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もしも将来、ロボットが自分たちの歴史を編纂する日が訪れるとしたら、西暦2018年は記念すべき年として記録されるかもしれません。AI搭載のコンパニオン・ロボットが、世界で初めて宇宙への第一歩を踏み出した年として…。

ISSにおけるCIMONの役割

宇宙へ向けて旅立った「CIMON(Crew Interactive Mobile Companion)」は、フランスのAIRBUS社とドイツ航空宇宙センター、IBMが共同で開発したバスケットボールより少し大きいボール型のAI搭載ロボットです。重さは約5kgで、表面に設置された液晶パネルにはフレンドリーな「顔」が表示されており、空気を噴射して無重力空間を自由に飛び回ることができます。

CIMONは国際宇宙ステーション(以下、ISS)で働く宇宙飛行士・アレクサンダー・ガースト氏と彼のチームメイトをサポートする目的で開発されました。ISSにおけるCIMONの主な役割は、彼らの実験を手助けすることです。

ISS内でクルーは宇宙開発にかかわるさまざまな実験を行いますが、その手順が複雑なため、従来はマニュアルがある場所までステーション内を移動しなければなりませんでした。しかし、実験の複雑な手順を記憶し、マニュアルを含むさまざまなデータを液晶パネル(普段は顔が表示されている部分)に呼び出して表示することができるCIMONがいれば、効率的に実験を遂行することができます。

CIMONを支えるWatsonテクノロジー

CIMONがこうした重要な任務を滞りなく遂行するための能力を影で支えているのが、IBM Watsonです。

例えば、宇宙飛行士たちの呼びかけを理解して適切な答えを返すために、Speech to Text(音声認識)やText to Speech(音声合成)の技術が活用されています。また、主要な「ご主人」であるガースト氏の顔を識別する能力の実現には、Visual Recognition(画像認識)の技術が応用されました。

さらに、画像認識の技術は、CIMONがISS内をスムーズに飛び回る上でも重要な役割を果たしています。CIMONはコロンバス・モジュール(ISS内の実験施設の名称)の建設計画書をVisual Recognitionで読み込み、モジュール内の環境認識に役立てているのです。

「よき同僚」としてのCIMON

CIMONのもう一つの役割は、ガースト氏やチームメイトたちの「よき同僚」として彼らを支えることです。CIMONには会話の内容から相手の「気持ち」を推測する能力があり、「家族に会いたいな」というつぶやきに対して「お察しします、私に何かできることはありますか?」といった思いやりを込めた答えを返します。

CIMONの性格は、基本的には誠実で論理的な”管理者”型(ISTJ)に設定されているそうですが、一方でユーモアを理解する心も持っています。例えば「『2001年宇宙の旅』に登場するHAL9000をどう思う?」と尋ねると、「すみません、それはできません」とHALの声真似で答えてくれます。単に仕事を手伝うだけでなく、時にはこうした気軽な会話を交わして仲間たちの気持ちをリラックスさせるような役割も担っているのです。

CIMONのようなコンパニオン・ロボットは、今後、医療や教育などを始めとしたさまざまな分野で活用される可能性を秘めています。いずれは一般家庭でも、コンパニオン・ロボットを所有できる日が訪れるかもしれません。

西浦 明子

「軒先株式会社」というユニークな名前のベンチャー企業が、独自の輝きを放っている。会社を退職し育児を始めて間もない西浦明子氏が、この「貸しスペース予約サービス」を思い立ち、着手したのが2008年のこと。ビルの軒先や商店街の空き店舗、使っていない駐車場などの “もったいないスペース” を所有するオーナーと、そのスペースを借りたい人とをマッチングして、短期で貸し借りするビジネスを考え出したのだ。
時代を先取りしたこのシェアリングビジネスは、創業から10年を経て大きな飛躍を遂げた。人口減少の進む日本社会において、シェアリングビジネスは今後、ますますの成長が見込まれている。西浦社長に軒先ビジネスの魅力とその将来について伺った。

趣味と実益を兼ねられる、手ごろなお店を短期で借りたい

近年「シェアリングエコノミー」という言葉が大きな注目を集めている。乗り物や住宅、洋服など個人が所有している資産を貸し出す、あるいはその仲介をするビジネスを指す。新しく作ったり、買ったりするのではなく、現在あるものを他人と共有するところがポイントだ。
自家用車を利用した配車サービス「ウーバー」はアメリカを中心に利用者を増やし、日本でもその名前を聞く機会が増えている。民泊という言葉も、よく耳にするようになった。2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けて、外国人観光客の増加が見込まれる中、民泊は一般の住宅を宿泊用に貸し出すサービスとして認められた。

軒先株式会社は近年注目を浴びるシェアリングエコノミーの、日本における先駆けともいえる。そもそもの始まりは、さかのぼること10年前だった。
西浦氏は出産を機に勤めていた会社を辞め、子育てをしながら仕事をしようと考えていた。とはいえ、組織に戻って仕事をすることにためらいはあった。わずか10年前だが、当時は「働き方改革」が今日のように政策にまで大きく取り上げられる時代ではなかった。40歳を目前にした自らの年齢や、子育てのことを考えると、組織の中でこれまで通り働くのは難しいのではないか。そんなふうに西浦氏は考えていた。

西浦 明子

そこで思い描いたのが、子育てをしながら趣味と実益を兼ねられる小さな輸入雑貨のお店を持つ、というソフトな働き方である。大学を卒業してソニーに入社した西浦氏は、南米のチリに計6年ほど赴任していた。
その時のつてを使い、南米の雑貨を輸入してネットショップを運営してみたい。チリは錫の産地であり、錫製の重厚感のある食器が流通していた。日本ではあまり見ることのない食器であり、これを輸入すれば大いに受けるのではないか。そう思うと心が弾んだ。
一方で、素人が商売を始めても、そう簡単にうまくいくものではないだろう、と思う冷静さもあった。扱う商品がユニークだとはいえ、それが多くの消費者の心をとらえるかどうかはまったく分からない。だから手始めに少量を輸入してテスト的に販売し、消費者のニーズを見極めたいと思った。どこか手ごろなお店を短期で借りることはできないだろうか。こうして店舗探しが始まるのだが、これがのちに違ったかたちで大きく広がっていくのだから面白い。

西浦 「不動産会社にあたってみると、1~2カ月の短期で貸してくれるところは、まずありませんでした。こうなるとフリーマーケットに出店するか、長期で契約するしかない。よく商店街などで健康食品や瀬戸物を売っているウイークリーショップを見かけますが、そうした物件を扱っているところにあたってみると、通常の月決めに比べ、賃貸料は格段に高い。私の自宅近くの自由が丘近辺では、3坪の売り場で週20万円もしました。
一方で街中を歩いていると、テーブルを1つ置きちょっとしたお店が開けるすき間のスペースは、いたるところにあります。こういうところを貸してもらえたらいいのに、と思ったのが始まりでした。
高い賃料にも関わらず、出店したい人がたくさんいるという事実にも興味が湧きました。こうした人たちと、遊んでいる隙間スペースの持ち主とをつなげれば、双方にとって利益があって好都合なはずだと思ったのです。これならビジネスとして成り立つのではないだろうか。 店舗を安く借りることができるということは、独立開業を志す人たちの手助けにもなりますし、これなら自分にとっても開業資金も安くてすみます。これはぜひともスタートさせねばならない。俄かにやる気が湧いてきました」

軒先ビジネスのロゴ

軒先ビジネスのロゴ / 画像提供:軒先株式会社

日本書店商業組合連合会との契約が、物件提供を得る大きな契機に

こうしてオーナーに物件を登録してもらい、インターネット上で借り手との橋渡しをする軒先ビジネスは2008年に産声を上げた。初めて貸し手と借り手のマッチングに成功したのは、横浜駅前にある制服メーカーの自社ビルだ。1階のちょっとしたスペースを、弁当販売業者に貸し出した。

西浦 「当初私が想像していた借り手のイメージは、個人の方が何か手作りの品や、個人輸入した物などを販売するといったものでしたが、実際にやってみると、短期で催事を開く方や、弁当販売の業者さんが世の中にけっこういて、そういった方々が場所を求めているということが分かりました」

ランチの移動販売(青山)

ランチの移動販売(青山)/ 画像提供:軒先株式会社

移動マルシェ(西参道)

移動マルシェ(西参道)/ 画像提供:軒先株式会社

リサイクル自転車販売(品川区中延商店街)

リサイクル自転車販売(品川区中延商店街)/ 画像提供:軒先株式会社

だが、スタートは切ったものの、順風満帆というわけにはいかなかった。最も苦労したのは、物件を貸してくれるオーナー探しである。まったく新しいビジネスで前例がなく、誰もが「軒先を貸し出して賃料を得る」というビジネスに明確なイメージを持てないでいた。いったいどんな人が借りて、何に使うのか。場所を汚されたり、備品を壊されたり、軒先でお客とトラブルでも起こされたりしたら、かえって損害をこうむることになる。オーナーたちの不安は容易に拭い去ることができなかった。

西浦 「最初は個人・法人のオーナーに関係なく、空いている場所を見つけては、1軒、1軒ドアをノックして『このスペースを貸してみませんか?』という営業方法でした。でも、さすがにこれだと限界があるので、スタートして1年後に法人営業に切り替えることにしました。その中で1つの転機になったのが、全国の書店の半分くらいが加盟している日本書店商業組合連合会との提携でした」

売り上げ減に悩む多くの書店、特に地方のロードサイドに立地する書店は店舗のスペースが広く、駐車場も十分にあるところが多い。こういった物件に目を付け、営業をかけたのだ。その結果、少しでも利益を上げたい書店の思惑と合致し、登録物件が一気に増えた。これは、のちに全国チェーンを展開しているドラッグストアなどから物件提供を得る大きなきっかけともなった。

書店

書店 / 画像提供:軒先株式会社

軒先の野菜や果物が、ドラッグストアの来店動機に

貸し手と借り手の橋渡しが増えてくると、いろいろなことが分かってきた。貸し手側は軒先を貸し出すことで賃料を得るわけだが、貸し出すことのメリットはそれだけにとどまらなかった。

西浦 「例えば、ドラッグストアの軒先に八百屋さんが出店します。するとドラッグストアに行く予定がなくても野菜目当てで人が集まり、そのお客さんがついでにドラッグストアでシャンプーを買う、ということが起こります。八百屋さんが来店動機になるわけです。場所だけ貸して店頭のにぎわいを作ることができるのですから、貸し出すドラッグストアは大喜びです。八百屋さんや花屋さんはリクエストが多いですね」

ドラッグストア

ドラッグストア / 画像提供:軒先株式会社

サムライインキュベートの榊原健太郎社長との出会い

軒先ビジネスが軌道に乗っていくプロセスの中で、以前この『Mugendai』でも紹介した気鋭のベンチャー・キャピタル(VC)、サムライインキュベートの榊原健太郎社長(前編 / 後編)が果たした役割も見逃せない。 西浦氏がビジネスを立ち上げたばかりで、まだ右往左往していた時、快くサポートを買って出てくれたのがほかならぬ榊原社長だった。

西浦 「あの当時、まだ売り上げもほとんど立っていないようなこんなベンチャーをサポートしてくれるVCはほとんどありませんでした。いろいろなVCに投資を断られ、たどりついたのがサムライさんでした。まだオフィスもない時代で、榊原社長に喫茶店でお会いしたのですが、既に私どものビジネスをご存知で、2度目にお会いした時には、『僕が投資します』と言ってくださったのです。さらに『僕の知り合いも興味を持つと思います』とその場で電話して、500万円ずつ計1000万円の投資があっという間に決まりました。本当に嬉しかったです」

榊原社長の出した条件は1つ。西浦氏に軒先ビジネスにフルタイムでコミットしてほしい、というものだった。実はこの時、西浦氏は子どもを保育園に入れるため、会社員として9時から5時まで働き、それ以外の時間で軒先ビジネスに取り組んでいた。西浦氏はこの言葉に従い、軒先一本で勝負していくことになる。

西浦 「榊原社長は常日ごろ、『できるできないではなく、やるかやらないで世界を変える』ということをおっしゃっています。本当にそうだなと思って。ことあるごとにこの言葉は思い出していますね」

西浦 明子

借り手は、カブトムシの販売をする人や、スーパー銭湯の一角で行う占い師もいて多種多様

ここで軒先ビジネスの仕組みを簡単に紹介しておこう。まずは場所を貸し出したいオーナーが物件を登録する。物件はインターネット上で公開され、借りたい人がオンラインで借りたい日にちや時間を予約すればOK。実に簡単に場所を借りられるシステムだ。
料金はオーナーと軒先が話し合って決め、その35%を同社が手数料として受け取る。1日数千円という価格も多いため、西浦氏の表現を借りれば、軒先㈱が得る手数料は「チャリン」ということになる。
最安値は店内にあるカウンターの貸し出しなど。一例を挙げると、本屋のカウンターの1日の賃貸料金は何と145円。近隣にレストランをオープンしたとか、学習塾の生徒募集といったチラシ、リーフレットを置くのに使われるという。
借り手の利用方法も実にさまざまだ。多いものは、前述した弁当販売(キッチンカーを含む)、スイーツや野菜などの物販、携帯電話や電子タバコなど法人による販売促進の3つ。やはり事業者が多いようだが、中にはユニークなものもあった。

西浦 「いろいろな方がいて、カブトムシの販売をする方がいらっしゃいました。びっくりして、昆虫を売るのにライセンスや届け出がいるのか保健所に問い合わせました。哺乳類の場合は必要だそうですが、昆虫はいらないそうです。だから誰でも裏山でカブトムシを捕まえて売ることができる。なかなか面白いものだと思いました。

カブトム販売

カブトム販売 / 画像提供:軒先株式会社

スイーツ販売(品川区旗の台) 

