石森氏

「特務機関NERV防災アプリ」――気象庁が発する地震、津波、噴火、台風、土砂災害、河川情報、雨雲レーダー、大雨危険度通知や、河川情報センターからのダム放流通知などのさまざまな防災情報やJアラート(国民保護情報)の情報を即時配信するツールとして、2019年9月のリリース以降、約57万人(2020年3月時点)のユーザーに利用されている。

気象庁職員にも愛用者が多いという同アプリを開発・運営しているのが、エンジニアの石森大貴氏が代表取締役を務めるゲヒルン株式会社だ。10年前、個人的なTwitterアカウントからスタートした防災情報の配信は、いかにして社会に浸透していったのか。石森氏に、同社の取り組みと日本の防災情報の現状、そこから浮かび上がる課題、未来の防災情報のあり方などについて伺った。

個人的な趣味から事業へ。きっかけは東日本大震災

――アプリのリリース以前から運用されていた「特務機関NERV」(以下、「NERV防災」)のTwitterアカウントも、現在86万を超えるフォロワーに情報を発信しています。このユニークな名称は、石森さんご自身が大ファンだというアニメ「エヴァンゲリオン」(以下、「エヴァ」)シリーズに登場する組織からとられたものですね。アカウントを開設された理由と、防災情報を発信するようになった経緯をお聞かせください。

石森 きっかけは、あくまでも個人的な趣味です。アカウントを開設したのは2010年2月なのですが、前年に『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』が公開され、当時はちょうどエヴァ界隈がアクティブなときでした。それをうけて、エヴァの世界観をTwitterの世界に持ち込んでみたくなったのです。作中でのNERVは「警戒」や「警報」という用語をよく使っていたので、このアカウントも現実の世界の気象警報などをツイートするものにしました。

NERVのTwitterアカウントのホーム画面(2020年3月時点)

NERVのTwitterアカウントのホーム画面(2020年3月時点)

――石森さんご自身と会社の双方にとって大きな転機となったのが、2011年3月の東日本大震災だったと伺っています。宮城県石巻市にあった石森さんのご実家も被災されたのでしたね。

石森 はい。これは本当に偶然なのですが、ちょうど3•11の前日に緊急地震速報のソフトウェアをインストールしていて、東京の自宅にあるディスプレイに表示できるようにしていたんです。なので、地震が起きたときも、揺れより先に東北エリアに流れた緊急地震速報で発生を知りました。発生直後は実家の母とメールでやりとりしていましたが、津波警報のあとは連絡が途絶してしまい……。たまたま東京にいた父は車で急いで宮城に戻り、僕は一人で東京に残りました。エンジニアの自分が電気のないところに戻るよりは、東京にいてできることをしよう――父と相談し、そう決めたのです。

震災翌日から計画停電が行われるという情報が流れたので、NERV防災のTwitterアカウントで節電を呼びかけるキャンペーンを始めました。これもエヴァ作中からとって「ヤシマ作戦」と名付けたのですが、非常に多くの方が拡散・協力してくださって、テレビでも紹介されました。社会貢献活動ということで、エヴァの版権元から「公認・非公式」という形で許諾を得たのもこのときです。僕自身は作戦を呼びかけながら、緊急地震速報などを手動でツイートしていました。作戦中はあらゆる仕事をなげうって、この2つに集中していたのを覚えています。

家族の無事を知ったのは4日後のことでした。父は最終的に車を乗り捨てて、水没した地域を泳いで実家に戻ったそうです。文字通り命がけだったと思います。

――震災直後のそうした活動を通して、石森さんご自身の中で防災情報に対する意識が高まっていったわけですね。

石森 当時の被災地はテレビもラジオもない状態だったので、インターネット経由での情報発信の必要性を感じていました。ところが、ネット上では虚実ない交ぜの言説が飛び交っている。正確な情報をいち早く届けなくてはならないことを痛感し、糠谷に協力してもらい防災情報の自動配信実現に取り組みました。現在のものと比べると精度も低いですし画像も出せていなかったのですが、ひとまず地震情報に関しては2011年6月に自動化を実現しています。

また、これは後の話になりますが、こうした取り組みを社内活動として行いやすいよう、定款に防災情報発信を加えたり、理解ある企業に新たな株主になってもらったりもしました。

石森氏(左)と同社専務取締役の糠谷崇志氏(右)

石森氏(左)と同社専務取締役の糠谷崇志氏(右)

