現できるということがわかります。

Women leaders in AI: 2020 list | IBM(英語)

AI活用に不可欠な「多様性」実現のために

IBMがMorning Consultと協力して実施したグローバルな調査では、85%のAI専門家が、「ここ数年でAI業界はより多様化した」と回答しています。そして「多様化は進んでいない」と回答した人のうちの74%が、AIの潜在的な能力を引き出すには、この業界はさらに多様化しなければならない、と感じていることが明らかになりました。AI研究・活用の現場において、女性の視点はますます重要なものとなってきています。

その一方で、AI分野において「自分の性別がキャリアアップの障害になっている」と感じている女性は、男性のおよそ5倍にのぼり、さらに、「男性は数学やハード・サイエンスに対して才能があり、女性は人文学や社会科学、美術に対しての才能がある」と言った言説はいまだに存在することから、この業界にも依然としてジェンダー間の格差が存在していることが伺えます。

IBMのSVP, Digital Sales and Chief Marketing Officerであり、IBM Women’s Initiative のグローバルリーダーを務めるミシェル・ペルーソは、「AIは今後10年、業務改革の軸となるでしょう。偏見を緩和し前進していくためにもAIの最前線には女性や多様性を持ったチームが必要です」と述べています。IBMは「AI分野における女性リーダー賞」を通じてこうした格差の是正に貢献し、AI分野のさらなる発展と多様化を推進する一助となれるよう邁進いたします。

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※1出典:https://www.ibm.com/blogs/think/2020/01/ai-in-2020-from-experimentation-to-adoption/
※2:2020年5月6日時点での情報

photo:Getty Images

ピアニスト・反田恭平が語る、ニューノーマル時代のクラシック音楽とDX

新型コロナウイルス感染防止のため自粛生活を強いられた日本国内で、オンラインによるライブ配信が活況を極めた。その中で注目を集めたひとつが、ピアニスト・反田恭平氏プロデュースによるクラシック音楽のオンデマンド・コンサートだ。多くの交響楽団が無料での無観客公演配信を実施することが多い中、反田氏は、あえて有料配信に踏み切った。

「今、あらゆるフェーズにおいて、時代が大きく変わろうとしている。その瞬間を逃したくない」。かねてからクラシック音楽業界に新風を吹き込みたいと語ってきた彼の志は強い。テクノロジーの活用にも積極的な反田氏は、ニューノーマル時代における音楽鑑賞の在り方をどう捉えるのか。果敢に新たな挑戦を続けるクラシック音楽業界の革命児に、その志を語ってもらった。

音楽家にとってのフィジカル

――11歳まで、ワールドカップ出場を目指し、サッカーに熱中していらしたと聞きました。ピアニストを目指されるようになった経緯をお聞かせください。

反田 ピアノを始めたのは4歳ですが、11歳で右手首を骨折するまでは、確かにサッカーに夢中でした。実は、当時の僕は、ピアノを弾くことをかっこいいとは思っていなかったんです。仮面ライダーやウルトラマンが好きな少年で、活動的な遊びやスポーツのほうに惹かれていました。ところが、ある日、人生観が180度ひっくり返る出来事が起こるんです。大袈裟かもしれませんが、本当にそれぐらいの衝撃でした。

12歳のとき、指揮者の曽我大介先生のワークショップに参加したのですが、80名のオーケストラ団員を前にして指揮者をさせてもらえることになったんです。指揮棒をサッと一振りした瞬間、世界が一変しました。あらゆる楽器が一斉に鳴り響き、圧倒的な音の世界に包まれた。クラシック音楽の“かっこよさ”に覚醒した瞬間でした。サッカーでもそうでしたが、よくよく振り返って考えてみると、僕はみんなで何かひとつのものをつくるとか、一体感を持って何かに挑むことが好きだったようです。「指揮者になりたい」――すかさず、先生にそう伝えました。「指揮者になるためには、まず、何かひとつの楽器を極めたほうがいい」という先生の教えに従って、今日までピアノを続けてきたんです。

ピアニスト 反田恭平氏

――その後、2012年、高校在学中に第81回日本音楽コンクール第1位に入賞され、翌年ロシアのチャイコフスキー記念国立モスクワ音楽院へ留学。現在はポーランドのショパン国立音楽大学に在学されています。海外生活で、ご自身に何か大きな変化はありましたか?

反田 やはり圧倒的に視野が広がりましたね。モスクワ音楽院では、男女合わせて約500名の学生が一緒に暮らすという、日本ではあり得ないスケール感の寮生活を体験しました。まさにカオス状態です。ただ、その分、多彩な価値観に触れることができる環境でした。しかも、自分を含め、母国である程度の結果を出して留学している生徒がほとんどで、中には世界的に活躍し始めているアーティストもいました。抜きん出た存在の彼らに共通していたのは、ボーリングだったり料理だったり、多彩な趣味を持っていたことです。日本にいるときには、指に怪我をする危険性のあるスポーツや趣味はご法度という暗黙の了解があったんですが、彼らは全く意に介さない。自由に、自己責任でいろんなことにチャレンジしていたことに、すごく刺激を受けました。

僕も触発されて、卓球などの球技を覚えたり、スポーツジムに通ったり、ピアノ以外にいろいろな趣味にトライしました。また、少しでも太るために、一日ひと袋、ポテトチップスを食べることを日課にしたり(笑)。当時の僕は、身長170センチ、体重49キロと、非常に細身でした。けれど、留学前の日本音楽コンクールで、生まれて初めて大きなコンサートホールで演奏したときに、自分の小柄な体格から出せるピアノの音量の限界に気づいたんです。モスクワ音楽院でも先生にその点を指摘され、「まずは身体を大きくしなさい」と指導を受けました。

コンサートピアニストは、皆さんが想像するよりもずっと、フィジカル的素質を求められます。音響設備の整っていないホールもあれば、音が反響しやすいホールもある。その中で、演奏曲の抑揚の鍵を握る音の強弱、フォルテッシモ(きわめて強い音)とピアニッシモ(きわめて弱い音)を自在に操らなければなりません。ロシアでは徹底的にフォルテッシモの幅を広げるよう鍛えられましたし、今は微弱なピアニッシモの習得に力を注いでいます。豊かで情熱的、時には繊細な音を生み出すためには、身体が資本。だから僕は、昔のように痩せるわけにはいかないんです(笑)。

クラシック音楽の改革を導くデジタルテクノロジー

――コロナ禍で自粛生活を強いられた中、「Hand in hand」というオンデマンド・コンサートを企画されました。初のライブ配信の試みについてお聞かせください。

反田 「Hand in hand」は、僕と同世代の音楽家によるアンサンブル「MLMナショナル管弦楽団(以下MLM)」と一緒に立ち上げました。1回目のコンサートは2020年4月1日、東京都が緊急事態宣言を発令する直前です。すでに、コンサートが軒並み延期や中止に追い込まれていた状況下で、僕自身のみならず、MLMメンバーの演奏場所を確保したかったという思いもありました。コンサート中止で損害を被るのは、アーティストだけではないんです。コンサートづくりに携わる、舞台監督やホール関係者、さまざまな人が窮地に立たされます。著名な法人オーケストラが無観客ライブの無料配信を開始した折ではありましたが、僕たちの「Hand in hand」はあえて有料配信という方法を選択しました。

オンデマンド・コンサートのリハーサル風景

オンデマンド・コンサートのリハーサル風景

1回目は当初24名での演奏を予定していましたが、コロナウイルス感染拡大の状況が悪化していたこともあり、やむなく8名の少人数メンバーで、ステージで同時に演奏する人数は最大3名という形式でスタートしました。それでも、7月の3回目公演では、17名のメンバーで賑やかに舞台を彩ることができ、お客様にも100名限定で会場に入っていただけました。オンラインによる配信という試みだけでなく、僕と同世代の若い演奏家たちによるアンサンブル公演の成果としても、意味のあるものになったと自負しています。

――反田さんは「クラシック業界を刷新していきたい」という強い志をお持ちです。オンラインライブ配信は、ひとつの布石になるのでしょうか?

反田 なると思います。というか、ならざるを得ないでしょうね。僕は今、26歳で、ガラパゴス・ケータイを知っているぎりぎり最後の世代なんです。つまり、僕らの下の世代、“ネオ・デジタルネイティブ”と言われるZ世代は、音楽を聴くのも、映像を観るのも、スマートフォンやパソコンです。彼らにとっては、インターネット経由の視聴方法がデフォルトなんです。実は、「Hand in hand」の有料配信に踏み切ったとき、メディアや業界内部からの批判もたくさんありました。無料配信であれば、自粛生活下の人々の気持ちを和らげる、ボランティア的活動として評価されたのかもしれませんが、有料としたことで「高貴なクラシック音楽を冒とくしている」という批判を生んだわけです。けれど、2か月もすると、多くの批判がコロッと賛同に変わってしまいましたが。

時代は明らかに進んでいます。だったら時代に合わせて僕らも発信の仕方を変えていかなければならない。デジタルネイティブに向けたクラシック音楽の提供方法をもっと真剣に考えなければならないはずです。そういった点に関して、クラシック音楽業界、特に日本の業界は非常に遅れていると言わざるを得ません。逆に、だからこそ、おおいなる可能性を秘めているとも言えます。演奏者自身も発信の仕方を問われています。僕はメディアプラットフォームで、練習曲などのコンテンツの有料配信もしていますが、批判は覚悟の上です。これから活躍を志す音楽家は、自分自身で発信する術を身に着けなくてはならない時代に足を踏み入れているのではないかと思うんです。

MLMナショナル管弦楽団との公演

MLMナショナル管弦楽団との公演(2019年)

――今後も、デジタルテクノロジーを積極的に活用していこうという考えをお持ちですか?

反田 僕は、自分を鼓舞するためにも、積極的に目標を口にします。ですから、ここでもあえて宣言します。近いうちに、スマートフォンのアプリを開発するつもりです。これは、1年以上前から温めていたアイデアなんです。

独立して事務所を作ってから、コンサート会場でのいろいろな改善点を探ってきました。例えば、クラシック音楽の演奏会やバレエ公演などの会場内で配られる分厚いチラシの束。大量の紙が使われ、読み終われば破棄される。ちっともサステナブルじゃないですよね。紙のチラシをすべてPDF化してスマホのアプリで閲覧できるようにすれば、即、問題解決となるはずです。それから、e-チケット発券後のお客様へのアフターケア。e-チケット発券までは、ようやくシステム化されてきましたが、お客様がホールに入ってから席につくまでの誘導サポートはいまだ不完全です。ホールの座席表やホール全体のレイアウトをアプリで簡単に読み込めるようにしたいと考えています。

もうひとつ大きな柱として、アプリによるキャッシュレス化を進めたいと思っています。コンサート後サイン会には多くのお客様が並んでくださいます。そこではCDも販売するのですが、キャッシュの場合、お釣りのやり取りにかかる5~10秒のタイムロスが多くのお客様の待機時間に加算されてしまいます。これが、QRコード決済で、CDやパンフレットなどを購入できたり、休憩時間の飲食に利用できたりするようになれば、ホールでの不必要な長蛇の列の解消につながるはずです。とにかく、テクノロジーの活用によって、コンサート運営における無駄をなくし、お客様にストレスをかけず快適に過ごしていただく方法を探っていきたいんです。まだまだアイデアは尽きません。

未来を担う演奏家を育てたい

――反田さんは、自ら事務所を立ち上げられ、独立独歩のスタイルで活動を続けられています。インディペンデントな立場で演奏に取り組まれるのはなぜなのでしょうか?

反田 事務所を立ち上げたのは、明確な目標があったからです。若い世代のアーティストが、未来のクラシック音楽業界の発展を視野に入れ、積極的に活動していく必要性を感じていました。そもそも僕は昔から“当たり前の常識”として世の中に受け入れられているルールに懐疑心を抱くタイプなんです。「この世界のルールだから」――そんな風に言われると、「それって本当に正しいの?」「誰が決めたの?」と返してしまいます。クラシック音楽業界だけではなく、日本全体、さらには世界でも、何か“見えないルール”というものに、誰しもが囚われやすいように思います。でも僕はそういう“見えないルール”に囚われず、自分の心の声に素直に従って行動していきたいんです。目標への意欲に突き動かされた結果、独立したという感じですね。

レコーディング音源チェックの様子(2019年)

レコーディング音源チェックの様子(2019年)

――その目標とは、すでに宣言されている「30年後に音楽学校をつくる」という目標でしょうか?

反田 そうです。音楽学校を作るには、まず、僕自身が理想の音楽家としての資質を身につけなければなりません。200年以上前に活躍したモーツァルトやベートーヴェンを思い出してみてください。彼らは、曲を書き、演奏場所を探し、ピアノも弾けばヴァイオリンも指揮も行い、さらにはパトロンも自ら探し出します。スキルはもちろんのこと、セルフプロデュース能力に長けていた。僕の理想の音楽家というのは、そこに立ち返るわけです。一方、現代のアーティストは、演奏以外のスキルは持っていなくとも十分に活動できる仕組みが確立しています。アーティストとしては演奏だけに集中できるので、非常にありがたいことなんですが、僕はあえて難しい道を選んでしまう性があって。

――舞台上のオーケストラはもちろんのこと、運営からプロデュースまで、コンサートを総括的に指揮できるスキルを身につけた上で、音楽学校設立を見据えているということですね。具体的にはどのような音楽学校を目指されているのでしょう?

反田 具体的に言うと「コンセルヴァトワール(音楽院)」を目指しています。僕の中では、日本の音楽大学が座学を中心に音楽理論や知識を徹底的に学べる場だとすれば、コンセルヴァトワールはより実践に特化した場と位置づけています。

僕がつくる音楽学校の教師陣には、世界各地のオーケストラとの共演経験を豊富に持つ、プロフェッショナルな演奏家たちを迎えたいと考えています。30年後には僕も56歳で、MLMのメンバーもみな、ベテランの領域に入っているでしょう。舞台を通して培った経験は、次世代の演奏家たちを育てる上で、非常に役に立つものになると思います。より実践的で、より現場に即したリアルな知識を教授できるはずです。

僕は留学先でも海外の若い世代のアーティスト、仲間にたくさん出会いたいと思っています。いずれは、彼らを日本に招聘して、僕のコンセルヴァトワールで教鞭を執ってほしい。日本発信で世界的に活躍する音楽家を育てる場をつくりたいんです。

ピアニスト 反田恭平氏

ビデオ通話にてインタビューを実施

――ひとりの演奏家としては、今後どのように成長していきたいとお考えですか?

反田 音色には、アーティスト個人の人生観がにじみ出ると思います。モーツァルトは35歳の若さで早世していますが、彼の音楽は単に若々しく華やかなだけではありません。明るい曲調の作品ほど暗い悲しみが宿る。暗い曲調のものほど最後には歓喜が待っている。僕はそう信じて彼の曲を弾いています。モーツァルトの音楽には深みと複雑さがあり、引き出しが多いからこそ、多くの人々を魅了するんです。たった35年とはいえ、濃く凝縮した人生を生きた人だから、あれだけの音楽の幅が生まれたんだと想像します。

僕も高校生のときに、ある先生に問われました。「最後の音を出したとき、後悔しませんか?」。この言葉が耳に焼き付いて、そのときから、僕は毎日の最後の一音を悔いなく終えたい、と心がけてピアノを弾くようになりました。一球入魂ならぬ一音入魂ですね。人生って、たった一回きりなんですよ。自分のやりたいことをやり残して、後悔してこの世を去るのは絶対嫌だなと。日々、そういう覚悟で、そういう密度で生きていくことで、人生が音楽の幅を広げてくれると確信しています。

インタビュー:岸上雅由子、写真提供:反田恭平

反田恭平(そりた・きょうへい)

ピアニスト。1994年生まれ。2012年、高校在学中に第81回日本音楽コンクール第1位入賞。チャイコフスキー記念国立モスクワ音楽院(ロシア)に首席で入学後、2016年に開催したデビューリサイタルは、サントリーホール2000席が完売し、圧倒的な演奏で観客を惹きつけた。ソリストとしての活動のほか、メディアへの出演、2018年からは室内楽や自身が創設したMLMナショナル管弦楽団のプロデュース、また2019年にはイープラスとレーベルを共同設立。現在はポーランドのF.ショパン音楽大学にて、ピオトル・パレチニに師事。

就労に向けた、ビジネス・ITスキル向上支援「SkillsBuild」でソーシャルインパクトを

急速なIT技術の発展を背景にあらゆる職業においてデジタル化が進み、社会人に必要なスキルや能力も日々変化しています。企業が求める適切なスキルをもった人材が不足する一方で、働く意欲があっても必要なスキルや経験が不足しているため機会が得られない人々も数多く存在します。

こうした問題を解決するための新しい試みの一つが「SkillsBuild(スキルズビルド)」です。

スキル・知識の獲得により就労を支援

「SkillsBuild」はIBMが提唱している社会貢献プログラムで、これまでの経歴、教育や人生経験にかかわらず、プログラムの参加者がビジネスに必要なスキルやIT基礎知識、IT専門知識といった今の社会で需要の高いスキルを習得し、よりよい就労への道を拓くことを支援するものです。この取組は、各国のNPOや行政などのパートナーと共に、厳しい雇用環境や社会的な課題に直面している方の学習就労支援として、2019年にIBMフランスで開始されました。2020年7月時点で、イギリス、トルコ、インドなど10カ国以上で7,000人を超える人々に活用されています。

日本でも「SkillsBuild」の提供を開始!

2020年7月より日本IBMは、一般社団法人ソーシャルビジネス・ネットワーク(以下、SBN)とともに、SBNと連携している社会的企業であるソーシャルビジネス事業者、NPO、自治体などの複数の運営パートナーが紹介する人材向けに、日本での「SkillsBuild」の提供を開始しました。まずはスキルアップやキャリアアップに意欲のある女性や就職氷河期世代※1などを対象として、プログラムの参加者はSBNや運営パートナーによるサポートを受けながらIBMが提供するオンライン学習プラットフォームにて、企業の社員ボランティアなどによる学習相談コーチングを利用し、ビジネスに必要なスキルや、IT基礎知識、IT専門知識の習得を目指します。また、プログラムの参加者はプロジェクト演習およびインターンシップによる体験学習や就職準備相談コーチングを利用して就労準備に取り組むことができます。

労働市場の「ギャップ」を埋める

IBMの調査(※2)によれば、2030年までに世界で「適切なスキルを持った」人材の不足は8,500万人にのぼると予測されています。日本の労働市場においても、企業の採用担当者の69%が「適切な職務経験やスキルを持つ人材を見つけることが難しい」と回答しています。その一方で、就職氷河期世代の非正規雇用者や非労働人口は590万人に達している(※3)とも言われています。

こうしたギャップを埋め、より多くの人と企業を結び付ける一助となれるよう、「SkillsBuild」の活用が期待されています。

 

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※1:定義の出典:30代半ばから40代半ばに至っている雇用環境が厳しい時期に就職活動を行った世代(内閣府)
https://www5.cao.go.jp/keizai1/hyogaki/20190621gaiyo.pdf(264KB, PDF, IBM外のWebサイトへ)
※2:出典:IBV  The enterprise guide to closing the skill gap 2019
https://www.ibm.com/downloads/cas/EPYMNBJA(894KB, PDF)
※3:出典:総務省「就業構造基本調査」2012
https://www.stat.go.jp/data/shugyou/2012/index.html(IBM外のWebサイトへ)

photo:Getty Images

「協生農法」という言葉を聞いたことがあるだろうか。
ソニーコンピューターサイエンス研究所 リサーチャーの橋真俊氏の提唱する「協生農法」は、土地を耕さず肥料や農薬も使用せず、多種多様な植物を混生・密生させた生態系の営みにより食料生産を向上させる。2015年から西アフリカに位置する世界最貧国の1つブルキナファソで実践された「協生農法」は、短期間で大きな成果を上げた。高い品質で収穫された農作物は1年間で現地における平均国民所得の約20倍の売り上げになり、砂漠化解消や貧困問題解決の糸口となった。橋氏が協生農法の実践にたどり着いたのは、どのような考えからか。また、未来世代に代償を負わせる現在の「三分の理」に捉われない発想の転換について、お話を伺った。

「盗人にも三分の理」が正当化されていないか

――「協生農法」を実践しようと思われたのは、どのようなお考えからでしょうか。

舩橋 私は生物学、理工学、社会学、経済学など1つ1つの学問からの考察・判断ではなくて、もっと総合的に文明というものを捉えたいと考えてきました。特定分野の先端技術でイノベーションを起こして、社会がサステナブルになるかというと、世界全体で見るとそうは思えない。見えていない部分があまりにも多すぎるのです。
「盗人にも三分の理」という諺があります。全体で見れば悪行であっても部分的に見ればそれなりの正当化ができてしまうということです。全体が社会の基盤構造などといった非常に巨大なものの場合、その三割であっても膨大な量になってしまい、人々が個々の経済主体の活動を正当化するには十分に見えてしまいます。実際にうまく行くように見えているのは全体の三割に過ぎず、それは確かに「現在」という切り口では社会課題を解決し、お金になるという利点があります。しかし、残り七分の理は見ておらず、その部分の恩恵を未来世代から盗んでしまっている。当たり前のことですが、隣の家の資産を盗んで金持ちになる、これは同時代では許されないことです。しかし、未来世代の家に押し入ってする収奪は、誰にも気づかれません。物理学における相対論的な時空では、隣から盗もうが未来世代から盗もうが本質的には変わりません。ところが実社会では、未来も未来人の苦しみも想像できません。倫理的な時空には偏りがあるのです。未来世代の持続可能性まで考慮に入れた文明的スケールで考えるには、慣行に囚われることなく十の理すべてを考え尽くさなければなりません。その観点から自分が社会貢献できるとしたら何かと考えた時に、現代文明が直面している環境問題・食料問題・健康問題の結節点に在る食料生産が浮かびました。

舩橋真俊氏

――舩橋さんは、現状のままの農業を続けていくとやがて地球上の多くの種が絶滅する危険がある、と指摘されています。特定の品種を短期間で大量に要求する市場経済は、種の絶滅を促進させてしまうのでしょうか。

舩橋 市場原理に任せていると食料生産がモノカルチャー(単一の農作物を生産する農業の形態)に収斂して行くという考えは、社会の複雑性を捨象し過ぎていて正しくないと思います。日本が戦後にモノカルチャーを推進したのは、むしろ政治的な理由であって、自由な市場取引とはかけ離れた外力が働いています。そもそも現代のモノカルチャーを支えている技術自体が、世界大戦という巨大な外部不経済を前提に開発された科学技術の転用であり、経済的な理由というより歴史的なイベントに依存して起きたことなのです。個々の農業ベンチャーはともかく、国家レベル・文明レベルでの食料生産方式の変遷は、アダム・スミスの「神の見えざる手」が働くような経済学的な理想状態とは異なる領域です。
例えば、現在出来上がっている市場での売買方法では農作物を規格化することが主流です。本来自然の食物は多様なはずです。大きい方が売れるのではないか、見た目がきれいな方が良いのではないかなどの思いこみや、仲買や流通網の構造的な制約や、今まで経験的に行ってきたことを変えたくないなどの行動学的なものは、経済学ではまだ十分に扱いきれていない動機です。従って、それらを生態系の持続可能性と連動させる形に改変することは、生態系に関するより深い理解が必要になりますが、市場原理に何ら反しているわけではないのです。それにも関わらず、人間が自然と相対する過程での無理解の蓄積が、モノカルチャーに短絡的に依存し続ける要因となってしまっています。むしろ市場が多様で投資機会も豊富な先進国・都市部より、科学技術もビジネスのイノベーションも遅れがちな途上国・農村部のほぼ手作業で行われている食料生産の現場に、単一の農作物を生産するモノカルチャー的な先入観が浸透しているように思われます。

私は協生農法の研究を始めて10年ほどたちます。当初立てた仮説は、植物単体を大きくする部分的な最適化ではなく、与えられた環境条件で共存できる動植物の多様性を高めることで、全体として生産性や環境変動への適応に大きなシナジーを生むというものです。自然生態系では、複数の植物種が群生する方が物質循環的に効率良くバイオマス生産ができるということが知られています。そうした環境を人間が最小限の労力で作り出すことで効率の良い食料生産が可能か、日本国内と砂漠化が進むアフリカのサヘル地域で実証実験を行いました。現在は、東京の六本木ヒルズの屋上でも実施しています。いくつかの前提条件のもとですが、群落レベルでのバイオマス生産がモノカルチャーより大きく揺らぎつつも、コストベネフィットが向上し外部資源に依存しない生産が可能であるという、理論と一致したデータが得られています。

アフリカ・ブルキナファソでの協生農法の実践(2015年) 

アフリカ・ブルキナファソでの協生農法の実践(2015年)

――北部にサハラ砂漠を臨むサヘルと呼ばれる半乾燥地域が広がっている国・ブルキナファソでの協生農法は、どのように実践されたのでしょうか。

舩橋 ブルキナファソは、かつては現在よりはるかに緑豊かな国でした。現在も西アフリカ有数の象の生息地があります。車でブルキナファソを旅行すると、ライオンがいるから車から5メートル以上離れるなと言われていた時代もありました。しかし現在では北部のサハラ砂漠に臨む地帯から広範囲に砂漠化が進んでいます。
そもそもアフリカ北部の砂漠化はスケールの大きな天体現象で、1万5千年ぐらい前から地球の自転軸の歳差運動によって太陽光がより強く当たるようになり、モンスーンが活発化してアフリカ北部は湿潤な緑地帯が広がっていたことが分かっています。5~6千年ぐらい前にそれが弱まり、モンスーンが後退して陸地の乾燥度が上がったと考えられています。しかし、それでも今の広大なサハラ砂漠の出現を説明するには十分ではなく、同時に我々の遠い先祖たちが森林を焼き払い家畜に草を食べさせながらアフリカ大陸を北上して拡散移住し、その過程での伐採・過放牧という人類史的な要因で砂漠化が起こったと言われています。

ブルキナファソでは、北部から南部に向けて砂漠化と不適切な農業による土地荒廃の悪循環が起きており、それが貧困を引き起こし、略奪やテロの温床になっています。外部からの対症療法的な支援ではなく、現地の人々が根本的に自らの生活を立て直していくプロセスに協生農法の考え方を導入しました。
砂漠化からの回復と言っても、協生農法は元の生態系に戻す環境保全とは発想が異なります。地下水の涵養や微生物の活動により、さまざまな植物が多様性を持って育ちますが、生態系機能が健全に発揮されることが本質であり、種の構成は必ずしも以前と同じになるとは限りません。人体に傷ができたら、同じ組織の細胞が再生して元通りになります。しかし、自然の生態系では、種は入れ替わりつつも、多様性に支えられた水循環や土壌機能を保って行くのです。
ブルキナファソでまず行ったのは、一口に言えば50年後にどういう生態系にしたいかということをデザインすることでした。生態系の機能、そこから生じる生態系サービスをどのレベルで達成するかを決めるのです。そこからブレークダウンしていき、気候変動に際して食料生産を安定化するにはどのくらいの種多様性が必要なのか、マメ科の植物はこれくらい必要ですね、穀類は地産地消レベルでこれくらい植えましょうと見積もって行きます。それに家畜は何を何頭飼育しましょう、井戸の掘削、雨水を貯めるタンクの準備など具体的なことと組み合わせていきます。重要なことは、生態系と人間の暮らしがかみ合った形で、どの方向に全体を持っていくかです。
一般的には200種類くらいの植物を混生密生させて、水源を確保するということなのですが、これはあくまで一般的な処方箋であって、実際にはその土地とそこで暮らす人々の生活を考えて組み上げていかねばなりません。

食料が少なくなると、人間社会の秩序が保てなくなります。いっそゼロなら盗むことはできませんが、少ないから略奪が起きる。実際は食料が足りていても、自活する術を知らないと人は恐怖から暴力に走ります。ブルキナファソの砂漠化地域では、そうした資源を奪い合うような状況が起きていたので、協生農法の理論と現地の根本的なニーズを合わせて、自活力の強化と環境回復を両立するようなエコシステムを構築したのです。

アフリカにおける協生農法の国際シンポジウムの模様

アフリカにおける協生農法の国際シンポジウムの模様

舩橋真俊氏と子供達

アフリカ・ブルキナファソでの協生農法の実践(2017年)

アフリカ・ブルキナファソでの協生農法の実践(2017年)

物事を時間的スケールで捉える

――協生農法で作物を育てるのは、その土地の固有種を育成することになるのでしょうか。

舩橋 固有種、外来種という区分は、人間が勝手に決めているもので、要は時間の関数だと思います。どれくらいの時間のスケールで見るかで異なってきます。日本固有種と言われるメダカも300万年のスケールで見ると、遺伝子の進化系統図にはさまざまな大陸からの種が混じってきます。何千年か遡れば、今の日本人の祖先も外来種になるかもしれません。
非常に短期的には、川魚やサンゴやハナバチ類を移動させると現在保たれている遺伝的多様性が撹乱されるという批判はあります。しかし、あらゆる生物は移動します。特に温暖化に際しては生物種の自然発生的な移住や再配置は不可避的に起こります。固有種という呼び方も、最初の個体はどこから来たのか、どのスケールで物事を見るかという視点に依存します。その上で、その種が現在の生態系の中でどのような機能を果たしているのか、今後の環境変化に対して生態系機能をどのように担ってくれるのかを認識することが大切です。

――人類は、地球環境を崩壊へと進めてしまうのでしょうか。

舩橋 地球の歴史上、生態系に最も壊滅的ダメージを与えた生物は植物です。光合成を始めた植物の祖先は、それまでになかった高濃度で酸素を生み出しました。太古の地球大気は酸素濃度が極めて低く、当時の嫌気性の微生物にとって酸素は猛毒でした。それまで進化してきた99%に上る生物種を絶滅に追いやったと言われています。大気組成の変化によって、地球は平均気温が60度という今よりはるかに温暖化が進んだ状態にもなりました。人類の今の科学技術を総動員してもこれほど大規模な変動はつくり得ません。人類が地球に対してネガティブなことばかりしていると考える人たちがいたら、人類にそこまでの支配力は無いと言いたいです。人類のせいで、絶滅に追いやられている動植物は少なからず存在しているので、もちろん自然に対して謙虚にならなくてはいけません。しかし、それが明日世界に終焉をもたらすスケールの話とは別問題です。
ただ、今回の新型コロナウイルスのように、人間活動によって失われたさまざまな生態系機能の皺寄せが、巡り巡って未来世代に返ってくるということは肝に命じておくべきでしょう。

舩橋真俊氏

取材は、新型コロナウイルス感染症拡大防止の観点からオンラインで実施しました

人類の役割は、イマジネーションが生む「拡張生態系」

――地球の生態系における多様性の1つとして、私たち人類の役割は何だとお考えですか。

舩橋 協生農法では、人間が介在することで初めて自然状態を超えて目的に応じた全体最適化がなされる「拡張生態系」が生まれます。ここには科学的知識に加えて、イマジネーションが必要です。はるか未来を見据えて現在を律することができるイマジネーションこそ、われわれ人類の真骨頂ではないでしょうか。生態系の仕組みに根差したイマジネーション無くして、文明を持続可能にできないと思います。
一方で現在は、「消耗生態系」です。人間活動によってどんどん地球の環境資源を消耗させています。それも未来世代から生活資源を奪いながら。

