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進化する量子コンピューティングが、あなたのビジネスを変える

AI、IoT、ブロックチェーン……コンピューターの進歩は世界を変えるソリューションを次々と生み出し、さまざまな分野で多くの功績を挙げています。昨今、さらに大きく世界を変えると期待される重要なキーワードに、世界が注目しているのをご存知でしょうか?

それが、「量子コンピューティング」です。

従来型のコンピューターが解けない課題を解決

コンピューターの急速な進歩は、さまざまな物事を解決してきましたが、その一方で、困難が伴う課題も浮き彫りにしました。たとえば、与えられた条件に従って複数の要素の中から最適な組み合わせを選ぶ「組み合わせ最適化問題」です。有名な「巡回セールスマン問題」など、指数関数的に拡大する問題を解決するためには、従来型のコンピューターで対処するにはあまりにも複雑なのです。

量子コンピューティング・システムは、このような、従来型のシステムでは対処しきれない複雑な課題に将来的に取り組むことを想定して設計されています。財務データをモデル化する新たな方法の発見、新薬の開発、効率的な物流の実現に向けた輸送の最適化といった課題などがあげられるでしょう。

世界初の商用量子コンピューティング統合システム「IBM Q System One」

「アイ・ビー・エム(以下、IBM)」は、2019年1月に開催されたCES(Consumer Electronics Show)2019において、世界初の汎用近似量子コンピューティング統合システム「IBM Q System One」を発表しました。

「IBM Q System One」は、2016年クラウド上に無料で一般公開され、10万人を超えるユーザーが670万回以上の実験を行なってきた量子コンピューティング・システム「IBM Q Experience」と、企業や学術機関から成るプラットフォーム「IBM Q Network」によって、汎用量子コンピューティングを一般公開する業界初の取り組み「IBM Q」の進化を示すシステムです。

「IBM Q System One」の開発には、IBMの科学者やシステムエンジニアはもちろん、超一流の工業デザイナーやアーキテクト、メーカーなどが携わりました。これらの協力者が構築した今回のシステムは、厚さ約1.3cmのガラスを使った全辺約2.7mのケースに囲まれており、高気密環境で何千ものコンポーネントを一元管理しています。

それによって、最も困難な課題のひとつである、量子ビットの質を継続的に維持することを実現しました。量子コンピューティングで使用される「量子ビット」は、相互接続された機器の振動や温度変動、電磁波による環境雑音などの影響を受け、その特性を瞬く間に失ってしまいます。その解決は、量子コンピューティングの進化における節目となるものです。

量子コンピューティングが未来のビジネスを変える日も近い?

また同時に、2019年中にはニューヨーク州ポキプシーに、「IBM Q quantum Computation Center」の設立も予定されています。センター内には量子コンピューティング・システムがいくつか配置され、このシステムには、業界をリードするFortune500の企業やスタートアップ、学術研究機関などからなる世界規模のプラットフォーム「IBM Q Network」のメンバーがクラウド経由でアクセスできるようになります。量子コンピューティングの進化、ビジネスや科学の領域での活用を目指す予定です。

IBMのハイブリッド・クラウド担当シニア・バイス・プレジデントであり、IBM基礎研究所のディレクターでもあるアーヴィン・クリシュナ氏は、次のように述べています。
「IBM Q System Oneは、量子コンピューティングの商用化に向けた大きな一歩です。ビジネスや科学向けの実用的な量子アプリケーションを開発する取り組みの一環として、また研究所の壁を越えて研究に取り組む上で、この最新システムが重要になります」

今のところ、量子コンピューティング・システムは、我々にとって身近な存在ではありません。しかし、従来のコンピューターでは解くことが難しい課題が量子コンピューテングによって解決され、あなたのビジネスが大きな変化を遂げる日が訪れるのは、そう遠い日のことではなさそうです。

今日からあなたもリーダーだ! 「権威で牽引」せず「共感で動く」組織をつくる

漫画『宇宙兄弟』をモチーフに、新しい時代の“リーダー論”を綴った著書、『宇宙兄弟「完璧なリーダー」は、もういらない。』を2018年に上梓した、株式会社ナガオ考務店代表の長尾彰氏。組織開発ファシリテーターとして、企業から教育現場まで、さまざまな組織で過去15年以上、3,000回以上にわたりチームビルディングを行ってきた。

日本企業における典型的なリーダーは、明確な意思で組織を統率し、組織を引っ張っていく「牽引型リーダー」で、その素養は限られた人だけが持つものと思われがちだ。しかし長尾氏は著書の中で、「リーダーとは、生き方や働き方のハンドルを自分で握っている人のこと」と綴っている。長尾氏は、誰にでもリーダーシップを発揮する場面が“必ず”あるのだと言うが、それはどのような場面なのか? その独自のリーダー論から、今の時代に生きる一人一人が、何を大切にビジネスに取り組むべきか、そのヒントを探っていきたい。

「自分たちで決める」課程こそが重要

──「チームビルディング」と一口に言っても、要望は企業ごとにさまざまだと思います。具体的にはどのようにクライアントとかかわっていくのでしょうか。

長尾 「何をしたらいいのかわからないけど、とにかくいい会社にしたい、でも何から手をつけていいかわからない」というような、抽象的な要望の会社に行くことが多いんですよ(笑)。だから、定期的かつ継続的に関わらせてもらうようにしています。課題から一緒に考えていこうというスタンスです。

だいたい社長が一人で悩んでいるというケースが多いです。だから「みんなで、会議形式ではなく、ラフな雰囲気で話しましょう! 」というところから始めますね。社員の中には、社内の課題がすでにわかっている人もいるかもしれない。だからまずは、いろいろな意見を聞いてみればいいと思うんです。でも現実では、「自分は社長だから、目指す方向を社員に示さないとならない」と気負っている人が多い。まずは社員が何を求めていて、何を思っているか聞く。今起きていることがわかれば、どこに行きたいのかも見えてくるはずです。

──「このポジションにこういう人を置きましょう」というようなアドバイスから入るわけではないのですね。

長尾 そういうものではないです。自分たちの中で「目的」「ビジネスモデル」「役割」などを話し合って「納得して行動する」プロセスがないと――要は外発的な動機付けではなく、内発的な動機に基づいた組織づくりを促していかないとダメです。そして、「うまくいくということは何をもって判断できるのか」という評価指標も含め、それを自分たちで決められる組織にしていくのです。自分たちで「私たちにとって良いというのはこういうことだ」という基準を決められない限り、プロジェクトにせよ企業そのものにせよ、良い結果には結びつかないのではないでしょうか。

長尾氏

共感でチームをリードする「愚者風リーダー」

──そのような視点から見ると、明確な意思で統率する「牽引型リーダー」は必ずしも必要ではないということでしょうか。とはいえ実際は、ご著書でも書かれているように、日本企業には「牽引型リーダー」が多い傾向がありますよね。

長尾 「牽引型リーダー」をトップとするほうが、従来の日本企業の組織構造に合っていたからだと思います。義務教育から、校長・教員・生徒といった権威的な組織構造で運用する日本社会の特色かもしれませんね。でもその構造では、トップの意思決定が間違っていたら全部が間違ってしまうし、多様化の時代において、同質化、平均化された考えしか生まなくなってしまう。

──現代は、リーダーを目指さない若者が増えていますが、それはそのような環境が影響しているのでしょうか。

長尾 そうですね。権威型組織でトップに立って、手本を求められ、失敗したら責任追求される……どう考えても大変そうじゃないですか(笑)。これだけ情報が増えて、さまざまなことを自分で選択可能になってきているのに、「こうすべき」と言っても、言われても無理が生じる。だから、「個か全体か」ではなく「個も全体も」ということで、当事者の合意に基づいて運営される組織が、これからのビジネスには必要だと思うのです。

──つまりこれからのビジネスで目指すべきは、著書の中でも書かれていた、牽引型である「賢者風リーダー」ではなく「愚者風リーダー」である、ということですか。

長尾 理解してもらえると嬉しいのですが、決して、完璧なリーダーを否定しているわけではなくて、「無理することはないから、やりたいようにやってみようよ」というメッセージなんです。あの『「完璧なリーダー」は、もういらない。』のタイトルの後には、「愉快なリーダーがほしい。」という続きのフレーズを考えていました。その人と働いていると楽しくて上手くいく、だから一緒にやりたいと思ってもらえる、そんな魅力のあるリーダーが今こそ必要だと思います。

「賢者風リーダー」は全てを把握してみんなをリードする文字どおり賢い人で、そうしたリーダーももちろん必要な場面があるでしょう。一方で、「愚者風リーダー」は、自分が何をしたいのか、何が心地よいのかというところに敏感になって、「自分がリーダーシップをとれること」「周りをリードしていきたいと思えること」でリーダーシップを発揮するという考え方です。

我慢して何かに従わなければいけないとか、従わせなければいけないということになると、どんどん辛くなってくる。一人一人が自分のワクワク感を探すことこそが、リーダーシップの開発に直結しているのではないでしょうか。自分の中で「良い」と思えるもの探して、そのワクワクに共感を得て物事を進めていくリーダーシップをもっと大事にしましょう。そう考えると、誰もが発揮できるリーダーシップがあるのです。

長尾氏

自分が2年半で培ったチームワークを、たった5日で構築できた

──そもそも、長尾さんが「チームビルディング」の重要性を考えるようになったのには、どのようなきっかけがあったのでしょうか。

長尾 高校のバスケ部での体験と、大学で体験した冒険教育のプログラムがきっかけです。高校のバスケ部には1年生部員だけで60人もいて。それだけいると部活に対してさまざまなスタンスの部員がいるのに、僕は、「俺たちのゴールは2年半後にインターハイに出ることだ」と考え、その目標に対して正論ぶった主張をしたりしていたんです。社会人になってからもそうなのですが、僕は、何か達成すべき目標に対して、最短距離で効率よい方法を主張する、という人間でして。良かれと思っての行動なのですが、自分勝手で協調性に欠けると言われる傾向もありました。とはいえ、2年半の活動を通じて、バスケ部ではみんなととても良い関係性を築くことができました。

その後、大学2年の時に4泊5日の「プロジェクト・アドベンチャー」という冒険教育のプログラムに参加しました。これは「チームで提示された課題に取り組み、結果について振り返り話し合う」というワークショップだったのですが、そこで、高校のバスケ部活動で得たものと同レベルの関係性と感触を得られたことに驚いたんです。

高校で2年半かけて培われたものが、わずか5日間で得られた。これはすごいことだなと。そこで「チーム」ということを強く意識したし、冒険プログラムの中で、「この人がいたから物事がうまく進んだし、この人がいたからこのチームの関係性がつくれたな」と思う人物がいると気づいたんです。職業を尋ねたら、「ファシリテーター」だと。それで、じゃあ僕もファシリテーターになろうと思いました。

長尾氏

他者に何をしてあげたいのかがわかれば、今日からあなたもリーダー!

──自分のワクワクに対する共感でチームをリードする「愚者風リーダー」が成立するという考え方の下であれば、誰もがリーダーになれますね。しかし、具体的にどうやってリーダーシップを発揮していけばいいのかを一人一人が考えるのは、まだ難しいように感じます。

長尾 「リーダー」という言葉は、何をリードするのか宛先不明なまま使われることが多いと思います。ビジネスにおいても、資金面を担当する、制作を担当する、営業を担当する──ケースバイケースで役割が違うのに、リーダーといえば、漠然と「賢者風リーダー」をイメージしてしまう。極論かもしれませんが、自分がリードしたい宛先、自分と他者がいっしょになって何をしたいのかがはっきりしていれば、今日からあなたはリーダーなんです。それでビジネスが上手く回れば、みんなハッピーじゃないですか。

──確かにそれが、これからの組織の理想像かもしれませんね。

長尾 会議とか大きな規模ではなく、まずは隣の人、身近なところで話して、みんなで共感を育んでいけばいいと思います。それは、先述でも触れていますが「完璧なリーダーでなく、愉快なリーダーを目指そう」という思考です。たとえば「『宇宙兄弟』の六太」をはじめ、「『釣りバカ日誌』のハマちゃん」「『スターウォーズ』のハン・ソロ」など、完璧ではないけど彼らがいると上手く回るみたいなリーダー像です。

長尾氏

──とてもわかりやすいですね。では、そんな組織を作り出すために、自分がリーダーなるために、明日からできることはありますか?

