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IoT×地方創生。自治体の枠を超えて「誰でも使える」テクノロジーを

自治体間連携の必要性が叫ばれて久しい昨今、課題となっているのがIT活用方法の知見共有である。2015年度から2019年度にかけて行われた地方創生政策の目玉「まち・ひと・しごと創生総合戦略」においても、過疎地域を中心にITを使ったさまざまなサポートが実施されたが、単発で終わってしまっていることも多い。求められているのは、あらゆる自治体にとって活用可能なソリューションのプラットフォームとシステムを運用できる人材だ。

地方や都市部のスマートシティ化に取り組んできた東京電機大学准教授の松井加奈絵氏に、テクノロジーを用いた地域課題の解決法について語ってもらった。

松井加奈絵氏

ビデオ通話にてインタビューを実施

地域課題のソリューションを横展開するプラットフォーム

――松井さんの研究室では、センサデータを用いたデータ駆動型アプリケーションやシステムの研究、開発、実装に取り組まれています。その中で、地域ごとのソリューションをプラットフォーム化して横展開するための「Digital Village Platform」(デジタル・ヴィレッジ・プラットフォーム、以下「DVP」)の開発も進めているそうですが、これはどういったものなのでしょうか。

松井 DVPは、「Society 5.0」と呼ばれるデータ駆動型社会を実現するための土台となるテクノロジーの一つとして開発したものです。IoTデータを活用するデータ駆動型社会では、当然ながらそのデータを流通させるプラットフォームが必要となります。

DVPは「Village」という名が入っているように、人口の少ない地域を対象としたプラットフォームを目指しています。技術的には、長野県小谷村のような中山間地帯から都市部に至るまで、抱えている課題が違う地域であっても、必要な機能は互いに転用できるような柔軟なアーキテクチャとしている点が特徴です。このDVPで開発されたソリューションは、「地域課題流通マーケットプレイス」(Digital Market Place in DVP、以下「DMP」)を通じて、2021年4月から自治体向けに販売開始予定です。日本IBMのAI Applications事業部にも、IBM Maximoソリューションの提供や技術支援などこのプロジェクトにご協力いただいています。

小谷村で行われる実証実験におけるDVPの概要図 提供:日本IBM

小谷村で行われる実証実験におけるDVPの概要図 提供:日本IBM

――DVP開発のきっかけとなった「おたりスマートソンプロジェクト」ですが、このプロジェクトはどういった経緯で始まったものなのでしょうか。

松井 きっかけは、2018年に行われた京セラコミュニケーションシステム株式会社(KCCS)主催の、「Sigfoxで生活を楽しくするIoTアイデアコンテスト」という、IoTネットワークを活用する学生向けコンテストです。当時、私の研究室のメンバーだった河西龍彦さんと、別の研究室にいた西垣一馬さんが、「格安スマート水田でIoT導入を手軽に実現」という水田の水位管理システムを応募したところ、優秀賞に選ばれました。

通常なら「賞を取った」で終わるところなのですが、このときはたまたま主催者側に小谷村とご縁のある方がいらして、「せっかくなら入賞したアイディアを実証してみないか」というお話をいただきました。そこで、小谷村やKCCSのグループ会社であるKCCSモバイルエンジニアリング株式会社と共同でスタートしたのが、水田の水管理をIoTデバイスで省力化しようという「おたりスマートソンプロジェクト」なのです。DVPやDMPのプラットフォームデザインは、ここで得たものが基礎となっています。

小谷村の風景 提供:松井加奈絵氏

小谷村の風景 提供:松井加奈絵氏

――たまたまご縁が生まれてプロジェクトの舞台となった小谷村も、地域ならではのニーズや課題があったと思います。

松井 そうですね。小谷村は長野県北部に位置する面積251平方キロメートルの村です。ほぼ同じ面積で人口7万人の山梨県南アルプス市と比較すると、小谷村は人口3千人弱――広い村域に少ない人数で暮らしていることになります。人が分散して住んでいるため、移動やコミュニケーションに時間がかかり、村内でも地区によって雨や雪が降っていたり、晴れていたりと気象にも違いがあります。

また傾斜地が多く棚田での稲作が行われています。段々に連なる棚田の景色はとても美しいのですが、生産効率はあまりよくありません。水田水位の確認も、田んぼを一つずつ人の目で見なければいけませんでした。そこで、私たちが実証実験に臨んだのは、水位の状況をセンサデータからモニタリングできるようにすることで、兼業農家が多い生産者の方々の貴重な時間を節約しようという水田水位の監視システムでした。

水田に設置されたセンサー 提供:松井加奈絵氏

水田に設置されたセンサー 提供:松井加奈絵氏

松井 もちろん、他にも課題はいくつもあります。DVPではこの水田水位管理システムだけでなく、気温や湿度などの環境データ、土壌情報、獣害通知システムなどとの連携を目指し、地域住民の生活の質の向上につながるソリューションを開発しようとしています。こうした課題は中山間地に共通するものなので、ソリューションを横展開するためのプラットフォームさえ構築できれば、サービスは他の地域にも一気に広げていけるだろうと期待されています。

ヨーロッパアルプスで見た地方創生の理想形

――松井さんご自身が地方創生への取り組みを始められたのは、どういったきっかけがあったのかお教えください。

松井 私は前職では玩具メーカーに勤めていて、たまたま仕事を通じて知った通信テクノロジーに興味を抱いたことが契機となって研究者の道に入りました。生産ネットワークと呼ばれていたIoTの前身的な技術の利活用をテーマに、技術視点からスマートエネルギーをインフラとして整備することを研究していました。その一環で、2011年に国立環境研究所のリサーチャーをさせていただいていたときに、国内外のさまざまなスマートシティプロジェクトに参加する機会を得たのです。

これを機に地方創生に携わるようになったのですが、なかでも中山間地を強く意識する大きなきっかけとなったのが、2013年に訪れたオーストリアでの体験でした。滞在していたウィーン郊外の研究所で耳にしたのが、ヴェルフェンヴェンクというヨーロッパアルプスの中山間地にある村の話でした。この村は日本の農村と同じく人口減少が問題となっていて、それに対して30代の若い村長さんが持続発展可能な低炭素都市をつくろうと努力されていました。バイオマス発電で雇用を創出したり、EVや昔ながらの馬車を利用したソフトモビリティーを普及させたり、暖房コストをゼロにするという条件で企業やホテルを誘致したりといった、ユニークな取り組みが成功して非常に話題となっていたのです。

――ヴェルフェンヴェンク村へは、松井さんも実際に足を運ばれたのでしょうか。

松井 はい、私も視察に行かせていただきました。そこで驚いたのが、テクノロジーそのものを前面に出すのではなく、あくまでも美しいアルプスの景観を崩さないためにテクノロジーを使用するといった姿勢でした。私も以前、北海道弟子屈町で摩周湖の透明度を保つための低炭素都市化のインフラ整備などには関わっていたのですが、このヴェルフェンヴェンク村の施策にはたいへん感銘を受けました。そして、日本の里山、とくに日本アルプス周辺でこういう取り組みができないかと思うようになったのです。

――オーストリアで先進的な取り組みに触れられたあと、小谷村での実証実験を始められるまでの数年間はどのようなことに取り組んでいたのでしょうか。

松井 オーストリア滞在後は都市部のプロジェクトに入り、たとえば東京都押上、埼玉県浦和美園地区といった地域の問題解決に取り組んでいました。同じ都市部でも、押上は住宅の密集が、浦和美園は新興開発地域なので土地に根ざした文化がないことが問題視されており、地域によってさまざまな課題があることを知りました。課題というのは、都市型、中山間地型と大きく分けるだけでなく、さらに細分化することができるのだな、と。

――そうした中で感じられたのが地域間、自治体間で連携してのテクノロジーの知見共有だったのですね。

松井 実は自治体間連携そのものは割と活発でして、例えば熊本のくまモンのように、ご当地キャラを使ったPR活動をどのように行うのか、といった勉強会を開くといった活動は頻繁に行われています。ただ、これがAIやIoTといった新しいテクノロジーになると、自治体が自治体に伝えることのできる知識や経験のある方がどうしても少なくて……。もちろんモチベーションの高い自治体は積極的に取り組んでいるのですが、現状ではそれを共有するという段階には至っていません。全国的に見れば、同時多発的に類似した課題を類似したテクノロジーで解決しようという取り組みが行われていて、それによって投資が分散され、サービス展開に時間がかかっているという印象です。

テクノロジーを「誰でも使える工具」のような存在に

――DVPはそのサービス展開を加速させるツールと言えます。こうしたテクノロジーを活用する上で、クリアすべき課題や必要なものというのは何なのでしょうか。

松井 一つはテクノロジーの早期確立と低コスト化です。小谷村のプロジェクトを通して感じたのが、課題というものは待ったなしなのだ、ということでした。人々の暮らしは毎日続くことですし、自然はテクノロジーの確立を待ってはくれない。ですから、スピード感を持って普及に取り組む必要があるわけです。

そのためには、テクノロジーを地域住民の誰もが使えるようなものにした方が早い。ペンやハサミは誰でも使えます。AIやIoTといったテクノロジーも、そうした工具のようなものにすればいいのです。テクノロジーというと、導入されたら劇的に何かが改善される魔法のようなものだと思われがちですが、そうではなく、それこそハサミのように生活に馴染むものにした方が実際の問題解決には役立ちます。IoTをいかにして生活に溶け込むレベルに工具化できるか。ここがサービスを広げる上で重要なポイントだと感じています。

――テクノロジーそのものを誰でも使える工具にする一方で、それを支える開発者やシステムを運用する人材も、これからはどんどん必要になってくるのではないでしょうか。

松井 それぞれの地域に「町のIoT屋さん」のような人々が存在する社会にしていくことが重要だと考えています。昔、家電というものが一般の人には謎めいたものとして映っていたとき、頼りになっていたのは町の電器屋さんでした。IoTはソフトウェアだけでなくハードウェアの知識も必要なテクノロジーですから、そのメンテナンスができる人材は近くにいてほしいですよね。そうした人材を広く育成することが大切なのです。

育成にむけた取組の一例として、小谷村の小学校にある水田にハードウェアを置いて、児童と一緒にソフトウェアをつくる計画を進めています。小学生にも水田は馴染み深いものですし、私の研究室の学生を見ていてもテクノロジーに触れるのは早い方がいいと痛感しています。

「競争より共有」の次世代型テクノロジー開発

――「おたりスマートソンプロジェクト」のチームメンバーであり、現在は東京電機大学の修士課程に在籍されている西垣さんと共同で、エクスポリス合同会社という会社も立ち上げられています。会社設立の理由や目的を教えていただけますか。

小谷村で活動する西垣一馬さん(右)と河西龍彦さん(左) 提供:松井加奈絵氏

小谷村で活動する西垣一馬さん(右)と河西龍彦さん(左) 提供:松井加奈絵氏

松井 会社設立の理由は三つあります。

一つ目は、CEOの西垣さんがプログラミングにとても精通していて、ご自身もスキルを生かし起業したいと考えていたということ。

二つ目は、大学ベースの活動ですとメンバーに対して定められたアルバイト料以上の金銭は支払えないため、きちんとした労働対価をお支払いする上で会社組織にする必要があったということ。

三つ目は、大学の有名研究室がスタートアップを立ち上げるケースが近年増える中、私のような一介の研究者でもそれができると証明したかったからです。研究者は誰しもその身を捧げて一つのことに取り組んでいます。その研究の成果は、やはり社会に出すべきですし、それによって社会はもっと豊かになるはずです。私が会社員から研究者に転じたのも、そうした社会貢献への思いや、搾取や疲弊のない持続可能な社会をつくりたいという願いが根本にあったからです。私たちの起業が他の研究者の方の励みになってくれれば嬉しいですね。

――研究室の学生の方々と日々接していて、感じとられることも多いのでしょうね。

松井 とても刺激を受けますし、勉強になります。私はスマートシティの国際標準化特区構想のメンバーでもあり、自分の中でスマートシティのアーキテクチャとはこうあるべきだといった考えがあったのですが、学生と話すことで違う考え方があることに気づかされたりしています。西垣さんのようなプログラマー、エンジニアの立場から見ると、研究者の私が考えるアーキテクチャではデベロッパーはワクワクせず、絶対使わないだろうというのです。これには「ああ、なるほど」と目が覚めました。

松井研究室の様子 提供:松井加奈絵氏

松井研究室の様子 提供:松井加奈絵氏

松井 研究者というのは割と競争の世界にいて、内心どこかで1位をとってやろうと考えがちです。しかし、新しい世代のエンジニアは、競争よりも共有や共存といったことを大切にしています。新しいテクノロジーが生まれれば、締め出しは行わずに、面白いと思ってもらえるファンをたくさんつくって、どんどん参入してもらう。そうすることによって課題が解決されていき、テクノロジーが洗練されるのであれば誰が得をしようといいじゃないかという考え方なのです。DVPの開発においても、そうした思想は反映させています。

――これからのテクノロジーを用いた地方創生の在り方について、どうお考えでしょうか。

松井 もっとも大切なのは、テクノロジーに振り回されてはいけないということです。テクノロジーを用いた地方創生というと、新しいことや知らない用語を覚えなくてはならないのかと、それだけで疲れてしまう方は多いと思います。DVPやDMPが入ってきたことで業務や暮らしが複雑化するようではいけない、今でも忙しいのにさらに忙しくなる!と思って拒否反応が出てしまうのはいけない。そうした人を振り回すテクノロジーがあったとしたら、それは開発側の思想設計ミスです。

――まさに「誰でも使える工具」に、ということですね。

松井 はい。もちろん、最初から誰でも使える完全なものはなかなか生み出せません。ですから、実証実験を重ねる必要があります。小谷村で気づいたのは、ユーザーの方と一緒に成長できるフェーズを残した開発スタイルというものもあるのではないか、ということでした。社会課題というのは常に想定していなかったところから生まれてくるものですし、そこには終わりがありません。社会課題は永遠に消えないということ。そしてテクノロジーは人を幸せにするためのものであること。この二つを心に刻んで、テクノロジーを使いこなす人材をどんどん育成し、課題解決に臨むプレイヤー、仲間を増やすことが大切なのではないかと思っています。

TEXT:中野渡淳一、アイキャッチ提供:松井加奈絵氏

松井加奈絵(まつい・かなえ)

東京電機大学システムデザイン工学部情報システム工学科准教授、慶應義塾大学KMD研究所リサーチャー。應義塾大学にて博士(メディアデザイン)取得後、国内外の様々なスマートシティ、スマートコミュニティプロジェクトに研究者として参画。IoTプラットフォームを用いたデータ計測・収集・蓄積・解析・活用のフェーズについての研究活動を行う。現在は地域課題抽出・解決を行うためのデータ流通プラットフォームの社会実装に従事。

新型コロナに揺れる世界を救え!ソフトウェア開発コンペ「Call for Code」

世界中の開発者が一堂に会し、さまざまな社会問題の解決に挑むコンペティション「Call for Code」。本コンペティションの今年のテーマは「気候変動と戦う」でしたが、新型コロナウイルス(COVID-19)のパンデミックを受けて、急遽「COVID-19」がチャレンジトピックとして追加設定されました。

Call for Codeとは

Call for Codeは、自然災害をはじめとした社会課題に取り組むためのデベロッパー向けコンペティションです。IBMとLinux Foundationを始めとするパートナー団体によって2018年に開始されて以降、毎年バーチャル・ハッカソン方式で行われています。

2020年のCall for Codeの応募締め切りは7月31日となっていますが、新型コロナウイルス流行の早期解決に貢献するため、チャレンジトピックであるCOVID-19については早期締め切りが設けられました。

4月27日までに提出されたソリューションの中からトップ3に選ばれたものには、IBMのメンターがアサインされ、ソリューションの速やかな実用化にむけたサポートを得ることができます。

2020年の「COVID-19」トップ3ソリューションは?

早期締め切りまでに集まった多数の応募のうち、以下のソリューションがトップ3として選出され、IBMのイベント「THINK」で発表されました。

Are You Well?

「Are You Well?」はAltran社のインドチームが開発した包括的な医療支援システムです。

システムはIBM Watson Assistantを活用して構築されており、ユーザーはスマホアプリを用いて自分の症状をチェックすることができます。また、あらかじめ設定されたしきい値を基準としてリスクレベルを3段階で判断するため、医師はより安全に診察の優先順位付けを行えます。

COVID Impact

COVID Impact は、新型コロナウイルスによる財政的な影響を軽減することを目的とし、ブリティッシュコロンビア大学のチームが開発した、中小企業向けの意思決定支援システムです。

このシステムでは、IBM Watson Tone Analyzerの言語分析機能を活用し作成された予測評価ツールと、意思決定を支援するIBM ILOG CPLEXが、ビジネス上の財政的リスクレベルを予測します。

またこのソリューションは、政府の中小企業向け情報や、各メディアの記事のトレンドを分析したリアルタイムのニュースフィードを厳選・リスト化したものを企業オーナーに提供します。加えて、支援が最も必要とされる場所を可視化する「経済打撃ヒートマップ」を作成し、政府が特定の地域や産業を支援する際の手助けも行います。

Safe Queue

Safe Queueは、ロサンゼルスに住む開発者が1人で開発した、ソーシャルディスタンスを守るためのコミュニティー型携帯アプリです。

新型コロナウイルスの蔓延を食い止めるためには、人と人の接触機会を極力減らす必要があります。ショッピングセンターなどの施設へのより安全な入場を実現するため、このアプリはGPS位置情報を利用し、バーチャル空間で行列をつくります。施設スタッフはバーチャルな列に並んだ顧客にランダム作成されたQRコードを送信し、これを使用することで顧客は施設に入場することができます。

このソリューションはWebアプリケーションのホスティングにIBM Cloud Foundryを、位置情報の操作のためにHERE technologiesを活用し、データの保管にはIBM Cloudantを使用しています。

世界的な危機を前にして、テクノロジーができること

COVID-19により、これまで人類が当たり前のように享受してきた社会生活の仕組みを維持することが難しくなってしまった今、このパンデミックに対抗するため、わたしたちは国境を越えて団結し、危機に立ち向かわなくてはなりません。そして、先述のトップ3ソリューションのように、この有事に対して、テクノロジーは大きく貢献できるはずです。

2020年のCall for Code Global Challengeへは、2020年7月31日まで引き続き応募可能となっています。COVID-19や気候変動の脅威から世界を救うアイデアをお持ちの方は、下記のリンクからぜひご応募ください。応募者の方は、ソリューションの開発を支援するスターター・キットを無償でご利用いただけます。

photo:Getty Images

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やる気を引き出す!沼田晶弘先生に聞く、ビジネスにも通じる自主性の育て方

「ダンシング掃除」や「勝手に観光大使」などのユニークな方法でクラスの子どもたちの「やる気」を引き出し、カリスマ教師と呼ばれている人がいる。「ぬまっち」こと、東京学芸大学附属世田谷小学校教諭の沼田晶弘氏だ。「子どもたちが『ワクワク』して『楽しい』と感じたら、やりなさいと言われなくても勝手にやってくれる」――それはビジネスにおけるマネジメントにも当てはまると、沼田氏の元には社員の「やる気」を引き出したい企業からの講演依頼が増えている。

今、教育現場では、受け身ではなく能動的に学ぶアクティブ・ラーニングが注目されている。アクティブ・ラーニングの最先端を走る沼田氏に、子どもや社会人の「やる気」の引き出し方について伺った。

全ては子どもの「やる気」を刺激するため

――沼田さんは東京学芸大学教育学部のご出身ですが、もともと教師になろうと思っていらっしゃったのでしょうか。

沼田 実は、教師を目指していたわけではないんです。相手が子どもであっても遠慮せず本気で話してしまう性分ですし、向いていないだろうなと。

東京学芸大学附属世田谷小学校教諭 沼田晶弘氏

――小学校の先生になるまでにはどのような経緯があったのでしょうか。

沼田 アメリカの大学院に留学してスポーツ経営学を学んだ後、帰国してからは短期大学で教えたり、塾の講師をしたりしていました。そのうち小学校での仕事の話をいただき、ちょうど昼の仕事がしたいと思っていたので転職しました。塾の仕事が終わるのは夜11時頃で、一緒に飲みに行ける友だちがいなくて寂しい思いをしていたんですよね(笑)。

当初、相変わらず子どもは苦手だと思っていましたが、彼らの素直な反応がとても新鮮でした。大学院でコーチングを学んだときに感じたのですが、大人は羞恥心もあるし演技力が高いので、ダイレクトな反応を出すことを躊躇してしまいます。一方、子どもは喜怒哀楽の表現が豊かでわかりやすい。「子どもって面白いなぁ」と思っているうちに、どんどん受け持ちのクラスの子どもが好きになり、小学校教師という仕事にはまっていきました。

――沼田さんは子どもたちの「やる気」を引き出すために、「勝手に観光大使」「U2(Under 2 minutes)」など、ユニークな方法を数多く実践されています。それぞれどのような工夫が凝らされているのでしょうか。

沼田 「勝手に観光大使」は社会科で都道府県の特色を勉強する際、担当する都道府県を決めて観光大使に「勝手に」就任し、PR資料を作成して発表会を行うというものです。ただ「都道府県について調べよう」と言われるより、観光大使になりきってプレゼンテーションするほうが「ワクワク」しますよね。また、みんな頑張ってすごい資料を作成するのでもったいないと思い、僕が「勝手に」各都道府県に郵送しています。すると、7年前から行っているこの取り組みはマスコミで話題になったこともあり、郵送したほとんどの自治体から返事をいただけるようになりました。実際に返事がくると子どもたちは大喜びですし、知識が定着するのは言うまでもありません。

「勝手に観光大使」資料作成にむけた情報集めの様子。提供:沼田晶弘氏

「勝手に観光大使」資料作成にむけた情報集めの様子 提供:沼田晶弘氏

沼田 「U2(Under 2 minutes)」は低学年に九九を覚えてもらうために編み出しました。縦横それぞれ1から9までの数字が書かれた81ますの表に、数字をかけ合わせた答えを書いていきます。ここまでは計算ドリルと一緒ですが、僕は2分という制限時間を設定してF1の曲を流してゲーム感覚でやってもらいます。もし2分を切れたら「U2」の称号がもらえるので、子どもたちは必死で計算します。「U2」の称号が欲しいので家庭でも毎日81ます計算に取り組み、結果的に計算のケアレスミスが少なくなるんです。

子どもたちに前向きに物事に取り組んでもらうためには、面白さやゲーム性の向上が重要です。それを前提にして、学んでもらいたいことに合わせて、子どもたちが楽しめるような仕組みを考えています。

「やる気」の栄養源を見つけ、プロデュースする

――子どもたちが喜んで取り組む様子が目に浮かぶようです。

沼田 大人の反応が子どもの「やる気」につながるというプラスのスパイラルを生み出すケースもあります。その一例が、一昨年の秋、1年生のクラスで初めてやった「サンマ・パーフェクト・骨抜き・フェス」略してSPHFです(笑)。僕はサンマの塩焼きが大好きで、「サンマって美味しいよ。骨をスーッととれる大人は格好いいし」という話をしていたら、子どもたちが目を輝かせて「やってみたい!」と言い出し、SPHFを実施することになりました。

SPHFでは3つのルールを決めました。1つ目は手とお箸だけを使う。2つ目は家での練習は好きなだけやって良い。3つ目は練習や本番中に泣いたら失格。SPHF発表日までの2週間で、最多で7回サンマを食べた児童がいましたし、発表日前日は35人中21人がサンマを食べていました。

SPHFを思いついたとき頭に浮かんだのが、保護者の方々の笑顔でした。家で魚を食べない子でもすすんで魚を食べるようになるし、子どもがサンマを上手に食べられると嬉しいですよね。さらに、サンマの上手な食べ方を発表すると同時に、サンマへの感謝の手紙を子どもたちに書いて読んでもらったのですが、「僕のために釣られてくれてありがとう」という言葉を聞いて、大人のみなさんは「かわいい!」と大喜び。大人のリアルな喜びの反応は子どもの「やる気」の栄養源になるので、うまくプロデュースできたかなと思います。

ビジネスの場面でも、何が「やる気」の栄養源になるかは、その人がどんな状態であるかによって違いますよね。同じ仕事を任されるとしても、入社1年目と5年目では、仕事の熟練度も上がっているし、ビジネスへの理解も深まっている。1年目ならただ任せるだけでやりがいを感じてくれるけれど、5年目だとそうはいかないと思います。そこで上司がその状況を理解して、工夫する必要があるのです。

SPHF開催後には児童と共にPDCAチェックも行った。提供:沼田晶弘氏

SPHF 開催後には児童と共にPDCAチェックも行った 提供:沼田晶弘氏

沼田 SPHFもふざけた取り組みに見えることもあると思いますが、僕は子どもたちが楽しく学ぶ方法はないかを毎日真剣に考えています。ビジネス的に言うのであれば、KPIとKGIをどこに置くのかということです。学校教育という場では、やっぱり子どもたちが伸びていくことがゴールで、そのためには自主的に学んでいく必要があります。僕が1つの授業にどれだけ時間をかけて準備したのかということや、どんな授業をしたのかというようなことでは子どもたちの状態は測れません。子どもたちの学びの後押しをするのが教師としての僕の役目ですから、授業に趣向を凝らすのはそのための手段なのです。

――そういったユニークなアイデアは自然に浮かんでくるのでしょうか。

沼田 学校という狭い世界にいると思考の幅が広がらないので、意識的に学校外の人と会うようにしています。僕はあまり本を読まないので、人と会って情報交換をするのがインプットになります。話していて面白いと思ったことを、いくつも頭に溜めておく。すると授業をしているときに「これだ!」とアイデアが出てきますね。

苦手は「悪いこと」ではない

――やり方次第で子どもたちは自ら行動するようになるのですね。ビジネスの場でも同じことが言えると思いますが、どうしたら部下や後輩の自発的な行動を促すことができるのでしょうか。

沼田 仕事にも「ゲーム性」を取り入れると良いと思います。その際のポイントは、「課題」「報酬」「制限」の3点を設定することです。「課題」と「報酬」の明確化に関しては、既にビジネスの場でよく言われていますよね。でも、それだけだとつまらないんですよ。なぜなら、「できないかもしれないドキドキ」や「選ぶ楽しさ」がないからです。時間や費用、条件などの「制限」があることで、工夫することの面白さを感じられるんです。また「報酬」に関しても、数千円程度の報奨金を渡すだけでも十分効果的だと思います。

上司の役目は、部下がやっている仕事のやり方や方向性のズレを調整すること。ちょっと頑張ればクリアできるようなストレッチゴールを都度設定し、部下の背中をそっと押して成功体験をつくってあげることができれば理想的ですね。

東京学芸大学附属世田谷小学校教諭 沼田晶弘氏

――沼田さんのように「やる気」を引き出せる先生や上司が増えれば、学校や職場の雰囲気はより良くなっていきそうですね。そのためにはどんなマインドや行動が必要なのでしょう。

沼田 上司が完璧な存在ではないと、部下にさらけ出してはどうでしょうか。教師というと完璧な存在であると思われることも多いですが、僕も、自分が不得意なところは認めて伝えるようにしています。例えば、漢字テストの丸付けが苦手だと正直にクラスの子どもに話したら、何人かが手伝ってくれるようになりました。最終チェックは僕がやりますが、丸付けをする子どもは自然と漢字を覚えるようになり、僕も負担が減って助かる。まさに一石二鳥です。

ビジネスでも同じで、自分が不得意なところは素直に部下に任せてしまえば良いのです。現代は個よりチームの力が重視される時代です。面白いことにそれは人気漫画にも反映されていて、かつては『ドラゴンボール』や『キャプテン翼』のように圧倒的な能力を持つ主人公が活躍していました。それが今は『ONE PIECE』に代表されるように、1人の抜きん出た人物が何でもこなすのではなく、チームで補完しあうストーリーに変わっていますよね。何でも1人で完璧にできる必要はない。苦手であることは「悪いこと」ではないんです。

――確かにチームプレイや適材適所の重要性はよく耳にします。上司に任せてもらったら部下は張り切りそうですね。

沼田 僕がしばしば言っているのは、「やらされる」と「任される」は本質的には同じということです。でも、上司に頼られたら嬉しいし、頑張ってしまいますよね。上司の頼み方次第で業務に対するモチベーションは変わると思うので、ワーディングも相手や状況に合わせて変えてみると良いのではないでしょうか。

これからの教育に求められること

――AIなどテクノロジーの発達した社会が到来し、仕事や求められる能力も変化していくと言われています。AIと共存するために、これから人間が磨くべき能力は何だと思われますか?

沼田 僕は、子どもたちには、AIが苦手とする「考察し、判断する能力」を身につけてほしいと思っています。情報処理能力などAIの方が得意としている分野はあるので、勝ち負けを争うのではなく、人間はAIを味方にできるようになればいいんですよね。

判断能力を鍛えるために、僕のクラスでは「新聞オピニオン」と題して、好きな新聞記事のサマリーと自分の意見を書いてもらっています。低学年だと理解が十分でなく乱暴な意見もありますが、それなりに自分の意見を表現できるようになります。これからは言われたことをこなすのではなく、自分の意見を持ち発信する力が重要と言われているのは周知の通りです。さらに言えば、僕たち教師側もアクティブ・ラーニングが必要とされるなら、教え方を変えながら柔軟に対応することが求められているのです。

テクノロジーが発展すると、これまでは「やること」自体が大事だと思っていたこともやらなくなります。たとえばテレビ会議もこれから増えていくでしょうし、そうすると移動しなくなり、時間も労力も交通費も削減できます。営業職も、既に「何回営業に来てくれたか」だけで判断されることはなくなっているのではないでしょうか?