1分でも1秒でも早く、分かりやすく、情報を伝えたい

――地震情報の自動化以降、NERV防災アカウントでの情報発信はブラッシュアップを重ねていきました。その中でも大きなステップアップとなったものは何でしょうか。

石森 作画エンジンの導入と、Lアラート(災害情報共有システム)の接続です。作画エンジンは2012年から社内で構想が始まって、2013年9月に実装しました。その頃のTwitterでは、地震情報を発信する際にテレビ画面を撮影し添付している人は数多くいたのですが、オリジナルの画像を出しているアカウントはいなかったのです。テレビでも、震度階級などの色分けは各局で異なっていたので、「うちも好きに決めよう」と糠谷に配色をお願いしました。僕には色覚異常があるので、同じく色の見分けがつきにくい人たちにも見やすい配色になるよう、工夫してもらっています。

Lアラートの接続は、情報のツイート速度をあげることを目的に行いました。報道機関の速報よりも、1分でも1秒でも早く情報を伝えるということには、常に怠らず取り組んできました。

糠谷 そこは経営者というよりエンジニアのプライドかもしれませんね。石森はミリ秒単位を縮めるために、1ヵ月も作業に没頭したりしていました。

――2019年9月には新たに「NERV防災」アプリをリリースされました。

石森 実は、以前からアプリを、出さないのかという声を頂戴していました。ただ、公共機関や大手ポータルサイトから既に防災アプリがリリースされているのに、今から自分たちがアプリを出してどう差別化するのかという疑問がありました。それでも社内でやってみようかということになり、ひとまずデザインを組んでみたのです。すると他とは全く違うコンセプトのアプリができるんじゃないかということが見えてきて。

そこでますますやる気になって、視覚障害や識字障害のある方も使えるように音声合成エンジンをつくったり、タイムライン機能や重要情報のプッシュ通知機能を持たせたりと、搭載する機能を充実させていきました。じつは緊急地震速報の予報業務の許可を気象庁に申請する必要もあって……。

石森氏

糠谷 Twitter上でも同じ情報は流していたのですが、アプリでは地域ごとに絞った情報を提供したくて。そうなると、予報業務にあたるので許可をもらわなければならなかったのです。申請には60枚ほどの書類が必要で、地震のP波・S波の到達予想時刻を算出する計算式などを細かく書かなければならないので大変でした。他にもインフラの設計やスタッフの勤務状況なども提出しなくてはならず、担当していた石森は書類作成と申請に追われ、1ヵ月ほど出社する暇さえありませんでした。

石森 慣れない作業で苦労したのですが、おかげさまで無事にリリースできて大勢の方に使っていただいています。気象庁と一緒に開発した大雨危険度のプッシュ通知もたいへん好評です。

また、近年では当社開発のお天気カメラも全国10ヶ所に設置し、活用しています。このカメラには震度計もついており、揺れのピーク前後15秒間の動画を自動で切り出し配信することが可能です。似たような機能を持つカメラはテレビ局も持っていると聞いていますが、すべてをクラウドで自動化しているのは当社だけです。

お天気カメラの映像

お天気カメラの映像

ゲヒルン特製の輸送用段ボールとヘルメット。中にはお天気カメラが入っている。

ゲヒルン特製の輸送用段ボールとヘルメット。中にはお天気カメラが入っている。

次世代のために、社会を「ハック」していきたい

――日本の防災情報発信の現状についてどうお考えですか。

石森 課題として感じているのは、とにかく一次情報が遅いということです。たとえば県管轄のダムの放流情報は、PDFのホームページ掲載という形をとっていて、見る方が自力で探さなければなりません。また、国が管理するダムの放流情報は、各地の河川事務所がファックスで国土交通省に知らせて、それを担当者が入力してデータにするという方法がとられています。そうなると、情報が手元にくるのは「放流から1時間後」といった事態になるので、報道機関も振り回されてしまうのです。

これはどうにかしたいと考えていて、都内の自治体と協定を結んで、情報を直接アプリに流してもらう実証実験に現在取り組もうとしているところです。

これからは、より一人一人の状況に合った情報を配信していきたいとも思っています。ただ、ユーザー側がそれに慣れてしまうと、与えられる情報だけに依存してしまう可能性を懸念しています。避難勧告が来るまでは避難しなくていいだろう、というのではなく、あくまでも自分の命は自分で守るという気持ちでいてほしい。なので、ユーザーのリテラシーを高めるような情報配信の在り方というのを考えていきたいですね。