長尾 うーん。定時になったら率先して帰ってしまう、というのはどうでしょう。難しいと思いますよね? でも通常業務内で仕事をマネジメントするのは上司の責任、それで成果が出ないのだとしたら社長の責任。どんどん帰ろう(笑)。もちろん、その仕事をしたいのであれば残業すればいいですし。

また、やりたくない仕事を与えられたら、「私はこの仕事はやりたくないです」と伝えてみましょう。もちろん、ただ「やらない」と言うだけでは、「何をしに会社に来てるんだ」ということになってしまいますので、「もっと違うやり方でやりたいです」と、自分が正しいと思う方法を伝えるのです。

あなたのその行動に対して「それは違う」という反論が、どこかから来るかもしれません。その時は、そこで話し合って擦り合わせていくべきです。「私はこう思って動くけれども、もっといい案があるなら教えてください」と。上司は困るかもしれませんが、上司だって部下の対応に困ってしまう経験があると成長できるんです。上司が成長すれば組織が成長します。先ほども話したとおり、その「話し合う」プロセスをみんなで持つことが重要です。そうやって、お互いが上下関係なく、その人にしか発揮できないリーダーシップをとっていくことこそが、これからの組織において大切なことなのです。

TEXT:杉浦美恵

長尾彰(ながお・あきら)

株式会社ナガオ考務店代表。組織開発ファシリテーター。様々な組織・集団がグループからチームに進化・成長するための促進を始め、事業・商品開発やサービスデザインの支援など、目的に応じた多様なアプローチで組織開発を実施している。株式会社ナガオ考務店代表取締役、学校法人茂来学園理事ほか、複数の法人の経営にも携わる。

今年後半には利用可能に! 「革命的気象予報」で何が変わる?

天気は、私たちの生活と密接に関わっています。
たとえば朝、出社前にゆっくりニュースをみる余裕はないけれど、とりあえず天気予報だけはチェックして出かけるという人は少なくないでしょう。帰宅時間に雨の予報だから傘を持って出るべきだとか、夜から大雪になるので早めに帰宅しようとか――その日の行動が天気の影響を受けるのは日常茶飯事です。

同様にビジネスシーンにおいても、天気はもちろん、さらに広範囲で長期間の大気状態である「気象」は、業績へ多大な影響を与える外的要因になりえます。
農業や漁業が猛暑や豪雨などの気象条件に左右されるのは想像に難くありませんが、身近なところでは小売業での客足に影響するでしょうし、公益企業は停電などに備えた人員配備を行う必要があります。また、航空会社は、大気の状態が悪ければフライトを運休・遅延せざるをえなくなり、保険会社は、自然災害の可能性が高くなればその後の対応を検討しておくべきでしょう。

世界中に最も正確な気象予報を提供するGRAF

気象によるリスクに備えたり、回避したりするために必要な気象情報を得る強力な武器が、気象予報システムです。特に近年は、猛暑や極寒、激しい雷雨など局所的な異常気象が頻発するようになり、世界各地の正確な気象予報に対するニーズはより高まっています。

「アイ・ビー・エム(以下、IBM)」とその子会社のThe Weather Companyが2019年1月に発表した新たな気象予報システムは、このような期待に十分に応えるものだといえるでしょう。
IBMグローバル高解像度大気予報システム(GRAF)と名付けられたこのシステムでは、世界中の大部分の予測解像度が既存モデルと比較して約200%改善されます。日本および米国、西ヨーロッパなど限られた地域以外での気象予測が12~15km四方で行われていたこれまでに対し、GRAFでは3km四方と高解像度化され、雷雨や干ばつのような局所的事象であっても世界規模で予測できるようになります。

GRAFを支える最新のテクノロジー

GRAFは、これまで利用していなかった飛行中の航空機が収集するデータや、世界中に設置された何百万もの気象観測装置のデータを気象予測に使用します。また、規約などが整えば、スマートフォンの気圧センサーが取得したデータもGRAFで活用することができるため、世界各地の人々が自分のスマートフォンを通じて気象予報システムに貢献する可能性もあるのです。

このようにして集められるデータは膨大な量となり、現存する多くのスーパーコンピューターをもってしても容易に処理することは困難です。けれど、GRAFは先進的なIBM POWER9プロセッサー(※)を使用することでこれを可能としました。

GRAFのシステムは、2019年後半には世界中で利用可能となる予定です。アプリやサイトを通じて、世界中の人や企業が、より正確な気象予報へアクセスできるようになるのです。
GRAFが、ビジネスに、そして個人の生活にもたらす恩恵は計り知れないものとなるでしょう。人類の最大の脅威ともいえる気象の行方を正確に「読む」力を手に入れることで、私たちはこれまでよりもずっと良い形で自然と共存していくことができるようになるのかもしれません。

※ IBM POWER9プロセッサーは、旧世代製品(IBM POWER8)と比較して最大1.5倍ほど処理能力が向上しています。2018年に世界最速のスーパーコンピューターと発表された米国オークリッジ国立研究所のSummit、および2位となった米国エネルギー省のSierraにも、このIBM POWER9が使われています。

photo:Getty Images

インドビジネス、やるのは今でしょ。――「成功の方程式」が見つかるのを待っている企業からは、ビジネスチャンスは逃げて行く。

インドはアジアにありながら、日本人にとっていまだ遠い国である。しかし、人口は中国に次ぐ約13億人。2030年には中国を抜き世界1位になるといわれる。しかも国民の平均年齢は25歳と若い。GDPは現在のところ世界6位だが、2050年には2位に躍進すると見られている。
そのインドに進出する企業のために、ハンズオンでの事業開発を行う起業家として活躍する日本人女性がいる。株式会社インフォブリッジ・ホールディングス・グループ代表取締役の繁田奈歩氏である。デリーに拠点を置き、日本をはじめアジアの多くの企業のインド進出をサポートしており、日本の経済界のみならずインドでも評価が高い。
インドの人口構成はピラミッド型で、豊富な理系人材に恵まれている。先行する欧米企業はIT、自動車、金融、医療等さまざまな業界の大手企業がこれらの人材リソースの活用を視野に研究開発拠点をインドに置くが、まだ日本企業の存在感は薄い。
繁田氏は「ハードに強い日本とデジタルに強いインドが手を組めば、製造業の未来を握ることができる。インドは中近東やアフリカ進出の足掛かりにもなる。ここで後れを取ってはいけない」と強調する。
東大在学中からインドをバックパッカーとして放浪し、インドビジネスを手掛けて20年近い繁田氏に、日本とインドのパートナーシップの在り方や課題について伺った。

大金持ちも貧困層も、ヒンズー教もイスラム教も混在する多様な国、インド

――繁田さんはコンサルタントとして今どんな仕事をされているのか、具体的に紹介していただけますか。

繁田 日本はこの先人口が徐々に減り、経済成長率も右肩下がりです。日本企業が価値を高めるには、海外との取引を伸ばすことが大切です。なかでもインドは近い将来、中国を抜いて世界1位の人口になります。日本企業にはインドをもっとしっかり見てほしいと思います。日本人にとってインドは遠く、イメージもカレーや宗教、人口の多さ、特に貧困層の密集したカオスな風景などに偏っていますが、実際は大金持ちもいれば貧困層もいる。宗教もヒンズー教、イスラム教と多様な世界です。
そんな多様性にあふれ、日本人から理解しようとするとなかなか難しい市場であるインドに、日本企業が進出しやすいように一緒に事業を創り上げていくのが、私の仕事です。

インドの街中

当社は2006年にインドの市場調査を始め、2008年には現地の調査会社と資本提携しました。彼らと一緒に、「インドの業界構造はどうなっているか」「どんな階層の消費者に、どういったニーズがあるか」など、インド市場を理解するための調査を行うことを最初の事業として始めました。市場が分からなければ手の打ちようもないからです。
市場調査をしているうちに、「市場は分かったけれど、どのように事業を立ち上げていけばいいのか分からない」というニーズが増えてきたので、事業開発をサポートするビジネスを立ち上げました。ビジネスパートナーを探したり、PoC(Proof of Concept)プロジェクトを回して成功法則を見つけたり、一緒にインド企業と交渉したり、チーム作りしたりします。
3つ目はちょうど今立上げをしているのですが、人材ビジネスです。日本で不足している理系人材を日本企業に紹介する仕事を皮切りに、日本人人材の育成や日印共同での新しい産業やデジタリゼーションに活躍できる人材を育成したいと考えています。インドでは毎年2000万人が生まれ、大学進学率は15%で、毎年300万人が大学を卒業します。約半分の150万人が理系ですが、毎年150万人もの理系人材の雇用はインドではできません。一方で日本は人材不足が言われている。そこで、日本企業にマッチしそうな優秀な人材を選ぶため、ハッカソンやワークショップなどを通じてスクリーニングを行い、日本企業に紹介するようなプロジェクトを始めました。

――インドの農業や食に関するプロジェクトにも取り組んでおられると聞きました。

繁田 インドは世界有数の農業大国ですが、ミドルクラスの増加とともに食生活も変わりつつあります。一方で農業にはまだまだ多数の課題があり、更にミドルクラスが増えて食生活が変わると、需要側に合わせて供給側も変わっていく必要があります。2017年に孫泰蔵さんの起業支援会社ミスルトウ(Mistletoe)と、インドのアクセラレーターをしているGSFという会社、当社の3社でガストロトープ(Gastrotope)という会社を作り、農業や食に特化したスタートアップ・エコシステムの運営を始めました。企業の事業開発を一緒にやるという立ち位置から、自ら事業を運営するというところに飛び込んだということです。

ガストロトープにおいて、州政府とMOU締結時の写真

ガストロトープにおいて、州政府とMOU (Memorandum of Understanding:基本合意書)締結時の写真


ガストロトープのスタートアップ・アクセラレーション・プログラムの会議中

ガストロトープのスタートアップ・アクセラレーション・プログラムの会議中。 左から4人目が繁田氏。

もう1つ、アグリフィンテック・スタートアップの役員もやっています。カンボジアからスタートした会社ですが、バーチャルな農協を創ろうというコンセプトから始まり、農家を束ね、営農支援から農業資材の共同購入、またそこに必要な資金の供給を一気通貫で行うモデルです。カンボジアの人口は約1600万人ですが、インドは1つの州だけで5000万人以上の州がいくつもあります。そこで、大規模に事業展開できるインドに来てもらうことにしました。

インドの平均年齢は25歳。中国に10年遅れて経済発展

――モディ首相が2014年に登場して以来、インドは7%前後の経済成長を続けています。欧米の調査会社のリポートは、2050年まで平均5%前後の成長が続くと予想しています。実際に現地で事業を展開されている繁田さんからご覧になって、インド経済の強さの要因はどこにあるとお考えですか。

繁田 第1に13億人という人口の多さですね。同じ人口大国の中国はインドより10年ほど早く経済発展しましたが、インドはこれから発展する国です。おまけに国民の平均年齢は25歳と若い。夢いっぱいの人たちがたくさんいます。
世界の多国籍企業を見ると、グーグル、マイクロソフト、ペプシコをはじめインド人のトップが大勢おり、シリコンバレーのスタートアップにはインド人が必ず1人は加わっています。英国では外科医の4割、NASA(米航空宇宙局)も研究者の4割はインド人。インド人は世界中にネットワークを張って生きています。
社会が多様な人たちの集まりなので、インド人は立場が異なる人たちとコミュニケーションを取って話をまとめる力を備えています。宗教が異なったり母語が異なる人たちが一緒に存在するのが当たり前の社会で、ベジタリアンもいればノンベジタリアンもいる。お酒を飲む人もいれば飲まない人もいる。
それでも一緒に楽しい時間を過ごすことが、彼らにとっては当たり前。多様性を受け入れて前に進むコミュニケーションの力が強いのです。