現代文明を、化石燃料を燃やしながら飛んでいる飛行機だと考えてみてください。機体は自然資本である生態系であり、揚力を与えてくれる翼は生物多様性です。化石燃料は現在のペースで使い続けることが不可能ですから、いずれ飛行機は墜落します。パラシュートで脱出しますか。現在の経済システムの外では、大きな人口と社会組織を健全に保つ術を我々は知りません。現状の技術水準でも数十年の化石燃料は供給可能なようですが、そうしている間に生物多様性が崩れて、翼が折れてしまうかもしれません。
では、何もしなくても浮いていられるシステムである船のような文明はあるのでしょうか。人間が発祥する前の自然生態系はそのように発展して、今日の我々が依存している豊かな自然資源を築いてきました。自然との接点を化石燃料ではなく、再生可能エネルギーにしたり、食料生産の持続可能性を高めることは、生態系が多様な自然資本を生み出してきたプロセスに我々の社会-経済の仕組みを合致させて行くことに相当するでしょう。それに成功すれば、未来世代の生活資源を奪うのではなく貯蓄することだってできるはずです。現状の三分の理は言うに及ばず、自然が成り立っている十分の理を踏まえた上で、更に十一分の理、十二分の理の領域へ人智が踏み出す時、人類は生命史のスケールで持続可能な生物種の資格を得るでしょう。

――環境保護の活動もあります。

舩橋 環境保護活動に取り組むに当たって、墜落していく飛行機の翼を直しながら延命を続けるような考え方は、本質的ではありません。一口に環境保護と言っても、目的をはっきりさせないと消耗生態系を正当化しかねません。例えば、国立公園や保護区をきちんと整備して、人間活動は都市部に集中させたとします。一見正しそうですが、これも三分の理になっていないでしょうか。自然保護区を放置したら、実は砂漠化が進んでしまう地域が広大にあります。地球上の草原の三分の二は、大型草食動物と肉食獣が健全な野生状態としての「食うか食われるか」の状況で均衡を保つことで、乾季と雨季のある大きな環境変化にうまく適応した形で草原の再生サイクルを担っているのです。
具体的には、野生動物で保護運動が盛んな象の例があります。象を保護区に集めて保護した結果、木々をなぎ倒し過ぎてしまい砂漠化が進んだというのです。象を1カ所に閉じ込め、保護のため肉食獣を近づけないでいたら、結果として象が大距離を移動しなくなり、木々が再生する時間・空間的な余裕が失われたのです。自然状態で象が徘徊するテリトリーは、人間が作った保護区よりはるかに広いものだったのです。このように多種多様な植物と草食獣、肉食獣のエコシステムのバランスが崩れてしまうと、生物多様性は自然放置しても失われるサイクルに入ってしまいます。同じ理由で、植林だけを大規模に推進するのも、意図したことと逆の結果を引き起こしかねません。

人間にとって都合のいい三分の理に囲い込むのではなくて、残りの七分に向けて、自身の認識、社会活動の在り方を変えていけるか。そこには当然リスクも伴いますが、今後我々が社会全体でチャレンジすべき領域です。

子どもの頃読んだ漫画に、2020年の未来世界を描いたものがありました。コンピューターが発達したおかげで社会は非常に効率化され、人はほとんど働かなくてもよくなり、趣味ややりたいことに使える時間が増えるというものでした。いろいろな予測のうち当たったものもありますが、コンピューターが発達したら人間が暇になるというのは外れましたね。便利にはなったけれど、忙しさは減っていない。
人間は個人レベルではさまざまなことに配慮できるし複雑なことも考慮できるのに、組織として動き出した瞬間、1人だったら絶対しないような愚かな行動に走りがちです。個人の善意とはかけ離れたさまざまな社会的なジレンマや組織の対立が非効率を生んでしまいます。テクノロジーだけでそれを解決できる、とは思いません。生身の人間がさまざまな技術や過去の偉人たちの業績を利用しながらも、人間自身が進歩し協力して社会組織を運営しない限り、テクノロジーだけでは難しいと思います。
現行の社会体制の中での組織の運営だけで良しとしていては、残りの七分の理が見えません。自然とは何か、生態系は今後どのような変化をして行くのか、人間と自然環境との接点とはどのようにあるべきかということをポジティブ、ネガティブの両方に自由度を持って考える場として、食料生産というものが、最も重要な基盤の1つであると考えています。今後もこのような活動を通じて、広く文明・社会に貢献していきたいと思っています。

TEXT:栗原 進、写真提供:ソニーコンピューターサイエンス研究所

舩橋真俊(ふなばし・まさとし)

ソニーコンピューターサイエンス研究所(Sony CSL) リサーチャー/物理学博士
1979年生まれ。2004年東京大学獣医学課程を卒業(獣医師免許保持)。仏 Ecole Polytechnique 大学院卒、物理学博士(Ph.D.)。生物学、数理科学を学んだ後、複雑系科学を経て、2010年より現職。実験室内の現象のみに着目し機械論化する生物学に対して、自然状態で初めて発揮される生命現象を含んだ関係主義的生命科学を志す。その実験系として「協生農法(Synecoculture)」を学術的に構築。人間社会と生態系の多様性の双方向的な回復と発展を目指している。2018年に一般社団法人シネコカルチャーを設立、代表理事を務める。

水ビジネスの世界に、全く新しい視点から参入している東大発ベンチャーがある。WOTA株式会社(本社:東京都文京区、以下「WOTA(ウォータ)」)だ。持ち運び可能な小型のポータブル水再生処理プラント「WOTA BOX」を開発した。
今年の令和2年7月豪雨や昨年の台風15号、19号被害では、被災地の避難所に「WOTA BOX +屋外シャワーキット」を提供し大好評だった。水質はAIやセンサー、フィルターを駆使してWHO(世界保健機関)水準の清潔さに維持しつつ水再生処理を行うことで、100リットルの水で100人がシャワーを繰り返し使用できる。普通のシャワーに比べて約98%の節水だ。泥と汗にまみれてストレスがたまる被災者からは、感謝の言葉が絶えない。
さらに今年7月には新型コロナの世界的な感染拡大を受け、「WOTA BOX」の技術を活かして「どこでも手洗い機(WOSH)」をわずか3カ月のスピードで開発し、予約受付を開始。11月から出荷を開始する。コンセント1つあれば、レストランや商店の店頭に設置でき、20リットルの水で500回の手洗いができる。
おまけに手を洗っている30秒間に、スマホの表面に付着した菌を99.9%以上UV除菌できる機能も洗面台の側面に付いており、先行予約の600台は即完売した。6月には神奈川県鎌倉市と実証実験を行い、駅の改札口を出た所などに設置。ウィズコロナ時代の観光都市の在り方として注目されている。世界からも問い合わせが殺到している。
世界の水資源の不足は深刻だ。WOTAの技術は水処理を分散型にすることにより、上下水道がない国や地域でも生活用水の再利用を可能にしてくれる。
水ビジネスに果敢に挑戦するWOTAの前田瑶介社長(27歳)に、今後の事業展望や研究開発の方向性について伺った。
(この取材はWeb会議システムを介して行いました。)

WOTA BOX(中央)と屋外シャワーキット

WOTA BOX(中央)と屋外シャワーキット

ライフラインは「大から小へ」、分散型が世界の潮流

――水ビジネスはフランスのヴェオリアやスエズなど巨大企業が世界の上下水道事業を席巻しています。あえてこの分野で起業された狙いをお聞かせください。

前田 私は大学で建築を学び、ライフラインに関わる仕事をやりたいと思っていました。ライフラインの世界は今、大きなものから小さなものへという潮流があります。通信はポケットに入り、電気やエネルギーは家庭で発電するなど分散型に移行しています。ところが水だけは汎用性のある小さなソリューションがないと感じていました。
もし水においても小さなライフラインとして実現すれば、ドミノ倒しの最初のピンになって、都市や組織の在り方、街づくりまで一気に変わっていくのではないかと考えています。
わが国特有の水の課題としては上下水道の財政問題があり、多額の事業債など、事業継続上の懸念があります。水道管を維持するエリアの縮小を余儀なくされる自治体も出てくる可能性があると言われております。水道管の維持ができなくても、別の方法で水供給や水処理をできるようにすることは、私たちにとって重要なテーマです。それを解決する技術を開発すれば、世界的に大きな市場になるのではないかと考えました。

ゴミ、細菌、ウイルス、有機物などを99.9999%除去する性能

――昨年発売された「WOTA BOX」は、100リットルの水を循環ろ過して、100人がシャワーを浴びることができるとのことですが、どのような仕組みなのか、説明していただけますか。

前田 WOTA BOX は、一言で言うと、水処理場を10万分の1のサイズに縮小して持ち運べるようにした装置です。
水処理場は機械や設備だけで動いているわけではなく、日々、専門職の方々が経験に基づいて水の色や匂い等の感覚情報もふまえながら管理することで成り立っています。いわば「酒蔵」のようなイメージです。それを小型化するには、経験則や職人的な判断を自動化する必要があります。

図1:WOTA BOXのシステム概念図

図1:WOTA BOXのシステム概念図

前田 WOTA BOXは、AI、センサー、フィルターを駆使し、水を絶えず浄化して供給するシステムです(図1)。人の目と鼻の役目はセンサーが、判断はAIが行います。
センサーは水質の汚れだけでなく、フィルターを通る前と後の水質を比べることで、フィルター性能をリアルタイムで評価します。それらの情報をマシンにフィードバックし、目標の水質基準やコスト効率を満たすよう、最適に制御します。
シャワーは通常1人で約50リットルの水を使います。100人なら5000リットルの水が必要になりますが、WOTA BOXなら100リットルの水を繰り返し使うので、必要な水の量は通常の量のわずか2%。つまり98%の節水ができ、普通のシャワーなら2人しか浴びられない水量でも、WOTA BOXでは100人が利用できるのです。被災地のような断水した場所でも使えますし、小さな発電機や蓄電池でも稼働できるよう省エネ化していますので、電気が遮断している場所でも手軽にシャワーを浴びることができます。

被災地で活躍するWOTA BOXと屋外シャワーキット

被災地で活躍するWOTA BOXと屋外シャワーキット

――シャワーの排水には身体の汚れや洗剤などさまざまな不純物が含まれます。どのような仕組みで除去するのでしょうか。

前田 シャワーの排水は、まず洗濯機にあるようなゴミポケットで大きなゴミを取り除いた後、活性炭膜や逆浸透膜(RO膜)など6本のフィルターを通し、ゴミ、せっけんの成分、細菌、ウイルス、金属イオンなどを99.9999%取り除きます。
例えばウイルスの大きさは100ナノメートル程度ですが、RO膜の孔(あな)の大きさは約1~2ナノメートルですから、除去できます。AIはセンサーで得た汚れの情報を元に、どのような水処理をすべきかを自動的に判断し、アクチュエータを制御します。
さらに紫外線の照射や塩素による殺菌・消毒も行います。処理した水はWHOの水質基準を満たしており、口に入っても支障ないクオリティです。ただ、飲んでしまうと、循環するための水が減るので飲用ではございません(笑)。

前田瑶介氏

2019年の長野市水害では9000人以上がシャワーを浴びた

――これまで全国の台風や豪雨の被災地に「WOTA BOX」を提供して支援活動をされています。WOTA BOXの働きぶりはいかがですか。

前田 2018年9月にWOTA BOXの開発を開始したとき、私たちは「この製品は災害対応をメインにしよう」と決めていました。災害時に避難所で水に困らない状況を作ろうと考えたのです。
2019年に台風19号で千曲川が氾濫したとき、長野市の1千世帯以上が被害を受け、数千人の住民の方々が長期の避難生活を余儀なくされました。長野市には14台を導入していただき、すべての避難所で2カ月間弱、シャワーが使えるようにしました。中核市規模で都市全域の方々に、私たちの新しい自律分散型水インフラが役立ったことは大きな自信になりました。
水害には、想像を絶する精神的なストレスがあります。家も身体も泥まみれで後片付けをしますが、厄介なのは乾いた後の土煙が街を覆い体に付着することです。泥には細菌が含まれているので、さまざまな感染症の原因となるリスクも高い。特に避難所において、子どもやお年寄りをそんな状態で寝かせることに、親御さんたちは心を痛めていました。
シャワーは延べ9000人以上の方々に利用していただきました。毎日シャワーを浴びて身ぎれいにして寝ることができ、精神的に安らげたのではないかと思います。
避難所では感情を抑え寡黙になるお子さんがいます。泣きも笑いもしなくなります。それがシャワーをお父さんやお母さんと一緒に浴びると、感情が一気に解放されて、泣き出したり笑い出したりするのです。
こんな声もありました。「避難所生活が1カ月も続くと、そこから職場や学校に通うようになる。水を使えたおかげで、サッパリ清潔な身体で通勤・通学ができました」。
今年7月の九州地方の豪雨災害では九州各県の被災地にWOTA BOXを提供し、感謝の声をたくさんいただきました。自衛隊はお風呂サービスをしますが、大量の水をどう確保するかが課題になります。
今まで避難所の運営は、とにかく生きのびるという水準でしたが、これからは避難生活が長期化しても、ふだんと同じように水を使って日常通りの快適な避難生活ができること、居心地よく過ごせることが課題になります。WOTA BOXが全国に1万台オーダーで配置されれば、日本でいつ災害が起きても水に関しては大丈夫です。

被災地でもシャワーを浴びることができる

被災地でも久しぶりにシャワーを浴びることができ、さっぱり!

世界は水不足。排水量の極小化が新たな価値になる

――「98%節水」が持つ意味について、水資源との関係から解説していただけますか。

前田 地球上に水は大量にあると思いがちですが、97.47%は海水であり、淡水は2.53%です。この淡水のうち、大部分は、南・北極地域などの氷河や氷山であるため、それを除いた地下水、河川水、湖沼水などの淡水は、全体の0.76%にしか過ぎません。しかもそのほとんどが地下水であるため、比較的容易に利用することができる河川水や湖沼水などとして存在する量は、地球上の水のわずか0.01%です。人口爆発が世界的課題となるという予測もありますが、そうなった場合も水資源は増えないので、相対的に不足していきます。
このため、人類はもっと効率的な水の使い方を志向していく必要があります。つまり水を節約するだけでなく、使った水の後始末や再利用をその場その場でやっていくことが重要です。
水問題の本質の1つは排水の処理なのです。使用後の水を垂れ流しにするから、使える水が使えなくなります。水があっても使えないというのが、今の中国や東南アジアの現状です。そこを解決しないと、水の問題はどんどん悪化します。排水の量を極小化することが、節水の先にある価値だと思います。

WOSHは日本の技術を総結集してスピード開発

――新型コロナが世界で猛威をふるう中、御社は「どこでも手洗い機の(WOSH)」をわずか3カ月という猛スピードで開発し、7月14日に発表されました。アピールポイントや開発の経緯をお聞かせください。

前田 WOSHは「公衆衛生のアップデート」を目標にした装置で、20リットルの水で500回の手洗いができます。WOTA BOXの技術を生かし、コンパクトな設計にしました。コンセント1つあればどこでも設置でき、水質はセンサーで絶えず監視します。万一、外的ショックなどで安全性に支障が出た場合は、自分で稼働を止めます。
また手洗い中の30秒間にスマホ表面に付着している菌を99.9%以上UV除菌する機能も備えており、大好評をいただいています。
開発の端緒は、昨年秋、台風15号で被災した千葉県で支援活動をしたとき、日本赤十字社の方から「仮設トイレを出た後、手洗いができない」という悩みを聞いたことでした。新型コロナが拡大期に入った今年2月下旬頃には、ある飲食店チェーンの社長さんから「これからの集客施設や公共空間は“衛生、清潔、安心”がないとやっていけない。でも今の水道ではこれに対応できない」と聞きました。
店や施設の入り口にはアルコール消毒液が置いてありますが、アルコールの効果は病原体ごとに違っていて、ノロウイルスなど「ノンエンベロープ型」には効かないと言われています。
より汎用的な手指衛生の方法として、入り口で手洗いができれば安全性が高まるのではないか。手洗いをすると、感染性疾患の罹患(りかん)リスクを最大44〜47%程度低減できるという論文も読み、2月下旬に開発を決意。3月上旬から全社員を動員しました。
パートナー企業さんにも「これは重要なプロジェクトだからぜひ参加を」と呼びかけました。これまで試作品を依頼していた会社、データ分析の計算基盤を提供してくれた会社、通信環境を提供してくれた会社などが、最優先で取り組んでくれました。日本の技術を結集する形で開発を急ぎ、5月には試作品1号機、6月上旬には2号機が完成しました。

手洗いスタンド「WOSH」

水道いらずの、手洗いスタンド「WOSH」

手洗いスタンド「WOSH」

手洗いスタンド「WOSH」

手洗いしている30秒間にスマホも99.9%以上UV除菌してくれる。

コピー機に似たビジネスモデル。来年から月産1000台を予定

――鎌倉市で実証実験を行ったとのことですが、結果はいかがでしたか。

前田 最初は、JR鎌倉駅東口の改札を出たところ、小町通り商店街、市役所、長谷寺などで使っていただきました。利用者の方々からは、「電車でつり革に触った後、レストランで食事する前に手洗いができるのはありがたい」とか「アルコール消毒で手が荒れていたので、水で洗えて助かる」といった感想をいただいています。WOSHの水は不純物を99.9999%除去した「超軟水」で、肌触りも柔らかいのが特徴です。
地元住民の方々からは「外から人がやって来る駅の改札口に手洗いがあるのは安心だ」と、ウィズコロナ時代の観光都市の在り方としてポジティブに受け入れていただいています。
今年11月から量産に入る計画で、7月14日の発表で600台の先行予約を始めたところ、即完売でした。来年は月産1000台を予定しており、海外からもたくさんの引き合いが来ています。

――WOTA BOX は売り切りでしたが、WOSHは月額22,000円という安価なレンタル制です。フィルターの交換や掃除などのメンテナンスも不可欠だと思いますが、ビジネスモデルについて説明していただけますか。

前田 今回、WOSHを導入する業種は、コロナで経営的に苦しいところが多いだろうと感じており、できる限り導入のハードルを下げることにしました。WOSHのビジネスモデルはコピー機とよく似ています。フィルターの残量はセンサーで把握して表示するので、インクカートリッジに相当します。
WOSHは使っていると少しずつ水が減っていきますから、週に1~2回、10L程度の水を上から補充する必要があります。これはコピー用紙に相当します。
こうしたメンテナンスは簡単な作業なので、各社のスタッフの方々やご自身でご対応いただくことが可能です。

「WOSH」を使っている様子

商店街やレストランの入り口に置かれる「WOSH」

商店街やレストランの入り口にさりげなく置かれた1台がうれしい。

過去の事例とは異なる新しい成長プロセスを作りたい

――最近のベンチャーは、インターネットやソフト開発などIT系が多いのですが、御社は珍しく研究開発型でお金がかかるモノ作り系です。今後の海外展開など将来展望をお聞かせください。

前田 WOTAはハードウェアや要素技術まで踏み込んで開発します。こうした本格的な投資が必要な研究開発型企業は「ディープテック」と呼ばれています。製造業ですから、本当にヒト、モノ、カネに四苦八苦しながらやって来ましたが、最近ようやく業績とのバランスが取れてきました。
過去にベンチャーから大企業になった事例とは異なる、新しい成長のプロセスを作りたいと思っています。リソースを豊富に持っている企業と連携する方法もあります。現実に自動車メーカー大手や家電メーカー大手からは、試験設備などを貸していただいています。
世界には手洗いができない人が30億人います。世界の病院のうち16%は近代医療にふさわしい手洗いができません。手術前にも処置後にも手を洗えません。私たちは迅速に、世界各地で製造開始できるようにしたいと思っており、高度な設備がなくても製造できる設計を心がけています。

上下水道を必要としない、水の供給・処理の新事業を起こしたい

――最後に、今後、進出を目指している新たな分野があれば、お聞かせください。

前田 浄水場だけでなく、下水処理場もコンパクトにしたいと考えています。成長途上にある国々では、成長過程で公衆衛生課題に直面しますが、その代表的なものが公衆トイレです。下水道がなければ公衆トイレを作れず、公衆衛生の改善が進みません。私たちは下水道の敷設を待つことなく、分散型の水再生処理システムと共にトイレを設置するという展開を考えています。
すでに弊社の開発拠点(東京都豊島区)のトイレはそうなっていて、私たちが出したものを使って実験しています。上下水道を必要としない、新しいタイプの生活用水の供給と処理の事業を起こしたいと考えています。

世界の水ビジネスのポテンシャルは数百兆円と言われます。いろいろなプレーヤーが参加することが世の中のためには大切で、今後この分野に参入する企業様にも私たちのプラットフォームを公開して使っていただけるような構造を作り、世界の水問題の解決スピードの向上に貢献できればと考えています。

TEXT:木代泰之、画像・動画提供:WOTA株式会社

前田瑶介(まえだ・ようすけ)

WOTA株式会社 代表取締役
1992年、徳島県生まれ。東京大学工学部建築学科卒業、同大学院工学研究科建築学(修士課程)修了。在学中より、大手住設メーカーのIoT型水回りシステムユニットの開発プロジェクトに参加。teamLab等でPM・Engineerとして勤務し、センシングや物理シミュレーションを用いた作品・プロダクトの企画・開発に従事。建築物の電力需要予測アルゴリズムを開発・売却後、WOTAに参画。特技は阿波踊り・競技ダンス。東京大学総長賞受賞。修士(工学)。

「異彩を、放て」というミッションを掲げ、福祉を起点に新たな文化をつくりだすことを目指す株式会社ヘラルボニー。代表取締役社長の松田崇弥氏と代表取締役副社長の松田文登氏は一卵性双生児であり、4歳年上の自閉症の兄への偏見に感じた違和感を原体験として、同社を起ち上げた。

知的障がいのある人々を取り巻く偏見や環境を改善させるため、彼らが生み出す、鮮やかな色彩や緻密な反復作業から生み出されるアート作品に着目。それらを、ネクタイなどのプロダクトにしたり、建設現場の仮囲いに展示したりすることで、障がいのある人々の存在をより身近なものし、彼らへ正当な評価と賃金が行き渡る事業づくりに取り組んでいる。福祉、ビジネスを柔軟な発想で掛け合わせ、社会を変革しようとしている2人に話を伺った。

左・崇弥氏、右・文登氏

ビデオ通話にてインタビューを実施。(左・崇弥氏、右・文登氏)

障がいは個性や可能性である

――福祉を軸に事業を展開する背景には、お2人のお兄さまの存在が深く関わっていると伺っています。ヘラルボニー起業までの経緯をお聞かせください。

崇弥 幼少期から僕たち2人とも、障がいのある人に対してバイアスがかかっていることに強い違和感を覚えていました。「お前たちは兄貴の分まで一生懸命生きるんだぞ」と親戚から言われたり、プールに行くと同年代が兄を指差して笑っていたり。家族の中で兄は楽しそうに暮らしているにも関わらず、一歩社会に出ると「障がい者」という枠組みで「かわいそう」とか「変な人」になってしまうんです。その状況をなんとかしたいという思いを、ずっと抱えていました。

文登 起業の直接のきっかけとしては、岩手県花巻市にある「るんびにい美術館」での崇弥の体験ですね。アウトサイダー・アート(知的障がいや精神障がいのある人など、伝統的芸術訓練を受けていない人の作者が創造した表現作品)を見て、深く感動したと話してくれたんです。僕もそれらの作品を見たとき、自分では到底描き出すことができない世界に感銘を受けました。

そこで、崇弥は広告代理店に、僕はゼネコンに勤務しながら、仲間たちと「MUKU」というブランドを立ち上げて、作品をモチーフにしたネクタイや傘のプロデュースを始めました。すると想像以上の反響があり、起業に対するマインドが自然に芽生えていった感じです。より多くの方に見ていただくことで、僕たちが感じたリスペクトが連鎖し、障がいがある方に対するイメージが変容していけばと思いました。

「MUKU」のネクタイ

「MUKU」のネクタイ

――ヘラルボニーのミッション「異彩を、放て」にある「異彩」は、障がいがある人々の個性や可能性を指しているそうですが、具体的にどのような個性や可能性を見出しているのか教えてください。

崇弥 たとえば、自閉症の方にはスケジュールや決まった行動にこだわるルーティンの特徴があります。僕たちの兄は、日曜日の18時に必ずテレビで『ちびまる子ちゃん』を見ていたのですが、毎週見ているテレビ番組が打ち切りになると取り乱してしまう方もいらっしゃるようです。こうした生活の繰り返されるルーティンが、キャンバスに場所を移すと、色を繰り返し重ねたり、ひたすら葉っぱのような同じモチーフを描き続けたりと、独特な作品を生み出すことに繋がるんです。

それらの作品を目の当たりにすると、彼らだからこそ描ける世界があり、できる仕事があることがはっきりとわかります。障がいのない人は持っていない能力を「異彩」と表現することで、「障がい者」というくくり方ではない彼らの可能性にスポットライトを当てたいと思いました。

――今まで「異彩」が着目され、ビジネスにならなかったのはなぜでしょうか?

文登 福祉施設職員の方は障がいのある方の就労支援をするという立ち位置で、大抵はビジネスを専門的に学ばれているわけではないので、今既にある強みを伸ばして、どうお金を生み出していくのかというビジネス的発想にならないのは仕方ないことだと思います。たとえば、障がいのある方が5日間かけてつくった革細工がわずか500円で販売されるのが現状です。そこには「支援」の意味を込めてお金を払う仕組み以上の概念はないんです。支援ではなく、アート作品への対価としてお金を払う仕組みをつくるのは福祉領域だけでは難しいので、僕たちのようにビジネスとの接着剤的な立ち位置を担う存在が必要だと思っています。

40人のうち3人が熱烈に評価してくれるものをつくる

――2018年7月にスタートしたヘラルボニーは、事業拡大をしながら3期目を迎えました。日本ではアートをビジネスとして成功させるのは難しいとされる中、どのような経営戦略をお持ちでしょうか?

文登 弊社は「アパレル」のほかに、「原画の複製」「ライセンス」という3本柱で事業を展開しています。原画の複製は、アートに特化した福祉施設と契約を結び、複製画を販売することで原画の価値を向上させることを目的としています。ライセンスに関しては、約2,000作品のデータを所有しており、企業とのコラボ商品開発等、収益面でも成長が見込める分野です。アート作品の使用料として商品販売価格の一部が弊社にバックされ、障がいがある作家さんに継続的に賃金をお支払いできる仕組みを想定しています。崇弥が前職でキャラクタービジネスをやっていたので、そのノウハウが生かされている分野ですね。

崇弥 ターゲットの話をしますと、福祉やアートは、「私には関係ない」と遠ざけられがちです。なので、会社を設立した際に、僕たちの地元、岩手県の友だちを顧客として想定しました。彼らは福祉やアートには興味がなくても、supremeやコム・デ・ギャルソン、イッセイミヤケは購入します。そこから、アートやブランドが、モノに落としこまれたときに、より多くの人に伝わる可能性が生まれるのではないかと考えたのです。

吉本興業とのコラボブランド「DARE?(ダレ?)」

吉本興業とのコラボブランド「DARE?(ダレ?)」

崇弥 文登とよく話しているのですが、40人いたら半数の20人に刺さるようなことはあまりしたくないと思っています。40人の内たった3人が熱烈に評価してくれるプロジェクトを複数走らせたいんです。たとえば、弊社のアパレルブランドは、クリエイティブを尖った印象にしていますし、吉本興業さんと一緒につくったブランド「DARE?(ダレ?)」ではお笑いと一緒にアートで変えていくことをコンセプトにしていて、それぞれ違う層に刺さるようにしています。

文登 いろいろなカテゴリーで熱烈なファンをつくり、その輪が広がって、最終的に障がいへのイメージを変容するという自分たちの目的を達成できればという思いです。

三方よしのビジネスモデルだからこそ展開できる

――ライセンス事業の一環として、建設現場の仮囲いにアートを掲載する「全日本仮囲いアートミュージアム」を展開されています。これはゼネコンで働いていた文登さんのアイデアでしょうか。

崇弥 そうですね。「仮囲いにアートを貼ったら絶対にいける!」と文登が言い出したときは驚きました。仮囲いに何も貼らず真っ白なままにしているゼネコンが多いことから、そこにアート作品を貼り、作家に使用料が還元されるモデルプランを説明されたのですが、当初は成功するのか半信半疑でした。それが今や全国10箇所以上で仮囲いアートミュージアムが進行しているほどの事業になっています。

文登 ゼネコンに勤務していたので「工事成績評定」という工事の成績表のようなものがあることは知っていました。公共工事が完成した段階で発注者が施工状況や出来ばえ、技術提案などを採点し、80点以上だと次の入札公示で優遇されやすいと言われています。そこで、仮囲いのアートミュージアムを「工事成績評定」の加点プログラムにできないか、地元の岩手県議会議員にかけあって、加点対象と認定してもらったのです。

――企業にとっての利益にもなる仕組みをつくったのですね。

文登 「障がいがある人のアートを展示しましょう」と呼びかけるだけでは、実現させることは難しいので、ゼネコンにとってわかりやすいベネフィットをどう提示できるか考え抜きました。たとえば、知名度を上げたいゼネコンは、普通なら新聞広告などを掲載しますが、「同じ金額で仮囲いにアートを掲示すれば、SDGsやCSVといった視点を備えたプロジェクトとしてもアピールできますよ」と戦略的に働きかけることで、採択に結びつけています。

――高輪ゲートウェイ駅にて実施された「Takanawa Gateway Fest」での仮囲いミュージアムでは、アート作品をトートバックにアップサイクルして、事業者にも還元するという新モデルも構築されています。

文登 光栄なことにJR 東日本スタートアップ株式会社のプログラムに採択していただき、耐久性の高いターポリン素材にプリントしたアート作品を展示した後に、それをアップサイクルし、トートバックとして販売する予定です。仮囲いを彩ったターポリンが再利用されるとともに、商品販売によって得られた利益の一部をアーティストや事業者に還元できるプロジェクトになっていることが特徴です。

仮囲い前でトートバッグを持つ崇弥氏

仮囲い前でトートバッグを持つ崇弥氏

崇弥 街中にミュージアムがあるだけではなく、トートバックやペンケースなどアップサイクルするグッズを増やすことで、仮囲いが販売チャネルにもなるのです。また、商社や大企業のほうが作品をより効率的に広める力を持っているので、弊社は将来的に他企業と契約を結ぶライセンサーの立ち位置になれたらと思います。そうなるために、自分たちでも仮囲いプロジェクトの可能性を見せていく必要があるので、現在、担当スタッフを増員し注力しているところです。

――お兄さまの存在や、福祉施設と信頼関係があることが御社の強みになっていると感じます。信頼関係を構築できた理由はどこにあるとお考えでしょうか?