ただ、僕は、テレビ会議は魔法瓶のようなものだと思っていて。つまり、温まった熱を逃さない効果はあるけど、「沸騰」させるのは難しいんですよ。オフラインで一度会って関係性を築けているならまだしも、初対面で画面越しに話すとなると、なかなか白熱しない部分もありますよね。単純に新しいものが全て「良い」わけではありませんが、良い部分は認めて取り入れる、自分が柔軟に変化できる力は、これからを生き抜くためには重要なんじゃないかと思います。

東京学芸大学附属世田谷小学校教諭 沼田晶弘氏

――最後に、日本の教育に対するメッセージはありますか。

沼田 「教育を変えたい」という大それた考えはありません(笑)。確かに教育について意見を求められる機会は多くなっています。ですが、僕のやり方が絶対に正解だとも思いません。なぜかというと、それぞれの教師のキャラクターも、その目の前にいる子どもたちもまったく違うからです。取り入れられるエッセンスがあれば取り入れて、その方の性格や子どもたちに合った方法に昇華していただきたいですね。

教育の現場で1点問題だと思うのが、どんなに子どもたちの満足度を高めようが、学級崩壊しようが、教師の給料は一律で変わらないという点です。たとえば、極端ですが、担任するクラスが運動会で優勝したらボーナスアップなど、教師のモチベーションを向上させる仕組みも必要だと思います。

同時に、先ほども言ったとおり、教師は完璧な存在になる必要はなく、子どもを輝かせるための伴走者になればいいという意識が浸透すれば、教育現場はより良い方向へ変わっていくと思いますよ。

TEXT:小林純子、PHOTO:品田裕美
※本記事は、緊急事態宣言発令前の取材に基づいて制作しています。

沼田晶弘(ぬまた・あきひろ)

東京学芸大学附属世田谷小学校教諭。
1975年東京生まれ。東京学芸大学卒業後、アメリカ・インディアナ州立ボールステイト大学大学院で学び、インディアナ州マンシー市名誉市民賞を受賞。同大学職員などを経て、2006年から現職。
児童の自主性・自立性を引き出す斬新でユニークな授業が話題となる。
教育関係のイベント企画を数多く実施するほか、企業向けにやる気を引き出す声かけや、リーダーシップ、コーチング、信頼関係構築などの講演も精力的に行っている。
著書に、『One and Only〜自分史上最高になる』(東洋館出版)『自分で伸びる小学生の育て方』(KADOKAWA)など多数。

現代において、人々の生活はテクノロジーと切っても切り離せないものになっています。しかし一方ではIT人材不足は今後もますます深刻になると予測されており、日本でも2020年からプログラミング教育が小学校の必須科目となるなど、優秀なSTEM(Science, Technology, Engineering and Mathematics)人材育成が喫緊の課題となっています。

IBMはSTEM教育推進の一環として、学生を対象としたプログラミング・コンテスト「Master the Mainframeコンテスト」を開催しています。15年目となった昨年のコンテストには、全世界から約25,000人の学生が参加しました。その結果、全世界の上位3人である「世界最優秀賞」の一人として、法政大学大学院生・蕪木貴央さんが選出されました。

学び、実践することで誰もが成長できるコンテスト

「Master the Mainframeコンテスト」は全世界の高校、大学、大学院、専門学校に在学中の学生を対象に、年1回開催されます。参加者は自分のパソコンから米国にあるメインフレーム(大型汎用コンピュータ)にアクセスし、ガイドに沿って課題に取り組み実践的なスキルを習得していきます。その上でコンピューター・プログラムを設計・構築し、その品質が審査されるのです。

コンテストの課題は基礎・演習・実践の3つのパートに分かれています。

最初のパートではメインフレームの基礎を学ぶため、スクリーンショット付きのガイドを参照しながらファイルを作成したりプログラムを実行したりします。このようなステップを踏むことで、メインフレームの知識がなく、プログラミングの経験がない学生でもコンテストに参加しやすくなるのです。

次の演習パートでは、さまざまな言語、OS、データベースやセキュリティーについてハンズオン・トレーニングで学びます。

そして最後の実践パートでは、これまでに演習で習得したスキルを使い、現実に起こり得る課題を解決するプログラムを設計・構築します。

コンテスト受賞により広がる可能性

コンテスト参加者はメインフレームの知識だけでなく、さまざまな特典も得ることができます。

例えば、全パート修了者のうち世界の各地域ごとに選ばれた上位2名には$2,750の旅行券が、全世界の成績優秀者上位3名には勉強や研鑽のため現金 $1,000が贈られ、双方ともIBMからのニュース・リリースの配信やソーシャル・ネットワークを通じてその栄誉を讃えられます。

さらに、日本から参加した全パート修了者は全員、日本IBM本社やIBM主催イベント会場にて開催される表彰式、コンテスト経験者を含む先輩IBM社員とのランチ懇談会に招待され、最先端で活躍するエンジニアたちと交流することができます。

こうしたさまざまな経験や魅力的な特典により、学生が将来の活躍の場を切り開くことができるコンテスト——それが「Master the Mainframeコンテスト」なのです。

25,000人の頂点に立った蕪木貴央さん

今回のコンテストでは、法政大学大学院生の蕪木貴央さんが世界優秀賞3名の中の一人に選ばれました。蕪木さんは、当時大学院で日本 IBM社員が講師を務める授業を受講しており、そこでコンテストを知ったとのこと。中学2年生頃からプログラミングを始め、デスクトップ環境での開発経験はある程度あったようですが、メインフレームに関する経験は全くなかったのだそうです。

「予備知識は前提とされていなかったので、かえって新しい技術や環境を経験する良い機会だと考え参加を決定しました」と蕪木さん。しかし、本来であれば約4カ月の期間が与えられているところ、コンテストの存在を知った時点で、既に最終締め切りまで1カ月を切っていました。

蕪木貴央さん (本人提供)

「期限に間に合うよう、空き時間を見つけて進めていくことに集中し、最終日の深夜まで作業をしました。今まで経験してきた環境とは全く異なるものだったこともあり、操作方法からインターフェース、プログラミング言語に至るまで多くの部分で戸惑いながらの進行で、想像した通りに進まないこともしばしばありました」

そうして最後まで粘り強く課題へ取り組んだ結果、栄えある世界最優秀賞に選定されたのです。「入賞できればいいなとは考えていたものの本当に実現し、まして最優秀賞に選ばれるとは思っていなかったので、驚くとともに大変嬉しく思いました。家族も大変喜んでくれました」

蕪木さんのもとには海外の開発者や関係者から想像を超える反響があり、受賞を機に新しい世界が開けたとのこと。今後はどのようなキャリアを歩もうと考えているのでしょうか。

「特定の分野のみならず、できるだけ広い分野の知識を持つ、ジェネラリストとして活躍できるエンジニアになりたいと考えています。また、ITというと、比較的地理や環境に依存しない分野なので、世界でも貢献できるようになることを目指しています。直近では、クラウド、エッジ・コンピューティングについて考えることが多く、メインフレームの特性がこれらの環境に合致しているように思うので、メインフレームについても勉強を続けていこうと考えています」

「Master the Mainframeコンテスト」への参加を、キャリア構築の糧として進んでいきたいという蕪木さん。IBMではこのように、学生たちの才能開花や躍進を後押しする取り組みを続けています。本コンテストで学び成長した世界中の学生たちが、優秀なIT人材として今後おおいに活躍してくれることを願っています。

photo:Getty Images

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世界で勝負、「研究開発型」町工場――航空宇宙や医療の部品開発製造で、メイド・イン・ジャパンの底力を示す

経営不振だった小さな町工場が、第2創業によりV字回復し、航空宇宙や医療などの先端分野で飛躍的な成長を遂げている。神奈川県茅ケ崎市に本社と工場を持つ精密切削加工の「株式会社由紀精密」である。
3代目社長の大坪正人氏は東京大学大学院で機械工学を修めた。高速金型事業で注目を集めたベンチャー企業に就職し活躍していたが、31歳の時に家業の危機を知り、立て直すために戻ってきた。ネジの下請け製造が中心だった事業を、研究開発型工場に転換。自社の精密加工技術と自分が得意とする開発力とを生かし、JAXA(宇宙航空研究開発機構)の宇宙部品を始め、航空機、高級時計、医療関連部品等に事業転換したのだ。
国内市場の縮小を見据え、海外展開も着々と進めている。まずフランスを拠点に欧州市場に進出。「よいものづくりに国境はない」として国の隔たりなく世界市場での取引を目指している。
日本のものづくりを支える中小製造業は、リーマンショック(2008年)や東日本大震災(2011年)などの荒波にもまれ、新興国の台頭やグローバリゼーション、オンライン取引の進展などのさまざまな課題にも直面している。その中にあって、21世紀の研究開発型「町工場」を先導する大坪社長に、日本のものづくりの新しい方向性や課題について語っていただいた。

「下請け町工場」から、「研究開発型町工場」を目指す

――最初に就職された(株)インクス(現SOLIZE)では、金型の受注後45時間で納品する高速金型を実現し、第1回ものづくり日本大賞や経済産業大臣賞を受賞されました。中小企業の経営支援も経験されてきた大坪さんから見て、家業のネジ工場の危機の原因はどこにあったと思われますか。

大坪 由紀精密は私の祖父、大坪三郎が創業した金属の切削加工の町工場です。父の代になっても大手電機メーカーの下請けとして、公衆電話や通信機などの機械部品を量産してきました。固定顧客から注文を頂くので、営業社員は置かず、注文が増えたら生産設備も増やすという経営でした。それが90年代に入ると、潮目が変わってきました。携帯電話の爆発的な普及で、公衆電話の注文が激減したのです。
父が体調を崩したこともあって、私は家業を何とか立て直さなければならないと強く思い、勤めていた会社を退社し由紀精密に入社しました。
まず手掛けたのは、あらためて自社の強みは何かを徹底して掘り下げること。お客様がなぜ長年弊社に発注してくださっていたのか、アンケートを取り分析をしました。その結果、皆様が品質の高さを最も信頼する点として挙げてくださり、それが長年の信用となっていたことを確信したのです。
切削加工の技術力を最も評価していただいているのならと、その強みをさらに伸ばし、安定した品質の求められる航空宇宙や医療分野を目指しました。その上で、公的な認証を得ようと、何年かかかりましたがISO9001を取得。その後JIS9100(航空宇宙品質規格)も取得しました。
また、製造を知った立場で設計段階の提案ができるよう、開発部を立ち上げました。私自身が前の会社で研究開発に携わっていたことと、図面を描くのが大好きだったことから、そこを強化して「研究開発型」町工場にしたいと思いました。
下請けとして競争力を磨いていくという選択肢もあったのですが、機械設計を含めた技術力を生かし、明確になっていないニーズまで拾い上げ形にできる企業になっていきたいという思いがありました。

さらに、ロゴマークを一新し、Webサイトをリニューアルし、インターネットに力を入れることにも着手しました。展示会にも意欲的に出品し、多くの人に会社を知っていただくことに注力しました。
サイトを見たお客様から問い合わせが来たら、その会社の事業内容をつぶさに調べ、事業展開を予測してその企業のための提案書を作りました。
航空宇宙や医療分野を弊社の技術力の訴求分野とし、その分野のお客様を中心に広く知っていただけるよう、弊社の研究開発力と加工技術をアピールしていきました。

株式会社由紀精密 / 由紀ホールディングス株式会社 代表取締役社長 大坪正人氏

少量でも付加価値が高くて重要な部品の生産を

――60年も続いてきた家業のねじ製造にこだわりはなかったのですか。

大坪 ねじにこだわって、今も主力製品の1つです。しかし実は、今の家電製品や携帯端末は、初めからねじを使わない設計になっているのです。例えばスマホやテレビのリモコンに、ねじは見当たりません。ほとんどが接着剤(樹脂)に置き替わっています。樹脂の性能は近年飛躍的に向上しており、ツメでパチンとはめ込むタイプも増えています。
機械部品も減っています。例えばカメラ。昔はフィルムを入れて巻き取る軸がありましたが、デジカメはセンサー、電子基板、メモリーカードしかありません。ハードディスクもSDカードに替わりました。

では、どんな機械が将来も残るかと考えると、人を運ぶ飛行機、ロケット、電車、自動車や、人の身体の機能を補助するものの部品、例えば、義手・義足、手術用具、インプラント等々でしょう。由紀精密はこうした分野の機械部品に特化していこうと考えました。ただ自動車は部品の量が膨大で、社員十数名の当社のサイズでは対応できないので、最初からチャレンジの対象外です。
当社が目指すのは、少量でも高品質が求められ付加価値が高い部品です。例えばスイスに輸出している時計の精密部品の場合、体積に対する単価が高いので、輸送コストが比較的少額ですみます。
多品種少量でも利益を生むためには、製造方法の効率化が必須です。「高い技術力」というと1人の神の手を持つ匠の技を想像する人もいますが、そうした昔ながらの町工場のモデルは、後継者がいなくなると継続できません。この問題の解決には、金型製造にITを導入した前職の経験が生きました。

株式会社由紀精密 / 由紀ホールディングス株式会社 代表取締役社長 大坪正人氏

国際航空宇宙展に加工サンプルを出展し、取引が始まった

――航空宇宙分野は厳しい品質管理が要求されます。業種転換は大変だったのではありませんか。どのように地歩を固めて来られたのでしょうか。

大坪 由紀精密に戻って2年目の2008年、横浜市で開かれた国際航空宇宙展にともかく出展してみることにしました。技術力をアピールする加工サンプルとして、「インコネルメッシュ」(写真1)を展示しました。インコネルは航空宇宙分野でよく用いられる耐熱合金ですが、バリが出やすく工具の寿命が非常に短く、加工が大変難しい(難削材)のです。その金属棒を複雑なメッシュ構造に切削するには相当の技術力が求められます。
航空機関連メーカーさんがこれに目を留めてくれ、取引が始まりました。難削材であることと、航空機の規格に合わせた特別の検査ゲージをそろえるなど結構苦労しました。
最初の頃の売り上げは年間で数十万円という、微々たるものでしたが、この10年で旅客機のエンジン部品、座席や内装の部品など、幅広く手掛けるまでに成長しています。

インコネルメッシュ 写真提供:株式会社由紀精密

インコネルメッシュ 写真提供:株式会社由紀精密

大坪 一方、宇宙分野では、ロケットエンジンの耐熱合金にやはりインコネルを使うことから、JAXAの方が会場で声を掛けてくださったことが始まりです。最初の頃は小さい単位で注文をもらってお手伝いしていました。
国際宇宙ステーション(ISS)に物資を運ぶ無人輸送機「こうのとり」のプロジェクトでは、地球に帰還するカプセルの姿勢制御用ノズル部品(写真2)を、JAXAと金属3D造形を手掛けるコイワイさんと3年かけて開発しました。複雑な構造をしており、チタン合金を素材に3Dプリンターで製作しました。3次元造形物に対する精密加工というチャレンジングな仕事で、2018年11月に南鳥島近海で無事回収された時のうれしさは忘れられません。

写真2:金属3Dプリントと精密切削加工を融合した小型回収カプセル用 姿勢制御用ノズル部品のサンプル。写真提供:株式会社由紀精密

写真2:金属3Dプリントと精密切削加工を融合した小型回収カプセル用姿勢制御用ノズル部品のサンプル。
写真提供:株式会社由紀精密

小型衛星や宇宙ゴミの除去など、宇宙ベンチャーとも取引を始める

――超小型人工衛星を受託製作するアクセルスペース社や、衛星で宇宙ゴミ(スペースデブリ)を除去するアストロスケール社などのベンチャー企業とも取引されていますね。

大坪 宇宙産業は少量生産で高付加価値という点で、当社の得意とする品質や技術を生かすことができます。特に、超小型衛星のベンチャー企業とご縁ができました。
アクセルスペース社さんからは最初Webサイトから問い合わせがあり、最初に打ち上げた衛星部品の金属加工の多くをお手伝いさせていただきました。今では急成長を遂げたアクセルスペースさんですが、当初は数名の会社で、機械加工を専門にされている方はいらっしゃらなかったので、由紀精密の機械加工のしやすさから設計に関しての提案ができるところが非常に助かったと伺いました。
1号機は民間気象情報会社のウェザーニューズ社さんから受託した衛星で、2013年にロシアのロケットを使って打ち上げられました。この実績が評価されて、いろいろなメーカーから注文を頂くようになりました。

アストロスケール社さんとは資本業務提携し、ハードウェアの設計・製造のお手伝いをしています。
宇宙空間に無数に漂う使用済み衛星やロケットの残骸などの大小のゴミ(デブリ)は近年大きな問題になっており、同社は今年、宇宙ゴミ除去の実証実験を行う衛星を打ち上げる予定です。衛星は大きなゴミに近づいてドッキングした後、ロケット噴射で減速して軌道を下げ、ゴミもろとも大気圏に突入して燃え尽きる仕組みです。
民間での小型衛星の打ち上げも活況となり、使用済み衛星やロケットの残骸などのゴミが増え、安全上のリスクが高まる中で、アストロスケール社さんにはますます世界の期待が高まっているのです。

――フランスに営業拠点を置かれていますが、その狙いをお聞かせください。

大坪 国内の大手メーカーはこれまでにも多くの製品を世界に輸出してきました。その製品は国内で製造され、そこにものづくりの中小企業は多くの部品を供給してきました。しかし、国内の大手メーカーもグローバルな競争の中で、消費地で生産をすることになります。それに伴い、部品の調達も現地で行われるようになってきています。われわれ中小企業もこの流れで仕事がなくなってしまうと憂いているだけではなく、世界に市場を求めていくべきと考えています。
そこで当社は、自社で海外に積極的に売っていく戦略で臨んでいます。進出するなら開発力の強い国にしようと、欧州、まずはフランスを選びました。リヨンに事務所を置き、周辺のものづくりに強い国との取引も展開しています。フランスはGDPに占める航空宇宙産業の比率が最も高い国で、航空宇宙産業の規模も日本の4倍あり、マーケットチャンスが大きいと判断したのです。
リヨンは欧州のハブ空港なので、欧州のどの国にも1時間程度で行けます。スイス、ドイツ、デンマーク、イタリアなどの企業と取引が始まっています。
日本企業のマーケットを広げるためにも、頑張るぞという気持ちです。

株式会社由紀精密 / 由紀ホールディングス株式会社 代表取締役社長 大坪正人氏

患者の負担を軽減する脊椎インプラントを開発

――医療機器も高い技術が求められる分野ですが、どのような製品を開発されているのでしょうか。

大坪 医療機器としては、背骨を固定する脊椎インプラントというものを開発しています。インプラントというと歯医者さんで使うものを思い浮かべる方が多いかもしれませんが、背骨の損傷や変形等に対応するために、複数の脊椎にねじをねじ込み、それらをロッドで固定する、いわば背骨のギプスのようなものです。これは、インプラントそのものも開発しましたが、その手術でお医者さんが使う手術機器全体も設計・製造しました。当社が医療系商社から依頼を受け、お医者さんと5年かけて開発しました。

元々由紀精密はねじ屋から始まっているので、ねじ製造は得意ですが、材料がチタンであることと、非常に特殊な医療機器の要求事項を満たさなければいけないところに苦労しました。
精度だけではなく、洗浄や表面の仕上がりのよさ、それから識別するための色も重要になってきます。

――こうした航空宇宙や医療などの部品開発は、開発部が担っているとのことですが、その目的や機能を説明していただけますか。

大坪 私は学生時代も前職でも、機械設計をやっていました。そのおかげで、図面を元に、コストダウンのための改良や、部品の検査機器の設計の相談にも乗ることができました。そんなニーズが多くなってきたので、開発部を私と社員の2人で立ち上げました。
これが「研究開発型」町工場のスタートでした。機械設計と加工部門が一緒になることで、加工をわかった設計開発ができ、製造の際にトラブルや手戻りが少ない、トータルコストを抑えるなど、お客様のメリットにもつながります。今、開発部員は12人に増え、売り上げは製造部門を上回る月もあります。

企業の想いをブランディングに込める

――コーポレート・ブランディングを重視しておられます。ロゴマーク一新、精密コマ、機械音をアレンジした音楽レーベル「INDUSTRIAL JP」の発表など、意表を突く挑戦をされています。ブランド戦略についてお聞かせください。

大坪 どうしても、大企業と中小企業ではコーポレート・ブランディングへの意識とお金の使い方は大きな差ができてしまいます。由紀精密に戻ってから、中小企業でも、大企業と同じくらい力を入れてブランディングにこだわりたいと思い、新しいロゴには、自分たちはどういう会社を目指すのか、その想いを込めました。

株式会社由紀精密の新しいロゴと大坪氏

大坪 2011年のパリ航空ショーに出展した時、当社の旋盤技術を世の中に伝えるには何がいいかを考え、精密コマ(写真3)を思いつきました。3分間以上も回り続ける直径1センチほどのコマで、よく売れています。これが縁となって、多数のものづくり企業が参加するコマの全国大会が開かれるようになりました。

写真3:精密コマ(SEIMITSU COMA)写真提供:株式会社由紀精密

写真3:精密コマ(SEIMITSU COMA) 写真提供:株式会社由紀精密

大坪 音楽レーベル「INDUSTRIAL JP」は、大学の機械工学科時代の友人で、現在は大手広告代理店に勤めるクリエーターとの会話がきっかけでした。「触れる機会が少ないが潜在的にものづくりが好きな若い人たちに、現場のおもしろさを伝えたい」、「大企業だけではなく中小企業の魅力を伝えるためにどうすればよいのか」というのが機械工学出身の2人の意見でした。それを達成するために意見を交わし、さまざまな機械音を素材としてサンプリングし、映像と音楽にしてレーベルにしたサイトを公開したのです。
それが世界最大級の広告祭「カンヌライオンズ」のブロンズ賞などいくつもの広告賞を受賞し、多くの方に知っていただくことができました。曲は今も少しずつ追加しています。

持ち株会社として、優れた技術を持つ中小企業にプラットフォームを提供

――2017年秋、中小企業を傘下に抱える持ち株会社(由紀ホールディングス)を設立されました。どのようなグループ経営を目指しておられるのでしょうか。

大坪 優れた技術を持つ中小製造業をグループ化し、資金調達、製造技術開発、人財採用、デザイン、海外展開などの機能を提供することで、技術をさらに応用展開して伸ばしていくということを目指しています(写真4)。これは、前職での、技術力は高いけれど経営に苦しんでいる企業に出資し、自分ごととして経営を立て直す技能の伝承や経営改善のための金型革新ファンド(通称雷鳥ファンド)の取り組みに共感し、その想いはずっとありました。
そうした経験を元に、2018年1月、すでに製造業をグループ化していたVTCマニュファクチャリングHDから委ねられ、ニッチな分野で高い技術力を持つ中小企業7社を譲り受けました。その後も増えて今は13社です。
「LVMH(モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン)」はファッション、酒、化粧品、時計など多様な企業群を抱え、長期的なビジョンに基づき1つ1つのブランドの個性を光らせることでグループ全体の競争力を高めているものづくり企業です。由紀ホールディングスもそういった企業を目指したいと思っています。

写真4:由紀ホールディングス株式会社の体制。優れた要素技術を持つ製造業のグループ YUKI Holdingの持つプラットフォームを各社が活用 (YUKI Method™)。
写真提供:株式会社由紀精密 ©︎YUKI Holdings Inc. All rights reserved.

企業永続の手法の1つとしていずれは株式公開も視野に

――由紀精密はリアル「下町ロケット」と親しみを込めて呼ばれています。日本のものづくりを支える多くの町工場が世界で輝くために、アドバイスをお願いします。

大坪 今、長く存続している会社には何か強みがあるはずです。その強みを見つけることから始めることが大事だと思っています。日本人は技術的に優れた企業であっても、少しでも自社よりいい会社があると知ると、「ウチはたいしたことはない」と謙遜しがちです。もっと自社の技術に自信を持ち、その強みを伸ばしていくことが大切であると考えています。
リーマンショックに大震災。新型コロナウイルスも心配ですが、経営者としては、常に不測の事態に対応していかねばならないと思っています。
企業を永続させるにはいずれ株式公開も選択肢の1つだと思います。今はオーナー企業なので長期的視点で経営ができますが、上場したら株主総会で短期的利益を最大化することを求められてくるかもしれません。
今の私が思い描いている構想を会社の文化として残せるか、長期的視点に立つ経営ビジョンを株主に理解してもらえるか――そこがこれからのポイントだと思いますが、それを乗り越えてこそものづくり企業として、より多くの社会課題解決の道が開けると思っています。

株式会社由紀精密 / 由紀ホールディングス株式会社 代表取締役社長 大坪正人氏

TEXT:木代泰之、 PHOTO:倉橋 正
※本記事は、緊急事態宣言発令前の取材に基づいて制作しています。

大坪 正人(おおつぼ・まさと)

株式会社由紀精密 / 由紀ホールディングス株式会社 代表取締役社長
1975年神奈川県生まれ。東京大学大学院工学系研究科卒。大学院修了後、3次元プリンターで当時国内最大のサービスを展開していた株式会社インクス(現ソライズ株式会社)に入社。ハードウェア部門の責任者として高速金型部門に所属し、世界最高速で金型を作る工場を立ち上げる。その金型工場は世界の携帯電話試作金型の3割のシェアを取るまでに成長し、第1回ものづくり日本大賞、経済産業大臣賞を受賞。
2006年、当時経営危機に瀕していた実家の株式会社由紀精密に入社。電気電子業界から航空宇宙や医療関連へとビジネスの方向を転換。独自に開発部門を立ち上げ、10年間で売り上げ4倍、航空宇宙医療分野で全売り上げの7割という高付加価値の会社へと改造する。2017年10月、由紀ホールディングス株式会社を創業。

ことの始まりは、新橋の居酒屋だった――サラリーマンたちが宇宙に放つ超小型衛星「リーマンサット」

東京下町の溶接工場2階にある作業部屋。日曜日になるとサラリーマンたちが集まり、人工衛星の製作に没頭する。衛星の大きさは10cm3、重さ約1Kgという超小型衛星(キューブサット)だ。
この集まりは「リーマンサット・プロジェクト(RSP)」と言い、2018年10月には、上空400kmの国際宇宙ステーション(ISS)から実証機「RSP-00」を宇宙に放出した。今は自撮り機能を持つ「RSP-01」を開発中で、早ければ年内にも打ち上げる。
宇宙開発はJAXA(宇宙航空研究開発機構)や大企業、大学など限られた人々が担うものというイメージだが、宇宙好きの人は世の中にたくさんいる。RSPには全国から本業を別に持つ700人もの老若男女が参加し、技術者もそうでない人も、全員が何らかの役割を持ち自分たちの人工衛星の打ち上げに参画している。
ルールは、「お互いを尊重し、来るもの拒まず、去るもの追わず、出戻り歓迎」と、いたって自由でシンプル。RSP代表理事の宮本卓さんは「趣味だからこそモチベーションは高く、純粋に楽しむことができる」という。
江戸川区にある作業部屋を訪ね、宮本さんと、「RSP-01」PM (プロジェクトマネジャー)の三井龍一さんに、宇宙開発に挑戦する面白さや今後のRSP計画について伺った。

家庭でも仕事でもないサードプレイスという位置付け

――皆さん楽しそうですね。サラリーマンをもじった「リーマンサット」という名称もユニークで、親しみを覚えます。普通の市民が宇宙開発に取り組む意義を、どのように考えておられますか。

宮本 ここはあまり交通の便が良くない場所なのに、いろんな職業の仲間がやって来て楽しんでいます。宇宙開発というより、サラリーマンのサークルという感じでしょうか。
宇宙開発はJAXAや大企業がやるものだと思われていますが、このこと自体、宇宙開発が普通の人からすると遠い存在であることを示しています。僭越ながら申し上げると、本当の意味で「宇宙産業」にはまだ至っていないと思います。
例えば自動車業界であれば、メーカーは車を作り、町には修理工場があり、走らせて楽しむ人がいます。宇宙開発も、私たちのような普通の市民団体が、もっとたくさん参加できるようになり、宇宙産業として盛り上がっていくことが必要ではないかと思います。
もう1つの意義として大切なのは、リーマンサットプロジェクト(RSP)は、家庭でも仕事でもないサードプレイス(第3の場所)として位置付けていることです。ですから宇宙開発を本業とされている企業とは根本的に異なります。
私は学生のころ宇宙飛行士になりたいと思っていましたが、現在は溶接など金属加工の仕事をしています。その立場から見ると、従来の宇宙開発は、人類の持続的発展、国民生活の質の向上や安全保障など国の政策の下で、大学なら学術的な意味があるもの、企業ならビジネスになるものなどに限られているように感じています。10年前であれば、趣味のリーマンサットは打ち上げてもらえなかったかもしれません。
しかし、最近は少しずつ開放されてきて、JAXAの革新的衛星技術実証プログラムでも、エンターテインメント性のあるものなどが採用されていますし、今までにない宇宙の新しい楽しみ方が生まれている点が、時代の流れだと感じています。
ここに集まる人たちは、自分たちが作ったものが宇宙に行くことが何よりうれしい、という人たちばかりです。

一般社団法人リーマンサットスペーシズ 代表理事/ Creative Works 代表 宮本卓氏

思えば、新橋の居酒屋が発端だった

――この組織の立ち上げは、居酒屋で話が盛り上がったのがきっかけだったと聞きます。その場の話で終わらせず、行動に移したのは、皆さん元々宇宙好きだったからでしょうね。

宮本 そうでもあるし、そうでない人もいました。2014年、新橋の居酒屋で、後でご紹介するPM(プロジェクト・マネージャー)の三井龍一さんら5人が宇宙の話をしていて、「一緒に宇宙開発、やりたいねぇ~!」と盛り上がりました。同年11月にはさっそくポスターやチラシを作り、「メーカーフェア東京」というものづくりの展示会に、堂々出展したのです。ところが、小規模な展示でチラシも数が少なく、私も会場に行っていたのですがその時は出会うことができませんでした (笑)。
2015年1月には、第1回のキックオフミーティングを開いて30人ほど集まりました。私はSNSでその催しを知って参加した1人です。
当時はキューブサットを作る方向性は出ていましたが、どのように作ればいいのか誰も分かりません。30万円あればできると思っているメンバーもいました。(実際にはその20倍近くかかったのですが。)その後、何回も集まってキューブサットにどのような機能を持たせるか、ワイワイと真剣かつ楽しい議論を重ねました。
しかし、とにかく安全に確実に宇宙に行けることが先決なので、まずは基本的な機能を確認するための実証機「RSP-00」を開発し、自撮りは次の「RSP-01」に回すことにしました。
JAXAからは、いくつかの基準をクリアするように指示されました。専門業者に頼むと費用がかかるので、メンバーが所持する試験装置を持ち寄ったり、作業場はここ私の会社の2階を提供したりして、できるだけ自前のものを利用して、クリアしました。
完成した「RSP-00」(以下「00」)は、国際宇宙ステーション(ISS)(写真1)に行くJAXAの無人補給機「こうのとり」に積まれ、2018年9月23日にH2Bロケットで種子島から打ち上げられました。

国際宇宙ステーション

写真1:国際宇宙ステーション(ISS)
出典:ウィキメディア・コモンズ(Wikimedia Commons)

「RSP-00」に積んだ6,394人分の願いごとが流れ星になる

――組織の立ち上げから打ち上げまで、よく短期間で達成できましたね。打ち上げ時はどんな気持ちでしたか。

宮本 それは、うれしかったですよ!発射場のある種子島に行ったメンバーもたくさんいました。同時に東京でも大勢集まってパブリックビューイングをやり、JAXAがYouTubeで流す映像を見ていました。
「こうのとり」は上空400kmにあるISSの日本実験棟「きぼう」にドッキング。「00」は10月6日、他のキューブサットと一緒に宇宙に放出されました。私たちはJAXA筑波宇宙センターのVIPルームに招待され、放出の瞬間をモニターで見ました。
「やった~!」と感動して、みんな拍手喝采でしたが、音もなくスッと出て来たので、映像としてはあまりにも地味なものでした(笑)。通信は残念ながら機能しませんでした。
でも、「00」には「宇宙ポスト」を積んでいました。イベントや発表会などで手書きで書いてもらった願いごと6,394通を写真に撮ってSDカードに入れ、宇宙に持って行っていたのです。
「00」は今も地球を回っています。寿命は1年半から2年ぐらいと言われていて、今年中には大気圏に突入して燃え尽きます。その時、6,394人分の願いごとも一緒に流れ星になります。
「00」本体の開発費用は280万円、JAXAに払う打ち上げ費用は300万円で、合計580万円かかりました。メンバーから集めたお金と、クラウドファンディングで集めた200万円でまかないました。
他の趣味、例えば自動車であれば、1台で数百万円かかるわけですから、400人(2018年時点)のメンバーの夢を乗せていると思えば、そうべらぼうな金額ではないと思います。