繁田氏

大手IT企業のほとんどがインドに研究開発拠点を設置している

――繁田さんは「今、世界の企業がAIやブロックチェーンを含む先端技術の研究開発拠点をインドに移転している」と述べておられます。インドのIT産業や各国企業の進出状況は、現在どうなっているのでしょうか。

繁田 研究開発拠点の設置については、AIやブロックチェーンといった新しいテクノロジーだけではありません。自動車産業から医療まで、さまざまなイノベーションを目指して世界中の大手企業が研究開発拠点をインドに設ける動きは随分前から始まっています。そんな中でも、ITが強いインドが注目されたのは、「2000年問題」でした。これを機に、インドの企業へのIT産業を中心とする研究開発等が移転されていったのです。また、コールセンターや事務処理といったビジネス・プロセス・アウトソーシングからより高度な開発拠点の設置、さらには研究所や大学との連携を含めた研究開発拠点として注目されるようになってきています。国も政策的に理系人材を育成し、バンガロールやハイデラバードには、グーグル、アマゾン、IBMなど大手IT企業がこぞって研究開発拠点を設け、人員もそれぞれ数千人~十数万人規模で採用していきました。

スタートアップを育成するエコシステムもできています。いい大学を出ていい企業に入るだけではなく、自分で起業する若者がたくさん現れるようになりました。ハードウエアのスタートアップにはお金がかかりますが、ソフトウエアならパソコンと脳みそとマインドセットがあれば、自分の力で起業できます。さらにスマホが低価格化して普及し、どこにいてもネットにつながる環境が整っています。
今すべての産業でデジタル・トランスフォーメーションが進んでおり、自動車、家電、小売り、食品などあらゆる産業がITを必要としています。理系の人材が足りなくなり、世界のさまざまな産業の企業がインドに行こうという動きを加速させているのです。

欧米の大国だけでなく、イスラエルやフィンランド、ポルトガル、韓国もインドの人材やイノベーション・エコシステムとの連携に本格的に取り組んでいます。データ解析を手掛ける「ミューシグマ」という企業は、インド人がアメリカで始めたスタートアップですが、数人から始まって今や数千人の規模に成長したユニコーン(未上場だが企業価値10億ドルを超える企業)です。社員の平均年齢は26歳。顧客は主に「フォーチュン500」に載るようなグローバル企業で、データ解析だけでなく、その企業のデシジョン・メーキング(意思決定)を手助けしています。

繁田氏

インド進出に熱意が感じられない日本のミドルマネジメント

――現在インドに進出している日系企業は全産業合わせて約1500社です。欧米企業と比較すると、少ない感じがします。

繁田 はっきり言うと、少なすぎますね。世界の大企業約1000社がインドにITの研究開発拠点を持っており、ドイツのボッシュ、シーメンス、米国のGEやIBMなどは数千~十数万人単位で雇用しています。日本企業もこの1~2年、だいぶインドに来るようになりましたが、世界第3位の経済大国にしては少なすぎますね。規模感で言うと欧州企業の10分の1ぐらいです。

基本的に日本企業は「インド人と付き合うのは難しい」という感情を持っています。2000年問題の時に初めてインド人と仕事をして、その経験がトラウマになっているという話も聞きます。
「インド人は押しが強い」「しゃべりすぎる」とか言われますが、私に言わせれば、日本人のほうがコミュニケーションは難しい。そもそも日本人は会議でほとんど発言しない人が多い。また、日本人だけに理解できるといったたぐいの前提条件がいろいろあり、インド人だけでなく他の外国人から見ても、日本人は結局何を言いたいのかよく分からないと言います。それが積もり積もってコミュニケーションの断絶を生むのです。

日本企業でもトップは「インドに進出しないと先がない。インドの力を融合させたい」という熱意をお持ちの方が多いです。ところが、ミドルマネジメントの人たちは概してそれほど強い思いを持っていません。上から言われたからやっていると、危機感があまり感じられないのです。
今なぜインドと組む必要があるのか――私たちは日本企業のために、そこをもっと強く打ち出していきたいと思っています。

――インド企業から見ると、日本企業はどんなふうに見えるのでしょうか。

繁田 不思議な人たちの集まりだと思っているでしょうね。意思決定が遅すぎます。10年ぐらい調査ばかりしていて、いまだに決められない企業もあります。「リスクゼロの成功の方程式」が見つからない限り、なかなか踏み切れない。日本人はミドルマネジメントだけでなく、若い人たちも「正解」を探したがり、人と違うことをやりたがらない傾向があるように思います。でも、グローバルビジネスでは何が起きるか予測できず、「正解」などありません。もし間違えたと分かったら、修正すればいいだけです。
日本企業は1度決めたら必ずやり遂げようとするし、事業展開のスピードは速い。一度決めたら迅速にエグゼキューションするところは日本企業の強みです。そのためには、まず飛び込んでみることが大事だと思います。

繁田氏

いちいち本社にお伺いを立てる企業ほど失敗する

――スズキ、ホンダのバイク、ユニ・チャームなど、インドに進出して成功した日本企業の成功のポイントはどこにあるとお考えですか。

繁田 経営トップの方々が強くコミットしている会社は成功しています。殊に、オーナー企業の方が成功しているケースが多いように思います。ユニ・チャームのトップは「インドは重点市場なのでやり切るしかない。全社を挙げてインドを応援しなさい」と部下におっしゃっていると聞いています。
インドビジネスで心が折れるのは、日本企業だけではありません。欧州の企業の方と話をしても、米国の方と話をしていても、インドの人と話をしていてもインドの大変さに頭を抱えている人は多いです。グローバルに事業展開する食品会社ダノンの現地法人の社長は、「3年間はひたすら耐える。5年たたないとブランドは確立できない」と言っていたほどです。
インドは200以上の言語と1600以上の方言があると言われます。大金持ちと極貧階層では、まるで違う国のような多様な社会です。そこにいかに柔軟に対応できるかがポイントです。他の国でうまく行ったビジネスモデルや商品をそのまま持ち込んでもダメで、インド流にアレンジしなければいけません。
日本企業について最近感じることは、「うちは車メーカーだから」「リテールだから」「食品メーカーだから」と定義づけしたがることです。Amazonにしてもリテールであったり物流企業であったり、クラウド提供会社だったりと、特定の定義に自分たちを留めることはしていません。アップルだってサービス事業に乗り出している。自社の強みを見極めた上で、その強みを一番発揮できる異分野にも対応する柔軟さが欲しいと思います。

日本人は基本的に「失敗してはいけない」と考えがちです。日本企業は1回失敗すると、社内でスケープゴートにされてしまいますが、少しこけるぐらいの失敗はどんどんやったほうがいい。
インドビジネスで失敗する企業に共通するのは、「本社にお伺いを立てないといけない」という姿勢です。本社に聞いても、インドの事情など分かりません。本社から海外子会社の数字の未達成をとがめるような管理を何度もされると、現場で必死に戦っている社員はやる気を失ってしまうのです。

インド進出を軸に、その先の中近東やアフリカを展望する

――中国経済が先行き不透明になり、人件費も高くなっています。これは日本企業のインド進出の機運を高める契機になるでしょうか。

繁田 日本企業では事業開発ができるチームは限られているのだと感じています。そのチームは2000年代半ばに中国進出を、2010年代にはインドネシアやマレーシアなど東南アジアを手掛けました。東南アジアが一段落した今、じゃあ次はインドをやろうかという段階だと思います。実際、私が2004~5年に中国で会った事業開発の人たちと、今インドでよく出会います。事業開発の人材の層が薄い今の日本企業は、複数の国で同時展開ができないところが多い。もしかすると、人材だけではなく他の要因もあるかもしれませんが。

中国から東南アジアへ進んできた日本企業は、次はインドを超えないと、その先の中近東やアフリカへの展望は開けません。経済の波は少しずつ西に向かっています。
中近東の企業のトップはアラブ系の人たちですが、実際に経営を仕切るのはインド人が多いです。アフリカも東部にはインド人が非常に多い。つまりインドを軸にして中近東やアフリカを見るという地域連携がやりやすいのです。国という視点だけでなく、世界中の大都市を繋いでいくことが今後の経済で重要なことだと考えていますが、その視点で見てもインドネットワークをどう活用するかは大事だと思います。
インドの経済規模はこれから大きくなるので、インド市場のパイが取れないと、日本の先行きは本当に大変なことになると思い心配しています。

繁田氏

インドは日本と組みたがっている

――かつて中国に進出した日本企業は、輸出基地にすると同時に市場獲得の狙いがありました。インドの場合はどのようなメリットが考えられるのでしょうか。

繁田 インドの巨大市場と成長性は大きな魅力ですが、インドは何よりデジタル化の人材の宝庫です。モノづくりのデジタル化を進めたい日本は、インドのデジタル化の人材を活用すべきなのです。もしインドで人材を採れなかったら、今後のデジタル化の進展は期待できません。
一方、インドはすり合わせのようなモノづくりのノウハウが乏しい。そこでハードに強い日本と、デジタルに強いインドを融合させれば、ともに強みを発揮できるようになります。
日本がそれをやらないと、ドイツやフランスの製造業がますます入ってきて、日本は駆逐されるでしょう。それどころかインドの人たちも深圳から格安のセンサーや機器を調達して、自分たちなりのIoT等を作ってしまうでしょう。ここまで状況的に苦しい状態にあるにも関わらず動きが遅い日本企業を見ていると、正直なところじれったい限りです。

インドは日本と組みたがっています。知識人たちは第2次世界大戦の敗戦から世界第2位の経済大国に成長した日本に尊敬の気持ちがあります。8月の原爆投下の日が近づくと、インドの知識人の方々と話をしていると必ずその話題が出ます。インドは戦勝国だったので、原爆投下の責任はインドにもあると考えるのです。
日本人とインド人はメンタルの面でも近い。ヒンズー教にはいろいろな神様がいますが、日本にも自然信仰の八百万(やおよろず)の神々がいます。インド人は日本に文化的な親近感を持っているのです。

繁田氏

これは面白いと思ったらまずやってみて、1度しかない人生を楽しむ

――最後に、普通の大学生だった繁田さんが、どういう経緯でインドにこれほど関わるようになったのでしょうか。

繁田 大学生のころ海外志向はありませんでした。在学中に一度くらい海外に行きたいと思い、近所の旅行代理店に行ったところ、「インドなら学割があるよ」と言われて、それにしたのです。英語が得意ではなかったので、欧米を旅行する気は最初からまったくありませんでした。バックパッカーの独り旅です。その後もインドに行くようになり、3年間インドで旅行会社を作ったりしました。

でも、大学だけは卒業しておこうと帰国し、なんとか卒業をしました。その間、日本でも渋谷でベンチャーバブルのようなことが起きていた頃に、オンラインリサーチのベンチャー企業の立ち上げに加わり、その後同社の海外展開として中国プロジェクトを担当して中国支社を立ち上げました。
その会社がヤフーに買収されたのを機に退職し、インフォブリッジを創業しました。当時の井上雅博・ヤフージャパン社長から「やるなら1番を目指さなければだめだ」と言われたことが、今でも頭に残っています。それならどこで勝負をするか。進出企業が2万社もあって今さら1番になれそうもない中国ではなく、当時日系企業が170社しか進出していなかったインドでチャレンジしてみようと思ったのです。

日本の大学生たちと話すと、「繁田さんはなぜ新しいことばかりやるのですか」という質問が来ます。私が「なぜ新しいことをやらないの?」と聞き返すと、「別にやりたいことはない」という返事です。
インド人は「人生を楽しめ」と言います。日本人はまじめに計画を立てますが、果たして何のために計画を立てているのか。
小さなことでも「これは面白い」と思ったら、まずやってみる。たった1度しかない自分の人生です。チャレンジしながら面白がって生きていきたいですね。

TEXT:木代泰之

繁田奈歩 (しげた・なほ) 

株式会社インフォブリッジ・ホールディングス・グループ 代表取締役 1975年愛知県生まれ。2000年東京大学教育学部卒業。大学在学中からインドでバックパッカー向け旅行会社の設立や、インフォプラント(現マクロミル)の設立に携わる。2002年にインフォプラント社取締役に就任。同社海外担当取締役として中国子会社を立ち上げた後、2006年に独立し、株式会社インフォブリッジ・ホールディングス・グループを設立、CEOに就任。現在はインフォブリッジ・グループの代表として、インドでのマーケティングリサーチ、ハンズオンでの事業開発やプロジェクト企画などを手掛け、国内外の企業のインドでの事業展開を支援。2017年、ガストロトープ起業。現在、デリー在住。 著書に『デリー勤務を命ず--辞令が出たら読むビジネス版インドの歩き方』(日経BPコンサルティング 2015)がある。

世界を制した日本人――次世代型AIに求められる性能を探れ!