スイーツ販売(品川区旗の台)/ 画像提供:軒先株式会社

ほかにも、書道家が浅草にある空き地で書道展をしたり、占い師がスーパー銭湯のちょっとしたスペースを借りて占いをしたりと、利用方法はとても多彩です」

駐車場の問題は地域の社会問題の解決にも

2012年秋に開始した軒先パーキング、つまり駐車場の貸し出しは既に同社の中心的な事業となった。軒先ビジネスでは野菜を売るとか、販売促進を目的としていたのに対し、軒先パーキングは本来の駐車を目的とした貸し出しとなる。
最初は同年5月に開業したばかりの東京スカイツリーの周辺で物件を探した。当時、スカイツリー周辺は入庫を待つ自動車でかなりの渋滞になっており、駐車場の確保は大きな問題だったからだ。

西浦 「駐車場というのは、止められるか、止められないか、行ってみないと分からない。だから予約できたら便利だよね、というのが軒先パーキングを始めた動機でした。特にイベント会場や花火大会、お祭りなどでは近くに駐車できなくて困る人たちがたくさんいます。一方で、路上駐車や渋滞など地域の方々も困っているということにも気付きました。駐車場の問題はドライバーのニーズに応えると同時に、地域の社会問題の解決にもつながるという認識を新たにしました」

軒先㈱の提携先に福島県喜多方市がある。喜多方市は花見のシーズンになると、しだれ桜並木を楽しもうと県外から約30万人の観光客が訪れる。しかし、喜多方市には駐車場があまりない。近隣の住民からは毎年、路上駐車や自宅の敷地内に勝手に駐車された、というクレームが市に届けられていた。
そこで市は軒先㈱と連携し、空き駐車スペースの提供を住民に呼びかけた。集まった駐車スペースは約150台分。迷惑駐車の減少に貢献し、住民はお小遣いを手にできることになったのだから一石二鳥というわけだ。

現在ではサッカーのJリーグやバスケットボールのBリーグとも連携し、こうしたかたちの駐車場の確保、提供に取り組んでいる。イベントのような「その日だけ込み合う」というケースでは、駐車場を造ってもイベントのある日以外はガラガラということになってしまいがちだ。軒先パーキングのようなスタイルは、それにピタリとマッチしていた。

軒先パーキングのサイト

軒先パーキングのサイト / 画像提供:軒先株式会社

飲食業を目指す人のためのシェアレストラン

駐車場に続く新たな事業として期待されているのが、今年立ち上げたばかりの軒先レストランである。これは牛丼チェーン店で有名な吉野家ホールディングスと提携し、シェアレストランを運営していこうという試みだ。
同社ではもともと飲食店の貸し出しをしていたが、あくまでスペースの貸し出しであり、例えば居酒屋の客席を貸し出し、そこで勉強会などを開くという使われ方だった。一方、シェアレストランでは調理場まで貸し出す。こうなると安全性の確保など飲食業界ならではのノウハウが不可欠だ。

西浦 「もともと吉野家さんからいただいたお話で、私たちはIT関係と、スペースのマッチングといった得意分野を受け持ち、吉野家さんが長年培って来られた飲食業のノウハウを掛け合わせてサービスを提供しています。
飲食業は数ある産業の中でも、圧倒的に廃業率が高いそうです。同時にお店を開きたいという方も、とても多い。ところが開業にまつわるコストはどうしても高いので、少ない元手で簡単に始められて、万が一失敗しても借金が残らないような、そんなトライアルができるようなシステムを作りたいと考えました。
開店を目指す人は、夜しか営業していないレストランや、バーの昼間の時間にお店を借りて営業をスタートさせる。そうすればお客様のニーズもつかめるし、さまざまなノウハウも蓄積されるというわけです。今のところ、シェアレストランを利用して開店する方は、カレー屋さんが多いですね」

西浦 明子

シェアリングエコノミーが、明日の日本を担う起業家を生み出す

「シェアリングエコノミー」や「ポップアップストア」という言葉は急速に広まり、物件を貸し出すオーナーの意識も大きく変わった。人口減少が続く日本において、シェアリングエコノミーの需要はますます大きくなるのではないか、と西浦氏は考えている。

西浦 「新しいハコモノをどんどん作る時代ではなくなっていくと思うので、スペースシェアに関してはもっと広がっていくと感じています。例えば、今問題になっている宅配の再配達問題があります。宅配ボックスとして駅前とか近くのコンビニが挙げられていますが、もっと自宅近くに宅配ボックスやロッカーがあるといい。そうすると空き駐車場の活用なども考えられるでしょう。将来的にはドローンの充電基地になるかもしれません。私たちのサービスも時代のニーズに合わせて変わっていけたらと思っています。

今後は従来のサービスに加え、当初の目的にあった起業家の支援も、より具体化していこうと考えています。場所の貸し出しだけでなく、独立開業の支援につながるようなところを、もっと深掘りしていければと。新規開業では集客や商材の集め方、不動産の問題を解決できても、それ以外のハードルはたくさんありますから」

西浦氏の名刺の肩書には、「軒先株式会社代表取締役 スキマハンター」とある。町を歩いていると西浦氏は、ちょっとしたスペースが気になって仕方がないという。それは、ビジネスにつながるだけでなく、何でもないような小さなスペースが、明日の日本を担う起業家を生み出す大きな可能性を秘めている、と思っているからだ。

 

TEXT:渋谷 淳

西浦 明子 (にしうら・あきこ)
軒先株式会社 代表取締役

1969年神奈川県生まれ。1991年上智大学外国語学部卒業後、ソニー(株)入社。海外営業部に所属。1994年ソニーチリに駐在、オーディオ製品などのマーケティングを担当。2000年、同社を退社後帰国。創業時のAll About Japanで広告営業を経たのち、2001年(株)ソニー・コンピュータエンタテインメント入社。商品企画部にてプレイステーション2やPSPのローカライズ、商品開発などを担当。2006年同社を退社後、(一財)日本国際協力システムで政府開発援助(ODA)関連の仕事に携わる。2007年、出産を機に同財団を退団。約半年の構想準備期間を経て、2008年4月に軒先.com(後の軒先株式会社)を創業。 受賞歴:2009年1月 ベンチャーフェアJapan2009「最優秀賞」、2012年11月 第3回日本起業家大賞(TEAJ)パイオニア賞など多数。

日本の閉塞感を打破するのは、スピードとチャレンジ精神 ――テラドローン徳重徹社長に聞く、グローバル・メガベンチャーへの挑戦

東南アジアを中心に、EV(電動2輪、電動3輪)を製造販売してきたベンチャー企業テラモーターズ株式会社。2016年からは、ドローン事業を国内外で展開している。
ドローンメーカーは世界に数多いが、ソフト・システム・サービスの分野でのビッグプレーヤーはまだ登場していない。テラモーターズ株式会社/テラドローン株式会社 代表取締役社長の徳重徹氏は、そこにチャンスを見出している。
ここ20年間、日本のエレクトロニクス企業は1980~90年代のブランドの輝きを失い、企業内でイノベーションを起こせないことに悩んできた。
徳重社長は「閉塞感を打破するには、何よりも経営のスピードアップ、そして挫折を恐れないチャレンジ精神だ」と力説し、日本がかつて持っていたベンチャー精神の復活をリードしたいと意気込む。
目指すは、グローバル・メガベンチャー。今年中にドローンのビジネスモデルを確立して一気に世界展開に持ち込み、いずれはアップルやサムスンを超えるインパクトを世界に与えたいという。
1カ所にとどまることなく、常に新分野に果敢に挑戦する徳重社長に、日本企業論や自社の将来展望について語っていただいた。

テラモーターズがアジアで製造販売する、EV(電動2輪、電動3輪)   写真提供: テラモーターズ株式会社

テラモーターズがアジアで製造販売する、EV(電動2輪、電動3輪)   写真提供: テラモーターズ株式会社

テラモーターズがアジアで製造販売する、EV(電動2輪、電動3輪)/写真提供:テラモーターズ株式会社

自動車は大変革の時代。ベンチャーにもチャンス

――テラモーターズは創業から8年経ちました。今アジアではどのようなビジネスを展開しておられるのでしょうか。経営の概況をご紹介ください。

徳重 ベトナム、バングラデシュ、インドに拠点(支社)を持ち、EV(電動2輪、電動3輪)を各国で約1万台ずつ、合計3万台販売しています。売上高は約30億円。社員は現地の人たちが計約200人、日本人が10人という陣容です。

アジア市場では価格がすごく大事で、バイクは5~10万円、3輪は20万円前後に設定しています。バングラとインドでは各15%のシェアを取り、トップグループの一角を占めています。
創業から5年間は「EVの将来見通しは厳しい」という予測が一般的でした。ところが独フォルクスワーゲン(VW)が2015年にディーゼル車の環境対応で不祥事を起こしたのをきっかけに、欧州の自動車メーカーは一斉にEVの方向に動き出しました。今、EVに追い風が吹いています。

EVとガソリン車は仕組みも産業構造も全く違います。長年ガソリン車を手がけてきた大手メーカーはエンジン関係の人材を多く抱え、そう簡単にEVに舵を切ることはできません。EVは極論すると電池とモーターの組み合わせであり、大手企業では特に何を自社のコアにするか、差別化が難しいのです。
自動車業界は今、自動運転、電動化、シェアリング、コネクティッドという4つの大きな流れに直面しています。こういう大変革の時代こそ、私たちベンチャーのチャンス到来なのです。

テラモーターズ株式会社/テラドローン株式会社 代表取締役社長 徳重徹氏

――グローバル市場で生き残っていくために、特に必要なことは何だと思われますか。

徳重 それは「スピード」と「チャレンジ精神」ですね。
熟慮に熟慮を重ね、ほぼ確実に成功する見通しがついてからやっと決断をするという日本の企業体質では、今は世界と戦えない。他国の企業は、初めから責任者が自ら乗り込み、その場で話がどんどん決まっていきます。

それに対し、日本企業の多くは、担当者がまず「海外視察」で現地に赴き、帰国してからは分厚い報告書作成に時間を要し、本社の決裁はなかなか下りない。
東南アジアの国では「日本はNATOだ」と言って首をすくめます。北大西洋条約機構じゃありませんよ。「No Action Talk Only」だというのです。Talk Onlyならまだしも、ろくに言葉も発しないで視察だけして帰り、それっきり反応もないことが多いと言うのです。

私は、1カ月のうち、半分から4分の3は海外に出向き、先方の責任者と直接ビジネス交渉をします。
そして、「60%でGO!」をモットーに、アクションをとるようにしています。
だいたい60%くらいいけると思ったらスタートし、そこから軌道修正していく。そして、うまく軌道に乗ったらなるべく若い人や現地スタッフに権限委譲をして鍛え、自分は支援の立場に回る。
今は、グローバルに物事が猛スピードで展開している時代です。「クオリティ」も大切ですが、まずは「スピード」と「ボリューム」を重視して、迅速かつ臨機応変に行動していく姿勢が重要なのです。

テラモーターズ株式会社/テラドローン株式会社 代表取締役社長 徳重徹氏

ドローンのソフト・システム・サービスは大きく伸びる

――経営の新しい方向であるドローン事業についてお聞きします。2016年にテラドローン(株)を設立し、自ら社長を務めていらっしゃいます。なぜドローンに着目されたのでしょうか。

徳重 ドローンの研究を始めたのは、EVが世界に普及するにはしばらく時間がかかると考えていた時期でした。ドローンを新しい経営の軸にしようと考えたのです。
IT分野の過去のビッグトレンドは、まずパソコン、インターネット、スマホ、IoTと移ってきました。ドローンはIoTの一角に位置付けられており、これから伸びるという感触がありました。

事業が世界トップになれるかどうかは重要なポイントです。EVは東南アジアで健闘していますが、世界のトップになるのは容易ではありません。しかし、ドローンは事情が違います。
パソコンの場合もビジネスはまずハードに始まり、ソフト・システム・サービスに移って行きました。
これから大きく伸びるのは、ハードではなく、ソフト・システム・サービスです。ドローンも同じだと考えています。
ハードでは中国メーカーのDJIが売上高2500億円、時価総額2兆円でトップですが、これから伸びるソフト・システム・サービスではまだ圧倒的なトップ企業がいないのです。私たちの会社は今その一角にいます。この領域なら世界トップを取れるかもしれません。それには世界基準の経営力、圧倒的なスピード、現場力の3つが必要ですが、それこそ当社のカルチャーです。勝てる要素があると判断して、ドローンに乗り出したのです。

大企業からは生まれにくいイノベーション

――投資家の人たちは当初、リスクが大きいという理由で反対だったそうですね。

徳重 そうです。「EVで苦労して、やっといい数字が出始めているのだから、早く上場しなさい」と言われました。しかし、それは私が考えるイノベーションの在り方とは違います。

日本ではこの20~30年間、革新的なことをやってみようという空気がどんどんなくなっています。特に大企業はそうです。理屈やロジックを語るだけではイノベーションは起こせません。
私の出身地の山口では、幕末に高杉晋作がイチかバチかの功山寺挙兵(1864年)に立ち上がり、その気迫で長州にイノベーションをもたらしました。高杉自身、おそらく勝てる戦いだとは思っていなかったでしょう。

私が感動した映画に『陽はまた昇る』(2002年公開)があります。1970年代前半、それまで右肩上がりだった日本経済が初めてマイナス成長に陥った時期の製造業を描いた作品です。家電メーカーでは業界8位にすぎなかった日本ビクター(現:JVCケンウッド)の技術者たちが、「世界のソニー」の家庭用ビデオのベータマックス方式に対抗して、VHS方式を開発した実話を映画化したものです。
日本ビクターの技術陣がやったことは、ある意味むちゃくちゃで、ベンチャーそのものでした。会社のお荷物となった部署で、100人近い技術者がVHSに夢と希望を託し、会社に悟られないように極秘で開発し続けたのです。しかも通産省は「ベータマックスに一本化しろ」と迫ってくる。そんな苦境の中、パナソニックの松下幸之助氏に自宅門前で直訴までして大逆転したのでした。