一般社団法人リーマンサットスペーシズ 代表理事/ Creative Works 代表 宮本卓氏

メンバーは自分が好きなチームに所属できる

――RSPには、さまざまな仕事を持つ人々が参加されています。仕事の分担や組織運営はどのようになさっているのでしょうか。

宮本 メンバーは現在、約700人です。関東の人が多いのですが、名古屋や九州、四国の人もいます。宇宙オタクのエンジニアの集まりだと思われるかもしれませんが、決してそうではなく、デザイナーやマーケター、看護師や大工など、本業は宇宙とは何の関係もない人が大半です。下は小中学生から上は60~70代まで。20代や30代の人が多く、3割くらいは女性です。会費は取りませんが、毎月1回、茅場町で開く会議に参加してもらうときだけ、参加費をいただいています。
RSPには主に技術部と広報部があります。技術部には「00チーム」「01チーム」「02チーム」「ローバーチーム」「ロケットチーム」があり、全部で300~400人いて、それぞれ通信系、構造系、姿勢制御系、電源系などに分かれています。広報部は110人で、外部メディア課、郵便ポスト課、イベント課、クラウドファンディング課などに分かれています。他にも、どちらにも所属せずサークルなどの活動にのみ参加するメンバーもおります。
メンバーは自分がやりたいチームに属してもらい、重複していてもかまいません。エンジニアの方も広報の役割をしますし、その逆もあります。つまり配属先を決めるのは自分。RSPの名刺の肩書も、自分で自由に決めてもらっています。
技術部のローバーチームは、月面や惑星を走行する探査機に挑戦しています。いきなり趣味で月面は難しいので(笑)、まずは地球上で走るローバーを開発しています。将来的には、月面で穴を掘ったり何かを植え付けたりする機能を持たせることを目指しています。
ロケットチームは、高度100キロ超に達するロケットを目指しています。2019年には米ネバダ州のブラックロック砂漠で行われたXPRS(Extreme Performance Rocket Ships)というイベントで、ロケット打ち上げの技術実証を行いました。
衛星だけでなく、ローバーやロケットのプレゼンスも高めたいと思っています。

「01」は地球をバックにして衛星を写す自撮り機能を搭載

――リーマンサットスペーシズは、衛星の放出を行うスペースBD社との間で、「01」「02」「03」をISSから放出する契約を締結しています。今年打ち上げ予定である「01」のミッションについて説明していただけますか。

宮本 「01」には自撮り機能を持たせています。本体はすでに出来上がっていて、専用のガラスケースの中に格納してあります。ミッションを「自撮り」と決めたきっかけは、「自分たちが作った衛星が、宇宙で働いているところを見たいよね」ということでした。宇宙のきれいな写真はたくさんありますが、地球をバックに衛星を写したものはほとんどありません。また仮に衛星が破損した場合に、その部位の状況をチェックできる利点もあります。
自撮りするカメラ(約3センチ角)はマジックハンドで本体から外に10cm出てきます(写真2-2)。ISSから放出後、一定の時間が経つと、通信で撮影の指令を出します。衛星、地球、宇宙が画角に入るよう磁気トルカを使った姿勢制御を行います。レンズは撮影範囲が広い魚眼レンズを用います。AIを搭載していて、たくさん撮影した中から地球が写ったものを選択して、地球に送信する仕組みにしています。

「RSP-01」のフライトモデル

写真2-1:「RSP-01」のフライトモデル 出典:RSP


「RSP-01」の自撮りするカメラ

写真2-2:「RSP-01」の自撮りするカメラは、マジックハンドで本体から外に10cm出る。
出典:RSP

「RSP-01」PMの三井龍一さん

「RSP-01」PMの三井龍一さん

太陽電池は高性能の「宇宙仕様」に急きょ変更

――宇宙では、真空、厳しい寒暖差、放射線の影響など、地上とは異なる環境にさらされます。「01」は耐久性や安全基準を満たすためにどのような試験をされたのでしょうか。

宮本 まず真空ですが、「00」のPMを務めたメンバーの私物である真空チャンバーを使いました。寒暖差について、零下から高温まで試験できる装置を購入しています。また、半導体などの電子部品は、放射線を浴びると劣化する心配があるので、東京工業大学にある試験設備で確認しました。「01」はこの3つのテストにすべて合格しています。

真空チャンバー

RSP開発室には、なんと真空チャンバーまで備えられていた

三井 各パーツの消費電力を測定したところ、使用する予定だった地上用太陽光パネルの発電量では足りないことが分かりました。このため「01」の太陽電池は、発電効率が高い「宇宙仕様」のものを使っています。実は、3カ月前までは別の太陽電池を使う予定だったのですが、電力が足りないことが分かり、急きょ宇宙仕様のものに取り替えたのです。
しかし、厚さが0.3mmしかないので、どのように「01」の表面に張り付けるか、打ち上げ時の振動に耐えられるか、真空の中で作動するかなど、技術的なハードルをクリアするには苦労の連続でした。毎週のように作業して何とか間に合わせました。
宇宙では、すべての機能を同時に働かせると電池が消耗するので、ときどき休ませながら1年以上かけてミッションを運用する設計にしています。太陽電池以外の電子部品は、秋葉原で買える汎用品で十分やれると思います。

「RSP-01」PMの三井龍一氏

――キューブサットの打ち上げ費用は高くなっていると聞きますが、資金面の手当ては問題なかったのでしょうか。

宮本 世間では「1000万円かかる」という見方も出ているようですが、やり方次第でもっと安くできる可能性があります。それでも「00」の580万円より増えることは避けられません。そこで昨年、「01」のためにクラウドファンディングを再度実施し、前回を上回る369万円を達成できました。資金的にはクリアできました。クラウドファンディングには205人の方に支援していただいています。

三井 その内訳はメンバーだけでなく、その友人や外部の方も結構おられます。募集のやり方はクラウドファンディング課が工夫してくれました。RSP-01開発メンバーの生の声を本業と共に紹介したのです。
コメント欄には「〇〇さんがんばれ」など、うれしい言葉が並んでいました。応募の謝礼にはカレンダー、Tシャツ、充電器、アクセサリーなどを金額に応じてお渡ししていきます。
その他にも、「流れ星になる手紙」を販売したり、本の出版、雑誌への寄稿などを行ったりして、活動の認知度を上げるとともに皆さんに支援していただきました。

「RSP-01」PMの三井龍一氏

子衛星を3つ放出して人工星座を作る計画

――将来の「02」以降のミッションについてもお聞かせ下さい。

宮本 「02」は「デザイン衛星」と呼んでいて、まず見た目を格好良くすることにこだわっています。その中に「人工星座」を作る計画があります。「02」から、サイコロサイズの小さい子衛星を3つ放出し、LEDで光らせてオリオン座のようにしようという計画です。地球1周に90分かかるので、日本上空には10分間ほど見える可能性があります。
相互間の通信も行い、衛星を連携させる技術を検証したいと思います。ただ子衛星が小さいと位置を特定できず、宇宙ゴミになってしまう恐れがあるので、JAXAと相談しなければなりません。
RSPは自分がやってみたいコンセプトを全員にプレゼンした結果で決めます。本当に出来るかどうかは二の次というか、コンセプト重視なのです。メンバーの多くはサラリーマンなので、会社で出来ないことをぜひRSPでやってみたいという気持ちがありますね。
「03」から先のことは現時点では白紙です。継続して宇宙開発をやるために、「04」「05」とつないでいきたいと思います。

自分たちの衛星を世界のネットワークが支えてくれる

――超小型衛星の機能や製作技術を進化させていけば、いずれ関連市場の創出やビジネスがテーマになるかと思います。RSPとして、このあたりの未来図はどのように考えておられるのでしょうか。

宮本 RSPの基本はやはり人です。私たちは趣味で宇宙を楽しむ組織であり続けるため、組織としてビジネスをすることは考えていません。企業と違いメンバーは入れ替わることが自由ですので、ビジネス上の責任を取ることはできないのも1つの理由です。つまり、よそのキューブサットの製作を受託するような契約は基本的に難しいと考えています。
あくまで趣味。お金のためではないから純粋な気持ちで楽しめるのです。近い将来、世界中でキューブサットの開発が盛んになり、例えば東南アジアの人たちがキューブサットに挑戦したいと思って調べてみたら、日本のリーマンサットが実にいい仕事をしていた、というふうになればいいと思います。
しかし、一方で、RSPというコミュニティを中心として、そこから生まれる価値を周辺でビジネス化する、ということは充分にあり得ると思います。RSPから生じたものをビジネス化するためメンバーが起業するとか、メンバーが本業で所属する企業様と事業化を目指す、というような展開は狙っていきたい形の1つです。これまでも大学の研究室や宇宙業界の企業様と情報交換をさせて頂いていますが、今後もどんどん交流を盛んにし、RSPがさまざまな人材の交差点になっていけたらと考えています。

三井 「01」は2分に1回、アマチュア無線の周波数でモールス信号を発信します。その位置はNORAD(北米航空宇宙防衛司令部)が追跡してデータを公開しているので、待ち構えていれば、世界のどの国でも電波を受信できます。自分たちのキューブサットを、世界のネットワークがつながって支えてくれるのです。

――ところで、皆さんウイークデーは本業で忙しく、休日はこの作業場に来てRSPの活動に夢中です。ご家族からブーイングが出ませんか(笑)。

三井 私の本業はシステムエンジニアで、5歳と3歳の子どもがいます。日曜日も衛星製作に没頭している申し訳ない父親なので、ただただ「家族に感謝」としか言いようがありません(笑)。

宮本 私も中学1年を筆頭に3人の子どもがいるので、以下同文です(笑)!

RSPのユニフォーム

TEXT:木代泰之、PHOTO:倉橋 正

※本記事は、緊急事態宣言発令前の取材に基づいて制作しています。

宮本 卓(みやもと・たく)

一般社団法人リーマンサットスペーシズ 代表理事/ Creative Works 代表
東京工業大学大学院修了、工学修士。専門は金属工学。大手鉄鋼メーカーにて7年間、研究開発から製造現場まで幅広く従事した後、実家である有限会社宮本工業所にて溶接の修業。2012年、独自のものづくりを発信する場としてCreative Worksを立ち上げる。東京都内の金属加工会社3社が協働する「東京町工場ものづくりのワ」に、立ち上げから参画。現場技能・技術の支援、コーディネート役を務める。東京都立城東職業能力開発センター溶接科講師歴 7年。平成24年度「東京ものづくり若匠(溶接)」認定。趣味は宇宙開発。リーマンサット・プロジェクトでは、町工場職人としての技術力を活かし、金属の筐体や部品、環境試験治具の開発などを担当している。

高齢化や後継者不足が深刻化する日本の農業において、農作物の成長促進、収穫増、秀品率や生産性の向上は喫緊の課題だ。こうした中、「日本を農業で元気にする」をビジョンに掲げ、ナノバブルウォーター(※)を使ったアクアソリューション事業を展開する株式会社カクイチ(以下、カクイチ)が、日本アイ・ビー・エム(以下、IBM)と共同で、AIを活用した散水システムの構築と農業用アプリの開発に挑んでいる。

農場に取り付けたセンサーから収集したデータをAIが分析し、最適な散水のタイミングなど、農業に有用な情報がアプリを通じて通知される……実現すれば画期的なシステムだ。データの「見える化」と「知の共有」によって日本の農業は変わると語る、同社代表取締役社長の田中離有氏に、デジタル変革がもたらす農業のこれから、さらに社会課題解決の可能性について聞いた。

※ナノバブルウォーターとは、直径が1μm以下の気泡を含んだ水のこと

農家が求めているのは、情報とコミュニティ

田中離有氏

——カクイチは、1886年の創業以来、さまざまな事業に取り組まれてきました。そうした中で、アクアソリューション事業をスタートしたきっかけは何だったのでしょう。

田中 長野県で金物店から始まった当社は、以来、鉄鋼製品の問屋、ガレージ倉庫やビニールホースの製造、ミネラルウォーター販売、ホテル運営と、常に時代を見据えた新しい事業に取り組み、継続してきました。創業132年の古い会社ですが、意思決定が早くトップダウンがきくことが強みだと自負しています。2013年には太陽光事業を手がけ、売電による収益が見込めるビジネスモデルを確立しました。この収入を次の事業に投資したいと考え、参入を決めたのが農業領域です。

金物屋を営んでいた創業当時から、お客さまの約8割が農家。ホースや倉庫も顧客の多くは農家でした。太陽光発電も、倉庫を買ってくれた方々と一緒に、その屋根を借りて始めた事業です。ならば、次の事業では「農家への恩返し」をしよう。そういう思いを込めてのスタートでした。

——そして始められたのが、ナノバブルウォーターの活用だったのですね。

田中 ミネラルウォーターの製造・販売を手がけていた当社では、飲料用に極小の酸素の泡(ナノバブル)を取り込んだ水(ナノバブルウォーター)の開発を進めていたのですが、あるとき、ナノバブルウォーターが農作物の発達を促すという情報を得て、農業用水の研究を始めました。

まず、酸素や窒素のナノバブルを含むナノバブルウォーターの生成装置を開発し、農業・畜産の総合展である農業ワールド(現:農業Week)における「次世代農業EXPO」に出展して、試用してくれる農家を募りました。反響は大きく、100軒以上の方々に協力を申し出ていただき、その結果、「農薬の量が抑えられる」「病気にならない」「作物の糖度が上がった」「収穫量が増えた」などの報告が寄せられたのです。次の段階として、課金制で生成装置の貸し出しを始めています。

このナノバルブウォーター生成装置および、ナノバブルウォーターと現象の相関関係については特許を出願中です。なんだか、ドラマ化もされた小説『下町ロケット』みたいな展開でしょう?(笑)

ナノバブルウォーター

——農作物への直接的な効果以外に、アクアソリューション事業が農家にもたらすものは何でしょうか。

田中 この事業を始めるにあたっては、これから訪れるであろう「ものが売れなくなる時代」を見越し、サブスクリプションによる「知の共有」を想定していました。なぜなら、長年にわたる農家とのお付き合いの中で、彼らが「情報」と「コミュニティ」を求めているとわかっていたからです。農業は縦割り社会で、隣の農家でさえ、いわばライバル。もちろん農家同士のつながりはありますが、深く情報共有までされている例は多くありません。

そうした農家に対し、共有できる情報を提供し、同時に農家同士がさらにつながれる仕組みやコミュニティを作りたいと考えたのです。ただし、この時点で想定していたのは、アナログな方法でしたね。

農家に提供される情報冊子

アクアソリューション事業において、農家に提供される情報冊子

ベテラン農家の勘を数値化して「知の共有」をはかる

——現在は、IBMと共同でナノバブルウォーターとAIを活用したシステムを開発しておられます。

田中 ここに至るにはいくつかの出来事がありました。1つ目のきっかけは視察旅行でケニアを訪れたこと。現地で、人々が利用している携帯電話の充電器に管理用のSIMが取り付けられていることを知り、当社が手がけていた太陽光事業でも、装置にSIMを取り付けて社内でコントロールすることを思いついたのです。ナノバブルウォーター生成装置にSIMを取り付けて状況を把握する仕組みも、その発想の延長線上にあります。

もう1つのきっかけが、イスラエルの酪農家訪問でした。そこでは、飼育している100頭の家畜すべてにセンサーをつけ、反芻や睡眠など1頭1頭のデータを取り、さらにそれぞれの健康状態もくまなくチェックしている。たとえば、乳に血が混じるなどしたらすぐに原因を追究できる環境であり、1頭の事例であってもノウハウとして蓄積する。つまり、集合知を増やすには、n数を増やすだけでなく、1頭をひたすら追うことも有用だということを教えられました。

同時に、水だけにフォーカスしていてもダメだと気づきました。農業は、土壌や温度など作地の環境が場所や時期によってそれぞれ違うため、再現性の低い事業と言われます。再現性を高めるには、温度や湿度といった生育環境のデータを集め、それらのデータから灌水や肥料のタイミングを決めるということをしなくてはいけない。つまり、当社の事業には、データを「見える化」することが必須だったんです。

そのため、まず既存のシステムとアプリを利用し、気温、湿度、地中温、気象などが測れるセンサーを各農家に取り付けました。次々と上がってくるデータをクラウドに貯めればビッグデータになります。データはAIを経て有用なデータとして農家に還元する。これが私たちの目指すビジネスモデルというわけです。

ベテラン農家の勘を数値化して「知の共有」をはかる

出所:カクイチ

——従来想定していたビジネスモデルに、知見が加わって、新しいビジネスモデルに昇華したのですね。

田中 このビジネスモデルは、サブスクリプションであるからこそ、プラスとマイナス両方の事例を共有して、還元する情報の価値を保ち・上げていくことが求められます。機械を販売して終わりのビジネスであれば、売るためにプラスの情報だけ集めればいいかもしれないですよね。また、お付き合いが継続するので、一緒に質を高めていく意識を持つこともできます。

とはいえ、私たちには、集まってきたデータを分析する術がありません。そこで、視察旅行をご一緒したIBMの方に相談して、共同開発を行うことになったのです。AIを使った農業ビッグデータの活用とナノバブル活用の掛け合わせは、日本で手がけているところはありません。「やろう。だれもやらないことを」をスローガンとする当社には、もってこいの事業で、これは面白い! と思いました。現在、データをIBMのAI「IBM Watson」で分析するために蓄積しており、将来的には、「気候・土壌データ、潅水データ、作物の収量・糖度」などの情報をAIで相関分析し、農家に対し潅水予測情報の提供、さらには意思決定支援まで行うことを目指しているところです。

田中離有氏

——システムの最終形としてどのようなものを想定しているのでしょうか。

田中 まずは、現在のセンサーを自前のものに替えること。そして、そこから上がってくるデータを解析し、灌水のタイミングなどを農家が判断できるよう、サジェスチョンまで行える農業用アプリも提供したいと考えています。

データの「見える化」を実現しているシステムはさまざまありますが、そこで見えるのは自分の農場のデータのみ。私たちが目指しているのは「知の共有」です。大勢の農家から上がってきたデータをクラウドに蓄積してAIで解析し、それぞれの農家の意思決定に役立ててもらえるようにアプリに落とし込むのが最終形です。

——それにより、どのような効果やメリットが期待できるのでしょうか。

田中 今、各農家は自分たちの肌感覚で、灌水など、農作物を世話するタイミングを決めていることが多い。温度や湿度を肌で感じるために、冬でもTシャツを着て作物を見に行くという人もいるほどです。こうした「ベテラン農家が持つ長年の勘」というものを数値化・データ化し、農業の再現性を高めていきたいですね。その結果、それぞれの作物の最適値を見つけられるようになるでしょう。

ただ、囲碁や将棋などと違い、農業にはルールがあってないようなもので、無限に“手”があります。さらに、プラスのデータだけでなくマイナスの情報も蓄積していきたいと考えています。もちろん、続けることで取得できる比較データも有用です。データが大きくなればなるほど大きな集合知となり、農家の役に立つものになるでしょう。しかも、作物の種類もさまざま。そう考えると、アプリは永遠に完成せず進化し続けると言ってもいいかもしれないですね(笑)。

「農薬の要らない」「借金をしない」という変革

田中離有氏

——AIによるサポートをはじめとしたデジタル変革は、さまざまな分野で進んでいます。日本の農業については、どのように見ておられますか。

田中 日本の農業は、残念ながら、農薬を多用し、機械を買うために借金をするという悪循環に陥っていると思います。これを、農薬を使わない、借金をしない農業に変えないといけません。他の業界に比べて、ITの導入も遅れていると思います。

これからは、従来以上に農作物に栄養価を求める時代になるのではないかと想像していますが、そのために、美味しく栄養価の高い作物を作り、かつ労働生産性も高めるには、AIの活用は必須だと考えます。気象予報は当然のこと、土壌を分析し追肥を決め、「作物を大きくしたい」「甘くしたい」といった最終目標に合わせてすべきことを決める。昨今の異常気象や気候変動を考えれば、病気の発生を予測することも必要でしょう? そういう農業を目指すべきだと思っています。

そのために、私たちは、再現性の低い現在の農業を“科学”にすることで、再現性を高めたい。そこにはビッグデータの活用が欠かせません。そういう意味では、当社のアクアソリューション事業はIBMなくしては回らなくなっています。IBMとともに、日本初の「農業におけるAI活用×ナノバブル活用」を実現して、農業変革を進めたいです。

——多くの農家の基盤である地域社会にも影響をもたらすのではないでしょうか。

田中 はい。ただこれはアクアソリューション事業の領域である農業に限りません。「知の共有」は、さまざまな場面で応用可能なビジネスモデルで、地域社会の資産を十分活用できると思います。実際、当社では、地域のコミュニティバスをサブスクリプションで提供することで、高齢者の行動データや走行データを得て、農業の繁忙期における人手不足解消や商業圏の活性化に役立てたいと考えています。街に新しい何かを作るのではなく、今ある街を“動かす”という考え方ですね。自分が年寄りになる前に、年寄りが元気に暮らせる環境を作っておきたいと思っています(笑)。

——地域社会が抱えるさまざまな社会課題を見据えているのですね。

田中 結果的に、いわゆるSDGs(持続可能な開発目標)につながっています。とはいえ、最初から社会課題を意識して事業を展開してきたわけではありません。農家をはじめ、私たちの大事な顧客に対し、どのような役立つ価値・製品を提供できるかと考えて取り組んできました。

今、IBMとともに開発に取り組んでいるAIを活用したシステムが完成し、農業変革が進めば、再現性の高い農業が実現するでしょう。再現性の高い農業は、先が見通せる上、収穫量つまり収入の安定や増加をもたらすと考えています。収入問題が解決すれば、農業が抱える課題の1つである後継者問題もおのずと解決に向かうはず。どんどん日本の農業にイノベーションを起こし、日本を農業で元気にしたいですね。

田中離有氏

TEXT:佐藤淳子、PHOTO:山﨑美津留

※本記事は、緊急事態宣言発令前の取材に基づいて制作しています。

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田中離有(たなか・りう)

株式会社カクイチ 代表取締役社長
1962年、長野県生まれ。慶応義塾大学商学部卒。1990年、米国ジョージタウン大学でMBA取得。株式会社カクイチに入社。2001年、同社代表取締役副社長、2014年、同社5代目として代表取締役社長に就任。カクイチ建材工業(株)・(株)カクイチ製作所・(株)岩深水・(株)シリカライム・アンシェントホテル浅間軽井沢・(株)アクアソリューション・稲栄総業(株)の代表取締役も務める。
カクイチは、1886年(明治19年)創業の老舗企業。ハウスガレージ・樹脂ホース・鉄鋼資材卸業・太陽光発電事業・ミネラルウォーター事業・ホテル事業・内装材事業・農業改善事業の8事業で、11のグループ会社を運営する。

芸術鑑賞のハードルを下げる――美術館に行きたくなるAIアプリって?

美術館を訪れて絵画を鑑賞し、コンサート会場でクラシックの演奏に耳を傾ける――芸術を愛する人にとっては至福のひとときです。しかし一方で、そうした芸術に関するイベントに参加することをためらう層も一定数存在するようです。

2018年にポーランドで行われたある調査では、79%の回答者が過去一年の間に一度も劇場へ足を運んでいないことが明らかになりました。また、同じく一年間アートギャラリーを訪れていない人は75%、コンサートに行っていない人は65%にものぼります。

「背景」を知るほどに作品理解が進む?

人々が芸術に対して壁を感じてしまう理由の一つに、「知識不足を恥じらう気持ち」があると考えられています。「私には芸術作品を理解するために必要な知識が欠けている」と感じ、その引け目から、自分が芸術とは縁遠い存在だと考えてしまうのです。

とすれば、欠けている知識を何らかの形で補うことで、人々と芸術の間に立ちはだかる壁を取り去ることができるのではないでしょうか。

アンディ・ウォーホルが描くキャンベル・スープの缶の何がそんなに面白いのか、モナ・リザのミステリアスな微笑みは誰に向けられたものなのか、ベートーベンの交響曲五番が世界中で親しまれるフレーズとなったのはなぜなのか――実際、作者の人となりや作品が作られた時代などの背景理解が進むほど、鑑賞体験はより満足のいくものになるといわれています。

そこで、人々と芸術の「橋渡し役」になってくれるAIアプリが登場しました。

モバイルアプリが美術作品の理解を手助け

2020年1月にポーランド・ヴロツワフの美術館で行われた展覧会でお目見えしたこのアプリは、IBM WatsonとIBMのクラウドサービスを活用して作られており、観客の作品理解を手助けします。

展覧会に訪れた観客はアプリがインストールされた端末を配布され、作品についてアプリ上で質問することができます。質問はWatsonの自然言語処理APIで解析され、蓄積されている情報の中から適切な答えが即座に返されます。アプリのプラットフォームには、質問に対して柔軟な答えを返すことができるよう、アーティストの情報や作品が作られた背景、著名な批評といったさまざまな情報があらかじめ登録されています。

大量に蓄積された情報の中から適切な答えを探し出すのは、AIの得意とするところです。今回のアプリで活用されたAI技術は、古典的な芸術のみならず、一見難解なモダン・アートを理解する上でも有用なものとなるに違いありません。

「芸術は頭ではなく『心』で楽しむものである」と考える人もいるでしょう。しかし、作品の背景を頭で理解した先に広がる世界もあります。芸術のさまざまな楽しみ方を、AIをはじめとしたテクノロジーがサポートしてくれる未来がすぐそこに来ているのです。

photo:Getty Images

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世界中で猛威をふるい続ける新型コロナウイルス感染症(COVID-19)。

その研究支援のため、IBMは米国政府や産業界、学界のリーダーたちと共にコンソーシアムを設立しました。

世界有数のコンピューティング資源を無償提供

「COVID-19ハイパフォーマンス・コンピューティング(HPC)・コンソーシアム」と名付けられたこのコンソーシアムは、ホワイトハウス科学技術政策局や米国エネルギー省、およびIBMが主導する官民連携による取り組みです。産業界からはIBMのほかAmazonやGoogle、マイクロソフトなどの企業がパートナーに名を連ねています。

COVID-19と戦うためには、バイオインフォマティクス、伝染病学、分子モデリングなどの分野における広範な研究が必要です。研究によって我々が直面している脅威を理解し、それに対応するための戦略を策定する必要がありますが、その作業の過程では膨大な計算能力が求められます。

こうした研究を支援するため、コンソーシアムは強力かつ最先端のコンピューター演算能力を集約して、研究者たちが複雑な計算科学研究プログラムを実行してこのウイルスに立ち向かえるよう支援します。またコンピューティング資源だけでなく、計算科学研究プログラムを実施する上で必要な技術や専門知識も提供します。

研究者はCOVID-19に関する研究案を提出して審査に通過すると、合計77万5,000基のCPUコア、34,000基のGPU、330ペタフロップスを超える処理能力を持つ16台のスーパー・コンピューターを利用できるのです。

世界最高レベルの性能をもつスパコン「Summit」がコロナ研究に貢献

このコンソーシアムの設立に先立って、IBMのスパコンはすでにコロナ研究に投入されており、米国エネルギー省では世界最高レベルの性能を持つスパコン「Summit」が稼働しています。

ウィルスのような新しい生体化合物を理解するためには、研究室で微生物を培養し、それが新しい化合物の取り込みに対しどのように反応するのかを確認する必要があります。しかし、こうした作業を効率よく進めるにあたっては、考えられる変数の範囲を絞り込むためのデジタル・シミュレーションを高速に実行できる高性能なコンピューターが必要不可欠です。何百万、あるいは何十億という一意のデータで構成される変数を用いて複数のシミュレーションを実行しなければならない場合、汎用ハードウェアの性能では気の遠くなるような時間がかかってしまうためです。

IBMが開発した「Summit」を用いれば、わずか数日で8,000種類もの化合物に対してシミュレーションを行うことが可能です。実際、研究者はSummitを使ってCOVID-19の感染プロセスに影響を及ぼし得る化合物のモデルを作成することに成功し、COVID-19の宿主細胞に取り付いて感染する能力を弱める可能性のある薬剤や天然化合物など、77の低分子化合物を発見しました。研究チームの主席研究員であるジェレミー・スミス氏は、普通のコンピューターであれば数ヶ月かかっていたであろうと語っています。

今回設立されたコンソーシアムは、COVID-19研究の力強い推進力となることでしょう。

コンソーシアムの資源を希望する研究者の方は、下記のリンク先の参加方法をご覧の上、ぜひ研究企画をご提案ください。また、コンソーシアムに対してコンピューティング資源の提供が新たなメンバーも募集しています。コンソーシアムへの参加方法についても、下記のリンク先からご確認いただけます。

photo:Getty Images

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2015年に国連が定めた「SDGs」(2030年までに達成すべき持続可能な社会のための17の開発目標)に、「ジェンダー平等を実現しよう」という項目が盛り込まれ、日本でも女性が輝ける社会についての議論が活発化している。しかし、それ以前から、女性がいきいきと働くための組織づくりに取り組んできたのが、全身脱毛サロン『KIREIMO(キレイモ)』などを運営する株式会社ヴィエリス代表取締役社長兼CEOの佐伯真唯子氏だ。女性が長く働ける環境づくりなど、従業員満足度を第一義に考えた組織づくりが評価され、国連「SDGs推進会議」ではSDGs No.5「ジェンダー平等の実現」について、2018年、2019年と2年連続でスピーチし、「女性活躍社会」を牽引するトップランナーとしての期待を集める存在でもある。

女性が安心して働き続ける社会を目指す佐伯氏は、いかにして事業を成長させていったのか。そして日本で「女性活躍」を実現するためにはどういった課題があるのか。自身の経験を交えながら、「ジェンダー平等」のリアルを語ってもらった。

「女性は結婚して辞めちゃうでしょ?」上司の言葉に感じた理不尽

──佐伯さんが「女性の働き方」や「女性のエンパワーメント」について問題意識を持つようになったのは、どのようなきっかけがあったのでしょう。

佐伯 振り返ってみれば、母親の存在がすごく大きかったと思います。私は4姉妹の長女だったのですが、共働きの家庭で、母はしっかり子育てをしながらバリバリ働いていたんです。でも母は、男性と給与の格差があることや、女性だから役職に就けないこと、やりたい仕事をやらせてもらえないことなどをよく話していました。当時は、そんなものなのかくらいに思っていたのですが、自分が就職した時に、それを実感することになりました。

新卒で就職した会社では、企画部署に配属されたのですが、同じ大学、同じ学部卒の同期の男性は企画の仕事をやっているのに、私にはいわゆる事務仕事しかまわってこない。さらに最初から男女で給与に差がある。あまりにも理不尽に感じたので、上司に「どうして私と彼とで仕事が違うんですか?」と聞いたところ、「だって女性は結婚して辞めちゃうでしょ?」と言われて。ああ、なるほど、母が言っていたのはまさにこういうことだったのかと。

佐伯真唯子氏

その会社は、社長や部長はもちろん、主任、係長に至るまで役職者全員が男性で、私はここでキャリアを積むことはできないんだなと感じました。ちょうどその頃に、プライベートで通っていたエステサロンで、女性たちが楽しそうに働いている姿を目にしたんです。美しい物に囲まれながら、妊娠しているスタッフも、お子さんがいるスタッフも、皆がいきいきと働いているのを見て感銘を受けました。それがきっかけとなり現在にいたります。

──エステサロンの仕事に興味を持ち、そこからヴィエリス立ち上げに至るまで、どのような経験を積まれてきたのですか?

佐伯 最初の会社を1年で辞めて、すぐに専門学校に通い、エステサロンに入社しました。そこでは役職者全員が女性だったんです。私には衝撃で「こういう会社もあるのか、よし、私もここで頑張ろう」と。その会社では部長職まで就かせていただいたのですが、自分が理想とする組織を自分でつくりたいと思い、ヴィエリスの創業メンバーに加わりました。

従業員満足度が高いからこそ顧客満足度も上がる

──佐伯さんが理想とする組織とは、どういうものだったのですか?

佐伯 まず、自分がいちエステティシャンとして働く中で感じたのは、従業員満足度がお客様満足度と比例しているということでした。美容業界には、長時間労働や、辞めたらすぐ雇えばいいというような考え方で、スタッフが定着しづらい雇用問題があり、結果としてお客様へのサービスも低下していました。つまり、スタッフを大切にしていないことは、お客様を大切にしていないということと同じなのではないかということ。スタッフが満足してハッピーでなければ、お客様をハッピーにすることなんてできないですよね。まず、スタッフが働きやすい職場環境をつくって、そしてお客様に良いサービスを提供する。だからこそ売り上げにつながるんだという想いで、組織をつくり上げていきました。

──離職率が高いといわれる美容業界で、業界平均の半分程度という離職率の低さもヴィエリスの特徴だと思います。従業員満足度を上げるために、具体的にどのような取り組みをされているのでしょうか?