ビジネス、金融、医療など、さまざまな分野で人工知能(以下、AI)の本格活用が進む昨今、複雑で変化の激しい現実環境に柔軟に対応するために、より高度なAIが求められるようになってきています。
そんな中、2018年12月に開催された、世界的権威のある人工知能研究者の国際会議「NeurIPS」において、「Pommerman」と呼ばれるゲームを利用した興味深いコンペティションが開催されました。

AIを駆使してPommermanを攻略せよ

Pommermanは、AI同士を競わせる、コンペティション用のゲームです。
基本的なルールは、11☓11のマス目を描いた盤面上で2対2のチーム戦、合計4体のエージェントが「左、右、上、下、静止、爆弾設置」のいずれかの行動をとり、設置してから10手先で爆発する爆弾を使って、敵や障害物を破壊しながら生き残りを目指すというものです。エージェントは、競技者が開発したAIによって動かされ、勝敗を競います。

AIが把握できる盤面の状況は、自分のエージェントを中心とした一部分までで、全ての盤面情報を知ることはできません。さらにやっかいなことに、敵味方4体のエージェントの動きや、設置した爆弾の爆発によって盤面は時々刻々と変わっていってしまうのです。
このように状況を俯瞰して予測できない環境にくわえ、次の一手を考えるための時間は0.1秒しか与えられていません。設置する爆弾が爆発する10手先までの全パターンを考慮してエージェントを動かすようなことは事実上不可能なのです。

これは、今までにAIが功績を残してきたチェスや囲碁などのゲームと比較しても、はるかに難易度が高く、人間の生活に近い状況とも考えられます。たとえば車を運転していて、ボールが転がってきたら次に子どもが出てくるのではと推察しブレーキを踏む。フラフラしている自転車が前を走っていたら、急に倒れてくるのではと考え避けるための行動を準備する――。

人間は、単純な因果関係からは導き出せないことを無意識に予測し、さまざまな可能性をシミュレーションして、瞬時にアクションを決定しているのです。
そして、このような「瞬間的な予測と決定」という行為は、現実社会のさまざまな問題に対応可能な、次世代のAIに必要な要素と言えるでしょう。

IBM東京基礎研究所メンバーがPommermanコンペティションで1位&3位を獲得!

2018年のNeurIPSで開催されたPommermanコンペティションでは、IBM東京基礎研究所のメンバー2名、高橋俊博氏が優勝、同じく恐神貴行氏が3位入賞という見事な成績を収めました。

両氏は、Pommermanの本質が「居場所の奪い合い」であることに着目しました。しかし、ルールに照らしあわせると、チェスや囲碁のように、多くのパターンを検討して最適な一手を導き出すことはできません。そのため、敵は「上下左右に移動するのではなく上下左右に分裂できる」というルール以上の能力を持つと仮定した悲観的なシナリオから、次の一手を導こうと考えたのです。また、両氏が思考や手法などの開発過程を全て共有し、ともに切磋琢磨していたことも勝因の1つと言えるでしょう。

今回のアルゴリズムはまだ現実世界への適用段階にはありませんが、「不確かな状況下においても瞬時に解を導き出す」アプローチは、これからのAIの可能性を広げたことに間違いはなく、たとえば自動運転などにも役立つと考えられています。

「ゲームのコンペ」という、一般的にはどこかほのぼのとした印象を受ける話題の中で、これからの世界を大きく変えるかもしれない先進的テクノロジーが育とうとしています。今回、価値ある一歩を刻んだ高橋氏と恐神氏、そしてコンペティション参加者の方々に、あらためて大きな拍手を送ります。

photo:Getty Images

「失敗してもいい仕事」? ボードゲームが日本のHR領域を変える!

ゲームと言えばまず、デジタルデバイスが思い浮かぶが、そんな中で近年注目を浴びているのがアナログなボードゲームだ。ボードゲームデザイナーの宮﨑雄氏によれば「ボードゲームの良いところは相手の顔を見ながらプレーができる点」だという。

プレーヤーの心理や感情が勝敗や結果を左右するボードゲームは、実はビジネスとの相性もいい。とくに採用や人事などのHR領域において、座学や従来のOJTにはない効果があると評価され、研修やワークショップ、社内コミュニケーションのツールとして導入する企業も増えている。国を挙げて働き方改革が提唱されているいま、「仕事や勉強がゲームみたいだったら」と語る宮﨑氏の取り組みを紹介する。

ボードゲームなら安心して失敗できる

――ボードゲームを自分で作るという発想はなかなか生まれてこないと思いますが、動機は何だったのでしょう。

宮﨑 2016年の5月に、たまたま「ボードゲームを自作しよう」というワークショップがあったんです。好奇心から参加してみたら自分と同じような人が何人もいたので、参加者同士で集まって「東京ゲームメイカーズ」というサークルを作りました。そこからボードゲーム作りを始めたわけですが、この時点ではあくまでも趣味でした。

しかし、あるときウェブ上に「ボードゲームの説明書に学ぶ、「伝わる」引き継ぎ資料の作りかた」といった記事を書いたら、思いのほか反応がよかったんです。世の中でも「ゲーミフィケーション」というキーワードが流行り始めていたときだったし、これは、将来もっと多くの人に受け入れられる考え方なんじゃないかと思いました。

そこで企業の研修などについて調べてみると、ゲームにできそうなコンテンツがかなりあった。最近はワークショップも盛んだし、それこそゲームみたいに楽しんでやることができればいい学びの機会になるだろう――そうやって考えていくうちに、自分の中で自然と事業化という流れができていったような気がします。

――実際に事業化されたのは2018年6月に株式会社バンソウを起業されてからですね。

宮﨑 そうです。バンソウの社長の東郷源さんとは社会人の交流会で知り合って以来、ときどき食事をしたりボードゲームをしたりする仲でした。2017年に、「起業するが、誰か一緒にやってくれる人が欲しい」といったお話をされて、「僕もボードゲームで勝負してみようと思っていたところなので」と、2018年の5月に当時勤めていた会社を退職して、2人で新会社を設立しました。会社といっても何もかも一緒にやるわけではなく、東郷さんはサービスデザイナーとしてウェブサイトの構築や設計、それにアーティストのキャリア支援、ワークショップの企画などを、僕はボードゲームの制作や編集、ライティング業務など、まずはお互いの得意分野からスタートしました。

ボードゲームに関しては、企業の社内研修やレクリエーションや採用コンテンツの企画・制作・運営、ボードゲーム作りのワークショップ、オリジナルゲーム制作の監修などを事業にして、この他に一般向けのゲームの企画や制作も行っています。

宮﨑氏

――会社を立ち上げられて、この1年近くの間にHR領域ではどのような仕事をされてきましたか。

宮﨑 あるゲーム会社では、年に1回、200人の社員が集まる全社会議で使うコミュニケーションゲームを制作させていただきました。チーム対抗で制限時間内にたくさんのパズルを解くゲームで、コミュニケーション力が要求されるような内容になっています。2019年の1月に開催された全社会議では社員のみなさんから大変好評だったと聞いています。

また、あるメーカーからは、1日インターンの際に使える、自社の情報を織り込んだゲームが欲しいというご要望をいただきました。他にも進行中の企画がいくつかあって、たとえばコンサルティング企画企業からの依頼で、起業を体験できるゲームも制作中です。「起業」と言うと楽しいことも多いけど、実際には面倒なことや辛いこともとても多い。それは僕も経験しました(笑)。ゲームのなかで事業計画書をつくったり、プレーヤーに政策金融公庫役を置いたりして実際の流れを味わい、そこで失敗を経験してもらうことで、「起業するのは大変だ」ということを学べるゲームにしています。

――つまり、本番では失敗は許されないけれど、ゲームなら失敗しても大丈夫ということですね。

宮﨑 そこがボードゲームのいいところです。企業の研修にしても、従来のOJTだったら「これは研修だ」とわかっていても、実際に業務に携わっていると評価につながってしまうのではないか、あるいは会社の業績に悪い影響を与えてしまうのではないかという思いが邪魔をして萎縮してしまい、なかなか失敗ができない。しかし、ゲームであれば安心して何度でも失敗することができます。あとはその経験をどう生かすかなのです。

「面倒くさい」ものこそ新たな出会いのチャンス!

――宮﨑さんは一般向けに「トポロメモリー」というオリジナルゲームも制作、販売されています。実際に新しいボードゲームを作るときは、どこから着想を得られているのでしょう。

宮﨑 まずは、テーマを見つけることから始まります。たとえば、トポロメモリーの元ネタになっているのはトポロジー(位相幾何学)です。トポロジーは数学の概念のひとつで、簡単に言うと図形を「構成するパーツの数」と「穴の数」だけで区別するという考え方です。たとえば穴の空いたドーナツだったら、パーツはひとつながりだから1個、そして通っている穴も1個。ではコーヒーカップはというと、これもパーツとしては1個で、穴も取手の部分に1個空いているだけ。よってドーナツとコーヒーカップは同じ図形である、という考え方です。僕がこの概念に出会ったのは、科学雑誌『ニュートン』の特集記事がきっかけです。トポロジーはあまりメジャーな概念ではないけれど、「これはゲームに使えるな」と直感が働きました。

トポロメモリー

宮﨑氏が制作したボードゲーム「トポロメモリー」

「トポロジー的に同じ図形」の組み合わせ

「トポロジー的に同じ図形」の組み合わせ

「トポロメモリー」はこうした図形をカードにして順々にめくっていき、同じ図形を見つけたら両方のカードを手で押さえて取るゲームです。カルタと神経衰弱を合わせたようなイメージで、小さいお子さんからお年寄りまで誰でも楽しむことができます。

ゲーム作りにコツがあるとすれば、こんなふうにテーマを見つけることでしょうか。まずはおもしろそうなテーマを見つけて、それを他の人にもおもしろがってもらうにはどんな手法を組み合わせればいいかを考えます。トポロジーがテーマだったら、そこにカルタや神経衰弱を合体させてみる。新しいものや珍しいものを理解して楽しんでもらうには、結局、そこに既存のわかりやすい手法を組み合わせるのがいちばんなんです。そのためにもボードゲームデザイナーは、常に自分の知らない分野に対してアンテナを立てておく必要があります。

――アンテナを立てるという部分で、日常的に何か心がけられていることはありますか。

宮﨑 こうした活動をしているとイベントなどに呼んでいただく機会が多いのですが、そういうとき反射的に「面倒くさいな」と感じたら、それはチャンスだと見なすことにしています。なぜ「面倒くさい」と感じるのかというと、きっと脳に負担をかけて新しい情報をインプットしたりすることが面倒くさいのです。逆に言うと「面倒くさい」という反応は「自分が知らないことに出会えるサイン」とも見なせる。実際、おもしろいことに出会えるのは面倒くさいなと感じたときなんです。明らかに自分にとってデメリットになるとわかっているものは別として、どうなるかわからないようなものなら積極的に飛び込むようにしています。

宮﨑氏

――企業向けのゲームをデザインされる際はどのような発想で考案されているのですか。

宮﨑 基本は一緒ですが、企業相手だと最初からテーマや目的がある程度絞られていることが多いので、構想は立てやすいですね。例えば先ほどのゲーム会社だったら、「全社会議で使う」というテーマがある。そこに「チームでの役割分担の重要性を学べる」「コミュニケーションが生まれる」「200人が1時間程度で遊べる」「その会社らしさがあるもの」「運営負荷が小さくなるもの」などの目的や条件を出していただいて、ゲームを作りました。もちろん、お客様によっては「研修で使ってみたい」といったふわっとしたオーダーもありますから、そういう時は徹底的に聞き取りをしてテーマと目的を明文化させます。