今、こんな情熱や空気感は日本の企業にはありません。イノベーションも起きようがない。だからこそ、私たちベンチャーが引っ張って行かねばならないと考えています。

テラモーターズ株式会社/テラドローン株式会社 代表取締役社長 徳重徹氏

ドローン事業は豪州を皮切りに世界に一気に展開

――ドローンのこれからのビジネス展開についてお聞かせください。

徳重 今、手がけているのは土木測量、農業、送電線などの点検という3分野です。豪州政府と共に鉱山や鉄道を対象にした実証実験に取り組んでおり、順調に進んでいます。土木測量は広大な地域をレーザースキャナーで3次元化して調べます。かかる時間は人手でやる場合の10分の1、費用は3分の1に抑えられます。送電線では碍子(がいし)の破損などを数千枚の画像で調べており、AIを使うことを検討しています。

ドローンはIoT、ビッグデータ、クラウド、ロボティクス、AIのほとんどに絡んできます。専門家と話していると、新しい事業アイデアが次々に湧いてきます。
こうした事業を、豪州を皮切りにグローバルに展開しようと、現在試行錯誤しているところです。今年中には常識を覆すような海外法人のビジネスモデルを確立しようと思っています。情報が世界を瞬時に駆けまわる時代は、ビジネスは世界同時多発的にやらないと勝てません。

テラドローンのドローン         写真提供:テラドローン株式会社

テラドローンのドローン/写真提供:テラドローン株式会社

活気があったかつての日本を、若い世代に伝えたい

――徳重社長は大学を卒業して大手損保で働いた後、シリコンバレーでインキュベーション(ベンチャー育成)事業を6年間手がけられました。自ら創業に至った思いをお聞かせください。

徳重 シリコンバレーのすごさは、例えばグーグルからスピンアウトした社員たちがさらに多くのベンチャーを創業し、活躍している点にあります。幕末の日本で言えば、吉田松陰が松下村塾を作り、多くの人材を輩出したことに通じます。最終的に重要なのはやはり教育だと思います。

私はバブル崩壊前の勢いのあった日本を知っている最後の世代です。これからの日本をもっと活気のある国にしたい、今のままでは悔しい、という思いがあり、自分はその思いを若い世代に伝えていく人間になりたいと考えています。私が創業したのはそういう理由があったからで、他のIT起業家の方とはやや文脈が違うと思います。

日本では、ベンチャーといえばニッチ(隙間)と思っている人が多い。確かにニッチを狙えば成功確率は上がりますが、売上げが10億~20億円になると上場して終わり、と言うケースが多いのです。
私はそうではなく、最初からグローバル・メガベンチャーを意識してきました。グローバル・メガベンチャーといえば、時価総額は10億ドル以上。私たちも時価総額では目標が見えてきたかなという感じを持っています。日本の基準では上場できるレベルにありますが、それはまだ先の話です。

テラモーターズ株式会社/テラドローン株式会社 代表取締役社長 徳重徹氏

調達金額が日本の10倍も多いシリコンバレー

――シリコンバレーでの体験が徳重さんの人生観に強烈な影響を与えたのですね。

徳重 シリコンバレーではベンチャーが産業を創っています。これを知ったことが、私の人生の転機となりました。野球の米大リーグに出かけて行った野茂英雄投手のように、日本人はもっと世界を目指して誰かが突破しなければいけないと思いました。
日本では偏差値の高い人ほど起業家精神が低い傾向にありますが、シリコンバレーでは、スタンフォード大学の人たちの言うことはかなりクレイジーです。チェンジ・ザ・ワールドみたいなことを本気で考えている。これは驚きでした。最初から世界で勝負するんだというマインドが強いのです。

シリコンバレーでは調達できるお金の金額がすごく大きい。日本では6億円調達すればまあまあ、60億円ならトップ・オブ・トップですが、シリコンバレーはざっと日本の10倍です。最近は中国も金額が大きくなり、2000億円とか3000億円というケースがあります。調達額が大きいと、ベンチャーとして取れるリスクの大きさがまるで違うのです。
ベンチャーでは突然何が起きるか予測できません。米国の起業家で作家のポール・グレアムが「スタートアップをやることは、繰り返し顔面を殴られるようなものだ」と述べていますが、まさにその通りです。殴られて1度はシュンとなっても、すぐ立ち上がってモチベーションを継続することが大切です。なぜ自分はこれをやっているのかという信念やバックボーンが問われます。

私も1年前、15億円の融資を受ける計画が突然キャンセルされました。相当落ち込みましたが、今年に入って別のところから10億円を調達することができました。精神的にタフでなければやっていけません。(笑)

テラモーターズ株式会社/テラドローン株式会社 代表取締役社長 徳重徹氏

失敗によって、次に向けたエネルギーが蓄積される

――「ベンチャー経営は人材がすべて」と述べておられます。どのような人材を採用し、どのように育成しておられるのでしょうか。

徳重 世界的な事業展開をしたい、勝てる会社を日本で作りたい、という当社のビジョンに共感できる人、そして何よりモノやサービスを創り出すのが好きな人を採用しています。リーダーになるとか、世界で勝つビジネスマンになるというモチベーションは、今の世の中に流れている空気感、すなわち適当に食べていければいいとか、仕事もライフもそこそこ楽しく、というのとは別物です。

育成に当たって心がけているのは、若手に一段と高いテーマにチャレンジする機会を与えることです。失敗してもいいのです。失敗すると情けないし恥ずかしいから、次は頑張ろうと思う。それが次に向けたエネルギーの蓄積になります。
今の日本の若者にはそうした機会が少なすぎます。社会システムも失敗しないように作られている。よく大学生から「失敗しないためにはどうしたらいいですか」と聞かれますが、そこがそもそも間違っています。高杉晋作も、勝つかどうかではなく、やらなければならなかったから決起した。つまり信念で挑んだのです。

テラモーターズ株式会社/テラドローン株式会社 代表取締役社長 徳重徹氏

――1980年代に世界を席巻した日本の大手エレクトロニクスは、いま往年のブランド力を失っています。何が問題なのでしょうか。

徳重 テクノロジーの大変化が起きているにもかかわらず、大企業はスピード感、チャレンジ精神、リスクテイクに欠け、いまだにひと昔前の成功体験から抜けられないでいると感じます。
失敗しない人が出世するような減点法ではいけない。それは今の日本社会全体に言えることです。企業経営者は特に、「今変えなければ、明日はない」というぐらいの思いでリスクを取る決断が大切です。

外資系コンサルティング会社によると、新しい破壊的な技術革新が現れると、海外の経営者は前向きに捉えるのに対し、日本の経営者はマイナス、つまりやられると見ているというのです。
私が学生だったころは、大企業にイノベーションを語れる経営者がいっぱいいましたが、今はあまりいません。デフレ経営では「ここを切れ」でよかったけれども、今や新しいものを作ることが求められる時代になっているにもかかわらず、です。

テラモーターズ株式会社/テラドローン株式会社 代表取締役社長 徳重徹氏

ベンチャー精神を日本に取り戻すのが自分の役割

――そうした問題点の一方、日本企業の良さも挙げておられます。日本企業の将来性や可能性をどう見ておられますか。

徳重 日本企業の根底には、サムライ精神の潔さ、世のため人のためという「利他的」な姿勢、納期を守る信頼感、規律ある実行力などがあり、世界最強だと言えます。先輩たちが培ってくれたこれらの伝統や遺産は本当に素晴らしい。他の国の企業だと入り口で疑われますが、日本企業に対して信頼感が醸成されているので、ビジネスがとてもやりやすい。
この遺産を生かし、あとは蛮勇を奮って経営のスピードアップを図り、リスクテイクをやってみることです。

インド人や中国人は強いハングリー精神を持っていますが、そのハングリーさは個人の欲望に起因する部分が大きいと思います。
しかし、日本人の場合は、むしろパブリック(公共)の思いを大事にします。松下幸之助さんの水道哲学(水道水のように低価格で良質なものを大量供給し、消費者に行き渡らせようという思想)などはその好例です。

戦後の名経営者の1人である土光敏夫さんが書いた本を読むと、ベンチャー企業的なことがいっぱい書いてあって驚きます。当時の大企業経営者はそうした気概を持ち、リスクを取っていたことが分かります。
しかし、日本企業がバブル崩壊後に輝きを失ってからは、そうした経営者がいなくなりました。いるのかもしれないけれど、世の中全体が、わずかな失敗も許さず、寄ってたかって徹底的にバッシングをするので、志を持った経営者が次第に排除されているのかもしれません。
私に期待されている役割があるとすれば、「スピード」や「リスクを恐れずチャレンジする」というベンチャーの精神を日本社会に取り戻すことだと思っています。

テラモーターズ株式会社/テラドローン株式会社 代表取締役社長 徳重徹氏

TEXT: 木代泰之

徳重 徹 とくしげ・とおる
テラモーターズ株式会社/テラドローン株式会社 代表取締役社長

1970年山口県出身。九州大学工学部卒業。住友海上火災保険株式会社(現・三井住友海上火災保険株式会社)にて商品企画・経営企画などに従事。退社後、米 サンダーバード経営大学院にてMBAを取得、シリコンバレーのインキュベーション企業の代表として IT・技術ベンチャーのハンズオン支援に従事。帰国後2010年4月にテラモーターズ株式会社を設立。2016年にテラドローン株式会社を設立。 著書に『世界へ挑め! 』(フォレスト出版 )、『「メイド・バイ・ジャパン」逆襲の戦略 』(PHP研究所)、共著に『世界で勝て! 日本人よ「スーパーベンチャー起業」で本物の復活を目指せ』(ヒカルランド)などがある。

スクラップ&ビルドでは残せない、「街の記憶」を継承したい。今、「木賃アパート」を都市に残す理由

東京23区だけで、実に20万戸以上あるといわれている「木造賃貸アパート(以下、木賃アパート)」。老朽化、耐火・耐震的な脆弱性、空き家問題などさまざまな問題を抱えていることから、「負の遺産」と称されることも少なくない。
スクラップ&ビルドにより都市を更新しようとする現在の建設・不動産業界の潮流がある一方で、建物の改修アイデアを「共有する」というアプローチで問題解決を図るひとりのイノベーターがいる。気鋭の建築家であり、NPO法人モクチン企画の代表を務める連 勇太朗氏だ。モクチン企画はその名が示すとおり、「木賃アパート」を中心に、広く木造住宅を対象にした改修事業を行っている
その異色のアプローチは、どのようにして生まれたのか。人口流入がつづく大都市・東京が抱える弱点とはなにか。そして、いま目指すべき都市の形とは――。連氏にお話を伺った。

建築というアプローチで、社会と向き合う

ーー幼少期はどのように過ごされましたか。

 1990年~1995年まで、家族でイギリスに住んでいました。当時、父親が「AAスクール」(ロンドンにある私立建築学校)という建築学校に、途中まで学生、途中から教員という立場で在籍していました。イギリスに住んでいたのは3歳から8歳の間でしたが、はっきりと覚えています。

連 勇太朗(むらじ・ゆうたろう)

モクチン企画代表の連 勇太朗氏

ーーお父様も建築家だったのですね。

 父が通っていたAAスクールはとても前衛的な学校でした。ただ建物を設計するだけでなく、建築そのものの捉え方やコンセプトを重要視する学校です。ある日、私が帰宅すると、風呂場で自分の体を石膏で型取りしてスーツケースを作っているなど、かなり変わったことをしていました(笑)。当時、すでに父の職業が「建築家」だとは認識していたので、「建築家とはこういうことをする人たちなのか」と思っていました。今聞くと、身体と衣服の間にある空間の研究をしていたそうです(笑)。

ーーそれからご自身も建築家を志すようになったのですか?

 最初は、ジャーナリストになりたいと思っていました。本を書いて、社会を批評する生き方に強く憧れを持っていました。父は「自分の好きなことをしなさい」と言ってくれていたので、いろいろと考えた末に、建築の道には進まずにジャーナリストになることに決めました。

しかし、ある日私の勉強机の上に『錯乱のニューヨーク』という本が置いてあり、手に取りました。ジャーナリストから建築家に転向したレム・コールハースという人の著作なのですが、「20世紀のニューヨークは資本主義の原理で都市が作られ、権力や理念ではなく欲望から生まれた最初の都市である」といったことが書かれていました。

都市論から巧みな社会批評を行うその書作を読み、建築家になれば、モノを作って提案もしつつ、作品を通じてジャーナリスト的な活動もできると気づき、建築家を目指すようになりました。

連 勇太朗(むらじ・ゆうたろう)

ーー「ジャーナリズム的な視点を持った建築家」になりたいと考えたのですね。

 振り返ってみれば、幼少期からちょっとひねくれ者だったというか、人に言われたことをそのままやるようなタイプではなかったように思います。

私が通っていた高校は、学生主体で卒業式を作るのが慣例でした。私は卒業準備委員会の委員長を務めて、卒業式の準備についてのアンケートを教員に取りました。その回答率があまりにも低かったので、「教員が学生の活動をサポートしないのはどういうことか」と張り紙で批判をして、後から呼び出されてしまったこともあります(笑)。

ーーとても活動的だったのですね。大学時代はいかがでしたか?