佐伯 起業当初は、私が「良い」と思う規定や制度を設けることからスタートしたのですが、スタッフの声に耳を傾けながら、どんどん改善・追加していきました。

しかし、従業員数が300人を超えたあたりから、人数が増えるとどうしてもギスギスした空気になりやすいなと感じ始めて。それは、「ありがとう」とか「すごいね」とか、そういうコミュニケーションが希薄になっていくからなんですよ。

そこで、まずは上長がスタッフを褒める文化を作っていこうと、全社SNSを使ったコミュニケーションを推進しました。「今日はお客様にこんなお手紙をいただきました」とか、「コールセンターの◯◯さん宛にお礼のメールが届きました」とか──私自身も「マネージャーの◯◯さんのこの取り組みが素晴らしい」と、スタッフの良いところを全社に届くように発信していきました。そうするうちに、先輩後輩問わず、社員同士が褒め合う文化が生まれてきたんです。

佐伯真唯子氏

──それは素晴らしいですね。職場環境の改善や制度見直しに関する意見も、全社SNSですくい上げているのですか?

佐伯 全社のSNSではさすがに言いづらいこともあるはずなので、忌憚ない意見をもらえるように、四半期に1度、Web上で答えられる全匿名の従業員満足度(ES)アンケートを行っています。皆さん言いたい放題書いてくれるので、とても参考になります(笑)。

そのアンケートでの意見から、弊社では13種類の雇用形態を設けることにしたんです。

13種類の雇用形態

▲13種類の雇用形態

──雇用形態が13種類もあるのですか。従業員の方々は自分のスタイルにしっかりマッチした働き方をできそうですね。

佐伯 この業界では土日祝日も勤務日となることが多いのですが、土日祝日も休める勤務形態や、5時間勤務・6時間勤務など、勤務時間も選べるようにしています。やはり、結婚や出産なども含め、さまざまな事情を持つ人たちが、それぞれ自分に合った働き方を選べる、「家庭の事情で仕事を諦める」というようなことが、なるべくない会社にしたかったんです。

もちろん、雇用形態が多様化するほど労務管理などのコストや手間もかかるのですが、働きやすい環境を整えESを上げることで離職率が低下すれば、採用コストを抑えることもできると考えています。

──社員の採用に関しては、どのように行っているのでしょうか。

佐伯 本部系の社員の採用では、まず、一次面接から私が出ていきます。応募者の方にはびっくりされますし、社内でも止められているのですが(笑)、弊社に興味を持ってくれた人に純粋に私が会ってみたくて。そこで直接、良い組織にしていきたい、誰もが楽しく働ける環境を作りたいという思いを伝えています。そして、私が「一緒に働きたい」と思ったら、次に現場責任者の面接を経て、最終的には人事の判断で採用を決めます。実はそのほうが効率的だとも思うんです。会社の理念や思いを伝えたうえで「働きたい」と共感してくれた人が、次の選考に進んで現場のことを知り、最終的に応募者と会社の双方が「一緒に働きたい」ということになる。創業当初から、この採用スタイルを続けています。

日本の女性が抱えがちな「インポスター症候群」を乗り越える

──世界的にSDGsに向けた取り組みが進むなかで、日本でも「女性活躍社会」の実現について議論されることが増えてきました。しかし、2019年に世界経済フォーラム(WEF)が発表した各国の「ジェンダー・ギャップ指数」を見ると、調査対象153カ国中121位と、日本は「ジェンダー平等」の実現に遅れをとっているのが現状です。その一番の原因はどこにあり、それを改善していくためには何が必要だとお考えでしょうか?

佐伯 やはり、女性がなかなか意見を言いづらい社会であるということと、その改善が重要なのではないかと思っています。例えば、女性議員が何か意見や質問をする際、その発言の内容ではなく、まったく関係ない服装のことなどでバッシングを受けたりすることがありますね。日常生活でも、女性が少し強い口調で意見などを言うと、すぐに「ヒステリーだ」なんて言われてしまったり。日本にはまだまだそうしたミソジニー的な風潮が残っているように感じます。

また、女性の自己肯定感が低いことも一因にあるとも思います。これは「インポスター症候群」と呼ばれるもので、「どうせ私なんて」とか「私なんかができるわけがない」と、自分を過小評価してしまう。一説によると、日本の約7割の女性が自己肯定感が低いとも言われています。

企業による職場環境の改善努力も必要ですが、同時に、個人個人の意識の持ち方を変革していく必要もあると私は考えています。大切なのは、自分のやりたいこと、達成したいこと、変えていきたいことを、まず自分としっかり向き合い対話しながら導き出し、それを目指して行動していくというマインドではないでしょうか。

佐伯真唯子氏

──真の「ジェンダー平等」を実現させるために、組織や企業のリーダーたちは、どのような意識を持つべきだとお考えですか?

佐伯 私が前職で本部長を務めていたとき、今思えば私も「インポスター症候群」だったんです。まわりから求められている「本部長の姿」を演じようと、肩肘を張って、本当の自分とどんどん乖離してしまっていました。常に機嫌が悪くピリピリして、どんどん自分も追い込まれていって。ある日、それらがすべてあほらしく感じて、本来の自分を出すようにしたんです。すると、すごく気が楽になりました。まわりも私の顔色をうかがわなくてもよくなって、すごく風通しの良い組織に変わったという実感もありました。

こうした実体験があるからこそ、自然体の自分を晒け出す勇気も必要だと私は考えています。そうすることでコミュニケーションが円滑になり、部下からの意見も引き出しやすくなります。ただトップダウンで「こうしてください」というのは、お互いのためにならない。部下にとっては、上司というだけで話しづらいのは当たり前なので、へりくだるのではなく、少しでも建設的な意見を引き出せるようにリーダー自ら変わっていくことが大切なのではないかと思います。

トップ自らが「働く女性」としての経験を伝える

──お話を伺っていると、従業員のモチベーションが高いからこそヴィエリスは事業を拡大していったのだと思います。佐伯さんご自身は、どのような点がお客様に評価されているのだと思いますか?

佐伯 サロンの立ち上げ前に、お客様の本音を知りたくて、ナイトクラブで働く方々や大学生など、いろいろな層の方のリアルな声を自ら聞きに行ったんです。そうすると、「予約が取れない」「(脱毛が)痛い」「(施術中)寒い」という声が多かった。そこをどう改善していくかを徹底的に考えたうえで開業したので、お客様の声から生まれた脱毛サロンだという自負があります。

──その姿勢は、まさに従業員の声を聞きながら業界改革を進めてきた過程と同じですね。佐伯さんは国連の「SDGs推進会議」で2年連続でスピーチされていますが、その経験は社内にも影響をもたらしていますか?

佐伯 嬉しいことに、先ほど話した全社SNSで、スタッフたちからSDGsに関する投稿が増えてきました。「ジェンダー平等」だけではなく、サステナブルな社会の実現を意識した取り組みが、店舗や個人単位でも自発的に行われるようになっています。「スタッフ全員、割り箸をやめてマイ箸を持つようになりました」「ビニール傘をやめました」とか、私が「こうしてください」と言ったわけではないのに、一人一人の意識がSDGsに向き始めていて、とても良い流れになっていると感じています。

会議などで、私が「SDGsに向けての取り組みを推進しよう」といった話をした覚えはないんです。ただ思い当たることがあるとしたら、CEO室の者からの提案で、このインタビューのように、私の生い立ちやこれまでの人生のことを、社員に語る機会を設けているんです。「インポスター症候群」になった経験や、仕事で壁にぶつかったことや、最近の悩みなども話しているのですが、そこにひとりの働く女性の話として、社員が共感してくれているのかもしれないですね。

佐伯真唯子氏

TEXT:杉浦美恵、PHOTO:品田裕美

※本記事は、緊急事態宣言発令前の取材に基づいて制作しています。

佐伯真唯子(さえき・まゆこ)
株式会社ヴィエリス代表取締役社長兼CEO
FOUNウィメンズダイヤモンドコミッティチーフコーディネーター、世界連邦青年会議事務次長

大学卒業後、大学の企画事務スタッフとして入社。その後、美容専門学校に入学し、エステティシャンとしてのキャリアをスタート。2013年、株式会社ヴィエリスに創業メンバ―として入社。2019年3月より代表取締役社長 兼 CEO(最高経営責任者)に就任。同社の運営する「全身脱毛サロンKIREIMO(キレイモ)」は全国で70店舗を展開。社員の98%が女性という同社での女性が働きやすい組織づくり、若い世代へのSDGs啓蒙の取り組みなどが高く評価されている。「国連ニューヨーク本部SDGs推進会議」に働く日本人女性初のスピーカーとして2018年、2019年と2年連続参加。

あなたは大丈夫?サイバー犯罪者に狙われやすい業界、サービスの特徴

IoTなどのテクノロジーが普及した現代社会では、マーケティング活動や、自分に合ったサービスの選択など、世界中の人々がその恩恵を受けている一方で、そのデータを狙うサイバー犯罪者がいることも事実です。

IBMの調査によると、サイバー犯罪者から攻撃されやすい業界にも、情報が悪用されやすいデジタル・プラットフォームにも、ともに「収益性が高い」という共通項があることが判明したというのです。

サイバー攻撃を受けやすい業界とは?

IBM Securityが2020年2月に発表したレポート「IBM X-Force脅威インテリジェンス・インデックス2020」では、業界によらず、コンピュータウイルスの一つであるランサムウェア攻撃が世界規模で流行していることが明らかになりました。

業界別に見ると、2019年、小売、製造、運輸の3業界が特に攻撃の標的にされていますが、これらの業界は、収益化可能な大量のデータを保有しているか、古いテクノロジーに依存していることが知られているため、脆弱性が高まっているのです。また、ランサムウェアに限らず、金融業界は4年間連続で最も多くのサイバー攻撃を受けています。サイバー犯罪者は、消費者個人を特定できる情報や決済用カードのデータ、金銭的価値のあるロイヤルティ・プログラム情報にまで狙いを定めています。

SNSアカウントがパスワードを狙われるワケ

個人が管理するデータに目を向けてみると、パスワードなどの認証情報を盗み取る際に用いられる有名な手口の一つに、フィッシングがあります。しかし、フィッシングメールに対する消費者の警戒が高まるにつれて、その手口もより巧妙なものへと進化を遂げてきています。

IBM X-Forceの調査では、消費者の信頼度が高い企業をなりすまし(スプーフィング・)ブランドとして利用し、悪意あるリンクをクリックさせようとする手口がトレンド化していることがわかりました。スプーフィング(なりすまし)・ブランドのトップ10には、FacebookやInstagramなどのソーシャル・メディアがランクインしています。

これらのSNSアカウントからは直接収益化可能なデータを得るチャンスは少ないかもしれません。しかし、1人のユーザーが複数のサービスのアカウントに対してパスワードを使いまわしていたとすればどうでしょうか。サイバー犯罪者が獲得した認証情報を利用し、GoogleやYouTube、Amazonなどのより「収益性の高い」アカウントへアクセスすることを可能にしてしまいます。これらのサービスがターゲットとして狙われている背景には、そうした事情が潜んでいると考えられます。

リアルとバーチャルの境界が曖昧になるにつれ、サイバー空間上のデータが持つ重要性はますます高まっていきます。そして、サイバー犯罪者は高度な技術を武器として、あの手この手で私たちから「宝箱の鍵」を盗み出そうとしているのです。

デジタルトランスフォーメーションがすすむ社会で安心してメリットを享受できるよう、セキュリティ対策について考える機会が増えることを願っています。

photo:Getty Images

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社会を変革するため、お金の流れを変えよう!――感動体験の共有を起こす 「1パーセント」モデルの可能性とは

NPOやNGOによる社会変革を促進するために、お金の流れを変える――。「認定特定非営利活動法人 日本ファンドレイジング協会」(以下、日本ファンドレイジング協会)は2009年、そのために設立された。1995 年の阪神・淡路大震災では130万人ものボランティアが活躍した。その2年後に特定非営利活動促進法(NPO法)が制定され、2000年代に入り、社会起業家の存在が注目されるようになった。
しかし、「形が整い体に肉(実績)はついてきたが、そこにはお金という血液が流れていない」と日本ファンドレイジング協会の創設者で代表理事の鵜尾雅隆氏は話す。「大きな変化を継続的に起こすには、資金が必要だ。社会課題を解決するには、感動体験の共有と1パーセントの資金の流れが不可欠」とする鵜尾氏に、社会変革のための資金調達について伺った。

支援者と組織に共感を育むファンドレイザーの役割

――鵜尾さんは社会課題を解決する資金の流れを変えるために、日本ファンドレイジング協会を創設されました。協会を設立されたいきさつをお聞かせいただけますか。

鵜尾 私は大学時代にバックパッカーとしてインドや中国、アフリカを旅しました。JICA(国際協力機構)に就職してからも、多くの国々を見る機会がありましたが、そこでは非政府組織(NGO)による社会活動が盛んでした。
ところが日本では、NPOという行政でも企業でもない民間非営利組織の仕組みはできたものの、お金が回っていない状態でした。少子高齢社会で課題山積の日本の社会的課題を解決していくには、誰かがお金の流れを変え社会を変えるために真剣に向き合う必要があると強く思ったのです。
そこでJICAを辞め、本格的にファンドレイジング*について学ぶために、米国に渡り、インディアナ大学でファンドレイジングについて学び、ケースウエスタンリザーブ大学で非営利組織管理学修士を取得しました。
そして、日本における本格的なファンドレイジング戦略コンサルティング会社の存在の重要性を認識し、2008年に株式会社ファンドレックスを創業しました。さらに、企業が事業の売り上げで税金を納め行政が社会課題の解決をするという、旧来のパラダイム以外の新たな軸を日本社会に定着させるために、日本ファンドレイジング協会を設立したのです。

*ファンドレイジング:NPO法人や公益法人、社会福祉法人などが、活動するための資金を、個人や法人、政府などから集める行為。

鵜尾雅隆氏

――これまでどのような取り組みをされてきたのでしょうか。

鵜尾 社会問題の解決に着手するには、寄付や投資を行う資金の出し手側と、それを得て活動を行う受け手側であるNPOなどの組織のどちらにフォーカスすべきかと考えた時、まずは受け手側だと思いました。なぜなら、多くのNPOは一生懸命課題に向き合ってはいるけれど、資金的に支援をしてくれる側としっかり向き合っていないのではないかと感じたからです。
支援者側からすれば、コミュニケーションが円滑でないままに応援しても、NPO側から何も報告がない状態だと、いくら資金の流れを増やしても失望し支援を中止したくなります。

そこでまずは、NPOなどで資金調達を専門に行う「ファンドレイザー」の育成から始めることにしました。続いて認定ファンドレイザーの資格制度の運営へと広げ、現在は、学校での子どもたちに対する寄付教育も行っています。また、遺贈寄付推進の全国的なプラットフォーム構築、富裕層の社会貢献の支援など、資金の拠出側へも事業を広げてきています。
もう1つ取り組んでいるのが、インパクト投資です。社会課題解決に使える経済的リターンと社会的リターンが最も大きくなる投資を進めるために、インパクトを評価するセンターの構築などを行っています。

――ファンドレイザーの役割は、どのようなものでしょうか。

鵜尾 ファンドレイジングでは、「共感性」をどうマネージメントしながら、財源と事業と組織を一体として成長させるかということに重きが置かれます。企業との最大の違いはそこです。企業では、製品やサービスが売れたら収入になるという分かりやすい構図です。しかしNPOの場合、例えば難民支援を行っても難民からお金はもらえません。ファンドレイザーは、共感性をベースにして、どうやって他から資金を調達してくるかというスキルが必要な職業です。これまで4,000人がファンドレイザーの基礎研修を受講しています。そのうち資格を取得した人が1,400人います。
ファインドレイザーの役割は、現場と社会のパイプライン。そのために自身が資金調達の役割を果たしてもいいし、そのための戦略を作ってもいい。オンラインの仕組みを作ってもいいのです。また、組織そのものを共感体質にしていく役割もあります。ファンドレイザーが組織の人たちを啓蒙することで、メンバーが社会とのコミュニケーションの重要性に気づき、行動変容を起こしています。

米国では大学や大学院でNPOの経営について教えるコースが200以上あります。しかし、日本には単発のコースやセミナーはありますが、体系的に学ぶことができません。当協会のファンドレイジング研修では、収益事業や助成金、寄付、会費などをどのようにマネージメントしていくかを学ぶことができ、財源の構成を考慮し、相乗効果を考えながら事業と組織を成長させる力を付けていきます。成果は、共感性コミュニケーションで資金を拠出してもらうことや、組織そのものを成長させる事務局長を育成することなどに表れます。
シンプルに言えば、ファンドレイジングとは、ファン・マネージメントをすることです。支援者に引き続き応援してくれるようにコミットしてもらい、組織を成長させていくのです。伝えるだけでは、共感してくれません。応援してくれません。どうやって共感してもらい、その人たちが次のステップに進むようにするのか、戦略を立てねばなりません。実際には、ファンドレイザーの研修を受ける人の受講動機は多様です。企業に所属している方、税理士、弁護士、行政の方などもいます。

鵜尾雅隆氏

ファンドレイザーによる実体験の共有で日本を変える

――現在の日本国内のNPOが抱えている課題はどのようなものがありますか。 またその解決に必要なことは何でしょうか。

鵜尾 NPOにお金が流れていません。また、行政に社会支援の全てを依存するわけにはいきません。だからと言って、明日からそれを全部NPOで支援できるわけでもありません。課題の構造を考えると3つの軸があると思います。

1つ目は、政策の議論が十分に行われていないこと。国家の意思として国にお金を寄せていくと考えるか、民から民にお金が流れるのが大事かという議論です。
2つ目は、NPOやソーシャル・ビジネスの現場にいる人と、社会との間のコミュニケーション不足です。私もインディアナ大学のファンドレイズ・スクールで学びましたが、修了後、どれだけ学んだことが、自分の組織で実現できていたかチェックリストに照らし合わせたところ、ほとんどできていませんでした。今から20年以上前のことですが、全く自分からコミュニケーションをとらずに「日本社会が応援してくれないのが課題だ」と思いこんでいました。
3つ目は、寄付による資金のマーケット・メカニズムです。株式市場がなかったら株の売買はできませんし、資産は増えません。寄付市場も同じです。

私はJICAに勤めていた時代、50を超える国で仕事をして社会の仕組みを見てきましたが、欧米社会は理念型ですね。議論を重ね、正しいと分かった方向に行くことができます。
比較すると日本社会はものすごく実体験社会です。誰かが壇上でこちらが正しいと言うと、本当かなあという顔をして腕を組んでしまいます。しかし、1度でも実体験を共有するとガラリと変わります。
実体験の積み重ねが遠回りのようでいて、日本を変えるには最も近道だというのが私の結論です。ファンドレイザーを育成して、NPOを支援して良かったなあと成功体験を持つ人が増えたら、日本は変わります。

「ファンドレイジング・日本2019(FRJ2019)」の様子。

「ファンドレイジング・日本2019(FRJ2019)」の様子。

昨年9月14日・15日に駒澤大学のキャンパスで開催し、1,674名が参加した「ファンドレイジング・日本2019(FRJ2019)」の様子。出典:日本ファンドレイジング協会

釣り銭型寄付と社会変革型寄付

――日本には寄付文化が根付いていないとする向きもありますが、どのようにお考えですか。

鵜尾 災害時に寄付をするという行為は、阪神・淡路大震災の時は、それほど多くありませんでした。それが、東日本大震災では、日本人の実に76.8%の方がなんらかの寄付をしました。この時が実体験社会の変わり目でした。

日本では、コンビニやスーパーで釣り銭を募金箱に入れるという釣り銭型寄付が、昔から行われてきました。一方欧米では、「ある程度まとまってお金を出すので、社会を変えてほしい」という社会変革型の寄付が多いのは事実です。
では、日本社会に釣り銭型寄付の歴史しかなかったかというと、そうではありません。例えば大阪・堺では、町の橋の多くが当時の商人の寄付でできています。橋1基分を寄付して、この橋は、うちが寄付してできた橋ですと。これは「インパクト志向」の寄付です。昔はそうした例が各地でありました。

最近は、日本でもマンスリー・サポーターのような継続的支援者になる人も増えてきています。釣り銭型寄付は、募金箱に入れたお金がその先どのように使われたのかフィードバックはありません。ところが、難民支援のため月々一定額がクレジットカードから引き落とされるサポーターなどは、課題解決にかなり責任を持って参画しています。さらに「人生最後の社会貢献活動」ともいわれる遺贈寄付は、金額も比較的大きくなり、かつ自分がどんな社会の変化を残していけるか、という自身の強い思いや意思に基づいています。
こうした流れは間違いなく「共感によって行われる行為」です。このため共感性を媒介するツールとしてのSNSやスマホがデバイスとして成長していることが、流れを加速させていると思います。

――私の友人に、アフリカの恵まれない子どもに毎月寄付をしていて、その子どもから送られてくる手紙を読み、いつかその子に会いにいくのが夢と言っている人がいます。

鵜尾 フォスター・ペアレントやチャイルド・スポンサーシップなどのプログラムは、1990年代前半まで年間2億円程度の寄付でしたが、現在は40億円を超えています。支援先である子どもとの文通という分かりやすいモデルです。自分の寄付したお金がどのよう役立っているか分かり、そのフィードバックが手紙という形で返ってくる。感動の実体験がこのプログラムの継続に大きく貢献していると思います。

鵜尾雅隆氏

NPOの与える社会的インパクトを評価しよう

――寄付を受けるNPOは、活動に十分な資金を得るために、どのように事業内容を社会に周知していくべきでしょうか。

鵜尾 直感に訴える右脳と論理的な左脳、それぞれを刺激するコミュニケーションが必要です。NPOからの報告は、ともすると「私たちがやっていることは、全部報告書に書いてありますのでお読みください」となりがちです。それも「解読してください」ととれるような内容だったりしますね(笑)。
左脳中心になりすぎないか、または右脳だけになってしまってないか、そのバランスをきちんととったコミュニケーションにすることが重要です。フォスター・ペアレントの手紙は、まさに右脳・左脳どちらにも訴えかける好例ですね。
寄付者は、単にお金を出してくれた人ではありません。社会の課題を一緒に解決してくれるパートナーです。たとえ少額の寄付であったとしても、その人は何かスキルがあり、ネットワークを持っていて、アイデアがあり、あるいは人生で何かをやり遂げる人かもしれません。その人が何か行動を起こしてくれれば、結果として受益者のためになることもあります。「支援してくれる人たちも総動員して、一緒に社会課題を解決するんだ」という感覚を持たないと、NPOだけでは世界は変わりません。

鵜尾雅隆氏

――NPOの専任スタッフは、そのNPOから支払われる給与で生活をしていかねばなりません。ところが、日本にはNPOの給与は安く抑えるべきという風潮がありますが、いかがお考えですか。

鵜尾 「NPOのスタッフは、ボランティアだよね」と思っているのは、世界200カ国中で日本がダントツで1位かもしれません。海外では、1,000万円以上の年収があるNPOの経営者もいるのに、日本では200万円でももらいすぎじゃないか考とえられています。
ただ米国も以前は安かったのです。1950年代までは、カリスマNPO代表がいて、その人に共感したスタッフたちが滅私奉公的に働いているような状態でした。しかし、代表が第2世代、第3世代と代わっていく中で、優秀な人材に就任してもらわなくてはなりません。給与に関しても論理的、合理的になってきて、70年代には、NPO、NGO向けの行政の補助金は人件費が削られているのはおかしいのではないかという意見が多くなった。代表もスタッフたちも素晴らしい仕事をしており、企業人と比較しても全く遜色がない。もっと給与を上げるべきだという声が高まり、助成財団とか行政の補助金の中での人件費比率がどんどん上がっていきました。
日本も、NPO自体が財源を多様化させ財務体質が良くなってきており、適正な給料が払えるようになってきています。

鵜尾雅隆氏

――NPOの名称が、「Nonprofit Organization(非営利団体)」ということも影響していませんか。

鵜尾 利益分配をしないという意味の、非営利が誤解されていたかもしれませんね。海外では、NPOではなく、ソーシャル・インパクト・オーガニゼーション(SIO)という名称が良いのではと言われ始めています。
「NPOのカリスマ代表の理念に共感している。お金じゃない。通常の経済活動ではないことをしたいのだ」という人は低い給与でもいいかも知れないけれど、他のスタッフにそれを強いるわけにはいきません。
その解決の鍵は、「インパクト評価」だと思います。NPOの人件費はコストです。100のお金を寄付したら、人件費は5にして、95を対象に届けてほしいというのが寄付者の思いでしょう。しかし、5の人件費を10にして、90のお金が150のインパクトを生むのだということが説明できれば、10 の人件費はコストでなく投資になります。このパラダイムを、日本のNPOはこれまできちんと説明してきませんでした。
「私たちはこんな社会変革を起こすことができるのです。そのためにぜひご支援をお願いします」と説得力を持って説明し、それをしっかり実現していることを適切に報告する態勢へと変われば、人件費への認識も大きく変わるのではないでしょうか。

現在、「社会的インパクトマネジメントイニシアチブ」というのを立ち上げて、社会的運動を作ろうとしています。成果を可視化し、皆で取り組むことで、プロフェッショナルであるスタッフのコストを投資だと考える社会にしていきたいのです。
そのためには、NPOの起こす変革のインパクトを評価する必要があります。
例えば、障がい者職業訓練であれば、何人の参加があり、その後どのようなスキルが身に付き、就職ができ、それによって将来の社会保障費の削減につながったなど、そうした仮説シナリオを明示しているかを評価するのです。将来の社会変革にもたらす効果を予測することで、NPOのプログラムの質も向上していきます。
今までこうした評価をNPOはしてきませんでした。善意でやっているから評価は難しいと言っていたのです。もちろん過度に数値化されるのもミスリードだとは思いますが、質の部分を見ていくことはとても重要です。

――国内の認証NPO法人数は現在約5万、認定NPO法人数は約1,200あります。寄付をする側は、どのようにして寄付先を決めればいいでしょうか。

鵜尾 自分が応援したいというのは極めて主観的です。好きな人を見つける感覚に近いですね。認定NPO法人が約1,200。第三者機関が認定しているという点では、1つの評価点にはなると思います。重要なことは、自分が「共感できるか」ということ。それは、NPOの活動でもいいし、そこで働く人でもいいのです。
また、その活動が与える社会的インパクトを考える。「ここはこんな新しいモデルで変化を起こしている」「自分のお金がどういう変化につながるだろうか」といったことを、報告書やホームページで、見るのもいいでしょう。

米国では、まず小口で10の組織に寄付してみようと言われます。その後のコミュニケーションで評価するのです。領収書だけ送ってきてそれっきりの団体は、きっとこれからもまともな活動報告を期待できないと判断できます。一方、丁寧な返信と進捗状況も報告してくる、参加できるプログラムを紹介してくれるなど、一緒に活動していきたいという思いを届けてくる団体は、寄付者も参画意識が強まり寄付を続けようという気持ちになりますよね。また、こうした支援者とのコミュニケーションによって、そのNPO組織も育っていきます。

鵜尾雅隆氏

社会変革を起こすお金の「1パーセント」モデルとは

――これからの活動で注力されていることはどのようなものですか。

鵜尾 寄付・社会的インパクト投資が進む社会の実現にあたり、現在目指している社会の変革の形は、「1パーセント」モデルです。社会のお金の1パーセントが動くと本当に桁違いのことができると思っています。この1パーセントとは、個人所得、企業活動、株式市場などの1パーセントです。
日本の株式市場は、約600兆円。個人所得はおよそ215兆円。相続の額は50兆円。富裕層の資産は299兆円。企業の経常利益は83兆円。それぞれの1パーセントは、6兆円、2兆円、5000億円、2.9兆円、8300億円となります。これらを考慮すると、日本社会で1パーセントの行動変容を実現すれば、社会の新しいパラダイムを生むに十分な資金力となるのです。新たな社会課題を解決したい、リスクがあるので行政の補助金を受けられない、そうした方々が思い切りチャレンジできる社会実験のためのお金のフローができあがるでしょう。

この1パーセントのモデルが実現できれば、社会が民から民のお金の流れで課題解決をしようという雰囲気になると思います。決して簡単なことではありません。しかし、遺贈寄付も毎年増えています。人生の集大成で社会貢献する人が増えているのですね。
社会的・環境的インパクトを生み出す意図を持って行われる「インパクト投資」の市場規模はまだ年間4500億円程度ですが、数年前は700億円でした。急速に変化が起きていることは間違いないでしょう。

もう1つ注力している活動は、学校における寄付教育の実施です。原体験が大事だと考えているからです。子どもの頃に初めてした寄付を、どれだけ成功体験にすることができるか。寄付をして感謝されて良かった、うれしかったというこの1サイクルが子どもの頃に回っていると、大人になっても寄付を通して社会参画することをポジティブにとらえることができます。
現在は、「寄付教育やっていますか?」と聞くと、「やっています。うちの学校では、〇〇に寄付することになりました。子どもたちは、お金を募金箱に入れてくださいと呼びかけるボランティア活動をしています」というのが多い。私たちの寄付教育は、寄付する先を自分たちで選びます。

SDGs教育も同様です。環境や貧困の課題など現代社会で学びます。重要なのは、「そこにあなたの役割があります」と教えることです。自分たちが解決していくのだという思いを、将来を担う子どもたちが持つことが大切です。
社会の課題を変えられると思っている子どもたちの割合は、海外の先進国では50パーセントを超えますが、日本だけ30パーセントです。日本の子どもたちは、自分たちの力では変えられないと思っています。自分たちで変えられるんだと思う子どもたちで溢れる日本にすれば、少子化だろうか、高齢化だろうか、財政赤字だろうが、明るい未来があると思うのです。そうしたモデルを作って変えていかねばなりません。
地域の子どもたちがクラウド・ファンディングでお金を集めて、社会貢献をする事例も出てきています。そうした実体験を得た子どもたちが20代、30代になった時に、大きな社会変革が起きることは間違いありません。

TEXT:栗原 進、PHOTO:倉橋 正

※本記事は、緊急事態宣言発令前の取材に基づいて制作しています。

鵜尾雅隆(うお・まさたか)

日本ファンドレイジング協会代表理事、株式会社ファンドレックス 代表取締役CEO。
1968年、神戸市生まれ。JICA、外務省、米国NPOなどを経て2008年NPO向け戦略コンサルティング企業(株)ファンドレックス創業。2009年、寄付・社会的投資が進む社会の実現を目指して日本ファンドレイジング協会を創設し、2012年から現職。認定ファンドレイザー資格の創設、アジア最大のファンドレイジングの祭典「ファンドレイジング・日本」の開催や寄付白書・社会投資市場形成に向けたロードマップの発行、子ども向けの社会貢献教育の全国展開など、寄付・社会的投資促進への取り組みを進める。

世界一のメートル・ドテルが語る―― 一流レストランは、サービスで顧客をつかむ

メートル・ドテル。格式高いレストランにおける接客サービスの総責任者である。「給仕長」という意味のフランス語で、もともとはフランス革命以前の時代、邸宅の主人に仕えるサービスの総指揮者としての役割だった。現在は、高級フランス料理店のサービス全般をつかさどる要職の呼び名になっている。
宮崎辰氏は、そのメートル・ドテルの日本における第一人者だ。恵比寿の三つ星フレンチレストラン ジョエル・ロブションをはじめ数々の有名レストランのメートル・ドテルを務め、2012年、最も伝統と格式のあるレストランサービスコンクールの国際大会「クープ・ジョルジュ・バティスト」で、日本人として初めて「世界一のメートル・ドテル」の栄誉に輝いた。
現在はミシュラン星付きレストランでの接客サービスだけでなく、レストラン業界のサービスマンの指導や講演、執筆活動、異業種へのコンサルティング活動などを行っており、そのサービスに対する考え方はビジネスマンにとっても大いに参考になると評判を呼んでいる。
対価を生まない「おもてなし」と対価を生む「サービス」は異なるという宮崎氏に、利益を生むサービス思考について、お話を伺った。

サービスで顧客をつかむ時代!