――HR領域には以前から興味がおありだったのでしょうか。

宮﨑 学生時代に経験した人材サービス会社でのアルバイトが影響しています。もともと漫画が好きで、学生の頃はコンテンツができるところに編集として関わりたいと思い出版業界を志していたので、アルバイトと並行して出版エージェントでインターンもしていました。そして、出版業界か人材業界がおもしろいと考えて就職活動をした結果、ご縁があったのが人材紹介会社でした。就職後は障害をお持ちの方専門の人材サービスを提供している特例子会社に出向して、採用や新規事業の開発に携わっていました。

――大きな会社に就職されたわけですが、当時から起業を考えていらしたのでしょうか。

宮﨑 まだ考えてはいませんでしたが、起業家精神のようなものは学生時代からなんとなくは持っていました。インターンをしていた出版エージェントはベンチャー企業で、僕が入った当時はまだ設立から数年といったところでした。そこでいろいろな物事を見ていると「あ、そこまで自分で決めて動いていいんだ」という、ベンチャー企業のよさに触れることができた。これが大きかった気がします。その後会社員をしながら副業でライターもやっていたのですが、その記事を読んでくれていた知り合いの方に声をかけていただいて、1年で転職します。そこでは編集やライティング業務の他にも総務など、ベンチャーなのでなんでも担当していました。ボードゲームを自分で作り始めたのもこの頃のことです。

現在制作中の「トポロメモリー2」

現在制作中の「トポロメモリー2」

ボードゲーム開発はイノベーション

――それにしても、デジタル全盛のこの時代にアナログのボードゲームがこれだけ受け入れられていることには驚きもあります。

宮﨑 僕は、ボードゲーム開発はイノベーションだと捉えています。いろいろなアイデアの組み合わせを考えていくと、実は「ゲーム×〇〇」というものはまだ全然開発されていないブルーオーシャンなんですね。いまはそのゲームをHR領域という分野に掛け合わせ始めたといった段階です。

それと、同じゲームでもデジタルのゲームとボードゲームはそもそもジャンルがまったく違います。デジタルのゲームが読書のように個人で没頭するものであるのに対し、ボードゲームはゲームを媒介にその場にいる人と関わるものです。誰かと遊ぶことで思わぬ会話が生まれたり、普段は見えない表情が見えたり――そういうインタラクティブなところがボードゲームの魅力です。

実際、ボードゲームにはその人の性格がよく出ます。プレーヤーを観察していると、負けず嫌いなのか、論理的思考をする人なのかという部分から、相手のことをどう思っているのかといったお互いの関係性まで見えてくるのです。そこから人事評価もできるかもしれない。もちろん、よい点も悪い点もあるのですが、「ここでこういう行動を取るということは、こういう傾向にありますよ」といった評価ツールの一種として提供することはこの先必要になってくると感じています。

いずれ、そのデータを数値化してAIも組み込んでみたいですね。プレー中の振る舞いをセンサーで計測したり、バイタルを取ったり、脳の動きを見たり――そうすると可能性がより広がるのではないでしょうか。

TEXT:中野渡 淳一

宮﨑雄(みやざき・ゆう)

ボードゲームデザイナー/株式会社バンソウ 取締役
1992年、東京都生まれ。早稲田大学文化構想学部卒業。同大在学中に出版エージェントの株式会社コルクにインターンとして在籍。2015年、株式会社インテリジェンス入社。特例子会社の株式会社フロンティアチャレンジに出向、人事や新規事業開発を経験する。2016年より株式会社情報工場にて、編集・ライター業務に従事。2018年6月、株式会社バンソウを起業。現在、ボードゲームデザイナー、編集者、ライターとして活動中。

アニコムの小森代表取締役が挑む「予防型保険」の未来像とは?――ペット保険「国内シェア、ダントツNO.1」の創業者に聞く。

少子化に並行して到来した日本のペットブーム。今や15歳未満の子どもの数より犬猫の数が大幅に多くなった。
そんな時代に先駆け、ペットが病気や事故に遭い動物病院にかかった時、人間の保険と同様に自己負担分だけ支払えばすむ画期的な「動物健康保険」を開発したのが業界シェアNo.1のアニコム損害保険だ。代表取締役の小森氏が大手損保会社を退社し、独立してまでやりたかったのは、「予防型保険」を創り出すことだった。ペットが健康で長生きできるよう、遺伝子解析や腸内フローラ(細菌叢)の研究を取り入れるなど、日々革新を続ける予防型保険とはどういうものか。自らを「社会実験屋」と呼ぶアニコム ホールディングス株式会社 代表取締役の小森伸昭氏にお話を伺った。

犬と猫のイメージ

これまでなかった新しいペット保険のかたち

――これまでの損害保険は、契約者がいったんかかったお金を全額立て替えて支払い、後日保険会社に申請して、保険で賄える金額を受け取るものでした。御社のペット保険の特徴を教えていただけますか?

小森 当社では、ペットが病気やケガをした際、提携している動物病院で治療を受け、アニコムの保険証を窓口で提示しますと、診療費の3割または5割を支払えば済むシステムを導入しています。
当社は飼い主さんが窓口でいったん診療費の全額を支払い、後日保険会社に請求していたそれまでの仕組みを、病院がまとめて保険会社に請求ができるようにし、さらにはアニコムと動物病院の顧客管理を連動するシステムを開発しました。病院の負担をなくしたことで、今では全国約6,400、国内動物病院の半数以上と提携しています。
飼い主さんは急な出費に悩まず安心してすぐに病院に連れて行くことができますし、動物病院からすると、多少の保険金請求業務で、アニコムのペット保険に加入しているペットたちの、いわば「かかりつけ病院」となることができますので、双方にメリットがあります。
また、ブリーダーやペットショップにも代理店としてアニコムの保険を扱ってもらうことで、喜んでいただけるサービスを行っています。動物は環境が変わると病気やケガなどをしやすいため、最初の1カ月間は「100%の補償」といった商品を提供しています。その結果、「お客様からのクレームも減り、安心してペットを売れるようになった」と喜ばれています。
こうして飼い主さん、動物病院、ブリーダーやペットショップのすべてに喜んでいただき、おかげさまでアニコムのペット保険は、現在約75万頭のご契約をいただくまでになりました。

アニコムのペット保険は、通院・入院・手術で受けた診療費を補填(ほてん)するフルカバー型商品で、補償割合が70%と50%のプランがあります。現在、対象となる動物は15種。哺乳類、鳥類、爬虫(はちゅう)類なども含め、多様な種類を取り扱っています。

小森氏

――これは大変画期的な試みですね。人間の保険治療の点数制度と同様、この治療にはいくら、その処置にはいくらといった金額の標準化を行ったのでしょうか?

小森 それはあえて行いませんでした。日本の医療には競争原理がありません。ここに疑問を投げかけ、新しいことに挑戦しようと思いました。人間の医療には、内科、外科、耳鼻咽喉科、眼科、脳神経外科などのように、専門医がいます。しかし、獣医師は基本的には全科診療を求められていて、全ての動物種の病気、ケガを診なければなりません。病気、医療機器、薬などの知識をすべての動物について持たなくてはならないのです。これはほぼ不可能ですよね。得意不得意の分野もありますから、獣医師の技術や治療方法によって金額が違っていいのではないでしょうか。この動物、この病気だったら、この病院というカテゴリー分けができたら、選ぶ側にも非常に有益だと思います。病院側もすべての動物の病気に対応していたら、設備投資もたまったものではありません。
動物の目の治療実績が豊富な病院、鳥の治療実績が豊富、爬虫類の治療実績が豊富など、特性を活かし、なるべく自由な競争をすることで、動物医療経済を活性化できるのではと考えています。最低限のところには縛りがあってしかるべきですが、プラスアルファの部分には、自由競争を入れることで医療経済が格段に変わり、正しく回るのではということを実証したくて、保険治療の点数制度を導入しませんでした。

その代わり、病院での治癒効率や、入院日数、おおよその診療費などの統計データを徐々に公表しています。それによって、皮膚の病気だったらこの病院の治癒率が高いからここへ行こう、という流れになりますよね。この症状であればこの期間この薬を出す、その時の平均診療費も公表していく、そうした仕組みを作っていこうと考えています。

犬と猫のイメージ

――そうした情報開示がこれまでされていなくて、ペットの飼い主さんは病院で提示されるままの金額を支払ってきたということでしょうか?

小森 ペット業界は、真の意味での品質保証が公に開示されていない珍しい業界だったと思います。人間の病院は診療科目が分かれていますので、その病院で対処できなければ紹介ネットワークがあり、専門医を紹介します。しかし、動物病院の場合、全種・全科診療が基本ですから、この病気に対してはもっと実績があり専門的な病院があったとしても、なかなか紹介が進みません。その病院で本当に正しい処置、投薬がされたのか、治療費は適正だったのか、分からないのです。
これが自動車の損害保険であればどうですか? 保険金支払いには厳しい査定が入り、修繕箇所、修理費が適正かチェックされますよね。これからは、動物の保険もそうあるべきだと思いますし、そうしていきます。

そして、この品質保証の課題は、保険のみならず、ペットフード会社やブリーダー、ペットショップなどペット業界のすべてが関連しているのです。
例えば、犬の交配ですが、狩猟用、愛玩向けなど、特性に基づいて掛け合わせが行われてきました。犬はもともと狼だったわけですが、優しい性格のもの同士を掛け合わせ、人間に従うものを作ってきました。このようにペットは、人間の都合の良いもの同士を掛け合わせてきた歴史があります。近年はそこに、かわいさ優先で、どうしてもブリーダーの近くにいるかわいいもの同士が掛け合わされてしまいます。
実は、「この犬種はこの遺伝病がある」ということの多くは、交配で決まるのです。分かっていながら交配してしまうということもこれまではありましたが、それを回避すれば動物の健康寿命も伸びていくと考えます。

小森氏

健康を自動サポートするナビゲーション・システムを創りたい

――御社はグループ内に研究所があります。そこではそういった遺伝子関連の研究をしているのですか?

小森 疾患関連遺伝子に関する研究を進めています。例えば犬の全ゲノム解析ですが、塩基約24億個を3日間数十万円で行うことができるようになっています。ただ、ゲノムの99%はどの犬でも共通なので、残りの1%を調べれば、その犬がどんな病気になりやすいかが分かるのです。
遺伝子異常を生み出さない組み合わせでブリーディングすれば、遺伝病の発生率を抑えることができます。
全ゲノム解析は数十万円ですが、1%の解析であれば2万円以下で可能です。ブリーダーやペットショップへのこうしたサービスの提供はすでに開始しています。ブリーダーは、掛け合わせとなる親犬を、ペットショップではその子犬の遺伝子検査を行い、その結果を管理できれば、禁忌の掛け合わせをなくすこともできます。
この解析結果をもとに、来年の今頃には、特定の犬種では遺伝病を大幅に減少させることも期待されます。

――遺伝子研究に加えて腸内細菌の研究もされていますね。

小森 遺伝子は変えられない生命の設計図、生き方の指南書です。しかし、遺伝子だけでは説明がつかないことがあります。遺伝病の遺伝子を持っているのに、病気を発症しない個体がいるのです。
そこで、遺伝子への刺激の与え方が影響しているのではないかと考え、腸内細菌に着目しました。
腸内細菌叢(さいきんそう)と疾患の関連について、その多様性が著しく変化することでさまざまな疾患の原因になりえることや、疾患兆候との相関性があることは、人の医療分野においても明らかになっています。短鎖脂肪酸などは本来の遺伝子では作れず、腸内細菌が産生していることも分かってきています。
また、腸内細菌は、犬と猫とで異なります。犬種によっても異なります。となると腸内細菌はどこから来たのでしょう? 食事、生活環境、運動など外的要因から生まれるのです。腸内細菌を見ることで、病気と健康の間を見える化できるのではないでしょうか。薬やサプリメントに頼らない方法、つまり食事、生活環境、運動の改善を提案することで、まずは犬猫の世界で健康の自動サポートをナビゲーションするシステムを創り、ゆくゆくは人間にも応用できたらと考えています。