 慶應義塾大学の湘南藤沢キャンパス(SFC)に通っていたんですが、カリキュラムも自分でアジェンダを立てて、好きなことを学ぶというスタイルでした。建築の勉強は、構造や設計というエンジニアリング的な思考で学ぶのが一般的ですが、SFCのカリキュラムは本当に自由で、私の場合は建築を軸にしながらビジネス、社会学、マーケティング、プログラミングなど幅広く学びました。

通常、建築家は住宅設計を依頼され、工事の監理を行い、その工事費の一部を設計料としていただくことで成り立つので、その意味で受動的な職業といえます。しかし、私はジャーナリスト的な働き方をしたいと思っていたので、将来は自分で見つけた課題に対して建築的なアプローチを取りながら自ら能動的に迫っていけるよう、さまざまな分野の学問を学ぼうと思いました。

連 勇太朗(むらじ・ゆうたろう)

木賃アパートの部分的・汎用的な改修アイデアを共有する

ーー「木賃アパート」に着目するようになった理由を教えてください。

 実は最初から、木賃アパートに興味を持っていたわけではなく、どちらかと言えば、建築家が頭の中で考えている建築のデザインやアイデアを他の人と共有したり交換したりできないものか、その方法や手法について興味がありました。

1960年代に開発された「パタン・ランゲージ」という建築理論があるのですが、建築や都市を作る際にはいくつかのパターンがあって、それを組み合わせると誰もが建築や都市を作ることができるという理論です。20世紀前半の建築は作り手の表現に依る作家主義的な建築の勢いが強かったので、こうした流れに対するある種のアンチテーゼと言えます。建築はそこに住むユーザーが作り上げるべきものだという考えにのっとり、パタン・ランゲージはそれを可能にする、いわば「都市デザインや建築の辞書」のようなものです。

実際にその理論を使った街づくりが国内外で行われていたのですが、すでに私が学生だったころには、「パタン・ランゲージ」自体は過去の理論として扱われている状況でした。しかし、インターネットが発達してコミュニケーションが取りやすくなった現代にこそ、この「アイデアを共有し合う」という考え方が活きるのではないかと感じました。

そこで卒業制作として「パタン・ランゲージ」を応用して建築物を作ってみようと決意しました。企画書を持って、いくつかの企業に売り込みをしたところ、当時、良品計画に在籍していた土谷貞雄さんとブルースタジオの大島芳彦さんに出会い、学生プロジェクトとしてスタートしたのがモクチン企画のはじまりです。翌年に北沢にある木賃アパートの改修が実現しました。

モクチン企画(当時は「木造賃貸アパート再生ワークショップ」という名称)が初めて改修に取り組んだ、北沢の木賃アパート

モクチン企画(当時は「木造賃貸アパート再生ワークショップ」という名称)が初めて改修に取り組んだ、北沢の木賃アパート

ーーそこで初めて木賃アパートに行き着くのですね。

 プロジェクト自体はうまくいったのですが、しかし、街中を見渡してみると、改修が必要な木賃アパートが他にもたくさんあることに気づいたいのです。完成したという満足感と同時に、「たった1つしか改修することしかできなかった」という挫折感と無力感が同時に湧き上がってきました。

そこで、自分たちが開発した改修アイデアを大勢の人と共有することで、同時多発的に木賃アパートが抱える問題を解決していこうと考えて開発したのが、「モクチンレシピ」です。

ーーここであらためてモクチンレシピについて教えてください。

 モクチンレシピは木賃アパートを改装するための、部分的かつ汎用性のあるアイデア集のことです。家具系のもの、内装の仕上げ関係のもの、外構関係のものなど、必要に応じてアイデアを組み合わせて使います。料理のレシピのようなイメージですね。

ウェブで公開されているモクチンレシピの中から使いたいレシピを見つけた場合、有料で仕様書がダウンロードでき、それを工務店や大工さんに渡してもらえれば、大家さんや不動産会社でも改修ができるという仕組みになっています。

改修にかかる費用ですが、2~3万円ほどでできる小さな改修から、レシピの組み合わせ次第では2000~3000万円ほどかかる大がかりな改修もあり、小規模なものであれば設計をわざわざデザイナーや建築家に頼む必要はありません。現在のメインユーザーは不動産管理会社です。

モクチンレシピの改修例

モクチンレシピの改修例。木部を木部らしく蘇らせる「木肌美人」

モクチンレシピの改修例

壁面の色や壁紙の種類を整えて、部屋の印象を明るくする「ぱきっと真壁」

モクチンレシピの改修例

建物の前に長い縁側を設置して、外構の印象を変える「縁側ベルト」

「スクラップ&ビルド」だけでは、真の都市開発は進まない

ーー現在、東京の都市開発にはどのような問題があるとお考えですか。

 東京は、都市計画や開発が正常に機能したのは山手線の内側とその周辺のごく一部の地域で、その外側は「木密地域(=木造住宅密集地域)」が広がっています。これらの地域は火災が起きると大規模火災に発展する危険性が高く、1995年に発生した阪神・淡路大震災では木密地域で甚大な被害が発生しました。

東京都内の「木造住宅密集地域」、木賃ベルトとも呼ばれている。木造住宅の密集地が赤く表示され、その分布が一覧できる(作成:モクチン企画)

東京都内の「木造住宅密集地域」、木賃ベルトとも呼ばれている。木造住宅の密集地が赤く表示され、その分布が一覧できる(作成:モクチン企画)

しかし、既存の木賃アパートを始め、木造住宅をすべてコンクリートにすればいいのかというと、決してそうとも言い切れません。例えば、観光客に人気のエリアとなっている谷中(東京都台東区)は、昔ながらの日本の風景が残る木密地域です。狭い路地があったり、のんびり猫が歩いていたりして、街並みに風情があります。そこを木密地域だからといって全部コンクリートに変えてしまうのは誰だって疑問に思いますよね。

ーー確かに木造住宅が持つ文化的な価値は、私たち日本人には大切ですよね。

 おっしゃる通りです。災害発生時の脆弱性に関しては改善を行うべきですが、木造住宅そのものをただなくせばいいという単純な話では決してありません。

これは、東日本大震災で被害を受けた東北をどのように復興させるのが正解なのかという議論にも似ています。津波被害を回避するために高い防波堤を建てて街を守ることと、海と結ぶついた漁業の文化、生活風土、景色を守ることが矛盾してしまうように。これは土木的な問題と生活文化的な問題が相反するためで、簡単にどちらがいいと言えるような問題ではありません。

ーーしかし、木造住宅に対してあまりポジティブではないイメージを抱く人も実際にはいるかと思います。

木造住宅という属性そのものが持つ危険性に加え、そこにひそむ社会構造的な問題が起因しているのかもしれません。。

2011年に、大久保(東京都新宿区)の老朽木造共同住宅で火災が起こったのですが、そこに住む23名のうち18名が高齢かつ生活保護者であることが発覚しました。生活困窮者が、こうしたアパートに住まざるを得ないという現実が浮き彫りになった事件でした。

欧米ではパブリックハウジングやソーシャルハウジングと呼ばれる、いわゆる「低所得者のための住まい」が住政策や都市計画のなかで位置付けられており、計画的に生み出されています。しかし日本にはそういった仕組みがなく、生活困窮者がどこに住むのかというと、家賃の安い木賃アパートが多いのです。ネガティブな意味で、木賃アパートは住まいのセーフティネットになってしまっているのです。

こうした問題に加え、土地の所有関係が複雑だったり、法規的に既存不適格で建て替えができなかったりと、制度や法規的な問題から、整備や更新が思うように進んでいないのが現状です。

連 勇太朗(むらじ・ゆうたろう)

ーーその他に、都市開発にかかる問題にはどのようなものがありますか。

 戦後一斉に作られた木造住宅が老朽化し、空き家化しているのも見過ごせない問題です。「古い」とか「かっこよくない」といったイメージが付きまとっているかもしれませんが、モクチンレシピを活用すれば、低予算でも改修ができますし、和室の良さを残したままでアップデートすることができます。

そうすることで木造住宅のイメージを刷新し、新たに「住んでみたい」と思う人が増えればと願っています。

ーーモクチンレシピには個人から社会まで、さまざまなレイヤーの問題を解決する可能性を感じます。

 木賃アパートや木造住宅を取り巻く問題は、単純な「スクラップ&ビルド」では解決できない。そこで、どのように都市を正常に更新していくのかを主眼に置いています。

建て替えられるものは建て替える一方、法規的に建て替えられなかったり、予算上それが難しかったりする場合、そのまま放置するのではなく、低コストでも解決できるオプションを用意することで解決の糸口を見つけられるようにする。そうすれば、いつか解消できる問題だと確信しています。

応接間の中央にあった、50年物の化粧柱。「モクチンレシピで事務所を改修した時も、これは残そうと考えていた」と連氏

応接間の中央にあった、50年物の化粧柱。「モクチンレシピで事務所を改修した時も、これは残そうと考えていた」と連氏

「つながりを育む街」を作ることで、都市は強くなる

ーーこれまで木賃アパートと向き合ってきた連さんにとって、「人と住まいとの関係性」とはどのようなものですか?

 人は住もうと思えばどんなところにだって住めるので、自分らしい生き方を考えて、それに合った暮らし方をするのがベストだと思うんです。しかし、日本では「住まい」に対する固定観念にとらわれて過ぎている気がします。

例えば、ダイニングで食事をしたりリビングでテレビを観たりするという行為は間取りに縛られていますし、「木賃アパートよりマンションの方が安全だ」と信じられているのは住宅そのものが持つイメージに縛られていますよね。僕はそういった固定観念を取り払い、人と住まいの関係をもっと自由にしたいと考えています。

連 勇太朗(むらじ・ゆうたろう)

ーーそのためにモクチン企画が存在するんですね。

 そうです。「負の遺産」だと思われがちな木賃アパートも、モクチンレシピで改修すると生まれ変わります。

モクチン企画のミッションは「つながりを育む街」を作ることです。ひとつは「時間的なつながり」。スクラップ&ビルドの繰り返しで、その建物や街が持つ記憶や文化、歴史を上書きするではなく、継承する。もうひとつが「物理的なつながり」。マンションがプライバシーやセキュリティを重視するのに比べ、木賃アパートはその構造上、周囲とのつながりが生まれます。なんとなく顔見知りの隣人の様子がおかしかったら、すぐに助けに行くこともできる。それは、つながりが生み出す街の強さであり、寛容性のある社会をつくっていくことにもつながると思います。

人と人とのつながりが希薄になりがちな現代だからこそ、木賃アパートを改修しすることで生まれるさまざまな価値を、これからも追求したいと考えています。

 

TEXT:五十嵐 大

連 勇太朗(むらじ・ゆうたろう)
建築家、モクチン企画代表理事

1987年、神奈川県生まれ。幼少期をイギリス・ロンドンで過ごす。2012年に慶應義塾大学大学院 修士課程修了後、モクチン企画を設立。2015年からは慶應義塾大学大学院SFC 特任助教、横浜国立大学大学院非常勤講師も務める。2017年には著書『モクチンメソッド:都市を変える木賃アパート改修戦略』(学芸出版社)を上梓。

初めて見るのにどこか懐かしい――奇想天外な建築で世界を魅了する藤森照信氏から見た「日本建築の遺伝子」とは?

これはまるでジブリの世界?――
左右2本の垂直に立てられた柱に、ワイヤーで吊っただけの「空飛ぶ泥舟」、 地上から6mほどの高さに、小さな茶室を乗せた「高過庵」など、見る者を驚かせる一方でどことなく懐かしく郷愁を誘う建築がある。世界中の多くの人が、驚嘆とともにSNSに写真を投稿したくなる建築を生み出してきた藤森照信氏による作品だ。藤森氏は、建築家・建築史家であり、江戸東京博物館の館長も務める。
現在、東京六本木の森美術館で開催中の「建築の日本展:その遺伝子のもたらすもの」(※)の監修にあたった藤森氏に、日本建築の伝統と遺伝子、そして自らの建築について伺った。

(※)9月17日(月)まで開催

新石器時代のインターナショナリズムと、21世紀のそれ

――藤森さんの建築は、国の内外を問わず多くの人が写真を撮ってSNSに投稿しています。こうした建築の発想は、どこから生まれるものなのですか?

藤森 自分でも分からないのです。なんでこうなるの、と本当に不思議です(笑)。
いいイメージが湧かなくて、これもだめ、あれもだめと試行錯誤しているうちに自然に生まれてくるのです。

空飛ぶ泥舟(長野県茅野市)/写真:藤森照信氏

空飛ぶ泥舟(長野県茅野市)/ 写真:藤森照信氏

故郷の長野県茅野市に建てた高過庵(たかすぎあん)は、きっと昔どこかで見た絵や写真に木の上の家があって、そのイメージが頭にあったんでしょうねぇ。ふと高い木の上に茶室があったら面白いだろうなという、そんなちょっとした思いつきがヒントになり、新しいイメージへとつながっていったのです。

高過庵(長野県茅野市)/写真:藤森照信氏

高過庵(長野県茅野市)/ 写真:藤森照信氏

――現地に行ってそこに立ったらイメージが浮かんでくるとか。

藤森 いえいえ、そんなに楽なものはではないです。滋賀のラ コリーナ近江八幡は、施主から「丘を作ってほしい」と言われたのです。そのように施主よりリクエストをいただくこともあります。

ラ コリーナ近江八幡 草屋根(滋賀県近江八幡市)/写真:藤森照信氏

ラ コリーナ近江八幡 草屋根(滋賀県近江八幡市)/ 写真:藤森照信氏

多治見市モザイクタイルミュージアム(岐阜県多治見市)/写真:藤森照信氏

多治見市モザイクタイルミュージアム(岐阜県多治見市)/ 写真:藤森照信氏

――幼少期の体験というのも関係しているのではないでしょうか。 

藤森 間違いなく何かあるのでしょうね。故郷で毎日見ていた光景が染み付いていて、自分の中に造形的感覚となって潜んでいて、それがある時、現実化してくるのだと思います。でも、それがどういうタイミングで出てくるのか、自分でも分かりません。
自然の素材を使うので、形と関係なくどの景色にもなじむのかもしれない。その場所の自然の中で育った素材を使い、自然の中で造るから、そこに最初からあるかのように見えるのかもしれません。

藤森さん

――SNSの投稿を見ると、老若男女を問わず世界の人が藤森建築に魅了されていますね。

藤森 彼らを魅了しているのは、実は日本の伝統とは限らないものですね。石、草、木など、日本の伝統の遥か昔からそこら辺にあったものなので、世界中の人が素直に面白がってくれるのでしょう。石、草、木は、世界中どこにでもありますよね。それほど大きな違いはないです。日本の砂浜の砂と世界の砂漠の砂、違いは量の問題です。国や地域ごとの文化の違いが出てくるのは、ピラミッド建築など青銅器時代の四大文明以降です。それ以前の新石器時代は、どこの地域も同じ、石と草と木です。私の建築は、世界を文明や文化で分ける以前の素材で造られているので、多くの人が共感してくれるのでしょう。
そういった点では、21世紀の新たなインターナショナリズムですかね。でもそれは、新石器時代の最初のインターナショナリズムが、私の中で確立されているということなのです。

――出身地である茅野からは、「縄文のヴィーナス」はじめ多くの縄文時代の土偶や埴輪、土器が出土しています。そうした環境は何か影響していますか?