――まず最初に、メートル・ドテルについて解説をしていただけますか。

宮崎 格式の高い、いわゆる高級レストランには必ずメートル・ドテルというサービスチームの最高責任者がいて、予約の対応から、当日のお出迎え、注文を伺い、接客、お見送りまでお客様に対するサービス全てを行います。
レストランのサービスを行う仕事は、キッチンとホール間の料理の上げ下げを行うコミ・ドラン、お客様へ料理などを提供する業務的なサービスをするシェフ・ドラン、そしてお客様に直接サービスすることができるメートル・ドテルとステップアップしていきます。私もキャリアのスタートはコミ・ドランでした。4年間務めましたが、その間はお客様と直接会話することはほとんどありません。ひたすら上司や先輩の仕事を見て学んでいました。大規模なストランでは、メートル・ドテルが複数いて、そのトップにプルミエ・メートル・ドテルがいる場合もあります。私も恵比寿のジョエル・ロブションでは、プルミエ・メートル・ドテルを務めました。
メートル・ドテルは、最初のオーダーテイクを行い、お客様が今日何を召し上がりたいかを聞きだし、そして料理のご提案をします。その上で、ソムリエ、シェフ、パティシエなどいろいろな部門に指示を出します。またどのようにすれば楽しんでいただけるかを考え、演出をするいわばサービスにおける総合演出家なのです。

 メートル・ドテルは、サービスにおける総合演出家(宮崎氏)

――宮崎さんはもともと料理人を目指されていて、料理学校を卒業されたと聞きました。どのような経緯から、メートル・ドテルになろうと思われたのですか。

宮崎 私は辻調理師専門学校に入学し、その後フランス校に進学しました。その時レストランに行った際に、初めてメートル・ドテルを見ました。お客様たちの様子から彼に寄せる信頼感が伝わってくると同時に、お客様全員への気配りや立ち居振る舞いがかっこよくて思わず見とれてしまいました。タキシード姿が俳優のように洒落ていて大人の色気が感じられ、醸し出す雰囲気もエレガントです。大勢のお客様のオーダーをメモも取らずに記憶し、居てほしい時にさっと現れ、そうでない時は自分の気配を消している。そこが実に絶妙なのです。サービスってかっこいいと思った瞬間でした。
日本に戻りレストランに料理人として就職しました。時代はテレビ番組「料理の鉄人」が大ブーム。料理人志望もまずは全員ホール担当から始めなさいということでした。キッチンに入りたい希望者が多すぎて、まずホールで1年サービスをやってからというのが入社の条件だったのです。
その時、後に恩師となる上司のメートル・ドテルと出会い、「これからはサービスで顧客をつかむ時代だ。レストランは良いサービスがあってこそ一流になる。一緒にサービスの質を高めていこう。君には素質がある」と言われ、メートル・ドテルを目指す決心をしました。その上司とはそれ以来二十数年の付き合いとなり、今も頻繁に会ってお話していますが、「そんなことは言った覚えがない。そもそも素質があるなんて分かるわけがない」と言います。
上司は言った覚えがないと主張していますが、私は、「これからはサービスで顧客をつかむ時代だ」という言葉に心が動かされたのです。実際、その上司を目当てにたくさんのお客様が訪れていました。未知の世界を開拓するのも面白いなと思い、メートル・ドテルを目指す決心をしました。

――サービスの世界選手権「クープ・ジョルジュ・バティスト」で日本人初の世界一になられました。これはどのような審査があるのですか。

宮崎 レストランにおいてお客様が目にするもの、味わうもの、それに対する全てのサービスが課題として出されます。例えば、テーブル・セッティング。クリスマスや収穫祭などテーマがあり、それに合ったテーブルクロスを用意し、テーマと季節を考えた花を活け、それらを時間内に完璧に完成させます。
また、メニューは当日渡されるので、それを暗記します。それをもとにオーダーを取るのですが、お客様役の方からさまざまな質問が飛んできます。自分のレストランという設定ですから、「分かりません」と言うことはできません。お客様が何を召し上がりたいかを察して、これまで培ってきた知識をフル活用し、上手に要望を聞き出し料理の注文を伺います。
出来上がった料理の切り分けや配膳も試されます。これはデクパージュ技術と呼ばれていますが、大きな肉の塊などを目の前でカットし、それを人数分均等に皿に盛りつけます。またワインのテイスティングの他に、カクテルやデザートをお客様の目の前で作る課題もあります。
言語は全てフランス語です。もちろん出場が決まってから猛勉強もしましたが、今までコツコツ積み重ねた努力が世界一の結果になったと思います。

デクパージュ 写真提供:宮崎辰氏

デクパージュ 写真提供:宮崎辰氏

「クープ・ジョルジュ・バティスト」のコンテストで、日本人として初めて「世界一のメートル・ドテル」の栄誉に。写真提供:ART FIVE

「クープ・ジョルジュ・バティスト」のコンテストで、日本人として初めて「世界一のメートル・ドテル」の栄誉に。写真提供:ART FIVE

利益を生むサービスを演出

――世界一のメートル・ドテルになるには、普段からさまざまな努力をされていると思います。例えば、レストランの冷蔵庫にその日どんな食材が入っているかも把握されているとか。

宮崎 オーダーを伺っている際、お客様に苦手な食材があると分かれば、お客様としては「これから厨房に行って他にどんな食材があるか聞いて来ます」と言われるより、その場で自分が好きな他の食材の料理を提案された方が嬉しいですよね。リピーターのお客様でお好みを存じている場合は、別の料理をその場で提案します。シェフによっては、「勝手にそんなオーダーを」と怒る人もいるかもしれません。しかし、実際の現場では、メートル・ドテルの声はお客様の声。シェフもお客様においしい料理を食べて満足してもらいたいという思いは同じです。
ただ、これができるのはシェフとの信頼関係があったればこそ。そして私は、シェフの料理をよく知っています。この食材、調味料、料理法ならシェフの料理の根本を変えず、お客様もご満足いただけると分かった上でご提案しているのです。

――かつて料理人を志されていたので、シェフの気持ちもお分かりになるのですね。

宮崎 料理人を目指した経験は生きていますね。料理の腕を褒められれば、もちろんシェフは悪い気はしません。あなたの素晴らしい腕を見込んで、このお客様のリクエストに応えてほしい、あなただからお願いしているのですよという意味を込めて、言わば挑戦状を投げているのです。シェフも自分の腕を高く評価してくれている者からの依頼なので、それに応えてくれるのです。
そのようにして、臨機応変に変更した料理をお客様がとても気に入って褒めてくださった時は、必ずシェフにその言葉とともに感謝の気持ちを伝えています。
また、普段から「シェフ、このソース最高ですね!」などと彼の料理について具体的にコメントするように心がけています。人に高く評価されることは嬉しいことですから。

人に高く評価されることは嬉しいこと(宮崎氏)

――食材を変更しても採算はとれるのですか。

宮崎 私は、やみくもに料理の食材を変えているのではなく、それぞれの原価も勘案した上でご提案しているのです。ビジネスですからお店にとって損になることはできません。変更した食材によっては、もともとの料理より食材原価が上回る場合があります。しかし、「あなたのため」に特別な一皿に変更しましたとなれば、お客様の満足度は上がります。
また、肉料理が運ばれる寸前に、「今日は、上質のトリュフが入りました。特別なお客様にご案内しています」とガラスの容器に入ったトリュフを見せ、蓋を開けて芳醇な香りをお届けする。こうしたプレゼンテーションで、お客様にトリュフを追加注文していだたく。お店にとっては売り上げも利益も上がります。お客様にとっては追加の支払いとなってしまいますが、それをも上回る「特別なお客様」としての充実した時間と、おいしい料理を満喫することができます。
これにはタイミングが非常に重要です。料理が来る前にちょっと時間をかけて五感を刺激する、これは演出でもあり戦略でもあるのです。利益を生むサービス思考、それが大切です。これはレストランなど飲食業だけでなく、さまざまな業種で応用できると思います。
そして、お客様は「自分のために特別な何かをしてくれた」と、そこに価値を感じリピーターとなってくださるのです。

――ところで、宮崎さんは「おもてなし」と「サービス」は違うとおっしゃっていますね。

宮崎 日本はよく「おもてなしの国」と言われます。おもてなしとサービスはよく似ているように見えますが、「おもてなし」は対価の発生しない行為であり、もてなす側の心のこもった思いの表現です。
これに対し、レストランなどの「利益を生むサービス」はあくまでもプロフェッショナルが身に付けるべきテクニックであり、お客様に向けてカスタマイズしたものを指します。お客様の個性、職業、お連れになるゲストなどを吟味し、その場に最適な「モノ」「コト」「環境」「関係」などをご用意します。サービスする側が慢心していたら、お客様に見限られてしまいます。ですからサービスはプロとしての研鑽や努力に裏打ちされた「技術」「システム」「計算」が大切になります。常に改革が必要であり、サービスマンは自らのレベルアップや、イノベーションが不可欠なのです。

サービスマンは自らのレベルアップや、イノベーションが不可欠。(宮崎氏)

人材育成とチームワークの醸成がサービス向上の鍵

――お客様の満足度を上げるために、他にどのような工夫が必要でしょうか。

宮崎 サービスを行うのは人ですから、なんと言っても人材育成が大切です。そして、その人材を生かすチームワークも重要です。
私が心がけているのは、自立しかつチームのために判断できる人の育成です。
さまざまな状況に対して臨機応変に動けることはもちろんですが、その前にチームとしての決まりや基本的なルールをきちんと学び身に付ける必要があります。これは、どの会社や組織でも同じでしょう。

本日このインタビューをお受けしている南青山のレストラン「La clé」は、3月にオープンしたばかりですが、私はこの会員制レストランでも不定期でメートル・ドテルを務めさせていただいています。ここのチームのテーマは、「ナチュラル」(自然)と決めました。このキーワードのもと、料理の出し方や、説明のコツ、サービスの仕方の基本トレーニングを徹底して行っています。その方向性の中で各自、自立したサービスを行っていく予定です。基本のルールをしっかり守っていれば、自由にサービスを行っていいと決めています。個性がないとつまらないですからね。

これまでチームの長として俯瞰して全体を指示していましたが、最近一人一人にかける時間を増やしています。「最近どう?」「悩んでいることがあったら、いつでも声かけて」「さっきのサービス良かったよ」「こうするともっといいよ」と、気にかけ声をかけることでルールを守ってくれます。それができるようになったらどんどん個性を発揮していいよと言います。
今の若いスタッフは怖いもの知らずで、私の若い頃よりずっと優秀です。自由な発想で対応力もあります。中には失敗を恐れて指示待ちになるスタッフもいますが、その責任は上司が取るものなので、怖がらずにどんどん新しいことにチャレンジしてほしいと思っています。

個々のお客様がお求めになる「ツボ」がどこなのか、それをつかむにはセンスと経験が必要です。教えることはできませんが見せることはできます。ただそれを見て、宮崎と同じことをすれば同じ結果になるということでもありません。お客様ごとに求められるものは違います。お客様の要望を聞かずとも分かる存在になる、それにはやはり経験とセンスなのです。言葉で伝えるのは難しい。ですから今、多くのレストランの現場に入って、サービススタッフに感じてもらう。そして、「もう少しこうした方がいいかも知れないね」などとアドバイスをする。自分で考えて、自分なりの「お客様を思う接客のスキル」を向上してもらえるようにしています。

サービスを行うのは人ですから、なんと言っても人材育成が大切です。(宮崎氏)

――チームとして、宮崎さんが心がけていらっしゃることはありますか。

宮崎 再訪くださるお客様のために、いただいた名刺にその日のことをメモします。名刺がない場合も、顧客システムにどんな会話をしたか、テーブル何番に座り何を注文され、どんな料理がお好きだったか、苦手な食材は、などさまざまな情報を記入するようにしています。頭で覚えるのは限界もありますから、その日のうちに作成します。チームとしての心がけなので、次のサービスに活かすため、すべてのスタッフに情報を文字に残すことを心がけるよう指示しています。
これはサービス担当者なら誰もが作成している顧客管理のデータベースであり、企業の営業担当の方は皆さん作成されていると思います。このデータをいかに充実させ上手に活用していくか否かで、後々強力な営業ツールとすることができるか、ただの埋もれた情報となってしまうかに分かれます。次の予約時にそのデータをもとに、チームでミーティングすることも大切です。

お店の売り上げという観点では、超常連さん、常連さん、一見さんというランクがあるでしょう。
しかし、私を目指してご来店いただいたお客様は、私にとって全ての方が一番です。全てのテーブルを均等にサービスしなければなりません。当然私一人では回り切れなくなることもあります。そこはやはり個人プレーではなく、チームプレーです。お店の利益のためには、私がいなくてもお客様にご来店いただかねばなりません。そのための人材育成もメートル・ドテルの仕事です。お客様にある程度お店に慣れていただけたら、別の者を紹介します。紹介されると若手もそのお客様への接客がしやすくなり、個人からの接客が、お店からの接客になります。
レストランはチーム力です。料理、サービス、雰囲気など総合力が求められています。これはレストランだけではなく、どんな組織もそうです。モノだけではなく、サービス、そこに思いが入っているか、チームワークがあるかが重要なのです。

モノだけではなく、サービス、そこに思いが入っているか、チームワークがあるかが重要なのです。(宮崎氏)

――ミシュランで最高評価を獲得しているレストラン「ジョエル・ロブション」のプルミエ・メートル・ドテルの職を離れ、自身の会社と学校を立ち上げられましたね。

宮崎 おかげさまで私は「世界一のメートル・ドテル」という栄誉をいただくことができました。しかし、私一人のサービスが向上することよりも、日本のレストラン業界全体を盛り上げ、サービスレベルを上げ、多くのお客様に楽しんでいただくことが、今の私の使命ではないかと考えました。自分の経験と持っているスキルを世の中に還元しよう、そう思って2017年にロブションを退社してフリーになり、起業し学校を設立しました。学校では、レストラン・サービスマンの人材育成のための技術、マネージメント、英会話などを学ぶことができます。私は、今も現役でレストランのメートル・ドテルを務めていますので、現在のお客様が求めていらっしゃることも分かります。過去のノウハウを教えるのではなく、生きたノウハウを伝授します。そして、レストランの接客業務の魅力ややりがいを伝えたいと思います。
今、「サービスの時代」が来ています。お客様満足度、従業員満足度、おもてなし、ホスピタリティー、お客様第一という言葉は日常よく使われます。「サービス」で組織、企業の売り上げが変わるのです。

単なる「モノ」の販売から、充実した「トキ」を売る!

――ご著書に、料理研究家の辻静雄さんのエッセイを引用され、サービスを提供する側と受ける側の間には「永遠の齟齬がある」と書かれていました。このギャップは埋まらないものでしょうか。

宮崎 SNS上のレストランの口コミには、目の前のお皿に載っている料理だけで評価しているものをよく見ます。一皿の料理には、人件費や初期投資費、給仕のサービスも含まれているはずなのですが、それは全く考慮されずに「コスパがいい」「コスパが悪い」と判断されています。もし空腹を満たすためだけのモノにしかフォーカスされない口コミであれば、とても残念ですね。
これには、現場で正しい価値を提供し続けるしかないと思っています。モノではない価値です。感動体験や、そこで過ごした心地良い充足した時間を売っているのです。
おいしさの余韻には限りがあります。しかし、楽しかった、幸せだったという余韻はずっと続きます。「モノ」のコスパだけではなく、「トキ」のコスパを届けていきたいです。笑顔になり、気持ちが豊かになって非日常空間を味わっていただく、それが本来のレストランのあるべき姿。それを演出したいし、これからも続けていきたいですね。料理もおいしかった、雰囲気も良かった、ワインも良かった、そしてなによりサービスが良かったと。

――これからサービスマンを目指そうと考えている若い世代の皆さんへ、メッセージをお願いします。

宮崎 自分から一歩前に出る。最初は恥ずかしいかもしれません。勇気がいることかもしれません。
人生には思うようにいかず落ち込むことも多い。私も心身ともに疲れ、何もやる気が起こらずこのまま朝が来なければいいと思った時期がありました。その時私は思い切って休暇を取り、温泉で自分の心と体をいたわりながら充電をしました。それは自分自身を見つめる時間でもありました。
これまで誰もやったことがないことをやる時も勇気がいります。私が「クープ・ジョルジュ・バティスト」に挑戦した時もそうでした。一歩前に出る。けれど、あの時勇気を出して良かったと思う時がきっときます。
そして、なりたい姿を常に持ち続けることですね。
自分がどういうサービスマンになりたいか、目指すべき先輩を見つけ、その人の動きや仕事の仕方をまねてみることから始めましょう。そしてお客様のご意見を聞きながら、自分らしさを磨いて成長していってください。
私たちも、そうした若い人のロールモデルとして目指してもらえるような仕事をしていかねばなりません。そうやって互いに切磋琢磨して成長し、お客様に素晴らしいサービスを提供し、幸せな時間をお届けしていきたいと思っています。

TEXT:栗原 進、PHOTO:倉橋 正

宮崎 辰(みやざき・しん)

メートル・ドテル、Fantagista21代表
1976年、東京都生まれ。高校卒業後、辻調理師専門学校に入学。同校フランス校へ進学する。1997年に卒業後、数々の有名レストランで勤務。恵比寿「シャトーレストラン ジョエル・ロブション」でメートル・ドテルとして活躍。2012年には、「クープ・ジョルジュ・バティスト」が主催するサービスコンクール世界大会で優勝し、日本人初の「世界一のメートル・ドテル」に。2017年に独立し、レストランサービスの普及活動、人材育成のための団体「Fantagista21」を設立。メートル・ド・セルヴィスの会の役員も務める。
著書に、『利益を生むサービス思考』(光文社新書)、『世界一のおもてなし』(KADOKAWA)他がある。

石森氏

「特務機関NERV防災アプリ」――気象庁が発する地震、津波、噴火、台風、土砂災害、河川情報、雨雲レーダー、大雨危険度通知や、河川情報センターからのダム放流通知などのさまざまな防災情報やJアラート(国民保護情報)の情報を即時配信するツールとして、2019年9月のリリース以降、約57万人(2020年3月時点)のユーザーに利用されている。

気象庁職員にも愛用者が多いという同アプリを開発・運営しているのが、エンジニアの石森大貴氏が代表取締役を務めるゲヒルン株式会社だ。10年前、個人的なTwitterアカウントからスタートした防災情報の配信は、いかにして社会に浸透していったのか。石森氏に、同社の取り組みと日本の防災情報の現状、そこから浮かび上がる課題、未来の防災情報のあり方などについて伺った。

個人的な趣味から事業へ。きっかけは東日本大震災

――アプリのリリース以前から運用されていた「特務機関NERV」(以下、「NERV防災」)のTwitterアカウントも、現在86万を超えるフォロワーに情報を発信しています。このユニークな名称は、石森さんご自身が大ファンだというアニメ「エヴァンゲリオン」(以下、「エヴァ」)シリーズに登場する組織からとられたものですね。アカウントを開設された理由と、防災情報を発信するようになった経緯をお聞かせください。

石森 きっかけは、あくまでも個人的な趣味です。アカウントを開設したのは2010年2月なのですが、前年に『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』が公開され、当時はちょうどエヴァ界隈がアクティブなときでした。それをうけて、エヴァの世界観をTwitterの世界に持ち込んでみたくなったのです。作中でのNERVは「警戒」や「警報」という用語をよく使っていたので、このアカウントも現実の世界の気象警報などをツイートするものにしました。

NERVのTwitterアカウントのホーム画面(2020年3月時点)

NERVのTwitterアカウントのホーム画面(2020年3月時点)

――石森さんご自身と会社の双方にとって大きな転機となったのが、2011年3月の東日本大震災だったと伺っています。宮城県石巻市にあった石森さんのご実家も被災されたのでしたね。

石森 はい。これは本当に偶然なのですが、ちょうど3•11の前日に緊急地震速報のソフトウェアをインストールしていて、東京の自宅にあるディスプレイに表示できるようにしていたんです。なので、地震が起きたときも、揺れより先に東北エリアに流れた緊急地震速報で発生を知りました。発生直後は実家の母とメールでやりとりしていましたが、津波警報のあとは連絡が途絶してしまい……。たまたま東京にいた父は車で急いで宮城に戻り、僕は一人で東京に残りました。エンジニアの自分が電気のないところに戻るよりは、東京にいてできることをしよう――父と相談し、そう決めたのです。

震災翌日から計画停電が行われるという情報が流れたので、NERV防災のTwitterアカウントで節電を呼びかけるキャンペーンを始めました。これもエヴァ作中からとって「ヤシマ作戦」と名付けたのですが、非常に多くの方が拡散・協力してくださって、テレビでも紹介されました。社会貢献活動ということで、エヴァの版権元から「公認・非公式」という形で許諾を得たのもこのときです。僕自身は作戦を呼びかけながら、緊急地震速報などを手動でツイートしていました。作戦中はあらゆる仕事をなげうって、この2つに集中していたのを覚えています。

家族の無事を知ったのは4日後のことでした。父は最終的に車を乗り捨てて、水没した地域を泳いで実家に戻ったそうです。文字通り命がけだったと思います。

――震災直後のそうした活動を通して、石森さんご自身の中で防災情報に対する意識が高まっていったわけですね。

石森 当時の被災地はテレビもラジオもない状態だったので、インターネット経由での情報発信の必要性を感じていました。ところが、ネット上では虚実ない交ぜの言説が飛び交っている。正確な情報をいち早く届けなくてはならないことを痛感し、糠谷に協力してもらい防災情報の自動配信実現に取り組みました。現在のものと比べると精度も低いですし画像も出せていなかったのですが、ひとまず地震情報に関しては2011年6月に自動化を実現しています。

また、これは後の話になりますが、こうした取り組みを社内活動として行いやすいよう、定款に防災情報発信を加えたり、理解ある企業に新たな株主になってもらったりもしました。

石森氏(左)と同社専務取締役の糠谷崇志氏(右)

石森氏(左)と同社専務取締役の糠谷崇志氏(右)

1分でも1秒でも早く、分かりやすく、情報を伝えたい

――地震情報の自動化以降、NERV防災アカウントでの情報発信はブラッシュアップを重ねていきました。その中でも大きなステップアップとなったものは何でしょうか。

石森 作画エンジンの導入と、Lアラート(災害情報共有システム)の接続です。作画エンジンは2012年から社内で構想が始まって、2013年9月に実装しました。その頃のTwitterでは、地震情報を発信する際にテレビ画面を撮影し添付している人は数多くいたのですが、オリジナルの画像を出しているアカウントはいなかったのです。テレビでも、震度階級などの色分けは各局で異なっていたので、「うちも好きに決めよう」と糠谷に配色をお願いしました。僕には色覚異常があるので、同じく色の見分けがつきにくい人たちにも見やすい配色になるよう、工夫してもらっています。

Lアラートの接続は、情報のツイート速度をあげることを目的に行いました。報道機関の速報よりも、1分でも1秒でも早く情報を伝えるということには、常に怠らず取り組んできました。

糠谷 そこは経営者というよりエンジニアのプライドかもしれませんね。石森はミリ秒単位を縮めるために、1ヵ月も作業に没頭したりしていました。

――2019年9月には新たに「NERV防災」アプリをリリースされました。

石森 実は、以前からアプリを、出さないのかという声を頂戴していました。ただ、公共機関や大手ポータルサイトから既に防災アプリがリリースされているのに、今から自分たちがアプリを出してどう差別化するのかという疑問がありました。それでも社内でやってみようかということになり、ひとまずデザインを組んでみたのです。すると他とは全く違うコンセプトのアプリができるんじゃないかということが見えてきて。

そこでますますやる気になって、視覚障害や識字障害のある方も使えるように音声合成エンジンをつくったり、タイムライン機能や重要情報のプッシュ通知機能を持たせたりと、搭載する機能を充実させていきました。じつは緊急地震速報の予報業務の許可を気象庁に申請する必要もあって……。

石森氏

糠谷 Twitter上でも同じ情報は流していたのですが、アプリでは地域ごとに絞った情報を提供したくて。そうなると、予報業務にあたるので許可をもらわなければならなかったのです。申請には60枚ほどの書類が必要で、地震のP波・S波の到達予想時刻を算出する計算式などを細かく書かなければならないので大変でした。他にもインフラの設計やスタッフの勤務状況なども提出しなくてはならず、担当していた石森は書類作成と申請に追われ、1ヵ月ほど出社する暇さえありませんでした。

石森 慣れない作業で苦労したのですが、おかげさまで無事にリリースできて大勢の方に使っていただいています。気象庁と一緒に開発した大雨危険度のプッシュ通知もたいへん好評です。

また、近年では当社開発のお天気カメラも全国10ヶ所に設置し、活用しています。このカメラには震度計もついており、揺れのピーク前後15秒間の動画を自動で切り出し配信することが可能です。似たような機能を持つカメラはテレビ局も持っていると聞いていますが、すべてをクラウドで自動化しているのは当社だけです。

お天気カメラの映像

お天気カメラの映像

ゲヒルン特製の輸送用段ボールとヘルメット。中にはお天気カメラが入っている。

ゲヒルン特製の輸送用段ボールとヘルメット。中にはお天気カメラが入っている。

次世代のために、社会を「ハック」していきたい

――日本の防災情報発信の現状についてどうお考えですか。

石森 課題として感じているのは、とにかく一次情報が遅いということです。たとえば県管轄のダムの放流情報は、PDFのホームページ掲載という形をとっていて、見る方が自力で探さなければなりません。また、国が管理するダムの放流情報は、各地の河川事務所がファックスで国土交通省に知らせて、それを担当者が入力してデータにするという方法がとられています。そうなると、情報が手元にくるのは「放流から1時間後」といった事態になるので、報道機関も振り回されてしまうのです。

これはどうにかしたいと考えていて、都内の自治体と協定を結んで、情報を直接アプリに流してもらう実証実験に現在取り組もうとしているところです。

これからは、より一人一人の状況に合った情報を配信していきたいとも思っています。ただ、ユーザー側がそれに慣れてしまうと、与えられる情報だけに依存してしまう可能性を懸念しています。避難勧告が来るまでは避難しなくていいだろう、というのではなく、あくまでも自分の命は自分で守るという気持ちでいてほしい。なので、ユーザーのリテラシーを高めるような情報配信の在り方というのを考えていきたいですね。

糠谷 また、さまざまな面での自動化促進も全社で目指しています。防災分野においてITで解決できることはたくさんあるので、先述したダム放流通知のように、行政も巻き込んで改善していきたいです。

――石森さんの場合は震災でご実家が被災されたこともあり、防災情報に対する思いは人一倍強いのではないでしょうか。

石森 確かに震災後、自分の中にそれまではなかった使命あるいは義務感のようなものが芽生えたのを感じています。次に来る津波に備えて社会に情報伝達の仕組みを残さなくては、という気持ちです。3•11のとき、僕の家族は無事でしたが親戚や友人が亡くなりました。この人たちには情報を伝えられなかった。けれど、今、石巻には「NERV防災のアカウントをいつも見ているよ」と言ってくれる親戚がいたりする。次の津波が来たときに、沿岸部に住んでいるこの親戚に情報を届けることができないようでは駄目だなと思っています。

――現在も、被災地に足を運ばれているそうですね。

石森 はい。気仙沼にある『リアス・アーク美術館』からは学ぶことが多いです。ここは震災の記録を常設展示している美術館で、見ていると震災で得た教訓を次世代に伝えていこうという思いがひしひしと伝わってきます。三陸というのはおよそ40年に一度の周期で津波が来襲する「津波常襲地帯」なのですが、実は日本の沿岸部の大半はそれに当たります。沿岸部に住む以上は常に津波に備えていなければいけないし、それを次世代に受け継いでいかなければならない。そのために自分たちは何をすべきなのか。情報の大切さも含めて、そういったことを考えさせてくれる施設です。

石森氏、糠谷氏

――Twitterのアカウントでは、リアルタイムの情報だけでなく、阪神淡路大震災や熊本地震などの発生日に震災を振り返るツイートもされています。

石森 ユーザーの方に被災地のことを思い出してほしいとか、この機会に備蓄を確認しようとか、防災について家族で考えてほしいなどといった意図もありますが、自分たちに向けての戒めという意味合いも大きいです。先日、震災で娘さんを亡くされたという方とお話する機会がありました。「あの日から心の時計が止まったままですよね」という僕の言葉に、ご遺族の方が「本当にそのとおりだ」と応えてくださって、そのやりとりは今でも強く印象に残っています。3•11で亡くなられた方は2万人近くいます。2万という数字にしてツイートするのは簡単ですが、本当にそれだけの人たちがいなくなってしまったのだと思うと、ものすごく大きな数なんですね。そういうことを思いながらツイートしています。

糠谷 当社には、地方に住んでいるメンバーもいます。中には熊本地震で被災したエンジニアもいますし、当社取締役の舘野(さくらインターネット副社長)も阪神淡路大震災の経験者です。そのためか、社内全体にも石森の持っている使命感が浸透してきているように感じます。

石森 創業以来掲げていた「人と社会のために新たな価値を創造し続ける」というビジョンを、今年から「社会をハックする」というものに変えました。ここで言う「ハック」とは「切り拓く」という意味です。この10年を振り返ると、防災情報の発信から始まり、気がつくと気象庁や内閣府を巻き込んで社会の仕組みをハックしていた。情報セキュリティー会社であると同時に最近では防災ベンチャーとしても認識されていますし、NERVという名称の使用もアニメならではのムーブメントの起こし方だと評価されるようになりました。この先も0.1秒でも速い情報伝達を心がけて、世の中をより良くハックしていきたいですね。

TEXT:中野渡淳一、PHOTO:村松正博

石森大貴(いしもり・だいき)

ゲヒルン株式会社 代表取締役
1990年、宮城県生まれ。筑波大学在学中の2010年7月にゲヒルン株式会社を設立。同年より、アニメ「エヴァンゲリオン」シリーズに登場する「特務機関NERV」の名称を用いたTwitterアカウントを開設、気象情報などの配信を開始する。2011年、東日本大震災発生時は節電をツイートで呼びかける「ヤシマ作戦」を展開し、話題となる。以後、会社の事業と併行してTwitter上での災害速報に取り組む。2019年9月、防災情報アプリ「特務機関NERV防災アプリ」をリリース。全国の地震情報、台風情報などをどこよりも速く伝えるサービスとして注目されている。現在、同社代表取締役。

江戸、そのしなやかなネットワーク社会――現代人は、江戸時代を超える良い社会をつくったか?