文登 福祉の分野でビジネスの話をすると、「そこまではちょっと」という雰囲気になってしまうことがしばしばあります。なので、「障がいがある方の個性が評価される仕組みをアートを通じて構築したい」という弊社の思いをしっかりとお伝えするようにしています。

崇弥 根底にあるのは、できないことを補おうとするのではなく、できることに照準を合わせた仕事づくりが実現できれば、さまざまな能力を生かせる社会になるはずだという思いです。なので、アーティストには、プロジェクトの納期は伝えますが、けっして無理強いはしません。納期に間に合わなければ、僕たちがクライアントに頭を下げる覚悟で、余裕を持ったスケジュールやスピードを補完するように努めています。

そうして製作したネクタイを持っていったとき、福祉施設の方は「ここまでクオリティの高いものになるとは思っていませんでした」と感激されていました。施設だけでは完結できないレベルのモノづくりに到達できていることや、ひとつひとつ一緒に積み上げてきたことを評価していただいて、信頼関係に繋がっているのだと思います。

福祉、支援を超えるビジネスの可能性を追求

――2020年2月に「この国のいちばんの障害は『障害者』という言葉だ」という意見広告を出されています。その背景には、言葉からマイナスイメージを連想してしまう社会への問いかけがあったのでしょうか。

崇弥 実は、「知的障がい」という言葉は、古くは「白痴」から「精神薄弱」に、そして「知的障がい」に……と、まだマイルドな表現に変わってきてはいますが、それでも言葉から想起されるイメージが今の時代にふさわしいか疑問です。自治体に障がい者と認定されることで支援を受けることができますし、枠でくくることが悪いことだとは思いません。ただ、くくり方を見直すべきではと考えています。

「#障害者という言葉」の意見広告

「#障害者という言葉」の意見広告

――先ほどの、一歩社会に出ると「障がい者」という枠組みで「かわいそう」と捉えられてしまうというお話にも繋がりますね。今後のご予定として、地元の岩手県では、百貨店に実店舗出店、オフィス兼ギャラリーのオープン、さらには内装やコンセプトを手掛けるホテルが完成するなど、盛り上がりを見せていますね。

文登 事業を始めてから2年、本当にいろいろな方に支えていただきました。僕たち2人だけのアイデアというわけではなく、多くの方と一緒にひねり出したというか、こうやったら社会が変わるんじゃないかと考え続けてきた結果です。

ジェトロ(日本貿易振興機構)の支援を受けることが決まり、アウトサイダー・アートのマーケットがあるイギリス、米国、中国でもチャレンジする予定です。日本の障がいがある方のアートが、世界でどのように評価されるのかすごく興味があります。

崇弥 多くの組織や企業の方々と手を組ませていただいていますが、社会貢献が先立っているのではなく、きちんとアウトサイダー・アートにビジネスチャンスを感じてくださっている方かどうかは重要視しています。企業の中でSDGsへの配慮が重要視されてきていることは理解していますが、その文脈を打破できなければ本当の成長はないと考えているからです。

るんびにい美術館のアーティストと

るんびにい美術館のアーティストと

――数多くのプロジェクトが進行し、これからは「選択と集中」や意思決定が大事になっていきそうですね。

文登 自分たちが良いと思うことをひたすらにやってきたので、そろそろ戦略的に選択していく必要があります。崇弥が社長としてクリエイティブを、僕が副社長でマネージメントを担当し、全て相談していますが、些細なことで対立もします(笑)。他のスタッフには優しくできることでも、崇弥には正直になりすぎて、はっきり言ってしまうんです。

崇弥 文登は本社がある岩手を、私は東京を担当しているので、一緒にいないのが良かったと思う時もあります。電話で喧嘩になっても、どちらかが一方的に切るので(笑)。もちろん、普段は仲良く、頻繁に相談しあっていますよ。

文登 経営者のメンタルヘルスケアは大変だという話を聞くことがありますが、僕は崇弥と一緒に決断することができますし、同じ思いを共有できているのでありがたいです。
僕たちがやっていることに続いてくれる企業がいれば嬉しいですし、ヘラルボニーが目指してもらえるような対象になれたら、社会は確実に良い方向に変わっていくと信じています。

TEXT:小林純子、写真提供:株式会社ヘラルボニー

松田崇弥(まつだ・たかや)

株式会社ヘラルボニー代表取締役社長
チーフ・エグゼクティブ・オフィサー。小山薫堂率いる企画会社オレンジ・アンド・パートナーズ、プランナーを経て独立。異彩を、放て。をミッションに掲げる福祉実験ユニットを通じて、福祉領域のアップデートに挑む。ヘラルボニーのクリエイティブを統括。東京都在住。双子の弟。日本を変える30歳未満の30人「Forbes 30 UNDER 30 JAPAN」受賞。

松田文登

松田文登(まつだ・ふみと)

株式会社ヘラルボニー代表取締役副社長
チーフ・オペレーティング・オフィサー。大手ゼネコン会社で被災地の再建に従事、その後、双子の松田崇弥と共にヘラルボニー設立。自社事業の実行計画及び営業を統括するヘラルボニーのマネジメント担当。岩手在住。双子の兄。日本を変える30歳未満の30人「Forbes 30 UNDER 30 JAPAN」受賞。

誰でも読める点字・Braille Neue(ブレイルノイエ)に見る、ニューノーマルを切り拓くアイデア

19世紀初頭、フランス第一帝政期のナポレオン時代に発明され、暗号としての起源を持つ点字。偶然の巡り合わせから、その点字に関心を持ち、約200年の時を経て、まったく新しい点字を創りだしたのが、「発明家」の高橋鴻介氏だ。社会課題に紐づく多くの発明を手がけてきたものの、ご本人にその気負いはまったくなく、等身大の感性を大切にする姿勢は、各プロダクトに遊び心とゆとりを与えている。

新型コロナウィルス感染拡大による緊急事態宣言を受けて、自粛生活を強いられるようになった期間にも、ユニークなオンライン上のスポーツ「ARゆるスポーツ」の開発に携わる。「人と人を繋ぐ」という思いのもと、身近な生活の中から好奇心の種を見いだし独自のプロダクトに発芽させていく高橋さんに、発明に対するこだわりについて伺った。

触覚でも視覚でも読める点字「Braille Neue」の開発

――広告業界に身を置きながら、「発明家」として活動されています。どのような経緯で「発明家」を肩書とされるようになったのでしょう?

高橋 僕は東京の電気街として名高い、秋葉原生まれなんです。そうした場所柄もあってか、両親も小さい頃から高架下の電子部品売り場に連れて行ってくれたり、一緒にラジカセを分解して遊んでくれたりしました。そうした育った環境におおいに影響を受けているのかもしれません。小学生の頃には、ロボット作りの塾に通い始めて、簡単なプログラミングを勉強していました。ですから、いずれはエンジニアになりたいという夢をぼんやりと抱いていたのだと思います。

ビデオ通話にてインタビューを実施

ただ、高校生の頃くらいからは、デザインにも興味を抱くようになって。そこで、大学では、エンジニアリングとデザイン分野の双方を学べる学部に進学したんです。

僕にとっては、エンジニアリングもデザインも、どちらも好きな仕事です。エンジニアとだけ名乗るのも違和感があるし、デザイナーという肩書だけでは何か物足りない。大学時代の恩師のひとりに日本を代表する「デザインエンジニア」の山中俊治先生がいらっしゃるのですが、ふたつの領域をブリッジングした素晴らしい肩書だなと憧れてはみたものの、どうも自分の身の丈には合わない。僕のキャラクターにしっくりくるのは、あまり洗練されていなくて、ちょっとおどけた感じもする――そんなイメージが浮かぶ「発明家」かなと (笑)。

――高橋さんが開発された、点字と墨字(視覚を使って読む文字)が一体となった欧文・和文書体「Braille Neue」(ブレイルノイエ)は、どのような経緯で発想されたのでしょう?

高橋 本当に偶然の巡り合わせからインスピレーションを受けました。仕事で視覚障がい者の施設を訪問した時のことです。そこで、生まれて初めて身近に点字に接したのですが、「高橋君、点字を習得すれば、暗闇でも読書ができるよ」と何気なく言われて。とてもポジティブな発想だなと刺激を受けました。純粋に「点字が読めるってカッコいいかも」と思ったのが開発のきっかけなんです。

とはいえ、視覚障がい者の方でも点字を覚えるのはとても困難らしく、実際に点字を使えるのは1〜2割程度だそうで、僕なんかが一から点字を習得するのはかなりハードルが高い。なんとか入門者にでも学びやすい点字を作りだせないかと悩んでいる中、手始めにアルファベットの上に点字を載せてみたところ、直感的に「これは形になるかもしれない」と手ごたえを得たんです。もともと僕は、フォント(文字)づくりが好きだったので、趣味を深めるような感覚で、遊びながら開発を進めていきました。

日本語・英語表記に対応する「ブレイルノイエ」

――点字は約200年前、フランス軍の命令伝達のための暗号として生まれ、その後、視覚障がい者だったルイ・ブレイユが完成させたと聞きました。

高橋 まさに、ブレイルノイエ(Braille Neue)の「Braille」は、彼の名前に由来しています。ですが、この名前に落ちついたのはずいぶん後のことです。純粋に僕の好奇心がきっかけで始めたことでしたから、点字をアップデートするぞ、という意気込みなんて最初はまったくなかったですし、ましてや世の中に出そうなんて考えてもいませんでした。ところが、身近な人にお披露目しているうちに、晴眼者(視覚に障害のない人)と視覚障がい者がともに参加する交流イベント「NO LOOK TOUR」のデザインを任されることになったんです。そこで、ロゴからポスター、参加証まで、多くのコンテンツにブレイルノイエを使ってみることにしました。

開催中、会場を視察する中で、何気なく目に飛び込んできた光景が、僕にとっての大きな転機になりました。晴眼者と視覚障がい者の方が、ブレイルノイエのロゴを通じて、仲良く会話されていたんです。「見る文字」の世界を生きている晴眼者と「触る文字」の世界を生きている点字利用者が、フォントというツールを共有して、ひとつに繋がったと感じられた瞬間でした。晴眼者と点字利用者の間にあったコミュニケーションの壁を少しでも下げられるんじゃないか――そんな可能性を感じました。

社会課題を解決する発明の種は、日常の“ゆるい”好奇心

――ブレイルノイエのように、高橋さんは社会課題に紐づいた発明を多く手がけていらっしゃいます。企画を発案される際に心がけていらっしゃる「ゆるく社会的な接点を捉える」という思いについてお聞かせください。

高橋 社会課題に対して、あまり気負うことなく取り組めているのは、大学時代に授業の課題として向き合うことが多かったからかもしれません。特に印象に残っているのは、クリエイティブディレクターとして多彩な活躍をされている佐藤可士和さんの「未踏領域のデザイン戦略」という授業です。

講義を受けたのは東日本大震災が起こった直後で、防災の分野にいかにデザイン的観点を持ちこむか、佐藤さんからコンセプト作りについてみっちりと指導を受けました。さまざまなディスカッションの中で、僕たちがたどり着いたのが「安心を贈る防災ギフト」というアイデアでした。自分の安全を気遣ってくれている、自分の存在を大切に思っている人からの贈り物だったら、防災用品にもっと魅力を感じてもらえるのではないか――「災害に備える」という正論の背景に、誰もが自分事として感情移入しやすくなるよう、個人的、情緒的なストーリーを盛り込みました。

社会課題は正面から取り組むと、どうしても肩に力が入ってしまいがちです。正論だとはわかってはいるものの、どうも好奇心が動かない。僕自身、自分の心が動かないと、発明に気持ちが入らないタイプなんですね。だから等身大の自分というものを大切にしています。社会課題ありきで考えるのではなく、自分の好奇心を始点にアイデアを練ります。個人的には、「何か面白そうだぞ」ということを信じた先に、社会との接点が生まれてくる気がしているんです。ブレイルノイエで言えば、「NO LOOK TOUR」で目にした晴眼者と点字利用者のコミュニケーションの瞬間だったと思います。だから、入り口は好奇心でいい。社会課題にとらわれすぎず、“ゆるい”関係性から始めたほうが、僕の性には合っているようです。

――身体機能を他人にシェアするボディシェアリングをコンセプトとしたロボット「NIN_NIN」なども開発されています。発明においてテクノロジーの力は欠かせないものでしょうか?

高橋 テクノロジーについての考え方も、社会課題との接し方とまったく変わりません。まずは好奇心ドリブンですね。基本的にアイデア先行で、自分が発明したいプロダクトにテクノロジーが有効であれば、最大限活用しますし、必要なければ手づくりレベルでも十分、発明は可能だと思っています。

人の肩に乗って活躍するニンジャ型ロボット「NIN_NIN」

「NIN_NIN」はチームで作ったプロダクトで「テクノロジーを使って、身体能力をシェアするためのボディシェアリングロボット」です。そう聞くと大仰な感じがしますが、テクノロジーを利用していると言っても、WEBカメラとマイクとスピーカーという非常にミニマルな構成になっています。使い方もシンプルです。例えば、視覚障がい者の方が、外出時に信号を待っているとします。その方が、信号が変わったことを視覚的にわからなかったとしても、サポーターがアプリを通じて肩に乗せた「NIN_NIN」のカメラに接続することで、遠隔地から音声で「信号が変わったよ」と伝えることができます。まさに、カメラを通じて「目をシェアする」イメージで。アプリさえ入っていれば、東京在住の利用者を、遠く離れた福岡からサポートすることだって可能です。

「NIN_NIN」が普及すれば、自分の身体機能を誰かのために活用して、誰かの“できないこと”を、自分の“できること”で補い合える社会になっていくかもしれない。ちなみに僕は英語が話せないので、アプリを通して、ネイティブスピーカーに「NIN_NIN」を使ってボディシェアリングしてもらえれば、言語能力を一気にアップさせることができるんじゃないかと目論んでいます。

――アイデア、いわゆる発見とは、どのような瞬間に生まれるのでしょう?

高橋 特に法則性はないですね。ただ、ひとつ、僕の中でこだわっている点を挙げるとすれば、「人と人を繋ぐ」仕掛けになる発明の種を見つけたい、という思いはあります。例えば、ペットボトルのキャップをネジに見立てた発明品「CAPNUT」を思いついたのは、ペットボトルのネジなら、子供からお年寄りまで、誰でも簡単に扱えるかなと考えたからです。家族だったり、友人同士だったり、年代層問わず屋外で「CAPNUT」を使ってちょっとしたピクニック用品を組み立てて、遊んでほしい。そういう絵が浮かぶと、発明へのモチベーションが一気に加速します。

ペットボトルキャップを組立用のナットとしてアップサイクルする「CAPNUT」

あるいは、僕は人づてに聞いた話で「へ~」と驚いた情報や知識を心に留めることが多いです。つい先日も、使用済みのコンタクトレンズについて意外な事実を教えてもらいました。マイクロプラスチックの問題が騒がれる昨今でも、コンタクトレンズの利用者の約3割が、使用済みコンタクトレンズをゴミ箱に捨てずに、洗面所の流しやトイレに廃棄しているという調査結果です(※2019年日本コンタクトレンズ協会調べ)。

僕もコンタクトレンズの利用者ですが、ゴミ箱に捨てないという行為を自然だと思っている人が3割もいる事実にびっくりしました。ある種の違和感ですね。そういう時に、インスピレーションが働きますし、僕自身も誰かに話したくなります。発見を誰かと共有すると、時には「そんなこと知らなかったの?」と笑われたり、「もっと面白い情報もあるよ」と、別の情報を教えてもらえたりもします。いずれにしても、僕にとっては、「発見」の好循環が生まれるんです。

ニューノーマルでも人の感受性は変わらない

――リモートワークにおける運動不足を解消するための「ARゆるスポーツ」など、すでにニューノーマル時代に向けての発明にも取り組まれています。

高橋 自粛生活下、リモートワークが一斉に拡がりましたが、僕のまわりで、ビデオチャット上の自分の顔にフィルターをかけて楽しんでいる人が多かったんです。そこで、友人や先輩と会話をしている中で、スポーツ感覚で顔の筋肉を使い競い合ってみたらどうだろう、というアイデアにたどり着きました。

この発明も、医学療法士の方から聞いた情報におおいに刺激を受けた部分が大きいです。顔の表情筋は左右合わせて60種類くらいあるのですが、僕たちが日常生活で使っているのはせいぜい20種類ぐらいだそうです。じゃあ、あえて眉毛をバーベルに見立てて動かして鍛えようと(笑)。そういう遊び心の視点からだけではなく、自粛生活で希薄になった仲間や同僚との一体感を持つ機会も創出したかった。開発側の僕たちにとっても、オンライン上で和気あいあいとブレインストーミングを重ねながら製作できたことはいい思い出になっています。

ARゆるスポーツのひとつ「まゆげリフティング」

ARゆるスポーツのひとつ「まゆげリフティング」を実践してくれた

――高橋さんの発明のキーワードとして「遊び心」が感じられるように思うのですが、そのあたりはいかがでしょう?

高橋 理屈抜きで直感的に楽しめる、純粋な遊び心は大切にしています。でも、それだけでは、人の心は動かない。僕が「遊び心」と同様に意識しているのは、「正しさ」です。例えば、コロナウィルスの脅威が広がる中、アルコール消毒を嫌がる子供たち向けに、消毒剤のボトルをシューティングゲームのボタンに見立てた「Nyanitizer」は、ゲーム感覚で消毒を習慣化してもらえるよう、友人たちとアイデアを練りました。子供たちが消毒作業を避けるということは、憂慮すべきことで、解決できるなら解決したほうがいいことです。「あったらいいな」という夢と同時に、「こうしたほうが正しいな」と感じる心の声に耳を傾けるようにしています。

「点字が200年以上もアップデートされなかったのはなぜだと思いますか?」とよく聞かれるのですが、僕も知りたいんです (笑)。「どうして今までなかったんだろう?」という疑問も、ある意味、発明において一番のポテンシャルになるのかもしれません。点字に対して何の素養もなかった僕が、個人的な好奇心から遊び感覚で始めたことが、世界の見方を変える発明に繋がることもある。世界には、まだまだ「発見されていない」余白がたくさんあります。発明の種は、実は日常の生活の中にいくらでも隠れているんだと思います。

――これからのニューノーマル時代の発明について、抱負をお聞かせください。

高橋 コミュニケーションの方法は圧倒的にオンラインに依拠する形に変わりましたが、「嬉しい」「楽しい」という感情を共有したいと思う気持ちは以前と変わらないと僕は思います。習慣や方法論は変わっても、人の感受性の根っこにある部分は変わらないんじゃないかと思うんです。ですから、今後も以前と同様、自分の心の中から湧き上がる好奇心や直感を大切に発明を続けていきたいと思っています。環境の変化をポジティブに捉えて、これまでにないアプローチを考えることを楽しんでいきたいです。

インタビュー:岸上雅由子、写真提供:高橋鴻介

高橋鴻介(たかはし・こうすけ)

1993年12月9日、東京生まれ秋葉原育ち。慶應義塾大学 環境情報学部卒。卒業後は広告代理店で、インタラクティブコンテンツの制作や公共施設のサイン計画などを手掛けつつ、発明家としても活動中。墨字と点字を重ね合わせた書体「Braille Neue」、触手話をベースにしたユニバーサルなコミュニケーションゲーム「LINKAGE」など、発明を通じた新規領域開拓がライフワーク。主な受賞歴にWIRED Audi INNOVATION AWARD、INDEX: Design Award、TOKYO MIDTOWN AWARDなど。

製造業の100年続く「構造的欠陥」を変革する――ウィズコロナ時代に勝ち抜く「CADDi」からの提案とは

その技術力の高さから「日本の底力」と評される町工場。日本が誇るべきインフラだが、新興国の台頭、国内産業の空洞化、赤字経営、後継者不足などが重なり、この30年で工場数は半減した。
そんな現状を打破しようと、画期的な部品加工の受発注プラットフォーム「CADDi」を開発して改革に乗り出したのが、キャディ株式会社(加藤勇志郎代表取締役)である。発注元の大手メーカーと、キャディが加工を委託する全国の町工場を最適な形でマッチングするシステムには、創業から3年足らずで、600社のパートナー企業と5,000社の発注元メーカーが参加。パートナー企業には安定した収益を、メーカーには大幅な工数削減をもたらしている。
この春、キャディはコロナ拡大で需要が急増した人工呼吸器向け部品の大量生産を、自動車や産業機械の部品を手掛けているパートナー企業に発注して迅速に対応し、その実力を示した。加藤氏と同社CTOの小橋昭文氏は今年4月、Forbes Asia主催の「アジアを代表する30歳未満の30人」に選ばれている。
コロナ禍では国内外のサプライチェーンの停滞が生じ、BCP(事業継続計画)が問われているが、加藤氏はウィズコロナ時代の製造業が生き残るための問題提起として、「分散」「集約」を両立させる「オープン化」と「リモート化」での対応を訴える。製造業の長年の課題に挑戦する加藤氏に、注目のビジネスモデルやコロナ禍における対応について語っていただいた。
(この取材はWeb会議システムを介して行いました。)

町工場の下請け構造は100年間、イノベーションが起きていない

――キャディは「モノづくり産業のポテンシャルを解放する」というミッションを掲げておられます。そこに込められた思いをお聞かせください。

加藤 日本には高い技術力や得意技を持つ町工場(中小企業)がたくさんありますが、全体の75%は赤字経営で、過去30年間に約半数が消滅しました。
私は大学(東大経済学部)卒業後コンサルティング企業のマッキンゼーに入社し、日米欧や中国の輸送機器、建設機械、医療機器、消費財など大手メーカーの部品調達を支援する仕事を担当しました。どのメーカーも調達に膨大な管理工数がかかり、最適な発注が困難でかつ高コストという悩みを抱えていました。
一方、部品を製造・加工する町工場の側も、メーカーの依頼で多くの相見積もりを提出しても、実際に受注できるのは2割ほどしかなく、赤字経営や廃業に追い込まれていました。
世界的に見れば、日本の製造業のポテンシャルはとても高く、「メイド・イン・ジャパン」のブランドは健在です。日本のモノづくりは約180兆円で、そのうち120兆円は部品調達が占めていますが、この部品調達のプロセスの分野は100年以上、イノベーションが起きていません。
「モノづくり産業のポテンシャルを解放する」というミッションには、テクノロジーを駆使して、日本の製造業全体がもっとそれぞれのポテンシャルを発揮し、安定成長ができるようにしたい、という思いを込めています。

小橋昭文氏

数千点の部品の1つ1つに相見積もりを取る非効率さ

――発注・受注の双方が苦労しているという部品調達ですが、現状ではどのように取引が行われているのでしょうか。

加藤 大手メーカーが作る装置は、半導体や液晶パネル製造、食品・包装機械や各種検査装置などさまざまですが、多品種少量生産の領域では、1つの装置に数千点の特注部品を使います。メーカーは本来であればその1つ1つの部品について最適発注ができれば良いのですが、その数が膨大なため下請けである複数の町工場にまとめて数百点の相見積もりを出させます。その中から一番安いところに発注し、さらに「あと5%下げてくれ」「10%下げてくれ」と価格低減の交渉をします。今の下請け構造では、ほとんどの町工場は1~2社に売り上げの大半を依存しているため、結局要求を飲まざるを得ず、赤字を出し倒産していくのです。
例えば、板金加工の会社は全国に約2万社ありますが、その9割以上は従業員9人以下の零細企業です。コロナ禍で取引先が不景気になると、町工場は途端に経営に行き詰まってしまいます。
高い技術を持った町工場には、外部環境に左右されずに本来の強みを発揮してほしい。そのために開発した受発注プラットフォームが、町工場とメーカーをマッチングするCADDi(図1)なのです。

CADDiの受発注システムのプラットフォーム

図1:CADDiの受発注システムのプラットフォーム
資料提供:キャディ株式会社

メーカーは10~20%のコストダウンが可能になる

――御社は創業以来3年足らずで目覚ましい成長を遂げています。CADDiのビジネスモデルや受発注者相互へのメリットについてお聞かせいただけますか。

加藤 CADDiにはパートナー企業である町工場から提出していただいた材料単価など数十項目の共通データのほか、訪問やヒアリングで得た加工機械の種類、技術力、加工に必要な時間など、個別のパラメーターがたくさん入力してあります。
メーカーが、発注したい部品の3次元CADデータとともに材質、数量、溶接、塗装、メッキなどの図面や仕様をCADDiにアップロードすると、CADDiは双方のデータを独自開発したアルゴリズムで分析し、生産に最適な町工場を選び出して価格と納期の見積もりを(3DCADでは最速7秒後に)回答します。メーカーがOKすれば、契約成立です。
特注部品は板金、切削、製缶など多方面にわたり、従来の調達では膨大な管理工数がかかり、見積もりを取得するのにも数日から2週間も要します。その点、CADDiに任せていただけば、メーカーはさまざまな技術を要する部品の見積もりを瞬時に得られ、一括して買うことができます。管理工数が減るほか、最適な工場で作るので原価を安くでき、10~20%のコストダウンが可能になります。

町工場はひたすら相見積もりを出す徒労から解放され、安定経営に

――町工場の側にはどのようなメリットがあるのでしょうか。

加藤 町工場は、相見積もりの作成が不要になることが大きなメリットの1つです。社長さんの仕事の半分は見積書の作成に費やされています。昼は工場で働き、夜や週末は見積書を作るというパターンですが、受注率は2割ほどで、残りは無駄な作業になってしまいます。
CADDiは、相見積もりなしで最適な1社を選び、原価を積み上げ、適正な利益を乗せた上でメーカーに提示します。ロジックに合わない感覚的な価格提示は行いません。
これまで町工場は1業界や1社への依存度が多かったのですが、CADDiを使えば複数業界との取引が可能になります。「受注のブレが減り、経営が安定した」という評価をいただいています。
現在、加工を委託するパートナー企業は600社を超え、メーカーは、装置・産業機械メーカー1,500社を中心に計5,000社を突破しています。創業当時は町工場を1社ずつ訪問して参加を呼びかけていましたが、今は町工場から仲間の町工場を紹介されるケースが増えてきました。
CADDiのアルゴリズムは共同創業者であるCTOの小橋昭文が開発しました。小橋は米スタンフォード大学大学院で電子工学を専攻し、米国を代表する航空機・宇宙船の開発製造会社やアップルなどで働いた経験がある技術者です。

小橋昭文氏

社長自身も週に5社ぐらい町工場を訪問

――町工場から技術や単価などのデータを集め、一方でメーカーから受注するには、双方からの信頼が不可欠だと思います。日ごろどのような努力をされているのでしょうか。

加藤 テクノロジーの活用は当社の強みですが、それだけでは信頼は得られません。営業担当が工場を訪ね、実際にモノを見て擦り合わせるというアナログ的な作業が必要です。裏ではシステムが動いて品質・価格・納期において最適な発注を可能にする。つまり人間的でアナログな部分とデジタルの両方が不可欠です。
私自身も週に5社ぐらい訪問しています。パートナー企業の経営者の平均年齢は40代後半の働き盛りで、これから20年以上会社を経営していく人たちです。将来の事業成長や安定性について不安を持っておられる方も多く、一緒に力を合わせて行こうという気持ちです。

「オープン化」と「リモート化」で、コロナによるサプライチェーン断絶に備える

――今、コロナ禍はモノづくりにも大きな影響を与え、サプライチェーンの見直しが進んでいます。コロナのインパクトをどのように見ておられますか。

加藤 コロナは過去のSARSやMERS、エボラ出血熱などの疫病と比較しても類を見ないスピードで感染拡大しており、いつ収束するのか分かりません。ワクチン開発にも時間がかかるので、人類社会はこの問題に10年ぐらいのスパンで取り組む必要があると思います。
リーマンショックでは、日本の実質GDPが元に戻るまでに5年かかりましたが、コロナでは5年以上かかるという前提で対応しなくてはいけません。
今回、サプライチェーンのあちこちで断絶が生じました。町工場の仕入れ先には材料の1次加工会社、材料商社、材料メーカーがあります。販売先には装置メーカーがあり、その先は半導体メーカーや食品工場につながり、更に何層にも重なって最終消費者にたどり着きます。
この長いサプライチェーンのどこかで感染が起きたり、ロックダウンによって生産が止まったりした瞬間、部品の調達難や、納期遅延が発生します。
ですから、「ウィズコロナ」「アフターコロナ」の時代はそういった状況に備えたリスク分散が非常に重要となります。私たちはウィズコロナやアフターコロナに向けて、「オープン化」と「リモート化」という新戦略を提案しています。

キャディが提案するウィズコロナ時代の2つの経営戦略

表1:キャディが提案するウィズコロナ時代の2つの経営戦略
資料提供:キャディ株式会社

「分散」と「集約」の両立がオープン化の第1歩

――まず、製造業の「オープン化」について、具体的に説明していただけますか。

加藤 私たちの試算では、今のコロナの感染力を踏まえると、1年のうち40%ぐらいはサプライチェーンがどこかで断絶している可能性があります。これに備えるには、まずメーカーにとっては調達先の、また町工場にとっては販売先の分散化が必要になります。サプライチェーンの中の1社が倒れたらおしまい、では困るのです。
しかし、分散化すると当然取引コストは上がってしまうので、同時にそれを下げるための集約化が必要になります。すなわち分散と集約の両立、つまり集散両立化がオープン化における最も大事な考え方です。
CADDiを利用していただくと調達先や販売先のどちらにも集散両立化が実現できます。CADDiの仕組み上、ネットワーク上に調達先や販売先が分散しているのでリスクが減り、サプライチェーンのどこかにトラブルがあっても、別の相手と取引ができるので、断絶する心配はなくなります。
オープン化の2つ目は製造のセミファブレス化です。非常時にはメーカーも町工場も製造や組み立ての能力を確保することが大切です。自社工場を分散するだけでなく、OEM(他社ブランドの製品を製造する)工場を複数確保しておくべきです。
3つ目は設計のDFM(Design For Manufacturing:製造容易性設計)志向です。メーカーの図面は何十年も前の図面に追記を重ねてきたため、分かりにくく作りづらいものがあります。親しい町工場なら「よしなに」でうまくいきますが、新規サプライヤーだと初見で目的の製品を作ることは困難です。
デザインは機能性と意匠性だけでなく、これからは製造容易性を第一に考え、明瞭で製造しやすい図面に変えることが求められます。ウィズコロナにおける多品種少量生産の時代には、いろいろな会社がいろいろな機械で作れる体制を整えておくことが大切です。

小橋昭文氏

――次に製造業の「リモート化」についても説明をお願いします。

加藤 まずデータ化やアクセシビリティにおけるリモート化というのは、データを紙やベテラン社員の頭の中ではなくネット上に置き、必要な時に安全にアクセスできるようにすることです。暗黙知はデータ化しておかないと、リモートワークになった途端に役に立たなくなります。
コミュニケーションのリモート化は、会議や共同作業だけでなく、人の交流やカルチャー形成の面でも不可欠です。現場であれば、上司や先輩が部下の画面をのぞき込んで助けられますが、リモートだと難しいので、要件に応じてリモートのツールを選ぶことが大切です。
最後は実物ハンドリングのリモート化です。製造業は実物を扱うので、実はここが一番難しいです。製造、物流、受入、検査などの段階で人が触って調べるのが基本なので、どの仕事を無人化するか、よく考えなくてはいけません。

医療機器の部品生産で数十~100倍の注文をこなす

――コロナでは、製造業も大きな打撃を受けています。業種別に見ると、どのような状況なのでしょうか。

加藤 アンケートで各社の動向をお聞きしたところ、7割ぐらいの会社で生産が2割減という結果が出ました。全体平均では1~2割減ではないでしょうか。最も影響が大きかったのは、やはり航空機系で90~95%減です。自動車製造ライン系も一時50%ぐらい打撃を受けました。逆に好調なのは半導体系でコロナに関係なく生産が続いており、医療系も需要が増えています。
医療分野では、CADDiを使って医療機器や医療用製品製造装置の部品の生産に関わりました。いつもの数十~100倍という注文数なので、従来取引のある工場だけでは足りず、自動車や産業機械の部品を手掛けている工場にも依頼して作ってもらいました。CADDiの仕組みによりオープン化を実現して、医療に貢献することができました。

町工場のファイナンスをサポートしたい。いずれ世界展開も

――CADDiの対象範囲は、当初の板金加工から金属切削、製缶へと広がってきました。この先の計画として、世界での事業展開や、町工場へのファイナンス支援を挙げておられます。将来の展望をお聞かせください。