藤森 確かに新石器時代の中心的な場所だったかもしれません。でも私にとっては、たまたま。そこで育てば誰でも独創的な建築家になるかというと、そうではないですよね(笑)。
ただ確かに、言われてみると大学に入って外の世界に出て初めて、自分は特殊な自然信仰の地で育ったんだなあと気付きました。諏訪大社の御柱には、まさに新石器時代のスタンディング・ストーンに通じるものが感じられます。空に突き刺すように伸びる柱のイメージが、「高過庵」や「空飛ぶ泥舟」へと連なっているのかもしれません。

縄文時代から深く根付いている何か、日本人は割合文明国の中では珍しくそれを温存している民族です。文明が独自の形態として成立する以前の自分たちの文化が、すでに縄文時代にあったことに最初に気付いたのは、岡本太郎でした。

藤森さん

海外文化と日本的伝統文化の遺伝子が融合

――東京・六本木の森美術館で、藤森さん監修の「建築の日本展:その遺伝子のもたらすもの」が開催されています。この展覧会のテーマや狙いについてご紹介いただけますか。

藤森 日本の現代建築は、世界のトップ集団を走っていると思っています。海外の方から見ると、そこに何か日本の伝統を感じると言う人がいる。建築家の方でもそう言及する人もいれば、そうでない人もいます。日本の建築史の中で、日本の伝統とは何なのか、建築との関係性を探ってみよう、というのが全体のテーマです。建築家個人の展覧会、特定のカテゴリーに沿った展覧会は、これまでもあったと思いますが、日本の伝統とは何かを建築に求めたものは珍しいのではと思います。

――日本の建築とは、どこから始まったのでしょうか。

藤森 縄文住居から始まったと考えます。建築は大きく分けると、住宅と記念碑からなります。住宅やオフィスビルなど人が生活するためのものと、神社やお寺などの宗教施設の2系統があるととらえて、流れを追っていくと分かりやすいと思います。

住宅は縄文住居が、記念碑は神社や古墳が日本的伝統の起源となるでしょう。そこから現代の建築までその遺伝子の関係性を克明にたどることは今回の大きなチャレンジだと思います。建築の展覧会の難しいところは、建築の現物そのものを美術館内に持ってこられないということです(笑)。
ですから、写真、図面、模型などを使って見せていく。今回、私も初めて見るような貴重な資料もたくさん展示してあります。絵画の展覧会とは違い、壁いっぱいに飾られているので、皆さん驚かれます。

そしてやはり重要なのは、建築は立体的なものなので、写真や図面だけでなく模型で見せることです。古代の出雲大社の本殿や丹下健三邸など、今では現存しない過去の建築も模型で見ることができます。丹下の自邸は、同じ建築材を用いて3分の1のスケールで再現しました。模型としてもかなり大きいので、これで実際の姿を思い描いていただければと思います。

また、実際に中に入って体験できるものとして、千利休作と伝えられ、現存する茶室建築としては日本最古の国宝「待庵」を原寸大で構築しました。ぜひ中に入っていただき、利休が創り上げた空間を感じ取っていただければ幸いです。

藤森さん

――木造建築の宿命として、災害などで壊れてしまったり、また老朽化によって残っているものが少ないように思えますが。

藤森 京都や奈良の神社仏閣など、1000年以上前に建立されたものが今も残っているケースもたくさんあります。本当に古いものは、かえってきちんと残っている。むしろ、近現代の木造建築の名作は、災害や戦災によって失われてしまったものもありますが、再開発などによって壊されてしまったものが多いですね。日本人は、新しいもの好きで、そのアイデンティティーを都市や建築に求めず、山河など自然に求めているのではと思います。
古い木造建築は耐震性がないから残せない、と言っているのは、壊す側の人の都合ですね。現代の技術をもってすれば、壊さずとも補強することはできるはずです。ただ、どちらに経済的優位性があるか、その天秤にかけられた時、古いものを壊して新しいものを築くことが優先されるのでしょう。

藤森さん

――明治以降、多くの外国人建築家が来日しました。それ以降、日本の建築にどのような変化があったのでしょうか?

藤森 日本の建築史上、大きなインパクトはこれまでに3回あったと考えています。
最初が飛鳥時代の仏教の伝来、2つ目が安土桃山時代のヨーロッパ文化の流入、最後が明治時代の文明開化です。

飛鳥時代は、仏教とともに仏像や寺院建築という新しい文化が入ってきました。これまでの日本の伝統とは全く異なるものが入ってきたのです。建築上もものすごい変化が起きたと思っていますが、6~7世紀の飛鳥時代の木造建造物は世界を見回しても法隆寺しか残っていません。このため、いったいどのような変化が起きたのかは現在では比較する術がありませんが、いろいろなことが起きてあの法隆寺になったのだと思います。

安土桃山時代は、織田信長の安土城に代表されるようにヨーロッパ文化との激突が起き、それが日本の伝統と融合して新しいものを創造しました。茶室が生まれたのもこの頃です。

最後にして最大のインパクトは、明治時代に起きました。コンドルなど著名な建築家が多数日本を訪れ西洋の建築技法を伝授しましたが、日本が国を挙げて誘致したため、中には怪しい建築家がたくさんいたのです。「怪しい」というのは、建築家ではないという意味です。水道技師や土木技師など他の技術を持った人々で、実はそれがとても面白い建築を多数生み出しました。そんな怪しい建築家の持ち込んだ技術を、日本の粋な大工たちが自分たちの伝統の中に取り込み、大変ユニークな「擬洋風建築」を生み出したのです。旧開智学校や旧中込学校など、小学校の建築に多く残っています。

日本のペンションや別荘などの建築に、白く塗った板を段状に積み重ねた板張りの様式(下見板コロニアル様式)が多く見受けられますが、このアメリカ開拓民の木造様式がなぜか日本で多く定着しました。特にアメリカと建築的に同じ開拓の歴史を持つ北海道に、この様式の建築がたくさん造られました。代表的なのものが札幌の時計台です。
日本の建築は、昔から海外からの多様な影響を受けてきましたが、そのまま輸入するのではなく、日本の伝統に根ざした遺伝子と上手に融合してきました。その1つが擬洋風建築です。とても面白いですよね。

藤森さん

――建築史家の藤森さんから見て、日本の近現代で画期的な建築は何でしょうか?

藤森 たくさんあって挙げるのは大変ですが、あえて1つ選ぶとすれば、丹下健三の代々木オリンピックプール(国立代々木競技場)でしょう。これは、20世紀後半の世界の最高傑作だと思います。世界遺産にするべきと思いますね。世界の建築に与えた影響は、はかりしれません。
技術的にも大変難しい吊り構造、そして構造体を表面として見せる20世紀建築の理想を実現しました。構造表現主義と呼ばれるものですが、構造や材料を隠さずに表面に出して、なおかつ美しく見せたものです。

建築だけではなく、そこにいる人間の営みを感じてほしい

――ところで、藤森さんは1993年に江戸東京博物館が創立された当時から、内部に展示されている建築物などに関し、建築家として、また建築史学者として携わって来られ、2016年7月からは館長をなさっておられます。ここでは江戸、明治、大正、昭和とさまざまな時代の東京を見ることができてとても興味深いのですが、東京という都市についてどのようにご覧になっていますか?

藤森 街並みはすごく変化したように見えるし、実際建物は変わっていますが、皇居が中心にあり、そこから同心円状に街が広がっているという姿は、基本的には江戸時代から変わっていないと思います。

――江戸東京博物館には、多くの方が来場されていますが、どういうところを見てほしいですか?

藤森 多くの建築物を再現しているのでそれを1つひとつ見てほしいですが、ぜひそこから当時の人々の生活を感じとっていただきたいですね。
江戸時代の長屋や、戦後高度成長期の郊外の公団住宅、そこにどんな家族がいて、そこにある調度品や家電、生活用品をどう使い、どんな会話をして、どう暮らしていたのか、思いをはせていただければと思います。団地の一室の再現など、よくご覧になってください。細部まで本当にしっかり再現されており、懐かしい方は多いと思います。

下町の庶民住宅(復元年代:昭和初期)/写真提供:東京都江戸東京博物館

下町の庶民住宅(復元年代:昭和初期)/ 写真提供:東京都江戸東京博物館

ひばりが丘団地/写真提供:東京都江戸東京博物館

ひばりが丘団地 / 写真提供:東京都江戸東京博物館

館内を案内している時、よく話題になるのは、各時代の給食の展示です。これには地域差もかなりあるんですよね。「うちの田舎は、東京のように豪華じゃなかった」など、話に花が咲きます。

もう1つ、明治10年代後半の銀座の煉瓦街を再現した模型ですが、ぜひ銀座通りを行き交う人々に注目してください。よく見ると喧嘩をしていたり、人力車が倒れて警察沙汰になっていたりと、その当時実際にあった出来事を記録から再現しているのです。着ている着物の縞の柄なども、当時使われていたもので、それを写真に撮って薄い粘土にプリントして人形に着せています。当時の生活の記録としても、そうした細やかな細工をほどこした人形としても、まさに文化財だと思います。その時代の市井の人々の生きた記録としても、大変価値が高いものです。

銀座煉瓦街/写真提供:東京都江戸東京博物館

銀座煉瓦街 / 写真提供:東京都江戸東京博物館

――東京の建築物もどんどん新しくなってきています。そんな中、日本橋の高速道路撤去の話も出ていますが、建築家は建築と景観をどのように考えているのでしょう。

藤森 考えていないんじゃない?(笑)。いやいや、考えてはいるのでしょうけれど、建物を景観に合わせようとしていないですね。どう合わせようかと悩んでいる建築家もいるでしょう。また、そもそもこんな景観に合わせられるかと最初から諦めている人もいるでしょう(笑)。

日本の都市の景観は、もうぐちゃぐちゃです。前回のオリンピックの時、日本橋の上に高速道路を通すという計画に反対した人はほとんどいませんでした。景観論争など全く起きなかったですね。古いものは壊して新しいものを造る、高速道路が都市の真ん中を空中突き抜けて造られているのは日本くらいなものですよ。
日本人は、建築物より土地が大事。これほど土地信仰が強い国はないと思います。地震や火事など災害の多い歴史を持っているので、壊れてしまう建築物より無くならない土地により価値を置くのかもしれません。

――今後、造りたい建築はありますか?

藤森 ずっと前から思っているのですが、1本の巨大な樹を彫っていって家を造りたい。巨大な樹を持ってきて、玄関から順に廊下、トイレ、部屋、台所、階段と彫り進め、1軒の家を完成させます。でも、そんな樹がないの(笑)。
継ぎ目のない木の空間、そんな場所で暮らしてみたい。木は、いいよねえ。軽いし、曲がるし、薄く削って透かすこともできます。木の温もり、木の香りに包まれて過ごせるといいですね。

藤森さん

TEXT:栗原 進

藤森照信 (ふじもり・てるのぶ)
建築史家、建築家、東京大学名誉教授、工学院大学特任教授、東京都江戸東京博物館館長

1946年長野県生まれ。東京大学大学院工学系研究科建築学専攻博士課程修了。1983年、『明治の東京計画』(岩波書店)で毎日出版文化賞受賞。1986年、赤瀬川原平、南伸坊らと路上観察学会を発足。1991年「神長官守矢史料館」で建築家デビュー。1997年「ニラハウス」で日本芸術大賞、2001年「熊本県立農業大学校学生寮」で日本建築学会作品賞を受賞。 土地固有の自然素材を多用し、自然と人工物が一体となった姿の建物を多く手掛けている。近作に「多治見市モザイクタイルミュージアム」や、「ラ コリーナ近江八幡」の「草屋根」「銅屋根」などがある。 著書に『日本の近代建築』(岩波新書)、『フジモリ式建築入門』(ちくまプリマー新書)、『藤森照信建築』(TOTO出版)など多数。

ニューラルネットワーク、進化の最前線――生物により近い機械学習を可能にする「動的ボルツマンマシン」

人間の知能を模した人工物をつくること、それが人工知能研究だ。その中で重要な役割を占めるのが「機械学習」の研究である。機械学習とは、コンピューターに人間が持っているような学習能力を獲得させる取り組みだ。今日の人工知能研究において欠かせないこのトピックについて、本記事では掘り下げる。

人工知能の進化を担う、機械学習の最前線

近年の機械学習研究でもっとも注目されているのが「神経回路網(ニューラルネットワーク)」を多層化することで、より複雑な処理を可能にした「深層学習(ディープラーニング)」だ。