小森氏

――遺伝子研究と腸内細菌研究を活用し、ペットの病気やケガを未然に防ぐ予防型の保険を創りたいと思われた経緯を教えてください。

小森 私は大学を卒業後、大手損保会社に入社しました。保険業の本当の役割とはなんだろう、とずっと考えていました。事故が起きたら補填する、病気になったら補填する。でもそれだけでいいのか。できることなら、事故も病気も未然に防ぎたいですよね。保険会社には保険金を支払うたびに集積していく膨大なデータがあります。そのデータを分析することで、未来の事故や病気を予測し、病気や事故を「予防」することを新しい価値として提供していく保険会社を創りたいと思ったのです。つまり、「もしも」に備えると同時に、「もしも」を未然に防ぐ保険を創りたいと。
20年前にそれを会社に訴えたのですが、その時は「ちょっと無理があるよね」と言われ、実現できませんでした。それなら起業して自分で創ろうと思い退社したのです。

しかし、保険業は膨大な開業のための資本が必要です。既存の大手が潤沢な資本のもと、しっかりと社会に根を張っており、保険のベンチャー企業はほとんど失敗しています。

私はもともと動物好きの家庭で育ち、弟は獣医師になり、母親は息子たちと犬の名前を間違うほど「ペットは大事な家族の一員」という家庭で育ちました。
そこで、ふとペットの保険はどうかと思いついたのです。弟の賛同もありました。ペット保険自体が日本にはまだあまりなかったですし、病気や事故から未然に守る保険を創りたいという自分の夢、いわば「壮大な社会実験」が、ペット保険の世界でなら実現することができるのではないかと思ったのです。
ところが、世の中は甘くはなくて、初めのうちは加入者がなかなか集まらず資金が底をつき、自殺まで考えた時期もありました。
ペット共済から始まり、ありがたいことに、徐々に拡大してきたため、保険会社になる必要があり、金融庁から保険会社としての免許を得る必要がありました。これは極めて厳しく、気が遠くなるような膨大な書類の提出を必要とする長いレースでした。

小森氏

――そして、今では国内シェア、ダントツのNO.1のペット保険会社に成長しました。

小森 当社では今、提携している約6,400の動物病院からの保険金データを一元管理しています。このため医療費の請求データ、どんな種類の動物がどんな病気や事故に遭い、どんな薬でどう治療されたか、膨大なデータが日々蓄積されています。そこに当社の遺伝子研究と腸内細菌の研究の成果を合わせて、ディープ・ラーニングの解析も使えば、予防型保険が創れると考えています。
遺伝子異常を持たない個体同士の交配で遺伝病リスクをなくし、腸内細菌の状態を見て健康でい続けるためのアドバイスをします。例えば、1月は糞(ふん)を採取、2月は微量採血、3月は尿、4月は唾液、5月は涙、6月は被毛など…。月ごとに検査すれば、どんな生活をしているのか、どんなご飯を食べ、どれだけ運動しているのか、皮膚病や糖尿病などの兆候はないかなどさまざまなことが分かります。
判定結果によって、提携動物病院で健康診断を受けてもらう。アニコムに入ったら病気やケガをせずにすんだ、それどころか若がえったというようにしたいと思っています。物言わぬペットと会話ができるようにしていくのが目標です。

小森氏

動物への愛から生まれたOne to One コミュニケーション

――定期的な検査を通じて物言わぬペットと会話する、動物に対する愛情を感じます。ペットの写真が入った保険証も、とてもかわいいですね。

小森 自慢の保険証です。飼い主さんによっては写真を撮るのが苦手な方もいらっしゃいますから、こちらで画像を少し加工して差し上げることもあります。時々、加工しすぎだとお叱りを受けることもありますが(笑)。
嬉しかったのは、お客様から、「うちの子、かわいいでしょうと、保険証を宴席で見せたら、他にも持っている方がいて、互いに見せ合ってペット自慢をしました」などの声をいただいたことです。自分の保険証と一緒に、愛するペットの顔写真入りの保険証が財布に並んで入っている、という幸福感を味わっていただいています。

ペットの顔写真入り保険証

――御社のコールセンターもペット愛にあふれているとお聞きしています。

小森 企業のコールセンターというのは、普通、お客様の要望を聞き、迅速にできるだけ短い時間で対応すると思いますが、うちは長さを競います(笑)。できるだけ長くお客様とお話をして、ペットに関する相談事をしっかりお聞きし、それに1つひとつきちんと対応する。それに加えて「ふふポイント」があります。お客様をふふっと笑わせたら1点。お客様に幸せな気持ちになってもらう、そうしたOne to One コミュニケーションを大切にしています。
また当社は、2010年からペットに関する身近なご相談や、アニコムグループ「どうぶつ健保(ペット保険)」の給付実績など、さまざまなデータを掲載した『家庭どうぶつ白書』 を発行しており、Webでも閲覧できます。

――小森さんにとって動物とは、どのようなものなのでしょうか?

小森 親、その親、そしてその親と自分の先祖をずっとさかのぼっていく。どこまでたどれますか?
クロマニヨン人ですか? いえ、私たちの祖先は、バクテリアです。その証拠が遺伝子に記録されています。基本は、全員バクテリア。進化の過程で細胞分裂のミスや、さまざまな突然変異が繰り返されて、魚になったり鳥になったり、犬や牛や馬になったり、私たち人間になりました。でも根底は一緒。だからすべての生き物、動物と通じているのです。だから食べることもできます。タンパク質の基本構造が同じなのです。違っていたらものすごいアレルギー反応を起こしますよ。

さらに、呼吸できるのは、酸素を排出する植物のおかげ。全ての命がつながっていて、コミュニケーションをとっています。「人間」という言葉がありますよね。私は昔からずっと、「人間」と「人」の意味の違いを考えていました。「人間」の「間」には何があるのだろうと思っていましたが、それはコミュニケーションなのだと。「人」と「人」の間には、会話や文字があり、音楽があり、芸術があります。
「人間」という言葉を作った人を超えたい、もっと先を行きたいと思い、最初社名を「命間(めいげん)」にしようと思ったくらいです。「命」と「命」のコミュニケーション、社会を表している良い社名だなと。しかし、社員には受け入れられませんでした(笑)。では、英語にしてみたらどうか。全てのものに命や魂が宿るという「アニミズム」の考え方と、生命と私たちを繋ぐ「コミュニケーション」をコンバインドして、社名をアニコムとし、無限大の価値創造を目指しています。

「ani(命)+ communication(相互理解)= ∞(無限大)」

――無限大の価値創造を生むために、今後どのようなことをお考えでしょうか?

小森 当社グループ全体では、従業員数が約700人、そのうち100人以上が獣医師です。研究所、医療機関もグループ内にあり、世界で一番理系の社員が多いユニークな保険会社だと思っています。その特性を活かし、遺伝子や腸内細菌の研究に加え、現在は再生医療への取組みも始めています。こうした知見を蓄積し進化させながら、将来はペットだけでなく、人間の予防型保険もできたらと考えています。
また高齢社会の先頭を走っている日本において、ペットと一緒に入れる老人ホームなど、いつまでもペットと飼い主さんが一緒にいて健康で幸せに暮らせる環境を構築していくための、壮大な社会実験をこれからもご提案していきたいと思っています。

TEXT:栗原 進

小森伸昭(こもり・のぶあき)

アニコム ホールディングス株式会社 代表取締役、アニコム損害保険株式会社 取締役 1969年兵庫県生まれ。京都大学農学部へ入学し、3年次に経済学部へ転部。1992年経済学部卒業。同年東京海上火災保険株式会社(現東京海上日動火災保険)入社。1996年経済企画庁出向。2000年株式会社ビーエスピー(現アニコム ホールディングス株式会社)を設立し、代表取締役社長に就任。2007年に損害保険業免許を取得し、日本に「ペット保険」という市場を作り出す。2008年アニコム損害保険会社がペット保険販売開始。2010年東証マザーズ上場。2014年東証一部へ市場変更。

ニューヨークのエンパイア・ステート・ビルディングが竣工したのは1931年。20世紀半ばにアメリカの大都市に摩天楼が出現してから、超高層ビルは「新しさ」を象徴する建物となり、近代都市に欠かせないアイコンとなった。それから約90年。建築家・石上純也氏は、建築における「新しさ」の価値観は今、変わりつつあると言う。

石上氏は昨年(2018年)、パリのカルティエ現代美術財団において大規模個展を成功させた。彼の建築は独創的だ。約2,000平米あるガラス張りのワンルームを、305本の細く白い支柱のみで支え、森のような空間をつくり出した神奈川工科大学の「KAIT工房」。山口県宇部市に建設中の洞窟型レストラン。自然と建築の間を自由に行き来し、作り手が空間の目的を限定しない、使い手に「開かれた機能」を提供する次世代の建築家に、これからの世界での「新しさ」という概念について語ってもらった。

今、求められる建築の在り方とは?

――石上さんが手がけられた建築は、建築における既存のルールからどんどん解放されている印象を受けます。

石上 僕もそうですが、今、建築家として活動されている方の多くは「近代建築」についての教育を受けてきました。近代建築は、「機能」が空間をつくる上での絶対的な上位概念であるという「機能主義」の考え方に基づきます。その建築の機能、使われる目的が建物のタイプを決めるので、機能主義においては、たとえばオフィスビルをつくる場合、誰がつくっても同じ機能を備えた「オフィスビル」という同じ空間構成になります。

でも、今の価値観から考えると、同じ「オフィス」でも、依頼する人によって理想とするオフィスの形はまったく異なります。開かれたスペースがあるほうがいい人、逆に個室がいっぱいあったほうがいい人、机すら必要ないと考える人もいるかもしれない。そんな現代において、機能主義による近代建築の考え方だけで建築することは難しいのです。だから僕は、使い手がもっと自由に自分なりに空間をつくっていけるように、建築家の意図を越えることのできる「ガイドライン」としての建築をつくりたいと思っています。

たとえば壁があったら、「この部屋と向こうの空間を隔てる意図がある」というのは誰でも分かりますよね。柱が一直線に並んでいたら、柱より向こうとこちら側とは違う空間だと感じると思います。そこで、たとえば柱を一見ランダムにしか見えないような並べ方にすると、使い手は建築家が意図したことを100%読み取れないので、自由に解釈する余地ができます。「機能」から空間が少し解放されるのです。

――神奈川工科大学の「KAIT工房」では、森をモチーフに壁という仕切りがない空間設計を目指されました。これはまさに使い手の自由を考慮した「開かれた機能」を具現化した建築であるように思います。

石上 森の中にはおそらく自然界を支配する法則が存在するが、それは人間には瞬間的には理解しづらい。仕切りがあるようで仕切りがない。KAIT工房には一切壁がなく、2,000平米もの空間は305本の細い支柱によって支えられています。すべての柱は異なったプロポーションをしており、また、1本1本少しずつ柱の方向も異なっています。そうすることによって、見る位置により柱の太さが微妙に違って見えるんです。

支柱の配置も、一見ランダムに並べられたように見えるかもしれませんが、厳密な計画によって導きだされています。角度と配置の絶妙なバランスを調整するために、模型と専用のCAD(設計支援ソフト)を何度もバージョンアップさせていきました。特にCADについては、既存のものでは要求を満たさないので、プログラマーの方に相談しながら、55回くらいバージョンアップしました。ちなみに、この建築専用にカスタマイズしたものなので、そのソフトは他の建築物設計には使いません。

神奈川工科大学の「KAIT工房」

神奈川工科大学の「KAIT工房」(Ⓒ junya.ishigami+associates)

新たな「手法」を生み出し続ける

――設計ソフトもオーダーメイドなんですね。プロジェクトによって設計手法はその都度違いますか?