加藤 サプライチェーンをより強固かつスムーズなインフラにするために、やりたいことは20テーマぐらいあります。中でも海外展開はアジアから欧米まで、加工工場もメーカーも共に手掛けたいと思っています。
ただ、現在対象にしている板金、金属切削、製缶は市場規模がいずれも約2兆円あり、CADDiはすべてを扱っているわけではないので、当面は各分野の内容を充実させていくことが先決だと思っています。
ファイナンスについては、町工場のキャッシュフローはとてもきつく、注文を受けて資材を購入し、生産して納品し、入金があるまでに4~6カ月もかかります。もし、その間に次の資材購入のための資金繰りが厳しい状況になれば、私たちが当面の運転資金を入れるといったポジティブなサポートをしたいと考えています。

TEXT:木代泰之

加藤勇志郎 (かとう・ゆうしろう)

キャディ株式会社代表取締役
1991年生まれ、東京都出身。東京大学卒業後、2014年に外資系コンサルティング会社のマッキンゼー・アンド・カンパニーに入社。2016年に同社マネージャーに昇進。日本・中国・アメリカ・オランダなどグローバルに、製造業メーカーを多方面から支援するプロジェクトをリード。特に、重工業、大型輸送機器、建設機械、医療機器、消費財を始めとする大手メーカーに対して購買・調達改革をサポートしたほか、IoT/Industry4.0領域を立ち上げ時から牽引。製造業分野の持つポテンシャルに惹かれ、2017年11月にキャディ株式会社を創業。モノづくり産業が本来持っている可能性を解放することをミッションに、テクノロジーによる製造業の変革を目指す。

神獣や神々、もののけなどを通して独自の死生観を描き出す作風で多くの心を掴む、新進気鋭のアーティスト、小松美羽氏。2020年8月放送の「24時間テレビ」(日本テレビ)の「チャリTシャツ」を手がけ、希望と祈りを鳩と狛犬で表現したデザインが話題となっている。2015年、30歳の若さで大英博物館に作品が永久所蔵されるという快挙を成し遂げた同氏のファンは海外にも広がっており、公式インスタグラムのフォロワー約13万人のうち過半数はアジアを中心とした外国人だという。

作品を待ち望み、ウェイティングリストに名を連ねる数百もの人たちに向け、精力的に作品を制作する一方で、大勢のギャラリーの前で大型の作品を仕上げていくライブペイントや、VRといったテクノロジーと融合した作品にも積極的に取り組む。人々の心を動かす作品はどう作られているのか。制作の原点にある思いを語ってもらった。

なるべく「自我を出さない」ライブペイント

ライブペイント

ライブペイント中はなるべく自我を出さないという

——作品はもちろん、小松さんの気迫あふれるライブペイントも話題です。大勢のギャラリーを前に絵を描かれているときは、どのような思いで描かれているのでしょうか。

小松 ライブペイントで心がけているのは、なるべく自我を出さないということです。自分の意図を反映して作品を作るのではなく、自我の代わりに、その土地のエネルギーや集まってくださった人たちのエネルギーを受けて描いていきます。一方、自宅のアトリエで描くときは、毎朝、まず祈りを捧げ、瞑想をします。瞑想している間にいろいろなものが頭に浮かんでくるので、それを作品に落とし込んでいくのです。

ライブペイントでは最近、「自分がイメージしていたものが絵として現れた」と言われることが多くなりました。昨年末、台湾で行ったライブペイントでは、会場にいらした方が、私が描き始めて10分か15分くらいで、「どうしてもこの絵を買いたい」と申し出てくださったそうです。後で、「なぜそう思われたのか?」と伺ったところ、「自分の頭の中で思い描いていた絵と同じものが描かれたから」とのこと。ご自身が描いているかのような感覚を持ってくださったのかもしれません。

——まさに「自我」ではないところで制作されているのですね。最初にライブペイントを開催された2013年から変化はありましたか。

小松 会場の人たちと私の共感性は年々高まっている気がしますね。また、ライブペイントを通して、私自身、多くのことを学んでいます。

昨年行った、ベネチア国際映画祭でのライブペイントでも不思議なことがありました。会場はラッザレット・ベッキオ島で、かつてペストが流行した時代に、感染した人たちが強制収容されていた場所です。ここで描き始めたところ、私の頭の中にいろいろな声が聞こえてきて、途中から涙が止まらなくなってしまったんです。この悲しみの感情に引き込まれてしまってはいけない、この気持ちを汲んで絵を描くことで、悲しみも含めて次世代につなげないといけない。そう思って描き切ったのですが、終わって会場を見たら、集まってくださったイタリアの人たちが涙を流していました。さらに、これには後日談があって、イベントの様子を映像で見たイタリアの貴族の家系の方が、「この絵はイタリアに残すべきだ」と言って買ってくださったんです。ただ「買いたい」ではなく「この地に残したい」と言ってくださったことに感銘を受けました。

「祈り」に込める思い

イスラエル訪問

イスラエル訪問でも「祈り」への思いは強くなった

——これまで国内外で数多くの展覧会を開催されていると伺いました。最近は特に「祈り」をテーマにしたものが多いように思いますが、どのような思いを込めて創作されているのでしょうか。

小松 「祈り」は、人種や貧富などに関係なく、誰にでもできる素晴らしいことだと思っています。仕事で海外に行く機会が増え、京都のお寺のように、人々の祈りが集まる場所を数多く訪れるうちに、その思いは強くなりました。なかでも記憶に残っているのは、2016年にイスラエルを訪れたときのことです。キリストが洗礼を受けたヨルダン川の両岸に、川で隔てられた2つの地域、イスラエルとパレスチナの若い兵士がそれぞれ銃を持って立っていました。緊迫感のある光景の中、ヨルダン側の兵士の小屋に止まっていた白い鳩が、イスラエル側に飛び立ったのです。

国境というものは人が勝手に引いたものであって、鳩は関係なく自由に飛んでいくんですね。そのとき私は、自分が描いている神獣の本質や、国境を越えた祈りの根源のようなものが見えた気がしました。神獣が守る差別のない世界と私たちの世界をつなげたい。そう祈りながら絵を描いています。

——台湾やイタリアをはじめ海外にも多くのファンがいます。海外での高い人気や評価について、どう感じられていますか。ご著書の中で、大和力(やまとぢから)を世界に伝えたいという表現もされていますね。

小松 アートシーンが活発な地域からは声もかかるし、そこでしっかり仕事をすれば、より多くの人たちに知ってもらえるので、ありがたいと思っています。特に、現地の言葉で記事にしてもらえることは重要で、それだけ世界の人に知ってもらう機会が増えますから。ただ、私自身は、「日本だから」「世界だから」という意識は持っていません。それこそ、鳩が国境など関係なく自由に飛んでいるように、私も国境を意識せず、求められるところに出かけていって、求めてくれる人に絵を描いているだけです。

私は常々、「大和力を世界に発信したい」と言っていますが、この言葉の「和(わ)」は、活動初期に日本的なものを意識していた時期もあったのですが、今は、自分(私)という意味に捉えています。自分もその中の一部であるということで、「大調和力=グレートハーモニゼーション」という意味合いも込めて「大和力」と表現しているんです。

たとえば、日本の着物は「呉服」とも言いますが、その語源は中国の呉からきていると言われています*。日本では、外来品からさまざまな要素を抽出してそれらを組み合わせ、独自の伝統をつくり上げました。このように古来より、さまざまなものを包み込み、融合して新しいものをつくり上げてきた。このような力を私は「大和力」だと思っています。私自身も、これまでの過程で多くの人と出会い、助けられて、さまざまな経験や学びを得て成長してきました。他者から「役割」や「使命」をいただき、今があると思っています。異なる文化や宗教、考え方をすべて包み込み、融合するこの「大和力」を、私はアートを通して世界に伝えていきたいですね。

*「呉服」の語源については諸説あります。

日本のアートシーンにはポテンシャルがある

株式会社風土のチーム

小松さんを支える株式会社風土のチーム

——世界を自由に羽ばたいている小松さんから見た日本のアートシーンは、どのように映りますか。小松さんは、プロデューサーの高橋紀成氏や、所属する株式会社風土でチームを組んで活動をされていますが、そうした活動スタイルは海外では一般的なのでしょうか。

小松 海外のトップアーティストと呼ばれる人たちは、会社やチームなど、体制を整えてプロジェクトを動かしている方が多いと思います。私も、幸いなことにチームで活動ができているので、創作に専念できています。一人だったらとてもSNSまでカバーした活動はできないでしょう。日本では、「たとえお金にならなくても絵を描き続ける」「生きているうちには評価されなくてもいつか評価されればいい」という姿勢を美徳とするような風潮が戦後から続いてきたこともあって、なかなかこうした体制をつくることが一般的にはなっていないようです。もちろん考え方は人それぞれですが、チームで活動することは、作品を多くの人に知ってもらうためにとても大切なことだと思っています。

残念ながら、世界の先進国に比べて日本はアートの市場規模が小さく、閉鎖的な傾向もある。とはいえ、その一方で、美術学校を数多く有する珍しい国なんです。美術館に長蛇の列ができ、アートを愛する人たちもたくさんいます。優秀なコレクターさんも多く、世界に遅れをとっている日本のアートシーンを作家以上に憂いている方も少なくありません。つまり、本来、日本のポテンシャルは高いはずなのです。たとえば、日本ではアートは一度飾ったら飾りっぱなしということが多いかと思いますが、ニューヨークのオフィスなどでは、たいてい最先端のアートが飾ってあります。いつもアートに注目して、常に新しいものに切り替えていくのです。取り巻く社会の視点が変わり、日本のアートシーンがさらなる飛躍を遂げる原動力になればいいですね。

アートと人をつなげるテクノロジー

チャリTシャツのデザインを創作中

2020年「24時間テレビ」チャリTシャツのデザインを創作中

——VR作品を作られたり、ブログで4コマ漫画を発信したり、インスタライブを通してライブペイントの中継をされたり、テクノロジーも積極的に取り込んでいらっしゃる印象です。

小松 台湾の会社と共同でVR作品『祈禱』を作る機会をいただいたことで、テクノロジーを使って、アートへの接点を創出する可能性について考えるようになりました。

たとえば、テクノロジーを使えば、身体的なハンディキャップなどで移動が難しい人たち、何らかの理由でアートにつながりにくかった人たちがアートを感じる機会を増やせるかもしれませんよね。技術の進歩によって、再現性がさらに高まり、展覧会に出向かなくてもアートに触れることができるようにもなるでしょう。チームである利点を活かし、私自身だけでなく、さまざまな視点からテクノロジーは活用していきたいですし、関連情報はアンテナを立ててキャッチしていきたいと思っています。

——そのように、常に新しいことに挑み続けていらっしゃいますが、新しいものや価値観を生み出していくために大切なこととは何だと思われますか。

小松 私自身ができるのは、地道に創作していくことだけです。ただ、新しい分野の方々、新しい技術を持っている方々から、「小松美羽と仕事がしたい!」と声をかけていただけるご縁は大切にしようと心がけていますね。VR作品も、台湾で私の絵を愛してくださる人との出会いがあり、その出会いを発端にVRプロジェクトとして話が進んだ結果です。だから、ご縁のある方々と、次はどんなことをしようかと話すことができる時間はとても大切にしています。

アートは人の魂を救う薬

小松美羽『Pray for Prosperity –幸せに生まれ、幸せに栄える–

小松美羽『Pray for Prosperity –幸せに生まれ、幸せに栄える–』

——新型コロナウイルス感染症の影響によって、世界中の人々が何らかの形で日常生活に制限を受けざるを得ない状態が続くとみられています。そのような「新しい日常」の中で、アートの意義や役割についてあらためて考えることはありましたか。

小松 人が生きていくのに大切なのは、衣食住、そして「薬」だと思っています。薬を必要とするのは体だけでなく心も同じ。その心を健康に保つ、心の病を治すのはアートではないでしょうか。人類は、長い歴史の中で、戦い、いがみ合う時代も経験してきました。肉体が生きていくだけなら必ずしも必要ではない音楽や芸術が、どんな時代を経ても消滅することなく残ってきたのは、それが人の心に必要なものだからでしょう。不確実な未来に向けて多くの人が疲弊している今、必ずアートは求められると信じています。私も、心の薬になるような作品を創りたい、その思いは強くなりました。

——展覧会やライブペイントなど、イベントの開催が難しい状況が続いてきましたが、8月以降はイベントの開催が予定されていると伺いました。

小松 今年(2020年)の春以降、多くの展覧会が中止や延期になってとても残念な思いをしましたが、8月に、東京と広島で個展の開催が決定しています。東京・銀座のホワイトストーンギャラリー本館・新館で開催する「小松美羽展『祈り』(8月24日〜9月13日)と広島県廿日市のウッドワン美術館で開催予定の「小松美羽展『自然への祈り』(9月5日〜11月8日)です。どちらも、コレクターさんの協力を得て、海外で展示された大型の作品も含めた展示になる予定なので、ぜひ楽しみにしてください。*

当初の予定だと、VR作品『祈禱』も発表する予定だったのですが、新型コロナウイルス感染症の拡大防止のため、今回は見合わせることになりました。昨年、ベネチア国際映画祭や台湾で公開して好評をいただいた作品なので、日本でも早くお見せできる情勢になって欲しいです。

*展覧会の最新情報は小松美羽さんの公式HPをご確認ください。

——これからの活動について、構想やお考えがあれば、ぜひお聞かせください。

小松 私は、「覚醒→進化→達成」というテーマを掲げ、3年周期を意識して生きるようにしているんです。これは、周期内に各テーマを達成するという考え方ではなく、起きた事柄をどう捉えるか、ということ。今年2020年は「進化」の年に当たります。

昨年は、国内外の多くの人たちと仕事をする中で、たくさんのご縁をいただきました。今は、その出会いによって生まれたパワーをエネルギーとして絵が描けている状態で、それを「進化」と捉えています。未来に向けて「大和力」を伝えるべく、何よりいただいた縁への恩返しとして、創作し続けていきたいですね。

小松美羽さん

取材は、新型コロナウイルス感染症拡大防止の観点からオンラインで実施された

TEXT:佐藤淳子
写真提供:株式会社風土

小松 美羽(こまつ・みわ)

現代アーティスト。1984年、長野県坂城町生まれ。幼少期から画家を志す。女子美術大学短期大学部入学後、銅版画の制作を始め、銅版画の作品「四十九日」が高い評価を受け、プロ活動のきっかけに。その後、アクリル画や焼き物への絵付けなど制作の幅を広げ、2014年には出雲大社に絵画「新・風土記」を奉納。2015年には有田焼の狛犬「天地の守護獣」が高い評価を受け、大英博物館に永久所蔵される。死生観や神々、神獣、もののけなどをテーマにした作品が注目を集め、台湾、イタリアをはじめ海外にもファンが多い。

ニューノーマル時代にアートが果たす役割——「アルス エレクトロニカ」が目指す未来とは

1979年から始まったメディアアートの祭典「アルス エレクトロニカ・フェスティバル(Ars Electronica Festival)」。オーストリアのリンツ市で毎年開かれるこのフェスティバルを統括しているのが、リンツ市の公社であるアルス エレクトロニカ(Ars Electronica)だ。

アルス エレクトロニカは、フェスティバルだけでなく、美術館と研究機関、さまざまなアーティストの作品やパフォーマンスを評価する国際コンペティション部門の4つの機関から成る。これらの機関全てで、アーティストが作品を通じて投げかける課題や問題意識を共有し、議論やイノベーションを興して“未来”の礎を築くのが、アルス エレクトロニカの使命だという。

近年、そんなアルス エレクトロニカと企業がコラボレーションする機会が増えている。日本企業もその活動に参画しており、たとえばヤマハ株式会社(以下、ヤマハ)は2019年、音楽によって、AIと人間の共創の可能性を追求するためのプロジェクト「Dear Glenn」を発表して好評を博した。

企業がメディアアート活動に参加する意義はどこにあるのか。そして新型コロナウイルス感染症の影響で不確実性が増すこの時代に、アートが果たす役割とは何か。オーストリア在住で、アルス エレクトロニカ・フューチャーラボの小川秀明氏、プリ・アルス エレクトロニカの小川絵美子氏、ご夫妻に話を聞いた。

ソリューションではなく「クエスチョン」をつくる

取材は、リンツと東京を継ないでオンラインで行われた

取材は、リンツと東京を継ないでオンラインで行われた
Credit:vog.photo

——アルス エレクトロニカ・フェスティバルは、オーストリア・リンツ市で毎年開催されるメディアアートの祭典として有名ですね。小川さんご夫妻は、そのアルス エレクトロニカで働いていらっしゃいますが、どのような組織で、どのような役割を担っているのか教えてください。

小川(秀) フェスティバルは1979年から始まっており、40年以上の歴史があります。アルス エレクトロニカ自体は、リンツ市を拠点にする文化機関ですね。リンツ市には、水道や電気など、さまざまな事業がありますが、私たちはそれらの事業と横並びにある「アルス エレクトロニカ」という公社です。

事業内容を私なりに表現すると、「文化インフラ会社」となります。水道局の役割が「蛇口をひねると水が出てくる」ように、アルス エレクトロニカは「蛇口を開くと『未来』が出てくる」というイメージです。「未来を市民に提供し、未来の文化やイノベーションを興すサービスを提供すること」に特化したパブリック・カンパニーという位置付けです。

具体的にいうと、教育文化事業やコンサルティングおよび先端研究を行う「アルス エレクトロニカ・フューチャーラボ」、市民に学びの場を提供するための美術館「アルス エレクトロニカ・センター」、冒頭に出てきた「アルス エレクトロニカ・フェスティバル」があり、そして国際コンペティション部門である「プリ・アルス エレクトロニカ」があります。

小川(絵) 私はそのプリ・アルス エレクトロニカを統括しています。プリ・アルス エレクトロニカは、1987年から毎年開催されているコンペティションで、対象としているのはコンピューターやテクノロジーを使ったアートです。

国際的なコンペティションを通じて、アーティストたちが何を考え、どのような問いを社会に投げかけているのかをディスカッションしたり、興味深いプロジェクトや作品を(アルス エレクトロニカ)センターやフェスティバルに紹介したり、また次につながるアイデアとしてフューチャーラボに紹介することで、アルス エレクトロニカの全体の活動につながる流れをつくっています。

小川(秀) 僕はそのフューチャーラボの共同代表として、この部門を統括する立場です。フューチャーラボは1996年に設立されました。アーティストやエンジニア、アントレプレナー(起業家)、建築家や社会学者など多様な人材が世界中から集まっており、アートとテクノロジーを掛け合わせて、「未来の社会がどうなっていくのか」という対話の場をつくり出すことをミッションにしています。

——結論や解決策ではなく、対話の場をつくりだすということですか。難しいミッションですね。

小川(秀) たとえばIBMさんなどの企業であれば、ソリューションや解決策を社会に提供していますよね。われわれがやっていることは、ソリューションではなく、クエスチョンの投げかけなんです。クエスチョンとは、さまざまな発明や作品を通じ、未来についての対話の場をつくり出すことです。

新しい試みを行うクリエイター集団という位置付けと言えるかもしれませんが、社会にイノベーションを興すところまでを含む「文化インフラ」として、リンツ市民やグローバルなクリエイターたちを支援し、新しい未来をつくっていく機関を目指しています。そのために、アルス エレクトロニカは、フェスティバル・美術館・フューチャーラボ・国際コンペティションという4つの機能を持つようになりました。

企業は、アルス エレクトロニカに何を求めるのか

ヤマハのプロジェクト「Dear Glenn」

2019年9月に発表された、ヤマハのプロジェクト「Dear Glenn」(アルス エレクトニカの公式Flickrより)
Credit:vog.photo

——アルス エレクトロニカは、「アート×テクノロジー×社会」を標ぼうして活動しており、日本からもさまざまな企業がプロジェクトに参画しています。昨年は楽器メーカーのヤマハが、AIで故グレン・グールドの演奏を再現するプロジェクト「Dear Glenn」をフェスティバルで発表しました。

小川(絵) まず前提として、私たちが言うアートとは「メディアアート」といわれるもので、これは「誰かに所有されること」を目的することが多い一般的なコンテンポラリーアートとは異なります。いま社会に問いかけたいことを作品としたり、パフォーマンスだったり、活動そのものをアートとして捉えています。そのような活動をしている「アーティスト」が、どのようなことを考え、何を表現しているのかを集積することで、その問いをみんなで議論する場をつくるのがアルス エレクトロニカです。

アーティストは、テクノロジー的にも社会的にも先端にいる方々なので、企業の未来をつくっていく経営層など、ビジネス界におけるリーダーの方たちとの相性は非常にいいと思います。未来に向け、私たちが人間らしくあるためにどうすべきかを真剣に考えること――企業にはそうしたソーシャルバリュー(社会から必要とされる起業の価値)がますます求められるようになるでしょう。そのために社会課題などの問題を議論する場は必要ですし、私たちの活動や作品を通じて、企業とともに未来の社会や人間性(Humanity)を考える機会を創出しています。

これは楽器か、それとも「演奏家」か
ヤマハ『Dear Glenn』が提示するAIと人間による音楽の共創

2019年9月7日、リンツ市にある聖フローリアン修道院で、満員の聴衆を前に1台の「ピアノ」が自動演奏を行なった。曲はJ.S.バッハ『ゴルトベルク変奏曲』(BWV 988)。そのピアノが奏でたのは、夭逝したカナダの天才ピアニスト、グレン・グールドの演奏だった。

これは昨年のアルス エレクトロニカ・フェスティバルの「AI x Music Festival」においてヤマハが公開したAIシステムのプロジェクト「Dear Glenn」の一幕だ。グレン・グールド財団、ブルックナー・オーケストラ・リンツ、フランチェスコ・トリスターノを始めとするグレン・グールドを敬愛するピアニストなどの協力の下、グレン・グールドのタッチやテンポでピアノを演奏できるAIシステムを開発し、そのAIシステムを搭載したピアノで、グールドの未演奏曲の披露、現代の名演奏家やオーケストラとの共演にも挑戦して、音楽を通じAIと人間の共創の可能性を提示した。

小川絵美子氏は「『AI x Music Festival』は、AIの音楽だけにフォーカスしたプログラムではありません。テクノロジーを使わないサウンドアートや、AIがつくった曲を鐘で演奏する作品、ピアニストの演奏をAIがビジュアライズした作品など、AIの可能性や音楽との関わり方、人との共創について問いています。その1つのコアとして『Dear Glenn』に入っていただきました」と説明する。小川秀明氏も、「ピアノや楽器などという単なる『モノ』を展示したのではなく、音楽というフィールドを通じて『楽器を超える新しいメディアは何か』という問いかけをパフォーマンスとして実施したものだと思います」と語った。

小川(秀) アルス エレクトロニカとコラボレーションするビジネスリーダーの方に話を伺うと、「全方位の未来、つまり“360度の未来”について多様性をもって準備し、そのビジョンを哲学として持たないといけない」という意識を持っています。そして、そのインスピレーションのパートナーとして、アルス エレクトロニカを選んだ、と。

企業の創業期であれば、社会に対する哲学や創業者の熱量が組織内に浸透していることが多いですが、事業が大きくなるにつれて、効率性を求めたり、固定された方向性から出られなくなったり。さまざまな“箱(Box)”のなかから逃れられなくなってしまうんですね。その箱のなかから出る時に、アートの役割が発揮されると思います。私たちのアートは、鑑賞するだけの芸術ではなく、新しい社会を生み出す「未来の触媒」として文化をつくっていくという役割を担っています。

——2019年のフェスティバルのテーマは、まさに箱から出る、「Out of the Box – デジタル革命の中年の危機」でしたね。2018年は「エラー – 不完全の手法」、2017年は「人工知能 – もう一人の私」と、かなり踏み込んだ問いを社会に投げかけている気がします。

小川(絵) 毎年、「いま社会に問いかけたいテーマは何か」を探求しています。2020年のテーマは「In Kepler’s Gardens(ケプラーの庭たち)」というもので、16世紀末〜17世紀にかけて活躍した天文物理学者ヨハネス・ケプラーにちなんだものになります。

近年は不確実性(Uncertainty)の時代といわれますが、2020年は新型コロナウイルス感染症の影響もあり、不確実性はますます深まっていますよね。これからの新しい時代に、私たちは人として何を考え、どのような新しい地図をマッピングしていけばいいのか。そのような思いを込めながら、以下のようなキーワードを掲げ、それぞれの間にあるものを考察します。

・Autonomy(自律性)– Democracy(民主主義)
・Ecology(生態系)– Technology(テクノロジー)
・Humanity(人間らしさ)
・Uncertainty(不確実性)

このベースには、私たちが大切にしている人間性というサブテーマがあり、ちょうどケプラーが生きた16〜17世紀と同じような不確実性の時代のなか、どんなことを試すべきなのか、「私はこう思う」「僕はこう思う」と、自由にいろいろ試せる場を創り出したいと考えています。

Withコロナの時代にアートが果たす役割とは

2020年のアルス エレクトロニカ・フェスティバル

2020年のアルス エレクトロニカ・フェスティバルのテーマは「In Kepler’s Gardens」(アルス エレクトニカの公式Flickrより)
Credit:Ars Electronica – Robert Bauernhansl

——新型コロナウイルス感染症の脅威が残るなか、今年のフェスティバルはどのような形で開催されるのでしょうか。

小川(絵) リンツ市で開催されるフェスティバルに加え、各国のグローバルパートナーとオンラインでつなぎ、各国で表現される「庭」をバーチャルに体験できる新しい形のフェスティバルを企画しています。だからGardensと複数形になっています。今回のオンラインとリアルを融合した開催を通じて、良かった点は来年以降も踏襲していきたい。今年は新しい方法を模索する第一歩となりますね。

——まさにそのような新しい生活様式とともに進む「ニューノーマル」と言われる社会が形成されるなか、アートやテクノロジーはどのように貢献していくとお考えでしょうか。

小川(秀) これからどんな社会になるのか、生活がどう変わるのか、正確なところは誰にもわかりません。ゆえに、「これが役立つ」と断言できるソリューションや方向性が確立しているわけでもない。だから私たちは、未来に向けて自分たちの“コンパス”をつくることが必要なんだと思います。

未来はわからないから、「こうなるんじゃないか?」「上を見ると答えがあるんじゃないか?」「上じゃなくて右にあるんじゃないか?」と議論する。この議論の土壌をつくること、それが「アート」の役割ではないでしょうか。つまり、アートには、未来を考える時にベースとなる哲学やビジョンを醸成する力があり、それによって、自分たちのコンパスをみんなで議論することができるようになると思います。

——ニューノーマルの社会に向け、そのコンパスの重要性が増してきているということですね。

小川(秀) そうですね。たとえば、アートと同義で語られることもある「デザイン」ですが、デザインには、特定の方向にシェイプして、1つの方向性をつくっていく力がある。ソリューションをクリエイティブで形づくっていくのがデザインだと考えています。

アートとデザインはセットで考えるべきですが、これまでの社会では、どちらかというとデザインの方ばかりに意識が向いていたように思います。なぜなら、特定の課題があった上で、一定の方向に向かって社会を展開していくには、デザインは有効だったからです。

しかし現在、未知のウイルスで不確実性が高まったニューノーマルの社会において、そもそもの方向性が不確実になった。すると、ベースとなるコンパスを常にアップデートするような力が必要になるのではないでしょうか。そのような観点から、アートは有効ですし、そもそもの議論を耕して対話を育てていくこともアートの効能だと考えています。

アート思考で未来を考え、“コンパス”を持つということ

アルス エレクトニカ

アルス エレクトニカの公式Flickrより
Credit:tom mesic

——対話や議論をつくりだす土壌をつくる、そこがアートの力なんですね。先に、アルス エレクトロニカはリンツ市の公社というお話がありましたが、アルス エレクトロニカが提案するアートの力は社会にどのように還元されているのでしょうか。

小川(秀) 具体的な成果を、数値やモノで表現できないので難しいのですが、文化インフラとはすなわち「未来の苗どころをつくる」ことだと考えています。その観点でいえば、リンツ市には日本の学校などで実施されている社会科見学のようなプログラムがあり、いろんな世代の子どもたちがアルス エレクトロニカを訪れて未来の考え方を体験しています。

また、2010年のフェスティバルでは、リンツ市内にあるタバコ工場跡地の再利用プランを提案したことがあります。そこは現在に至るまでに、オーストリアで最も有名なスタートアップの拠点となり、さまざまなイノベーションが立ち上がっているんです。こういうカルチャーが育っていること、それがわれわれの社会還元ですね。余談ですが、その運営組織も「タバコパブリック社」ということで、アルス エレクトロニカと同じ公社となっています。

小川(絵) アルス エレクトロニカ・センターには「インフォトレーナー」という、展示物を説明するだけでなく、いま子どもたちに知ってほしいことや、考えてほしいことを問いかける専任の社員がいるんです。こういう取り組みも、苗どころが育つ土壌になっているのかもしれません。

これまで私たちが提供していた「未来をつくっていくマインドセット」ですが、今後はこれを、「Future Thinking School」もしくは「Art Thinking School」という新しい部門として立ち上げ、より社会に還元していく方向を目指しています。

——ニューノーマルな社会が到来するなか、子どもだけではなく、大人もアート思考で未来を考えていくことが必要ですね。

小川(絵) そうですね。テクノロジーや環境や社会が変化するなかで、試し・議論して「自分で未来を創ることができる」ということ、そして、それを実践できる可能性があるということを知ることはとても大切です。私自身、アルス エレクトロニカを通じて、人がアートやテクノロジーと交わっていく場をつくりたいと思っています。そこで得られる経験や課題を共有しながら一緒に考えていくことを続けたいと思っています。

小川(秀) 僕もこのリンツで暮らし始め、「文化はつくれる」ということを実践のなかで学びました。かつては「文化」というと、伝統文化のように「誰かがつくったもの」と思っていたのですが、いまの仕事は、未来の文化を創るために“初めの点”を打つことなんですよね。

また、これからの時代は、1人ひとりが責任ある人として、世の中をより良い方向にするために自分自身のコンパスを持つ必要があります。たとえばいま、テクノロジーを活用してウイルス感染状況を監視しようという動きがありますが、それは一歩間違えたら監視社会につながりかねない。そういう技術の人間性をどのように高めていくのか、ニューノーマルな社会に向け、より良い未来を創るために何が必要なのか、「社会のためのアート(Art for Society)」という精神のもと、議論できる場をつくっていきたいと考えています。

(左)小川絵美子氏、(右)小川秀明氏

<注釈>
ヤマハのプロジェクト「Dear Glenn」は、IBM Digital Makers Labの嶋田敬一郎氏とIBM iXの瀧澤直也氏が、ヤマハの持つ世界初(2019年8月現在)となる「深層学習技術※」を採用したAIシステムを、より新しい形で表現するために、オーガナイズとコンサルティングの面から支援した。世界三大広告賞であるThe One Show 2020において、Shortlist入選を果たした。

※コンピューターに物事を理解させるための機械学習方法の一つ

TEXT:岩崎史絵
メインビジュアル:アルス エレクトニカの公式Flickrより/Credit:vog.photo

 

小川秀明(おがわ・ひであき)

アルス エレクトロニカ・フューチャーラボ 共同代表
2007年にアルス エレクトロニカ に参画。現在はアルス エレクトロニカ・フューチャーラボの共同代表として活動。アート・テクノロジー・社会を刺激する「触媒的」アートプロジェクトの制作、研究開発、企業・行政へのコンサルティングを数多く手がける。

小川絵美子(おがわ・えみこ)