江戸時代の人々は、どのような社会に生きていたのだろうか。多くの人は「鎖国」「身分制社会」「儒教」という堅苦しい社会を想像するのではないだろうか。
しかし、田中優子・法政大学総長が語る江戸時代の素顔は、もっと自由でしなやかだ。例えばものづくり。「長崎を窓口にヨーロッパ・インド・中国の先進的な製品を輸入し、日本人の生活に合うように改良・国産化し市場を築き上げた」という。近代製造業の原点がそこにある。
画家や作家、俳諧師、科学者たちが身分を超えて集まった「連」(れん=サロン)に、田中総長はとりわけ注目する。「連」のネットワークで個性的な才能が開花し、出版事業が盛んになった。国民の知識水準が高まり、やがて明治維新につながった。
「現代人は江戸時代を超える良い社会を作ったと思っているが、不安や危機感はむしろ深まっている。江戸の人やモノは重層的に関わり、動き、変化し、時空を超えて伝播してきた。人びとは個々の関係に意図的に関わり、したたかに変化する人間を演じていた」と説く田中総長。
江戸研究から見えてきた、現代社会に息苦しさを感じる人々へのヒントを語っていただいた。

世界史にみる「江戸時代」の位置づけ

――先生は「江戸時代は、世界経済やアジアの動きと連動して生まれた」と述べておられます。昔から大陸と交易してきた日本が、突然貿易を制限しました。この江戸時代を世界史の中でどのように位置付ければよいのか、解説していただけますか。

田中 世界の貿易は16世紀後半を境に大きく変わりました。15世紀の大航海時代以降、ヨーロッパはアフリカ南西端の喜望峰を回るルートでアジアに来ていました。しかし、米大陸に進出した後は、そこから太平洋を横断してアジアに渡るルートを開拓し始めました。
そして1570年代、安定した太平洋ルートが確立されて地球は1つにつながり、いわば「グローバリゼーション」が始まったのです。スペインはメキシコで採掘された銀(スペイン銀)を、西海岸のアカプルコからマニラまで大量に運ぶようになりました。
そのマニラには、中国のいろいろなハイテク商品を積んだ貿易船がやってきて、スペインとの交易が始まりました。アジアの経済構造が一変したのです。
その影響を最も強く受けたのが、当時、世界有数の銀産出国だった日本です。それまで誇っていた強い購買力は、スペイン銀に押されて衰退し、日本社会の変質を促しました。

もう1つの変質の要因は、豊臣秀吉がアジアの植民地支配に乗り出したことです。きっかけはキリシタン大名がイエズス会に領地を寄進したこと。長崎までも寄進され、「このままでは全国がイエズス会の植民地になる」と危惧した秀吉は、長崎をイエズス会から取り返すと、今度は自らが植民側になろうとしました。
秀吉は朝鮮半島に軍隊を派遣し、中国、インド、フィリピンまで手に入れる構想を持っていました。スペインの植民地支配台頭による経済的打撃を、植民地で取り返そうという発想です。これが大航海時代に対する日本なりの対抗策でしたが、結果は失敗。世界の拡大主義に日本が巻き込まれた時代でもあったのです。

田中優子法政大学総長

ゼロから再出発するしかなかった江戸時代

――経済的な苦境と朝鮮半島での敗北。このきつい経験が、次に来る江戸時代の性格付けに大きな影響を与えたわけですね。

田中 そうです。朝鮮出兵では大量の鉄砲を生産して火薬を輸入するなど、巨費を費やしました。敗退によって得たものはなく、経済的ダメージは強烈でした。
海外情報の入り口だった朝鮮半島は閉じられ、国中がえん戦気分。「この先、どうなるか分からない」という不安心理に陥っていたのです。そんなゼロの状態から再出発するしかなかったのが江戸時代です。
江戸初期には、東南アジアに日本の商人が延べ10万人往来していました。彼らの多くはキリシタンでしたので、キリシタンネットワークの拡大を恐れ、幕府は1630年代、朱印船貿易を廃止し、渡航禁止令を出しました。本当の江戸時代がここから始まったのです。

最先端の製品を少しだけ輸入し、改良・国産化する

――貿易禁止の後も、オランダ東インド会社や中国から、時計、繊維、陶磁器、レンズなど異国のさまざまな先端的な製品が輸入されました。幕府の意図はどこにあったのでしょうか。

田中 幕府が選んだのは国産化の道でした。国産化のためには素材とモデルが必要なので、最先端のものを少しだけ輸入したのです。売るのが目的ではありません。
それ以前も鉄砲がそうでした。ポルトガルは日本に大量に売りつけるつもりでしたが、高度な刀鍛冶の技術があった日本は、自分で作ってしまったのです。
国産化に当たっては、輸入品を日本人の生活や好みに合わせて改良しました。絶えず海外の新しい産品や技術を取り入れては日本仕様へと工夫し改良していたので、国内マーケットは大いに活性化していきました。
海では千石船が列島を巡り、都市と地方の間で物資が行き交いました。陸路では参勤交代によって街道筋がにぎわいました。お金が一番落ちたのは、100万人超が暮らす江戸です。
オランダから機械や情報が入って来る。中国やインドの織物、焼き物、生薬が入って来る。学問も一緒に入って来る。こうして、外にまなざしを向けて最新製品や情報を取り入れながら、独自のものづくりに励む時代に変貌していったのです。

国産化の典型は和時計。木綿製品も国内市場が大発展

――海外製品は実際にどのように国産化されたのか、具体的な事例で説明していただけますか。

田中 典型的なのは和時計です。西洋から時計が入ってきたのは1500年代で、それを日本の生活に合うように国産化したのが和時計です。本来は一定の速度で動く時計を、四季による日の出日没の変化に合わせて速度を変えられるように改良しました。大名家、大きな商家、街の「時の鐘」を鳴らす合図用などに広がっていきました。
レンズも東インド会社からの輸入品で、眼鏡、望遠鏡、顕微鏡が作られました。遠近法を楽しむ「浮絵」も登場しました。箱の中の絵をレンズ越しにのぞくと、3Dで見える仕掛けです。
インドから輸入した木綿の縞(しま)織物や更紗も、国産化により市場が大きく発展しました。日本で最初に木綿の栽培が始まったのは室町時代、今の大分県辺りですが、江戸時代に爆発的に拡大しました。栽培技術マニュアルも出版し、木綿栽培も織物産業も国産化に成功。絹を扱っていた越後屋(三越の前身)が、木綿部門を新設するほどでした。

これらの商品の輸入窓口は長崎の他にもいろいろありました。朝鮮の釜山には対馬藩の倭館があり、中国朝鮮の先進的な文物が入って来て、倭館交易と呼ばれていました。
琉球からも中国製品が入って来ました。北海道のアイヌ民族経由では蝦夷錦(えぞにしき)などがもたらされました。当然、密輸も行われたのです。

江戸時代中期の和時計 出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)

江戸時代中期の和時計
出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)

輸出用と国内向けを、好みに応じて作り分けた伊万里

――当時の「輸入」→「改良」→「国産化」というやり方は、近代日本のビジネスモデルだという気がします。

田中 江戸時代から第二次世界大戦後間もない頃までは、確かにそうでした。初期の自動車産業は、米国車を研究し改良して、日本人に合う小型車を得意としました。しかし、その後の日本は輸入したものをそのまま売る傾向が顕著になり、本当に国産化の努力をしているのかなという気がします。
江戸時代はお客の生活や好みに合わせることを大事にしました。例えば肥前・伊万里は、中国・景徳鎮から輸入した陶磁器をモデルにして、ヨーロッパに輸出するものと、国内の大名家などに売るものを、好みに応じて作り分けていました。
中国が海禁(貿易規制)策をとったため、伊万里は景徳鎮の代わりに磁器輸出を拡大する機会に恵まれました。この結果、技術が向上し、柿右衛門や鍋島という日本的に洗練された磁器が生まれたのです。ヨーロッパに輸出された柿右衛門は、ドイツ柿右衛門や英国柿右衛門が生まれるほどの人気を得ました。

田中優子法政大学総長

江戸時代は、資源の持続可能性を重視する「SDGs」の社会でもあった

――江戸時代は「資源の持続可能性」を重視する社会だったとも述べておられます。現代のSDGsや循環型社会に通じる発想ですね。

田中 木材の伐採制限や下肥(排せつ物)の利用が典型的ですが、これは価値観というより現実に迫られてそうせざるを得なかったのです。
例えば人口が集中して大都市ができると、たいてい下流域で洪水が起きます。上流の山の木が、建築用やエネルギー源として過剰伐採されるのが原因なので、幕府や各藩は過剰伐採を取り締まりました。でもこれは先を読んで対応したのであって、倫理観で環境問題に取り組んだわけではありません。
江戸時代の人はだいたい1年先を考えていました。魚も山の動物も決して獲りすぎない。つまり来年の今頃もちゃんと収穫があるように、四季の循環を考えていたのです。
人口100万を超える江戸の周辺農村では、日々の野菜の生産に使う大量の肥料の確保が問題でした。そこで都市の下肥を農村に運び、発酵させて肥料にし、それで育てた野菜を都市に還流させるというサプライチェーンが生まれたのです。
家庭の下肥は下肥問屋がお金を払って集めました。今、排泄物は下水道に流しますが、当時は金になる商品だったのです。農村の野菜を都市に運ぶのは青物問屋。つまり下肥問屋と青物問屋がこの循環システムを回していた。実に合理的、論理的なシステムでした。
よく「このシステムを現代でも使えませんか」と聞く人がいますが、それは無理です。現代は野菜栽培に化学肥料を使うので、それを食べる私たちの下肥は化学物質だらけです。そんなものを肥料にしたら、農作物が汚染されてしまうでしょう(笑)。

田中優子法政大学総長

銅活字から製版に発展。印刷文化が知識向上に貢献

――江戸時代の知恵には本当に驚きますが、人々の知識向上に貢献したのは活字文化の発展だったと言っていいのでしょうか。

田中 最初に日本に入ってきた銅活字は、朝鮮王朝で仏典などの印刷に使われていました。秀吉の朝鮮出兵の際に持ち帰ったものを、家康が教科書を印刷するために導入したのです。これをモデルにして家康は「駿河版銅活字」を作りました。
しかし、全国に教科書を普及させるには膨大な量の銅が必要になるので、木製の活字に切り換えました。この活字を使う日本初の出版社が京都に誕生し、その後も続々と出版社が現れて庶民向けに『太平記』などを印刷しました。
読者が増えると、活字では追い付かなくなり、1ページ分をまとめて木に彫る整版が登場しました。整版なら、漢字の左右に別々のルビを付けること(両ルビ)も、絵を入れることも可能でした。絵と言葉が合体した黄表紙が大流行し、浮世絵と狂歌が一体化したカラー本も登場しました。

明治維新は知的な藩士たちによる革命だった

――教育需要の高まりが寺子屋の隆盛を招き、最後は明治維新につながるわけですね。

田中 初めの頃は武士の子弟が藩校で学問をしましたが、庶民も学問の必要性を痛感するようになります。農民は、商人が織物を買い付けに来ると契約書を交わします。一揆の際には要求文を書いて署名をします。何をするにも文字が必要だったのです。
寺子屋はそうした需要のもとで普及し、全国に1万7000ぐらいありました。特に教師の資格というものはないので、僧侶、神主、庄屋、医者、武士など、文字や算術が分かる人がボランティアでやっていたのです。授業料は、余裕のある家庭はお金を払い、なければ野菜などを持っていく。教師も本業を別に持っているので、お金にこだわりませんでした。本当に楽しい教室だったようです。
そんな教育の広がりが明治維新につながります。明治維新は知的な藩士たちによる革命でした。それまで藩士はいくら学問を積んでも、政権を担うことはできないし、まして幕府に物申すことなどできません。知性のある藩士ほど幕藩体制の矛盾に気づき、不満がたまっていました。
庶民も維新の意味を理解していました。島崎藤村の『夜明け前』を読むと分かりますが、幕藩体制が天皇制に変わり、西欧化するだけでよかったという人は少ないです。憲法や国会を設けて、自分たちが国政に関与できる国になるべきだと、そこまで考えていたのです。

男女別の寺子屋風景。『文学ばんだいの宝』一寸子花里 画 出典: 東京都立中央図書館特別文庫室

男女別の寺子屋風景。『文学ばんだいの宝』一寸子花里 画
出典: 東京都立中央図書館特別文庫室

人々は、俳諧や浮世絵などの「連(サロン)」に集い、ネットワークを築いていた

――ところで、ご著書の『江戸はネットワーク』では、俳諧や浮世絵などの「連」がたくさんあり、人々が刺激し合って才能を磨いたと述べておられます。江戸時代のネットワークのありようを解説していただけますか。

田中 連には、人々が身分に関係なく、本名とは別の名前で自由に参加しました。俳諧、狂歌、絵画、蘭学など複数の連に、1人の人がそれぞれ違う名前で参加するのです。1つ1つの名前はその人が持っている別々の才能に付けられており、みなアバター(分身)です。絵を描く連ではこの名前、作家としてはこの名前、俳諧はこの名前と、使い分けていました。
これは匿名ではありません。連の中ではそれが誰なのかは全員が知っています。江戸時代、アバターで生きていくのはごく自然で、特にその傾向が強かったのが武士でした。
武士は家を中心とした身分制度の中で生きており、家とその仕事は切り離せません。禄(給料)も個人ではなく、家に支給されますから、息子は代々、家に縛られ役割を果たさねばなりませんでした。
しかし、その役割だけで生きる人生など、とてもやっていられない。そこで、役割は維持しながら、現実には自分を好きな分野に分岐させ、違う名前で生きる。こうすれば家の役割は自分の一部でしかなくなります。例えば狂歌で有名な蜀山人=大田南畝(なんぽ)は、幕府の官僚でした。
町人も武士と同じことをやるようになります。黄表紙作家の山東京伝は、京橋の煙草入れ屋が本業でした。商人には商家を受け継ぐメリットがあり、本業は守る。けれども自分の精神や才能は別のところにあると思えば、アバターを作るのです。

連はまた、才能を磨き合う場であると同時に情報収集のための小さなサロンでした。それぞれは閉じられた関係ではなく、多くの場合互いにネットワークをつくって関わり合っていました。人々は複数の連やネットワークに意図的に関わり、しなやかにかつしたたかに変化する人間を演じていました。
こうして、江戸の人やモノ、情報は重層的に関わり、動き、変化し、時空を超えて伝播していたのです。

田中優子法政大学総長

現代社会の苦悩を解きほぐすヒントがアバターにある

――人が重層的に関わり合う連は、現代にこそ必要なのではないでしょうか。

田中 まさにそうだと思います。連は明治になった途端に捨てられてしまいました。象徴的なのは、正岡子規が「座で作る俳諧は文学ではない」と言ったことです。「文学とは1人でやるものだ」という近代西欧の思想の反映でした。
「関わりの中で創作活動をする」という形式は急速にすたれ、代わってヨーロッパ型の「1人の人間」「1つの名前」「私」「自我意識」「個人の自立」「自己責任」などの概念が登場します。互いの関わり合いが薄れたことは、現代社会の息苦しさや心の病につながります。本当は関わりがたくさんあった方が楽に生きられるはずなのです。

私は、1人の人間の中に複数の人間が存在することに驚き、研究にのめりこみました。アバター研究者の池上英子さん(米ニュースクール大学:The New School教授)は、米国の自閉症の人たちがアバターの仮想空間を作っていることに気づきました。そこで自分もアバターを作って交流を始めてみると、ものすごく創造性豊かな世界だったのです。米国では今や、自閉症や発達障害は病気ではなく、単に感受性の違いだと受け止められています。
アバターの世界は才能だけで測られる完全平等の世界です。江戸の文化はまさにそこで作られていた。現代社会の息苦しさや苦悩を解きほぐすヒントがあると思います。
今、私は池上さんと『江戸とアバター』(朝日新聞出版)という著作をまとめました。3月中旬の出版です。アバターの重要性がもっと認識されるようになるでしょう。

少子化により、大学は定員を維持するか学生の質を保つか、選択を迫られる

――話はガラリと変わりますが、今、少子化の影響で学生数が減り、大学の経営が難しくなっています。先生は大学のトップとして現状をどのように見ておられますか。

田中 大学の定員は文部科学省によって厳しく決められています。特に東京23区内の大学の定員は、わずかにオーバーしただけで補助金を減らされます。これは人口の東京への一極集中を避け、地方の大学が寂れるのを防ぐための措置で、10年間続きます。
このため入学試験が大変なことになっています。合格後に辞退者が出る歩留まりを考えて少し多めに合格者を出しますが、絶対にオーバーすることは許されません。入試では1次合格者の数を抑え、歩留まりを見ながら3次か4次の合格者まで人数を調整するのです。
今は23区内の大学には全国から受験生が集まりますが、この先、少子化が進むと、受験生は全国的に減ります。本学も例外ではなく、「定員の維持を優先して学生の質低下には目をつぶる」もしくは、「定員を減らしても学生の質を保つ」のどちらかを選択する時が必ず来ます。大学教育の在り方が真に問われるのです。

田中優子法政大学総長

 

女性は遠慮しないで上のポストに挑戦を。「世界の景色が変わります」

――先生は法政大学初の女性総長であり、東京六大学としても史上初の女性総長です。一方、日本の2019年のジェンダーギャップ指数は世界121位で、前年より悪化しました。江戸時代は識字率が世界一だったとも言われる我が国ですが、今の女性の社会進出の遅れについてご意見をお聞かせください。

田中 本学では女子の学部生は増えましたが、研究者をめざす大学院生は留学生以外増えていません。そのため女性の研究者や教員がまだ少なく、学部長選挙で女性が選ばれる可能性が低いのが悩みです。まず学部長にならないと大学全体が分からないので、その先の理事や総長にはなれません。
職員も全体では女性が多いのに、課長・部長職や役員は女性が少ない。ご本人が「私、いいです」と言って「遠慮」してしまうからです。そこには、女性が今置かれている何らかの社会的理由があるのです。遠慮しないように自薦をやめて上司が推薦する方式に変え、やや管理職が増えてきたところです。日本のジェンダー問題は大学も同じです。
上のポストに就くのは名誉の問題ではありません。社会的な役割を果たすことで、人間として成長します。教職員には「世界の景色が変わるから、ぜひやってみて」と勧めています。

TEXT:木代泰之、PHOTO:倉橋 正

田中優子(たなか・ゆうこ)

法政大学総長、江戸文化研究者
1952年、横浜生まれ。法政大学大学院修了後、助教授、教授となり、社会学部長を経て総長に就任。さまざまな改革で2017、2018年度の同大学の志願者数は東日本1位。 著書は『江戸の想像力―18世紀のメディアと表徴』 (ちくま学芸文庫)、『江戸百夢』(朝日新聞社)、『江戸はネットワーク 』(平凡社ライブラリー)など多数。1986年 芸術選奨文部大臣新人賞受賞、2001年 サントリー学芸賞、2000年 芸術選奨文部科学大臣賞などを受賞。2005年には紫綬褒章受章。 IBM「天城学長会議」メンバー。

地震や水害など自然災害が頻発する日本。大地震や土砂崩れなどの発生時には、一刻も早く人命を救助する必要がある。そのためには直ちに災害現場の状況を把握し、がれきの下など人が入って行けない悪条件の中でも、タフでへこたれずに働くロボットが必要だ。
東北大学タフ・サイバーフィジカルAI研究センターの田所諭教授は、内閣府のImPACT革新的研究開発推進プログラム「タフ・ロボティクス・チャレンジ」(2014~18年度)のプログラム・マネージャーとして、「飛行ロボット」「建設ロボット」「サイバー救助犬」「索状(ヘビ型)ロボット」「脚ロボット」などの災害救助や消火用のロボット開発を主導した。
災害救助にかける同教授の情熱は、阪神淡路大震災(1995年)と東日本大震災を両方とも体験したことから生まれたという。東日本大震災の際は、災害用ロボットQuince(クインス)を福島第一原発の建屋内調査に投入して注目を集めた。
首都直下型地震や南海トラフ巨大地震が高い確率で起きると予想されている中、開発した多くのロボットの消防や警察への普及が待たれている。また企業がその要素技術を活用して産業競争力を高めることも期待される。この分野を主導する田所教授に、各ロボットの特徴や今後の開発の展望をお聞きした。

それまでのロボット研究は、災害の人命救助に関わっていなかった

――先生は、災害現場で活躍する「タフでへこたれない」多様なロボットを開発されています。なぜ災害分野に取り組んでおられるのでしょうか。

田所 私は神戸と仙台で大震災を2回経験しています。阪神淡路大震災の時は神戸大学助教授でした。住んでいた公務員宿舎の部屋は大きな物が次々と倒れ、四つんばいになることすらできず、その瞬間、「第3次世界大戦が勃発したのだ」と思ったほどです。
その時に見た光景や周囲の人たちから聞いた話が忘れられません。実に多くの方々、それも一般の人たちが懸命に人命救助に当たられたのです。1階がつぶれた家から床板を剥がし、声を頼りにがれきに埋もれた被災者を助け出したのです。公園で野宿を続けている人もたくさんいました。死ぬことと、生きながらえることは、まさに紙一重なのだと実感しました。
自分がそれまでやって来たロボット研究が、こういう社会的に重要な場面、つまり災害対応に全く関わっていない、対象としていなかったということにがくぜんとしました。当時、災害で人の命を助けるロボット開発に携わっていた研究者は、世界中でほとんどいませんでした。
そこで1歩ずつでもいいからやっていこうと思ったのが、災害救助用ロボットに取り組むきっかけでした。機械学会やIEEEに研究会を立ち上げ、ディスカッションから始めました。2002年には文部科学省の大都市大震災軽減化特別プロジェクトを始めることができ、その中のロボット分野のプロジェクト・マネージャーとして、多くの研究者たちと最初の1歩を踏み出すことができました。
東日本大震災の際に、福島第一原発に投入したロボットQuince(写真1)も、このプロジェクトの延長上にある研究の成果です。Quinceの仕事ぶりについては、後ほど紹介します。

それまでのロボット研究は,災害の人命救助に関わっていなかった

それまでのロボット研究は,災害の人命救助に関わっていなかった

写真1:災害を受けた地下街など、閉鎖空間を調査するロボット「Quince」
画像提供:東北大 田所研究室
(https://www.rm.is.tohoku.ac.jp/quince_mech/)

ロボットはタフさが足りない

――東日本大震災は、それまで開発してきた各種のロボットが表舞台に出るきっかけとなったわけですね。

田所 東日本大震災は、多くのロボットが使われた歴史上初めての大規模災害となりました。ロボットを適用したさまざまな活動の中で、問題点が明らかになりました。それを一言で言うと、ロボットのタフさが足りないと言うことです。さまざまなロボット技術はありますが、災害現場のような厳しい環境ではその能力を発揮することができない。つまり、技術が成立するための条件が厳しすぎるという問題があったのです。条件が悪いと、できると信じられていたことが全くできない。それでは役立たずというレッテルが貼られても仕方ありません。そういう悪い条件でも、ある程度活躍できるような技術を確立しないと、ロボットは使い物にならないと実感しました。
また、研究者は現場を知らないので、本当のニーズがどこにあるかを正しく理解することは困難です。現場の人はロボット技術が分からないので過度な期待を持ったり、逆にできるはずがないと思い込んでいることがあります。そういったギャップを埋めることも必要だと痛感しました。

災害ロボット研究会がCOCN(産業競争力懇談会)で立ち上がり、私は福島原発の緊急対応をどうすべきかを議論するワーキンググループで主査を務めました。企業の数にして約50社が参加し議論を行いました。そこでは、事故終息のためにどのようなロボットや技術を開発すべきかを中心課題として、放射線に耐える部品のデータベース、ロボット操作インターフェースの標準化、性能試験法、性能試験フィールド、競技会形式による技術と人材育成など、実施すべき施策の骨子をまとめ、政府に対して提案しました。また災害に対応するロボットについて、必要な技術のマップをまとめる作業を行いました。
こうした経緯があって、2014年からImPACT「タフ・ロボティクス・チャレンジ」(ImPACT-TRC)をスタートさせることができ、私はプログラム・マネージャーとして多くの大学や企業と協力し、5種類のロボット、すなわち「飛行ロボ」「建設ロボ」「サイバー救助犬」「索状(ヘビ型)ロボ」「脚ロボ」と、それに関係する技術の開発を始めることとなったのです。

ロボットはタフさが足りない

ImPACT-TRCは、多くの世界初、世界一、世界有数の成果を生んだ

――それぞれのロボットの目的や特徴について説明していただけますか。

田所 まず、プロジェクト全体をまとめた動画がありますので、是非ご覧ください。

田所 「飛行ロボット(ドローン)」(写真2)ですが、これは緊急対応の最初の段階で重要な情報収集を行います。広域災害では全体を把握することが大きな課題であり、ドローンがその役割を果たします。風速15m/s、降雨が300mm/hの悪条件下でも飛行可能で、2Dオルソ画像や3D地形図を描くことができます。プロペラの騒音下で地上の要救助者の声を聞き取ることも可能です.

写真2:耳を澄まして要救助者の位置を検出する「飛行ロボット(ドローン)」
出典:ImPACTタフ・ロボティクス・チャレンジ
動画のURL:https://youtu.be/l0iZu6TsCYw

田所 「建設ロボット」(写真3)は災害現場に入って行くために必要で、人がフォークとナイフを持つように2本の腕を無線で遠隔操作します。鉄骨を組み立てるような重作業だけでなく、精密作業もこなせます。急斜面では1本の腕で樹木をつかんで体を支え、もう1つの腕で別の作業をすることもできます。オペレーターが正確に状況を把握して遠隔操作ができるように、視覚・力覚・触覚の高い能力を実現しました。

ImPACT-TRCは、多くの世界初、世界一、世界有数の成果を生んだ

写真3:独立して360°自由に回転させることが可能な2本の腕を持つ「建設ロボット」 
出典:ImPACTタフ・ロボティクス・チャレンジ
動画のURL: https://youtu.be/eUeKYvZQDBs

田所 「サイバー救助犬」(写真4)は、臭いを頼りに人を探す救助犬に各種センサを備えたサイバー救助犬スーツを着せ、能力を強化するものです。GPSやIMUで犬の動きや行動をモニタリングしながら、数キロのエリアを捜索させることができます。カメラ画像や吠える声をリアルタイムでマッピングすることで、救助を求めている人の居場所を検知できます。

ImPACT-TRCは、多くの世界初、世界一、世界有数の成果を生んだ

写真4:サイバー救助犬  画像提供:東北大 田所研究室
動画のURL: https://youtu.be/pZihji0wpEc

田所 スーツの重さは犬の体重の10分の1(1kg強)以下に抑えています。犬はやる気がなくなると能力が発揮できないので、心拍を計測することで心理状態を常時モニタリングする研究を行いました。また首輪から光を発して、その方向に犬を誘導する研究も行いました。サイバー救助犬は、災害用だけでなく警備犬や麻薬探知犬として使うことも期待されています。

「索状ロボット」(写真5)は、がれきの隙間に潜り込んで行って人を捜索します。長さは8m。先端部から空気を下方に噴射して20cmほど浮いた状態でがれきの中を進んだり、方向転換することができます。

ImPACT-TRCは、多くの世界初、世界一、世界有数の成果を生んだ

写真5:極限の空間を探査する能動スコープカメラを持つ「索状ロボット」 
画像提供:東北大 田所研究室
動画のURL: https://youtu.be/g5El9tZEHwU

田所 段差があっても上ることができ、視点が高くなるので先端のカメラの視野が広がって捜索能力が高まりました。聴覚としては、ノイズを消して救助を求める人の声を強調することによって、会話ができるようになりました。触覚としては、ボディが周囲と接触している箇所をセンシングする技術が開発できたので、遠隔操作が容易になりました。視覚としては、狭い空間のマップを作ることができるようになりました。

さらに直径が太い索状ロボットも開発し、垂直のはしごに巻き付いて登ったり(写真6)、配管のゲートバルブの内部を動いたり、配管外部のフランジや支持部を乗り越えて登ることもできるようになりました。

ImPACT-TRCは、多くの世界初、世界一、世界有数の成果を生んだ

写真6:はしご登りをする索状ロボット(太径)
出典:ImPACTタフ・ロボティクス・チャレンジ 
動画のURL: https://youtu.be/nhJS2M3wP_c

田所 4本足の「脚ロボット」(写真7-1、写真7-2)は、人が危なくて上れないプラントの高い場所などを点検する時に使います。人に代わって非破壊検査や修繕作業を行うことを想定しています。

ImPACT-TRCは、多くの世界初、世界一、世界有数の成果を生んだ

写真7-1:脚ロボットのプラットフォームWAREC- 1

ImPACT-TRCは、多くの世界初、世界一、世界有数の成果を生んだ

写真7-2:垂直はしごを昇る(2点支持)脚ロボット
出典:ともにImPACTタフ・ロボティクス・チャレンジ
動画のURL: https://youtu.be/YaqNTdZ8UTQ

ImPACT-TRCは、多くの世界初、世界一、世界有数の成果を生んだ

倉庫火災や高層ビル火災で活躍する「消火ロボット」

――ImPACTの後半では、世界初の空飛ぶ消火ロボット「ドラゴンファイヤーファイター」(図2)(写真8)も開発されました。どのような性能なのでしょうか。

田所 これは索状ロボットの発展型で、2016年から研究に取り組んでいます。ホースの水を下向きに噴射しながら空中を飛んで移動し、火事の火元に直接放水することができるロボットです。
大きな倉庫火災や高層ビル火災では、消防士は中に突入できず、外から放水するしかありませんが、このロボットは先端部に熱画像カメラを取り付けており、火元に集中的に放水できるので、早く消化できるだけでなく、ムダ水を少なくすることができ、水損を少なく抑えることが出来ます。現在はまだホースが3mなので、これを10~20mに伸ばし、できるだけ早く実用化したいと思っています。

空飛ぶ消火ホースロボットのイメージ

図2:空飛ぶロボット消火ホース「ドラゴンファイヤーファイター」のコンセプト
画像提供:東北大 田所研究室

空中に浮きながら消火する「ドラゴンファイヤーファイター」

写真8:空中に浮きながら消火する「ドラゴンファイヤーファイター」  
画像提供:東北大 田所研究室

田所 炎の中の物体でもつかめる数珠状の「耐火柔軟グリッパ」(写真9)も開発しました。すでに指で物をつかむハンドはありますが、2本指だと能力が低く、5本指だとコントロールが難しくて、災害現場では役に立ちません。私たちのロボットハンドは、チタンのコマをタングステンのワイヤーで数珠状につないだものを使います。このハンドをつかみたいモノに押し当てると、ハンド自体が変形してモノを包み込みます。そこでワイヤーを締めると、数珠が固まってしっかりつかめるのです。

炎の中で尖った物体をつかむことができるロボットハンド

写真9:炎の中で尖った物体をつかむことができるロボットハンド  
画像提供: 東北大 田所研究室

福島第一原発の内部に5回投入され成果を出したQuince

――福島第一原発には先生たちのロボットQuinceが投入され、世界の注目を集めました。どのような成果をあげたのでしょうか。

田所 米iRobot社が軍用ロボットPackBotを寄附してくれ、原子炉建屋のドアの内部を調査することが出来ました。しかし、PackBotは元々がれきを想定しておらず、上れる階段の傾斜も35度が限界でした(実際の傾斜は42度)。
私たちは内部をさらに調べるには、Quinceを使うしかないだろうと思いました。これは、2006~10年度に当時千葉工大におられた小柳先生や国際レスキューシステム研究機構と協力して開発した、当時最新のロボットです。直前に米国の災害対応訓練施設で性能テストを済ませたばかりでした。
ただQuinceは元々地下街の事故やガス漏れなどを想定したロボットで、原子力は対象としておらず、がれきは平気ですが放射線は想定していません。そこで事前に放射線に曝露する実験をして、100時間ぐらいは大丈夫だと確かめました。
通信環境も課題でした。QuinceはWiFiを使って操縦しますが、原発内には遮へい壁が多くてWiFiが使えないのです。そこで有線ケーブルを搭載する改造を行うことになりました。
改造を加えたQuinceは6月以降、計5回、原発に入りました。
格納容器の内部は90数度という高温で、内部を冷却することが急務でした。しかし、冷却系の水の配管の状態が分からず、また配管が生きていてもバルブは人力で回して開けなければなりませんでした。
Quinceは2回目のミッションで2階に上がり、配管やバルブの様子を確かめ、空中に浮遊するダストのサンプリングをして帰ってきました。これで放射線の分布や強さが分かり、作業員が現場で作業をする際の手順、遮へい板はどこに立てればよいかといったプランを作ることができたそうです。
5回目のミッションでは、5階にある使用済み燃料プールの様子を見に行きました。プールの水が減ると危険なので、水位を確認する必要があったと聞いています。Quinceは5階まで上がりましたが、ついたてがあって水位を確かめられる位置まで進めませんでした。
帰って来る途中で通信ケーブルが切れてしまい、そこでミッションは終わりましたが、他の手段では得られない貴重な情報を収集することができ、十分貢献できたと思います。