ニューラルネットワークとは、人間の脳にある神経細胞「ニューロン」の情報伝達方法から着想を得た数理モデルである。いわば人間の脳機能の仕組みをコンピューター上で“真似る”ことで、学習を行わせる技術だといえる。

ディープラーニングの成果はプロの囲碁棋士を次々と破った「AlphaGo」によって広く世間に知られるようになったが、画像や音声の認識、翻訳など特定のタスクに関しては、人間のパフォーマンスをはるかに凌駕すると言えるだろう。

人工知能の進化を担う、機械学習の最前線

より生物に近い機械学習に可能にするために

このニューラルネットワークの発展を加速する基礎技術が、IBM東京基礎研究所で生まれた人工知能技術「動的ボルツマンマシン」だ。

動的ボルツマンマシンを理解するうえで重要なキーワードが、生物の神経細胞が学習を行う法則として1940年代に提唱された「ヘブ則」だ。ヘブ則は、記憶に関係する現象であると考えられており、脳内における2つの神経細胞が同時に発火するとき、それらの結合が強化されるという法則だ。たとえば「猫を見た」ときに発火する神経細胞と、「猫という言葉を聞く」ときに発火する神経細胞が存在すると仮定する。このとき、猫を見て、猫という言葉を同時に聞くと、これらの神経細胞が同時発火し、結合が強化され、学習・記憶が促されるというものだ。

1980年代に「ボルツマンマシン」というニューラルネットワークが提案された。ボルツマンマシンが学習するように、高度な数学を駆使して学習則を導くと、その学習則がヘブ則の性質を帯びていることが分かった。このボルツマンマシンを進化させたものが動的ボルツマンマシンだが、その進化において重要な要素となるものが「スパイク時間依存可塑性」だ。

スパイク時間依存可塑性は、生物の神経細胞において観察され、ヘブ則における神経細胞間の結合強度の変化量が、2神経細胞の発火する「時間差」に依存するという現象だ。高度な数学を駆使して導かれる学習則がスパイク時間依存可塑性の性質を帯びるように作られたのが動的ボルツマンマシンだ。

ニューラルネットワークの発展の歴史

ニューラルネットワークの発展の歴史

実用化が期待される動的ボルツマンマシン

動的ボルツマンマシンを端的に解説するならば、時間とともに刻一刻と変化する「時系列データ」において、予測や異常検知を可能にする人工知能技術ということになる。

私たちの日常生活には、多くの時系列データが存在する。例えば、私たちの生体情報が挙げられる。私たちの身体は決して止まることなく刻一刻と変化しており、それらは心拍、血圧、体温などの時系列データとして観測される。これらの情報に対し、動的ボルツマンマシンを導入してモニタリングを行うことで、体調に悪い変化があった時に異常検知を行うことができる。より高いレベルでの健康維持が実現できるというわけだ。

また、株価などの経済情報も時系列データだ。IBMは、動的ボルツマンマシンを応用した「市場予兆管理ツール」を、株式会社みずほフィナンシャルグループおよび株式会社みずほ銀行と共同開発した。このツールは将来における価格推移や変化に対し予測を行いながら、急騰や急落の事前検知を実現するために開発され、資産の安定運用に大きな貢献をもたらそうとするものである(※)。

また、IBM東京基礎研究所は産業用ロボットのリーディングカンパニーである安川電機の協力により、産業用ロボットに職人技を自動的に学習させるという試みを行った。従来の手法では、ロボットのタスク実行のためには熟練した技術者によるプログラミングが必要だったが、動的ボルツマンマシンで力覚センサーの時系列データを処理することで、ロボットを自律的に動かし、タスク処理ができるようになった。

今後、より進化する人工知能技術、機械学習は、人間のさまざまな社会活動における課題や困難を解決してゆく強力な技術になるだろう。その背後には、常に人間の脳を模倣し、これまで不可能とされてきたようなタスク処理を可能にするIBMの動的ボルツマンマシンがある。

 

TEXT:森 旭彦

(※)参考リンク
A.I.等の先進的テクノロジーを活用した市場予兆管理ツールを開発(日本IBMニュースリリース)

本コラムのソース論文である『拡がる人工ニューラル・ネットワークの可能性』はこちら

論文執筆者:恐神貴行
日本アイ・ビー・エム株式会社
東京基礎研究所
ソリューション&サービス 数理科学
シニア・リサーチ・スタッフ・メンバー
 
1998年日本IBM入社。以来、東京基礎研究所において、最適化・機械学習・意思決定を中心とした数理科学に関わる研究開発に従事。現在、動的ボルツマンマシンに関わる研究開発プロジェクトをリード。IBMアカデミーメンバー。米国学術博士。

日本人の4人に1人は頭痛に悩んでいるという。片頭痛、緊張型頭痛、群発頭痛を3大慢性頭痛と言うが、中でも片頭痛は近年、発生のメカニズムや治療法の研究が進み、効能のある医薬品が登場してきた。
頭痛の世界的な権威である埼玉精神神経センター・埼玉国際頭痛センター長の坂井文彦氏は「米国では頭痛を明確に病気と捉えるのに対し、日本では“たかが頭痛”として性格の弱さや怠けているように見なしがち」と指摘。繰り返し起こり、生活に支障を及ぼしているのに、本人にしか苦しみが分からない頭痛が大きな社会的損失になっていることを、もっと理解することが必要だと強調する。
坂井氏は、患者さんに「頭痛ダイアリー」を書いてもらって頭痛の種類の把握や治療に効果を上げる一方、身体のリズムを安定させるため、独自に頭痛防止の体操を考案して効果を上げている。
この5月に著書『「片頭痛」からの卒業』(講談社現代新書)を上梓したばかりの坂井氏に、頭痛はなぜ起きるのか、どう克服すればいいのかなど、最新の知見をもとに解説していただいた。

片頭痛の患者は15歳以上で全国に840万人も

――片頭痛、緊張型頭痛、群発頭痛という3大慢性頭痛の患者さんは全国にどのぐらいいるのでしょうか。また男女差はあるのでしょうか。

坂井 大規模な疫学調査によると、片頭痛の患者さんは15歳以上で全国に840万人、15歳未満を含めると約1000万人います。緊張型頭痛は2400万人とさらに多く、群発頭痛は100万人ぐらいです。合計すると国民4人に1人の割合です
片頭痛は女性に多いのが特徴ですが、緊張型頭痛の男女比はほぼ同じです。群発頭痛は男性が圧倒的に多いとされてきましたが、最近では女性患者もかなりいることが分かってきました。
日本では頭痛の患者さんをよく「頭痛持ち」と呼び、神経質だとか意志が弱いとか怠けているとか性格の問題のように考える傾向があります。しかし、頭痛は国際基準で367種類に分類されていることから分かるように、紛れもなく病気です。だから世界の多くの研究者が原因やメカニズムを研究し、治療法も進歩してきたのです。

片頭痛の患者は15歳以上で全国に840万人も

片頭痛と緊張型頭痛は、痛みのメカニズムが正反対

――それぞれの頭痛の症状や見分け方を、説明していただけますか。

坂井 頭痛はその種類によってメカニズムも治療薬も全く異なるので、慎重に見分けなくてはなりません。頭痛の症状の違いを「起こり方と経過の違い」の図で説明しましょう。

片頭痛は頭の片側がズキズキと脈打つように痛み、吐き気や嘔吐を伴います。光や音に過敏に反応し、月に2~4回起きます。痛みは相当つらいですが、おさまるとケロッとしています。頭の中の血管が拡張し、その周囲に炎症が広がることが痛みの原因です。

図1 頭痛の見分け方 (起こり方と経過の違い)

『「片頭痛」からの卒業』(講談社現代新書)

出典: 『「片頭痛」からの卒業』(講談社現代新書)

緊張型頭痛は頭の重さや圧迫感、締め付け感があり、肩や首がこるのが特徴です。ほとんど毎日続きます。不自然な姿勢で長時間デスクワークをするとか、人間関係などの精神的ストレスで血管が収縮して血行が悪くなり、筋肉に疲労物質や痛み物質がたまることが原因で起きます。

このように血管が拡張する片頭痛と、収縮する緊張型頭痛では痛みのメカニズムが正反対です。その区別は重要で、頭痛が起きている時に身体を動かしてみると分かります。片頭痛は身体を動かしたりマッサージしたりすると痛みがひどくなりますが、緊張型頭痛は逆に軽い運動や散歩をしたほうが血行がよくなり、症状が緩和します。
片頭痛と緊張型頭痛は、最初に首の後部の痛みから始まることが共通しています。このためどちらの型の頭痛か、間違えないよう注意が必要です。

群発頭痛は年に1~2回の頻度で、1~2カ月の間頭痛が連続的に発生します。毎日1~2時間、片側の目の奥がえぐられるように強く痛み、痛むほうの目が充血したり涙が出たりします。

頭痛は検査データで診断できるものではないので、患者さん自身が自分の症状を整理して理解することが大切です。それには、後で説明する「頭痛ダイアリー」がとても有効な手段になります。

片頭痛と緊張型頭痛は、痛みのメカニズムが正反対

身体リズムをコントロールするセロトニンに異常が起きる

――片頭痛の原因になる血管拡張は、どんなメカニズムで起きるのでしょうか。最新の知見を解説していただけますか。

坂井 まず申し上げたいのは、片頭痛は遺伝に関係しているということです。脳卒中の家系とか糖尿病の家系があるように、片頭痛の場合も、環境変化や心身のリズムの変化、ホルモン異常などに対して脳が敏感に反応する体質の家系なのです。遺伝子にそうした誘発因子が加わって発症する多因子遺伝です。もちろん遺伝子を持っていても発症しない人もいます。

発症のメカニズムは、最近の脳の画像診断技術の進歩によってずいぶん分かってきました。誘発因子の情報はまず脳の視床という部分に伝えられます。するとそのすぐ下にある視床下部が反応し、セロトニンという脳内物質の量を減少させます。
セロトニンは身体のリズムを正常にコントロールする機能を持っています。これが減ると、脳神経の1つである三叉神経がコントロールから外れて興奮し、CGRPという血管拡張物質を放出します。これによって血管が拡張すると、炎症を起こす物質が周辺の組織に染み出し、痛みを引き起こします。これが片頭痛のメカニズムです。
1週間がんばって働いた人が、週末に寝すぎや二度寝などでリラックスしすぎると片頭痛が起きることがよくあります。これは脳がセロトニンを出す必要がなくなったと判断し、量を減らしたために起きるのです。ですから週末は単にリラックスするだけでなく、リフレッシュするような活動をするほうが片頭痛の予防には効果的です。

身体リズムをコントロールするセロトニンに異常が起きる

薬による治療の中心は、三叉神経に働くトリプタン系薬剤

――片頭痛は脳や神経、血管が絡む複雑なメカニズムであることが分かりました。これをどのような医薬品で治療するのでしょうか。

坂井 患者さんの中には市販されている消炎鎮痛薬を使う方がいます。軽い片頭痛ならそれでやり過ごすことができますが、それは火事の火元を消さないで目の前のボヤを消すようなものでしかありません。
火元である血管拡張を解消する薬として、最近はトリプタン系薬剤がよく使われています。トリプタンはセロトニンに似た物質で、減少したセロトニンの代わりに三叉神経に働きかけて興奮を抑え安定化させます。その結果、血管を拡張させるCGRPの放出が抑えられ、痛みが解消するのです。これは片頭痛のメカニズムの研究から生まれた画期的な薬で、この薬が効けば、間違いなく片頭痛だと言えます。
トリプタン系には4種類の薬がありますが、遺伝体質の違いなどで患者さんによっては効き方が異なります。どれが自分に合うのか試してみることをお勧めします。

一方、抗CGRP抗体という抗体療法の予防薬も開発が進んでいます。血管を拡張させるCGRPをブロックする薬で、米国では6月に承認されました。日本では臨床試験中で、実用化にはあと1~2年かかるでしょう。この薬は皮下注射すると効果が1~2カ月続きます。分子量が大きくて脳や肝臓、腎臓には入らないので、めまいなどの副作用が少ないという利点があります。
片頭痛は脳にいったん記憶されると、発症と記憶が繰り返されて悪循環になりがちですが、抗CGRP抗体の注射で予防を続けていけば、痛みの記憶が薄れてきて、片頭痛を忘れてしまう効果も期待できます。

このほかに、首の神経から視床下部に向けて電気信号を送り、副交感神経を刺激して身体の働きを正常に戻す治療法の研究も行われています。

緊張型頭痛では首後部をマッサージして血行を良くする

――3大慢性頭痛のうち残る緊張型頭痛と群発頭痛についても、治療法などをお聞かせ下さい。

坂井 緊張型頭痛は一般的には「肩こり頭痛」と呼ばれています。悪い姿勢とかストレスなどが原因で首を支えている筋肉にしこりが起きます。首の神経から脳に伝えられる不快な信号が脳に記憶され、慢性的な緊張型頭痛を起こすと考えられます。
筋肉が硬くなると、血管が収縮して血液が流れにくくなるので、自分でマッサージして筋肉をほぐすのが一番です。マッサージする場所は首の後ろにある頸椎の両脇、頭蓋骨の下縁から肩の筋肉までが目安です。優しくマッサージして血行を良くし、首の筋肉にたまった疲労物質や痛み物質を血流で洗い流します。

緊張型頭痛では首後部をマッサージして血行を良くする

一方、群発頭痛は脳に入っていく首の太い血管(頸動脈)が拡張することが原因で起きます。場所はちょうどの目の奥あたり。この血管拡張が周囲の痛み神経や交感神経を圧迫し、炎症物質が血管から染み出して痛みを生むのです。なぜ群発が起こるかはよく分かっていません。
治療法ですが、原因は血管拡張ですから片頭痛と同じようにトリプタン系薬剤が効果的です。最近、炎症物質の染み出しを抑える副腎皮質ホルモンを服用すれば、群発頭痛の発作を予防できることも分かってきました。