プリ・アルス エレクトロニカ 統括
2007年にアルス エレクトロニカに参画。現在はメディアアートのコンペティションであるプリ・アルス エレクトロニカの長を務める。アルス エレクトロニカ・フェスティバルやアルス エレクトロニカ・センターのキュレーション・企画なども手がける。

この人のお陰で講談を知ったという人も少なくないだろう。「神田松之丞」改め「神田伯山」。伝統話芸復活の立役者で、現在も自身を広告塔として講談のさらなる普及を目指し、ラジオやテレビなど活躍の場を広げている。SNSなどデジタルメディアを使った情報発信にも積極的で、2020年2月11日の真打昇進を機に公式YouTubeチャンネルを開設。寄席演芸の舞台裏や、他の芸人にフォーカスしたコンテンツも多く発信し、注目を集めている。気鋭の講談師神田伯山に、これまでの軌跡を振り返りつつ、伝統芸能のこれからのために必要な情報発信のスタンスを聞いた。

複数の役割を持つ最強のエンタメだった「講談」

神田伯山

――そもそも「講談」とはどのような芸能なのでしょうか。

伯山 現在のスタイルに近い講談が行われるようになったのは江戸時代の中頃から後期にかけてだと言われています。幕末・明治時代にかけて全盛期を迎え、当時のエンターテインメントとしては一番と言われるまでになります。天保時代の講談師の数は江戸だけで800人ほど。現在は東京だけだと約70人、全国でも90人程度ですから、単純な数でも10倍以上です。また、当時講談は「講釈」と呼ばれていて(※1)、その講釈を専門に行う「講釈場」も江戸には200軒あったといわれています。

そして当時の講談師(講釈師)は、さまざまな職業を兼ねていました。今でいうテレビ、ラジオ、さらにジャーナリズムの役割も担っていた。たとえば、近所で心中事件が起こると取材に行き、翌日には高座にかける。つまり、ニュース性も備えていたということです。もちろん創作性もあって、たとえば、ヤクザ同士の抗争があったら脚色してストーリーをつくり、後世に残る作品に仕上げるということもありました。取材をして裏をとって、脚色を交えて日常にある物語を分かりやすく伝えていたわけです。

(※1)現在の「講談」という呼び名は明治に入ってからのもの。講釈は戦国時代の「辻講釈」、江戸時代には「太平記読み」などと呼ばれた。一般的には徳川家康の前で赤松法印という僧侶が『太平記』や『源平盛衰記』を読んだことがルーツとされる。

――なるほど、講談は「メディア」として現在よりもずっと庶民の生活に根づいていたんですね。

伯山 そうですね。当時のエピソードとして、馬場文耕(ばばぶんこう)という講談師が、幕政の批判をしたことで死罪になったというものもあります。これは芸人というよりジャーナリズムに近い立ち位置かもしれませんね。

ところが、近代になると映画やラジオ、テレビが登場し、それまで講談が持っていた役割が代替されていくようになります。現在のような状況になったのは、そんな流れの中で、講談師自身も講談の持つ力やオリジナリティーを信じながら、世の中の変化に対応することができなかったということだと考えています。

大正時代から現在までの100年は講談の冬の時代です。どんどん他の娯楽にとって変わられ消えていった。もちろん、この間も名人といわれる講談師もいましたが、多少の人数の変動はあれ、下火であることは変わりませんでした。

――伯山さんはどうですか。

伯山 スターという意味ではテレビ創生期の「お笑い三人組」の一人である一龍齋貞鳳(ていほう)先生、または田辺一鶴先生や、神田陽子先生、神田紫先生、神田紅先生などの女流講釈師は、テレビの影響力で一時期多くの人が知るところとなったでしょう。でもそれは個々のタレントとしてであって、「講談」全体が盛り上がったかと言えば分かりません。もちろん良い影響があったことは間違いないと思います。ただ、もっと大きなブームとなるには常に継続して何人もそういった人物が生まれる必要があります。一人や二人だけでは難しいんですね。

そうした流れの中で、私自身は完全に大衆演芸に舵を切っただけです。そして自分が聴きたいと思っていた講談をやった。5年ほど講談会や寄席に通い詰めましたが、生意気にも「こう直したほうがもっと分かりやすくなる」と思いながら客席から見ていました。そこで考えていたことを、自分なりの工夫を加えながらやってみたら、皆さんに受け入れられて、運良くメディアにも取り上げてもらえるようになっていったという風に感じています。なので、私自身がそういう状態だからこそ、多くの素晴らしい先輩や後輩がいるんだと、他の講談師の存在を大きな声で発信していきたいですね。

講談普及のために自らを広告塔に

――二ツ目の「松之丞」の時代から、テレビやラジオ、雑誌などの各メディアで積極的に情報発信をされてきました。どのような想いがありましたか。

伯山 ただただ、講談というものを多くの人に知ってもらいたいという気持ちですね。この世界に入ったのも、「自分が好きなものをみんなに広げたい、シェアしたい」という純粋な思いからです。「講談ってこんなにも面白いものなのに、なんでみんな知らないんだろう」と。一般の方々はもちろん、文化人でも講談を語る人はほとんどいなかったです。生意気な正義感もあったと思いますが、じゃあこの講談をもっと世の中に広めるために、自分の人生をかけてみてもいいじゃないかと。

――テレビやラジオ、雑誌や記事などあらゆるメディアに登場されていますが、情報発信のツールとしてそれぞれを使い分けているのでしょうか。

伯山 明確に使い分けをしているわけではありませんが、軸になるのはラジオだと思っています。それから徐々に顔と名前が知られるようになってきました。それで始まったのが「神田松之丞 問わず語りの松之丞」(現・問わず語りの神田伯山)。これが大きかった。

当初は3カ月限定の予定でしたが、「講談師なんてよく分からない職業のヤツが、めちゃくちゃなことを言ってる。なんか面白いね」って、評判になったんですよ。もともと私はラジオっ子で、リスナーの気持ちはなんとなく分かります。今はうるさい時代で、ラジオでも20年前のように好き勝手言えません。パーソナリティーも炎上しないように恐る恐る喋っているようなところがありますが、私はそれがすごく嫌だった。小生意気だけど求心力があって、突っ走るけど大切なことは守る。そういうキャラクターをリスナーが求めていると感じていました。この辺りは講談へのスタンスと似ているかもしれません。

このラジオが名刺代わりになって、いろんなメディアに広がりました。テレビにも出られるようになって、今では2本のレギュラー番組を持たせていただいています。いつ終了になるか分かりませんが(笑)。

YouTubeで講談の「中身」に光を当てる

――今年からYouTubeで「神田伯山ティービィー」の配信もスタートしました。どんな狙いからですか。

YouTube「神田伯山ティービィー」

YouTube「神田伯山ティービィー」

伯山 マスメディアに出ることで、私自身と「講談」というジャンルの存在については十分多くの人に知ってもらえたと思っています。次は講談の「中身」を知ってもらう段階になります。私を通した講談ではなく、講談そのものを知ってほしい。他の素晴らしい講談師の芸も見ていただきたいと考えて、自分で発信できるYouTubeを始めました。

私一人だけが目立っているのは、業界としてもリスクです。私がポシャったらせっかくの良い流れも終わってしまう。自分にスポットライトが当たっているうちに、他の講談師に光を当てたい。そのような考えから、楽屋の様子や講談師の対談などのコンテンツも配信しています。

二ツ目の松之丞時代はとにかくメディアに出て講談の広告塔になろうと思っていましたが、今は自分の代わりを務めてくれる人が出てくれるのを待っています。適任者がいたら、すぐ譲りたいですね。正直、私も講談に集中しようと思うことも多いので。

あともう一つ、講談の本質を伝えるには、YouTubeというメディアは非常に適していると感じています。

――楽屋や他の講談師へのインタビューだけでなく、「オンライン釈場」という形で講談そのものをまるまる配信されていますが、その親和性を感じてのことでしょうか。

伯山 おっしゃる通りです。講談というものは本来1席30~40分、連続物(※2)になると10時間かけてやるものもあります。しかし、テレビやラジオなどの番組でネタを披露できる時間は、どんなに長くてもテレビでは10分程度、講談の番組でも20分ほどです。ラジオはもう少し長いですが、どうしても講談の連続物の魅力を伝えるには限界があります。

それに比べてYouTubeなら時間制限を気にする必要もないですし、視聴者の方々もそれぞれの場所で自分のタイミングで見られます。連続物でもYouTubeなら連日寄席に通う必要もなく、寝る前に布団の中で見られる。私の持ちネタの連続物『畔倉重四郎』全19席も、「神田伯山ティービィー」で配信しています。

(※2)長編の講談のこと。上記の『畔倉重四郎』全19席のほか、『慶安太平記』全19席、『寛永宮本武蔵伝』全17席などがある。

――確かに、YouTubeの視聴スタイルと講談というコンテンツの特徴はマッチしていますね。とはいえ、YouTubeのコンテンツを充実させてしまうと、それに満足して、寄席に足を運ぶ人が少なくなってしまうというリスクはありませんか。

神田紅純の一席

「神田伯山ティービィー」より、「オンライン釈場」のコンテンツ一つ。伯山の後輩 神田紅純の一席。

伯山 いえいえ、そんなことは全くないと思います。今では、多くの方がバーチャルと比較した上での「リアルのすごさ」をしっかり理解しているので、同じコンテンツを体験するにしても、「動画で見る」のと「生で見る」ということを明確に区別しているように感じます。そのあたりのリテラシーの高さというのは、ある意味信用しています。実際、「神田伯山ティービィー」のコメント欄にも、「YouTubeでこれほどのクオリティなら、生で見たらどれだけすごいのか」というような投稿をいただいています。

それに講談は口演のたびに、微妙に内容が異なります。私自身、セリフまわしなど、毎回高座にあがるたびに意識的に変化させようとしていますし、無意識のうちに変わってしまうこともある。つまり、全く同じ講談というものは存在しないんですね。そういう微妙な変化を楽しめるのも、ライブならではだと思います。

あと、実は私はあまり大きい小屋が好きじゃなくて、1000人以下のところでやることが多いんですよ。だからYouTubeで満足していただけるのは正直ありがたい。今の番組登録者数は14万人ですから、このうちの1割でも見ていただければ1万4000人になります。YouTubeを見た方のほんの数パーセントが寄席に来てくれるぐらいでちょうどいいと思っています。

――YouTubeが今後、メディアの軸になりそうですか?

伯山 いえ、軸はやっぱりラジオですね。ラジオがダメになると、テレビも雑誌もつながりがなくなってしまうのではないかという意識はありますね。もちろん、全て講談が本丸にありつつ、ではありますが。

とはいえ、YouTubeに多くの人を誘導したいという思いは強いですね。まだまだ世間には「テレビに出ている」ということを面白さの基準とする雰囲気があります。でも、テレビに出てない無名の人でも面白い人はたくさんいます。そういう人たちを自由に紹介できるのがYouTubeです。

テレビで活躍するには時の運も必要で、実力がある人が必ずしも成功するとは限りません。実力もあって、努力もしているけど運がない。檜舞台になかなか立てない。YouTubeはそういう芸人の受け皿になれるのではないかと思っています。視聴者の側としても「面白いもの」の摂取の仕方がパーソナライズしているように感じます。万人が面白いと感じるわけではない、下手をすると自分自身すら特別面白いとは思っていないかもしれない、でも何故か見てしまう…というようなコンテンツというものがあると思うんです。もちろん誰もが面白いと思うものもチェックはしつつ、一方で「自分にだけハマるもの」を選択していくようになるんだと思います。「本当に自分に合った面白い人はYouTubeで見つかる」というふうになる時代も来るでしょう。

寄席演芸の土台としての徒弟制度

――今後どのような活動をしていこうと考えていますか。

伯山 ここ3年ほど高座の回数も多く、かなりアウトプットが求められてきました。この辺りで一旦インプットの時間を増やして、講談の稽古もしっかりやりたいという思いがあります。

私は名前が先に売れちゃって、肝心の講談の腕が知名度に追いついていないという思いも実はあります。自身の発信と、メディアにつくってもらった「虚像」に、自分自身の「実像」が追いついて、さらに超えていかないといけない。ただ、10年、20年経てば、自然と追いつけるだろうという漠然とした自信はあります。高座の数もそれなりに多いですし、反復がちゃんと報われる芸ですから。努力すれば実を結び、花咲く芸能だということは、後輩に伝えたいと思っています。

――後輩という言葉が出ましたが、真打になられたということで、お弟子さんを取られることは考えておられるのでしょうか。

伯山 もちろん弟子は取りたいと思っていますし、既に何名か弟子入りの希望をいただいています。でも、大事な一番弟子ですから、相性も含めてものすごく吟味させてもらっています。将来的には多くの弟子を取るかもしれないので、そうなると一番弟子が弟弟子を指導していくようになります。そう考えると、一番弟子にふさわしい人材は相当限定される。来年の10月以降、いよいよ取ろうかなと思っていますが、私自身相当こだわりは強いので、なかなか大変じゃないかと思いますね。よく冗談で「3人くらいはつぶすんじゃないか」と言っていますけど、もっとつぶすんじゃないかな(笑)。

――弟子をとる、師匠になるということについて、どのようなことを意識されていますか。

伯山 私が師匠から受けた恩を、下に返さないといけない。売れないと、その子にとってつらい人生になるので、ちゃんと導いてあげたいですね。それで、向いていない子には、「向いていないよ」と言って早いうちにやめさせるのも優しさです。言葉で理解するまで説明して、誠意を持って対応しようという思いはありますね。

このあと4~5年、もっとでしょうか…10年以上かけて、自分の講談が成長したとき、はじめていい弟子がくるのかな、と思います。本当にいい弟子をとるなら、自分自身がいい師匠にならないといけない。名実ともにいい芸人になったとき、理想的な弟子と出会えるのかもしれません。

抑圧の中で考え抜き、自身の芯を磨く

――講談の世界で、これだけは変えてはいけないと思うことはありますか。

伯山 時代によってそうした要素は変わってくる、ということを前提としてですが、前座修業ですかね。概ね4年ぐらい前座として下積みをするんですけど、私自身振り返ると、とても大切な時間でした。師匠にお茶を入れたり着付けをしたり、ただただ人に気を遣うだけの4年間です。理不尽なことも多く、すごく打ちのめされる。だいたいみんなこの世界に天狗になって入ってくるんですけど、その鼻を折られ続けるわけです(笑)。

そして、その4年間でやる気や人間性を値踏みされる。落語の世界も徒弟制度ですから、楽屋を常に綺麗にして使うとか、自分がどこに座れば邪魔にならないとか、寄席芸人は常に周囲に目配りをしていて、マナーもしっかりしています。こういったようなことがすごく大事だと思うんですね。一見芸とは関係ないように感じられることですが、人を不快にさせないことなど、長いスパンで見ると、その人間の土台となる部分です。そうした共通の土台を持っているからこそ、伝統芸能の文化としての一体感につながっていくのだとも思います。

それに前座時代に理不尽な思いをして、「今に見ていろ。いつか見返してやる」とか、大きくバネになるようなものをグーッと溜めることが大切な気もします。

――内に溜め込むというのは、表現のための大きなパワーになりますよね。

伯山 今多くの人が、インターネットなどで自分のことを疑わずに発信をしています。実は自分の勉強不足で、一部の意見だけを咀嚼して発信していないか、というブレーキがないように感じます。

そこにきて前座修行中は師匠方からとにかく怒られます。そしてそれぞれ言っていることが違う。今の自分の対応はもしかしたら間違っているかもしれない。今日は正解でも明日合っているかは分からない。矛盾や理不尽といった抑圧の中、その場その場で自分を疑いながら瞬発的に考えるということを繰り返していく。めちゃくちゃに否定されながらも、一方で自分として絶対に譲れない部分を磨いていくことになります。

話してきて思ったのですが、講談に限らず寄席演芸の世界では「抑圧」と「発散」のバランスというのが重要な要素かもしれません。

神田伯山

ビデオ通話にてインタビューを実施。定番のポーズにも応じていただいた

――理不尽に耐えるだけでなく、自分自身を出していく場も必要ということですか。

伯山 うちの師匠はそのあたりのコントロールがうまいんですよね。前座のころ、私は高座にあがると必ずマクラ(※3)を話していたのですが、「前座のくせに」とあまり快く思わなかったお客さんが、師匠に「マクラはやめさせた方がいい」と言ったんですね。それで師匠から一度注意されたんですけど、私はマクラをあの段階で必要だと思っていたので、やめなかったんですね。

感慨深いのはそのあとで、師匠はそれきり注意しませんでした。「おまえがこだわっているなら、じゃあいいや」という風で、絶妙な放置の仕方でしたね。人の育て方が上手いということに尽きるんですけど、今思うと適度にガス抜きさせてくれていたんだと。抑圧された気持ちをうまくパワーに変えてくれる、いい師匠につくことができたと思っています。そういったところは弟子を通してしっかりと伝えていきたいと思いますね。もっとも、その弟子が前座の段階でマクラをふっていたら、絶対に注意はしますけど(笑)。

(※3)本編・本題に入る前にする世間話や小咄

TEXT:相澤良晃、写真提供:冬夏株式会社(その他の出典は各写真に記載)

神田伯山(かんだ・はくざん)

講談師
2020年2月、6代目神田伯山を襲名。前名は神田松之丞。日本講談協会、落語芸術協会所属。2007年に3代目神田松鯉に入門。宮本武蔵、慶安太平記、畔倉重四郎といった「連続物」を中心に、持ちネタは150を超える。
メディアへの出演も多く、テレビ朝日にて「太田伯山」「伯山カレンの反省だ」の2番組、TBSラジオにて「問わず語りの神田伯山」というレギュラー番組を持つ。
2020年2月から公式YouTubeチャンネル「神田伯山ティービィー」を開設。チャンネル登録者数は約13万人で、講談の配信のほか、演芸界の舞台裏を伝えるなど新たな情報発信に取り組む。

プラスチックによる海洋汚染が深刻だ。海ガメが飲み込んだ大量のプラスチックの映像に心を痛めた人は多いだろう。人間の生活を便利で豊かにしてきたプラスチックだが、ほとんどは石油資源から作られ、いつまでたっても分解しない。燃やせば二酸化炭素(CO2)を排出し、地球温暖化の原因となり、今大きな問題となっている。
それを解決しようと、東京大学大学院農学生命科学研究科の岩田忠久教授は、「生分解性バイオマスプラスチック」の開発を目指している。原料は再生産可能な植物や、微生物がつくるセルロースを始めとする多糖類。使用後は海洋や土の中の微生物によって完全に分解され、マイクロプラスチックの拡散を防ぐ。さらに、自動的に「生分解のスイッチ」が入るプラスチックも開発中だ。
7月1日からレジ袋の有料化が始まった。欧州に比べて、この分野の規制で後れを取ってきた日本だが、ようやく環境重視の方向にかじを切り、新しい高機能プラスチックへの期待が高まる。
「用途に応じて、プラスチックの特性や分解速度を自在にコントロールできるようにしたい」と言う岩田教授。世界が注目する「生分解性バイオマスプラスチック」の最前線を伺った。
(この取材は、新型コロナウイルスの感染拡大を避けるため、Web会議システムを介して行いました。)

石油合成プラスチックは、環境中ではほとんど分解されない

――バイオマスを原料にしたり、生分解性を持つプラスチックが、なぜ今世界の脚光を浴びるのか、その社会的背景から説明していただけますか。

岩田 現在プラスチックは99%が石油から作られ、全世界では3.5~4億トン、日本では1100~1200万トン生産されています。この石油合成プラスチックの課題は2つあります。1つは、原料として有限な石油資源を使うこと。もう1つは使用後の処理のやり方です。本来はリサイクルするのが最も良いのですが、実際には半分を燃やしています。
例えば、誰もが思い浮かべるポリ容器や、衣類のようなものだけでなく、いま新型コロナ対策で使われているマスク、空間を仕切る透明なついたて、医療用の防護服などもまた石油から作られています。ウイルスが付着している可能性があるので燃やすしかなく、二酸化炭素が発生して地球温暖化につながります。
この問題を解決するのが、植物資源を原料にしたバイオマスプラスチックです。バイオマスプラスチックを燃やせば二酸化炭素が発生しますが、その炭素は元々植物が持っていたもので、光合成によって再び植物の内部に吸収され固定化されます。長い時間軸で見ると、炭素は植物とプラスチックをぐるぐる回っているので、「カーボンニュートラル(中立)」なのです。
一方、回収しきれずに山や海、土壌など自然環境中に捨てられるプラスチックもたくさんあります。石油合成プラスチックはほとんど分解されずに微小なマイクロプラスチックになり、環境に悪影響を与えます。その解決策として、微生物の力で二酸化炭素と水に完全に分解できる生分解性プラスチックが注目されているのです。

図1

図1:環境にやさしいバイオプラスチック 提供:岩田教授

石油合成プラスチックより高性能化することが課題

――「バイオマスプラスチック」、「生分解性プラスチック」、「生分解性バイオマスプラスチック」と出てきました。その関係を改めて整理していただけますか。

岩田 下の表1で説明しましょう。原料がバイオマスか石油か、生分解性があるかないかによって4分野に分けています。

表1

表1:バイオマスプラスチックと生分解性プラスチック 提供:岩田教授

バイオマスプラスチックは原料を石油に依存せず、再生産可能な植物バイオマスから作るという話で、生分解性の有無は問いません。ただ石油から作ったものと同じような製品を作ったのではコストで負けてしまうので、熱や衝撃に強い高機能のプラスチックを目指しています。例えばレジ袋に使うバイオポリエチレンは、サトウキビから取り出したデンプンを原料にしますが、コストは石油合成の3~4倍です。使ってもらうためには石油をしのぐ高性能にする必要があります。
一方、生分解性プラスチックは、生分解するかしないかという機能の話なので、原料が石油か植物かは問いません。このようにバイオマスプラスチックと生分解性プラスチックは全くコンセプトが違うのです。従ってバイオマスプラスチックだからといって、生分解性プラスチックであるとは限らないのです。(逆に図の右上にあるように、石油合成プラスチックの中にも、生分解するものもあります。)
4分野の中で、左上にある生分解性バイオマスプラスチック(ポリ乳酸、微生物産生ポリエステル、化学修飾多糖)が地球環境にとって最も望ましいことは言うまでもありません。研究者も企業も国のサポートを受けながら一生懸命に取り組んでいます。

経済成長を優先し、環境問題には目をつぶってきた

――「バイオマスプラスチック」と「生分解性プラスチック」の開発には、長い歴史があったと聞きます。

岩田 そうです。プラスチックと地球環境の問題は、プラスチックが大量の生産・使用され始めた約60年前から指摘されていました。しかし、ずっと経済成長が優先され、生活の豊かさを追求する中で、この問題には目をつぶってきたのです。
1980年代には、生分解性プラスチックが開発されましたが、分解されるということは裏を返せば「強い」「長く使える」といった性質と裏腹な関係にあり、結局、「使えない」とされてしまいました。
1997年には京都議定書で温暖化防止がうたわれ、関心がカーボンニュートラルのバイオマスプラスチックに集まりましたが、とても大量生産のレベルには達せず、これも下火になりました。
2015年頃から、海洋汚染の原因になるマイクロプラスチックが問題視されるようになりました。そこでもう一度生分解性プラスチックへの期待が再び高まり、同時に、二酸化炭素削減の観点からバイオマスプラスチックにも脚光が当たるようになりました。

コロナ禍は、みんなでプラスチックを考える良い契機

――コロナ禍の新しい生活様式の下では、マスクなど医療用品だけでなく、食品包装用の石油合成プラスチックの使用量がかなり増えています。

岩田 マスクはポリエチレンやポリプロピレンから作られていますが、軽くて丈夫なので、ウイルスから身を守るために世界中で使用量が増えているのは仕方がありません。ただ、マスクをその辺に捨てる人がいますが、これは駄目で、回収して燃やすという後処理が大切です。
一方、7月から有料になったスーパーやコンビニのレジ袋の代わりは、お気に入りのマイバッグを持参するなど、用途に合わせて対応すると良いと思います。単純に「プラスチックは良くない」と決めつけるのではなく、何が問題か、代替できるものはないかを冷静に考えていく必要があります。
マスクを燃やすと二酸化炭素が出ますが、もしバイオマスプラスチックでマスクを作ることができれば、先ほど言いました「カーボンニュートラル」になります。コロナ禍はみんなでプラスチックを考える良い契機になると思います。

岩田忠久教授

自然界にある多糖類から直接プラスチックを作る

――バイオマスプラスチックの原料として、木材やトウモロコシから抽出されるセルロースやデンプン、ミドリムシや虫歯菌などが作るパラミロンや新規多糖類を挙げておられます。その特徴を説明していただけますか。

岩田 現在、バイオマスプラスチックの原料は主にトウモロコシなどのデンプンです。デンプンを加水分解してグルコースに変換し、それをもとにポリ乳酸、バイオポリプロピレン、バイオPET(ポリエチレンテレフタレート)などを作ります(図2)。

図2

図2:多糖類からの高性能バイオマスプラスチック  提供:岩田教授

しかし、デンプンを原料にすると食糧問題とバッティングします。私たちはデンプンの代わりに木材のセルロースや、ミドリムシが体内に蓄える「パラミロン」、虫歯菌が作る多糖類など、自然界にある多糖類を原料にしてプラスチックを作ろうとしています。
多糖類はグルコースに分解されますが、私たちはグルコースにはせずに、多糖類の長い構造を生かして化学修飾し、直接プラスチックを作ろうとしています。
ミドリムシや虫歯菌から作ったプラスチックは300~350℃の熱にも耐える優れた熱物性を持ち、石油合成のPETを上回っています。服の材料にしようとすれば、アイロンの200℃の熱に耐えなければいけませんが、十分クリアしています。また遺伝子組み換え大腸菌を使って超高分子量の高強度繊維も開発しています。

プラスチック中の結晶の量や大きさで生分解速度を変えられる

――生分解性プラスチックについては、「分解速度のコントロールが重要」と述べられています。その理由やメカニズムを説明していただけますか。

岩田 生分解性プラスチックには、農業用、土木建築用、野外レジャー用、水処理用などがあります。分解はそれぞれの用途に応じて、速すぎず遅すぎず適切にコントロールする必要があります(表2)。 

表2

表2:生分解性プラスチックの期待される用途  提供:岩田教授

生分解性プラスチックを分解するのは自然環境中にいる特定の微生物です。この微生物は周囲に水があると、加水分解する酵素を出してプラスチックの分子鎖(ポリマー)を短く切断し、水に溶けやすくします。それを自分の体内に取り込んでエネルギーに変え、最終的に二酸化炭素と水に分解します。
プラスチックは分解が中途半端だと、マイクロプラスチックとして環境中に残ってしまいます。ですから微生物の力で完全に二酸化炭素と水に分解することが重要です。

土中での生分解性プラスチックボトルの分解のようす

写真1:土中での生分解性プラスチックボトルの分解のようす 
出典:日本バイオプラスチック協会

分解速度のコントロールは、微生物が出す酵素がポリマーを短く切断する速度を変えることで可能になります。その際、プラスチックの結晶の量が多かったり結晶が大きかったりすると、微生物は切断しづらいので分解速度が遅くなり、逆に非晶部分の量が多かったり結晶が小さかったりすると、分解が速くなります。
また、プラスチックの分子がらせん構造のものと、真っすぐ伸びている構造のものでは、らせん構造の方が分解はゆっくり進みます。つまり、プラスチックの結晶の量や大きさ、分子構造を制御することにより、1カ月で分解したり1年で分解したりとコントロールできるのです。
開発に当たっては、理化学研究所の大型放射光施設「スプリング8 (SPring-8)」を活用しました。スプリング8は世界最高性能のX線発生装置です。プラスチックの結晶構造だけでなく、プラスチックを分解する酵素の3次元結晶構造も解析し、プラスチックと酵素の両面から分解速度をコントロールする研究を進めています。

――生分解性バイオマスプラスチックの分解の様子を調べるために、海底にプラスチックを置く実験をされています。その目的や内容をお聞かせください。

岩田 生分解性プラスチックを土中に埋めると分解することは分かっていますが、海洋や河川ではどのように分解するのか、ほとんど分かっていません。そこをきちんと把握するのが目的です。
私たちは昨年9月、海洋研究開発機構(JAMSTEC)の協力を得て、静岡県初島沖の深海850メートルの海底に生分解性バイオマスプラスチックを3セット沈め、1年ごとに引き上げて、その変化を調べようとしています。水温は4℃、微生物が少ないので、分解速度は遅いことが予想されます。もう1つ、今年3月にも南鳥島沖5500メートルに1セット沈め、来年3月に引き上げる予定です。

自らを分解する酵素を、あらかじめプラスチックに埋め込んでおく

――今後の重要な研究課題として、ゴミになったらすぐ分解を始める「生分解性のON/OFFスイッチ」を挙げておられます。これはどのような仕組みなのでしょうか。

岩田 使用中は十分に機能し、使い終わって環境中に出たらすぐ分解が開始するようなスイッチが入るプラスチックがあれば理想的です。そこで自らを分解する酵素をあらかじめプラスチックの内部に埋め込んでおきます。使い終わったプラスチックが海で紫外線を浴びるとひび割れが起き、内部に水が入る。すると酵素による生分解スイッチがONになり、プラスチックを分解するという仕組みです。実現すれば海洋汚染を救う素晴らしい対策になります。近くその論文を発表する予定です。
他にも、例えば海ガメがプラスチック破片を飲み込んだら、胃酸による酸性度(㏗)の変化でスイッチが入ったり、海の塩分濃度の変化でスイッチが入ったりする仕組みも検討しています。

岩田忠久教授

レジ袋規制はEUが先行。日本も勝負はこれから

――7月1日から、スーパーなど小売店でもらうレジ袋が有料化されました。効果は期待できるでしょうか。

岩田 レジ袋の有料化は、消費者の環境意識を変えるという点で重要な政策です。家庭で生ごみを出すにはポリ袋が必要なので、一気に削減とはいきませんが、地球温暖化や海洋汚染防止の意識を高めることが期待できます。
日本は従来、プラスチックを減らすための規制をあまりやって来ませんでした。企業経営への影響を配慮して、思い切った方針を打ち出さなかったのです。
一方、ヨーロッパは厳しく規制しています。各国にはそれぞれ法制度があるので、EUが最初に法律を作って企業に守らせています。フランスはすでに2016年からレジ袋の配布を禁止し、使うなら生分解性プラスチックのみと決めています。EUは日本の高レベルの研究成果を活用し、実用化で先行しています。日本もここからが勝負だと思います。
日本が2030年に導入を目標としているバイオマスプラスチックと生分解性プラスチックの総量は、約200万トン。全世界で生産されるプラスチック4億トンに比べると微量ですが、変革への第一歩になるでしょう。

海外留学して世界のコミュニティに入ることが重要

――先生は「若い研究者は海外留学して世界のコミュニティに入ることが重要だ」と述べておられます。ご自身の体験を基に若い世代へのアドバイスをお願いします。

岩田 科学はどの分野でも、必ず世界に同じような研究をしている研究者がいます。「日本には〇〇という研究者がいるから、ぜひプロジェクトあるいは国際会議に参加してもらおう」と思われるようでないといけません。国際的なコミュニティに入り、研究内容について情報交換すれば、科学の発展に貢献でき、日本の研究者に世界の動きを伝えることもできます。
世界の著名な研究者たちと知り合うには、国際学会で発表するだけでなく、海外留学することが大きなチャンスとなります。日本の研究設備や技術力は欧米に引けを取りませんが、外国の考え方や文化を知るにはやはり留学が必要です。異文化を体験的に学ぶには、できるだけ30歳前に留学するのがいいと思います。
私は20代でフランス政府給費留学生として、グルノーブルにあるフランス国立科学研究センター・植物高分子研究所に留学しました。優れた研究者・開発者の先生たちに教わり親しくなっただけでなく、同世代のワールドワイドな横のつながりもできて、その後の研究生活にとても役立っています。私たちの学部では、そういった意味でも留学を支援しています。