福島第一原発の内部に5回投入され成果を出したQuince

九州北部豪雨災害で飛行ロボットの実力を証明

――日本ではいずれ首都直下型地震や南海トラフ巨大地震が起きると予測されています。先生は自治体の消防や、警察、自衛隊などに、国が率先して災害用ロボットを配備することの重要性を訴えておられます。

田所 消防組織の特徴は市町村が運営している自治消防です。一番大きいのは東京消防庁で、その次は横浜市とか大阪市の消防です。大部分は小さい自治体なので広域消防を編成しています。人命を救うため、広域消防にはロボットなどさまざまな先端技術を集結すべきだと思います。
2017年の九州北部豪雨災害の際は、ImPACTで開発した飛行ロボットを飛ばし、現場の様子を高解像度で撮影した映像を提供し、災害対応活動を支援することができました。
ただ、ドローンはロボット活用の第一歩、始まりでしかありません。今後、もっとさまざまなロボット技術を活用していってほしいと思います。気候変動によってこれからも大きな災害が増えることが想定されています。昨年も台風15、19号で大変大きな被害が出ました。損害保険会社の支払額は、この2年続けて1兆円を超えています。社会全体で災害に備える対策にもっと投資するべきだと思います。
IPCC(気候変動に関する政府間パネル)の報告書は、2100年には海水面が1.1m上昇すると予測しています。それは100年に1度起きていたレベルの災害が毎年起きることを意味するそうです。CO2を出さないだけでは不十分で、災害の被害規模を抑える対策を並行して進める必要があります。

球体の殻をかぶせた飛行ロボットを開発

――先生は「今回開発した要素技術は、ぜひ企業が事業に活用し、新サービスを創出し、産業競争力を高めてほしい」と述べておられます。具体的な参考事例があればお聞かせください。

田所 例えばインフラの点検です。橋や建物、送電塔、プラント、工場など、戦後に建設された各種のインフラがどんどん老朽化しています。企業はBCP(事業継続計画)を真剣に考える時だと思います。
私たちの研究室では今、ドローンの周りに球体の殻をかぶせて、壁などを転がりながら点検する新しい飛行ロボット(図2)を研究開発し、全国の橋梁で適用試験を行っています。ドローンは普通、壁にぶつかるとプロペラが破損して墜落しますが、球体の殻で保護すればその心配はありません。

ぶつかっても落ちないドローン「球殻ヘリ」 

図2:ぶつかっても落ちないドローン「球殻ヘリ」
画像提供:東北大 田所研究室 (https://www.rm.is.tohoku.ac.jp/uav/)

田所 例えば製鉄所などでは、足場を組んで点検すると何億円もかかるそうですが、私たちの飛行ロボ(ドローン)なら数百万円で済みますから、コストが2桁落ちます。橋も点検が必要なものが全国に数千あると言われていて、全て点検するには膨大な予算が必要です。ビルの外壁タイルの点検は法律で決められていますが、コストがかかり、技術者の数が足りないため、困難な状況にあります。
一方、欧州の北海油田では、すでに2013年ごろからドローンを使った点検を継続的に実施しています。ドローンを使う意味はとても大きいのですが、日本はこの面では世界の後進国です。革命的な変化によってコストが劇的に下がることが期待できるこの技術は、熟練工など人材不足が問題となっている高齢社会日本にこそ求められているのです。

球体の殻をかぶせた飛行ロボットを開発

「通信速度が速く、時間遅れが少ない5G」の活用に期待

――AIや今後導入が進む5Gの活用についても、ご意見をお聞かせください。

田所 ImPACTでは20以上の課題解決にAI(人工知能)を活用しています。例えばサイバー救助犬では、画像をもとに遺留品を自動的に判別したり、犬の行動を分析したりしてします。索状ロボットやドローンでは、音を分析して音源の方向を認識する技術を開発しました。
5Gの活用はこれからですが、通信速度が速く、遅延が少ないという特徴があります。
災害用ロボットには接触を伴う作業がたくさんありますが、その際のフィードバックの応答は速く、ミリ秒、あるいはそれ以下が求められます。例えば建設ロボットは何かに触れた瞬間、あるいは触れる寸前に動きを調節しなければいけない。遅延があると、精度や動きの安定性が悪くなるだけでなく、対象物を押しつぶしてしまいます。今後、5Gを生かして、災害大国・日本発として世界に先駆けた災害救助用ロボットを開発したいと考えています。

TEXT:木代泰之、PHOTO:倉橋 正

田所 諭(たどころ・さとし)

東北大学 タフ・サイバーフィジカルAI研究センター センター長
1984年 東京大学工学系大学院修士課程修了。1993年 神戸大学助教授。2002年〜 国際レスキューシステム研究機構会長。2005年〜 東北大学教授。2014年 同副研究科長。2019年〜 同タフ・サイバーフィジカルAI研究センター長。2014〜18年 内閣府ImPACTタフ・ロボティクス・チャレンジ プログラム・マネージャー。2016〜2017年 国際学会IEEE Robotics and Automation Society President.文部科学大臣表彰・科学技術賞(研究分野)他受賞。レスキューロボットの研究に従事。博士(工学)。IEEE Fellow.

林業で食べていく!木材の未来を切り出す東京チェンソーズ

東京都多摩地域西部に位置する東京都檜原村。面積の93%を林野が占めるこの村を拠点に、新たな林業に取り組んでいる会社がある。従業員19人、平均年齢34歳の東京チェンソーズだ。木の可能性を追求し、従来は廃材として捨てられていた部位に価値を見いだす。「消費者自らが机を作る」「30年かけて苗木から育てる」といった“木を通じた体験”を商品化する。こうしたさまざまな取り組みを通して「稼げる林業」を目指す同社は、補助金頼みの公共事業と揶揄されてきた日本の林業に風穴を開ける存在だ。

同社が企業理念として掲げるのは「東京の木の下で、地球の幸せのために、山のいまを伝え、美しい森林を育み、活かし、届ける」こと。代表の青木亮輔さんの話からは、これからの林業のあり方だけでなく、地域との共生や持続可能な開発など、今、世界中で取り組んでいる社会課題へのヒントが見えてくる。「地球の幸せのため」という理念も決して大げさではない。

日本の林業には可能性がある。むしろまだ何も始まっていない

——まずは日本の林業の現状と可能性について、どのように考えているかお教え下さい。

青木 可能性は大いにあると思います。むしろ、まだ何も手がつけられていないといってもいいかもしれない。ここ数十年、日本の林業は「維持する」ことが中心でした。林業の歩みを少しお話しすると、日本では戦前、戦中と木材の需要が高く、一時は全国が禿山だらけになってしまうと思えるくらい伐採されました。戦後、各地で植樹が行われましたが、木はすぐに育つものではありません。そのため、高度成長真只中だった日本は輸入木材に頼るようになり、この間に林業の担い手は減り、国内産木材の値段も下落しました。

一方、木は植えたら後は放ったらかしでいいというわけではありません。適当に間引かないと1本1本がきちんと根を張らず、光を求めて上に伸びていくだけの弱い木になってしまいます。また、森林は国土の保全や水源のかん養機能の役割を担っています。戦後、荒廃した山で災害や水害が頻発したのはそのためで、災害防止の観点から公益性が高い森林整備には国から補助金が出るようになりました。こうした諸々の事情によって日本の林業は、植樹、下草刈り、間伐など「山の手入れ」をする公共事業的な仕事を主とした補助金頼みの産業になったのです。

つまり、植樹からの60年は木を「育てる時代」だったともいえます。そして、ようやく伐採ができる状態になった今、いかに人材を確保し育てるかが大事になっています。

——青木さんが、「緊急雇用対策事業」によって東京都檜原村森林組合に臨時採用され、檜原村で働き始めたのは2001年ですね。それから約20年、環境に変化は感じていますか。

青木 変わりましたね。僕は、林野庁の「緑の雇用」事業(林業労働力確保のために、研修生らの給料の一部や研修費用を国が負担して森林組合や林業経営体を支援する)の第1期生でもあるんです。この事業のおかげで若い人たちの参入が増えました。

それに伴って、各地域の林業が見えやすくなりました。僕がこの仕事を始めた当初は、隣の奥多摩町でさえ、誰がどのように働いているかわかりませんでしたから。各現場がそれぞれ、「親方のやり方が絶対」という閉鎖された世界だったんです。それが、「緑の雇用」事業で複数の森林組合が一緒に研修を受ける機会ができたことで横につながれるようになりました。もちろん、SNSなどインターネットの影響もあります。新たに林業に入ってきた若い人たちがSNSで発信することで、情報の共有も活発になりました。

ただ、若者の参入が増えたとはいえ、離職率も高く、林業に携わる総人口は25万人といわれたピーク時の5分の1程度。林業人口を増やしていくには、この世界に入った若い人たちが働き続けたいと思える環境、つまりは生活できる・儲かる業界にしないといけません。簡単ではありませんが、さほど手がつけられていない分、可能性は大きいと思っています。

——2006年に東京チェンソーズを立ち上げられていますが、その歩みを見ていると、まさに「稼げる林業」へのプロセスだったように思います。ただ、20年前の林業の実情を考えると、そこに飛び込むのは勇気がいることだったのではないでしょうか。

青木 たとえば日給月給制など、不利な実情もありましたが、当時は結婚もしていなかったので待遇については二の次でした。それに、僕が森林組合に入った当時は就職氷河期でもあったので、あまり待遇には期待していなかったんです。それより自然の中で働きたかった。どうせ期待できないのなら、やりたいことをしたほうがいいなって(笑)。実際、山で働いてみると、ものすごく気持ちが良かったんです。間伐など人の手を加えることによって荒れた山の環境が改善する、そんな様子を目の当たりにできる仕事にやりがいも感じました。

ただ、自分の後に入ってきた若い人たちの中には子どもがいる人もいて、現状の待遇では、いくら仕事に魅力を感じたとしても、続けていくことは難しいと思うようになりました。そこで、森林組合に待遇交渉してみたものの状況を大きく変えるには至らなかった。それなら独立して自分たちが理想とする会社、業界にしていこうと、4人のメンバーで東京チェンソーズを立ち上げたのです。

——林業を続けるという選択をされたのですね。収益性に不安はなかったのでしょうか。

青木 森林組合と交渉する中で、自分たちが実際に現場でどれくらいのお金を稼ぎ出しているかを数値化していたので、独立してもやっていけるという予測は立っていました。森林組合に、広域合併によって内部をスリム化して業務を外注化する動きが出始めていたこともあり、独立自体はスムーズでしたね。良好な関係のまま独立できました。

もちろん、楽観視はできない状況でしたが、林業自体に対するネガティブな感情はまったくありませんでした。高齢化の進むこの業界で、若い僕らが頑張らなくては、という気持ちも強かった。組合への待遇交渉も独立もすべて、この仕事を続けていくためにはどうしたらいいのかという課題解決のための行動でした。林業を続けていくため、常にそう考えて、ここまできたと言えるかもしれません。

木を切り出して、初めて肌で感じた林業の現状

——独立後しばらくは、森林組合からの下請け仕事が100%だったそうですが、2010年に元請けにシフトしていますね。それはどのような経緯だったのですか。

青木 独立したとき、「月給制」「社会保険加入」は絶対に取り入れると決めていたので、そこから逆算して月の売上目標を決め、いかに効率的に仕事をこなすかを考え、仕事のクオリティを上げていきました。ただ、3〜4年も経てば限界はきます。当初の目標はクリアして、経営は安定していたのですが、自分たちが企業理念として掲げていた「美しい森林を育み、活かし、届ける」の実現のために活動したり、そのための人を増やしたりするまでの余裕はありませんでした。そこで、次の段階として元請けにチャレンジすることにしたのです。

東京都で4番目となる林業経営体の認定も受けましたが、いきなり元請けにシフトしたわけではありません。「緑の雇用」対策事業を利用して人を育てながら、下請けで経営を安定させつつ、徐々に信用を得て元請けの割合を増やしていきました。2014年ごろからは伐採・搬出にも挑戦しています。

——林業というと、「木を伐採し、製材として市場に出す」ことを漠然と連想しますが、伐採・搬出を始めたのは、この段階だったのですね。

青木 そうです。これまでは「育てる時代」でしたから。実際に伐採して市場に出す仕事を始めて、あらためて林業の陥っている現状を、身をもって知ることになりました。森林から木を切り出し、丸太のいい部分を3〜4mに玉切りして、トラックに積んで市場に運び、競り(せり)にかけるのですが、この1本がいくらで売れると思いますか? ……3,000円です。60年かけて育てた重い木を苦労して運んで、高級フルーツ1個分ほどの値段でしか売れない。産業が成り立つわけがありませんよね。

こんなふうに丸太を売る林業からは脱却しないといけない。そのためにどうするかを考えました。市場価格を上げることは自分たちだけではできません。そこで、1本の木の価値を高める方法を模索したのです。たとえば、丸太を薄く輪切りにすると、子どもの遊び道具や石畳のような素材として使えます。それを1枚600円で売ると5枚で丸太一本分になる。樹皮を剥き、表面を滑らかに仕上げるとさらに高く売れます。枝や樹皮、根などこれまで捨てていた部位も活用することにしました。葉のついた枝は、ディスプレイやリースの材料として使ってもらえます。これまでの大量生産・大量消費の時代には、建材には規格が求められ、曲がった木や、丸太以外の部位は捨てられましたが、今はむしろ個性ある木材へのニーズが高まっています。こうした素材を単価とともにリストにして「一本丸ごとカタログ」という冊子を作りました。

一本丸ごとカタログ

当社では、10ヘクタールの社有林と、管理を委託されている周囲の林を合わせて25ヘクタールの森林に対して、「森林管理(FSC®︎-FM認証)」を受けています。また、その森林から消費者に林産物を届けるために、「加工・流通過程(FSC®︎-CoC認証)」も取得しています。それら認証に則って計算すると、当社が伐採できる木は80立米(㎥)ほど。市場に持っていけば、わずか80万円にしかなりません。それを独自の直販ルートや1本丸ごと商品化するなどで最低3,000万円、ゆくゆくは5,000万円程度で売り上げるようにすることが僕たちの目標です。

——資源の利活用からも夢のある事業だと感じます。他にも「東京美林倶楽部」「森デリバリー」など、従来の林業からの脱却ともいえる取り組みをされていますが、それぞれ目指しているものをお聞かせいただけますか。

青木 当社の規模だと、製材の分野で他の会社と差別化することは難しい。そこで小ロットで付加価値を高め、オーダーメイドに近い「顔の見える林業」を目指そう、というのが僕たちの考え方です。それらの取り組みは、その一環ですね。

「森デリバリー」は、素材(木材)を持って各地の商業施設やイベント会場、幼稚園などに出向き、木を使って、ぶんぶんごまやスプーンをつくるワークショップを行ったり、素材を販売したりするものです。多くの人に木の良さを伝え、使ってもらうために、こちらから出向いて使い方の提案をしようという試みですが、いざ始めてみると、お客さんから逆に提案を受けたり、イベント会社から声がかかって別のイベントに招かれたりと、思いもよらない効果もありました。大手企業との接点にもなっています。2019年に無印良品とのコラボで商品化が実現したのも、「森デリバリー」がきっかけでした。

「東京美林倶楽部」は、3本の苗木を30年間かけて育てていくプロジェクトです。1口5万円の入会金と年会費1,000円をお支払いいただくと、苗木の植え付け、下草刈り、枝打ち、間伐など、節目節目に林業の作業体験をしながら、30年後に、3本のうち2本を家具や建材などに自由に使っていただけます。そして残りの1本を山に残してもらうことで、東京に美しい森林をつくる。現在、約230家族に参加いただいています。このように、木に関わりたいと思ってくださる人たちとの縁が最低でも30年という長きにわたって続くことは、僕たちにとって非常にありがたいこと。檜原村のイベント情報を送ったり、檜原村産の木材製品の案内をしたりと、いろいろな形でお付き合いができています。

森デリバリーに使われる車

——「檜原村トイビレッジ構想」も、そうした活動の延長線上にあるものですか。

青木 日本には、家具の産地として知られる場所はありますが、木のおもちゃで知られる場所はありませんよね。東京都(島しょ部除く)で唯一の村である檜原村が、ドイツのザイフェン村のように、「木のおもちゃの村」として認知されたら面白いのではないか。そう考えて村に提案を続けたところ、「檜原村トイビレッジ構想」が立ち上がったというのが経緯です。

今、檜原村の人口は約2,200人。僕が移住した20年前が約3,500人だったことを考えると、とても早いペースで減少しています。村の将来を考えたとき、木のおもちゃは非常に可能性のある商材です。木製品は、安心安全という観点から子育て世代の関心が高いし、子どもの出生にともなって新たな購買層が生まれる。今、木のおもちゃの国内自給率は5%程度で、大きな伸び代もあります。

——2019年11月に村の「おもちゃ工房」が稼働したと伺いました。

青木 はい、その運営を当社で担っています。2021年には、その隣に体験型ミュージアムとなる「森のおもちゃ美術館」が建設されますし、近隣に他のおもちゃ工房が移転してくる計画も進んでいます。

子どもたちは、これからの日本の社会を作っていく存在です。そんな子どもたちに木の魅力や森林のことをきちんと伝えることができれば、彼らが大人になったとき、木に親しんでくれたり、檜原村を「木のおもちゃで有名な村」と認識してもらえたりする。産業として発展すれば、地元の子どもたちが大人になった時に働くことができるかもしれない。人口が減少する檜原村を盛り上げるためにも、子どもたちは、僕たち林業に従事する者だけでなく、村にとっても重要な訴求先なんです。

工房で作られる贈答用のおもちゃ

林業での成功事例が少なすぎる。僕たちがそれをつくっていく

——木の成長にかかる年数を鑑みると、林業は非常に長いスパンで考えるべき仕事であり、近年、社会課題のキーワードになっている「持続可能な開発」も、林業においては当たり前の考えとも言えるかもしれませんね。

青木 僕たち林業に従事する者が、特段「持続可能な開発」を意識して仕事をしているかというと、そうとは言い切れません。キャッチフレーズも大事だと思いますが、林業においていちばん大切なのは、それぞれの地域でしっかり山や森林を整備し、そこから切り出される素材をきっちり使えるものにすることだと思っています。林業に真面目に向き合った結果が、社会課題の解決につながっていくんだと思います。

——テクノロジーの発展著しい今、林業の役割とはどのようなことだと思いますか。

青木 もちろんAIもIoTもこれからどんどん進化するでしょうし、進化すべきだと思っています。ただ、その反面、そうした進化や変化に疲れている人も少なくないのではないでしょうか。デジタル化が進めば進むほど、その対極ともいえる自然との触れ合いが大切になる。あと40年経てば、東京の山は樹齢100年の森林になります。そのとき、森林が産業の場であるとともに、美術館や博物館と同じように気軽に行ける学習や癒しの場所となっていてほしい。そのために、僕たちがすべきこと、林業の役割は多いと思っています。その第一歩が「森デリバリー」や「東京美林倶楽部」、「檜原村トイビレッジ構想」なのです。

農業や漁業では、若い人たちも頑張ってさまざまな取り組みを進めていますが、林業に関しては成功事例があまりにも少なすぎます。本来は、各地に個性の強い林業会社があっていいはず。僕たちは、林業会社として地に足のついた仕事をし、多くの人に共感してもらうことで、林業が変わるきっかけをつくりたいです。東京都の約3割強、国土の約7割を森林が占めるということは、林業には、まだまだ潜在的な可能性があるということ。日本の林業がもつ可能性について多くの人に知ってほしいし、その可能性を産業としての成功に結びつけていきたいですね。

TEXT::佐藤淳子、PHOTO:山﨑美津留

青木亮輔(あおき・りょうすけ)

株式会社 東京チェンソーズ 代表取締役
1976年生まれ。大阪府此花区出身。東京農業大学林学科卒。1年間の会社勤めの後、2001年、檜原村森林組合に入る。2006年に独立し、東京チェンソーズ設立(法人化は2011年)。「東京美林倶楽部」「森デリバリー」といった独自の取り組みで注目を集める。内閣府規制改革推進会議農林WG専門委員。檜原村木材産業協同組合代表理事。檜原村林業研究グループ「やまびこ会」役員。(一社)TOKYOWOOD普及協会理事。ツリークライミング®ジャパン公認ファシリテーター。日本グッドトイ委員会公認おもちゃコンサルタント。東京未来ビジョン懇談会メンバー。東京都西多摩郡檜原村在住。

アフリカ布×浴衣――日本人起業家がベナンで目指す「寄り添う」ソーシャルグッド

西アフリカで流通する伝統的なアフリカ布、パーニュ。近隣諸国では年々使われる機会が減っている中、ベナンでは今も多くの人たちがパーニュで仕立てた服を着ている。しかし、ベナン国内においては需要を上回るほど多くの仕立屋が存在するため、技術を持ちながら仕事を得られないでいる女性が少なくない。

そこでパーニュの活用先として日本の伝統衣装である浴衣に着目したのが、株式会社シェリーココ代表の川口莉穂氏。クラウドファンディングを活用しながら、浴衣以外にもデザイン性の高い商品を生み出し、現地の雇用創出を実現させている。公的機関ともNPOとも違う、ビジネスを通した新しい支援の在り方について、同氏に話を伺った。

タイ留学が灯した、途上国支援への消えない情熱

――川口さんは大学卒業後の2014年から2016年にかけて、JICAの青年海外協力隊の隊員として西アフリカのベナン共和国で活動されました。そもそも途上国支援に関心を抱かれたきっかけは何だったのでしょう。

川口 高校2年のとき、交換留学生としてタイの田舎町に行ったことです。当時の私には特に将来の夢はなく、タイ留学も母や姉に背中を押されて決めたに過ぎませんでした。ですが、現地の友人の質素な暮らしぶりや、私と同世代の女の子たちが客引きをする姿に衝撃を受けて、途上国の抱える社会問題に目が向くようになりました。帰国後は児童売春について調べたり、それを題材にした映画を見たりと、関心が途切れることはなく、大学入試の面接でも「児童売春を解決したい」という話をしました。

――大学ではどんなことを学ばれたのでしょうか。また、青年海外協力隊への参加はいつ決められましたか。

川口 ソーシャルイノベーションや子どもの心理について学んでいました。大学で4年間を過ごしても、途上国支援の道に進みたいという気持ちに変化はなく、就職活動中も同様で、唯一就職したいと思ったのがJICA(独立行政法人国際協力機構)でした。ただJICAは不採用になってしまいまして……。そこから青年海外協力隊へ目を向けたのは、大学卒業後のことです。「JICA職員にはなれなかったけれど、青年海外協力隊というものがあったな」と思い出し、応募しました。2年間現場に入れる協力隊はとても魅力的だなと思ったので、参加を決めたんです。

川口さん

――青年海外協力隊はさまざまな国で活動を行なっています。ベナンに行くまでにどのような経緯があったのでしょうか。

川口 応募の際には希望する国を3つと、それぞれの志望理由などを書きます。私はタイで活動している自分しかイメージできなかったので、第一希望以外は空欄にしました。タイ語が喋れたので即戦力になるだろうという思いもありました。

ところが、蓋を開けてみると、派遣先はなぜかベナンだったんです。それもまったく知識のない学校保健の担当でした。公用語のフランス語ももちろん話せませんでしたし、正直、いまでもどういう基準で私がベナンに選ばれたのかはわからないままです。

――ベナンではどこでどんな活動をされていたのですか。また、実際に現地に行って驚かれるようなことはありましたか。

川口 私が赴任したのは、ナイジェリア寄りの内陸にあるアジョウンという小さな町です。途上国にはタイで慣れていたせいか、カルチャーショックはそれほど感じませんでしたね。ただ、一番驚いたのは、ベナンの人たちがすごく親切で人懐こいことでした。家族や親戚、友人だけでなく、はじめて会う人でも何かあったらすぐに手を差し伸べる、とても心優しい人々だったんです。

現地での私の仕事は、週に5日、地域の小学校をまわっての手洗いなどの保健指導や、各家庭を訪ねるマラリア予防の啓蒙活動などでした。夕方には仕事が終わるし、土日はお休み。意外と空き時間がありましたね。

人との出会いが生んだアフリカ布×浴衣ビジネス

――その中で出会ったのが、「パーニュ」というアフリカ布だったのですね。

川口 そうです。パーニュのようなアフリカ布は、アフリカのどこにでもあります。衣服用としては、Tシャツに取って代わられている国もありますが、ベナンではまだ半分以上の人がパーニュで作った服を身にまとっています。特徴は、見ているだけで元気になってくるカラフルな色彩と多彩な柄です。ベナンは綿花栽培が盛んなこともあって、市場に行くとパーニュがそれこそ何千何万と並んでいるんですよ。私は無地の服が好きなのですが、そんな自分でも「かわいい」と感じるパーニュがたくさんありました。なので最初は個人的に購入し、ワンピースや浴衣にしていました。

ベナンのパーニュ市場

ベナンのパーニュ市場  提供:川口莉穂氏

――最初から浴衣を作っていたわけですか。

川口 はい。浴衣を日本から持参していたので、それを仕立屋さんに持ち込んで「同じ物を作ってほしい」と頼みました。後でわかったことなのですが、ベナンの職人は下手に型紙を見るよりも現物を見た方が作れるようです。また、これも偶然なのですが、浴衣は袖の一箇所を除けば全て直線縫いで、浴衣を知らない外国人でも縫いやすい形状をしています。もちろん、このときはまだパーニュの浴衣を日本に輸出しようなどという考えはなく、単に自分用に作っただけでした。

――それがどうしてビジネスにつながっていったのでしょうか。

川口 きっかけは、人々との出会いでした。現地で私が住んでいた家の近所に、ベルアンジュという中学生の女の子が住んでいて、何度も顔を合わせている間に仲良くなったんです。そうしたら、ベルアンジュの家に出入りしているメメという3歳の男の子と、そのお母さんとも知り合いになりました。メメのお母さんはシングルマザーで、仕立ての資格を持っているけれど今は仕事がなく、ベルアンジュの家族からお金や食べ物を分けてもらって生活しているというのです。そこで、ベルアンジュと「メメ親子のために何かできることはないだろうか」と相談して閃いたのが、浴衣ビジネスでした。パーニュで浴衣を作って、それを日本で売れば彼女の収入になると思ったのです。

そこで協力隊の仕事をする傍ら、浴衣の縫製を始めることにしました。2015年に日本のクラウドファウンディングサービスを使って資金を募ったところ、75人の方から合計70万円以上の支援をいただくことができたので、これを元手にミシンを購入し、同年にはアトリエを構えることができました。当初のスタッフは、縫製担当がメメのお母さんともう一人、パーニュの仕入れやアトリエ運営担当はベルアンジュというごく小規模なものでした。

シェリーココのスタッフたちとその家族

シェリーココのスタッフたちとその家族  提供:川口莉穂氏

――川口さんは現在どのくらいの頻度でベナンに行かれているのでしょうか。

川口 年に3回くらいは現地に行っていて、一度につき1〜2ヶ月は滞在します。その間にパーニュを仕入れたり、新しい職人を雇ったり、提携先と打ち合わせをしたりと、現地でしかできない仕事をしています。パーニュは、アトリエのある町から1日かけて大きな町に赴き、仕入れます。パーニュだけが売られている市場で使えそうな柄を探すのですが、私はこだわりが強いのか、1日中見ても気に入った柄が見つからない日もあって(笑)。

ここ数年、アフリカ布は日本でも人気が出始めているのですが、私が目指しているのは、アフリカ布のファンではない日本のお客様にも「かわいい」と感じてもらえる商品作りです。そこを意識して、日本で好まれるような花柄などの布を選ぶようにしているので、実際、アフリカ関連のイベントで他社さんの製品と並ぶと、シェリーココだけちょっと浮いていたりしますが、自分ではそれでいいと思っています。

「日々の生活に寄り添う」中で「世界を変える」支援の形

――アトリエを開いた翌年に、青年海外協力隊の任期終了に伴って帰国されましたね。2017年には法人化されていますが、個人事業主ではなく株式会社にしたのはなぜでしょうか。

川口 すでに実態としての事業があるので、社会的な信頼を得る意味でも法人にした方がいいと思ったのです。また、シェリーココの商品は、単純に「かわいい」ものだから売るのであって、「開発途上国を助けてあげよう」というような動機で買ってもらうものにはしたくなかった。商品の背景を知らなくても購入していただけるようなビジネスとして成立させたいという思いを持って、会社にしたんです。そして売る以上は、日本のお客様が納得するクオリティでなければいけない。だから、その点も縫製スタッフにきちんと説明して、丁寧な仕事を心がけてもらっています。

――起業されて3年目になります。事業の現況について教えてください。

川口 商品のラインナップは浴衣だけだったのですが、どうしても売れる時期が夏に限られてしまうので、現在は雑貨やアパレルといった、年間を通して需要がある物も作っています。最初はクラウドファンディングのリターンとして送るのみでしたが、自社オンラインショップを中心に、リアルの場では商業施設の催事場や、アフリカ関連のイベント会場に置くなど、販売経路も拡大しています。おかげさまで認知度も向上してきており、友人や知り合い、あるいはそことつながりのある方が買ってくれる程度だったのが、まったく知らない方からの注文が増えてきました。また、ベナンでも自社アトリエのほかに、いくつかの仕立屋とも提携し、商品にバリエーションを出しています。

――実店舗として、直営店を持つ予定はあるのでしょうか。

川口 実は一度、実店舗を持つことを目指して生産量を増やしたことがあります。ところが、待っていたのは非常に忙しい毎日で、気がつくと私もベルアンジュも仕事量のキャパシティを超え、精神的余裕を失ってしまいました。メメのお母さんを含めスタッフたちにも、長時間の作業をさせてしまうことになり……。そのとき、「これは自分が目指していたものとは違う」と感じて一旦計画を白紙に戻したのです。シェリーココの事業はベナンにいる女性たちの日々の生活や、自立を支援するためのものであって、無理に会社を大きくすることが目的ではない。だから、店舗を持つのはまだ先でいいと決めました。

川口さん

――働いている人が幸せでないと意味がないですものね。ところで、日本だけでも、さまざまな形で途上国支援を行なっている方々がいらっしゃいます。彼らの活動や、従来の国際支援の在り方について、何か思われていることはありますか。

川口 アフリカを見ていると、最近は私と同じくビジネスという形での支援をお考えの方が多いようです。しかし、依然としてお金や物資の支援だけで終わっている方々もいます。もちろん、災害などの緊急時にはそういった支援が必要なので完全に否定はしませんが、個人的には疑問を感じる部分もあります。

先日もベナンに行った際、いきなり路上で「お金をくれ」と現地の男子学生に言われました。話を聞くと、住民にお金を渡している日本人が同じ町にいたそうなのです。そのせいで、彼の中では「外国人はお金をくれる存在」ということになってしまった。こうした行為は、結果的に彼らの自立を妨げることになってしまいます。支援をするのなら、本当の意味で現地の人の役に立つ支援を考えなくてはなりません。ただ、その方法は現地に深く入り込まないことには見出せない気もします。

――川口さんは現地に深く入り込み、アフリカ布製品の市場開拓とベナン人女性の雇用創出を両立されています。易しいことではないと思いますが、ご自身のモチベーションはどこから生まれているのでしょうか。

川口 大学時代までの私には「世界を変えたい」といった大きな夢がありました。けれど、ベナンに来て現地に入り込めば入り込むほど、その思いは形を変えていきました。私が出会った現地の人々は、大きな未来といったものは見ていなくて、日々の生活を懸命に送っています。

そして、経済的には裕福ではないけれど、困った人がいればすぐ手を差し伸べる。赤の他人でもお金に困っている人がいれば、自分が借金をしてまで用立ててあげる姿もみてきました。最初にお話した通り、やはり親切で人懐こい。私はこうしたベナンの人々の姿勢がとても好きですし、ベルアンジュやメメのお母さんたちとの関係を大切にしたいと願っています。彼女たちがいるからこそ、シェリーココの活動もできる。逆に言うと、「世界を変えたい」というような大きな目標をモチベーションにしていたら、ここまで続けることはできなかったように思います。

川口さん

川口 実は日本に戻った頃、はたして私はこのままでいいのだろうか、と悩んでいた時期もありました。そのとき、JICA職員として働いている友人が「JICAもシェリーココも目指しているところは同じだよ」と励ましてくれました。JICAは遠い先を見通して事業を行なっている。一方、シェリーココは近い未来を見ながら毎日を積み重ねている。見ているところは違うけど、結果としては同じ場所につながっているのではないか、という友人の言葉で、とても気持ちが楽になりました。

もちろん、ベナンという国がもっと良くなれば嬉しいですし、できることなら世界をいい方向に変えたいです。でも、それはあくまで結果であって、いまの私のモチベーションは、自分を支えてくれるシェリーココの仲間たちと前に進んでいくこと。ですから、彼女たちとの関係が崩れない限り、この活動は続けていくと思います。

私の場合は、どちらかというと、大きなことを話し合う場にいるよりも、現場で泥臭く活動する方が合っているようです。これからもそうした姿勢で現地に寄り添って生きていきたいですね。シェリーココの取り組みを通じて、お金や物資だけじゃない国際支援の方法があると若い世代に伝えることには、大きな意義があると考えています。

川口さん

TEXT:中野渡淳一、PHOTO:山崎美津留

川口莉穂(かわぐち・りほ)

株式会社シェリーココ 代表取締役社長
1990年、神奈川県生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業。高校2年生のときに留学したタイでの経験から国際協力、途上国支援といった分野に興味を抱く。同大卒業後の2014年に青年海外協力隊の隊員として西アフリカ・ベナン共和国に渡る。現地で青少年活動に従事するかたわら、現地女性の雇用創出に取り組む。2015年よりアフリカ布を用いた浴衣の製作を開始。日本帰国後の2017年、株式会社シェリーココを設立。現在、同社代表取締役社長。

38億年つづく生命の歴史のなかで――中村桂子が語る、テクノロジーと人間

大阪府高槻市に世界的にも稀少な「生きているとは何か」を考える研究施設がある。「JT生命誌研究館」と名づけられた館内では、生物学者が実験室で研究を行っているだけではない。館長の理学博士・中村桂子氏のもと、生きていることへの関心、興味への扉を多くの人に開放しようと創造的な活動が続けられてきた。

半世紀以上にわたりDNA研究に携わってきた中村氏は、生きていることを知るためには、生物科学の研究領域のみならず人文学や芸術と共に、更には生活感覚を生かして新しい知を組み立てる必要があると説く。その考えを深めるため、「人間と自然」という向き合う関係性ではなく、「自然の中の人間」という立脚点から、「生命誌」(Biohistory)を提唱し、生命の歴史を曼荼羅のように視覚化しわかりやすく伝え、考えてきた。

生きものとしての人間とは? 有機的な生命体の中に溶け込み始めたテクノロジーと、人間はいかに理想的な関係を築くべきなのだろうか。お話を伺った。

生命の歴史をひもとき、「表現」する

――まずは、中村様が提唱されている「生命誌」(Biohistory)について、ご解説いただけますでしょうか?