クモ膜下出血や脳腫瘍が原因の頭痛には要注意

――他の病気が原因で起きる2次性頭痛についても、解説をお願いします。

坂井 2次性頭痛で見逃してはいけない筆頭はクモ膜下出血です。脳動脈瘤が破裂して起こり、いわゆる「雷鳴頭痛」という雷に打たれたような突然の激しい頭痛が起こります。患者さんが「こんなひどい頭痛は初めてだ」と訴えたら、まず疑わなくてはいけません。MRI(核磁気共鳴画像法)やCT検査で出血の有無が分かります。

脳腫瘍や慢性硬膜下血腫などが原因の頭痛は、1~2週間かけて徐々に痛みが増すケースが多いです。腫瘍や血腫が増大して脳の圧が高まり、次第に周囲を圧迫するからです。手足のまひや歩行障害、ろれつが回らないなどの症状が先に出るのが特徴です。1次性頭痛と見分けるには、頭痛以外にどんな症状があるかがポイントです。
慢性硬膜下血腫は頭部打撲によって出血が持続して血腫が大きくなり、頭痛が始まります。高齢者に多く、症状に気が付かないことも多いので、注意が必要です。
このほか子どもに多い副鼻腔炎(蓄膿症)が原因で頭痛が起きることもあります。

頭痛ダイアリーで初めて患者と医者が情報共有できる

――先生は患者さんに「頭痛ダイアリー」を記録してもらい、頭痛の種類の把握や治療に効果を上げておられるとのことですが、これはどのようなものでしょうか。

坂井 頭痛ダイアリーは、今では広く使われるようになっています。そこに記録された内容が頭痛の診断に不可欠だからです。頭痛はいくら検査しても本人以外には分かりません。頭痛ダイアリーの記録を読むことで、初めて患者さんと医者が情報共有できるのです。午前・午後・夜にどんな頭痛がどんな強さで起きたかなどを、簡単なメモと一緒に毎日記録してもらいます。
医者がこれを読むと、最初にお話しした「起こり方と経過の違い」が見えてきて、頭痛の種類の特定や薬を飲むタイミングの決定に役立ちます。

市販の鎮痛剤の飲みすぎで薬物乱用頭痛に陥っていることが判明するケースもあります。頭痛の気配を感じただけで心配して飲んでしまうことが主な原因です。薬物乱用は身体が本来持っている回復力を阻害させてしまいます。片頭痛用のトリプタン系は、あくまで頭痛が起きてから早めに飲むのがコツ。頭痛ダイアリーを活用して月に10回を上限にするなど気を付けましょう。

頭痛ダイアリーで初めて患者と医者が情報共有できる

片頭痛予防体操で脳の痛みの記憶を消す

――先生は「片頭痛予防体操」や緊張型頭痛の痛みを解消する「肩回し体操」を考案されています。これについて紹介していただけますか。

坂井 片頭痛は最初の痛みが首の後ろ(第3頸神経)に現れます。この場所を片頭痛圧痛点と言います。慢性化した痛みを記憶している脳の回路から痛みの信号が出ると、神経を経由して首の後ろに伝わり、圧痛点で痛みを放散するのです。

図2 片頭痛圧痛点の位置

片頭痛圧痛点の位置

★印が片頭痛圧痛点の位置。
僧帽筋の奥、板状筋部分にある頸神経(3番)の出口部分を圧迫すると傷む。脳からの片頭痛の信号を知る窓口である。
●印は緊張型頭痛のこりによる圧痛点の位置。
僧帽筋がこって生ずるので、通常のマッサージを受けたときにイタ気持ちいいところ。
出典: 『「片頭痛」からの卒業』(講談社現代新書) イラスト/中川原 透

片頭痛予防体操は、頭と首を支えている筋肉(インナーマッスル)をストレッチするのが目的です。この体操を片頭痛が起きていない時に続けると圧痛点が消滅します。その情報は神経を逆行して脳に送り返され、やがて脳から痛み信号が発信されなくなるのです。これが片頭痛予防体操の発想です。
肩回し体操は緊張型頭痛が起きている時に行うストレッチです。腕ではなく肩を回すのがポイント。僧帽筋や肩筋肉群、大胸筋など頭を支えている筋肉をほぐし血行を良くするのが目的です。

図3 片頭痛予防体操の方法

(上) 立った姿勢で:
足を肩幅に開き、正面を向き、頭は動かさず、両肩を大きく回します。
頸椎を軸として肩を左右に90度まで回転させて戻します。これをリズミカルに最大2分間続けましょう。
(下) 椅子に腰かけて:
オフィスなどで椅子に座って行う場合、Aと同じように頭を正面に向けたまま左右の肩を交互に前に突き出すように回転させても同様の効果があります。足は閉じても、少し開いてもどちらでもOKです。
出典: 『「片頭痛」からの卒業』(講談社現代新書) イラスト/中川原 透

図4 片頭痛予防体操のコツ

片頭痛予防体操のコツ

出典: 『「片頭痛」からの卒業』(講談社現代新書) イラスト/中川原 透

片頭痛治療の基本は、身体のリズムを安定させること

――最後に、片頭痛の患者さんは治療を受けるに当たってどんな心構えを持つことが大切なのでしょうか。

坂井 片頭痛の治療と言うと、薬をあれこれ飲みたがる患者さんが多いと感じています。そうではなく、片頭痛は心身のリズムの変化で起きていることを知ってもらいたいと思います。
埼玉国際頭痛センターは「頭痛教室ピア」という患者さんの集会を、月に1回開いています。30人ほどの患者さんが体験談を語り合うのですが、中にはセルフケア(自己管理)で片頭痛を治したという方もおられます。聞くと、「ヨガ、太極拳、散歩などで生活を改善したことで、心身のリズムが安定したのだと思います」とおっしゃいます。
メカニズム研究の面でも、片頭痛で重要な役割を果たすのは心身のリズムをコントロールするセロトニンだと分かっています。心身のリズムを安定させるという点で、セルフケアも研究も同じ方向を向いているのです。

片頭痛治療の基本は、身体のリズムを安定させること

 

TEXT: 木代泰之

坂井文彦(さかいさかい・ふみひこ )
埼玉精神神経センター・埼玉国際頭痛センター長

1969年慶應義塾大学医学部卒業後、同内科学教室に入局し、神経内科および脳循環・代謝の研究を始める。1976年、米国ベイラー医科大学神経内科留学。Harold G. Wolff賞(片頭痛と脳研究)。1997年11月、北里大学医学部神経内科学教授。2010年11月より、埼玉医科大学客員教授、埼玉国際頭痛センター長に。日本頭痛学会、国際頭痛学会の理事長など重職を歴任した頭痛治療の世界的権威で、長年にわたり、日本の頭痛医療を進化させてきた。

著書: 『片頭痛へのアプローチ ――よりよい日常生活を配慮した診療を目指して』(先端医学社)、『「片頭痛」からの卒業』 (講談社現代新書)など多数。

シームレスがカギ? 生体認証に見るミレニアルのセキュリティー観に迫る

私たちの生活は、もはやインターネットなしでは成り立ちません。娯楽、ショッピング、日々のコミュニケーションから金融・ビジネスまで、ありとあらゆるサービスがオンラインで提供され、多くの人がこれらを日常的に利用しています。

こうした中で課題となっているのが、オンラインにおける本人証明――すなわち「認証」に関する問題です。データ侵害による個人情報の流出やSNSの「なりすまし」などのトラブルは跡を絶たず、利用者1人ひとりが「認証」について本質的な意識改革を迫られています。

利便性よりもセキュリティー

IBMが2018年1月に実施した「IDの未来」という調査で、人々がアプリケーションやデバイスにログインする際に、利便性よりセキュリティーを重視していることが明らかになりました。

特に銀行アプリや投資アプリ、予算管理アプリといった金融系のサービスについてその傾向が高く、カテゴリー平均で70%ものユーザーがセキュリティーを最優先事項として位置づけています。

また、金融系に比べて若干割合は下がるものの、オンライン市場やワークプレイスアプリ、Eメールなどでもセキュリティーが最優先事項として位置づけられました。この結果は、従来の「(アプリケーションは)利便性こそが第一である」という常識を大きく覆すもので、セキュリティーに対する人々の関心の高まりが見受けられます。

近年、旧来のパスワード方式に替わって指紋認証、網膜認証、顔認証といった、いわゆる「生体認証」の技術が積極的にデバイスに採用されるようになっています。生体認証について67%が「既に使い慣れている」と答えたとともに、87%が「今後使い慣れていくだろう」と回答していることから、クラッキングされやすいパスワード方式に比べて「生体認証の方が安全である」と認識している人が多い現状が、調査結果からも伺えます。

世代で異なる「認証」への意識

また、認証に対する意識が世代によって異なることも、この調査で明らかになりました。たとえば、ミレニアル世代(※1)はセキュリティーにパスワードマネージャーや生体認証、多要素認証を選ぶ傾向が見られ、旧来のパスワード方式を信頼していないことがわかります。

一方で、高齢の世代はパスワード方式でのセキュリティー担保を行っています。55歳以上の世代では特殊文字や数字、文字を組み合わせた複雑なパスワードを作成する人の割合が49%に上りましたが、ミレニアル世代では42%に留まりました。これは裏返せば若年世代が新しく、信頼のおけるアカウント保護方法に目を向けていると言えるでしょう。

※1:主に1980年代から2000年代初頭までに生まれた人を指すが、2000年代に成人する世代を指して使われる場合もある

また、全世代でセキュリティーを重視する傾向があるものの、若年層は利便性を優先する傾向がもっとも強いことも分かっていて、24歳未満の成人の半数近く(47%)がセキュアな認証形態よりも素早いサインイン体験を優先すると答えています。こうした傾向も、彼らがパスワード方式よりも生体認証を選ぶ理由の一つとなっているのかもしれません。

その一方で、特に高齢世代において、新しい認証形態に対する懸念が強く残っていることも明らかになっています。今後はこうした世代間の姿勢の違いを理解した上でセキュリティーに対する対策を講じていくことが、ますます重要になっていくことでしょう。

主要認証要素としてのモバイル・デバイスの活用、生体認証やトークンを用いたアプローチといった新しい手法を積極的に取り入れていくと同時に、そうした形態に懸念を覚える層にも対応するため、ユーザーが複数の認証オプションから選択できるIDプラットフォームを採用することが求められています。

photo:Getty Images

超高齢社会の日本。多くの高齢者が認知症になる中、100歳でも矍鑠(かくしゃく)として暮らしている人もいる。その差はどこから生まれるのか。
株式会社脳の学校の代表取締役で医学博士の加藤俊徳氏は、「脳には一生かかっても使い切れないほどの潜在能力細胞があり、これを鍛えることで、脳の衰え知らずの人生を送ることができる」と説明する。
過去、1万人もの脳画像を分析してきた加藤氏は、脳全体を機能別に8つに分けたものを「脳番地」と呼ぶ。潜在能力を持ちながら未発達のままでいる弱い脳番地を伸ばし、強い脳番地を維持して脳番地同士の連携を強化すれば、バランスの取れた元気な脳になるという。
「50代を過ぎてからも脳に新鮮な驚きを与えて刺激し、早寝早起きで睡眠を重視する生活リズムに切り替えれば、脳は80歳になっても90歳になっても成長する」と言う加藤氏。とりわけ定年と同時に会社向けの脳を使わなくなる男性には、40~50代からの積極的な準備をアドバイスする。
脳に関する多くの著作のある加藤氏に、人生100歳時代に向けた健康で賢い人生の過ごし方を伺った。

50歳を過ぎてから「右肩上がり」と、「右肩下がり」の人がいる

――ご著書の『100歳まで成長する脳の鍛え方』には、一般に中年以降は老化すると思われている脳が、実は高齢になっても成長すると書かれています。中高年にとって励みになります。

加藤 私は34歳で米国に留学しました。渡米前は英語が全くできなかったのですが、3年経つと夢も英語で見るようになりました。脳は30代後半でも成長していたのです。帰国後の2004年、NHKが放送した「老化に挑む」という番組の監修を担当しましたが、100歳前後でいきいき活躍している人たちに接しているうちに、自分もぜひそう生きたいと思うようになりました。
そのころ、東京では50代の人たちが毎日疲れた顔をして通勤していました。つまり50歳を過ぎてから右肩上がりになる人と、右肩下がりになる人がいる。この違いはどこから来るのだろう考えました。

人の脳細胞の数は1歳の頃が一番多く、その後は日々減っていきます。子どもの脳病理の専門家だった私の先生は「赤ちゃんの頃の未熟な脳細胞は、大人になっても未熟なままたくさん残っている」と教えてくれました。そこで私は、未熟なままの脳細胞を「潜在能力細胞」と名付け、その能力を伸ばせばよいのだと確信しました。これが、脳は一生成長し続けるという理論の基本的なバックグラウンドです。右肩上がりの人と右肩下がりの人は、中高年になって潜在能力細胞を伸ばせるかどうかで差がつくのです。
農家の人がコメを生産できるのは、土や太陽や水などイネの一生をよく知っているからです。それと同じで、私たちも脳の一生の成長の道筋を知れば、いつまでも脳を育てることができるはずです。

神経細胞がネットワークを作って「脳番地」同士をつなぐ

――身体は中高年になると衰えるのに、脳が成長するのは不思議です。どういう仕組みなのでしょうか。

加藤 人の脳の重さのピークは、女性が16歳で1300グラム、男性は18歳で1450グラム。要するに高校生の頃で、それ以降は横ばいになり、70~80歳では約100グラム減っています。16~18歳以降は脳の中の水分を減らしつつ、脳細胞がネットワークを形成していきます。ちょうどネット社会のブロードバンドのように、後で説明する「脳番地」同士をメッシュ状につないでいきます。よくつながっている脳ほど元気に活動するのです。