TEXT: 木代泰之

岩田 忠久(いわた・ただひさ)

東京大学大学院農学生命科学研究科生物材料科学専攻 教授
1989年京都大学農学部林産工学科卒業。1991年京都大学大学院農学研究科林産工学専攻修士課程修了。フランス国立科学研究センター・植物高分子研究所での留学を経て、1994年京都大学大学院農学研究科林産工学専攻博士課程修了・博士(農学)。
1995年より理化学研究所・基礎科学特別研究員、理化学研究所高分子化学研究室・研究員を経て、2001年より同・副主任研究員。
2006年より東京大学大学院農学生命科学研究科生物材料科学専攻 助教授に着任。2007年より同准教授、2012年より現職。2018~19年総長補佐。2006年度繊維学会賞、2010年度ドイツイノベーションアワード受賞、2018年度高分子学会賞を受賞。

2015年、ロボティクスファッションクリエイターとして、着て楽しむロボット「METCALF(メカフ)」を世に送り出し注目を集めた、きゅんくん。現在は、自作のソーシャルロボットに対する人の身体感覚や感情についての実験結果を、展示会や論文の形で発表すべく奮闘中だ。

きゅんくんがつくり出したMETCALFの特徴は、これまで世間に発表され・実用化されてきた多くのロボットのように、何かしらの実用的な機能をもたないこと。なぜ、あえて実用的な役目を負わないロボットを開発するのか。その動機と今後のビジョンから、テクノロジーと人の未来を探る。

クリエイターとして新しい“価値”をつくり、エンジニアとして価値ある“もの”をつくる

きゅんくん

きゅんくん。今回の取材はオンラインで行われた

——2014年からウェアラブルロボットの開発を手がけ、以来、ロボティクスファッションクリエイターとしてだけでなく、メカエンジニアとしても活躍されています。現在の具体的な活動を教えていただけますか。

きゅんくん クリエイターとしては、METCALFのようなウェアラブルロボットの開発をしています。エンジニアとしての活動は、インターネット接続型のコネクティッド・ロック「TiNK(ティンク)」などを開発している株式会社tsumugで行っています。tsumugは、さまざまなジャンルの人が集まって、新しい「当たり前」を目指して活動をしているスタートアップで、全員が業務委託の形で仕事を請け負うスタイル。いろいろな人がいるので、自分の知らない分野に接することのできる場にもなっていますね。最近は、ハードウエアだけでなく、苦手だったソフトウエアにも取り組もうと思っているので、ここで得た知識がとても役立っています。

活動の軸足がどちらにあるということではなく、クリエイターもエンジニアもどちらも自分。あえて表現するなら、「新しい“価値”をつくる」のがクリエイターで、「価値ある“もの”をつくる」のがエンジニア、ということでしょうか。それぞれの活動が相互にいい影響を与えられる状態が理想です。

——2020年3月まで大学院にも在籍していらっしゃいました。現在も、研究は続けられているのですか。

きゅんくん 修士論文としては、ウェアラブルロボットを着用してコミュニケーションしている場合と、着用せずにコミュニケーションをとっている場合で、人のロボットに対する感じ方がどう変わるかを実験してまとめました。

現在は、株式会社国際電気通信基礎技術研究所(以下、ATR)の連携研究員として、塩見昌裕さん(ATR エージェントインタラクションデザイン研究室 室長)に研究を見ていただいています。2020年8月に予定している展示会では、実験用につくったロボットとともに、研究の成果もあわせて発表したいと考えています。

——2020年8月の展示会はどのようなものになりますか。

きゅんくん 新型コロナウイルス感染症(以下、新型コロナウイルス)の感染拡大防止のため、リアルな展示だけでなく、ヴァーチャル空間も組み合わせたものにする予定です。リアルな展示では、「Fylgear(フィルギア)」というウェアラブルロボットを実際に着用していただくことも考えています。

「VRoid」でつくられたきゅんくんのアバター

「VRoid」でつくられたきゅんくんのアバター

ヴァーチャル上では、一緒に展示をするアーティストのhima:// KAWAGOE(以下、hima)さんが「VRoid」で作成した、私とhimaさん2人のアバターが登場します。VR空間を通じて、参加者がウェアラブルロボットを着用したり、アバター用の服を着たりと、さまざまな仕掛けを考えているところです。これまでヴァーチャルの世界にあまり馴染みのなかった人にも気軽に参加してもらえる場になったらいいなと思っています。

ウェアラブルロボットと人との「心理的な関係」を解明する

Fylgear

実験用のウェアラブルロボット「Fylgear」

——研究対象が、ウェアラブルロボットに対する人の感情の動きというのは珍しいと思うのですが、どういう理由から着目されたのでしょう。

きゅんくん ウェアラブルロボットが人にとってどういう存在であるかを解明したかったというのが大きな理由です。関連研究を調べている時に、ウェアラブルロボットがどういう心理的影響を与えるかを研究している人が少ないことに気づきました。私が取り組まないと他に取り組む人がいないかもしれない。半ば使命感のようなものもあるかもしれません(笑)。

使用したのは、実験に合わせて開発したFylgearという、話すことのできるロボットです。METCALFはファッションとしてのロボットなので、着たときにシルエットが美しく見えることを大事にしていて、人の感情を調査するような実験用にはつくっていません。そのため、METCALFは実験において、着用者とロボットだけの関係ではなく、「第三者に見られる」という要素が入ってしまう。実験には、ロボットと人のコミュニケーションに集中できるように、それ以外の要素を排除した別のウェアラブルロボットが必要でした。

実験結果については、展示会で詳しく紹介する予定ですが、着用しているときのほうが、着用していないときよりロボットに対する親密感が上がることがわかりました。実験では、ロボットが人に与える影響を評価するため、人のロボットに 対する心理尺度としてGodspeed Questionnaire指標を用い、「擬人化」「生命性」「親密感」「知性」「安全性」に関しアンケートを取りました。また今回は、「かわいい」という指標も追加しています。ウェアラブルロボットとコミュニケーションしていくうちに「かわいい」に加えて「人が笑顔を見せる時間」や「ウェアラブルロボットに手をかざして触れ合う時間」の度合いが変化していくのではないかと想定して指標を追加したのですが、その部分に関しては、有意差がありませんでした。

ロボットの存在が多様性を広げる、そんな社会をつくりたい

着用中のMETCALF

着用中のMETCALF(モデル:近衛りこ 撮影:荻原楽太郎)

——ロボットを仕事にした原点についてお聞きかせください。そもそもロボットに興味を抱いたきっかけは何だったのでしょうか。

きゅんくん 私、小学生の卒業文集で、すでに「将来はロボットを開発する人になるので、機械工学科に行く」と書いているんですよ。ロボットを仕事にしたい、と思ったのは、テレビで高橋智隆さんというロボットクリエイターの方を知って、ロボットを仕事にしている人がいることに気づいたから。もちろん、ロボットは知っていましたが、誰がつくっているのか、どういう仕事があるのか、まったくイメージが湧いていなかった。高橋さんの存在を知ったことで初めて、自分もそうなりたいと思うようになりました。

——そこからMETCALFの開発へのプロセスはどういうものだったのでしょう。ファッションとロボットを融合させるという発想はどこから生まれたのですか。

きゅんくん 服をつくることに興味があって、高校時代には被服部に所属していました。自分の軸をファッションとして表現したいと考え、そのときから自分の軸は「テクノロジー」だと考えていたので、それを表現するファッションを製作しようと思って。その延長線上にあるのがMETCALFです。

新しいものを生み出すとき、私が気をつけているのは、自分にないものを持っている人とコミュニケーションをとることです。高校は私立だったこともあり価値観の似た人が集まる環境になりがちだったので、SNSなどを通じ、学校以外に友人をつくりました。高校時代は、ファッションが好きな人や美容師を目指す人などとよく交流していましたね。

——ロボットというと、多くは何らかの実用的な役目を果たすためにつくられています。なぜ、あえてそのような目的とは異なるウェアラブルロボットを開発しているのでしょう。

きゅんくん ウェアラブルロボットをつくる理由は、人とまったく異なる存在としてのロボットが、人と物理的距離をゼロにしても「身体拡張」ではなく、別の存在として一緒にいられるのではないか、存在の多様性を尊重することになるのではないか、と考えているからです。「あなたは私と違うけど一緒にいられる」という存在感。ロボットだけに何か役割を期待するのではなく、人もロボットも、そのままの状態で「ただ一緒にいようね」という世界観。私のつくる作品としてのロボットは、多様性のある世界をめざすためのウェアラブルロボットです。

だから、ロボットに抱きがちな特別なワクワク感は、現実的にしたいと思っています。ロボットに対しては、期待値を上げた結果、「できないじゃん」と評価が下がるというのが世の常なので、何かしてくれるのではないかというワクワク感ではなく、ロボットへの適切な期待が世の中に広まるといいなと思っています。ロボットに触れていない人には、ロボットがどれくらいで壊れるのか、どれくらい優しく接すればいいのかわかりませんよね。ロボットへの適切な期待とともに、適切な知識も広まればいいと思います。

みんなで起こすイノベーションの一部になりたい

きゅんくんとMETCALF

きゅんくん。後ろに置かれているのがMETCALF

——ロボットが多様性の一つとして社会に存在するということですね。そのような未来に向け、社会におけるテクノロジーと人の関わりについてはいかがでしょうか。

きゅんくん これから人とテクノロジーがどういう付き合いをしていくのか、未来は予測できませんが、私がロボットの開発を始めた頃より、私が理想とするロボットと人が多様に関わる世界観には近づいている気がします。私はこれまで、自分も人も世界もそう簡単に変化するものとは思っていませんでした。でも、ここ数年で、世界の価値観は一気に変わるんだということを実感しています。

たとえば、新型コロナウイルスの感染拡大防止の影響もその一つです。tsumugで取り組んでいるプロジェクトの存在意義も変化しました。代表的なサービスである「TiNK」や、それを利用して小規模なワーキングスペースを実現する「TiNK Desk(ティンクデスク)」は、リモートワークが推進されたことで大きく可能性が広がりました。限られた一部の人たちではなく、一般の人がオンラインミーティングツールを使って飲み会をすることも、少し前までは思いもよらなかったこと。いい意味でも悪い意味でも、価値観の変化によってテクノロジーの存在意義は変わっていくのだと興味深く感じています。

——そのようなお考えやさまざまな活動の根底には、新しい価値観や多様性、イノベーションにつながる思考があるように感じます。

きゅんくん イノベーションは、みんなで起こすものだと思います。1人だけで起こせることもあるのかもしれませんが、たいていはいろいろな人の知見が雪だるまのように集まって起こるものですよね。未来は、みんなでつくっていくものだと思うので、私はその雪だるまをつくる雪の一つになれたらうれしい。

たとえば、ウェアラブルロボットを着用することで沸く感情を、テクノロジーとの付き合い方に活用することはできると思います。親密感が増すことで効果が増すロボットがあるのなら、効果を得るためにロボットをウェアラブルにするという可能性が広がるでしょう。

そのように、私が開発したロボットそのものだったり、そのロボットを使った実験結果だったりが、誰かの手掛けるロボット実用化の助けになればうれしいです。そしてそれは、私が目指す多様性のある世界にもつながるのではないでしょうか。そのためにも、私自身は、皆さんに実験結果をちゃんと利用してもらえるよう、論文をスラスラ書ける人を目指したいと思っています(笑)。

TEXT:佐藤淳子
写真提供:きゅんくん(メインビジュアル/モデル:近衛りこ、撮影:荻原楽太郎)

きゅんくん

ロボティクスファッションクリエイター、メカエンジニア。
1994年、東京都出身。2014年よりウェアラブルロボットの開発を手がけ、2015年、テキサス「SXSW2015」にて「METCALF(メカフ)」発表。以来、ロボティクスファッションクリエイターとしてロボット開発に携わる一方、tsumugでメカエンジニアとして活躍。現在は、国際電気通信基礎技術研究所(ATR)連携研究員として、ATRの塩見昌裕氏のもとウェアラブルロボットに関する研究を行う。

withコロナ時代のチームビルディング――今、リーダーは何をすべきか?

2020年、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の世界的な拡大により、図らずも多くの人が働き方の変革を迫られることとなった。組織や企業はリモートワークへの対応を余儀なくされることも多く、働く環境の変化に伴い、メンバーのマネジメントにも工夫が必要となり、リーダーたちはかつて経験したことのない状況に苦心しているだろう。今、リーダーには何が求められるのか。組織開発ファシリテーターとして、多くの企業のチームビルディングを行なっている長尾彰氏に、withコロナ時代の新しいチームのあり方、そのヒントを聞いた。

「同期」と「非同期」のバランスを意識する

──コロナ禍におけるリモートワークの推進によって、多くの人が働き方の変革を求められることになりました。こうした中で、組織や部署を率いるリーダーは、どのような意識を持つことが必要なのでしょうか。

長尾 まず今は、自分は組織の何をリードするリーダーなのかという「イシュー(宛先)」をはっきりさせることが、とても重要だと思います。今回のコロナ禍により、多くの組織で、「リーダー、どうしましょう」とチームメンバーがリーダーの様子を窺うような傾向が顕著に表れてきています。けれど、リーダーだって、こんな状況は今までに経験していないわけですから、どうして良いのかわからないと思います。だからまず、自分の役割や立場を明確にしておくことが必要です。営業対策リーダーでも、リモート環境改善リーダーでもいい。具体的に、今、自分は何を率いているのかということを、自ら外に向かって発信することが大事です。

なぜ、私がこのような考えに至ったか、「同期」と「非同期」という言葉で説明させて下さい。従来の、会社のオフィスで実際に顔を合わせながらの勤務というのは、周りの状況が常に見えている、自分の仕事と周囲の仕事が「同期」している状態でした。「同期」の機会が担保されているので、たとえ昨日起きたことと今日取り組んでいることがごちゃごちゃに入り組んでいたとしても、それを解きほぐしつつ問題なく進めることができます。

けれど、リモートで働く場合は、常に「同期」のタイミングを意識する必要があります。これまでは現場でちょっとした合間に二言三言会話を交わせば、仕事の進捗は把握できる、すなわち「同期」できていました。それがリモートワークでは、今、誰が、何の仕事をしていて、どのような状況にあるのかということが把握しづらいのです。なので、クラウド上の共同編集シートなどの「非同期」のツールを使って、なんとか「同期」している状況です。あるいはオンライン会議システムなどを常時接続して、「同期」し続けるという方法もありますが、それだと監視されているような感じがして、それぞれが集中して進めるべき「非同期」での仕事が難しくなる。実際に顔を合わせる現場では無意識のうちに確立できていた「同期」と「非同期」の絶妙なバランスを、リモートワークにおいてはどう構築するかということが、今、非常に大事なことなのだと感じています。

長尾彰氏

ビデオ通話にてインタビューを実施

雑談で仕事の成果が上がる

──リモートワークにおいて、その「同期」と「非同期」のバランスをどのように組み立てていけばよいでしょうか。

長尾 意外とシンプルに実現できると思っています。少し話は飛びますが、僕の父親は現役の大工の棟梁です。左官職人や瓦職人などいろいろな人を束ねる、いわばディレクターですね。父親の仕事を見ていて印象的だったのは、朝10時とお昼の12時そして午後3時と、3回のお茶の時間をとても大事にしていること。何でもない会話の中に、それぞれの仕事の進捗や、気になっている課題などが出てきていました。今思うと、このお茶の時間というのがとても重要だったのですね。

また別の例を紹介すると、日立製作所中央研究所のフェローで、人の幸福度についての研究を続けている矢野和男さんという方がいらっしゃいます。矢野さんが10年以上にわたって大量のデータを収集した研究によると、週に一度1時間の会議を行うよりも、毎日5分間の他愛もない雑談をするほうが仕事の成果が上がるということがわかったそうです。つまり、短い会話を交わす時間を持つことが、チームビルディングには重要だということ。

これはオンラインでも実現可能です。リモートワークで、それぞれが仕事に集中する中で、日に2〜3回、時間を決めてオンラインでつながる機会を設けるのです。いわば、オンラインのお茶の時間ですね。だから仕事の話をするのではなく、あくまで雑談の時間です。実際、一緒にコーヒーを飲んでもいいと思います。そうしてこまめに接点を持つことで、離れていても同じ時間を共有しながら、心理的安全性を保つことができ、全体的な仕事の進捗も把握しやすくなるのではないかと思います。

オンラインでつながるイメージ

Getty Images

──雑談の時間を設ける他に、より明確に仕事の進捗を把握していくにあたっては、どのような工夫が必要でしょうか。

長尾 非同期で進めている各々の仕事が、今どのような状況にあるのかを、全員が見える状態にすれば良いのです。具体的なテクニックの話になりますが、共同編集シートを共有して、1時間に1回でいいので、各人「Aという仕事が完了した」とか「資料作成が5割ほど進んだ」といった、今自分に起きていることを1行で書き込んでいくといいと思います。必ずしも仕事の進捗である必要はなくて、「13時、昼ごはんを食べた」とかでもいいのです。それぞれがしたことを1時間に1回共有するというルールにしておくと、そこには自然と一体感が生まれてくるはずです。「同期」と「非同期」の中間くらいの感覚ですね。社内のグループチャットでもいいと思います。「相手と自分の仕事が相互に影響しあっている」と感じられるような環境をつくることが肝心です。

心理学用語で、「アクノレッジメント=存在承認」という言葉があります。そこに「いる」ことを互いに認め合うことは、従来の顔を突き合わせる社内空間では当たり前にできていたはずですが、リモートワークでは、誰がどこにいて、今何をしているか把握しづらいわけです。その存在承認の機会を、意識して日常のリモートワークに取り入れる。案外それだけでいいのかもしれません。

リーダーの役目は自立/自律した働き手を育むこと

──仕事の進捗を把握しておくことの他にも、リモート環境でリーダーが注視しておくべきことはありますか。

長尾 やはり、1on1でのコミュニケーションの時間を意識的に作っていかなければならないと思います。オフィスで働いていた時には、部下から上司に話したいことがあった場合、「あ、今課長に話しかけても大丈夫そうだな」とか「相談したいことがあるのでランチ一緒にどうですか」と、タイミングを見計らうことができましたが、リモートではなかなかそうもいきません。なので、そうした時間をリーダーから設けることが大事なのです。17時に終業時間を迎えるとしたら、毎日16時30分にはAさん、16時40分にはBさん──といった具合に、1on1での振り返り時間を設けるようにします。短い時間で構いません。1日の振り返りをしながら、メンバーが話しやすいクローズドの時間を設けるのです。

この1日の振り返りの場で話してもらいたい3つのトピックがあります。1つ目は、今日1日「何があったか」という事実を客観的に振り返ることです。時系列でもいいのでざっと話してもらう。2つ目は、その出来事に対して「どう思ったか」、感情や感想を主観的に振り返ります。そして3つ目が、そこから「何を学んだか」あるいは「何に気づいたか」という改善ポイントを話し合います。さらに「それを明日の仕事にどう活かすか」というところまで話が進めばベストですね。それぞれのトピックに対して1〜2分、合計5分間くらいを目安におしゃべりをします。これくらいなら、毎日でもできるのではないでしょうか。

長尾彰氏

──部下を育てていくということに対しても、各部署のリーダーがこれまで以上に意識的になるべきなのですね。

長尾 そう思います。リモートワークであればこそ、それぞれの社員の自立と自律が必要になります。これまで以上に、自立/自律した働き手を育むことが、リーダーの重要な役割にもなってくるのです。だからリモートワークでこそ、こまめなコンタクトを取る時間を意識的に設けて、メンバーをサポートしていくことが非常に大切なんだと思います。

TEXT:杉浦美恵、PHOTO(メインビジュアル):You Ishii ※2019年撮影

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今日からあなたもリーダーだ! 「権威で牽引」せず「共感で動く」組織をつくる

長尾 彰(ながお・あきら)

株式会社ナガオ考務店代表。組織開発ファシリテーター。様々な組織・集団がグループからチームに進化・成長するための促進を始め、事業・商品開発やサービスデザインの支援など、目的に応じた多様なアプローチで組織開発を実施している。株式会社ナガオ考務店代表取締役、学校法人茂来学園理事ほか、複数の法人の経営にも携わる。

在宅ワーク×育児、どう乗り切る? 両立のカギは 「知恵の共有」

新型コロナウイルスの感染拡大防止を受けて、リモートワーク導入・拡大や保育園や幼稚園、小中学校の休業に伴い、在宅ワークと育児の両立を迫られている人が急増している。普段とは違う状況下で、思うように働けない日々が続く中、当事者である社員と所属組織両方に、新たなマインドセットや工夫が求められる。以前、Mugendaiで「育児休業は企業研修にも通じる」と語ったワークショップファシリテーターの臼井隆志氏に、withコロナおよびポストコロナ時代における、子育て家庭のライフスタイル確立のヒントを聞いた。

ワークショップ・ファシリテーター/株式会社MimicryDesignディレクター 臼井隆志氏

ビデオ通話にてインタビューを実施

ソーシャルディスタンスが「想像力のディスタンス」を生む

――臼井さんご自身は、コロナウイルスの流行や緊急事態宣言の以前/以後で、働き方にどんな変化がありましたでしょうか。

臼井 3月下旬から完全に在宅ワークに切り替えて、仕事はすべてオンライン化し、ミーティングが増えました。僕は、ワークショップを開催したり、組織開発やビジョンミッションをつくる研修のお手伝いなどをしていますが、最近は、リモート化に伴い「メンバー間の関係性の質が悪くなってしまった」「メンバーのモチベーションをどう引き出すか」「オンライン上で生産的な会議をするにはどうすればいいか」といった話題が多いです。そこで、オンライン・ファシリテーション研修の実施を提案しています。ファシリテーション、つまりミーティングの進行スキルをオンラインで習得できるという研修です。

――そんな中で、臼井さんが気付かれた在宅ワークと育児をスムーズに両立するために必要なことがあれば、教えていただけますでしょうか。

臼井 在宅ワークの大変さって、娘が僕の仕事部屋に入ってきて大泣きするとか、クライアントとの緊張感あるオンライン・ミーティング中に「パパ、クレヨンだよー」と言いながら入ってくるとか(笑)、そういう細かいノイズが増えることですよね。ノイズという言い方をすると子どもにはかわいそうですが、自分にとっての想定外のシーンは増えるので、そことどう付き合っていくかが課題だと思います。

対策として考えられるのは、上手く子どものストレスを発散させるために、仕事だけでなく子どもと遊ぶ時間も加味して自分のタイムマネジメントをすること。そして、小さなトラブルにも即興的に対応できる余白を作ることです。僕自身は、正直それらはまだまだできていないなあと思っています。

――お金を稼ぐ「タスク」と育児という「タスク」、どちらも片手間ではできず、そこで行き詰った方も多いと思われます。臼井さんは、そういった状況を打破するためには、どういった方法や思考が必要だと思われますか。

臼井 まず前提として、僕は共働きではなく、かなり仕事に集中させてもらっているので、ものすごく大きなアドバンテージがあります。ただ、共働き家庭でなくとも、1日の時間をすべて仕事に費やすのではなく、仕事、家事、子どもとの遊びのワークライフバランスをどう作っていくかという課題はあると思います。ただ、個人ではどうしようもない部分がほとんどなのではないかと考えていて。一緒に働く人に理解してもらうか、あるいはカレンダーを詰めこみすぎないことを組織の文化にするとか。そういったものって、いろんな人との合意の上で進んでいく変化だと思うんです。個人でどうにかしなくてはと思ってしまうこと自体が辛いんですよね。なので、ワークライフバランスをうまく達成するために、組織と社会が一緒になって考える必要のある課題だと思っています。

僕はこの問題は根深いと感じています。ワークライフバランスをポジティブな言葉で語れるビジネスパーソンって、そもそもごく一部なんですよね。時給や契約で働いている方は、8時間はおろか、10時間みっちり働かないと収入がまわらないことも多い。そして、リモートワークをしている僕からは、そういった方々のリアリティは見えにくくなってしまいました。ソーシャルディスタンスの時代において、想像力のディスタンスも生まれてしまったのではと懸念しています。そこで、この変換期を全員でポジティブに乗り越えていくために、知恵の共有のような仕組みが必要だと思っています。

ワークライフバランスのイメージ

Image:Getty Images

「知恵の共有」システムで、世の中全体で困難を乗り越える

――「知恵の共有」を行うにあたって、どのような方法があるのでしょうか。

臼井 僕の関心事のひとつである美術館では、これまで共通の体験を共通の場でしていました。ですが、岡崎乾二郎さんというアーティストがインターネット配信で、「これから美術館は道端にあるほこらのように社会の中に点在していって、個々人がバラバラに鑑賞していくけれど、その経験が何かしらの形でつながっていくのではないか」という旨のことをおっしゃっていて。共有の方法は違ってきますが、リモートワークもいわば点在・分散の形なので、その考え方がヒントになると僕は思うんです。感染を防ぐために、大勢が会議室に集まれない状況があと2、3年は続くとして、いかに分散した状態をポジティブなものにするか。そのために、知見を集約して横断的に共有できるようなシステムづくりが必要になってくるとは思います。

――ただ、それこそ育児のように「手」が必要な領域には、分散型システムをひもづけにくいですよね。

臼井 おっしゃる通りで、保育園や介護施設、学校などは、集合的なケアで社会を保障していた場所です。学校に関しては、ホームスクーリング(通学せず、自宅で学習すること)のケアをどうするかという課題がありますが、そのシステムづくりを考えている方々から学ぶことは多いと思います。この3ヶ月、日本中がホームスクーリング状態だったわけですよね。それを親が一切知見を持たない状態で仕事しながらケアするというのは大変です。まずは、「みんな、どう乗り切ったの?」という知恵が集まることが重要だと思いますね。

――その知恵をさらに社会や組織に落とし込んでいって、従来型のやり方を変えられれば、より在宅ワークと育児が両立しやすくなると思います。

臼井 この期間、仕事や家族のマネージメントに、世界中でいろんな人たちが取り組んだと思うので、その知識を集積できるメディアがあるといいですよね。アンケートのようなものは行政などによってとられると思いますが、マネジメントの知恵は丁寧に取材しないと見えてこないですから。また、これまでそういったことは、社会調査という形で研究機関が行っていましたが、研究は論文というアウトプットが出てくるまでに時間がかかりますし、一般の方にとっては読むのも苦労します。それをメディアがわかりやすい形で速やかに取材し、いろんなケーススタディを発信してくれれば、今後とても役立つと思います。

育児との相互作用で仕事も効率化

――最後に、臼井さんは以前「育児休業は企業研修にも通じる」とおっしゃっていました。その発想の中には、在宅ワークを働き手にとっても企業にとってもポジティブに捉えることができるヒントがあると思います。今一度、育児と仕事がどんな良い影響を与え合えると考えていらっしゃるかを、教えていただけますでしょうか。

臼井 例えば、うちの娘は1歳10ヶ月なんですが、手を洗わなきゃいけないときに、まず僕が「手を洗ってもらってもいい?」って聞くんですよね。それで娘に「いいよ」って言われたら洗わせるようにしていて。これが、時間に余裕がなくて無理に洗わせようとすると、すごく嫌がられるんですよね。

僕がやっているワークショップやファシリテーションの考え方でも、目的の合意が重要なんです。「こういうことをやろうと思うのですが、どうですか?」と問いを立て、全員で合意できると何事もスムーズに行えるんです。でも、全員の合意がないまま進めると、「なぜこれをやっているんだろう?」となりがちですよね。そうやって、意味形成を都度やっていくことがマネジメントだと思うんです。

「手を洗ってもらってもいい?」子どもに一旦確認することは、仕事でのコミュニケーションにも通じる

Image:Getty Images

臼井 子どもに一旦確認することは、仕事でのコミュニケーションにも通じますし、確認時間のための余白を作ることは、仕事でのタイムマネジメントにも通じてくる。そうやって、「育児と仕事のこの部分って似てるな」と類推して楽しめると、気持ちがすこし楽になると思います。

また、知り合いが言っていたのですが、「以前は倒れるまでが仕事の限界のバロメーターだったけれど、今は子どもに対してイライラしてきたら疲れて限界がきているんだと思うようになった」と。子どもと幸せに過ごすことを目的とすると、手段としての仕事の効率化に積極的に取り組めるようになるんですよね。そうやって、育児との相互作用で、仕事も良いものにしていくことは可能だと思いますよ。

TEXT:高橋美穂、PHOTO(メインビジュアル):中村宗徳 ※2018年撮影

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臼井隆志(うすい・たかし)

ワークショップ・ファシリテーター/株式会社MimicryDesignディレクター
1987年東京都生まれ。ワークショップデザインの手法を用い、乳幼児から中高生、ビジネスパーソンを対象とした創造性教育の場に携わっている。児童館をアーティストの「工房」として活用するプログラム「アーティスト・イン・児童館」(2008~2015)、伊勢丹新宿店の親子教室「ここちの森」(2016~2018)の企画・運営を担当。著書に『意外と知らない赤ちゃんのきもち』(スマート新書)がある。

アフター・コロナ時代の新しい働き方――IBM Cloudがもたらすリモート開発のニュー・ノーマル

新型コロナウイルスの感染拡大により、世界中の企業が社員の外出自粛や事業の縮小を余儀なくされました。IT開発プロジェクトも、これまでセキュリティーの観点からオンサイトで行われてきたため、多くの企業はプロジェクトを中断し、顧客サービスの向上と事業成長の機会を失いました。
IBMがクラウド上で提供する「DevSecOps from Home」のソリューションは、セキュリティーの課題を解決し、社員が自宅や遠隔地から開発を行える仕組みです。パンデミックや災害時に業務を中断せずに行えるだけではなく、障がい者の雇用や介護・養育で在宅勤務を行う多くの人々にとっても、アフター・コロナ時代の新しい働き方改革が実現できます。

企業の生産性を高めるリモート開発

「DevSecOps from Home」を開発したチームの一人で、金融業のお客様にサービスを提供する日本IBMの藤田一郎エグゼクティブ・アーキテクトは語ります。
「新型コロナに対する政府の緊急事態宣言後は、お客様内で進行していた多くのプロジェクトも休止状態になりました。そこで直ちにお客様と協議の上、リモート開発環境の構築とその実現のための体制、運用方法などを確立し、IBM Cloudを利用したリモート開発ソリューションDevSecOps from Homeにより短期間で仮想開発環境をご提供しました。
このことで、お客様だけでなく、ビジネス・パートナーの方々、IBM社員などプロジェクトに関係する多くの人々が、通勤をせず自宅や遠隔地からの業務を継続することが可能となりました。開発を継続できたことのみならず、皆さんをコロナウイルスの脅威から守ることができ、本当にほっとしています」

DevSecOps from Homeは、外部との通信を遮断した仮想プライベート・ネットワーク環境を構築し、全ての開発は、DaaS(Desktop as a Service)と呼ばれる仮想デスクトップ上で行われます。安全管理面からも、データ等をローカルPCに保存することや印刷することもできないため、高いセキュリティーを実現できます。
企業は、今後ウイルス対策のみならず、災害や社会情勢などによる事業継続のリスクを考慮したBCP(Business Continuity Plan:事業継続計画)の策定にリモート開発の環境をスタンダードとして導入していくことが期待されます。
また、リモート開発は、IT人材不足解消のメリットもあります。オンサイトでの開発は、大都市圏で行われることが多く、その通勤圏の人材が対象となります。リモート開発が可能になれば、日本中のみならず世界からも広く優秀な人材を確保でき、企業の生産性そのものを高めることが可能です。