中村 地球上には38億年ほど前に生まれた細胞を祖先として、約5千万種とも言われる多様な生きものが暮らしています。これらはひとつの例外もなく、DNAという物質を基本に生きています。生命科学では、そのDNAを生きものの命を支える最小限の単位として捉え、その構造と機能を探り、人間(生物学上ではヒト)も含め各々の生きものの特性を見出そうと努めてきました。

ただしそれは17世紀にガリレオやデカルトなどが導いた科学革命による、機械論的自然観に基づいています。デカルトは心臓を「ポンプ」に例えるなど、ヒトのカラダのさまざまな生命器官を機械における部品(パーツ)のように捉えました。こうした考え方は、現在でも、生物科学における主流になっています。

その中で私は、「生きているとは何か」を知るには日常感覚に基づいた柔らかな視座が必要と考えるようになりました。哲学や社会学などの学問、また美術や音楽、文学などの芸術が「人間ってなんだろう」「生きるってなんだろう」という疑問に取り組んできたように、研究から得た事実をもとに「表現」を通して考えようと思いました。たまたま細胞内のDNAのすべてをゲノムとして捉えられるようになったので、生命全体の38億年という長い歩みを俯瞰し、生きものすべての歴史と関係を理解できるようになったのです。そこで、ヒトを自然の一部として視る生命論的世界観に立って「生命誌」という新しい知を研究し始めました。

――科学を表現する。聞き慣れない言葉ですが、具体的にはどのようなお考えなのでしょうか。

中村 例えばベートーベンの交響曲第五番『運命』は多くの人が知っている曲です。でも、音楽を勉強していない私には、この曲の楽譜から音がわき起こることはありません。科学の論文は音楽家にとっての楽譜と同じで、専門知識のない方には読み解けません。楽譜は必ず演奏されて聴き手に伝わります。科学も演奏しよう。つまりどなたも楽しめるように、生きものとそれを知る科学の面白さを伝えたいと考えました。

そこで、1993年に、現在私が館長を務める「JT生命誌研究館」を設立しました。一般の方たちにも開放された、生きものの歴史物語(生命誌)を読み解き、描き出す館(Hall)です。4つの研究室では、身近で小さな生きものであるチョウ、クモ、カエルなどの研究をしており、大阪大学の大学院生もいます。5つめの室は、研究結果の表現法を考えています。来館者に向けて、生きものの進化を表現するコンピュータグラフィックや模型などの展示物を作ったり、「季刊 生命誌」の発刊や「生命誌マンダラ」の作成など他に例のない活動をしています。セミナーや研究室の一般公開も積極的に実施しています。25周年記念には、宮沢賢治の『セロ弾きのゴーシュ』を生命誌の観点から解釈し、音楽人形劇として上演しました。

38億年つづく生命の歴史を表した「生命誌絵巻」(原案:中村桂子、協力:団まりな/絵:橋本律子)

生命誌研究館のサイトではペーパークラフトや読み物を通して、「生命誌」に親しむことができる

――研究グループと表現グループが共に活動されているのは興味深いです。

中村 世界的に見てもこのような研究機関はおそらく存在しないと思います。30年ほど前、私が「生命誌」の考えを研究者仲間に公にした頃は、奇異な目で見られていました。マウスやショウジョウバエなど「モデル生物」といわれる決まった生きものしか研究対象にしていなかった時代に、チョウやクモ、オサムシなど身の回りの生きものに目を向け、本格的な研究に取り組んだのも、おそらく私たちが初めてだったでしょう。自然の中で暮らすさまざまな生きものを調べてこそ、生きているってどういうことだろうという問いへの答えが出せると考えました。

研究館開設初期に行ったオサムシの研究では、「生命誌」を具体的に考える上で、本当に大切なことを学びました。オサムシは飛べないので、日本列島の中でDNAによる生息分布が北海道、東北、九州地方などと分かれるのですが、明確な境界の意味がわかりません。ところが、地質学の先生がそれは日本列島形成の歴史を示していると教えてくださったんです。

オサムシの生息分布図と日本列島形成の歴史(提供:中村桂子)

オサムシの生息分布図と日本列島形成の歴史(提供:中村桂子)

学者は専門領域だけを見ているので、地質学の先生は地質だけを、生物学者の私たちは生きものだけを見ており、自然そのものを見ていなかったのです。この研究では、オサムシ集めをアマチュアの方がしてくださるなど、いろいろなことがつながり、「生命誌」研究の大切さを、改めて強く感じました。最初にこの研究に出会えたのは幸運でした。

地球上のすべての生きものは、同じDNAを持っている

――ご専門はDNA研究です。DNA、ゲノム、遺伝子について、多くの人がなんとなくの理解で終わっているように感じられます。一般の私たちにもわかりやすいよう、その関係性を教えていただけますか?

中村 DNA(デオキシリボ核酸:deoxyribonucleic acid)という高分子生体物質が19世紀の中頃に発見されてから約150年。「二重らせん」構造の発見からは約65年が経ちますが、私がその構造の美しさと機能に惹かれ、生物学の世界に入った当時から比較すると、小学生までもがDNAを知る時代になって驚いています。

DNAは細胞の核に、染色体23対として入っています。染色体は、ヒストンというタンパク質のビーズのようなものに、二重らせん構造の極細の糸のようなDNAが巻きついてできています。23本の染色体全部のDNAをひとかたまりとして「ゲノム」といいます。人間であれば、「ヒトゲノム」。アリなら「アリゲノム」、オサムシなら「オサムシゲノム」です。

文章と言葉に例えるとわかりやすいかもしれません。DNAという言葉(単語)を使ってゲノムという文章が綴られており、私の提唱している「生命誌」では、ヒトのゲノム、生きもののゲノムの約束ごとや文法を読みとこうとしています。ゲノムには、ヒトも含め、それぞれの生きものがどのようにしてその生きものになったのかという過程と生きもの同士の相関関係が書き込まれており、さまざまな生きもののゲノムを比較することによって、生きもの全体の総括的な進化の歴史を知ることができます。

また、皆さんがよく口にされる「私の遺伝子」はありませんし、さらに言えば、ヒト固有の遺伝子というものはないんです。

――では、なにがひとりひとりの相違、生きものごとの特徴を生むのでしょうか?

中村 それは遺伝子の組み合わせの差、さっき申し上げたゲノムの差です。23対で46本ある染色体からは、ほぼ無限といっていいほどの組み合わせが生まれます。組み合わせ……つまりゲノムによって、生きものごとに表現するものが個性、特徴、性質なんです。

面白い例をご紹介しましょう。アゲハチョウの子どもは偏食でミカン科の葉っぱしか食べないのですが、私たちは、母親アゲハチョウがどうやって多種多様な植物の葉っぱの中から、ミカン科の葉を識別し、産卵するのか研究しています。母親アゲハは、前脚の部分に葉っぱを味見するための細胞を備えた特殊な毛を持っています。この細胞の構造は、人間の舌にある味蕾(みらい)という味を感じる器官とまったく同じなのです。つまり、アゲハチョウとヒトは共通の遺伝子のはたらきで味を見ているわけです。

このように、地球上のすべての生きものは、同じDNAを持っています。ヒトもイヌも、庭に咲くバラの花も共通のDNAを持ちます。そうやって遺伝子は、さまざまな生きものの中で、各々固有のゲノムにより少しずつ変形しながらはたらいています。先ほどの味覚に関する遺伝子も、ヒトの細胞の中に存在してはたらいているときには「ヒトの遺伝子」とされ、アゲハチョウの中で機能していれば「アゲハチョウの遺伝子」になるのです。

中村さん

――アゲハチョウと人間の間に、そのような共通点があったとは驚きました。

中村 私が「生命誌」を通じて言いたいことは、とても簡単なことです。地球上の生きものは、すべて同じ祖先から生まれた仲間だということ。人間も他の生きものと同様に、自然の中に生きている、自然の一部なんですよ、ということです。人間だけが特別な人間固有のDNAでできているわけではないのですから。

私は、DNAの研究を始めたときに、ある種の解放感を得ました。「わたし」という存在は、地球上に暮らす約5千万種の多様な生きものたちと同じルーツを持つDNAを通して、38億年という長い時間を共有していると思えたからです。時間的にも空間的にも驚くほど広がりを感じ、人間がつい陥りがちな「わたし」という自我への執着を手放せたのです。

一方で、この先、地球上のあらゆる生きものを通しDNAが何十億年続いていこうが、いま、この世に生を受け、この組み合わせのゲノムを持つ人間は「わたし」しかいない。その自然の摂理の中で生まれた奇跡に感謝し、自分の人生を大切にしたいと思いました。自分が、大いなる自然の一部なんだと自覚することで、人間は、他者や他の生きもの、ひいては自然に対しても尊重の思いがおのずと湧き出るのではないでしょうか。

生きものとして「ふつうに生きる」ことで見えてくるもの

――「生きるとはどういうことか」をひとつの命題として追究されてきた中村さんにとって、人間とテクノロジーが共存し、助け合いながら社会を築いていく未来について、どのようなお考えをお持ちでしょうか?

中村 テクノロジーは人間さえしっかりしていれば、非常に有効で役に立つものです。人類がその恩恵を受けて文明を築いてきたのは確かです。ただ、昨今の急激なテクノロジーの進化で、多くの人がある種の脅威を感じていることも確かです。「AIが人間を超える」と考える方が大勢いらっしゃるのには驚きます。人間とは何かがわかっていないのにそれをどうやって超えるのでしょう。

コンピューターはコンピューター。素晴らしい機能を持っていて、私たち人間にはできないことができますが、人間と対立させたり、同格に考えてはいけません。人間は38億年の生命の歴史を持っていて、コンピューターとはまったく異なる存在です。例えば人間のもつ想像力、イマジネーション。それはデータから導き出される予測ではなく、未来のこと、過去のこと、もしくはアフガニスタンの戦火の中で暮らす子どもたちに思いを馳せる能力です。イマジネーションの中には「思いやる」という感情も内在しています。

ですから、コンピューターが「人間を超える」と比較するのは意味がありませんでしょう。いまの社会の構造は、人間が生きものとして生きようとするにはとても生きづらいと感じます。文明社会は競争社会でもあります。車を作る工場では標準規定があって、少しでも異なると市場に出荷されませんが、それは機械だからです。人間は生きものだから、ひとりひとりみんな違います。標準型はなく、規格外もありません。そう、「みんな違う」というところが、いきものの面白さなんです。そもそも、ヒトは、生物学でもまだほとんど解明されていない。わからないことがあるのが面白く楽しい。これが生命誌研究の一番よいところだと思っています(笑)。

中村さん

――生きものとしての人間をもっと信頼し、自信を持つべきだと?

中村 そうです。ひとりひとりのゲノムの組み合わせは、38億年の歴史の中でも唯一無二なんです。何にも代えがたい存在。だから人間はAIに超えられると杞憂するより、生きものが暮らしやすい地球環境にするためにAIを活用するほうが賢明です。今こそ人間が、想像力を最大限活用して、知恵を絞るべきです。そこから創造力が生まれますから。

最近、「多様性」という言葉が世の中に浸透していますが、人間が生きものであるという認識があれば、多様は自然なことです。5千万種の生きもの全体の多様性から見たら、人間の多様性なんてごく限られたものにすぎないでしょう?

シンギュラリティや多様性など、人間の社会に大きな変化が起きる、起ころうとしているとメディアが騒ぐからでしょうか。なにか、地に足がつかない気持ちに襲われ、生きものとして「ふつうに生きること」の大切さが忘れられているように感じています。なにも難しく考えなくても、日本列島で縄文時代から人間が綿々と暮らしてきたように、日常の営みに丁寧に目を向けることで見えてくることがあるはずです。

例えば、「食べること」。人間が自然の一部だという思いを持っていれば、植物を含め他の生きものの命をいただいているんだ、ということが感じられます。その命は私たちと同じ38億年かけて続いてきた命。だから「食べる」ことはものすごく神聖でありがたいことだとわかるはずです。今さら「フードロス問題」として取り上げなくても、銘々がそういう意識をもっていれば、おのずと食べものを大切にするでしょう。

私の言う「ふつう」とは、平凡だとか特徴がないという意味ではなく、素直な心で道理にあったものの見方をすることです。何事もそういう視点に立ち、ふつうに美しいとか楽しいと思えることが、政治でも教育でも、テクノロジーの世界でも生かされていけば、人間はもっと生きものとして暮らしやすくなるのではないでしょうか。

TEXT:岸上雅由子、PHOTO:伊藤 圭

中村桂子(なかむら・けいこ)

JT生命誌研究館館長、理学博士。
1936年生まれ、東京都出身。1959年、東京大学理学部化学科卒業、1964年、東京大学大学院生物化学専攻博士課程修了。三菱化成生命科学研究所人間自然研究部長、早稲田大学人間科学部教授などを歴任し、1993年、大阪府高槻市にJT生命誌研究館を設立。主な著書に『中村桂子コレクション いのち愛づる生命誌Ⅳ はぐくむ 生命誌と子どもたち』(藤原書店)、『「ふつうのおんなの子」のちから』(集英社クリエイティブ)他、多数。

「アルゴリズミック・クチュール」――耳慣れない言葉だが、H&Mファウンデーションが主催する「100%循環型のファッション業界」を目指すイノベーション・コンペティション「第4回Global Change Award」で、特別賞を受賞した日本人チームの作品だ。

この作品を開発したのは、Synfluxという慶應義塾大学 大学院の学生によるベンチャー企業。ファッションデザイナーだけでなく、デザインエンジニア、アルゴリズムアーキテクト(建築家 )らが集まり、環境負荷の多さが問題となっているファッション業界において、テクノロジーを活用した新しい表現方法を誕生させている。

Synflux共同創業者であるスペキュラティブ・ファッションデザイナーの川﨑和也さんに、ファッション業界にどんなイノベーションを起こそうとしているのか語っていただいた。

テクノロジーが切り拓くファッションの可能性

――まず、川崎さんの肩書にも含まれている「スペキュラティヴ・デザイン」とは、どのような考え方なのでしょうか。

川﨑 「デザイン」は問題解決のための思考法や技術全般を指しますが、中でも「スペキュラティヴ・デザイン」は問題の提起と発見に重きを置いた考え方です。例えば環境問題は、問題が巨大すぎるため簡単には解決法が見つかりません。そこで、「一体何が問題なのか」を世の中の人たちにわかってもらうために、具体的なプロダクトやサービスで問題を提起するんです。

ファッション産業について言えば、産業自体も巨大ですし、洋服の数も膨大なので 、全てを考慮して環境問題にアプローチするのはなかなか難しいと思います。そこで、急速に発展しているAI(人工知能)やバイオテクノロジーといった技術的な側面と、環境問題を始めとした社会的な側面の間に上手く橋をかけるにあたって、スペキュラティヴ・デザインの考え方を取り入れています。

川崎さん

――2017年に「バイオロジカル・テーラーメイド」、2018年に「アルゴリズミック・クチュール」という作品を発表しています。それぞれどのような作品なのでしょうか。

川﨑 「バイオロジカル・テーラーメイド」は、微生物由来の布でつくったテイラードスーツです。当時「DIYバイオ」といって、キッチングッズや100円均一で揃えられる用具で簡単な生物実験をするのがちょっとしたトレンドで、デザイナーやアーティストが盛んに表現方法として取り入れていました。

そこで僕は、微生物にタンパク質を生成させ布をつくりました。プールのような水槽に、微生物と、砂糖やお酢で調合した培養液を入れます。2週間ほどすると、微生物の働きで生成される タンパク質がプールの水面に溜まっていきます。それを取り出して乾燥させ、洋服に仕立てました。ファッションデザイナーも布を買っています。これだけ化学繊維やプラスチック問題が叫ばれる中で、バイオテクノロジーでつくった布を発表することで、布そのものをとらえ直してほしいと考えたんです。

バイオロジカル・テーラーメイド 写真提供:Synflux

バイオロジカル・テーラーメイド 写真提供:Synflux

川﨑 「バイオロジカル・テーラーメイド」で洋服の「マテリアル」にフォーカスし、文化庁メディア芸術祭などで賞も受賞したので、次に立ち向かうフェーズは「デザイン」でした。「アルゴリズミック・クチュール」は、デジタル技術を駆使し、四角形と三角形を組み合わせた型紙に基づき制作したデザインシステムです。

そもそも、平面の布を凹凸がある人間の体にフィットさせるのはパタンナーの専門的な技術を要する作業です。しかもパタンナー は、フィットさせた布の上で立体感を表現しようとします。生地は平面の四角形なので、それを従来通り曲線に沿って裁断して立体をつくろうとすると、生地がたくさん余ってしまうのです。一説によれば、現状の裁断方法では布の15~25%が廃棄となり、金額換算すると5億ドルにもなるそうです。つまり、環境にとってもロス、企業のコスト面からもロスが発生しているわけです。「美しさと廃棄とはトレードオフの関係だ」という捉え方もありますが、それらを両立させ、立体と平面のギャップを埋めるためにはどうしたらいいかを考え、「アルゴリズミック・クチュール」を制作しました。

アルゴリズミック・クチュールで制作された衣服 写真提供:Synflux

アルゴリズミック・クチュールで制作された衣服 写真提供:Synflux

――ファッションの歴史の中で初めて立体と平面のギャップに挑んだのですね。

川﨑 そうですね。ファッション産業で近年応用が進んでいるデザインツールの一つに、デジタルファブリケーションがあります。例えば、3Dスキャンは実空間にある物を情報空間に移し、CADはそのデータを改変したり編集したりすることができるツールです。「アルゴリズミック・クチュール」では、デジタルファブリケーションに加えAIを活用し、最も布の廃棄が少ない型紙の形を高速で算出します。AIはここ数年で計算速度がとても高速化していて、うまく使えば、欲しい形を素早くデータセットから提案させることができるのです。 その中で、僕らが美的に良いと感じ、かつ廃棄の少ない形を両立させるパターンを選んだ結果、和服の直線裁ちに似たデザインに至りました。そこから、四角形と三角形で構成された、廃棄が少なくなる直線裁ちの型紙を、AIにサポートしてもらいながら自動生成するシステムを開発しました。

飽くなき探究心は「つくることが好き」という気持ちから

――そもそもバイオテクノロジーやAIに関する知識はお持ちだったのですか?

川﨑 バイオテクノロジーに関しては、幸運にも福原志保さんというバイオアーティストの方にいろいろと教えてもらう機会があったのです。僕はバイオロジーの専門家ではありませんが、専門家の知見をお借りしつつ、熱意を持って勉強すれば作品制作が可能なのだとそのときに学びました。「バイオロジカル・テーラーメイド」で使った素材は一般的な繊維とは異なり、放っておけば土に還ります。培養したての布をある程度の期間保たせようとすると加工が必要になるのですが、微生物由来の素材に適した加工方法がまだ存在しないので、レザー製品に使われている方法を転用しています。

――制作のためにあらゆる分野の知識を積極的に吸収されていますが、原動力となっているのはどんな思いですか。

川﨑 「つくることが好き」という気持ちですね。つくることを始めると、技術的なことはもちろん、知らなければいけない知識が果てしなく増え続けます。なぜならファッションは、建築や美術などと共進化してきた分野で、さまざまな文化的知見も必要になるんです。

僕は専門的な領域にとどまらず、どんどんファッションの概念を拡張していきたいと思っています。ファッションは服づくり単体だけでなく社会や技術とも関わりがあるものだということを、デザイナーはもっと知るべきです。今、僕が「スペキュラティヴ・ファッションデザイナー」と名乗っているのは、変なことをやっていても許されるからというのも確かなんです。でも、最近、研究開発や作品制作をさまざまな人と一緒に協同させていただく中で、ファッションがこれまで培ってきた歴史や文化に誠実に向き合おうと心から思い始めています。

――そもそもファッションに関わろうと思ったきっかけは何だったのですか。

川﨑 故郷の新潟から上京してきた2011年に起きた、東日本大震災です。ボランティアに行った被災地で見たのは、住宅が壊れ、食べ物や医療品が不足し、衣食住が崩壊していく風景でした。自然の猛威によって生活が根底から奪われる様子を視覚的に経験したとき、デザインを通じて人間の衣食住に関わる取り組みができないかと強く思いました。

またファッションに関する原体験として、高校の制服の学ランがとても嫌いだったということもあります。学ランは制服なのでどうしても着る必要があり、近所の洋裁店でボタンを変えたり、内側に刺繍を入れたり、上丈を短くして短ランにしたりといった、今で言うカスタマイズをしていました。洋服を自分なりに改変して、自分のアイデンティティを表現できるスタイルにした経験は、ファッションデザインに取り組むようになってからよく思い出しますね。

――高校生時代、制服を着ることに反発したのは何故だと思いますか。

川﨑 おそらく、「これを着ろ」と一方的に押し付けられたからじゃないでしょうか。環境配慮が求められるに連れてつくり方が合理的になると、究極的には服の作り方も最適化に向かうのが望ましい方向性だというのは確かに論理的であるとは思います。しかしながら、本来、衣服は自分のアイデンティティや自分らしさを表現するツールです。しかも、日常生活の中で、ある意味で軽やかに 身体の形を服でリミックスするように 「自分」を表現することができる。シャツの上のボタンを外すなどちょっとしたアレンジをするだけで、人は皆それぞれ表現を取り入れていると言えるのだと思います。そのようなファッションが実現する「楽しさ」をインターネット文化やテクノロジーとの融合を通して展開していくことが、今まさに必要だと思っています。

ファッションを「楽しむ」ことが突破口になる

――昨年のH&Mのコンペティションで「アルゴリズミック・クチュール」が特別賞を受賞して以来、欧州からの問い合わせが多いそうですが、国内外で反応は違いますか。

川﨑 実はこのとき、日本からの応募は僕らだけだったようです。世界中から約7000件 応募があるにもかかわらず日本からは他に応募がなかったと教えてもらい、日本と世界が見ている方向のギャップを感じました。

川崎さん

川﨑 日本はファッション専門学校の教科書が充実していて、型紙やデザインにまつわる精密な技術の蓄積があります。片や、ロンドンやオランダは、スキル に関する教育はもちろんですが、社会問題やテクノロジーに関する教育へと完全に舵を切りました。特に、London College of Fashionでは、サステナビリティについて学ぶコースや研究拠点があります。ファッションの面白さと持続可能性との間にどのような関係があるか、日本のデザイナーの間ではあまりピンときていないところがあると思っています。日本でも教育機関でファッションと環境問題、先端技術応用をリンクさせた実践を遂行できる新しいタイプのデザイナーが増加していくことを期待しています。また、そのような実践を研究や教育のプログラムやカリキュラムとしてデザインできる人材が必要です。
また、「サステナビリティを考慮したファッション」と聞くと「スローファッション」が想起されやすいかと思いますが、「スローファッション=買うのを我慢する 」というようにストイックになる傾向が見受けられます。ですが、我慢だけではファッションの楽しさが失われてしまうんですよね。「サステナブルなデザインで面白いことができる 」と、システムの再設計と同じプライオリティで、新たな表現の可能性をプッシュしていくことで、日本でも今後面白い動きが出てくると思います。

――環境配慮と経済の両立は難しいという議論がありますが、川﨑さんが制作する洋服では両立可能とお考えですか。

川﨑 難しい質問です(笑)。世界全体で見ると衣服の需要は人口増加により増えていますが、衣服の使用率は年々下がっているんです。この状態は「ファッション・パラドックス」と呼ばれています。労働問題や素材調達の点からも、現在の衣服の価格は、適正価格より安すぎるのではないでしょうか。これからは、しっかりした付加価値を提供し、環境問題にも配慮しながら適正な価値に設定していくことが必要です。

しかし、「ファッションの産業システムを全て止めてしまえ」ということにはできないですし、価格が高すぎても仕方ない。ファッションは現状、大量生産、大量消費を前提とした産業なので、例えば1着だけつくるといったことが難しく、300着のような大きなロットでないと対応できません。少量を受注生産できれば、在庫を減らすことに繋がるので環境問題への良いソリューションになります。ですが、個別固有化した受注生産のデザインを、どうデジタルを使って工場と連携するのかなど、システムの確立はまだこれからです。

それに、我々が3DやAIについて語ったとしても、製造現場が即座にそういった最新技術に対応するのは難しい。バイオテクノロジーやAIなどを使えば、デザインは面白いものをつくれますが、それを実装しようとすると、いろいろな障壁が生じてしまうんです。例えばロボットはプラスチックや鉄のような硬いものならコントロールできますが、布は柔らかいのでイメージ通りに縫うことが難しく、人間の手が必要です。ミシンの形や構造は、ジョン万次郎の時代から変わらないんですよね。製造技術とのすり合わせは、我々が今最もフォーカスしなければいけないところです。

川崎さん

――自分にあうカスタマイズされた服が必要数だけつくれる社会は、いつ頃訪れるのでしょうか。

川﨑 「早く実現させるぞ!」と思っています。「サステナビリティ」という概念をみんなが自分ごと化できていない空気は、日本のみならず世界全体でもまだあるんですよ。そういったときに、「ファッションの楽しさ」が突破口を開くひとつの解決策になると考えています。ファッションの楽しさが自分らしさの表現であるとすれば、カスタマイゼーション・システムはそこに介入する予定があるのではないかと思っているんです。そのカスタマイゼーションで在庫を減らし最適化された数だけを消費することで、我慢するだけではなく楽しみながら廃棄を減らすことができます。そのために我々はデジタルの力を借り、みなさんがカスタマイズできるWebサービスを立ち上げるべく開発をしています。

さらに、すでにプロダクトをお持ちの企業や、大手メーカーと一緒に共同開発、共同研究をさせていただくことを通じて、廃棄が限りなく少ない衣服をより多くの人たちに手にとってもらうことができると考えています。最近、繊維専門商社の豊島株式会社がペットボトルをリサイクルして開発した素材「PBR ZERO」と、廃棄を最小限にするアルゴリズムを組合せて衣服を制作しました。また、東京のストリートブランド・ハトラとコラボレーションした作品「AUBIK」を、スイス・バーゼルの展覧会「Making Fashion Sense」で発表しました。

ハトラとの共作「AUBIK」 写真提供:Synflux

ハトラとの共作「AUBIK」 写真提供:Synflux

川﨑 自分が経営しているものがITベンチャー企業なのかファッションブランドなのか、はたまた研究のためのラボラトリーなのか、わからなくなるときがあります(笑)。ですが、ファッションデザイナーの役割も多様化する中で 、僕は誰とでも臆せず話せる性格なので、ハイブランドや企業、大学のみなさんとも楽しく、喧々諤々と議論できるポジショニングを生かして、これからもどんどん面白いことをしていきたいです。

TEXT:小林純子、PHOTO:伊藤 圭

川崎和也(かわさき・かずや)

スペキュラティヴ・ファッションデザイナー/デザインリサーチャー/Synflux主宰。
1991年生まれ。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科エクスデザインプログラム修士課程修了(デザイン)、現在同後期博士課程。身体や衣服、素材にまつわる思索的な創造性を探求する実践を行う。主な受賞に、H&M財団グローバルチェンジアワード特別賞、文化庁メディア芸術祭アート部門審査委員会推薦作品選出、Dezeen Design Award Longlist、STARTS PRIZE、Wired Creative Hack Award、YouFab Global Creative Awardなど。編著書に『SPECULATIONS 人間中心主義のデザインをこえて』(BNN新社、2019)がある。