石上 プロジェクトごとに試行錯誤しながら、毎回、新たなつくり方を考えていきます。建築はプロダクトデザインと違って、設計段階では原寸大の模型をつくることができません。頭の中でイメージしたものを一度図面に落として抽象化する作業ですから、自分が設計した建物をどうつくるのかという手法にも、建築家の個性や独自性が表れます。

――設計図を引く段階で、ある程度つくり方の道筋も見えているのかと想像していました。

石上 たとえば本当に新しい料理が生まれるときには、新しい調理方法も生まれるはずです。何か新しいものをつくるときには、つくり方も同時に発明し直さないといけないと思います。

僕の場合、脳内のイメージングと、CADやCG、模型などを使って具現化していくスタディは、同時進行で行います。スタディのスピードと思考のスピードが一致しないと考えるリズムが崩れて、ぎこちないものになってしまう。どんなに新鮮なデザインの建物を発案したとしても、つくり方において新たな道筋が見つからず、既存の手法をなぞってしまうと、建物自体からその新鮮さが失われてしまいます。つくり方をあれこれ試してもつくりやすくならない場合は、設計案自体が良くないと判断し、とりやめることもあります。

建築は「実現される」ということが特に大事なので、施工段階も重要です。僕は、初期の段階からいろいろな専門家や業者と話して、実現できる技術が世の中に存在するかどうかを確認するところから始めます。完成までの道のりを俯瞰し、全工程で最善のつくり方を模索する。すべての歯車がきれいにかみ合って動いていくときには、やはりいい作品が仕上がります。

石上氏

「古い/新しい」の概念を再定義する

――ロシアでは、「モスクワ科学技術博物館」の増改築を手掛けられましたが、歴史的建造物を再生させる意義についてもお聞かせください。

石上 近現代的なものが世界中に広がっていき、世界中に近代的なものが流れ込み、建物や街がもとあったものから置き換わっていきました。そうすると、どの街でも同じようなクオリティで生活できるようにはなりましたが、同時に、どの街に行っても同じような風景になってしまったのです。今は、どこにでも簡単にアクセスできるようになったので、人は今自分がいる「ここ」と同じ印象の別の場所に魅力を感じなくなりつつあります。僕は、建築とはもともとサイトスペシフィック(置かれる場所の特性を生かした手法)なものだと思っています。これからの建築は、そういう根源的な部分に立ち返り、その場所が持つ特殊性をピックアップして、ポテンシャルを高めるべきだと思うのです。

モスクワ科学技術博物館はレーニンも演説したような、歴史ある由緒正しい建物で、「その場所の特殊性」を備えているので、その可能性を高めるようなやり方で新しい建築につくり変えていこうと考えました。

モスクワ科学技術博物館の完成イメージ

モスクワ科学技術博物館の完成イメージ。博物館自体の外観にはほぼ手をつけず、周囲を掘削して敷地全体をすり鉢状の土地につくり変え、透明なガラスの天井を持つ「ミュージアムパーク」と称したパブリックスペースへと変容させる。(Ⓒ junya.ishigami+associates)

――現在、山口県宇部市で洞窟型のレストランを手掛けられていますが、この建築は「新しいもの」と「古いもの」という固定観念から離れたところに着眼点があるように感じます。

石上 このプロジェクトに関しては、クライアントから、古い雰囲気の建物の中で食事できるような――たとえば、ヨーロッパの古い街並みの中にある、何百年も昔からあるようなレストランとか、CAVE状のワインセラーのような、経年が雰囲気になるレストランをつくってほしいという依頼がありました。

アイデアを練る段階で、「そもそも『古さ』とはなんだろう」と考えたんです。たとえば、テーマパークにあるようなはりぼての古そうな建物をつくることはできますが、10年後には陳腐化してしまうでしょう。人間がつくり出した新しい建築は、出来上がった瞬間は完全な人工物だけど、風にさらされて削られたり、光にあたって色が変わったりして、最終的には廃墟のようになっていきます。経年変化していくなかで「自然化」していく――僕はその過程が「古さ」に繋がると考えました。つまり、人工物と自然の中間点にあるものをつくれば、もともと古さを備えた空間になるのです。

そこで、人工的なものに古さを施すのではなく、自然の地形に人工的な手を加えようと考えました。さらに、形状自体は模型をつくってデザインしつつも、穴を掘るという施工上の工夫を生み出すことによって、僕のコントロールが利かないところで何かが起こる状態を敢えてつくった。そうすれば、1,000年前からあったのか今でき上がったのか分からないものになるのではないかと考えました。

――施工方法においては、3Dスキャニング技術やiPadなど、21世紀ならではの最先端ツールが使われている点が非常に興味深いですね。

石上 通常、建物をつくる場合には、掘削後、平らにならした地面にガイドラインとしての墨出し(工事の基準となる線を記すこと)を行い、躯体(骨組み)を立てていきます。分かりやすく説明すると、地面に直接、設計図が描けるということです。一方、このプロジェクトでは、地面を掘った穴にコンクリートを流し込み、躯体の型を取るという手法を用いたので、穴だらけで墨出しすることができませんでした。そのため、職人さんには各々iPadを手にしてもらい、模型を基に3Dデータ化された数値を頼りに、躯体となる場所をリアルタイムに光測量し掘削してもらったんです。作業自体は古代に回帰しているように見えるかもしれませんが、これは現代のテクノロジーを使わなければできないと思います。

洞窟型レストランの模型

洞窟型レストランの模型(Ⓒ junya.ishigami+associates)

洞窟型レストラン施工中のようす

洞窟型レストラン施工中のようす(Ⓒ junya.ishigami+associates)

「透明な」テクノロジーが未来を創る

――時代がめまぐるしく変化していますが、「新しさ」についてはどうお考えですか?

石上 現代は、ムーブメントが起こりづらい時代です。皆が同じことを同じスタイルで行うということ自体に魅力を感じていた時代には、アイコニックな印として「新しい」ものをつくることが重要でした。でも今、僕たちはパソコンやスマートフォンなどのデジタルツールを使って、世界中どこにでもアクセスできるし、世界中どこからでも瞬時に情報を得ることができます。そして、過去も未来も関わりなく多くの情報が溢れているから、そういう意味では、自分が初めて触れた情報については、何十年前の情報であろうと新鮮に感じられる訳ですよね。

だとすれば、今この時代につくられたピカピカの高層ビルには、新鮮さは感じられないのではないでしょうか。逆に、いつの時代につくられたものなのか分からないようなものをつくったほうが現代という狭いカテゴリーの中にあてはまらない分、多くの人がよいと感じられる可能性が高まるかもしれません。例えば住宅であれば、古い建物をリノベーションすることによってでも、やり方によっては新築にはない価値を見出せるはずです。

20世紀後半までは、すべてにおいて以前の形よりもグレードアップしていくということが新しいことの「価値」になっていましたが、今は、そういう進歩の仕方に限界がきている。最新の機能を備えたものでなくとも、価値や豊かさを感じられることを、多くの人が理解し始めていると思います。

石上氏

――では、これからの「新しさ」、テクノロジーの未来はどこへ向かって行けばいいと思われますか。

石上 僕は、新しさやテクノロジーの進化という範疇において、「革命的」であるという価値観では世の中の人は受け入れがたいと思います。つまり現代においては、革命によってでは世界はかえられないのではないかとも考えます。誰もが同じ価値観を共有していた時代は、何かをリセットして、みんなで回れ右、左ができたかもしれないけれど、みんながまったく違う価値観でいることが許されている現在においては、「何に対する革命」なのかさえ分からない訳です。

だから、現代において世の中を新しくしていくには、革命する力よりも、「浸透力」が重要だと思います。イメージとしては、とげとげしい技術はダメです。新しい技術はできるだけやわらかくて誰が見ても触りやすい――見た目ではそこに技術があるのが分からないくらいの「透明さ」を持っている必要があります。つまり、みんなが気づかないうちに世の中が変わっているくらいの自然な「新しさ」が必要なのです。今までと変わらない生活をしているのに、いつのまにか自然と便利になっている。そんな「透明な」テクノロジーが、未来の「新しさ」を拡張してくれるのではないでしょうか。

TEXT:岸上雅由子

石上純也(いしがみ・じゅんや)

1974年、神奈川県出身。東京藝術大学大学院美術研究科建築専攻修士課程修了、妹島和世建築設計事務所を経て2004年、石上純也建築設計事務所を設立。主な作品に「神奈川工科大学KAIT工房」など。2008年ヴェネチア・ビエンナーレ第11回国際建築展・日本館代表、2010年豊田市美術館で個展『建築のあたらしい大きさ』展などを開催。日本建築学会賞、2010年ヴェネチア・ビエンナーレ第12回国際建築展金獅子賞(企画展示部門)、毎日デザイン賞など多数受賞。

リチウムイオン電池が全盛の時代だが、より安価でレアメタルが枯渇しても心配がないナトリウムやカリウムを使う電池が、世界の注目を集めている。開発の最前線を走るのが東京理科大学理学部第一部応用化学科の駒場慎一教授である。
ナトリウムイオン電池は現在、電池容量がリチウムイオン電池の約9割、寿命は同じ程度に向上し、実用化に近づいている。原料のナトリウムは、政情不安な南米に偏在するリチウムと違って、地球の陸や海に無尽蔵にある。「夜間電力を貯蔵し、自然エネルギーの発電量を平準化する定置型の大型電池として非常に有望だ」と、駒場教授は言う。
十数年前には「実現は無理。研究はやめた方がいい」と周りの研究者からも忠告されたが、ひるまず未踏の分野を切り開き、化学界の常識を覆した。
また駒場教授が今、強い期待をかけているのがカリウムイオン電池である。すでにリチウムイオン電池と同等以上の性能を確認した。カリウムも、ナトリウムと同じように地球上に豊富に存在している。
そこでナトリウムイオン電池とカリウムイオン電池の実用化の見通しについて、駒場教授に伺った。

ナトリウムイオン電池が実現可能であることを、世界で初めて実証

――駒場先生が開発されているナトリウムイオン電池が注目を集めています。今なぜナトリウムイオン電池なのでしょうか。

駒場 私は2003~4年にフランスに留学しました。その時お世話になった先生は無機化学が専門で、1980年代のナトリウムイオン電池の研究者として著名な人でしたが、当時は誰も電池の実用研究では成功していませんでした。私が「ナトリウムイオン電池を研究したい」と言うと、先生から「もうやる意味はないよ。止めておきなさい」とアドバイスされた程です。
私は理学部の研究者なので、むしろ誰も成功していないという理由で、よりナトリウムイオン電池に興味を持ち、その研究に意欲をそそられるようになりました。
化学を応用して何かを作ろうとすれば無機、有機、物理、バイオなどの異分野との融合が極めて重要です。私は早稲田大学や岩手大学で、それらを幅広く学ぶ機会があったので、その知識を総動員すれば、6~7割は成功するという自信がありました。

帰国後、2005年に東京理科大学に赴任し、新天地で新しい研究をスタートしました。それから電極材料などの開発に工夫を重ね、2009年、ナトリウムイオン電池が実現可能であることを世界で初めて実証し、困難を経て2011年に論文発表しました。

2009年、世界初の実証:ナトリウムイオン電池

図表1)「2009年、世界初の実証:ナトリウムイオン電池」  資料提供: 駒場慎一教授

東日本大震災を機に、ナトリウムイオン電池が脚光を浴びる

――その後、エネルギーを取り巻く時代環境が大きく変わって行ったわけですね。

駒場 そうです。2011年の東日本大震災で原子力発電所が稼働しなくなりました。計画停電に備えるには、夜間電力や自然エネルギー発電を活用しなければなりません。それには電気を貯めなければならないと、にわかに環境が変わったのです。その目的に合うのは寿命の長い定置型の大型電池しかありません。
そのころリチウムイオン電池の研究開発が急速に進んでいましたが、レアメタルであるリチウムを大量輸入して大型電池に使うことは、将来技術としても、コスト面からみても大きな問題です。そこで輸入依存から脱却でき、同時に低コスト化が期待できる電池として、私が研究していたナトリウムイオン電池が脚光を浴びることになったのです。