社会を変革する新しい働き方

アフター・コロナの時代には自宅で独り黙々と開発作業をするのではなく、さまざまなコミュニケーション・ツールを活用したリモート開発が盛んになります。そのための多機能なチャットツール、プロジェクトの進捗状況を可視化し全員で共有できる管理ツール、オンライン会議システムなどが充実してきています。これを上手に活用しコミュニケーション、コラボレーションしていくことで、さらに生産性を上げていくことができます。

リモート開発は、介護や養育などの理由でフルタイムやオンサイトでの勤務が困難な人材の活用も可能となり、通勤や長時間勤務が難しい障害のある方々へも多くの就労の機会を提供することが可能です。
混雑する電車で通勤をする必要がなくなり、日本中どこにでも住居を移すことができますので、自分専用の広いワークスペースも夢ではなくなりました。新たに生まれた時間を大切な人や趣味、さらには次なる挑戦の時間に当てることで、私たちの生活にこれまでになかった豊かさも与えてくれるでしょう。

Photo:PIXTA

誰も取りこぼさない社会をつくる――傍らにいて、一緒に食べるだけでみんなが幸せになる「こども食堂」

新型コロナの影響で、経済も社会も生活も大きく変化している。
子どもを中心に置いた多世代交流の地域づくりの場である「こども食堂」は、全国約4000カ所のうち約半数が休止したが、残る半数はフードパントリー(食材や弁当を手渡しする拠点)に切り替えたり、ドライブスルー方式にしたりして、粘り強く活動した。
そのこども食堂に食材提供や資金面で支援しているのが、「NPO法人全国こども食堂支援センター・むすびえ」である。
理事長を務める湯浅誠氏(東京大学人間支援工学分野特任教授)は、コロナ禍に伴う「在宅リスク」に警鐘を鳴らしてきた。親子ともストレスが募り、そこに生活困窮が加わるとDV(家庭内暴力)や虐待につながりやすい。こども食堂は、そうした家庭のライフラインにもなってきた。
こども食堂の運営者は、子どもの貧困問題にも深い関心を寄せている。生活危機に陥った子どもや家庭を支えることで、こども食堂は子どもの貧困対策という点においても存在感を示した。
「むすびえ」は、2025年までにこども食堂を2万カ所に増やす計画を進めている。全国の小学校区に1つの割合だ。コロナ禍に立ち向かうこども食堂や子どもたちの現状について、湯浅理事長に伺った。

(この取材は、新型コロナウイルスの感染拡大に伴う緊急事態宣言発令中、Web会議システムを介して行いました。)

公衆衛生のサイクルが経済や生活の危機とリンクする

――新型コロナは、非正規労働者や中小事業者、フリーランスなどの生活困窮を生み出しています。今の社会状況をどのように見ておられますか。

湯浅 コロナは世界的な危機を招いており、感染拡大を抑え込むためにほとんどの国が「ステイ・ホーム」を強化するという公衆衛生サイクルを強力に回してきました。このサイクルを回せば回すほど経済危機サイクルが回り、その先にある生活危機サイクルも回ってしまうのが今回の特徴です。
生活困窮に陥った家庭では、場合によってはDVや鬱(うつ)や虐待が起きて社会不安を増大させます。緊急事態宣言が解除されても、油断するといつ第2波が発生するか分からない状況であり、いつになったら以前のような生活環境に戻れるのか分かりません。つまり、私たちは公衆衛生、経済、生活という3つのシステムの危機が当分リンクするという、大変厄介な状況の中にいます。
とりあえず今できることは2点あります。1点目は、公衆衛生サイクルを回しても、経済や生活のシステムに直結しないよう、両方の間に線引きし、時間差を生じさせることです。政府の緊急経済対策にある一律10万円給付や持続化給付によって、破綻を少しでも先延ばしすることがそれです。
もう1点は、コロナが完全に終息する時に備えて、経済や生活システムを逆回転で回してV字回復できるよう準備をしておくことです。
私たちは生活システムを守る立場から、こども食堂やこども食堂が行う食材配布活動を支援しています。こういう取り組みは、政府の10万円支給とはまた違った意味で、人が人に寄り添うことを通じて経済的厳しさがDVや鬱や自殺に直結するのを防ぐ役割を持っています。人々が生活困窮に陥って事件化しないよう、何とか歯止めをかけたいと思っています。

子どもの貧困は表面的には極めて見えにくい

出典:むすびえ

子どもの貧困は表面的には極めて見えにくい

――日本では子ども7人に1人が貧困です。GDP世界第3位の国でなぜそうなるのでしょう。表面的には見えにくい貧困の現状や背景についてお聞かせください。

湯浅 貧困率は、所得が国民の平均値の半分に満たない人の割合です。2012~15年にかけて一時下がりましたが、全体の傾向として貧困率は上昇しています。ただ、貧困と言ってもアフリカに見られる難民のような状態ではありません。正しくは「相対的貧困率」といって、飢えていなくても人並みの暮らしができない状態のことを指しています。
子どもの貧困率は今13.9%、ひとり親世帯に限れば50.8%です。人口換算では280万人が、他の子どもと同じような暮らし方、例えば私立学校を受験するとか、修学旅行に行くとか、大学に進学するとか、そうしたことができない状態にあります。
ただ、表面的には分かりません。他の子と同じような服装をしているし、学校給食のおかげか極端に痩せているわけでもない。子どもの貧困は極めて見えにくいのです。
貧困の要因を上流にさかのぼって行けば、やはり雇用状況の変化に原因があることは否定できません。1990年代から非正規雇用が増加し、低収入世帯が増えていることが挙げられます。
ちなみに日本全体の貧困率は15.6%です。低年金や無年金の高齢者が増えており、全体の貧困率を高めています。男女別では、女性は男性より低収入です。しかも平均寿命が長いので、夫に先立たれた高齢女性の貧困率は4割近くになります。

――コロナによる雇用への影響をどのように見ておられますか。

湯浅 米国の失業率は14.7%に跳ね上がりましたが、日本の3月の数字は2.5%で、2月から0.1ポイントしか上がっていません。今後コロナがいつ終息を迎えられるのか分かりませんが、社会がこれだけ騒いでいるわりには、今のところ日本の失業率は大きな数字になっていません。
その理由は、リーマンショック(2008年)の時に企業はかなり派遣切りを行って社会的な批判を浴びました。また採用を抑えたために社員の年齢構成がいびつになった反省から、今回は極端な解雇というやり方では対応していない可能性があります。
他方で注意が必要なのは、当時に比べて非正規率が増え、ギグワーカー(インターネット等で募集する単発の仕事で収入を得る労働者)や、飲食業など自営業者の人たちが、失業率に現れないところで深刻なダメージを受けていることです。
政府の支援策に「特例緊急小口貸付」があります。市町村の社会福祉協議会が窓口になり、1世帯あたり最大20万円を2~3日中に借りられる仕組みですが、この窓口に3月末頃から人が溢れ、相談件数が激増しています。相談員たちは、生活が苦しい人が日本中で増えていることを実感しています。

高齢者は葬式、子どもは修学旅行が孤立のきっかけになる

――湯浅先生は「貧困の大きな問題点は孤立に結びつくこと」と述べておられます。具体的にお話ししていただけますか。

湯浅 「貧困」と「貧乏」は区別する必要があります。貧乏はお金がないことですが、お金がなくても幸せに暮らしている人はいくらでもいます。本当に問題なのは、お金がないことが社交面で孤立に結びつくこと。貧困を算数的に言えば、「貧困=貧乏+孤立」となります。
例えば高齢者でよくある孤立のきっかけは、お葬式。年を取ると、友人やお世話になった方、田舎の親せきなどの葬式が増えますが、顔を出すには香典や旅費がかかり、低年金や無年金の人には大きな負担になります。周りが香典を3万円出す時に、自分だけ3千円というわけにはいかない。葬式に行かなくなると、親せきや周りの人に顔を合わせにくくなります。それがきっかけで近所との付き合いがなくなり、認知症を発症しても介護サービスの網から漏れたり、だんだん物が片付けられなくなって、ゴミ屋敷になったりします。葬式に行かないことで黄信号がともり、坂道を転がり落ちて行くのです。

高齢者は葬式、子どもは修学旅行が孤立のきっかけになる

出典:Shutterstock

――身につまされますね。子どもの場合はいかがでしょうか。

湯浅 子どもの黄信号は、例えば修学旅行に行けないことです。旅行の事前学習での計画づくりや、事後の思い出話でみんなが盛り上がる時、仲間に参加できません。その数カ月間、修学旅行に行けない子どもはクラスの蚊帳の外に置かれます。そこから独り孤立する「ぼっち」が生まれ、いじめのターゲットになったりします。何かの拍子に事件になると赤信号で、大騒ぎになります。
元をたどると、たかだか葬式に行けないだけ、修学旅行に行けないだけ。されど・・・、本人にとっては疎外感による大きな心の傷を負うことになるのです。

在宅リスクに生活困窮が加わると複合的ハイリスク

――コロナ禍によって子どもの孤立がさらに深刻になる心配はないのでしょうか。

湯浅 不安や困窮の度合いが深い人がたくさんいます。黄信号が赤信号になりやすく、青信号と黄信号の境目だった家庭が黄信号になりやすいという状況です。
テレワークが急速に普及していますが、生活システムの中で「在宅リスク」が新たに高まっています。もちろん、毎日家族と一緒で楽しいという人もいますが、それがストレスになる人もいます。
子どもが走り回って仕事にならない、子どもも友達と遊べない。母親もゲームばかりしている子どもにストレスがたまる。これが深刻化すると、手を上げたり暴言を吐いたりして、虐待やDVになります。
在宅リスクに生活困窮が加わると、深刻な複合的ハイリスクになります。これは世界中で起きており、日本だけ例外と考えることはできません。これまでは悲惨な事件が起きて初めてみんなの関心が向けられるのですが、事件が起きないように前もって手を打つことが大切です。

東京大学人間支援工学分野 特任教授、社会活動家 湯浅誠氏

バッファーのない生活をしている弱者ほど打撃を受ける

――お話を伺っていると、コロナでは社会的弱者が最も打撃を受けているという気がします。

湯浅 コロナは医学的には金持ちも貧乏人も等しく罹患するリスクがありますが、社会的には弱者に襲いかかります。バッファーやゆとりのない人ほど深刻な打撃を受けています。東日本大震災の際は、障がい者の死亡率は一般の人の2倍でした。地震発生の直後だけでなく、後日、暮らしへの影響などが複合的に絡んでくるからです。阪神淡路大震災やリーマンショックの時も同じでした。
政府の緊急対策は、財政状況を考えれば大盤振る舞いはできないので、必要なところに絞り込むことが大切です。第2次補正予算では、コロナの影響が深刻な業種や地域、社会的弱者を重点的に支援することが問われます。
「アフターコロナ」とか「ニューノーマル」とか言われていますが、コロナは世の中に不可逆的変化を起こすと思います。ベクトルからすると、2方向あるのではないでしょうか。1つは生活圏の拡大、もう1つは、生活圏の縮小です。
生活圏拡大では、ICTが仕事や生活の中にますます浸透していく。在宅勤務が一気に進み、Webシステム会議が普通になり、アフターコロナではICTを駆使した勤務形態や生活から後戻りしない環境が進むでしょう。
一方、移動しなくても暮らしができるとなると、生活圏縮小が起き、身近なところで充実感を求める気持ちが高まっていきます。フェイス・ツー・フェイスで顔を合わせることや、地域でのリアルな交流を求める力が強くなると予測しています。その欲求に応える存在として、こども食堂はますます重要になります。

バッファーのない生活をしている弱者ほど打撃を受ける

出典:むすびえ

フードパントリーに切り換えて活動を継続

――こども食堂は全国に約4000カ所ありますが、今どのような状況なのでしょうか。

湯浅 緊急事態宣言後の4月中旬の調査では、食堂をそのまま運営できているところは10%でした。しかし、46%はフードパントリー(お弁当や食材の手渡し)に切り換えていました。つまり計56%ががんばって事業を継続しており、感激しました。フードパントリーでは「3密」を避けるためにドライブスルー方式で実施しているところも多くありました。
こども食堂の過半数は、地域の女性たちがボランティアの仲間を募ってやっています。他にNPO法人とか宗教団体、社会福祉法人など、運営主体は多様化しています。
ありがたいことに緊急事態宣言が発出されて以来、こども食堂へのみなさんの関心が高まりました。全国のこども食堂に食材や物資を配っていますが、「新型コロナウイルス対策緊急プロジェクト」では、マスクを何万枚も寄付してくださった企業や、食材をトン単位で提供してくださった企業があります。コメ、野菜、果物、飲料、菓子、缶詰、アルコール製剤等もいただきました。寄付金も多くの団体や個人から寄せられています。
こども食堂は、東日本大震災の翌2012年に東京で初めて誕生し、2010年代を通じて広がっていきました。私たちはコロナを機に、2020年代に子ども食堂を全国に定着させ、25年までに今の5倍の2万カ所、つまり全小学校区にこども食堂があるという状態の実現を目指しています。

フードパントリーに切り換えて活動を継続

出典:むすびえ

こども食堂を多世代で交流できる場にしたい

――こども食堂の役割は、子どもの貧困対策だけでなく「地域の多世代交流の拠点」にもあると述べておられます。

湯浅 こども食堂の8割は、「どなたでもどうぞ」という形で運営されており、保護者や高齢者もいらっしゃっています。今、地域の多くの世代の人が一緒に集まれる場所はとても少なくなっています。
この国が本当に必要とするグローバル人材とは、外国語が堪能で世界で活躍する人というだけでなく、年齢・性別・職業・生活レベルなどが異なるいろいろな人と間合いがきちんと取れ、自分の常識が通用しない人や、文化や伝統や考え方が違う人とも、一緒に協働しながらリーダーシップを発揮できる資質のある人です。大人といえば自分の親しか知らない環境で育った人が、いくら何カ国語しゃべれても真のグローバル人材になれるわけはありません。
子どもが地域のいろいろな大人たちと一緒に食事をしながらおしゃべりをすることで、その考え方や行動からさまざまなことを吸収することは、とても大きな意味があります。自分の親を相対化する良い機会にもなります。だから、こども食堂を誰でもアクセスできる場所にしたいのです。
鹿児島で最初にこども食堂を開いた方は、3歳のわが子が保育園で友だちができず心配していたそうです。ところが、こども食堂で大人たちと一緒に過ごしているうちに、積極的になり社交性をしっかり身に付けたと言います。そんなエピソードは山のようにあります。

こども食堂を多世代で交流できる場にしたい

出典:むすびえ

地域のおばちゃんたちのたくましさに感服

――「むすびえ」の役割や活動をもう少し紹介していただけますか。

湯浅 「NPO法人全国こども食堂支援センター・むすびえ」を設立したのは2018年です。「こども食堂の支援を通じて、誰も取りこぼさない社会をつくる」をビジョンにしています。少子化の中、せっかく生まれてきた大切な子どもたち。誰もが伸び伸びと成長できるよう皆で応援したいと設立しました。
こども食堂はこういう大変な時こそ支援が必要ですので、全国から集めた食材や物資を、ハブになってくれる延べ681カ所(5月11日現在)のこども食堂を通じて、さらにその先のこども食堂へ、そして子どもたちへと配布しています。
4月からは助成金制度も創設しました。こども食堂への助成金で地域の飲食店からお弁当を定価で買い、それをフードパントリーで困窮する家庭や子どもに配ります。お客が来なくて困っている飲食店を支え、子どもも支える仕組みです(6月15日現在140団体総額5000万円を助成)。また、こども食堂の運営者たちが「食品衛生管理責任者」の資格を取るための助成も行っています。
運営者の多くは地域の女性たち、特に「おばちゃん」たちです。冷蔵庫にある物だけで何とか食事を作るような柔軟さ、臨機応変さが特徴で、そのたくましさには感服します。子どもたちの家庭がよく見えているので、感染リスクがあっても「あの子はどうしているのかしら」と、何かしないではいられない人たちです。顔を合わせられないならLINEで話す、文通する、電話をする。「今できること」に柔軟に取り組むのは、こども食堂のおばちゃんたちの本領発揮です。
近隣の住民から「コロナで外出自粛の折に集まって何しているのか」と苦情が出ることもありましたが、こども食堂の人たちは迷いながらも一生懸命に子どもを支えてきました。私たちは、がんばっている人たちの孤立を防ごうと、オンライン飲み会や交流会を開いて励まし合っています。

東京大学人間支援工学分野 特任教授、社会活動家 湯浅誠氏

初めは迷わず声をかけてみよう

――「何かこども食堂のお手伝いができないか」と言う人が増えています。どうすればどのような支援ができるのか、初心者への手ほどきをお願いします。

湯浅 「何かしたいが、何をすればいいのか分からない」という気持ちは、街角で白杖をつく人が、どちらの方向に進むのか躊躇しているのを見かけたとき、どう声をかけたらいいのか迷うのと同じです。そんな時は「何かお手伝いしましょうか」と率直に聞けばよいのです。最初は勇気がいるかもしれませんが、簡単です。
こども食堂に1000円寄付してもいいし、フードパントリーで食材の詰め合わせを手伝ってもいい。食事をする子どもたちの傍らで一緒に食事しながら話をするだけでもいい。やり方はフェイスブックで質問してもいいし、電話をかけてもいい。運営にあたる人も利用する人も、最初はみんなそうだったのです。
なお、私たちは5月22日からクラウドファンディングもスタートしました。それを応援してくださるのも、もちろん大歓迎です。
https://readyfor.jp/projects/kodomoshokudo-fund/announcements

TEXT:木代泰之、写真提供:湯浅誠(その他の提供元は各写真に記載)

湯浅 誠(ゆあさ・まこと)

東京大学人間支援工学分野 特任教授、社会活動家
1969年東京都生まれ。日本の貧困問題に携わる。1990年代よりホームレス支援等に従事し、2008年暮れの日比谷公園での「年越し派遣村」村長や、その後の自立生活サポートセンターもやい事務局長として知られる。2009年から足掛け3年間内閣府参与に就任。2014~19年法政大学教授を経て、現在、東京大学先端科学技術研究センター特任教授の他、NPO法人全国こども食堂支援センター・むすびえ理事長など。著書に『子どもが増えた!人口増・税収増の自治体経営』(泉房穂氏との共著、光文社新書)、『「なんとかする」子どもの貧困』(角川新書)、『反貧困』(岩波新書、第8回大佛次郎論壇賞、第14回平和・協同ジャーナリスト基金賞受賞)など多数。
法政大学の教育実践で「学生が選ぶベストティーチャー」を2年連続で受賞した。「こども食堂安心・安全プロジェクト」でCampfireAward2018受賞。IBM「富士会議」メンバー。

コロナ禍を機にデジタル化は10倍速、100倍速で進む――日本にとってはイノベーションのビッグチャンス

コロナ禍に背中を押されるように、デジタル化が一気に進んでいる。デジタル化で世界に後れを取ってきた日本だが、OECD(経済協力開発機構)東京センター所長の村上由美子氏は、「今、面白いアイデアやビジネスチャンスが、それこそ土筆(つくし)のように頭を出してきている」と期待を寄せる。
だが日本は世界で最初に少子高齢社会に突入しており、労働生産性は先進7カ国中最下位。これらの課題をいかに克服し、新たなビジネスチャンスを生かすかが経済復興への大きな課題だ。
村上氏は著書『武器としての人口減社会』の中で、「日本は少子高齢社会による労働力不足の中で、デジタル化を迎えている。他国にはないアドバンテージになる」とし、人口減少のプラス面に着目する。
村上氏は3人の子育てをしながら国連や外国金融機関で活躍し、2013年に民間企業出身者として初のOECD東京センター所長に就任した。今気になるのは、日本女性の就業率が高まっているにもかかわらず昇進の事例が少なく、男女の賃金格差があまり是正されていないことだという。
未曽有のコロナ危機の中、転機を迎えている日本。今何をすべきか村上氏に伺った。

(この取材は、新型コロナウイルスの感染拡大に伴う緊急事態宣言解除直後、Web会議システムを介して行いました。)

 

勝ち負けがはっきりする変化が起きる

――コロナ禍が世界経済に大変な打撃を与えています。その一方で、社会のデジタル化が一気に進もうとしています。これを機に世界はどのように変わっていくと見ていらっしゃいますか。

村上 コロナ禍の影響は長く続くでしょう。現段階で言えることは、以前から世界で進んでいたデジタル化のスピードが、一気に10倍速、100倍速になったということです。これから1~3年間、コロナ危機への対応を考える上で大切なことは、猛スピードのデジタル化をいかに労働生産性の向上につなげていくかです。国、産業、企業、個人という各レベルで、自然淘汰というか、勝ち組、負け組がはっきりする変化が起きるでしょう。
デジタル化のうねりの中では、いろいろなビジネスチャンスが生まれて来ます。それをどのように自分のアドバンテージにし、新しい芽をいち早く見つけて事業化し拡張するか。そこに勝機を見出すことができます。デジタル化は社会システムの変革も促すので、デジタル化だけにとどまらない幅広いビジネスチャンスが生まれ、イノベーションを可能にしてくれます。
今の変化のスピードは、これまで受け入れていたスピードとはまるで違います。その変化に乗っていけない企業や個人は厳しい状況になります。腹をくくり、覚悟を決めて取り組むしかありません。

OECD東京センター所長 村上由美子氏

ビデオ通話にてインタビューを実施

1+1を3や5にするマインドを持って切磋琢磨する

――日本の労働生産性はOECD加盟国中22位、先進7カ国中最下位です。どうすれば生産性を高められるのでしょうか。

村上 2019年4月から「働き方改革関連法」が施行されましたが、日本では労働時間の短縮ばかりにフォーカスが当たり、主な論点になっていました。確かに日本は通勤時間も労働時間も長いのですが、これを短くしても、働き方の効率が上がらなければ、会社の利益は増えず、給料も上がりません。時短ばかりにこだわるのは方向性が違うと思っていました。労働生産性を高めるために必要なのは、いかに付加価値を付けるかであり、労働時間の長い短いは関係ありません。
付加価値は、今までと同じようなやり方や、同じ商品・サービスのままでは今日も明日も変わりません。今まで出来なかったことが出来るようになったり、新しい商品・サービスを提供したりすることが必要です。これまで誰もが思い込んでいた常識や固定観念に縛られず、1+1を3とか5にするようなマインドを持ち、切磋琢磨することが不可欠です。そういう環境を企業が人事システムとして作る、あるいはマクロ的に日本全体で作る。またバックグラウンドが異なる人たちが接触すれば、化学反応的に、今まで思いつかなかったアイデアが生まれるかもしれません。
今はやりのリモートワークは通勤時間を短くし、効率的に時間を使えるようにしてくれますが、仕事の付加価値が増すわけではありません。リモートワークだけで生産性が上がるという議論は、浅いと思います。

イノベーションの基本的条件がそろっている日本

――昨今の日本は画期的なイノベーションがなかなか生まれません。その理由はどこにあるのか、どうすればイノベーションが可能になるのでしょうか。

村上 各国のイノベーションを促進するための環境を調べたOECDの報告によると、日本はイノベーションに必要な基本的条件、例えばインフラ、研究開発体制、特許数、人的資源のレベルなどは世界でもトップクラスと言ってよいほどよく整っています。ただ、そうした優れた項目が線としてつながっていないために、イノベーションが起きにくいのです。しかし、それは日本が絶対的に解決できないような問題ではなく、やりようによっては可能だと思います。
例えば日本の特許の多さは世界でも最高レベルですが、特許をいくらたくさん持っていても、またノーベル賞学者が何十人いても、アイデアを事業化して価値を生まなければ、生産性は向上しません。日本のテクノロジーのレベルはとても高いので、今デジタル化の中で面白いビジネスチャンスが土筆(つくし)のように頭を出してきています。それを大きく育てるためにはスタートアップ、つまり起業家たちにフタをしないこと、そして敗者復活戦を必ず用意することです。
社会全体がこうした環境を整えていけば、これから日本は面白い局面を迎えることができます。イノベーションをなかなか実現できなかった日本ですが、コロナ対策がもたらした課題によって、背中をドンと押されていると感じています。

OECD Forum 2018 にて。 Photo:OECD/Andrew Wheeler 写真提供:村上氏

OECD Forum 2018 にて。 Photo:OECD/Andrew Wheeler

リスクを取ることにアレルギー反応が強い

――日本の「事業所廃業率」の低さ、産業の新陳代謝の少なさをかねてより指摘されていますね。

村上 OECD加盟国の多くの事業所廃業率の平均は約10%ですが、日本は長年数%で推移しており、直近では3%台まで低下しています。廃業が出ないことは失業者が出ないので良いことのように見えますが、実は市場が満杯で新規参入が難しいことも意味しています。コロナ禍がもたらした課題は多くありますが、この状況は新陳代謝を促す機会にもなりえます。
日本では、リスクを取ることにアレルギー反応がとても強い。私が学んだ米スタンフォード大学の同級生には起業した人が多くいましたが、3~4回は倒産を経験し、教訓を学んでやっと4~5回目に成功するのが普通でした。失敗を社会が寛容に受け入れています。
日本も同じように社会が受け入れていかないと、イノベーションを盛んにすることは難しいと思います。日本の教育は減点主義ですが、先ほど言いましたように、1+1の回答は2だけではないと教えるような複眼的アプローチが必要です。英語で言えば、Agree to disagree。価値観や意見は違うけれども、「そういう考え方ややり方もあるんだね」と、認め合うマインドを子どもの頃から教えることが大切です。

真のダイバーシティは属性ではなく思想や価値観にある

――イノベーションにはダイバーシティが必要だ、ともおっしゃっています。

村上 多くの日本企業がダイバーシティを掲げていますが、率直に言って、アリバイ化しているような感じがします。同質性の高い組織は、自分が見えていないことに気が付きません。1+1は2という人ばかり集まっていると、「いや3かも」とは言い出せません。
日本では国も企業も、女性や外国人の割合を何割にしようといった議論に走りがちですが、属性が男性であれ女性であれ、外国人であれ日本人であれ、その人の思想、価値観、視点に多様性があるかどうかがポイントです。アリバイ作りに足を取られてはいけません。
グローバル展開している日本企業でも、意思決定する人たちのプロフィールをみると、国籍も年齢も驚くほど同質性が高い。これは世界でも珍しく、それゆえに失っているビジネスチャンスは多いと思います。ここにメスを入れれば、日本企業はもっとグローバルビジネスですごいことができるはずです。

大阪大学でダイバーシティや仕事の未来について講演。 写真提供:村上氏

大阪大学でダイバーシティや仕事の未来について講演。 写真提供:村上氏

大阪大学でダイバーシティや仕事の未来について講演。

日本ではデジタル化が労働力不足を解消する

――ご著書『武器としての人口減社会』の中で、「少子高齢化とデジタル化を同時に迎える日本は有利」と述べておられます。この点について説明していただけますか。

村上 人口減少はとかく「日本沈没」みたいな悲観論に陥りがちです。負の遺産であることは否定しませんが、逆に人口減の社会だからプラスになることもあります。
先進国は若者の失業率が高止まりしていますが、日本は低失業率で、むしろ労働力不足が問題になっています。どの国にも「IT化や自動化によって仕事が奪われる」と反対する人々がいますが、日本では逆に「IT化が労働力不足を解消する」と期待されています。こんなアドバンテージのある国は他にありません。
日本は人口減の課題先進国でもあります。人口減は、世界の国々が10~30年後に100%経験することです。つまり日本は、この世界的大問題を欧州や韓国、中国などより一足早く経験しています。人口減社会にふさわしい新システムやサービスを創出すれば、その応用先は世界中にあり、おいしいビジネスになります。
私の母は25年前に島根県でドラッグストアを起業しました。母は父親を介護した経験から「これからは大人用のオムツが絶対に売れる」と気が付き、店の中に介護コーナーを設けて、大ヒットしました。いま大人用のオムツの生産は赤ちゃん用オムツを上回るまでに成長しています。こうしたビジネスチャンスへの気付きがマクロ的に広がれば、日本はピンチをチャンスに変えることができます。
OECDの「成人力調査」は、世界の大人(16~64歳)の読解力と数的思考力を調べていますが、日本は両項目とも圧倒的に世界1位。日本人は一人一人の粒がそろっているので、デジタル化に対応するリスキリング(再教育)がやりやすく、経済を底上げしやすい環境にあります。これを生かさない手はありません。

ASEAN Business and Investment Summit 2017 写真提供:村上氏

ASEAN Business and Investment Summit 2017

女性の就業率は高まったが、報酬は低レベルのまま

――日本では女性の社会進出の遅れが指摘されています。グローバルな視点からは、どのように見られているのでしょうか。

村上 日本女性の就業率はこの数年で向上しました。安倍首相が7年前に「女性の活躍推進」を成長戦略の1つに掲げてから、多くの女性が働くようになりました。しかし、男女間の賃金格差はあまり是正されておらず、女性の報酬は低レベルのままです。OECDの調査では格差は約25%あり、韓国と並んで加盟国中の最下位です。
その理由の1つは、女性が企業などの管理職や意思決定を行うポジションに就いていないことです。政治の分野では女性の国会議員比率は10%という恥ずかしいレベルです。非正規労働が多いという問題もあります。
日本企業のトップの方は「女性に活躍してほしいのだけれど、人材がいない」とよくおっしゃいます。実際に役員候補になる女性がいないのでしょうが、候補者を育てて来なかったのは誰なのかと思います。男性と女性が同じ条件で昇進できるような環境をしっかり構築してきたかどうかが問われているのです。
10人のうち1人だけが女性という構成では、クリティカルマス(普及が急速に進むための分岐点)に達することができません。やはり少なくとも3人、4人が必要です。下から上まで全てのレベルでクリティカルマスを考えていくことが重要です。先ほどご紹介したOECDの「成人力調査」では、日本女性は本当にレベルが高い。活用しないのはまさに「宝の持ち腐れ」です。

OECD東京センター所長 村上由美子氏

米国ではヘルパーやナニーの雇用が当たり前

――日本の多くの女性が家事分担や介護の大変さを抱えているために、管理職への昇進を打診されても「私はいいです」と身を引いてしまうという話もよく聞きます。

村上 OECDのデータでは、日本女性の無償労働の割合は男性より圧倒的に多いですね。つまり女性の家事分担の割合がとても高いので、やむなく昇進を諦めるのです。私がもし日本のそういう環境にいたら、同じ思考になっていたかもしれません。
私は3人の子どもがいますが、米国で働いていた時はヘルパーさんや住み込みのナニーさん(母親に代わって子育てをする資格を持つプロフェッショナルな女性)を雇い、家事や育児を任せることで、仕事に打ち込むことができました。私がいたゴールドマン・サックスには、直属の上司をはじめ、私と同じような環境の女性たちが結構いました。そういう人たちを見ながら、それが当たり前だと思って働いていたのです。ですから、ロールモデルの存在はとても大切です。
日本に帰って来たら、ナニーという職業がそもそもなく、ヘルパーさんに家事を任せることも一般的ではないことを知り、日本の働く女性たちの大変さにあらためて気付きました。ただ、日本もこの数年で随分変わってきました。ナニーさんも徐々に普及し始めており、社会の意識変化が起きていると感じます。