しかし、誰でも脳のネットワークが発達するわけではありません。ネットワークはその人の脳が経験したり使ったりした分だけ形成されます。ですから中高年になっても新しい経験を重ねて脳を使うことが大切です。年をとることは自分自身の人生に近づくこと、つまり自分の生き方が脳の構造に反映して露わになっていくということです。

図1を見てください。脳の成長力が早く衰えて老化度が早く上がる人は、早期に認知症になりやすい。逆に100歳まで脳が成長する人は老化度の上がり方が遅く、認知症になりにくいことが分かります。

図1 脳の成長力と老化度の違い

脳の成長力と老化度の違い

出典:『定年後が楽しくなる脳習慣』(潮新書)より

一生使い切れないほどある潜在能力細胞をもっと使おう

――では脳の成長力を維持し老化度を抑えるには、どんな生き方をすればいいのでしょうか。具体的に教えていただけますか。

加藤 脳に必要なのは、まずきれいな酸素です。タバコなどを吸っている場合ではありません。食物から摂取するグルコース(ブドウ糖)やビタミンも大切です。何より重要なのは外からの刺激や経験。これが脳に取り込まれてネットワークの形成を促すのです。潜在能力細胞は一生かかっても使い切れないほどありますから、どんどん成長させましょう。

私たちは100年間生きるための教育を受けていません。50歳を過ぎてからは、自分の脳は自分で手入れするしかありません。
例えば、100歳過ぎてから「北海道マスターズ競技選手権大会」でマラソンに挑戦した富良野の大宮さんは、脚力だけでなく足の運動に関わる脳番地がとても発達しています。高齢になっても積極的に脳を使っている人の脳番地は衰えません。記憶の脳番地も同じ。日ごろ記憶力を高める練習をしている人はボケることは少なく、記憶をつかさどる脳の「海馬」はむしろ大きくなります。

一生使い切れないほどある潜在能力細胞をもっと使おう

50歳から別の人生を始めるぐらいの意識改革が必要

――会社勤めの人は、定年後の人生をどのように過ごすかがとても重要になりますね。

加藤 そうです。会社に30~40年勤めた人が会社に行かなくなると、それまで会社で使っていた脳番地やネットワークを全く使わなくなります。そこで盆栽とか他のことをやろうとしても、脳は急にエネルギーを生み出すことはできません。
会社で難しい仕事をやっていて専門性が高い男性の多くは、定年後に脳を積極的に働かす準備ができていない傾向があります。定年後に備えた準備は50歳前後から始めなくてはいけません。

他方、女性は違います。女性は会社勤めをしていてもいなくても、夫や子どもの世話をし、家事全般をこなし、近所とも付き合うという、マルチタスクを長年こなしてきているからです。
年を取っても意欲があるのは主に女性です。男性は50歳を過ぎると、朝起きた時にいろいろな欲求が減っていることに気づき、哀愁が漂います。男性は自分の欲をもっとアップさせてそれに向き合わないといけません。
人生は50歳前と50歳後を分けて考えましょう。私は57歳ですが、50を引いて今7歳だと思って生きています。50歳から別の人生を再スタートするぐらいの「革命的」な意識改革をやらないとだめなのです。

50歳の人の脳は過去にいろいろなことを経験し知っているために、かえって何ごとも新鮮に思えず、マンネリ脳になりがちです。「それは知っているよ」というだけでは脳は驚かず成長しないのです。脳は新鮮さや刺激が大好きです。成長するためには、毎日何か刺激のあることをして脳を喜ばせてあげましょう。

50歳から別の人生を始めるぐらいの意識改革が必要

脳番地の成長や老化は自分でも意識できる

――先ほどから「脳番地」という言葉が出ています。少し説明していただけますか。

加藤 一般の人たちに脳の仕組みを説明する時、どうすれば分かりやすくなるかと考えて、思いついた概念です。簡単に言うと、脳の機能を大まかに、思考系、感情系、伝達系、運動系、理解系、聴覚系、視覚系、記憶系という8つの脳の番地に分類しています。

図2 代表的な8種類の脳番地

代表的な8種類の脳番地

出典:『100歳まで成長する脳の鍛え方』(主婦の友社)より

それぞれの脳番地は別々に脳を動かし、脳番地ごとに成長や老化が起きています。これは自分でも意識できます。例えば「最近人と話していないから伝達系脳番地を使っていない」とか、「よく笑っているから感情系脳番地を使っているな」などです。

私の体験をお話ししますと、小学2年生まで成績は2か3ばかりでした。小学3年の時、せめて運動の方で新潟県の一番になりたいと考え、砂浜を走ったり、ジョギングをしたりと7年計画で自主トレーニングを始めました。そのかいあって中学3年の時には垂直ジャンプ1m10cm、背筋230キロ、胸囲110㎝、太もも58㎝、ふくらはぎ44cmという強靭な身体を作り上げました。
クラブ活動はバスケットボール部でしたが、中学1年の時に柔道で初段を取り、ついに中学3年の時、陸上で新潟県優勝をしたのです。
ところがある日、100m走の練習をしている時、はっと「自分は筋肉ばかり鍛えて脳を鍛えていなかった。これではいくら頑張っても、オリンピックの選手のように記録を伸ばすのは難しいだろう」と、直感的に脳を集中して鍛えることの重要性に気づいたのです。体の筋肉ばかりに目を向けていて「失敗した!」と思いました。
結局、振り返ると、私は運動系や視覚系脳番地は鍛えたけれども、情報や知識などの記憶系や体を動かす司令塔の思考系を鍛えていなかったのです。
そこで、大学は医学部に行って、脳のことをもっと深く勉強しようと決意したのでした。

生活リズムを、地球の自転リズムに合わせるように変える

――先生は「現代人は偏った(ゆがんだ)脳の使い方をしている」と指摘されています。脳全体をバランスよく使うには、どんなことを心掛けたらよいのでしょうか。

加藤 簡単に言うと、昼間の仕事や夜の活動のやり方を変え、地球の自転リズムに合わせるということです。週末の過ごし方もそうです。そして十分睡眠をとること。寝ないと脳は衰えます。夜更かしせず、午後9時ごろから午前3時ごろまで6時間は寝るのが理想です。この時間帯に睡眠ホルモンのメラトニンが一番よく出るので、間違いなく健康になれます。

極論すると、暗くなったら寝る。朝は太陽とともに起きる。そこから外れるほど脳のリズムがおかしくなります。夜遅くまで起きている人は、もっと時間帯を前にずらし、生活リズムを地球の自転のリズムに合わせましょう。農業などに携わり、自然とともに生きていることを実感している人は100歳になっても元気な人が多い。
私も40代の頃は午前2時、3時まで仕事をしていました。50歳になってから午後10時半に寝るように変えました。そうしたら3か月で体重が8キロも減りました。他に何もしていなくても、ダイエットができてしまったのです。夜に脳が回復する余裕が生じた上、朝ご飯がおいしくなり、昼ご飯もしっかり食べられるので、夕飯が少なくてすむので、それがダイエットにつながったのです。

最近の研究では、6時間未満の睡眠ではなんと40%の人がうつ病になると報告されており、心臓にも良くありません。睡眠時間が少ないと、昼間の神経活動が低下し、思考が短絡的で直情的になり、人の感情の変化にも鈍感になって社会ルールに触れることをしても罪悪感がなくなったりします。
夜中にいつまでもネットサーフィンをしたり、ついついつまみ食いをしてしまったりする人はさっさと寝て、朝型リズムに切り替えましょう。仕事も夜中にダラダラやるより、早朝に起きて取りかかったほうが何倍も効率が上がることは、昔から言われているとおりです。

生活リズムを、地球の自転リズムに合わせるように変える

定年後、スケジュールを決めず気ままに暮らすと認知症になりやすい

――認知症になる人が増えています。予防する方法があれば教えていただけますか。

加藤 認知症に効果があるのは、薬よりもクイズやドリルなどの脳トレ、食事、睡眠などの生活習慣だと分かってきました。朝起きてから正午まで、頭がクリアな時間帯をきちんと作ることです。とりわけ定年後の人は、生活にメリハリがなくなりがちですから、注意が必要です。時間を守って行動しなくなると、人は脳を使わなくなり、海馬が刺激されずに衰えていきます。スケジュールを決めずに自由気ままに暮らすのではなく、予定を立てて行動することが大切です。

さらに毎日外出して、できるだけ1日1時間以上、1週間に10時間以上歩くことをお勧めします。心理的にリラックスするヨガとか瞑想、禅は血圧を下げて脳をリセットし、海馬を元気にすることが分かっています。
このように日常生活を自分でコントロールし、食事も自分で選ぶことが長生きする秘訣です。私の祖父は90歳まで自分で料理をしていました。脳に刺激を与えてくれる友だちを周囲にたくさん持ちましょう。脳トレはすべての人に効果的だと言われています。認知症になってからも脳トレを諦めてはいけません。

スマホだけ見ていると、思考が変わらず依存性が強まる

――スマホが普及しています。多くの情報を入手できる便利な道具ですが、脳の働きにはどんな影響を与えるのでしょうか。

加藤 スマホがもたらす未来を私は心配しています。問題点は2つあります。1つはウインドウ(枠)が小さいので、眼球運動が起きず、目を動かす筋肉(外眼筋)を使わなくなります。外眼筋には6本の筋肉があり、別々に動いて眼球を動かしていますが、スマホだけ見ていると、どの筋肉も動きません。
人は目を動かすことで思考を変えており、目を動かさないと思考を変えられません。スマホへの依存性が高まり、小さな枠から逃れられなくなります。空間認知能力や注意力が低下し、忘れ物が多くなり、電車から降りたら人にぶつかるといった行動が起きます。
これを防ぐにはキャッチボールなどのボール運動をする、お手玉をする、といった目と手を同時に使う運動が適しています。

2つ目の問題点は、本来自分の頭の中に入れておくべき記憶を、スマホという外部記憶装置に入れてしまうことです。記憶力を使わない習慣を作ってしまうので、いま20~30代の人は40~50年後に認知症状が出る心配があります。
すべてがスマホの中で完結するために人と話さないので、コミュニケーション障害になる懸念もあります。

加藤先生愛用の靴下は5本指。脳の活性化と健康に良い。

加藤先生愛用の靴下は5本指。脳の活性化と健康に良い。

脳画像を見ればその人の過去が読み取れる

――先生は長年MRI(核磁気共鳴画像法)による脳画像の研究をなさり、病気だけでなく生活習慣のアドバイスもされています。脳画像を見ることで人のどんなことが読み取れるのでしょうか。

加藤 これまで1万人以上のMRIの脳画像を見てきました。人の脳はトレーニング次第で大きく変わるので、脳画像を見ればその人の弱みも強みも分かります。私の開発した脳画像法でみると、使った脳番地のネットワークは画像上で黒く成長し、樹木の年輪のように過去を読み取ることができるのです。
子どもなら、本を読んでいるか、片づけができるか、口先だけでなく行動するか、などが分かり、生活改善やコミュニケ-ションの取り方をアドバイスし、学力を伸ばすことができます。ビジネスマンならもっと成功できるように医学的見地からアドバイスができ、認知症を予防することも可能になります。

思考系脳番地がうまく働かないと、衝動買いに走りやすい

――ご著書『今日からお金がたまる能トレ』では、ついムダ遣いしてしまう消費者にならないために、脳のクセを変えることを提案しておられます。

加藤 人は脳番地の弱いところでムダ遣いをしてしまいます。買い物の際は、売り場を歩き回り(運動系)、商品を見て(視覚系)、店員に質問し(伝達系)、わくわくし(感情系)、魅力を理解し(理解系)、過去の経験を思い出し(記憶系)、買うかどうか決断する(思考系)――というように脳番地がフル稼働します。
最後の思考系脳番地は欲求を抑える力を持っていますが、ここが正しく働かないと、店員さんの売り言葉につられて衝動買いに走ってしまいます。

ではどうするか。例えば買い物には予算の上限を決めておく。レジでの支払いは1万円札を出すのではなく小銭を使う。寝不足の時や疲れている時は脳の働きが弱っているので、買い物をしない。夜中はテレビショッピングやネットショッピングを見ない。買い物は翌朝に回すなど。こうした生活習慣に改めれば、それだけでもずいぶんムダ遣いがなくなるでしょう。

思考系脳番地がうまく働かないと、衝動買いに走りやすい

 

TEXT:木代泰之

加藤 俊徳(かとう・としのり)
医師/医学博士/脳科学者。 株式会社脳の学校代表取締役。加藤プラチナクリニック院長。 昭和大学客員教授

1961年、新潟県生まれ。 昭和大学大学院医学部修了。1991年、脳活動計測「fNIRS法」を発見。現在、世界700カ所以上で脳研究に使用され、新東名高速道路走行中の脳活動計測にも成功。1995年から2001年まで米国ミネソタ大学放射線科MR研究センターでアルツハイマー病や脳画像の研究に従事。帰国後、慶應義塾大学、東京大学などで、脳の研究に従事。胎児から超高齢者まで1万人以上のMRI脳画像をもとにその人の生き方を分析。
2006年、株式会社「脳の学校」を創業。2013年、加藤プラチナクリニックを開設。ビジネス脳力診断、発達障害や認知症などの予防脳医療を実践。
著書に、35万部を越えるベストセラー『脳の強化書』シリーズ(あさ出版)、『100歳まで成長する脳の鍛え方』(主婦の友社)、『今日からお金が貯まる脳トレ』(主婦の友社)、『忘れない時間が長くなる脳ドリル』(MSムック)、『50歳を超えても脳が若返る生き方』(講談社+α新書)などがある。