駒場氏

南米大陸に偏在するリチウムに依存するリスク

――リチウムイオン電池は、スマホや電気自動車(EV)などで広く使われていますが、長い目で見れば弱点を抱えているわけですね。

駒場 リチウムは南米のチリやボリビアに偏在しており、地球の地殻成分の0.002%しかありません。わが国は全面的に輸入に依存しているので、原料の安定供給に不安が伴います。今は問題なく輸入できますが、もし紛争など何かの事情で輸入できなくなれば、リチウムイオン電池の生産はできません。その意味で、日本の電池産業は大きなリスクを抱えているのです。
リチウムイオン電池の電極材料には、リチウムの他にコバルトも使いますが、これもレアメタルです。価格が高いので、現在はコストを抑えるために、性能を犠牲にしてコバルトを使わないようにしています。
レアメタルに対して,ナトリウム、カリウム、鉄などは「コモンメタル(汎用金属)」と呼ばれます。リチウムとナトリウムは元素の周期表で隣にある元素で、性質が非常に似ています。ナトリウムは地殻の2.8%を占めるほど豊富、海水にも含まれていて低コストで入手できます。ナトリウムをリチウムの代わりに利用できれば、資源確保の問題は大幅に改善されるでしょう。だからこそナトリウムイオン電池の開発に取り組む意義は大きいのです。そこでリチウムをナトリウムに置き換える研究が世界で一斉に始まりました。

元素周期表からみた電池~ポスト・リチウム

図表2: 「元素周期表からみた電池~ポスト・リチウム」
リチウム(Li)、ナトリウム(Na)、カリウム(K)は周期律表では隣にある。 資料提供:駒場慎一教授

文部科学省は今、「元素戦略プロジェクト」を進めています。私たちの暮らしは多くの材料で成り立っています。資源の枯渇を見据えて、資源の豊富な汎用元素をベースに優れた材料を創出しようという計画で、私も参画しています。

――定置型の大型ナトリウムイオン電池は、具体的にどのような使い方が想定されるのでしょうか。

駒場 大きいサイズだと、原子力発電所や火力発電所の隣に巨大な蓄電所として建設します。電力需要が減る夜間の余剰電力を電池に貯めておき、昼間に使うのです。
中サイズは、1つの町・村全体や大型ビルに設置して、夜間電力を蓄電して昼間に使います。大型ビルでは、週末に自然エネルギーなどの電気を貯めておき、月~金曜日に使います。
小さいサイズでは、蓄電池を家一軒ごとに庭などに設置し、夜間電力や太陽光発電を貯めて、電気が必要なときに使えるようにできます。

いずれのサイズも、災害などの非常時や停電時に対する備えになります。専門家の話によると、こうした技術が広がれば、原発を減らしたり、火力発電所のピーク電力を抑えたりできます。また天候によって出力が変動する太陽電池や風力発電の有効利用ができるので、普及が促進されるでしょう。

駒場氏

電解液、正極材料、負極材料の改善を重ねる

――実際に開発されたナトリウムイオン電池の特色を説明していただけますか。また、どのような改良を重ねられたのでしょうか。

駒場 2009年に発表したとき、電池の容量はリチウムイオン電池の5~6割でした。もともとゼロから出発したので相当な進歩でしたが、これでは実用化は期待できません。世界中で研究が活発化した現時点では、容量はすでに9割に、寿命は同じ水準に達しています。
まず改善したのは電解液です。不純物を取り除いて純度を高めました。その方法に気付くまでに3年かかりました。電解液は炭酸エステル系の有機溶媒です。ナトリウムイオンがたくさん溶け、液中を十分動き回れるように工夫しました。

次は電極材料です。英語では、野球の投手と捕手のペアをバッテリーと言いますが、電池も「バッテリー」です。電池では,正極と負極のペアが電池性能を決める鍵となります。
正極材料は、レアメタルであるリチウムやコバルト、ニッケルの代わりに、ナトリウムや鉄、マンガンを使います。そういう物質を探索していくつも合成し、1カ月ぐらい充放電試験を繰り返して機能を評価しました。
うまく行かなければ、また違う物質を探すという試行錯誤を続けた結果、ナトリウム、鉄、マンガン、酸素の化合物をベースに、微量のマグネシウムを加えた物質が、正極材料として非常に有効であることを突き止めました。
マグネシウムは電池の効率を高め、容量を増やす働きをします。実用化するにはさらなる改良が必要でしょうが、1つの到達点であると思っています。

負極に使う炭素材料も工夫しました。ナトリウムの原子量は23で、リチウムの7より大きく、充電する時に炭素の中に入りにくい性質があります。それでは容量が増えないので、わざと炭素の原子の並び方を乱すことで非晶質炭素(ひしょうしつたんそ)として、炭素の中に原子レベルのすき間をつくり、そこにナトリウムが入りやすいように工夫しました。
こうした一連の改善により、電池容量は250mAh/gから420mAh/gに、劇的に向上したのです。

駒場氏

半導体と同じく中国・韓国に押されることを懸念

――では、ナトリウムイオン電池の実用化のめどがついたと言っていいのでしょうか。

駒場 そう簡単ではありません。リチウムイオン電池は今、量産されて価格が下がっています。中国や韓国のメーカーが生産拡大し、日本メーカーは押され気味です。このためコストが高い日本でナトリウムイオン電池を作っても、採算が合うかと言えば難しい。つまり、ナトリウムイオン電池の技術は出来ているけれども、リチウムイオン電池も進化しているので、実用化するにはそれを追い越さなければならないのです。

電池の内部では、目に見えない原子レベルの化学反応が起きていて、その実態を突き止めるのは容易ではありません。リチウムイオン電池は1980年に材料が見つかり、ソニーが1991 年に実用化するまで11年かかりました。ナトリウムイオン電池もそれくらいの年月はかかると見なくてはいけません。
中国、韓国はじめ、欧州、米国、豪州も、ナトリウムイオン電池の研究で成果を上げています。リチウムイオン電池の研究では日本が圧倒的に強かったので、各国は「別の電池で追いつけ追い越せ」と、ナトリウムイオン電池に力を入れています。中国ではベンチャー企業が安く作って超低価格のミニEVに搭載する例まで登場しています。
かつて半導体は日本が世界をリードしていましたが、今は押されている。それと同じことが電池の分野でも起きないかと懸念しています。

EVは無理でも、ハイブリッド車に向くナトリウムイオン電池

――ナトリウムイオン電池の用途として、EVなど自動車での可能性はいかがでしょうか。

駒場 ハイブリッド車(ガソリンエンジンとモーターの両方を備えた車)では有効だと思います。
ハイブリッド車は、ブレーキを踏むと回生ブレーキが発電して充電します。ナトリウムイオン電池は急速な充放電が得意なので、10秒程度であっても発生した電気を無駄なく電池に貯め込みます。また、アクセルを踏んで加速する時にも効果的です。
例えば、みなさんがお使いのスマホの充電では、リチウムイオン電池が30分かかるところ、ナトリウムイオン電池なら5分で終わるぐらい速くできます。

一方、EVの場合ですが、ナトリウムイオン電池の電気容量はリチウムイオン電池の9割ぐらいですから、早めに電池切れになってしまいます。走行距離が短くなるため、現状ではEVに向きません。
しかし、もしナトリウムを含む新たな化合物を人工的に創出してリチウムイオン電池の性能を凌駕することができれば、スマホからEVまで一気にナトリウムイオン電池に置き換わる可能性があります。

駒場氏

常識を覆すカリウムイオン電池の性能に期待

――次にカリウムイオン電池についてお聞きします。先生は電池容量の低下を抑える「濃厚電解液」を開発されたと報道されています。将来性や実用化のめどはいかがですか。

駒場 カリウムイオン電池は、2016年にわれわれの研究室が初めて論文を発表した新しい電池です。まだほとんど誰も研究していません。サイエンスとしてみると、こちらの方に意外性があって面白いです。
カリウムは地殻中に2.6%と豊富にありますが、原子量でみるとナトリウムやリチウムより重い元素です。ファラデーの法則によれば、軽い元素ほど電気を貯められるので、カリウムは本来なら電池に不向きです。しかし、やってみると驚いたことに、電圧はナトリウムイオン電池の3.5ボルトを上回り、リチウム電池と同じ4ボルトかそれ以上出るのです。
濃厚電解液はカリウムイオンの濃度を高めた溶液で、ジメトキシエタンという有機溶媒を用いました。それに正極と負極を合わせた3点セットで電池を組むことができます。正極はプルシアンブルーという、ドイツで発明された鉄やカリウムを含む青い顔料です。負極はリチウムイオン電池と同じものを使います。電流を流す負極の基板には、リチウムイオン電池では銅箔が必要でしたが、これをアルミ箔で置き換えられます。銅は10円、アルミは1円硬貨の主成分ですから、電池の低コスト化がさらに進みます。
電池の基本性能はリチウムイオン電池と同等かそれ以上なので、あとは安全性、寿命、劣化の進み方などが今後の研究課題です。
化学者である私としては、リチウム、ナトリウム、カリウムの電池の材料研究がこれからそれぞれどのように発展するか、大変興味があります。

この他、今、国内外で研究されている電池としては、大手自動車メーカーが取り組んでいるリチウムの全個体型電池、マグネシウム電池、アルミニウム電池、空気電池、リチウム硫黄電池が期待されています。ナトリウムイオン電池やカリウムイオン電池についても全個体化の研究が活発化しています。

駒場氏

電池研究の総合力は高いが、産業としては厳しい日本

――電池の開発はかつて日本が得意としてきた分野です。現在の研究水準や総合力をどのように見ておられますか。

駒場 かつて電池研究は日本の独壇場で、リチウムイオン電池もニッケル水素電池も日本で開発、実用化されました。今も研究の総合力は高いですが、産業としてはなかなか厳しい。日本が強かったリチウムイオン電池の市場は成熟し、これからはコストが安い国が有利になるので、コスト競争では日本は太刀打ちできなくなります。

ただ、電池の安全性を高める技術は日本が依然優れています。EVでは、ガソリンタンクを電池に置き換えて走行するので、ガソリンと電池が蓄えているエネルギーは同じになり、発火の危険性が常につきまとう。もし、EVが走行中に電池が火を噴いたら、乗っている人の命に関わるので、安全性は非常に重要です。でも中韓も国策としてエネルギーや電池に力を入れているので、日本が勝ち続けられるかどうか分かりません。

電極の材料研究では、大型放射光施設であるSPring‐8(兵庫県佐用町)も活用しています。充放電する電池の内部で化学物質がどう変化しているかを精密に見ることができます。物質探索の次の戦略を考えることができるので、大変役立ちます。

――先生は「他の分野の研究経験があれば、研究の行き詰まりを打開できる」と述べておられます。ご自身の経験を基にそのわけをお話しいただけますか。

駒場 私はもともと音楽好きの少年で、とくに理科が好きなわけではありませんでした。早稲田大学に入ってもオーケストラでトランペットを吹いていましたが、大学院生になった時に自分の書いた研究論文が世界で初めてだったと分かった時はうれしくて、いまだに、研究者人生を楽しんでいます。
ですから、いろいろな分野のサイエンスに興味があり、例えば学会に参加すると、直接関係がない講演も積極的に聴きに行きます。異分野のことを知ると楽しいだけでなく、新しいヒントが得られることがあるからです。学生たちにも、「研究に関係があるから聴く」「関係がないから聴かない」ではなく、幅広く見聞するようアドバイスしています。

TEXT:木代泰之

駒場慎一 (こまば・しんいち)

東京理科大学理学部応用化学科教授 (研究分野: 電気化学、材料化学)
1970年、埼玉県出身。早稲田大学理工学部応用化学科卒業、同大学理工学研究科応用化学専攻博士課程修了。1996年、日本学術振興会 特別研究員。1998年、岩手大学 助手。2003年、フランス・CNRSボルドー固体化学研究所 博士研究員 (文部科学省在外研究員)。2005年、東京理科大学 講師。2008年、東京理科大学 准教授。2013年~京都大学 拠点教授(元素戦略プロジェクト)。2013年~東京理科大学 教授。
受賞歴: 2015年、第11回日本学術振興会賞。2019年、電気化学会学術賞。