――多忙な中で、お子さんたちとの時間はどのように工夫されていますか。

村上 講演をすると、「そういうやり方では、将来的にお子さんがグレたりしませんか?」とよく質問されます。これは個人の価値観の問題です。「みそ汁は絶対母親が作らなければいけない」という価値観をお持ちの方はそうするのがいいと思います。ただ私の価値観は「人生は1回しかなく、1日24時間しかない」ということです。ですから、帰宅後の家族と過ごすとても貴重な時間を、私があまり得意ではない料理や洗濯、掃除に追われて消耗するより、その分野が得意なプロにお任せする。そして、子どもたちと今日の出来事を話し合ったり、寝る前に一緒に本を読んだりする時間に当てています。
授業参観に行けないこともありますが、がんばる母親の姿を見ることが子どもには大切だと思います。

OECD Forum 2018 Photo:OECD/Andrew Wheeler 写真提供:村上氏

OECD Forum 2018にて。 Photo:OECD/Andrew Wheeler

ウイメンズ・ネットワークを結成してクリティカルマスを作る

――働く女性たちが企業を超えてネットワークを持つ大切さを強調されています。アドバイスをお願いします。

村上 仕事と家庭を両立させて働く女性にとって、身近にロールモデルが少ないのは悲しいかな日本の現実です。女性が10人のうち1人だけという状況はとてもきつい。自分のチームや会社の外で、同じ悩みを抱える人たちとウィメンズ・ネットワークを結成し、仲間を増やしてクリティカルマスを作るのは良いことです。
ゴールドマン・サックス時代に、私は会社の外にウィメンズ・ネットワークを広げていきました。何しろ絶対数が少ないので、チーム、会社、産業、国の枠を超えてつながらないと、クリティカルマスは達成できません。
OECDにもウィメンズ・ネットワークがあります。リモートワークの今は、パリ本部にいても東京にいても距離はみな同じ。デジタルで世界がつながる環境を生かしたらいいいと思います。
例えば、子育てで苦労している世界の働く母親たちがリモートでつながるのも一案です。プラットフォームとして共有すれば、「休校中の子どもがゲーム漬けになって困る。いい知恵はないかしら」など、悩み相談室にもなるでしょう。

自分のキャリアを自分で築くために会社に能動的に働きかける

――自分のキャリアは会社任せにせず、もっとオーナーシップを考えよう、と述べておられます。終身雇用が急速に変化する今、ビジネスパーソンが持つべき心構えをお聞かせください。

村上 日本企業では人事部が社員のレールを敷くのが普通でしたが、メンバーシップ型雇用からジョブ型への移行が加速しています。自分のキャリアは会社任せにせずに自分で築いていくというマインドを持った人が、最終的に納得できるキャリアを築けると思います。
今は人事部のレールに乗る人の方が多いと思いますが、どこかの段階で「あっ、しまった!」と思うのではないでしょうか。自分のキャリアを作るために、会社に対して「こういうトレーニングを提供してください」「バッターチャンスを与えてほしい」と能動的に働きかける。会社もそういう社員をサポートし、同じ方向を向くことでダイナミズムが生まれます。
あるいは自ら終業後に目指す分野の学校に行ったり、ネット受講して次のステップへのスキルを身に付ける。そうすれば、自分の目指す新しい環境にステップアップするチャンスも生まれます。いずれにせよ、自分のキャリアは人事部の敷いたレールに漫然と乗っているのではなく、自分自身の意志で築く。コロナの体験で、皆さんこのことにあらためて「自分事」として気付かれたのではないでしょうか。

TEXT:木代泰之、写真提供:村上由美子

村上由美子(むらかみ・ゆみこ)

OECD東京センター所長
上智大学外国語学部卒、スタンフォード大学院修士課程(MA)、ハーバード大学院経営修士課程(MBA)修了。その後約20年にわたり主にニューヨークで投資銀行業務に就く。ゴールドマン・サックス及びクレディ・スイスのマネージング・ディレクターを経て、2013年にOECD東京センター所長に就任。OECDの日本およびアジア地域における活動の管理、責任者。政府、民間企業、研究機関およびメディアなどに対しOECDの調査や研究、および経済政策提言を行う。ビジネススクール入学前は国連開発計画や国連平和維持軍での職務経験も持つ。ハーバード・ビジネススクールの日本アドバイザリーボードメンバーを務めるほか、外務省、内閣府、経済産業省はじめ、政府の委員会で委員を歴任している。著書に『武器としての人口減社会』がある。

人間と向き合い続けて40年。義肢装具士・臼井二美男が創造するダイバーシティ

ダイバーシティの実現が叫ばれて久しい日本。そこで求められているのは、誰もが自分らしく生きることのできる社会の実現だ。義肢装具士として40年近く、子どもから大人まで、多くの人の義足を作り続けてきた臼井二美男氏は「義足は人に自信を与える」と語る。義足の製作を通して、障がいのある人々の人生に寄り添ってきた臼井氏に、社会において義肢装具が果たす役割と可能性について聞いた。

義肢と装具、それぞれの違いと製作過程

――まず、義肢装具士とはどのような仕事なのでしょうか。

臼井 世の中には、先天的に手足が欠損していたり、病気や事故で手足を切断された方がいます。義肢とは、そうした障がいのある人々が生活するうえで手足の代わりとなる義手や義足のことです。装具は、手足の麻痺や怪我による機能障がいを軽減、補助するために作られた道具のことを指します。義肢装具士とは、そうした義肢や装具を作る職人で、厚生労働省が認定している国家資格です。

――義肢や装具はどのような流れで製作していくものなのでしょうか。

臼井 義肢装具の製作は医療行為の一種です。どんな義肢や装具を作るかを医師と相談しながら、個別の症例に合わせて作っていきます。そのため義肢装具士には医療の知識が必要で、病院への出張も日常的に行っています。薬と同じように、患者さんご自身と面談したうえで、この患者さんにはこういう装具がいいだろう、こういう義手が必要だろうという処方を医師が行い、義肢装具士がそれを工場に持ち帰って製作するという流れです。

装具の製作はわりとピッチが速くて、まず病院で型を取ったら、次の週には実物を患者さんに納めます。怪我や麻痺の場合、最初が肝心で、早めに装具を作らないと障がいがどんどん進行してしまうおそれがあります。だから、患者さんのためにも、できるだけ早く製作することが重要なのです。

一方で、義肢の製作にはもう少し時間がかかります。たとえば、事故で足を切断されたばかりの方でしたら、切断した断端部のケアを理学療法士が行い、それがある程度安定してきたら義足を作り始めるのです。まず作るのはリハビリテーションのための訓練用義肢で、リハビリテーションを終えて日常の生活に戻るときには、また新しく生活用の義肢を作ります。最近は3Dプリンターで作る研究も成されていますが、義肢に関しては、まだまだ手作業で型をとるほうが、精度も高いし時間もかからない。そういう意味で職人の技や腕が問われる世界だと思いますね。

義肢装具士 臼井二美男氏

ビデオ通話にてインタビューを実施

――臼井さんはいつ頃から義肢装具士の仕事を始められたのでしょうか。

臼井 私は28歳のときにこの世界に入り、以来40年近く、主に義足を作ってきました。400名を超える方々を担当していますが、義足は平均5年くらいで新しいものを作るので、積算するとかなりの数の義足を作ってきたことになりますね。

1980年代、私が見習いとして職場に入った頃というのは、義手や義足がモジュラー化され始めた時代でした。かつてはすべての部品が一から手作りされていたのですが、私が習い始めた頃にはすでに、ひざ関節や足首などの関節部はドイツやアメリカ製の部品を使っていましたね。カーボンファイバーやチタニウム合金といった新素材が登場したのもこの頃です。これによって重かった義肢が、軽くて強いものへと変わったのです。

――義肢というとオーダーメイドの手作り品といったイメージがあったのですが、各部のパーツは大量生産品を使っているのですね。

臼井 そうですね。ただし、その種類は膨大で、たとえば膝の継手だけでも200種類くらいはあります。医師や患者さんと話して、その患者さんがどんな生活を送るのか、仕事はデスクワークか肉体労働か、スポーツはやっているかなど、患者さんの状況に合わせて最適のパーツを決めていきます。

コミュニケーションを通じて作り上げる理想の義足

――臼井さんが義肢装具士の仕事において、最も大切にされていることは何でしょうか。

臼井 患者さんとのコミュニケーションですね。義足を作りたいという方がいたら、まず最初に問診のような形でコミュニケーションをとっていきます。その際に、家庭環境とか、仕事の内容とか、これからやってみたいこととか、その人の情報を聞いたうえで、どういう義足を作っていくかを決めていくのです。義足にとって大事な「履き心地」も、人によって違う。几帳面な性格の方だときちっとした履き心地を求めるし、ゆるやかな感じの方だと少し甘めを求めたり、個人差がかなりあります。

また、同じ人でも機嫌が良いときと悪いときによっても感覚は変わってくる。義肢装具士にはそのあたりの微妙な違いを会話のなかから感じ取る力が必要です。最終的に「適合」と呼べる状態までもっていくわけですけれど、これがなかなか難しい。たとえば、先週は「これでいい」とOKをくれた方が、一週間経つと「きつい」と言いだすこともあったりします。患者さんの言葉だけを鵜呑みにしていてもだめなのです。そうした機微も、仕事を続けるうちにだんだん読めるようになってきました。そういう点では奥が深いですね。

――本当に人間相手の仕事といった感じがしますね。

臼井 日本語の感覚が細やかというか、「きつい」「ゆるい」だけではないのです。たとえば、「むにゅむにゅする」とか「もぞもぞする」とか、わかりにくい表現をされる方もいます。とくに難しいのは子どもです。子どもの場合は語彙が少ないうえに、履き心地が悪くても我慢してしまうところもあるので、痛いのか痛くないのか、義肢装具士がしっかりと見極めなくてはいけない。さらに1、2歳くらいの子になると、客観的に見てこちらで判断するしかない。履かせてみて、見たり、触ったり、部分的に傷ができていないかを調べたりして、最適な状態を探っていきます。実際、一度で適合することはなかなかないのです。

競技用義足でのトレーニング風景

競技用義足でのトレーニング風景

――「適合」した義足とはどのようなものなのでしょうか。

臼井 生活の中でつけていることを忘れているようなものが理想ですね。義足はうまく機能していないと、ただの邪魔な異物になってしまいます。そうなると、物事に集中できなかったり、自分に自信が持てなくなってしまう。適合した義足であれば、トレーニング次第で歩くことも走ることもできるようになって、当人にとっての大きな自信につながります。

AI搭載の義肢? 技術も社会も変化した

――臼井さんは40年近く義肢装具の製作に携わっていらっしゃいますが、その間に、技術も大きく進歩したかと思います。

臼井 そうですね。義肢製作の技術は、私がこの世界に入ってからもどんどん変わってきています。新素材もそうですが、最近ではマイクロコンピューターを搭載した義肢がかなり普及しています。たとえば、膝から上を切断した方が使う大腿義足の場合、スクワットのような運動をすると、かつては膝が折れて転んでしまっていたのに、それがマイクロコンピューターによる検知でちょうどいい角度でロックがかかるようになっています。筋電義手という、頭で考えたとおりに動いてくれる義手などもあります。

とくに、ここ10年くらいは飛躍的にその精度が上がっていて、AIが個々人の特性を自動的に学んでくれたり、スマホのアプリでその日の行動によって義肢のモードを変えることもできたりします。たとえば、今日は立っていることが多いから膝が折れにくいモードにしようとか、今日はお寿司を食べに行くからシャリをつぶさない程度の力にしようとか、そういった細かな調整ができる時代になってきました。ただ、これはあくまでもアシスト機能であって、ロボットのように勝手に動いてくれるものではありません。制御するには本人の筋力や十分な操作トレーニングが必要なのです。

義足制作の様子

義足制作の様子

――技術の進歩の一方で、義肢を使う方たちを取り巻く社会や環境にも変化はあるのでしょうか。

障がい者や高齢者を取り巻く環境というのは、以前に比べて良くなっているように私は感じています。かつての日本人はシャイな部分があるのか、困っている人がいてもなかなか声をかけることができなかったように思うのですが、最近は若い人が率先して手を差し伸べる行動を取っているように感じます。私も最近、若い男性が交差点で転んだおばあさんを背負っている姿を目にしました。こうした動きは、おそらく教育が影響しているのだと思います。最近は、学習の一環として学校などで高齢者や障がい者に接する機会があって、そこで得た経験が大人になってもプラスの記憶として残っている。だから、いざというときに手を差し伸べることができるのだと思います。

私も、年に30回ほど学校や自治体を訪問し、義肢の話をしたり、義肢を使用しているスポーツ選手によるデモンストレーションなどを行なっています。よく知らない人にとって、義肢は「気持ち悪い」とか「こわい」といったイメージがあったりするものなのですが、一度触れてみればそうした違和感はなくなります。実際に体験することで、違う世界の存在を知るという意味で、教育は非常に大切だと思っています。

義肢装具士は、ひとり一人の感動や喜びに立ち入る仕事

――臼井さんは「スタートラインTokyo」という、義足を使用している方たちの陸上競技チームを運営されていますが、これはどういった取り組みなのでしょうか。

臼井 毎週の練習と、月に一度約70人のメンバー全員が集まる練習会を開いています。メンバーはパラリンピックに出るような第一線のアスリートから初心者まで、大人も子どももいます。目的は大会で勝つことではなく、スポーツに親しんでもらうことです。

スタートラインTokyoのメンバーと

スタートラインTokyoのメンバーと

最近、障がい者スポーツが注目されるようになりましたが、実際には、障がい者の多くは、スポーツをすることなく家にこもっていることのほうが多いのです。けれど、最新のコンピューター制御のついた義足を使うにも最低限の筋力が必要なので、運動をしないと義肢を動かす体力も落ちて、自立も遠のいてしまいます。

そういった意味でも、障がい者にこそスポーツをしてもらいたいと私は思っているのです。歩くだけではなく、走れるようになれば、その人の生活は変わります。走れない人にとっては、歩くということが最大の動作で大変な労苦をともなうことかもしれないけれど、走れるようになれば、歩くことなんてとても簡単に思えるはずです。歩くことに対する悩みや不満がなくなれば、気軽に外の世界に飛び出したくなる。スポーツには、そんなマジックみたいな力があると感じています。

――臼井さんは、スポーツの取り組みだけでなく、義足を使う女性たちによる『切断ヴィーナス』という企画も手掛けられています。

臼井 私の作った義足を使っている方たちには、若い女性がかなりいるのですが、義足を隠すために長いスカートしか履けなかったり、なかなか外に出かけづらいという声を聞いていました。そこで、彼女たちが表に出て自信を取り戻せるような場を作りたいと考えて、写真家の越智貴雄さんと一緒に『切断ヴィーナス』という写真集を出版し、ファッションショーも開催してみました。最初はみんな「義足なんて人に見せるものではない」と抵抗を示していたのですが、いざステージに立つと変わるんですね。いままでは自分の体に自信を持てなかった女性たちが、人に見られることで自信を取り戻していく。そういう姿が見られるのは、義足の作り手である私にとっても非常に大きな喜びです。

――臼井さんが、義肢装具士を40年近く続けてこられたその原動力とは何なのでしょう。

臼井 義肢づくりというのは個人個人が相手です。いくら職人として経験を重ねようと、相手にとってははじめての義肢なのです。義肢装具士は、ひとり一人の方の感動や喜びに立ち入るわけで、私が関わることで解決できる問題があるはずです。義足を作ったことで、不登校だった子が学校に通い始め、体育の授業に参加するようになって、一年後には日本選手権に出たいと言い出したりする。いままで、そういう場面に何度も出会ってきました。こうした感動や喜びの繰り返しが、自分にとっての原動力となっているように思います。

――それでは最後に、これまで様々な方々に合った、様々な形の義足を作ってこられた臼井さんが、今後作りたいと思っている義足を教えてください。

臼井 機能はもちろん大事です。そこに加えて、機能的+かっこいい義足が作りたいと思っています。そうした義足を通じて「障がい者ってかっこいい」というところまでいってくれれば最高ですね。日本は海外に比べると、部品の開発や生産などは海外のメーカーにはまだまだ及ばないのですが、義足の方たちの写真集やファッションショーなどは世界でも類を見ない試みでしたし、コンピューター制御の義肢も元々は日本から生まれたアイデアなのです。何より、かゆいところに手が届くようなきめ細かいものを作るのは日本が最も得意としているところだと思います。こうした日本の義足の良さや新しい取り組みを、リハビリテーションとセットにして、世界に発信していけたらと考えています。

TEXT:中野渡淳一、写真提供:臼井二美男

臼井二美男(うすい・ふみお)

義肢装具士。1955年、群馬県生まれ。1983年より公益財団法人 鉄道弘済会・義肢装具サポートセンターに勤務。義肢装具士として義足製作に従事する。1989年よりスポーツ義足を開発・製作。1991年、切断者の陸上クラブ「スタートラインTokyo」設立。2000年シドニー大会から5大会連続で選手のサポートでパラリンピックに遠征する。著書『転んでも、大丈夫 ぼくが義足を作る理由』(ポプラ社)は第63回青少年読書感想文全国コンクール課題図書に選定。

化学者は究極のものづくりに挑む ――“美しい”分子には世界を変える無限の可能性がある

高校の化学の時間、きれいな六角形をしたベンゼンに魅せられて以来、ナノカーボン科学で世界的な業績を上げ続けている研究者がいる。名古屋大学トランスフォーマティブ生命分子研究所(ITbM)拠点長を務める伊丹健一郎教授である。
2016年には、世界の化学者が60年間誰も実現できなかった「カーボンナノベルト」の世界初の化学合成を達成した。
ナノカーボンは次世代の新素材と期待されるが、異なる構造やサイズのものが混在することが悩み。伊丹教授が単一構造の純品を作る製造法を確立したことの意味は大きい。「美しいものには機能が宿る」を信念とし、シンプルで無駄がなく美しい形をした分子の合成にこだわり続けてきた。
拠点長を務めるITbMは、理学部、農学部、工学部とのコラボレーションも盛んだ。その相乗効果は顕著で、アフリカで穀物に甚大な被害を与え、「魔女の雑草」と呼ばれる「ストライガ」を駆除する物質の開発や実用化を共に進めている。
「大学時代は遊びに忙しすぎて、あまり勉強しなかった」という伊丹教授は今、世界の最先端を独走する。ナノカーボンの新領域に挑戦し続ける意気込みを伺った。
(この取材は、新型コロナウイルスの感染拡大に伴う緊急事態宣言発令中、Web会議システムを介して行いました。)

 

カーボンナノベルトは均一カーボンナノチューブ生産のカギ

――先生のご専門である合成化学とはどういう学問なのか、最初に分かりやすく解説していただけますか。

伊丹 合成化学をひと言で言うと、「ナノ(10億分の1)メートルの世界の建築学」と理解してもらえばいいと思います。私たちの身体はたんぱく質などいろいろな材料からできていますが、材料を小さくしていくと、最後は原子になります。原子と原子がつながったものが分子で、それをレゴの部品のように組み合わせてより大きな分子にします。分子のサイズは大体ナノメートルサイズです。どういう形のモノを作るかを設計し、化学反応を工夫して部品同士を組み合わせ、何らかの機能を持たせる。そういう学問です。
アルファベットに例えるなら、A、B、Cなどの文字は原子です。その文字に意味はありませんが、適切につなぐと単語になって意味が出てきます。例えばF、A、C、Eという文字をつなぐとFACEという意味のある単語になります。これが分子です。合成化学とは、意味をもたない原子をつないで価値のある分子に転換するというクリエーティブな学問なのです。

――その合成化学の世界で、先生が開発されたカーボンナノベルト(図1)は世界をあっと言わせました。カーボンナノベルトはどのような構造や特性を持っているのでしょうか。

伊丹 ナノカーボンの代表例として有名なカーボンナノチューブ(図2)があります。筒状の分子ですが、その短いものが、私たちが開発したカーボンナノベルトです。このベルト状の分子をひな形にして延ばしていけば、設計した通りのカーボンナノチューブを生産することができる可能性があり、カーボンナノベルトは「カーボンナノチューブ生産のカギ」と言われています。
カーボンナノチューブは軽量で強靭な特性を持ち、熱や電気を通しやすいことから、次世代の材料として大きな期待が寄せられています。しかし、これまでの製法では、構造や直径、長さが異なるカーボンナノチューブが混在して出来てしまうために、導電性や強度など狙った機能を発揮できないという悩みがありました。その課題を解決するのがカーボンナノベルトです。
カーボンナノベルトは石油成分でもあるパラキシレンを出発材料とし、11段階の化学反応を駆使して製造します。2004年に開発を始め、3年ぐらいで完成させるつもりでしたが、大変難しくて12年かかりました。

図1:カーボンナノベルト 出典:伊丹健一郎教授

図1:カーボンナノベルト 出典:伊丹健一郎教授

図2:カーボンナノチューブ 出典:伊丹健一郎教

図2:カーボンナノチューブ 出典:伊丹健一郎教授

伊丹 カーボンナノベルトの構成単位は、私が大好きな正六角形のベンゼン(図3)です。ベンゼンは平たくて曲がりにくい分子です。これをつないでベルト状にすると、どうしても歪みが出てしまいます。例えば真っすぐな鉛筆を無理にベルト状に曲げようとすると、ポキンと折れてしまうのと同じです。つまり曲げにくいために、60年間誰も成功しなかったのです。
カーボンナノベルトは、化学の世界では「とても美しい分子」と言われます。昔から、理論化学者や数学者が「こんなものができたらすごいね」と言っていた分子なので、合成できたこと自体に大きな意味があります。
各段階の反応に不可欠なのが触媒です。触媒は人間世界に例えれば仲人さんみたいなもの。活性が高くない(消極的な)人でも、仲人さんは結びつけてくれます。つまり触媒によって新しい分子が生まれ、世界が広がるのです。

図3:ベンゼン 出典:伊丹健一郎教授

図3:ベンゼン 出典:伊丹健一郎教授

「なんだ、これ?」と予想もできなかった物質が革命を起こす

――科学技術振興機構(JST)の資料によると、カーボンナノベルトをチューブ状に延ばすと、折り曲げ可能なディスプレイ、省電力の超集積CPU、バッテリーや太陽電池の効率化に役立ち、カーボンナノベルト自体も、発光材料や半導体材料に応用できると期待されています。

伊丹 正直なところ、カーボンナノベルトが産業的にどんな役に立つのかは、現段階では誰にも分かりません。物性を調べると、面白い発光特性や電子デバイスに使える可能性があります。
しかし、人間が「こういうものを作ったら、こんな役に立つね」と予測して作った分子や材料が、過去において大ブレークスルーを起こした例は実はそれほど多くありません。科学の歴史が証明するように、革命的なことを起こすものは、最初「なんだ、これ?」と予想だにしなかった、しかも美しいものが多いというのが私の持論です。
1985年に発見されたサッカーボール状のフラーレン(C60)がそうでした。とても美しい形をしており、今ではいろいろな分野で使われています。しかし、発見当初、どんな応用展開があるのかなど誰も予測することはできませんでした。それと同じように、カーボンナノベルトも多くの研究者が取り組み、思いもかけなかったような応用研究が現れるのではないかと期待しています。
カーボンナノベルトはすでに販売もされており、世界中の誰でも購入して研究に使える状態になっています。

名古屋大学 トランスフォーマティブ生命分子研究所 拠点長・教授 博士(工学) 伊丹健一郎氏

 

「混合物問題」と「合成不可能問題」に取り組む

――先生は「分子ナノカーボン科学」という新分野を提唱されています。何を目指しておられるのでしょうか。

伊丹 現在、ナノカーボンの研究は2つの大きな問題を抱えており、私たちはそれを解決しようとしています。1つは「混合物問題」です。先ほどお話ししたように、従来の製造法では、さまざまな構造をした分子がごちゃ混ぜにできてしまいます。各分子の物性がバラバラなので、私たちが知ることができる物性は、混合物の平均値でしかないという残念な状況にあります。
それを解決するために、私は1つの分子(純品)だけでできているナノカーボン分子を作ろうとしています。そこで「分子ナノカーボン科学」という名前をつけました。これまで分子として取り扱うことができなかったこの分野に革命を起こしたいと思っています。

もう1つは「合成不可能問題」です。理論化学者や数学者がいろいろな新しいナノカーボンの形を提案しています。最も魅力的なのは、3次元のジャングルジムのようなネットワーク状のものですが、他にドーナツ状のものもあります。
問題は誰が作るか。それは私たち合成化学者の役割です。この分野の研究者は最近すごく増えています。論文も毎週のように発表され、私が研究を始めた2004年頃とは比較になりません。私たちがカーボンナノベルトやグラフェンナノリボンを開発したことで、こうした物質群の合成は不可能だと諦めていた研究者たちを勇気づけることができたと思います。

「美しいものには機能が宿る」がすべて

――化学物質について「美しいものには機能が宿る」と述べておられます。これまでのお話でも美しさの大切さを強調されています。少し解説していただけますか。

伊丹 その言葉がすべてを表しています。科学の歴史において、破格のインパクトを与えた物質や構造物は、ほぼ例外なく美しい。科学的な根拠や方程式を示すことはできませんが、信じていいと思います。ムダがないのです。よかれと思ってあれこれ付け加えた分子は、一定の機能は出るにしても、全体として不細工なものになってしまいます。“Simple is the best.”と言われるように、シンプルで無駄がないのが一番美しく、好きです。
でも、そういうものには手がかりがないので、作るのが難しい。例えば四角い箱は誰でも作れますが、完全に丸い球を作るのはとても難しい。フラーレン(図6)が最初に見つかった時の世界の驚きは大変なものでした。圧倒的に美しいからです。理論的に存在を予測した人や人工的に作ろうとした人はいましたが、発見したのはそれとは別の人でした。

図6:フラーレン 出典:Wikipedia ja.wikipedia.org

図6:フラーレン 出典:Wikipedia ja.wikipedia.org

遊びに夢中だった大学生時代。研究室に入って必死に勉強

――高校3年の時にベンゼンを知ったのが合成化学の道に進むきっかけだと述べておられます。どのような青春時代だったのでしょうか。

伊丹 子どものころからレゴとスーパーカーが趣味で、音楽はハードロックとヘビーメタルを聞いていました。高校では化学は一番嫌いな学科でした。理由も教えてくれずに、とにかく丸暗記でしたからね。
高3の時に有機化学を初めて学んで、ベンゼン(図3)を知ったのです。薬、染料、色素、高分子ポリマーなど、化学反応によって世の中にないものをレゴのように作れる。これはすごい、何よりクリエイティブだ! あと何十年かしたら地球の石油は底をつく時代になると言われている。それなら自分がガソリンに代わる新燃料を作ることを考えよう、と夢を描きました。そしていつか有用な新分子を作り出したら、「イタミン」と名付けようと決めていました(笑)。

京都大学の工学部合成化学科に進みましたが、高校時代のモチベーションをすっかり失ってしまい、バイトにサークルに飲み会と、目の下に隈ができるほど遊びほうけていました。京大には最初の 2 年間の教養課程では、大学生らしい自由を満喫できる雰囲気があります。京都の街も魅力的です。「正しく京大生をやった」という気分で、4年に進級する時は文系に就職しようと思いました。研究室も楽なところへ行きたいと思っていたら、ジャンケンで2度負けて、一番厳しくて、見学に行ったこともない伊藤嘉彦教授の研究室に入りました。
入ってみてびっくりでした。研究レベルが高くて、自分と年齢がそんなに変わらない先輩たちが「世界初の何とか」を目指して、朝も夜も研究する姿を目の当たりしたのです。私も化学者になろうと志した高校時代の初心を思い出しました。そして先輩たちと同じ景色を見たいと思い、それ以来必死に勉強しました。
博士号を取り、京都大学で助手をしていた時、ノーベル賞受賞者で名古屋大学特別教授だった野依良治先生や上村大輔先生から「名古屋で思いっきりフルスイングしてみないか」と声をかけていただき、有機化学のメッカである名大に移ることができました。

名古屋大学 トランスフォーマティブ生命分子研究所 拠点長・教授 博士(工学) 伊丹健一郎氏

アフリカで猛威を振るう「魔女の雑草」の駆除に挑む

――ITbMでは、アフリカで猛威を振るう寄生植物「ストライガ」の被害をなくす研究が着々と成果を出しています。予防の仕組みや実用化の展望などをお聞かせください。

伊丹 これは理、農、工3学部のミックスラボであるITbMならではの研究です。合成化学者の萩原伸也君(当時准教授)と吉村柾彦君(当時大学院生)、植物生物学者の土屋雄一朗さんの3人が、2014年に研究室でお互い何をやっているのか話し合ったことがきっかけでした。
アフリカにはトウモロコシやイネなどの穀物植物に寄生するストライガという雑草があります。「魔女の雑草」と呼ばれ、毎年1億人分の穀物を枯らし、被害は1兆円に上ります。タネの状態で土の中で数十年も生き続けるので、特効薬がなく大変厄介な植物です。
穀物植物は養分が不足すると、自分の成長を抑えるためにストリゴラクトンという物質の合成量を増やします。ストライガのタネはストリゴラクトンを感知すると、発芽し、根を伸ばして穀物植物から養分や水分を吸い取って枯らしてしまいます。土屋さんからその話を聞いた吉村君は、タネが発芽して寄生する仕組みを発光作用で可視化する分子をたった2日間で合成しました。
萩原君が「ヨシムラクトン」と名付けたこの分子は、ストリゴラクトンに似せた分子です。この成果は米科学誌『サイエンス(Science)』に発表され反響を呼びました。3人が分子のデザインをしたラーメン屋でのやり取りは「ストライガラーメン会議」と呼ばれ、ITbMの伝説になっています。
その後、2018年には土屋さんがITbMの大井さんのグループと共同でストライガをやっつける「SPL7」という分子を開発しました。これをストライガのタネに与えると、タネは穀物植物が近くにいると勘違いして発芽(自殺発芽)し、数日後に死んでしまいます。昨年、アフリカ・ケニアの現地で、効果を調べる実験を始めました。今、新型コロナの影響で研究員たちは一時帰国していますが、ITbMではアフリカの全ての農家にSPL7が行き渡り、分子の力でストライガを撲滅させることを目標にしています。

ITbMには異分野の研究者が集まっています。バックグラウンドや得意技が違う人、視点が違う人たちと話し合うことが刺激になり、雑談の中から「えっ!」という話が飛び出してくる。すると新しいテーマがどんどん湧いてきます。問題を発見し、解決法を共有する場になっているのです。
私は細かいマネジメントが苦手で、ITbMを「自由放任の牧場」と言っています。指導する感じではなく、「クレイジーなことをやろうぜ!」と言って、実は自分が一番楽しんでいます(笑)。

TEXT:木代泰之

伊丹健一郎(いたみ・けんいちろう)

名古屋大学 トランスフォーマティブ生命分子研究所 拠点長・教授 博士(工学)
1971年 米国ペンシルベニア州 ピッツバーグ市生まれ
1994年 京都大学工学部 合成化学科卒業
1998年 京都大学大学院 工学研究科 合成・生物化学専攻 博士後期課程修了
1998年 京都大学大学院 工学研究科 合成・生物化学専攻 助手
2005年 名古屋大学物質科学国際研究センター 助教授
2007年 名古屋大学物質科学国際研究センター 准教授
2008年 名古屋大学大学院 理学研究科 教授(現任)
2012年 名古屋大学 トランスフォーマティブ生命分子研究所 拠点長・教授(現任)
2013年 JST-ERATO伊丹分子ナノカーボンプロジェクト 研究総括(2020年3月まで)
2019年 Joint Appointment Research Fellow, 中央研究院化学研究所, 台湾(現任)