糠谷 また、さまざまな面での自動化促進も全社で目指しています。防災分野においてITで解決できることはたくさんあるので、先述したダム放流通知のように、行政も巻き込んで改善していきたいです。

――石森さんの場合は震災でご実家が被災されたこともあり、防災情報に対する思いは人一倍強いのではないでしょうか。

石森 確かに震災後、自分の中にそれまではなかった使命あるいは義務感のようなものが芽生えたのを感じています。次に来る津波に備えて社会に情報伝達の仕組みを残さなくては、という気持ちです。3•11のとき、僕の家族は無事でしたが親戚や友人が亡くなりました。この人たちには情報を伝えられなかった。けれど、今、石巻には「NERV防災のアカウントをいつも見ているよ」と言ってくれる親戚がいたりする。次の津波が来たときに、沿岸部に住んでいるこの親戚に情報を届けることができないようでは駄目だなと思っています。

――現在も、被災地に足を運ばれているそうですね。

石森 はい。気仙沼にある『リアス・アーク美術館』からは学ぶことが多いです。ここは震災の記録を常設展示している美術館で、見ていると震災で得た教訓を次世代に伝えていこうという思いがひしひしと伝わってきます。三陸というのはおよそ40年に一度の周期で津波が来襲する「津波常襲地帯」なのですが、実は日本の沿岸部の大半はそれに当たります。沿岸部に住む以上は常に津波に備えていなければいけないし、それを次世代に受け継いでいかなければならない。そのために自分たちは何をすべきなのか。情報の大切さも含めて、そういったことを考えさせてくれる施設です。

石森氏、糠谷氏

――Twitterのアカウントでは、リアルタイムの情報だけでなく、阪神淡路大震災や熊本地震などの発生日に震災を振り返るツイートもされています。

石森 ユーザーの方に被災地のことを思い出してほしいとか、この機会に備蓄を確認しようとか、防災について家族で考えてほしいなどといった意図もありますが、自分たちに向けての戒めという意味合いも大きいです。先日、震災で娘さんを亡くされたという方とお話する機会がありました。「あの日から心の時計が止まったままですよね」という僕の言葉に、ご遺族の方が「本当にそのとおりだ」と応えてくださって、そのやりとりは今でも強く印象に残っています。3•11で亡くなられた方は2万人近くいます。2万という数字にしてツイートするのは簡単ですが、本当にそれだけの人たちがいなくなってしまったのだと思うと、ものすごく大きな数なんですね。そういうことを思いながらツイートしています。

糠谷 当社には、地方に住んでいるメンバーもいます。中には熊本地震で被災したエンジニアもいますし、当社取締役の舘野(さくらインターネット副社長)も阪神淡路大震災の経験者です。そのためか、社内全体にも石森の持っている使命感が浸透してきているように感じます。

石森 創業以来掲げていた「人と社会のために新たな価値を創造し続ける」というビジョンを、今年から「社会をハックする」というものに変えました。ここで言う「ハック」とは「切り拓く」という意味です。この10年を振り返ると、防災情報の発信から始まり、気がつくと気象庁や内閣府を巻き込んで社会の仕組みをハックしていた。情報セキュリティー会社であると同時に最近では防災ベンチャーとしても認識されていますし、NERVという名称の使用もアニメならではのムーブメントの起こし方だと評価されるようになりました。この先も0.1秒でも速い情報伝達を心がけて、世の中をより良くハックしていきたいですね。

TEXT:中野渡淳一、PHOTO:村松正博

石森大貴(いしもり・だいき)

ゲヒルン株式会社 代表取締役
1990年、宮城県生まれ。筑波大学在学中の2010年7月にゲヒルン株式会社を設立。同年より、アニメ「エヴァンゲリオン」シリーズに登場する「特務機関NERV」の名称を用いたTwitterアカウントを開設、気象情報などの配信を開始する。2011年、東日本大震災発生時は節電をツイートで呼びかける「ヤシマ作戦」を展開し、話題となる。以後、会社の事業と併行してTwitter上での災害速報に取り組む。2019年9月、防災情報アプリ「特務機関NERV防災アプリ」をリリース。全国の地震情報、台風情報などをどこよりも速く伝えるサービスとして注目されている。現在、同社代表取締役。